いつも通りの簡単な仕事のはずだった。標的の背後関係も人物像も記されていない、顔写真と名前と日時と場所だけが記された小さな紙片。ただその時間にその場所に行って、その顔の人物を殺すだけ。教えられてきた――というより叩き込まれた技術でもって、善いも悪いもなくただ殺す。自分はただの弾丸で、弾を込めるのも引き金を引くのも顔も見たことのない雇用主だ。
考えるのはいかにこのナイフを突き立てるかということと、初撃を避けられた――あるいは防がれたときの対処の仕方ぐらい。生きるためだとか金のためだとか楽しみだとか怨みだとか、そんな雑事が欠片も介入せず、ただひたすらにシンプルに作られた思考回路。
生まれてから5年程で完結してしまった人格。それがほんの一瞬で粉々に砕け散った。
ヒューヒューと風が隙間を抜けるような異音が響く。それは自分の首から聞こえ、激しく乱れた呼吸と連動していた。同じく乱れた鼓動に合わせてとっさに当てた左手の隙間から血が噴き出すのがわかる。喉をやられた。
「ガキのくせにやるじゃねぇか」
標的との間に突如おどり出た男が口笛を鳴らす。ニット帽を目深にかぶり、耳鼻頬にピアスをつけた二十代だとおぼしきその男は、片足に重心を乗せて斜に構えたように立つと、濡れた手の滴を飛ばすように右手をヒラヒラと振る。こぼれたのはえぐり取られた肉片と血液。
「よくとっさに反応できたな。褒めてやるぞ」
いつもの自分ならこの状況で考えることは、いかにして手放してしまったナイフを拾い上げ、ピアス男の奥にいる驚きに身体が硬直してしまっている標的に突き立てるかということだったのだろうが、ピアスの男の一撃を受けたその瞬間、脳裏に膨れあがって押し寄せた情報という情報が、ワタシを完全に停止させていた。
「遅刻したのは確かにオレが悪ぃけどよ。オレの獲物を捕るんじゃねぇよ」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら男はそう言って振り返り、一息に5,6mの距離を移動すると右腕を標的に叩きつける。呆然としていた標的は何の反応もできずに肩口から袈裟切りにされた。
ピアス男は鮮血を浴びて笑っている。そして――癖なのだろう――先ほどと同じ様に右手を振った。何も持っていないただの手だ。ジャケットは肩口から先がなく、意図的に露出させているのであろう腕は、体格の割にちょっと筋肉質に見える程度で、人間を両断できるような一撃を放てるようには見えないだろう。
だがわかってしまう。わかってしまうようになってしまった。
男の身体を微かに白い靄のような物が覆っている。不透明に見えてその実全く視線を遮ることのないその物質。標的を両断したときに男の手を覆うようにして、獣の腕のように纏まっていたソレを――。ワタシの体中からも溢れ出しているコレを――。ワタシは知ってしまった。
「生き延びたご褒美だ。任務は完了。もう思い残すこともねぇだろ」
先ほど標的の男が見ていたのはこのような景色だったのだろう。ピアスの男は右腕を引いて飛び掛かってくる。先程は一瞬にして標的に向かっていったように見えたが、今回はちゃんと見える。武術の“武”の字もないチンピラの喧嘩のようなフォームだ。無駄が多いし力任せでまるで考えられていない。ただただ腕を振り回すクマと同じだ。
ただ男の容姿から考えるに、それはとてもらしいと言えた。おそらく性格的にも合致しているのだろう。
だからワタシも
初めて触れるはずだが実に手に馴染む。構造も使い方も知っている。当たり前のことのようにスターターを引きトリガーを握る。
知らず叫んでいた。喉に一撃を受けて倒れていた気がするが、いつ起き上がったのかもわからない。抉られた喉で声は正常あがらなかったが、呼応するようにエンジン音が響く。男が驚愕に目を見開いた。回転する刃を獣の拳に叩きつけそのまま、そのまま一文字に薙ぎ払う。
ああ――。柔らかい。
ワタシの力が強いのか、それとも男が弱かったのか、たいした抵抗もなかった。見下ろすとピアス男は腕どころか身体まで上下二つに分れている。エンジンの振動に掻き消されて、削り取るという感触がなかった。手応えがないというのはなんだか虚しい。
とにかくこうして初めての“念”能力戦をワタシは乗り切ることに成功した。