魔法少女リリカルなのはStrikerS~道化の嘘~   作:燐禰

17 / 24
第十七話『道化の切言』

 ――新暦75年・機動六課付近・林――

 

 

 夜の闇に包まれた林で、ティアナは周囲に浮かぶ訓練用スフィアにクロスミラージュを構え自主練を行っていた。

 既に開始して4時間半程も経ち、ティアナの表情には強い疲労が現れていたが、それでも一切休むことなくひたすら続けていく。

 そんなティアナの元に足音と共に、静かな夜には不釣合な甲高い声が聞こえてきた。

 

『頑張ってるね~ティアナ』

「……クラウンさん」

 

 どこか軽い口調で話しながら近づいてきたクラウンに対し、ティアナは一度手を止めて怪訝そうな表情で振り返る。

 少し前にヴァイスが現れて諭す様な会話をされたのを思い出しているのか、どこか探る様な表情を浮かべているティアナに対し、クラウンは近くにあった一本の木に背を預けながら明るく言葉を発する。

 

『帰ってきたら、林で光りが見えてね。何やってるのかな~って』

「……自主練です」

『そっか』

 

 クラウンの言葉に対し、ティアナは簡潔に言葉を返した後で視線をスフィアに戻し、自主練を再開しようとする。

 しかし、静かに続けられたクラウンの言葉が彼女の心を揺さぶった。

 

『……辛くないかい?』

「え?」

『周りに劣等感を感じながら、追い立てられるように努力するのは辛くないかい?』

「!?」

 

 クラウンが静かに告げた言葉を聞き、ティアナは大きく目を見開いて驚愕する。

 仮面の隙間から覗くクラウンの瞳は、まるでティアナの心の内を見透かしている様に見えた。

 その視線を受けて動揺しながらも、ティアナは先程のヴァイスの時と同じ様にクラウンに背を向けて突き離す様な言葉を発そうとする。

 

「……クラウンさんには……」

『分かるよ』

「!?」

『ティアナが今感じてる苦しみはよ~く分かるよ。痛い位にね』

 

 しかし突き離そうと口にしかけた「貴方に私の気持ちが分かるもんか」と言いかけた言葉は、まるでそれが予め分かっていたかのように遮られる。

 その確信に満ちた言葉にさらに動揺して振り返ると、クラウンは空の左袖を触りながら優しげな目でティアナを見つめていた。

 優しくまっすぐにティアナを見つめるクラウンの瞳は、言葉にせずとも自分もティアナと同じ気持ちを抱いた事があると語っていた。

 そしてそれ以上言葉を続けられなくなると同時に、ティアナの動揺した心の中に微かに安堵に似た感情が芽生え始める。

 ティアナにとってクラウンは、機動六課で唯一自分と近いかもしれないと考えていた相手であり、そのクラウンが自分と同じ劣等感を抱いた事がある。

 それは自分だけが部隊内で凡人だと考えていたティアナにとっては、微かな救いの様でもあり、ティアナは導かれる様に長い沈黙の後で口を開く。

 

「……クラウンさん……も、そういう事を……考えたりするんですか?」

 

 絞り出す様に話すティアナの表情は、本人は気付いてはいなかったのだろうが、今にも泣き出しそうで縋る様なものに変わっていた。

 助けを求める様なティアナの様情を見ながら、クラウンは背を預けていた木から離れティアナにゆっくり近づきながら言葉を発する。

 

『ふふふ、俺が何年片腕で生きてきたと思う? 片腕になった事を後悔してる訳じゃないけど、もし両腕さえあればって考えた事は一度や二度じゃないよ。勿論、他人のそれを羨んだ事もね』

「……」

 

 あくまで優しく穏やかに話すクラウンの言葉に対し、ティアナは聞き入る様に沈黙していた。

 クラウンはそのままティアナの目の前まで歩いてきて立ち止まり、話を切り替える様に言葉を続ける。

 

『先に言っておくけど、俺は別にティアナの事を止めに来た訳でも叱りに来た訳でもないよ。がむしゃらに努力する事が悪いと言うつもりもないし、こうあるべきだなんて諭すつもりも無い』

「え?」

 

 クラウンが告げた言葉を聞きティアナは一瞬驚く。

 しかしよくよく思い返してみれば、確かにクラウンは先程のヴァイスと違い自主練を止めさせようとする言葉も、ティアナを諭す様な言葉も発していなかった。

 いやむしろ、だからこそティアナは先程のヴァイスの時の様に反発して拒絶する様な態度は取ってはいなかった。

 クラウンはそのままいつの間にか手に持っていたスポーツドリンクをティアナに差し出し、明るい様子で続ける。

 

『まぁでも、休憩も大事って事で……それを飲んで一休みする間だけで良いから、俺のつまらない昔話でも聞いてくれないかな?』

「……昔話?」

『そそ、もしかしたら何かの参考になるかもしれないしね』

「……分かりました」

 

 クラウンが告げた言葉に、ティアナは少し考えた後で頷く。

 クラウンの過去と言うのに興味があった事もそうだが、何より今のティアナの心にはクラウンも自分と同じかもしれないという淡い期待があった。

 そのまま二人は近場の木の根元に並んで座り、ティアナが受け取ったスポーツドリンクを一口含んだのを見てから、クラウンは静かに自分の過去を語り始めた。

 

『……俺はさ、昔は砲撃魔導師だったんだ』

「え? 砲撃、魔導師?」

 

 懐かしむように話すクラウンの言葉を聞き、ティアナは大きく目を見開いて驚愕する。

 それも当然の事で、ティアナはクラウンの戦闘は見た事が無かったが、日頃から本人が時折口にしている事と幻術主体と言う事から、火力は低く相手の隙をついて戦う魔導師だと考えていた。

 それに対して砲撃魔導師と言うのは文字通り砲撃を主体に使う魔導師で、チーム戦闘においての最大化力を誇る存在とも言え、目の前のクラウンとは対極の様に感じられていた。

 そんなティアナの反応は予想通りだったのか、クラウンはそのまま言葉を続けていく。

 

『あはは、今の俺からは想像できないでしょ? 自分で言うのもなんだけどそこそこ才能もあってね。当時の魔導師ランクはAAで、もうすぐAAAに上がれるんじゃないかと思ってた』

「思って……た?」

『うん』

 

 言葉が過去系だったの事に対して聞き返すティアナに対し、クラウンは静かに頷いた後自分の服の胸元を軽く開き、そこにある巨大な傷跡を見せる。

 胸の中心から左からにかけて走る巨大な傷跡に、ティアナが思わず息を飲むのを見た後クラウンは静かに告げる。

 

『左腕とリンカーコアの48%……これが、俺が失ったものだよ。昔は平均より多くAAAに近かった魔力も、今じゃ精々B+、良くてA-程度。しかもスバルやティアナ、エリオやキャロみたいに成長途中でこれから上がっていく訳じゃない。今の俺の魔力はこれが限界値』

「……」

 

 静かに語られる壮絶な内容を聞き、ティアナは何も言えないままで茫然とクラウンを見つめる。

 

『そうして同時に、俺は砲撃魔法も失った。片腕の体じゃ砲撃の反動を支えれなくて、仮に撃てたとしても以前の様な威力は出せなくなった。正直当時は目の前が真っ暗になった思いだったよ。もう二度と魔導師として戦えないんじゃないかとも考えた』

「……」

『悩んで苦しんで、やっと見つかったのが幻術魔法って手段だった。俺は同じ力量の相手と正面からぶつかれば、ハンデがある分必ず力負けをしてしまう。だから幻術魔法を使って、正面から戦わず不意打ちや騙し打ちで何とか魔導師を続けてるって訳なんだ』

 

 そこまで話した所で一度言葉を止め、クラウンは空を見上げる様に顔を動かし、少しの間沈黙してから声を悲しげなものに変えて呟く。

 

『……左腕があれば、俺の体が万全でさえいれば救えたかもしれない命を……目の前で失った事もある』

「!?」

 

 告げられたその言葉を聞き、ティアナは大きく息を飲んで続く言葉を待つ。

 クラウンはそのまま何かを思い出す様に空を見つめ続けた後、ゆっくり視線をティアナの方に戻して言葉を締めくくる。

 

『まぁ、繰り返しになるけど俺は左腕とリンカーコアの一部を失った事は後悔してないよ。例え過去に戻れたとしても、俺はきっと同じ行動を取る筈だからね。とまぁ、俺の昔話はこんなところかな』

「あ、えと……その、なんて言ったらいいか……」

 

 普段は明るく飄々としている目の前にいる片腕の上司。

 クラウンが歩いてきた険しい道の一部を感じたティアナは、何と返していいか分からない様子で戸惑った表情を浮かべていた。

 大変だったんだろうと、苦しかったんだろうと、慰めの言葉を口にするには、今の自分は酷くちっぽけな存在に感じられる。

 淡々と語られ本人が「つまらない話」と称するクラウンの過去は、安直に言葉を返す事が出来ない程の重みに満ち満ちていた。

 そんな戸惑うティアナを見て、クラウンは仮面の下で微笑んだ後で口を開く。

 

『今のティアナは、あの頃の……砲撃魔法を取り戻そうと、がむしゃらに頑張ってた頃の俺によく似てるよ』

「え?」

『努力する事が悪いなんて言うつもりはないし、ティアナが何を欲しがって頑張ってるのかもよく分かるよ。だけどね……今ティアナがしてる事を続けても、君が欲しいものは手に入らないよ』

「どういう、意味ですか?」

 

 優しく、そして悲しげな否定の言葉。

 ティアナはもはやクラウンに対し、自分の苦しみを理解出来ない等と返すつもりは無かった。

 クラウンは自分より多くの事を経験し、そして今の自身が抱えている悩みに対しての答えを持った人物だと悟っていたから。

 だからこそ、それを知りたかった。

 

『昔の俺は砲撃魔法が使えないという事実から、そして今のティアナは自覚している劣等感から……『逃げる為』の努力をいくら続けても、その先に求めるものなんて転がってないんだよ』

「ッ!?」

 

 心の内を鋭く射抜く様に告げられたクラウンの言葉を聞き、ティアナは大きく目を見開いて言葉を失う。

 何故ならそれは、ティアナ自身が誰よりも感じていた事だったから。

 ミスを挽回しなければならない、自分は凡人だから努力をしなければならないと言い訳を並べ、その実は周囲の仲間に対し劣等感を感じている自分自身を否定したいと、卑屈な自分の弱さを認めたくないと言う思い。

 それこそがティアナが焦りながら自主練を続けている最大の理由だった。

 

『例えば、努力をしてスバルよりも大きな魔力や身体能力を手に入れたとしたら、君は彼女より強くなれたって思えるかい?』

「……そ、それは……」

 

 クラウンが投げかけた問いかけに対し、ティアナは言い淀む様に顔を俯かせる。

 スバルはティアナと比べれば魔法技術が特別優れている訳でもなく、戦略や立ち回りを考慮した総合的な戦闘能力は、どちらかと言えばティアナの方が上回っている。

 実際に模擬戦を行えば、三回に二回は自身が勝利するであろう事も自惚れではなく理解していた。

 しかしそれでも、ティアナが自分はスバルより『強い』と思えた事は一度も無いと言ってよかった。

 それが何かを言葉にするのは難しかったが、長くコンビを組んでいた彼女にはそれが、スバルが劣勢や力の差を覆しうる『何か』を持っている事はよく分かっていた。

 そしてそれはエリオとキャロ、なのはやフェイトも持っているもので、自分にはない『才能』なんだと感じていた。

 

『ティアナがスバル達から感じているものは、ここじゃなくて……』

 

 戸惑うティアナに対し、クラウンは優しげな言葉でティアナが手に持ったクロスミラージュを指差した後、その指を自分の胸に移動させて言葉を続ける。

 

『ここに、心に宿るものなんだよ。だから、力をつけたり戦果を上げさえすれば手に入ってものじゃないんだ』

「……だったら……だったら私は、どうすればいいんですか! 分からないんです! どうすればいいか……分から、ないんです」

 

 あくまで口調は優しく、それでも心の奥底まで入り込んでくる様なその言葉に、ティアナはついに堪え切れなくなり泣き叫ぶ様に言葉を発する。

 今のまま自分がどれだけ努力を続けたとしても、クラウンの言う通りスバル達に追いつけたと感じる事は出来ないと言う事は、表に出さないだけでティアナも理解していた。

 しかし自分にはそれが無いと割り切って諦められる程、ティアナは弱くは無い。

 弱くは無いからこそ、自分には無理だと諦められないからこそ、彼女は今苦しんでいた。

 涙を流しながら、心の奥に隠していた弱さを初めて他人に見せたティアナの頭に、クラウンは優しく手を置いて言葉を発する。

 

『ティアナ、力と強さは違う。君はまず、ちゃんと自分の欲しいもの、求めているものを理解しなきゃいけないんだ。強さって言うのは何なのか、心に宿るって意味はどういう事なのか……それをちゃんと理解する。努力するのはそれからでも十分間に合うよ』

「私の、求めているもの?」

『そう。俺が君に答えを教えてあげるのは簡単だけど、それじゃ駄目なんだ。君が自分自身でちゃんと自分の心と向き合って答えを出さないといけない』

「自分の、心と……」

 

 先程までの鋭い指摘とは打って変わり、優しく諭すように告げるクラウンの言葉を聞き、ティアナはほんの少しだけ落ち着きを取り戻した様子で呟く。

 そのティアナの表情の変化を読みとったクラウンは、一度頷いてから優しい声のままで言葉を続ける。

 

『俺の言葉は、無責任で冷たく感じるかな?』

「……いいえ。クラウンさんの話を聞いて、ちょっとだけかもしれませんがクラウンさんが考えてる事が分かりました。私の事を本当に考えてくれた上での言葉だって分かったので、冷たいとは思いません」

『そっか』

 

 ティアナが微かに微笑みながら発した言葉を聞き、クラウンは満足そうに頷いてティアナの頭に置いていた手を戻す。

 そして少しの沈黙が流れた後、補足する様に言葉を付け加える。

 

『さっき、自分で答えを出さなくちゃいけないとは言ったけど、考えるのは何も一人で考えなくて良いんだよ』

「え?」

『自分でどうにも答えに辿り着く道が見つからない時は、人に相談してみれば意外とあっさり見つかったりするものだよ。君には、いるんじゃないかな? 俺なんかよりもっとちゃんとした先生がさ』

「……なのはさん」

 

 クラウンの口から出た特定の人物を指す言葉を聞き、ティアナは複雑そうな表情を浮かべて俯く。

 そんなティアナの反応は予想通りだったのか、クラウンは穏やかな声で言葉を続ける。

 

『ふふ、その様子だとやっぱりなのは隊長の教導にも不満があったのかな?』

「あ、えと、その……」

『別に悪い事じゃないよ。現状に満足せず、自分なりの考えを持つ事は大切だしね』

「……はい」

 

 確かにティアナは、目に見えた成果が上がらないなのはの教導に対し、少なからず不満を感じていた。

 しかしそれを直接口にしたりする事はしていない。

 なのはは凡人である自分の事は理解してくれないんじゃないか? そんな事を口にすれば見捨てられてしまうのではないかと、そんな考えが根底にあるのが原因だった。

 クラウンはそんなティアナの心の内を見透かしている様で、少し沈黙した後でティアナの顔を正面から見ながら口を開く。

 

『いいかいティアナ? 相手に自分の事を理解してもらうには、まず何より相手の事を理解しなきゃいけないんだよ』

「相手の事を、理解する?」

『そう、なのは隊長が普段の教導を通して君達に身につけて欲しいものはなんなのか、まずはそれを理解しない事には、なのは隊長が教導に込めた想いは見えてこない』

「なのはさんが、教導に込めた想い?」

『うん。なのは隊長の教導がどうかを考えるのは、それを知ってからでも遅くないんじゃないかな?』

「……」

 

 クラウンの語る言葉は、相変わらず直接的な答えは言わず考えさせるようなものだった。

 しかし先程までの会話から、ティアナはクラウンが自分の事を本当に気遣ってくれている事は分かっていた。

 だからこそティアナはその言葉に反発する事は無く、静かに頷く事で答えた。

 それを見たクラウンは仮面の下で優しげに微笑み、ティアナに対してこれからの事を告げる。

 

『心の内を全部話す必要はないから、自分の苦しみを自分の言葉で伝えてごらん。きっとなのは隊長は、その答えを出す為の力になってくれるから』

「……はい」

 

 クラウンの言葉に対し、ティアナは多少の迷いは持ちながらもしっかりと頷き、それを見たクラウンは満足そうに頷いて立ち上がる。

 そして座ったままのティアナに対し、締めくくる様に言葉を発する。

 

『最後に少しだけヒントをあげるよ。君は確かに才能って意味じゃスバル、エリオ、キャロの三人に劣るかもしれない』

「……はい」

 

 クラウンから告げられた言葉が、ティアナ自身が何よりも自覚していた事だった。

 目に見えず未だティアナには詳細の分からぬ『強さ』と言うものは抜きにしたとしても、持って生まれた単純な才能に関しても彼女は三人に劣っていた。

 スバルの様に成長段階にある大きな魔力と他を超越した身体能力がある訳でもなく、若干10歳でBランクを習得しているエリオ、極めて希少で強力な竜召喚と言う力を持っているキャロ、その三人と比べてしまえば自分が凡人である事は理解していた。

 改めて他人からそれを告げられるのはショックだったようで、ティアナは悲しそうな表情で頷く。

 しかしクラウンはそんなティアナに対し、確信に満ちた声で言葉を続ける。

 

『だけど、だからこそ君はその三人の誰よりも強くなれる可能性を秘めてるんだよ』

「……え?」

 

 クラウンの言葉を聞き、ティアナは驚いた様子で俯いた顔を上げる。

 クラウンはそのままティアナに背を向け、軽く右手を振りその場から歩き去りながら言葉を締めくくる。

 

『強さってのが何か分かったら、俺の所においで……その時は、その答えと力や才能の差を覆す術ってのを教えてあげるよ』

 

 それだけ告げてクラウンはその場から去り、周囲には静寂が戻ってくる。

 ティアナはクラウンの後ろ姿を見送った後も、その場に座ったままで何かを考える様な表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――機動六課・寮――

 

 

 寮の一室、なのはとフェイトに割り当てられた部屋の中では、なのはが一人机に向かい端末を操作していた。

 薄暗い部屋の中は机に取り付けられたスタンドの光だけが照らしており、なのははその光を頼りに端末に表示された訓練データを確認して調整していた。

 今日は任務で一日アグスタへ外出していた為、訓練プランをそれに合わせて修正する作業ではあったが、夜遅くまで訓練データを確認する事自体は彼女にとって日課の様なものだった。

 もう時間はかなり遅くフェイトは既に就寝しており、なのははフェイトを起こさない様に気を使いながら作業を進めていく。

 その作業も一区切りし、なのはもそろそろ眠る為の支度をしようかと端末を閉じて軽く背伸びをした所で、控えめなノックの音が聞こえてきた。

 

「こんな時間に、誰だろう?」

 

 小さなノックの音を聞いたなのはは軽く首を傾げた後、フェイトが眠っているので大きな声を返す事は無く、椅子から立ち上がって歩いて行きドアを開ける。

 ドアが開くとそこには、申し訳なさそうな表情を浮かべたティアナの姿があった。

 

「ティアナ?」

「夜分遅くにすみません。その、ちょっとだけ……よろしいでしょうか?」

「大丈夫だよ。どうかしたの?」

 

 どこか元気がない様に見えるティアナを心配しながら、なのはは優しげな笑顔で言葉を返す。

 するとティアナはしばし言葉を整理する様に沈黙した後、おずおずと口を開く。

 

「その、少し相談したい事が……」

「……なんだか、大事な話みたいだね。フェイト隊長が寝てるから、ちょっと場所を変えて話そうか?」

「はい」

 

 ティアナの深刻そうな表情から、重要な相談だと言う事を悟ったなのはは、ティアナと一緒に寮のロビーまで移動する。

 そしてロビーに置いてあるソファーに座る事を促した後、少し離れた所にある自動販売機を指差して口を開く。

 

「何か飲む?」

「いえ、大丈夫です」

 

 なのはの問いかけにティアナは緊張した様子で首を振り、それを聞いたなのはは頷いた後でティアナと向かい合う様な形で座る。

 

「それで、相談って?」

「はい……えと、まずは、今日の事は本当にすみませんでした」

 

 話を優しく促すなのはに対し、ティアナは顔を俯かせアグスタでの一件の謝罪から入る。

 その言葉を聞いたなのはは、気にしないで良いと言いたげに首を軽く振って微笑みを浮かべる。

 

「気にしなくて良いよ。誰にだって失敗はあるんだし、ティアナが凄く頑張ってるのは分かってるよ。ただ今回は少しだけ、急ぎすぎちゃったんだよね? だけどあの後話したみたいに……」

「違うんです!」

「え? 違う?」

 

 フォローを続けようとしたなのはの言葉に割って入り、ティアナは何かに苦しむ様な表情を浮かべて叫ぶ様に言葉を発する。

 予想だにしなかったそのティアナの様子を見て、なのはは驚いた様な表情を浮かべて聞き返す。

 するとティアナはしばし言葉を選ぶ様に顔を俯かせた後、途切れ途切れに自分の心中を吐露していく。

 

「……私は、私は……頑張ってたんじゃ……無いんです。今回だってただ、結果が欲しくて……勝手な我儘で……」

「ティアナ?」

 

 俯いたままのティアナの目には涙が浮かび、なのはは落ち着かせるように身を乗り出してティアナの肩に手を置く。

 それで少し落ち着きを取り戻したのか、ティアナは目に浮かんでいた涙を手で拭き言葉を続けていく。

 

「私、ずっと不安だったんです。機動六課は前線も管制の人達も、皆凄い才能を持った人達ばっかりで……自分だけ、凡人なんじゃないかって……私だけ、役立たずなんじゃないかって」

「……」

「同じ新人のスバルやエリオやキャロが、どんどん力を付けていってるのに私は何も変わらないまま、目立った戦果もあげれなくて、一人だけ置いて行かれてる様に感じてたんです」

 

 ティアナが静かに語り始めた苦悩を聞き、なのはは衝撃を受けた様な表情で言葉を発する事が出来ずにいた。

 少なくとも彼女が見ていた普段のティアナからは、そんな様子は感じられず、心の奥でそんな想いを抱いていた事に気付けなかったのは悔しくもあった。

 

「だから、結果が欲しかったんです。戦果をあげて、私は役立たずなんかじゃないんだって証明したくて……だけどソレが、あんな事になって……もう、どうしたらいいか分からないんです!」

「……ティアナ」

「なのはさんが何かを考えて、訓練をしてくれてるのは分かっています。でも私には、その意図が分からなくて……今のままじゃいけないって気持ちと、早く力を付けたいって気持ちで一杯で、押し潰されてしまいそうなんです」

 

 再びティアナの目には涙が浮かび、それを見たなのはは驚愕していた表情を押し込め、真剣な教導官としての顔を浮かべる。

 そして目の前で苦しんでいる教え子に対し、肩に手を置いたままで優しく、それでいてハッキリとした言葉を告げる。

 

「ティアナ、話してくれてありがとう。辛かったよね? 苦しかったよね? ティアナは新人の子達の中でも一番冷静で落ち着いて見えて、心の奥でそんなに苦しんでたなんて気付かなかった。本当に、ごめん」

「……なのはさん」

「ティアナは、凡人でも役立たずでもない。絶対に! だから、そんなに自分の事を追い詰めないで」

「でも……」

 

 なのはは不安げに揺れるティアナの目を、強い意志を込めて真っ直ぐに見詰めながら言葉を続けていく。

 

「私の教導は地味ですぐに結果が出る様なものじゃないから、余計に不安にさせちゃったよね。大丈夫。ティアナが言いにくい事をちゃんと伝えてくれたんだから、私もティアナが知りたい事にちゃんと答えてあげるから」

「はい」

「私がどういう風に考えて教導をしているとか、ティアナ達に身につけてほしいものが何なのか、出来るなら今全部話してあげたいんだけど……」

 

 なのははそこで言葉を区切り、ロビーの壁にかかっている時計に視線を移す。

 時刻は間もなく日付が変わろうとしており、今からじっくりと話しをするには少々時間が足りないように感じられた。

 

「かなり長い話になっちゃうと思うから……ティアナ、連絡をお願いしても良いかな?」

「連絡、ですか?」

「うん。スバルとエリオとキャロに、明日は早朝訓練と午前の訓練は無しで、隊舎の会議室に集合する様にって……そこで私の教導については全部話をするから、その後でまた二人でゆっくり話そう」

「はい。分かりました」

 

 訓練を中止してまで話をする時間を作ると言うなのはの言葉を聞き、ティアナは少し安心した表情を浮かべて頷く。

 そんなティアナに対し、なのははもう一度優しく微笑みながら安心させるように言葉を発する。

 

「ティアナには、自分で気付いてないだけで素敵な才能がいっぱい眠ってる。それは私が保証するから! だから安心して、ゆっくり寝て疲れを取ってね」

「はい……ありがとうございます」

「ううん。私の方こそ、言いにくい事を相談してくれて本当にありがとう」

「……お休みなさい、なのはさん」

「うん。お休み」

 

 なのはが自信を持って保証すると口にした事で、ティアナは気持ちが随分と楽になった様で、微笑みながらなのはに頭を下げ自室に戻っていく。

 その後姿が見えなくなるまで見送った後、なのはは自分の手で自分の額を少し強く叩く。

 

「……駄目だな、私。もっとちゃんと見て、気付いてあげなきゃ……ティアナはもう少しで、私と同じ失敗をしちゃうところだった」

 

 自分を叱咤する様に独り言を呟いた後、なのはは明日新人四人にする話の準備をする為に、端末を取り出して通信を行っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――機動六課付近・林――

 

 

 時刻が日付を跨いだ頃、夜の闇に包まれた林ではティアナが一人何かを考える様な表情で座っていた。

 クラウンと話をしてから既に1時間ほどが経過していたが、ティアナはその場に座ったままで延々と考え続けていた。

 考えている内容はクラウンから告げられたなのはに相談を持ちかけると言う事について。

 なのははクラウンと違い、ティアナの抱えている感情を全て見透かしている訳ではない。

 となれば必然的にティアナの方から自分の心の内を伝えなければならないのだが、どんな風に話を切り出すべきか、自分の気持ちをどういう風に伝えればいいのかが中々纏まらずにいた。

 少しすると静寂の中に足音が聞こえてきて、ティアナがそちらを振り向くと驚くべき人物が立っていた。

 

「ティアナ、良かった……まだ居たんだね」

「な、なのはさん」

 

 優しげな微笑みを浮かべて歩いてくる人物。今まさに考えていたなのはの登場に、ティアナは驚きが隠せず戸惑った様な表情を浮かべる。

 そんなティアナの傍まで歩いてきた後、なのはは微笑みを浮かべたままで口を開く。

 

「クラウンから少し話を聞いて、まだ居るなら私も話しがしたいと思って来たんだ」

「クラウンさんが……」

「うん。隣、座っても良いかな?」

「あ、はい」

 

 クラウンの名前が出た事で、なのはがある程度の事情を知った上でこの場に居る事を理解したティアナは、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻して返事をする。

 ティアナの返事を聞いて、なのははティアナの隣に座り笑みを浮かべたままで優しく告げる。

 

「あ、叱りに来た訳じゃないからね」

「あ、はい。えと、その、なのはさんは、どこまで……」

「大体の事は、クラウンから聞いてるよ」

「そうですか」

 

 クラウンが自身の事情をある程度話してくれている事を知り、ティアナはどこか心が楽になったように感じる。

 なのはは少なくとも自分の気持ちを知った上で、わざわざ話をする為に訪ねてきてくれたというのは、彼女に安心を与える要因と言えた。

 

「でも出来ればちゃんと、ティアナの口から聞いて話をしたい。全部じゃなくても構わないから、話してくれるかな?」

「……はい。上手く伝えられるか、分かりませんが……」

 

 改めてティアナの口から、その気持ちを聞きたいと話すなのはの言葉に促され、ティアナは本人が予想していたよりも緊張することなく頷けた。

 既になのはは自分の気持ちを知ってくれているという事実が、心の内を話す抵抗を和らげてくれたおかげで、ティアナはゆっくりとではあるが自分の気持ちをなのはに伝える事が出来た。

 機動六課に来てから感じ始めた焦り、周囲に抱き始めた劣等感、そしてなのはの教導の意図が分からないことへの不安。

 一つ一つ若干たどたどしくも、クラウンに言われた通り自分の言葉でなのはにそれを伝えていく。

 ゆっくり語るティアナの言葉を、なのはは時折相槌を打ちながら口を挟む事無く聞き続けた。

 

 しばらくしてティアナが話を終えると、なのはは一度深く頷いてから口を開く。

 

「ありがとう。ティアナが自分の言葉で気持ちを話してくれて、本当に嬉しいよ。それと、ごめんね。そんなに苦しんでたのに、私は全然気付いてあげられなくって」

「い、いえ、私の方も……何も言いませんでしたから」

 

 お礼と謝罪の言葉を口にするなのはを見て、ティアナはやや照れた様な表情を浮かべて首を振る。

 少し慌てているティアナを見て、なのはは再び微笑みを浮かべた後で口を開く。

 

「それじゃあ今度は私の番、って言いたいところなんだけど……教導の意図とか、ティアナの疑問に対しての答えとか全部話すには、もうずいぶん遅い時間になっちゃったね。だから、ちょっと伝言をお願いしても良いかな?」

「伝言ですか?」

「うん。明日……ってもう今日だね。今日は早朝訓練と午前の訓練はお休みで、新人の子達は全員会議室に集合って伝えてもらえるかな? そこで、私の教導については全部話をするよ。その後で、改めて二人で話をしよう」

「あ、はい。分かりました」

 

 なのはが自分の為に訓練を休みにしてまで時間を作ってくれる事を聞き、ティアナはそれが嬉しかったのか少し微笑みを浮かべて頷く。

 そんなティアナの反応を見て、なのはも笑顔で頷いた後、ふと思い出したように言葉を発する。

 

「あ、でもこれだけは先に言っておくね。ティアナは凡人なんかじゃないよ。自分で気付いてないだけで、素敵な才能をいっぱい持ってる。それは私が自信を持って保証する」

「え?」

「だから安心して、ね? ティアナが持ってる才能の事とか、これから先どんな風にしていけばいいのかは、明日二人でじっくり話をしよう。だから、今はゆっくり寝て疲れを取って」

「……はい。ありがとうございます」

 

 明るく確信に満ちた様子で話すなのはの言葉を聞き、ティアナは不安がいくらか払拭された様子でお礼の言葉を口にする。

 

「私の方こそ、話しにくい事を話してくれてありがとう。それじゃあ、寮に戻ってゆっくり休んでね」

「はい。お休みなさい、なのはさん」

「うん。お休み、ティアナ」

 

 どこか安心した表情に変わったティアナは、訓練用のスフィアを回収した後でなのはに頭を下げ、寮に向かって歩いて行く。

 その後姿に手を振って見送り、ティアナが完全に視界から消えると、なのはの姿がノイズが走る様にブレてクラウンへと変わる。

 

『……後は、二人次第かな』

≪随分、回りくどい方法ですね?≫

 

 独り言のように呟いたクラウンの言葉に反応し、胸元のロキが言葉を返す。

 

『俺がティアナさんに、一から十まで答えを教えてあげる事は簡単だけど、それじゃ駄目なんだ。今後訓練を続けていく上でも、なのはさんとティアナさんは一度じっくりと話した方が良いからね』

≪……ティアナさんの悩みは、上手く解消されるでしょうか?≫

『きっと大丈夫だよ。あの子は俺なんかよりずっと素直でいい子だからね。ただ、ほんの少しだけ周りに甘えるのが苦手なだけだよ』

 

 ロキの会話に答えた後で、クラウンは仮面の下で優しげに微笑みながらティアナが去っていった方向を見つめ、静かに独り言を呟く。

 

『少し視線を上げて周囲を見渡すだけで良いんだよ。君が今立ってる場所は、君が思っているよりずっと暖かくて優しい場所だから……少し嫉妬しちゃうくらいにね』

 

 誰にでも無く独り言を呟き、微かに感じた劣等感は仮面で隠し、クラウンは深い夜の闇に身を沈めてその場を後にする。

 

 明日がティアナの今後にとっても、なのはの今後にとっても良いものとなるよう願いながら……

 

 

 

 

 

 

 

 

 




クラウンの詐欺師の様な会話。

1、相手の動揺を誘う問いを投げかける。
2、相手の行動を否定せず、遠まわしに肯定する。
3、一度話を切り替えて、相手の意識を逸らす。
4、相手の知りえない自分の話を伝え、相手にも自身の事を口にしやすい空気を作る。
5、まずはやんわり否定の言葉を投げかける。
6、抽象的に相手の心中を示唆しながら、少し強い否定の言葉。
7、相手が自分の心中を口にしたのを確認し、一転して優しく慰める。
8、慰める言葉の中に諭す言葉をまぜ、相手の思考を自分自身に移す。
9、わざと答えは教えず、答えに至る道筋を提示することでそちらに誘導。

動揺させる⇒安心させる⇒意識を一度別の場所に移す⇒再び動揺させる⇒相手の感情を引き出す⇒再び安心させる⇒思考を誘導

という危機感を煽り商品を買わせるセールスの様な手口を使い、ティアナに悩みを他人に話すという状況を作り上げたクラウン。

駄目押しとばかりにティアナの姿でなのはの元に、なのはの姿でティアナの元に現れて、二人が自然と話し合うように仕向けました。

そうしたクラウンの裏での動きのおかげもあり、原作の様にティアナが訓練中に暴走する事態は回避されました。

次回は原作とは違い、当事者であるなのはを交えた上でのなのはの過去を語る話になります。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。