PERFECT BLUE【完結済】   作:yoshiko

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OP 凛として時雨『Perfake Perfect』


♯15 加害者と被害者

 一瞬、白くなったホークスの意識が、背中の羽に響いた振動で浮上する。

 かん高い音を立てて陶器が割れた気配。騒がしい物音と、緊迫した剣幕で叫ぶように何か語りかけている男の声。どうして今の今まで気付かなかったのか。あの部屋の玄関には剛翼を仕込んできた。動揺していたことを差し引いても、真っ当な手段で何者かが侵入したのなら事態に気がつけた。それでも察知出来なかったということは、あの部屋に侵入した者は反則的な手段を行使可能な人間であるということに他ならない。彼女の周囲でそんな芸当が出来る人物は、テレポートという特殊な移動系個性を持つ外務省の男しか思い浮かばなかった。

 背中に折り畳んでいた翼を広げると地面を蹴って飛び上がる。二、三度大きく羽ばたけば、隣で驚愕に目を見開いていた目良をはじめ、公園付近に配備された公安職員たちが見下ろせる高度にまであっという間に舞い上がった。

「厚生省の手の者が彼女に接触してる。俺が先行します」

 それだけを告げられて理解したのか、目良の顔つきが瞬時に変わった。周囲の公安職員たちに指示を飛ばし始めたのを横目に確認すると、急ぎあの部屋へ急行する。

 前日まであれほど穏やかに眼下へ臨んだ町々を振り切るように飛んでいく。速く。速く。一秒でも早く。何もかも取り返しのつかなくなる前に。最悪の結末を迎えなくて済むように。羽を通して響く二人分の声は部屋が近付くごとにはっきりしていく。そうして唐突にしんと静まり返った。

 視界にマンションを捉えると玄関扉を開ける時間さえ惜しく、建物の側面へ急旋回して回り込む。あの夜を越えたベランダへ。そうして開け放たれた窓からカーテンだけが揺れるのを目にした時。およそ全てが手遅れになったことを予感しながら、窓ガラスを蹴破る勢いで部屋の中に突っ込んだ。靴底を滑らせるようにリビングの床を汚しながら勢いを殺していく。無茶な着地をこなしたその果てに、自分の靴底が割れたカップと溢されたコーヒーを踏んでいたのを目にすると、俺の中で予感は確信に変わったのだった。

 見回したリビングに彼女の姿はない。何かがぶつかったように元の位置から大きくずれたテーブル、その上にぶち撒けられて今も床に点々と滴り落ちるコーヒーの黒い液体が、この場所から去っていった彼女の心を表しているようだった。あまりにも間が悪かったとしか言いようが無い。意識が浮上する直前この部屋で話されていたであろう内容の殆どは、告げられた真実を前にして衝撃で吹き飛んでしまっていた。それでも真実に近いであろうところまで予測することは出来る。

 つまるところ、公安委員会が彼女たちのことをここまで深く調べ上げることが出来た一方で、厚生省もまた俺たちの情報を掴んだということだ。相手の懐に飛び込んで情報を得たのは互いに同じ事。だからこそ彼女も俺の出自を知ったのだと考えれば、この部屋の有様と、羽を通して伝わってきた狂乱ぶりにも辻褄が合う。思い上がりではなく、今や俺は彼女のことを最もよく知る人間の一人だった。こうまで感情を露にする理由があるとすれば、それは彼女自身を長らく苦しめ続けてきた殺人の記憶に関係することでしかあり得なかった。彼女の全てを知った今ならそう断言できる。

 玄関に視線を向けると、そこには剛翼が一枚仕込まれたままだった。位置は部屋を出る前と変わらないように見える。であれば、やはりここにやって来た人物とは監視の目を掻い潜れるだけの個性を持った外務省の男で確定だ。

 判断するとほぼ同時、今度はベランダに戻ると柵に片足をかけて空中へ躍り出る。羽ばたきを繰り返してマンションが足元に見下ろせるほど上昇すると、上空から俺自身の体を軸に街の全方向を確認した。昨日言葉を交わしたビルの屋上。駅前通りに、建物の間の細い路地裏。太陽はすっかり顔を出していて、子供の手に収まるほど小さく見える車が忙しくなく大通りを走っている。そのいずれにも彼女を連れているらしき男の姿は見当たらない。

「接触したのは会議に参加していた外務省の男です。テレポートの個性で彼女を連れ逃走。移動可能な最大距離は」

 距離はどこまでなのかとデバイス越しに会長へ問いかけて、行き着いた思考に唇を噛む。

 確かに個性登録届は提出されているだろう。自らの情報を詐称していては外務省に入省など出来ない。だが書類上の情報など意味を為さなくなる手段を厚生省は既に得ている。生命の限界を超えて個性能力を強化増幅するための薬剤。彼女の手足に麻痺が残っているのは、まさにその薬を使用したことによる代償では無かったか。

 追い詰められた以上、彼女たちは逃亡のためあらゆる手段を講じるだろう。テレポートなんて強力な個性、何の制約もなく使用できるわけがない。個性を発動するためのなんらかの大前提が間違いなく存在する。移動可能な距離にも制限があるはずなのだ。でなければこんなあからさまにスパイ向きの個性を持った人間が、外務省の役人として諸外国でも真っ当に職務をこなしせていた事の説明がつかない。疑われて入国を拒否されるだけならまだ良い方だ。下手をすれば身柄の拘束や尋問も充分あり得る。

 存在するはずの制約。だがそれさえ飛び越えることを可能にしたのがあの薬剤だ。薬を使用したのであれば、調べ上げた個性能力の情報など最早何の役にも立たないと言っていい。たった数分の間に彼女たちがどこまで逃げたのか、およそ検討もつかなかった。

「上空から二人の姿は見当たりません。地下への捜索に切り替えてください。強化薬で個性をブーストして逃走した可能性が高い。中和剤の類を準備しているだろうが、それでも副作用は強烈なはずだ。ある程度距離を稼いだ後は、おそらく地下で回復を待っている」

 デバイスに向かって話しながら、そのある程度が問題なんだと歯噛みした。地下に逃げ込んでいたとしてそこは完全な狭所。誰が逃走経路を準備したのかは知らないが、よく研究している。俺が追手の先頭に立つと理解しての対抗策なのだろう。実際のとのろ狭所・閉所を選んだのは確かに正解だったと言わざるを得ない。剛翼はその特性上、空中のような開けた空間でないと能力を十全に発揮できないのは事実だ。

 彼女の背景に衝撃を受けた事は否定しない。これまで目を逸らしてきた過去こそが、考えもしない最悪な形で俺たちを繋いでいたという真実。それは一瞬でも思考を止めるには充分すぎるものだった。

 それでも、と考えてしまう。思考が止まってしまったのだとしても、冷静さを取り戻してからもっと速く飛べていたら。もっと速くあの部屋に駆けつけていられたのなら。あのタイミングで相対したところで、彼女は恐怖のまま俺を手酷く拒絶するばかりだっただろう。それでも何か変わっていたかもしれない。少なくともこんな最悪の事態にはならなかった。

 事がここまで大きくなった以上、俺は彼女を拘束しなければならない。生死は問われないだろう。計画の危険性を考えればむしろ、公安委員会彼女の死を強く望むはず。システムの成立に彼女の脳が必要不可欠ならば、その命ごと絶つのは最も簡単な解決方法と言える。これまで多くの敵役(ヴィラン)やテロリズムに対して公安委員会は同様の判断をしてきたし、俺自身も実行部隊として手を下したのは一度や二度じゃきかない。公安に所属する以上、俺には当然汚れ仕事も要求されてきた。

 その上で今回の件に関して、公安委員会は手をこまねているようにしか思えない。いつものように対象の抹殺という手段にすぐさま打って出ることなく、令状を取ってから身柄を確保するなんて表向きの体裁を整えようとしている。

 二の足を踏んでいる理由なら想像がついた。今回は相手が敵役(ヴィラン)や一般市民ではなく、同じ政府側組織の人間だったから。あるいは『上』が今回の一件を把握してしまっているから。いくらでも挙げることが出来る。これまで迷う事なく対象の抹殺に踏み切っていた公安の姿勢を考えれば、そのどれもが都合の良いものに思えてならなかった。

「会長?聞こえてますか」

 その公安委員会トップからの応答があまりにも遅い時点で気付くべきだったのかもしれない。ベランダから身を乗り出すと必死の形相でこちらを見上げ叫んでいる目良の姿を見つて降下する。彼の口から告げられたのは、警察庁と公安委員会が大混乱に陥っている東京の現状だった。

 明日の朝刊で大手新聞四社が、オールマイト弱体化の事実を隠蔽してきた警察庁を告発するという情報が入ってきたという。記事によれば隠蔽を主導した関係者の一人が塚内だった。情報元は黙秘されていたが書かれた内容の精度、なによりもタイミングを考えれば、これが厚生省からの妨害工作であることは明白だった。公安委員会と警察庁は明朝までに記事を握り潰さなければならない。

 身勝手なのは向こうも同じかと眉を顰める。追い詰められた厚生省による最後の、そして致命的な一手。現代社会の根幹支えているのはひとえにヒーローへの信頼だ。平和の象徴が去ってただでさえ社会不安が蔓延しているこのタイミング。今回の件、公安委員会と警察庁が記事を握り潰せない事はまずないのだろうが、万が一にもそれが失敗した時、不利益を被るのは厚生省も同じだ。

 手段こそ相容れないものではあったが、厚生省もまたこの社会を守ろうと行動してきた。その果ての計画、そのためのシステムであるはず。だというのに、この妨害工作で彼らが得られる利益とはたった数十時間程度の時間稼ぎでしかない。目的と手段の致命的な逆転。あの夜のベランダで聞いた彼女の絶叫のような言葉を思い出す。状況はこんな馬鹿げた行動に踏みきらせるほどに厚生省を追い詰めているとも言えたが、彼女が納得しているとは到底思えなかった。

 とはいえ彼女たちへ令状が出されるまで、わずかばかり猶予が出来たことも事実。それは厚生省に逃げる隙を与えることになったが、逆に言えば俺にとっても公安委員会からの指示を受けずに動ける時間が出来たことも意味した。俺が彼女に直接手を下すことを求められる未来は変わらない。だが抜け道は、まだ作れる。

 最悪の中で閃いた最善。暗く塗り潰された思考の中に一筋差し込んだ可能性を、俺は迷わず掴み取った。やれるのか?脳裏で頭の冷静な部分が訴えている。完璧にこなすにはもう時間が足りない。望み通り事態を進められたところで、公安委員会は俺が命令とはまったく真逆の意図をもって行動したことを必ず掴むだろう。やるしかないと逡巡の後に意思を固めた。でなければ、俺はこの手で彼女を殺す羽目になる。

「至急東京に向かいます。地下の研究施設に彼女は戻ってくる。それから塚内警部にも連絡を」

 この部屋へ向けて全速力で空を駆けた時。

 背中の羽に響いた異音はマンションへと近付くごとに言葉としての輪郭を取り戻していた。それは彼女の細い悲鳴と、何かを言い聞かせるような男の声だ。「研究施設に向かう」と男は言った。続けて彼女に命ずるかように「必ずやり遂げてもらう」と。

「追跡部隊の指揮は俺が。命令は既に下されています」

 最悪のなかの最善。だがそれがやれることの全部なら迷うことはない。

 可能な限りの速さで思考を回していく。事態をいかに俺の裁量の範疇へ追い込めるかに、全てがかかっていた。

 *

 東京、某日。

 日没が早い冬場だということを抜きにしても、夜の暗さのものだけではない暗雲に空が覆われていた。時刻は午後八時。太陽はすっかり沈んだ後。彼女を中心とする厚生省公安課の主要な構成員に対し令状が出てから、三日が経っていた。

 妨害工作が仕掛けられた日、公安委員会と警察庁は報道各社へと迅速に圧力をかけ記事を握り潰した。俺にとって思いもよらぬ収穫だったのは、彼らがこの一件を契機に、まずは厚生大臣を引っ張る方向で方針を変えたことだった。

 もちろん現内閣の大臣に嫌疑をかけて警察へと呼び立てるなど、簡単に出来る話ではない。揺らぐ社会に更なる不安を蔓延させることになるだろう。それでも公安と警察庁が優先順位を変えたのは、その守るべき社会さえ壊しかねない手段を取った大臣をもはや野放しには出来ないと判断したからだった。

 だが公人の身柄を拘束するとなれば相応の理由も必要になる。大臣は彼女と違って組織のいち構成員ではないのだ。そこで公安は警察庁と協力して、彼女を輩出した孤児院が実態として大臣の手で運営される利益団体であったこと、運営資金に不審な金のやり取りがあったことから警察を動かし大臣の動きを封じることにした。こうなっては政治的な思惑の駆け引きになる。委員長を筆頭とする公安の中枢メンバーはその対応にかかりきりとなり、逃走した厚生省公安課構成員たちの捜索と身柄の確保については、当面の間俺の指揮に委ねられた。

 それはほとんど狩りと言っていい有様だった。

 逃げ回る人間を追い立てるのは何度やっても気分が良くない。俺に人間を狩る趣味はなかった。だが今回に関しては話が別だ。現場の指揮権を委ねられたとはいえ、大臣の問題に目処が立ち次第、公安上層部はまず間違いなく現場に口を挟むようになるだろう。猶予はあとどれほどか探る時間さえ俺には残されていなかった。上層部が現場に戻ってくる前に、厚生省には俺が残したルートへ逃げ込んでもらう必要があった。

 そのために東京に戻って最初の一日を逃走経路の調査と把握に費やした。厚生省が手筈を整えていた逃走経路は陸路と海路、そして空路の三つ。令状が出るとそれぞれ丸一日をかけ前者の二つを急襲し、逃亡を図った構成員たちの身柄を確保した。

 今日で三日目。考え得る手段はもう一つしか残っていない。これまで地下の研究施設に侵入者が入り込んだ形跡はなかった。行方を眩ました外務省の男と副室長、そして彼女を捕らえる事は未だ出来ていなかった。

 

 遠く雷の音が聞こえてくる。頭上を覆っていた真っ黒な雲から雨が降り始め、俺のジャケットの肩を濡らしていた。向かい合うは秘匿された研究施設を地下に擁する公安委員会本部ビル。不意にイヤーマフ状のインカムから聞こえたのは、回線を開いた時特有の砂嵐じみた雑音。そこから聞こえる、ある警察官の声に耳を傾けた。

『言われた通り国交省には話をつけた。君が指定した座標周辺に、海上保安庁の巡視船を哨戒させている』

 掠れた通信に混じって話すのは塚内だ。声音にはさすがに濃い疲労が滲んでいる。当然と言えば当然だ。親交を暖めてきた友人であり戦友でもあるオールマイトと自分の関係を、数時間の時間稼ぎのために利用されたのだ。塚内の性格上、万が一にもオールマイトに事の次第を悟られぬよう、走り回っていたはずだ。

「無理を言いました」

『いいさ。君の話で警察長官が動いた。そのお陰で海上保安庁に働きかけることが出来たんだから。君が犯した危険を考えればこれくらいはね』

 ヒーロースーツのジャケットから秘匿通信用のデバイスを取り出す。厚生省公安課へ令状が出た後、画面に表示された指令は見慣れたものだった。いつもと変わらず、危険人物を速やかに抹殺せよという意味を示す暗号だ。塚内警部を経由して警察庁上層部にリークしたのは、この情報だった。

 公安委員会と警察庁の方針が真っ向から対立しているのは、今に始まったことではない。殺害という手段も厭わず危険人物を即時排除することで、この社会の治安を維持しようとする公安委員会。敵役(ヴィラン)受け取り係の汚名を着せられながらも人命を優先する警察庁。両者の違いはそのまま組織の性格の違いではあったが、警察庁はかねてより自分達に事の詳細を伏せたまま事態を処理する公安委員会のことを快くは思っていなかった。

 そこへ今回の厚生省からの妨害工作だ。無事に握り潰したとはいえ、オールマイト弱体化を長らく隠蔽してきた主犯であると、記事の中で槍玉に挙げられたのは塚内たち警察庁だ。各方面へ圧力をかけるべく共に動いた公安委員会に対して、警察庁としては大きな借りを作った事になる。弱みを握られたと言い換えてもいい。しかし借りを返すことは出来ずとも、相手の弱みを握り返すことは出来る。俺が持ちかけたのはそういう話だった。

 そも事態がここまで厚生省を処断する方向で動いたのは()の意向が大きい。尊き身分のお方は計画をめぐる一連の真実へ烈火の如く憤りこそしてはいたが、いち市民でもある彼女達の死を望んでいるわけでは決してない。

 組織としての面子。()からの意向。様々な思惑が絡み合った末に、警察庁は俺の提案を呑んだ。それは俺が公安委員会に対して、明確な背信行為を行なった証左でもある。

 通信が切断された事を聞き届け本部ビル入り口まで歩みを進めると、装備に身を固めた公安の職員たちが俺の元へと集ってきた。福岡での一件から今日まで共に最前線を駆け抜けてきた面々だ。慣れない武装に居心地が悪そうな目良も顔を連ねている。俺が警察庁と通じていることは、彼にも知られていないことだった。

「目良さんは部隊の半数を連れて屋上ヘリポートで警戒を。残りの半数は高層階から順に館内を調べてください。敵は強化薬でブーストしたテレポートの個性持ちです。いつどこに現れるか分からない。注意を怠らないように」

 威勢よく返される返答に、我ながらそれらしい言葉が口から出てくるもんだと妙に冷えた頭で考えた。付き合いの長さからか、目良だけは俺のそんな様子に目敏く気がついたらしい。彼は何か言いたげに目を細めはしたが、これ以上厄介ごとに首を突っ込んでは自らも足を取られると察したらしい。

「君の指示通りに」

 手短にそう返事を返した。

 やがて目良に率いられた部隊が館内へ吸い込まれていくと、小さく息をついてから俺もようやく足を踏み出す。照明が落とされた館内は人の影すらなく、ただ足音だけが静まり返った空間の中に響いている。テロリストからの脅迫状が届いたという名目で人払いがされた本部ビル内は、すべてが静止しているかのような無音の世界だ。

 あの夜に、彼女と共にベランダから眺めた街並みを思い返した。最終列車も終わり、遠くへと風に乗って届く踏切の音さえ聞こえなくなってからも、街にはそこで生活する人々の気配が確かに存在した。その気配の一切が無くなるとこうも奇妙な感覚になるものなのか。

 エレベーターのボタンを押すと、小さな到着音を鳴らして扉が開いた。静かに一人乗り込む。慣れた手つきで階層ボタンを特定のパターンで押していけば、行き先を示す灯りは消え、小さな機械の箱は粛々と地下研究施設へ向けて降下し始めた。

 やがて到着した地下では廊下の電気こそついてはいたが、厚生省の面々が迎え撃ってくる様子はない。道すがら廊下の左右に等間隔で並ぶ研究室の様子も伺ってみたが、照明が落とされた室内にはただ暗闇が満ちるだけだ。

 初めて出会った会議室。彼女のパソコンと灰皿、それに空のカップが鎮座したままのデスク。順繰りに足を運んでみたものの、いずれも結果は同じだった。そうして奥へ奥へ足取りを示すように照明が点けられているのを目にして、誘われているのだと理解した。静寂に支配される廊下が無言で俺を手招いている。待っていると彼女が語りかけてくるようだった。

 窓もないこの地下で彼女はずっと街を眺めていた。白衣に覆われたその背中が何を思っているのかと想像したのがたぶん、最初のきっかけ。不可能な理想をそれでも本気で追う姿が好ましかった。同じ理想を見ているだけに、なぜ分かり合えないのかと何度思ったかしれない。今も残る深い傷に苦しめられながら、それでも自分が失うしかなかったものを愛することが出来る彼女が好きだった。だから俺を待つのなら、きっとあの場所だろうと思っていた。

 

「やっぱりここでしたか」

 果たして彼女はその部屋にいた。

 監視モニターの前でずらりと並んだ小窓状の画面。そこに映し出される人々の代わり映えしない生活を、かつてと同じようにじっと見つめていた。以前と変わったことはと言えば、片手と片足が今は不自由であること。杖を頼りにしなければ、一人で立つこともままならないことだった。背中を覆う白衣が一段と小さく見える。ただでさえ枯れ木のようだった彼女が随分と痩せてしまったことを知った。

「キミの目に、今の私は何者に見えているのかな」

 こちらに背を向けたまま語る彼女の声が、乾いた地面のようにひび割れている。声音はまるで泣き疲れた後に残った、感情の抜け殻のようだった。

「たった一つの事実だけで、脳が認識するものは様変わりしてしまう。それだけで自分を取り巻く風景は一変してしまうんだよ。分かっていたはずなのに、どうして忘れていたんだろう………」

 ゆっくりと彼女が振り返る。幽鬼のように痩せた顔に深く刻まれた悲しみと怒りがいっそ憐れだった。だが俺は彼女にそう語りかけるに足る出自を持たない。この社会において俺だけは、決して。

「そうは思わないかな。鷹見啓悟くん」

 噛み締めるように彼女が口にしたものこそは、俺の本当の名前。彼女をここまで駆り立てた殺人犯の息子だった。

 だから彼女の白い指先が、引き金に巻き付いているのを目にした時も、黒々とした銃口がこちらに向けられた時にさえ、胸中に浮かんだのは『なるべくしてこの瞬間に至った』という感慨だった。俺たちの間には形容出来ない感情だけが渦巻いてそこにあった。よく見れば銃を握る彼女の手が小さく震えていることに気付いた時、俺の顔には胸の内がありありと浮かんだことだろう。

「撃てもしない銃を向けるのか」

 たまらず口から溢れた言葉は、自覚していたより切実な響きで部屋の中へと落ちていく。

「撃てるさ」

 可笑しな事をと言いたげに、表情を歪ませるように笑った彼女が言葉を返す。俺にはその顔がほとんど泣き出しそうに見えてならなかった。

「キミが私にとって、何者だと思っているんだ?他の誰もが看過しても私は、私だけは、キミが作る社会を認められない。その場所できっと私は正気でいられないから」

 銃のグリップがきつく握り込まれる。握り直す度に増していく震えを目にして、俺はいよいよ憐れみを隠せなくなっていた。

「あなたには向いてない」

「そうだよ。だけど私のこれまでの全部が、キミを否定したくて叫んでる」

 銃口は目に見えて定まらず、「やめろ」と呼びかけた声は言葉に反して静かに響いた。

 「—————さん」

 そうして、かつて失われた彼女の名前を呼んだ。

 それは在りし日に、彼女が過去と共に別れを告げた本当の名前だ。生まれが、境遇が、拾われた組織が違った。だけどそれは俺が歩んできた道でもあった。同じように名前を捨てて生きてきた。真の意味で俺たちは似通っていた。

 かつての名前で呼ばれた時。彼女が酷く傷ついたような顔をして、次第にその表情が無理矢理に喚起した怒りへと塗り替わっていくのがありありと分かった。

「鷹見の息子が、私をその名前で呼ぶな‼︎」

 あの夜よりもっと悲痛な、今まさに心を削りながら絞り出した絶叫だった。言葉にしながらも一番傷ついているのは彼女自身で、叫び終わるとほぼ同時、やつれた輪郭に比して大きく見える瞳からぼたぼたと大粒の涙が溢れていく。白い喉が嗚咽を堪えようと必死に震えていて、息を詰まらせるような荒れた呼吸に合わせて細い肩が上下していた。頬を濡らす涙が、彼女の浮き出た鎖骨へと落ちていく。

 本当なら痛ましいその姿に寄り添ってやりたかった。たとえそれが彼女自身だったとしても、彼女を苦しめるものから守ってやりたかった。今にも折れそうなその肩を抱きこんでやりたかった。俺たちを繋ぐ因縁が、これほど最悪な形で存在していなかったのなら。

「どうしてキミなんだ。よりにもよって、どうして」

 同じ理想を見ている。同じものを目指している。そして今、同じことを思っている。すべてが明らかになってしまった以上、どんな言葉も意味を成すことはきっともうない。俺が抱える背景こそが、彼女にとって最も忌避した原点(オリジン)である以上は。

 あの夜のベランダで、相反する二つの思考に心が引き裂かれそうになるのだと彼女は語った。あの時の言葉の数々は、彼女が自身の内面で長く葛藤し苦しんできたからこそ、冷静に語ることが出来たのだと痛感する。

 彼女は今まさに、相反する嵐のような感情を前にして取り乱していた。だとするなら、あの夜語られた内面が言葉になるまでにも、同じ苦しみを経ていたはずなのに。これほど追い詰められた姿を目にするまで、彼女が一体どれだけ余裕のないままに生きてきたのか。結局はそれをまるで理解出来ていなかったのだと、身をもって思い知ったのだった。

 震える銃口が俺に向けられている。杖に支えられているような体では反動に耐えられない。何より彼女自身に、俺を殺してやろうという意思が欠如していた。それでも取り乱した彼女の指がゆっくりと引き金を引こうとしたその時、銃口が火を吹くより先に、あらゆる現実を拒絶するかのように、彼女の両目が反射的に固く閉じられたから。剛翼の羽の一枚を使い、彼女の手から銃を弾き飛ばしたのだった。

 黒々とした鉄の塊が、鈍い音を立てて遠く床へ転がっていく。咄嗟に羽を飛ばしたせいか、彼女の指先は斜めに走るように皮膚が切り裂かれていて、少し遅れて朱色が滲み始めた。

「やはりあなたには出来ない。投降してください」

 一歩ずつ歩み寄る。俯くように顔を背けた彼女の表情は、長い横髪が御簾のようになってよく見えない。握るものを失った腕が力無くだらりと垂れると、剛翼が切り裂いた傷口からぷくりと赤い球状になっていた血が指先を伝い滴り落ちていった。手を引けば簡単に腕のなかに招ける距離まで近付いても、その視線は交わらない。

「俺が恐ろしいですか」

 押さえ込んで、押さえ込んで、それでも溢れたものが滲み出す。言葉にすると随分と切実な響きとなったそれが、せめて表情には浮かんでいないことを願った。彼女は苦しげに目蓋を閉じると、視線を合わさないままに小さな頭を俺の胸元に預けた。

「心では分かってる。キミと、キミの父親は別の人間だ。彼の罪は彼だけのものだ。本来キミには何の関係ない」

 杖が音を立てて床に落ちる。彼女の体重はすべて俺に委ねられ、細い腕が重たげに持ち上がると、行くあてを探すように宙を泳いだ。その折れそうな手首を、出来得る限り柔らかく握り込む。羽で斬りつけてしまった傷は思いの外に深いものだったらしい。どこかの布地に擦れたのか、指先はインクが滲んだように血で汚れてしまっていた。

「キミの守る街が好き。そこで暮らす人たちが好き。私もその一員でいられたらって心の底から思う」

 頼りなく空中を揺らめく手のひらを、ゆっくりと俺の胸元に導く。彼女は抵抗せず指先でそっと俺の体に触れた。

「だけど………」

 言葉と共に、掻きむしるように爪が立てられる。

「頭がひとりでに動き出す。鷹見の息子なんだと知って、町にも、人にも、キミ自身にさえ、頭が勝手にあの男の面影を見出していく。事件の日の恐怖と怒りが意思に反して引きずり出される」

 涙で掠れた声がジャケットに吸い込まれていく。その場所が彼女の涙で色を変えていたことには気付いていた。

「だってキミの父親は、私を愛してくれた人を殺した。私のことだって殺そうとした。あの事件がなかったらって何度も考える。だけどあの日のことが無ければ、逃亡先でキミが生まれることもなくて、私がキミと出会うこともなかった」

 俺のジャケットを握り込む小さな拳が震えながら、何度も、何度も、何度も力無く胸元を叩いている。それが彼女に残された、現実への最後の抵抗のように思えた。

「私はきっと頭がおかしい。だってこんな事になっても、まだ」

 しゃくりあげ、肩を震わせ、その果てにようやく彼女は押し殺すようにその言葉を口にした。

「まだ、キミの事が好きだなんて」

 白衣に隠された細い肩を掴む。腹の底から湧き出た情動が俺を突き動かしていた。

「やめて」

 懇願はどこか甘やかな響きで部屋へ落ちていく。涙に声を震わせながらいじましく顔を背ける彼女の白い喉、濡れたまつ毛に縁取られた(まなじり)へと吸い寄せられるように唇を落としていく。

「やめてよ………」

 熱っぽいため息に混じる言葉があんまり弱々しくて憐れだとは思うのに、骨張った薄い背を掻き抱くのを止めてやれそうにない。

 グローブに覆われた手のひらを、彼女の輪郭から首筋までを撫でるように差し込む。ぽろぽろと涙を零しながら離れようとする彼女の顔を引き寄せて濡れた唇に吸いついた。舌を伸ばせば生ぬるい彼女の熱にすぐ届く。いっそう深くまで口付けた時、抜けるような艶かしい彼女の声が響いたのが毒だった。そうして繰り返し繰り返し、言葉にする資格を持たない俺の心が伝わる事をただ願って舌を絡ませ続けた。 

 インカムから時折聞こえてくる音声は、屋上ヘリポートへ既に厚生省の強襲があったことを伝えている。十中八九、外務省の男が協力しているのだろう。彼女と合流するための時間稼ぎに状況を引っ掻き回しているらしい。高層階の調査をしていた部隊も事態に気付いたのか、地下施設へ急行していると報告が飛んできた。時間はもう残されてはいない。

 互いの吐息さえ飲み込める距離で、この状況が彼女の耳にも届かなかったはずはない。やがてインカムから聞こえる声と部屋から聞こえる外の足音が重なるようになった時。離れる間際、彼女が精一杯の力で俺の唇に鋭く噛み付いた。

 鈍い痛みが唇に走り、彼女が俺を突き飛ばしたのはほとんど同時で。たたらを踏んだ細い体が二、三歩後ずさった時、追いついた部隊によって、この部屋の扉は遂に破られたのだった。

「厚生省公安課の構成員だな」

 武装した職員らが彼女へ銃を向ける。彼らは必要と判断すれば即座に発砲するだろう。引き金に手をかけたその銃口に迷いはない。事態が転ぶべき方向を俺自身が整えてきただけに、ここで撃つなとは言えなかった。

 追手が来た時こうなることは、彼女自身分かっていたのだろう。今日までの間、陸路と海路の逃走経路を急襲した俺たちによって、自分の仲間が拘束されていく様なら目にしていたはずだった。捕えることこそしなかったが、彼女たちがそれぞれの現場から逃げ延びていたことは剛翼で把握していた。

 追跡部隊の他の者が、最後までそのことに気が付かなかったのは幸いだった。すべてはこの瞬間のために。誰にも明かしはしなかったが、彼女たちには今日まで()()()()()()()()()()()()()()()

 だが俺が黙して胸に秘めた思惑を彼女が知る由もない。反射的にその顔へ浮かんだのはひどく傷ついたような、裏切られたような顔で。やがて自分に銃を向ける者たちと、それを静止せず剛翼で作ったブレードを手にした俺を見つめると、ようやく目の前に広がる現実を受け入れたようだった。諦めたように息を吐くと、いかにも可笑しげにくつくつと喉奥で笑い出す。細められた目の端に涙が浮かんでた事を、この場で俺以外の誰も気に留めることはなかった。

 ひとしきり笑い終えて平静さを取り戻したと見るや、部隊の者が彼女を取り囲んでいく。俺たちは今や先程までの距離ではなく、銃を構えた隊員たちを挟んで、遠く見つめあっていた。その人波の向こうで彼女が唇を吊り上げる。己を取り囲む相手をぐるりと一周睨みつけるように見渡して微笑むと、言葉に反して存外に穏やかな響きで、負け惜しみのようにこう言った。

「地獄におちろ」

 その瞬間。

 包むものを突如失った白衣が、重力に従って落ちていく。たったひと呼吸の間に彼女の姿は消え失せていた。

「テレポートだ」

 なんとか状況を確認しようと混乱し始めた部隊に告げると、俺はインカムの回線を開いた。

「目良さん!」

 通信の先では、地面を打ちつける激しい雨に混じって、銃撃の音が聞こえてくる。その更に後ろに聞こえる騒音は、プロペラが空気を切り裂く独特の飛行音。

「屋上ヘリポートです!厚生省が彼女を回収して逃走を図っている!」

 言葉を皮切りに、この場の全員が一斉に行動へ移る。逆走するように廊下を駆け抜けると、最奥にあるエレベーターに飛び乗った。彼らはそのまま屋上へ、俺は一階ロビーへ。一度外に出てしまえば、ビル側面を上昇しながら飛行する方が俺には速かった。

 外は一面の暗雲で、嵐と見紛うほどの大雨。濡れてみるみる重くなると肌に張り付くコスチュームに不快感を覚えながら、俺は橙のバイザーを目元に戻すと、背中の翼を広げて一息に空へ舞い上がった。遠く視界に捉えたのは、悪天候に揺れながら立ち去るヘリコプターだ。目的地を見定めると、何度か大きく翼を羽ばたかせて加速する。真っ直ぐ屋上へ、最短距離で。

 空気を切り裂くごと雨が俺の体を打ちつけていく。そうする内に口の中で鉄のような違和感が滲んで、そこでやっと彼女に噛みつかれた唇の端が小さな傷になっていたことに気がついた。意識すればその場所はさっきまでが嘘のように、自らの存在を主張して鈍く痛みだす。確かに、脳の認識とは容易いものらしいと内心で呟いた。

 眼下に屋上ヘリポートを見下ろせるまで舞い上がると、羽ばたきを止めて落下するように勢いよく降下する。地下から向かったメンバーはまだ到着していない。屋上の部隊は相手に逃げられこそしたが深刻な損害はないようだった。どうやら厚生省側は逃げることに集中し、撤退時の交戦は避けたらしい。インカム越しに聞こえてきた音から銃撃はしていた様子だが、撃墜するには至らなかったようだ。状況を確認している最中、足早に近付いて来たのは目良だった。

「武装したヘリだ。国内で見かけたことのない型だが、あれは明かに軍事用の機体だった。襲撃から撤退までが異常にスムーズで、僕たちの目には厚生省側がいつ、なんの目的を、どうやって果たしたのかも分からないほどだ」

 部隊に動揺を広げるのを避けるためか、声を潜めた目良が囁く。本人の望んだことではないのだろうが、流石に公安委員会内部から一定の評価を得ているだけはある。

 この局面まで来て、なぜ厚生省は拘束される危険が一番高い研究施設に戻ってきたのか。直接的にそう理由を問いただす事はなく、逃げようと思えば真実を伏せることが出来るだけの余地を俺に与え、しかし言葉尻にはこちらを批難する意思を折り込んだ問いかけ。

 それはこの男が公安という、ともすれば自身の足元を掬われる場所で、これまでどうやって生き抜いてきたのかを言外に語っていた。

「命に関わるレベルで個性をブーストしてでも、地下に残した研究成果を消しておきたかったんでしょう。なにせ彼らには第三国との交渉が控えてる。逃走用の機体まで提供を受けていてはもう後がない」

「交渉?では彼らは、ただ国外で身を隠して時間を稼ごうとしているのではなく……」

 ここまで意図してきた目的だけは伏せながら、俺は遂に事実を手短に告げた。

「彼らが行おうとしているのは、亡命。そして第三国でのシステム実現です」

 外務省との繋がり。スーパーコンピューターが件のシステムの基幹部を担うわけではない以上、外務省の男には別の目的がある。それは計画が露見した場合に備えた、逃走先の確保に他ならない。

 事は既に厚生大臣がかつて提唱し、公安委員会を追われた夢想では済まない所まで進行している。この計画は研究に携わった多くの人々と、変わり続ける社会のうねりによって、真に現実のものとして作用し得るだけの力を持った。あまりにも多くの人間から未来を奪い、あるべき倫理を踏み越える醜悪なシステムとして。その中には文字通り、彼女も組み込まれることになる。

 

 ともすれば社会を一変させる大それた計画。

 これを否定するのなら、排斥する公安委員会も徹底した対応を取ることになる。厚生省公安課(かれら)は最初からその事を分かっていたのだ。万が一の時、大臣のように既存の組織から放逐されるだけでは最早済まないと。だから第三国に亡命することを思いついた。ここより更に社会を支える基盤が脆いどこか別の国で、改めてシステムを完成させることを考えた。それがあのマンションで俺が掴み損ねた致命的な情報であり、追手として彼女たちの足跡を調べるうちに至った推測だった。

 果たしてその推測は正しかった。

 事は時間との勝負だ。外務省へ直接探りを入れることは叶わなかったが、代わりに亡命についてはこの二日間で彼女たち本人から確認が取れた。陸路と海路の逃走経路を潰すのにそれぞれ丸一日をかけ、現場から逃げ出す彼女たちをあえて見逃して泳がせていたのはこのためでもある。剛翼は現場に身を潜めていた計画の中枢メンバー、すなわち外務省の男と副室長、そして彼女を見つけ出し、振動から彼らの会話内容を割り出していた。ただそのことは、公安委員会を含め誰にも報告はしなかっただけで。

 目良は何か言いたげに口を開いたが、結局は言葉にすることなく唇を噛んだ。この状況を見て、最初からそのつもりだったのか、などと自明のことを問い正すほど彼は愚かではなかった。代わりに既に遠く暗雲の彼方へと去ったヘリを見やりながら、()()()()()()()と問うた。もちろん、と返して俺は剛翼を広げる。

 雨足は強まるばかりで、時折空に走る白い稲妻が一瞬あたりを明るく照らす。地響きするような雷鳴がビリビリと建物を震わせていて、その間隔は徐々に短くなっているのが分かった。

 ここから先は俺が一人で対処する。空を飛ぶ密室となったヘリの中に、公安委員会の監視の目は届かない。本来デスクワークが中心の目良をわざわざ現場に引っ張り出したのは、会長が彼にその役目を期待してのことだと想像がついていた。

 

 遂にここまできた。陸路も海路も潰して、彼らをこの選択へ追い込んだ。空の上なら俺以外の誰の手も届かない。あの黒い雲の中はストームと言っていい状態だろうが、空中戦なら俺に分がある。

 ヘリを追って屋上を飛び立つと、雲の中へ突入する直前、塚内に向けて回線を開いて座標を伝えた。後のことは、俺がその地点で彼らを上手く()()()事が出来るかにかかっている。やるしかないと自らを奮い立たせた。

 俺はホークス。鷹見啓悟。殺人犯の息子で、公安のヒーロー。速すぎる男。その全部が俺で、俺は自分自身から逃れることなんて出来ない。その上で選択した。

 俺の出せる最高速度で、彼女を捕まえに行く。

 

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