PERFECT BLUE【完結済】   作:yoshiko

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♯4 東京:首都監視網

 ここ数日、ホークスは奇妙な物を見る目でその女性(ひと)を見つめていた。

 窓の一つも見当たらない秘匿された地下研究施設。監視対象である彼女は、この所いつになく真剣な様子でモニターと睨み合っている。加えて剛翼で吹き飛ばしてやろうかと思うほど濃く漂っていた紫煙が目に見えてマシになっていて、その事が却ってホークスを妙な心地にさせていた。

「脳無の検体が我々の元にもようやく降りてくるようになったからですよ」

 口にしなかった筈の疑問に答えたのは副室長である痩せぎす男だ。所持するのは相手の思考を読み取る『読心』の個性。そうと分かっていなければ居心地の悪さが勝るだろうなと思いながら「なるほどね」と返したこともこの男には筒抜けなのだろう。

 個性を通して、俺の疑念が数日間伝わり続けることに耐えきれなくなったのか。もしくは、もう理由を白状して良い頃合いだと判断したからか。決められた指示を淡々とこなす機械のような男が今になって口を挟んだ理由をいまいち計りかねていた。

「前から思ってましたけど、彼女はあなたより一回り以上年下ですよね。そんな相手が室長なのって気にならないんですか?」

「特には。必要な人材だと思っています」

 人材ねえ、と声には出さず口のなかで復唱する。煙に巻くような軽口の応酬を繰り返す室長の彼女と必要最低限のことしか口にしない副室長の男。その関係は今も公安が洗っている真っ最中だが有力な情報は未だ掴めていない。

「根を詰めてる理由はそれだけじゃないよ。厚生省から持ってきたシステムの試運転が無事済んだ。今日からようやく本格稼働だ」

「前にシステム更新かけてたやつですか?」

「うん。流石に公安委員会の施設だけあって、ここは機材が充実してる。厚生省にいた頃より機能を拡大出来たよ。その分だけちょっとこれから大変なんだけどね」

 デスクに投げ出された灰皿の中身は数日前と比べれば小高い丘程度といったところだ。立て続けに重なった業務に忙殺されていたのか、煙草を吸う暇もないようだ。白衣の袖から覗く手首はただでさえ枯れ枝のように細かったというのに最近は更に輪をかけているような気がする。

「煙草が減ったのは良いんですけど、さすがにちょっと食べてなさすぎでしょう」

「ならキミがご馳走してよ。システムを軌道に乗せるのって大変なんだから。寝食くらい忘れるよ」

 拗ねたような口調で立ち上がって手招きした彼女に続き施設内を歩き出す。その合間に考えていたのは先日の個性強化薬の件で塚内と交わした会話のことだった。

 厚生省公安課社会分析室は、死穢八斎會事件と脳無の存在を契機に計画を再始動させた。社会に放たれた二つの悪こそが彼女たちの計画を何らかの形で進化させた。彼女がこの頃専ら取り掛かっているシステムとやらがその計画に直結するかどうかは慎重に判断する必要がある。

 だが現実に厚生省の元へ脳無の検体が降りるようにさえなっている以上、事態は彼女たちにとって都合の良い方向へ転がり始めているはず。注意深く観察しなくてはならない。『本当にまずい事さえ言わなければ良い』と嘯いたこれまでの彼女の言葉の中にヒントはあるはず。

 剣呑な思考を巡らせていたところで彼女は不意に歩みを止めた。黒く塗りつぶされた扉の前だ。その細い背にぶつからないよう咄嗟に足を止める。彼女はゆっくり振り返ると今になってなにか困ったことを思い出したような、複雑そうな顔でこちらを見つめていた。

「どうかしました?」

「今更なんだけど。キミはこういうの受け入れないかもなって」

「急に何の話ですか」

「断っておこうと思って。これは私たちの独断ってわけじゃないんだ。最初に構想を立てたのは確かにうちの上司だけどさ」

 注意してなければ聞き流してしまいそうな自然さでこの扉の向こうの何かにも厚生大臣が関与している事が仄めかされる。

 やはり彼女は意図的に情報をばら撒いているのだ。森の中に木を隠すように。怪しまれないよう、受け入れられるよう、少しずつ情報を開示しながら一番まずいものを巧妙に隠している。

「これだけは言っておくけど最終的に受け入れたのは警視庁と東京都知事だ。決定打は神野の事件だった。象徴無き明日を生きるために彼らも必死ということだよ」

 背中の羽に意識を集中させる。地下の床を通しわずかばかり伝わってくる小さな振動は機械の駆動音のようで。重い扉が開かれた向こうで俺は『それ』を目にした。

「………そうきたか」

 愕然とした感情を押し殺した果てに、言葉が喉奥から絞り出される。

 部屋の中にあったのは壁一面を覆うほど巨大なモニターだ。幾人かの職員が座って見つめるその壁には小窓状になった画面が写真を並べたようにずらりと連なっている。映像は数秒ごとに写し出す風景を変えながらこの首都東京の街と人を目の前に晒し続けていた。

「監視カメラですか。設置範囲は?」

「東京はおよそ全域に。千葉、神奈川、埼玉は各県知事がなかなか首を縦に振らなくてね」

 お疲れと監視作業員へと声をかけながらモニターをチェックしていく彼女の姿は随分手慣れて見える。

「これがあなたの言う敵役(ヴィラン)もヒーローもいなくなるためのシステム?」

 率直に尋ねてやれば「まさか」と彼女は軽く笑った。

「これだけじゃ足りないよ」

 関係ないとは言わないわけだと腹の底で呟く。

 彼女の言葉に嘘がなければこの監視システムは厚生省の計画の一端を担っている事になる。であれば今日まで語られてきた死穢八斎會の弾丸、そして脳無がここから更に関係してくるはず。予兆は出来るが今手元に揃っている情報だけで推測する事は出来ない。

 ただこうして彼女たちがやろうとしている事の大きさが明らかになるにつれ否応なく緊張感だけは高まっていく。

「間違いなく監視社会への第一歩だ。他の県知事が頷かないのも分かります。どういうわけでこんな物の運用に踏み切ったんだか」

 横に立つ彼女はいつものように煙草を一本取り出そうとして監視役の職員に止められた。どうやらこの部屋には灰皿の用意が無いらしい。

「神野の事件でこの社会はオールマイトという敵役(ヴィラン)への抑止力を失った。彼の代替となるヒーローは存在し得ず、比肩するヒーローを育てるには時間がかかりすぎる。そもそもそんなことが可能かどうかも怪しい」

 遠回しに語られたのは運用が許されるに至った動機。だがそこには明確に疑問があった。

「社会の常時監視そのものが抑止力に代わり得ると」

「そこまで楽観的じゃないよ。私たちも現時点ではヒーローは()()必要と考える。だから監視網の事を知るヒーローを東京に放ったんだ。秘密裏に連携を取るためにね」

 オールマイトという敵役(ヴィラン)への抑止力を失って以来、この国の犯罪発生率は軒並み上昇傾向にある。もちろんそれは東京でも同じだ。だが記録された数値は他府県と比べても、ほぼ横並び状態にあった。首都という土地柄、東京の人口は飛び抜けて多い。そんな場所の犯罪発生率が突出していないという事の方が、本来おかしな話だったのだ。

 ようやく話が見えてきた。つまりはオールマイト同様の働きは出来ずとも、彼に迫るべく活動を続けてきたヒーローたちがこの街にいて、彼らをバックアップしていた組織こそが厚生省だったということだ。

「監視網に捉えた不審人物を即時連絡、事件発生前に現場でヒーローが未然に確保。そういうわけですか」

「更に言うなら何も知らない市民にとって当該ヒーローは英雄。敵役(ヴィラン)にとっては抑止力として存在感を強めていく。実益を兼ねた演出だけど、オールマイトの喪失で広がる社会不安を前にして、市民たちに効果は覿面だった」

 嘆息したい気持ちにもなる。

 公安の走狗として働いてきた身ではあるが、こんな組織とは関わりを持たずに済むのであればそうすべきというのが正直な所感だった。厚生省公安課の連中もただ連携を取っているだけのヒーロー相手に敵役(ヴィラン)の抹殺を要求することは無いだろうが、体よく彼らを利用するくらいの事はやってのけるだろう。

 俺自身がそのように使われるのはまだ良い。利用されると分かっていて公安という組織に身を置いている。だが彼らは違う。自分が組織にとって都合の良い道具であるという認識なしに彼らが今日も社会のため日夜走り回っている事を思えば、渋面にもなるというものだった。

「真っ当な手段じゃない事は確か。だけど社会の秩序と安全の零落を見過ごすなんてのは論外だ」

「その点に関しては同意。悪趣味とは思いますけど」

 会話の合間に次々と切り替わってゆく画面を見つめていると、嫌でも眉根に皺が寄る。

 子供と手を繋いで歩く親子、抱きしめ合う恋人たち、ランドセルを背負って駆けていく小学生。画面上では小さく写る家さえ操作ひとつであっという間に窓の向こうが拡大して映し出される。名前も知らないその家の中では主婦らしき中年の女性が掃除機をかけている真っ最中のようだった。

「市民のプライバシーを侵害してる事には違いない。都知事も警視庁も危険な橋を渡ってる自覚はあるよ。そうまでして導入する限りは最高のシステムをという意向で、彼らは私たちにタルタロス並みの精度を要求してきた」

 思わぬところで出てきた名前に反応しそうになる自分を抑え込む。視界の端に捉えた彼女の表情はしらを切るかのように静まり返っている。

 このタイミングで敢えてタルタロスとの接点を開示してきたのだ。繋がりはあれどもこの件に関しての事だと関係性を示しておきたいのか。

 やはり侮れないと胸中で彼女への警戒を引き上げる。この局面で駆け引きを仕掛けてきた。

「対"個性"最高警備特殊拘置場のシステムを模倣したってことですか。門外不出の技術だと思いますけどよく許可が降りましたね」

「情報も資料も拘置所内でしか閲覧が許されなかったから結局何度も出向く事になったよ。お陰でシステム構築が大変で」

 続け様にため息を吐くような自然さで「これは知らなかったってことで良いのかな」低く潜めながらかけられた言葉に「どうでしょう」と嘯いてみせる。

 やはり気取られていた。警視庁そして都知事との関係といい彼女たち厚生省が何とどこまで繋がっているのか、もはや底が知れないと認識した方が良い。監視カメラを警戒した塚内の懸念は正しかった。彼にも早急に状況を伝えなければならない。

「実を言うとね。監視網を都市に広げヒーローと連携していくという発想には、当初目指していた別の理想があったんだ。システムの機能上それは結局監視社会への足掛かりになってしまったんだけど」

 凪いだように穏やかな声音に意識が引き戻される。ようやく隣の彼女をきちんと見れば、細い枝の一房じみた今にも折れそうな細い指が基盤を操作している。

 やがて壁に並ぶ小さな画面の一つに映し出されたのは、公園で親と遊ぶまだ足取りも覚束ない年頃の小さな子供だった。

「特に小児児童による個性の暴発。通称『個性事故』の迅速な発見と対象者の保護によって事故を防止することを目的に掲げていたんだ」

 

 個性事故。

 世界総人口の約八割が個性を持つ現代社会において個性は四歳までに発現するというのが通説だ。あらゆる医療者、あらゆる科学者が研究を続けてはいるものの、能力発現以前にその人がどんな個性を持っているのか判別する方法は現状確立されていない。

 小児児童に限っていえばそれはつまり、自他にどのような影響を及ぼすか誰にも分からず、いつ暴発するかも分からない爆弾を抱えて生活している事と同義だ。この国の歴史を振り返れば個性社会黎明期、つまりは個性を持つ人間がまだ少数派であった時代、自らの子供が個性事故を起こす可能性を重く見る世情により実際に出生率が大きく低下した時期さえあった。

 

 ヒーローは敵役(ヴィラン)を捕らえる。そのために毎日の職務に励んでいる。だがヒーローに救えるのは自身にも救われる準備がある者だけ。助けてと声を挙げられる者だけなのもまた実情だ。だったら助けを求めるどんな小さな声さえ見逃さないように。取りこぼさないように。ホークスが研いできた力はそういう部類のものだった。

 だが、もし。助けを求めるべき存在が自らの個性すら満足に理解出来ていない子供だったなら。考えなかったわけではない。だが結論はいつだって同じだ。いつの時代どうやってもヒーローが取りこぼしてしまう人間は確実に存在する。

 彼女はこれまで何度かやりきれない表情で「惜しい」という表現をもって自身の本心のひと欠片を吐露してきた。死穢八斎會の治崎廻。あるいは個性強化薬という発明について。言葉を返してやりたい気分だ。ヒーローがどうしても成し得なかったことを本気で実現しようとする連中と。社会をより良くしたいと願う人たちと。見ている方向は同じなのに、なぜ腹の探り合いなんてしなくてはならないのか。

「小児児童の『個性事故』は原因や経緯を特定する事が難しい。子供たち本人でさえ自分の能力を把握出来ていないんだから。ヒーローだってよほど目を光らせていても、通常の退治と並行して事故現場を抑えられるかどうか」

「確かに初めて個性を発現させた子供が能力に加減が出来ず、凄惨な事故へと発展してしまうケースは稀にある。だけど個性事故の発生自体は別に子供に限ったことでもないでしょう。今のお年寄り世代なんか個性への抵抗感が強かった時代の人たちだ。自分が無個性だと自他共に疑わず生きてきたところ、ある日偶発的に個性を使ってしまった事だってある」

 葛藤を押し殺し、率直に疑問を伝える。どうして目的を子供の個性事故防止に絞っているのか。その答えは予想に反して人間らしく感情的で意外なものだった。

「それはうちの上司が個性事故でお子さんを亡くしてるからだろうね」

「………それは」

 それは初耳だった。

 今回の任務にあたり、彼女の上司にあたる厚生大臣のことは当然調べた。経歴、関与した事件、家族構成まで。結婚はしているが妻子を亡くしている。だがその死因はガス爆発による大規模事故であったはずだ。

 実に四十七名の死傷者を出した事故の事は、現場の凄惨さもあって当日は連日世間を騒がせた。あれが個性の暴発を原因とするのであれば、間違いなく個性事故における国内犠牲者数の記録は塗り替わる。更に言うなら、本来は事故の発生原因として加害者になったであろう何者かは、その誹りを免れた事にもなる。

 誰かがその何者かを庇った。厚生大臣が自らの家族の死亡原因を隠した以上、彼を真っ先に疑うのは順当な流れだ。

 思考を回す俺の側でとうとう周囲の静止も無視して煙草に火つけた彼女が「これは本当に知らなかったみたい」と喉の奥でくつくつ笑った。くゆる煙の向こうで、画面の中に笑う見知らぬ子供の頬を彼女の白い指が撫でている。

「この計画に携わってるのは皆、普通じゃいられなくなった人ばかりなんだ。進むべき道なら既に見出してしまったから、もうとっくに止まれないんだよ」

 カメラの駆動音が響く部屋に、言葉は静かに落ちていった。

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