PERFECT BLUE【完結済】   作:yoshiko

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■image song 凛として時雨 Enigmatic Feeling


♯5 個性事故

 首都における監視システム運用開始より数週間。

 厚生省公安課と協力したホークスは東京での脳無目撃情報の調査を早々に終え、予定を前倒してその調査範囲を広げることとなり、文字通り全国を飛び回る合間に地下研究施設へと戻る生活を繰り返していた。

 現時点で明らかになったのは目撃情報のあった地域に規則性は無いということ。ランドセルを背負った通学路の帰路に着く小学生。スーパーのレジ袋を片手に歩く主婦。あるいは昼時に定食を胃に流し込みながら部下と話すスーツ姿の社会人たち。彼らが取り留めもなく話した目撃談はおよそ噂の域を出ないもので、実際ホークスは現地で足を使っての調査も敢行したが収穫は無かった。

 

 報道陣のヘリコプターとかち合わないようルートを絞り、時に雲の間に隠れて東京の夜の空を飛びながらホークスは考える。信憑性の無いゴシップだけが伝播している。これが指し示すことは何か。つまりは末端の市民にまで浸透した社会不安。それもかなり深刻なものだ。

 実際この所、喫茶店で、本屋の店頭入ってすぐの棚で、交通機関の吊り広告で、あるいは各市の図書館で。『異能解放戦線』と題された犯罪者の伝記が街の景色に馴染んでいるのを目にするようになった。内容は大雑把に言って個性の自由行使とは人間にとって当然の権利であるという主張で、大昔に唱えられた危険思想の類だった。

 いつだが厚生省の彼女が馬鹿げた本と唾棄していた事を思い出す。考えても仕方がないことだとはいえ、腹の探り合いなんてせず彼女たちと真っ当に協力体制を築けていたならばと思わずにはいられない。敵役(ヴィラン)連合も解放思想も看過出来るものでは当然ないが、そのために身内の問題を放置するのもまたあまりに危険だと言わざるを得なかった。

 

 その彼女とはここしばらく、報告と情報の整理を兼ねて早朝と深夜に顔を合わせるのがルーチンになっていた。およそ深夜一時から二時。東京を中心に同心円に見て調査を進めるにつれ遅くなっていった帰投時間ではあるが、この時間でも彼女はいつも監視カメラのモニタールームで煙草をくゆらせている。

 彼女は早いうちに他の公安課員を帰してしまうなり仮眠に追いやってしまうなりしているようで、時々副室長の男が同席するものの大抵の場合は彼女一人だ。それがチームメンバーに対する彼女なりの気遣いと、自分の意図していないもの他人から俺へ漏らさないようにする情報統制を兼ねていることには早々に気付いていた。改めて国家権力同士が揉めると心底厄介だ。 

 

 初めは報告を済ませるなり早々に仮眠をとっていたが、いつだか目に留まった資料に口を出したことをきっかせに、いつの間にやら情報の整理と明日の調査方針の設定まで彼女と共に行うようになった。もちろんそれは彼女に取り入ろうとする意図あっての事だが、相変わらず話を煙に巻いて真相には一歩も近寄らせてはくれない。手強い女性(ひと)だった。

 とはいえ恐らくはこれまで互いにそう感じていたように、俺たちは何か妙なところで馬が合った。発想や検討、計画の立て方もそうだったし、彼女は俺の頭の回転を随分気に入ってくれた。二人で情報の整理を行うようになってからその精度とスピードは目に見えて早まっていき、最近では帰投後一時間以内には俺も仮眠に入ることが出来ていた。

 公安委員会保有の本部ビルには宿直室とシャワー室が完備されている。簡易なものには変えられていたがそれはこの地下研究施設でも同じで、彼女と別れるとさっさと頭から水を被り二時間半程度の仮眠を取ると彼女と再ミーティングのうえ、まだ月も明るい早朝五時までには再び東京の空を発つ。一連の流れはすっかりここ最近の俺の日課となっていた。

 彼女が眠る姿はこの間に一度も見てはいない。深夜の帰投後も少し眠ってくると別れた時も、仮眠後の早朝に起き出した時も。彼女はいつも一人起きてあの部屋でモニターの前に座っている。聞けば日中は厚生省側にも回されるようになった脳無の検体を使う研究に忙しいらしく、彼女がこうしてモニターの前に座っているのは夜の間だけのことらしい。チームメンバーも、副室長さえ、彼女が床に就いている姿は見たことがないらしかった。

 

 厄介な相手。その思いは変わりはしない。

 地下施設を離れ、全国を飛び回っている間は流石に盗み聞きも出来ないが、夜の間なら話は別だ。モニタールームや彼女の白衣に剛翼を一枚滑り込ませた事は一度や二度じゃない。彼女にも気付かれていないようだった。だがそれでも何も分からなかった。衣擦れやモニターの駆動音らしき振動から判断しても彼女は夜の間中ずっと、モニター越しに夜の街を眺めているとしか考えられなかった。誰と会っている気配も無ければ、作業を進めるでもない。本当に夜ごとずっと、あのモニターを眺めていた。

 確信を得たのはある日の仮眠前、シャワールームから仮眠室へ向かう道すがらに悟られないようモニター室内の彼女の姿を盗み見た時だ。彼女は小枝のような指の先に火のついた煙草を持ったまま、時折左手でキーを操作すると画面を切り替えて、モニターに映し出される街とそこで暮らす人々を見つめていた。

 くたびれた様子で流しのタクシーに乗り込む会社員。道路の修繕工事を進める作業員。繁華街で客を見送る夜の仕事の男女に、店の裏側で欠伸をしながらゴミを出しに行く夜勤のカラオケ店員。

 何も起こらない平穏な夜。そこで生活する人々の姿を写し出すモニターをただぼうっと見続けていた。右手の指先に挟んだ煙草の灰が芋虫みたいに長くなってデスクの上へと落ちていく、そんなことにも気付かないまま。

 彼女が何を考えていたのかは分からない。彼女の進める研究を考えれば悍ましい予想が出てくる方が普通の光景だとすら言えた。妙齢の女性にしては手入れされていない伸びっぱなしで傷んだ長い髪が、白衣に覆い隠された痩せっぽっちな背中に垂れている。だけどその背中が目を疑うほど頼りなく今にも折れそうに小さく見えたのも事実で。なぜかその光景が目の裏に張り付いたままでいる。

 明確な確信を得る前に理解した気になるなと冷静に唱える自分と、あの光景以来、少なくとも夜半の間彼女は本当にただ街の人々を見つめたくて見ているだけなんじゃないかと考える自分がいる。そう思うのはこれまで拾い上げてきた彼女の本心の欠片が思いもよらず夢想家であることを示唆していたからでもあったし、方法は別としてより良い方向へ社会進めることを望む、彼女のある種一線を画した願望の強さ自体は俺自身が一定の共感を持ってしまうからでもあった。

 強欲。

 多分俺と彼女はそこが似通っている。他の何もかも違っていてもそこだけは。

 俺たちは互いに我慢ならないのだ。自分には何かを成し得るだけの力があると知っていて、知っているからには行動を起こさずにはいられない。この社会のために。そこに生きる誰かのために。他者の理解も協力もいらないから、自分にやれることをやりきるまで止まらずにはいられないのだ。

 俺にはそこに俺だけの原点がある。もう随分昔のことだが俺は確かにヒーローになりたいと自ら望んでここに立っている。誰かを助けるヒーローに。かつて子供だった頃俺が助けられたように。誰かを助けたい。誰かの人生に、その人の暮らしの中に、ヒーローはいるんだと実感をもって伝え続けて生きていきたい。それが俺の原点。

 だからこそ知りたいと思う。彼女を見つめる監視者として。あるいは彼女の同志になり得たかもしれない者として。この細く小さな背に何を背負い、何を隠しているのか。

 その彼女から秘匿回線に緊急通信が入ったのは、ある日の早朝のことだった。

 *

 その日は東京から地方へ向け南下して調査を行う予定で、公安本部ビルの屋上ヘリポートから飛び立ってしばらく立った頃だった。

 ようやく月が翳り雲の間から日の出の光が差し込んだところで俺はバイザー越しに目を細めた。建物も遮蔽物もない空の上から見る太陽は絶景には違いないが、その輝きは目を刺すような強い光だ。耳元を覆うイヤーマフ型の通信機から、砂嵐のような音越しに俺を呼ぶ声が聞こえたのはそんな時だった。

「どうしました?」

「今から伝える座標からどれくらいの地点にいるか教えて欲しい」

 やや強ばった声の主が一瞬誰か分からず面食らったが消去法で彼女の顔が脳裏に浮かぶ。このイヤーマフに仕込んだのは今回の任務のための秘匿回線で、通信先は公安委員会と警察そして厚生省に限定されていた。

 季節は冬に差し掛かる頃。日の出は徐々に遅くなっている。この回線を知っている顔ぶれの中でこんな早朝から職務に精を出している人間はここ数週間ですっかり彼女ぐらいしか思い浮かばないようになっていた。

 やがて耳元で、ある地点が告げられる。ちょうど数十分前、眼下に見送った町だった。現在地がそこから何キロ地点か応答すれば彼女が遠くで「もう離れてる」と、どこかへ叫んだのが聞こえた。どこか緊迫した様子だ。

「何か見つけましたか」

「監視カメラが事故現場を捉えた。ここを発った時間を鑑みるにキミが近いかと思ったんだけど。私の予想よりキミはずっと速いらしい。現場はこちらで対応する。引き続き調査を頼む」

 一方的に告げて遮断された通信を聞くに状況は切迫しているらしい。まずったかもな、と胸中で呟く。のらりくらりと煙に巻いてるのか、世間話のつもりなのか。どちらともつかない会話ばかり仕掛けてくる彼女が警戒意識の埒外にあるだろう行動を見せたのは初めてのことだった。それはおよそ初めて見せた隙であり油断だ。

 なんのしがらみも無いただの同僚であったなら頼りにされているらしいで終わるような些細な出来事。けれど俺に取ってはようやく目の前にちらついた尻尾の影だ。これを逃す手は無いはずと判断して空中で旋回、通ってきた空を一路引き返し始める。

 

 通信で告げられた地点に到着したホークスは、ここ東京に本拠地を構える幾人かのヒーローの側に、数台の警察車両と救急車が集まっている様子を見下ろす。車体横に記載された病院のエンブレムを見るに国立セントラル病院の搬送用車両だ。国内最高峰の医療設備を構えるその病院は九州に事務所を構えるホークスでさえよく知っていた。

 ホークス事務所管轄内に位置する大学病院のひとつにセントラルでの手術を予定していた難病患者がいたのだ。その容体が急激に悪化した際に搬送を手伝ったことがある。結局その時は患者を抱えたまま九州へ向かって飛んでいたドクターヘリと空の上で合流することになった。空中で患者の引き渡しをする事になったがために前代未聞の救出劇としてしばらくメディアに騒がれた。

 そのセントラルがわざわざ駆け付けているということは、相当規模の事故だったということだ。様子を伺うに、対処自体は既に済んで被害者の搬送もひと段落つくところらしい。

 あまりにも早すぎる。手並みが鮮やかというべきか図ったように迅速すぎるというべきか。この分だと眼下に見えるヒーローたちは本人の自覚の有無は別にして、全員が厚生省公安課からの情報を受けたとみて間違いないだろう。そこまで検討をつけたところで群衆の中に見知った顔が見え、話を聞くべく滑空するとその男の隣に降り立った。

「塚内さん」

「ホークス!どうして……いや」

 塚内は思案するように黙り込むと、何かを示すように周りにいるヒーローたちへ順番に視線を向けてからホークスに向き直った。

「誰の指示でここへ来た?」

 優秀な人だと肩をすくめてみせる。同時に先ほどまでの推測が確信に変わる。やはりこの事故現場に集った顔ぶれは厚生省の指示を受けて駆け付けている。

「誰でもないですよ。ここで事故があったと聞いたので気になって。何があったんですか」

「個性事故だ。四歳児検診前の子供が癇癪を起こした拍子に個性を暴発させた。同居の両親と両隣の戸建て住民に被害が出たが、ヒーローたちの迅速な対応によって被害拡大は免れている。今は被害者および事故者をセントラルへ向け搬送する準備中」

 個性事故を起こした人物は一般に事故者と呼称される。意図せぬ悲劇である限り敵役(ヴィラン)とは呼べないからだ。だがその代わりなのか、実態として社会は彼らを加害者と認識する。残酷な話ではあるが事故者が四歳未満の児童であろうとそれは同じだ。事故の発生原因となった子供には今後、行政や医療それに福祉がサポートに入るだろう。

 それでも同世代の他の子供たちに比べその子の将来はひどく険しいものになるかもしれないと頭の片隅でホークスは考えた。口惜しい事に、初めて能力を発揮するまでその人物がどんな個性を持っているか、識別する方法は現在まで確立されていない。

 とはいえ今は感傷に浸っている場合でもない。塚内が語り終える前に自身の心情の整理をつけたホークスはその言葉の中で最も引っ掛かりを覚える箇所に迷いなく踏み込んだ。

「四歳児検診前に。そう言ったんですか」

「そうだ。事故発生時に我々警察とヒーローそしてセントラルへ厚生省公安課より緊急出動要請が入った。事故者の個性詳細も連絡があったから確かに万全の体制で対処出来たよ。だからこそ気になってこの町の管轄市役所のデータを調べてもらったんだ。事故者の子供の個性届はまだ提出されていなかった。両親の証言も取れてある。問題の子供は間違いなくこの事故を切っ掛けに初めて個性を発動させているんだ」

 つまりそれは彼女たち厚生省が、その人に宿る個性を能力発動前に知る手段を持っている、もしくは能力発動時にその詳細まで把握出来た事を意味する。それは現代の個性社会においてあらゆる科学者、医療者、研究者がどれだけの努力を積み重ねてなお到達出来なかった悲願とさえ言っていい。

 彼女が巧妙に隠していたものの一つはそれだったのだ。自分たちの作るシステムが『身に余る危険な個性を宿す子供』を見つける可能性をかつて彼女は確かに語った。実現すれば間違いなくこの社会は更に向こうへと進化するだろう。

 厚生省が進める計画においてその技術が既に確立しているであろう事は間違いなく強力な切り札になる。彼女たちの計画を突き止め潰す目的を持った俺にとっては明確な脅威。それが本当に悪しき事なのか少し考えたいというのが本音ではある。だがまずはどんな方法で個性の識別を可能にしたのか、その方法を突き止めなければならなかった。

 結局その日はそのまま現場の対応を手伝う事になり、今日ばかりは調査も休止する運びとなった。問題の少年は麻酔を撃たれていた様子で意識を失っていたものの、彼の感情や動揺に応じてまたいつ個性が暴走するとも限らない危険性を考慮し、救急車で搬送するよりも空を行く方法を提案した。

 つまりは俺が腕の中に子供を抱えてセントラルまで飛ぶことになったのだ。町の上空を飛んでいればいざと言う時に巻き込まれる人も建物も存在しない。万が一の時これ以上この子の心を傷つけずに済むと判断しての提案だった。

 

 ところがこの提案が驚くべき偶然を生む事になる。セントラルに到着後、子供を引き渡す直前に毎夜顔を合わせていたはずの人物が緊急搬送されてきたのだ。担架に乗せられたのは厚生省の彼女その人だった。唖然と見つめる俺の横を通り過ぎて担架は集中治療室に吸い込まれる。手術中のランプは一晩中消えることはなかった。

 帰投した地下研究施設で話を聞いたところ、挿管が必要なほど大ごとになっていたようで、向こう数週間は戻って来られないらしい。ただ、その原因だけは誰一人として頑なに口を割る事は無かった。

 彼らは淡々と夜間の監視作業ローテーションを調整していて、その筆頭こそが副室長の男だった。頬骨がくっきりと浮かぶ痩せた横顔に動揺は一切見受けられない。

「冷静なんですね」

 倒れた仲間のために目の前の職務を遂行するといった様子にはどうしても思えずに問いかける。男の回答は率直なものだった。

「個性事故を見過ごすわけにはいかないんです」

 明らかに強張った声音。入力された仕事をこなす機械じみた印象だったこれまでの副室長からは考えにくい姿。それは明らかにこの男の精神的動揺を示唆していた。

 監視網は厚生大臣が自身の子供を個性事故で亡くしたことを発端に生まれたと彼女は語った。だが個性事故に対して複雑な思いを抱える者はどうやら大臣だけでは無かったらしい。個性事故というキーワードに紐付けていた関連人物へ、頭の中で新たに副室長を加えていく。そしてこの男の動揺が彼女が倒れた事ではなく、恐らくは個性事故の発生そのものに向けられているのではないかと考える。

 思考を巡らせる内、不意に閃くように繋がったのはいつかの彼女の言葉だ。この計画に関わっているのは普通でいられなくなった者ばかりだと。であれば彼女のいう普通とは何を指すのか。そこで浮上したのがある予測だ。

 彼らはみんな何らかの事件あるいは事故の被害者、もしくは加害者なのではないのか、と。

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