某日。会議室の椅子に座したまま、ホークスはこの場所に集った錚々たる顔ぶれを見渡していた。ヒーロー公安委員会会長。警察庁より塚内警部。厚生大臣が率いる厚生省公安課社会分析室のトップ二人は、公安委員会の職員らと脳無に関する共同研究結果の報告準備で壇上付近を忙しくなく動き回っている。
なんとか退院した彼女はと言えば、杖を小脇に抱えつつなるべく動かないようにしているようだ。嫌々ながら勤しんだリハビリの甲斐あって足の方は向こう一ヶ月もすれば杖も不要になるだろうという医師の見立てだ。とはいえ、「立ち上がる時と座る時はやはり大変」だと久しぶりにこの地下で顔を合わせた時にぼやいていたのを聞いた。心なしか見た目の不健康さが少しマシになっていた事には驚いたが、元の生活の酷さを考えれば当然のことかと思い直したものだった。
報告を待つ面々の中には一際異彩を放つ人物が見える。
その一人が法務大臣だ。会議室に入ってきた彼を見て、ホークスと塚内は二人視線を交わす。法務大臣と厚生省公安課は未だ引き合わせてはいないと確認が取れている。この大臣は以前より実直な人柄との評判だが、政治家としては駆け引きが不得手なことで有名な人物だ。厚生省は彼からシステムの詳細が漏れるのを懸念し、未だ法務大臣の取り込みに踏み切っていないというのがホークスたち公安委員会の見解だった。
とはいえ侮れない部分もある。法務大臣はオールマイト登場以前の日本において史上最悪と言われた日比谷特殊刑務所脱獄事件、その被害者遺族であったからだ。特に凶悪な事件を起こした
この事件は囚人を取り逃した刑務官たちへと世論の大バッシングへと繋がったが、そこで現在の対"個性"最高警備特殊拘置場『タルタロス』の雛形となる計画を提唱したのが当時の法務省幹部ら。そのメンバーには、現在では大臣にまで上り詰めた彼も名を連ねていた。
刑の決定・未確定を問わず、陸の孤島と化した拘置所内で凶悪な
個性社会の闇とも言われる同拘置所が設立の流れに傾いたのは、被害者遺族という立場からその必要性を訴え推進した彼の存在が大きい。実際タルタロス成立を巡って議論が加熱していた当時は、政治家でも無き彼の言葉が連日連夜報道されていた。かつてはまさに時の人だったわけである。法務大臣には何か人を動かしてしまう力がある。ホークス達公安委員会側が懸念しているのは彼のそういう部分だった。
そしてもう一人。予想もしていなかった人物の登場に、おいおい、と内心でホークスは呟いた。厚生省側にとっても招かれざる客だったのだろう。厚生大臣は目を見張り、彼女に至っては表情を凍りつかせたまま固まっていた。
宮内庁侍従長。
さるお方に最も近い存在がなぜこんな場所に。会議室に居合わせた全員が戦慄するのに対し当の侍従長は涼しい顔だ。尊き身分のお方はどうやらよほど現在の社会動向を気にされているらしい。侍従長は報告はまだかと壇上の研究者たちに声をかけたが、まだあと一人、この部屋には来客の予定があるらしい。定刻は十時。開始時間まで残りあと数分といったところだ。
隣の塚内が腕時計を見たところで不意にパチンと小さく何かが弾けるような音がして、突然壇上近くにスーツ姿の男が現れる。遅れそうになったことを謝るその男の歳は三十代といったところか。その正体をホークスたち公安委員会と警察は既に掴んでいた。
(やはり病室を訪ねていた男だ。関係省庁全ての職員の登録内容を調査したが『テレポート』の個性を持っているのは彼だけだった。所属は外務省。大使館での国外勤務歴がある)
囁いた塚内に、ホークスもまた小さく首肯で応える。
男の個性は『テレポート』。自他を瞬間移動させることが可能な個性。ただし見知らぬ人物の下や土地へ移動することは叶わないらしく、移動先の座標なり移動させたい人物の現在地なりは知る必要があるという条件が付きの能力だ。
この男は厚生省側と長らく通じているはず。先日彼女が病室で語った『協力者』とは彼のことだろう。事は外務省、引いては第三国まで関与している可能性が急浮上する。
朧げではあるが尻尾が見えてきた。宮内庁からの予期せぬ来客もあったことだ。厚生省側も当初予定していた通りに今日の報告を進めることは出来ないだろう。彼女たちとこの男が何と、どこまで繋がっているのか。それを図る絶好のチャンスだった。
「……それでは定刻となりましたので、始めさせていただきます。本日はヒーロー公安委員会および厚生省公安課との脳無共同研究結果について、ご報告をさせていただきます」
お手元の資料をご覧ください、という公安委員会側の研究者の声がマイクを通して会議室内に響く。この場に集った何名もの人間が一斉に手元の報告書を捲り、紙の擦れる音が重なっていった。
「ご存知の通り『脳無』とは脳・心臓を含む体中のあらゆる臓器を繋ぎ合わせ、複数の個性の所持と使用に耐え得るように改造された生物です。自己と呼べるものは剥奪され、およそ単一のシンプルな命令を実行する程度の知能しか持ち合わせません。ですが
指定ページを見るよう促して続きを語る言葉を聞きながら、ホークスもまた資料に目を通し始めた。
脳無に施されている技術について分かったこと。人間から脳を取り出しユニット化して保存する技術。ユニット化された複数人の脳を接合して単一の脳として機能させる技術。『個性因子を作るのは脳である』。そう語った彼女の言葉はこういう意味かと得心した。
ある人間の個性因子を作っているのが脳であれば、個性は脳に宿ると言える。だから
「………しかし脳の接合だけで複数の個性が使用出来るようになるわけではありません。例えるなら、複数システムを起動させるために必要なCPUを揃えただけ。システムそのものは入っていないので、これだけでは個性を発動させることは出来ません。この問題を解決していたのが
「
警察庁の席から飛ばされた質問に、壇上でマイクを受け渡されたのは彼女だった。さすがに今日ばかりは気を遣ったのか、いつものよれたものではなく糊の効いた真新しい白衣に袖を通している。その肩に垂れる髪は相変わらず傷んだままだ。杖を突き、重い体を水中から引き上げるような億劫さで立ち上がると、まだ本調子でないためか眉根をわずかに寄せながら薄い唇を開いた。
「いえ。脳無という存在の脳構造を見ると、その接合にはかなり繊細な外科的処置がなされていることが分かります。首から下の内臓と肉体も全て同様に複数人の臓器を繋ぎ合わせているわけですから、これをそのまま複製出来るとは考えにくいです。脳無そのものの複製ではなく、脳無に付与されている個性自体を複製する何らかの技術を確立していると考えた方が自然でしょう」
その言葉に会議室中がざわめきで埋め尽くされる。個性の複製なんてのは前代未聞の技術だ。もしそんなものが成立し得るというのなら、この国の科学そして医療技術は飛躍的に進歩するだろう。今耳にした情報だけでも、再生医療の分野あたりは大躍進を遂げるだろうことが門外漢の俺にも容易に理解出来る。
何よりも社会情勢が一変する。分かりやすく例えるなら、オールマイトが去ろうとも彼の個性は残される時代がやってくるのだ。それがどれほどの影響力を持つことか。外交の面で考えても周辺諸国に大きく出るための切り札として機能するだろう。外務省の男の狙いはこれなのかと様子を伺って、すぐに考えを改める。男の顔には驚愕も動揺も浮かんではこない。半ば愉快そうに会議室内の動向を伺うだけだ。既にこの事実を知らされていたのだろう。
まだだ。厚生大臣、宮内庁、法務省。そして彼女。会議室内の全ての人間の動向を一つも取り溢すな。まだ何かある。
「つまり
脳無の製造工場は神野でも発見されたが、そこに個性の複製を示唆するものは無かった。それが当時調査を行った警察とヒーローの結論だ。
だとすれば、個性の複製を行なっている施設こそ連合の技術者の本拠地。技術者本人もそこにいる可能性が高い。そこまで考えて残念に思う気持ちが無いわけではなかった。個性複製技術が
いつの日だったか。どんな技術も発明も、最初は社会をより良くしようと生まれた筈なのにと彼女は語った。その彼女が複製技術の存在を知った時、何を感じたのかと考える。あの言葉は彼女が社会に向ける願いであり、信念であるのかもしれなかった。
報告はなおも続いていき、一旦休憩を挟んだところで遂に厚生省からシステムの発表が行われることになった。法務大臣も宮内庁の侍従長も席を立つことはない。公安委員会会長、そして塚内警部と目配せしたところで、遂に厚生大臣が壇上に立った。
「それでは厚生省より、我々の提唱する新たな国民管理システムについてお時間を頂戴します」
会議室内の照明が落ちてゆき正面スクリーンにモニター室の映像が映し出される。首都に設置されたあの監視カメラの映像だ。
「ご承知の通り、東京全域にカメラによる二十四時間体制の監視システムを試験導入しております。カメラで発見した各種犯罪と事故については、東京に事務所を構えるヒーローと即時連携の上、速やかに対処する体制を整えており、現在のところ効果はまずまずといったところです。オールマイトという象徴を失ったこの社会において、残念ながら市民からの信頼は揺らいでいるのが現状。本システムで連携するヒーローの管轄下においては当該ヒーローの市民からの支持率も順調に上がってきており、単純な事故犯罪発生率の抑止という意味以上に、社会秩序の維持・回復に貢献し得るシステムであると考えます」
大臣はなおも続ける。
「
大臣は勿体ぶるように言葉を切ると、会議室内に向けて宣言した。
「監視カメラが捕えた全市民の思考と個性の常時監視による社会秩序の向上。我々はこのシステムをもって、平和の象徴なきこの社会で活路を切り開くことを提案する」
それは市民のプライバシーを完全に掌握する監視社会を前提とした突拍子もない大規模システムの構築だ。大臣からの提言を皮切りにざわめき立つ会議室内で、いよいよ来た、と会長と塚内警部が両隣で口を噤む。だが俺だけはこの部屋の誰とも異なり、心臓に氷を流されたような予感に硬直していた。
頭の中で、地下で彼女と過ごした日々と、そこで交わした軽口や会話の断片が床にぶち撒けられたパズルのピースのように広がっていく。
脳。『読心』。個性強化薬。監視カメラ。個性事故。副作用。『解析』。治崎の弾丸と脳無の存在。物体にある特定個人の個性を物体に付与・運用するという発想。
法則性の見出せなかったピースの数々が寄り集まって、ひとつの画になっていく。
「実現可能か甚だ疑問です。そのようなシステムは見たことも聞いたこともない」
率直に切り込んだのは宮内庁の侍従長だった。言葉に反応した外務省の男がマイクを手に取ると立ち上がる。
「それについては私が。もちろんこのシステムには毎日毎秒ごと膨大な演算処理が必要になります。社会秩序を維持しようというのですから、監視網を全国に広げることは最低条件です。到底普通の機材では間に合いません。そこで彼らはスーパーコンピューターでの並列演算処理を前提に計画を立案しています。私はその件でかねてより彼らから要請を受け、協力体制を整えてきました」
そこで厚生省との繋がりを白と主張する腹積もりかと胸中で呟く。確かに現在のスーパーコンピューター世界一位はこの男が大使館で勤務していた第三国開発のもの。塚内らが男の経歴と交友関係を洗ったところ、彼と深い関わりがあった関連団体の一つには確かに開発を行った企業が名を連ねていた。
頭の中でサイレンが鳴り続けている。そんなはずはない、絶対に何か裏がある、と考えたのは公安委員会会長も同じだったのか。発言をしようと口を開いたその矢先、法務大臣から語気の強い言葉が飛んできた。
「つまりお前達が言いたいのは、
怒りの背景には法務大臣が経てきた過去があるのだろう。
「あの凄惨な事件を、また繰り返す気か」
気迫に満ちた言葉にも厚生大臣は落ち着き払ったまま涼しい顔で言葉を返す。
「もちろんシステムに検知されるのは
再び会議室に動揺が広がっていく。当然だ。能力発現前にその人が持つ個性を調べる方法はこの世に存在しない。だがそれが覆されたことを知っている。それが出来る人間を知ってしまっている。彼女と副室長はゆっくりと席を立つと、大臣の近くに控えるよう壇上の両脇へと移動する。その表情はどこまでも凪いだように平静さを保ったままだった。
「我々厚生省公安課は『公共の健康かつ健全な社会』の実現を掲げており、
その回答に毒気を抜かれたのか、法務大臣ほか会議室内のざわめきが波のように引いていく。侍従長も渋面を和らげたのを横目に、やられたと内心で歯噛みする。
厚生省側はおそらくこの流れになることを読んでいた。実直なうえに過去の背景からあの法務大臣が矯正局にかかる負担の増加を見逃すはずもない。必ず噛み付いてくる。分かっていたからこそ泳がせて、却って流れを自分たちの方へと引き寄せられるよう、展開を織り込み済みだったのだ。効果的な場面で意表を突いて法務大臣を取り込む足掛かりとする。このままでは完全に厚生省の流れに持っていかれると懸念したところで、先ほど出鼻を挫かれた会長が改めて口を開いた。
「話を戻しましょう。あなた方の言うシステムが空想の域を出るとはやはり考えられない。前提として能力発現前の個性を判別する方法は存在しないはずです」
「その空想を現実のものとする鍵が脳無だったのです。より正確に言えば、脳無と名付けられた数多くの犠牲者たち。その遺体が物語る技術の実在がこの計画に現実としての力を持たせた」
薬剤によってブーストさせた彼女の個性のことは公安委員会と警察庁には既に共有している。大臣も言葉を濁す素振りは無い。計画の核心をこの場で明かすつもりだろう。大臣は控えていた彼女と副室長を壇上に呼び寄せると二人を指しながら語り始めた。
「本計画の全てを秘匿したまま実行に移すことは不可能でした。ですからこの場に集ったあなた方にだけは話をしておきたい。ここにいる二人は私の優秀な部下であり研究者です。彼女の個性は『解析』。そして彼の個性は『読心』」
暗がりの中で光るスクリーン。二枚の写真が投影される。ひとつは死穢八斎會事件で使用された個性消失弾。そしてもう一つは市場に出回る強化薬のアンプル。どちらもよく知っている。彼女は俺に向けてこの日のためにずっと種を撒いていた。
「我々は社会に出回る個性強化薬を分析し、より効果が高い薬剤を作ることに成功しました。薬剤を投与された二人の個性は飛躍的に向上し、映像越しにでも対象の個性と思考を判別することが可能であると証明されています。彼女については能力未発現の小児児童が持つ個性を識別することにも成功している。その反面、脳が生命活動の維持よりも個性の強化と発動を優先してしまうという重大な欠点も抱えています」
言葉を聞いた瞬間、法務大臣を筆頭にこの場の幾人も驚愕に目を見張ったのが分かった。
「人体実験を行ったと」
「彼らの許可は得ています。この先の話にも二人は同意しているのです。この計画が走り出したその時から彼らは全てを承知している」
宥めるように淡々と語る大臣の両脇に並び立つ二人の研究者たちの表情には、真に怯えも迷いも見られない。むしろそれは凪いだ海のようにどこまでも静かで、その姿に病室で言葉を交わしたあの時の彼女の絵画じみた微笑みが重なるようだった。
「開発に際して我々が出会ったものこそ、特定個人の個性を付与した弾丸。そして脳無でした。脳無の存在は我々に『人から取り出した脳をユニット化する』技術の実在を示唆していた。ユニット化された脳はおよそ自己と呼び得る人格を失いはしますが、遺体として腐らず生前同様に個性を発揮することが出来る。ここにいる彼らは実際にその技術に辿り着きました」
なんの葛藤も、抵抗すらなく、二人の研究者達は一歩前に進み出る。
「個性強化薬を超える効能の薬剤で満たした環境のもと、脳をユニット化する。それを国内全域に広げた監視システムと有機的に同期させることで、全市民の個性と思考の常時監視を可能とする。そのために、ここにいる二名の脳を摘出する処置を施す」
頭のなかにぶち撒けられたピースが寄り集まって一つの画を描いていく。彼女と交わした取り留めのない言葉、その風景のひとつひとつが逆回しされるように頭の中で駆け抜ける。
「我々はそれを、シビュラシステムと名付けた」
目が、合う。
その瞬間、間違いなく壇上の彼女はこちらを見据えていて。静物画のような静けさで佇むその口元が小さく動く。「言ったよね」と。音はなくともそう語っている。
かつて彼女は目指すべき社会についてこう語った。この社会をより良い方向へ進めるためのシステムは作り得るというのなら、それは完成させなくてはならない。
言葉の意味が結実した悪寒に支配されながら、遠く、彼女と視線を交わしている。
ED : EGOIST『名前のない怪物』