♯8 敵役(ヴィラン)連合
出来すぎている。
それが公安委員会会長とホークスそして塚内の結論だった。脳無の共同研究結果報告が行われたあの日、会議室は批難の声で満たされた。当然だ。人間の脳を使った非人道的なシステム。誰が聞いたってそう考える。スーパーコンピューターが担えるのはあくまで根幹を支える演算処理だけ。悲鳴じみた怒号が室内に響く中で厚生大臣は身じろぎひとつせずそう語った。
一方でこの社会の治安と平和を預かる者たちだからこそ、システムが齎す利益をあの場にいた誰もが認識していた。それが監視社会として手遅れになる一歩目であったとしても。もしも彼ら厚生省の言う絵空事が真に現実に及び得るというのなら。オールマイトという平和の象徴が去ったこの社会で人々は確かに活路を見出すことが出来る。この社会を更に向こうへ進めることが出来る。
報告会で話題に上がった個性複製技術は惜しくも幻と化したが、大臣の語ったシステムは実現可能なのだ。二人の人間からその命と人間性を剥奪する選択肢さえ選び取れるのであれば。
何が彼女たちをそうまでさせるか、結局それは未だ闇の中だ。だが二人の犠牲者から既に合意を得てしまっている以上、こう考える輩も出てくるだろう。厚生省の語る社会を実現させることが出来たなら、個性による混乱が世界的に大きい現代において、我が国は諸外国に対し一歩先を進むことが出来る。それはこの国にとって大きな利益となり得る、と。
政治家はこの国と市民の利益を考えるのが仕事だ。そこのところホークスに不満はない。だが何としても厚生省の動きを阻止しなければならない公安委員会側の者として、政治家連中に計画の話が漏れるより早く決着をつけたいというのが本心だった。
会議の場では当然結論に至れるはずもなく、一旦は持ち帰ると最初に席を立ったのが宮内庁の侍従長だった。尊い身分のお方の住まいに探りを入れるのは難航したものの、塚内たち警察庁はその後、計画への反応が悪くないものだったらしいという情報を掴んだ。
次に椅子を蹴るようにして部屋を後にしたのが法務大臣だ。彼は矯正施設の構想により一度は引き下がったかのように思われたが、システムに人命が使われると聞くや否や強い反感を示し、計画を告発するとまで息巻いた。
しかし厚生省は会議後速やかに大臣へ接触し、更なる説得を図ったようだ。その甲斐あってか現在は息を潜めるように沈黙している。大臣の周囲はタルタロス監視カメラにも映っていた件の矯正局幹部たちが固めており、彼らは完全に厚生省側についたというのがホークスたちの見解だった。
分かりやすい気性の大臣のことだ。計画に賛同したか否か、その挙動で丸分かりとなる事を厚生省はやはり最初から計算に入れていたようだ。事態は公安委員会側にとって逆風となりつつあった。
「最たる問題は『上』がこの計画に反対の意思を示していないことよ。塚内警部によれば、現在はあくまで中立という立場から思案なさってる最中のようだけれど」
「厚生省が錦の御旗を手に入れるのも時間の問題ってわけだ。そうなっては全て立ち行かなくなる」
「そういうことよ。法務大臣が突然口を噤んだ件といい、この計画にはまだ裏がある。それを確認しなくてはならない」
公安委員会本部ビルの高層階。光を取り込むための大きな窓から首都を見下ろした。この頃はずっと穴蔵のような地下と空の上の往復で、こうして窓のある部屋にいるのは随分久しぶりのことだった。不意に響いた咳払いに振り返れば、会長とその補佐の男がじろりとこちらを睨んでいて姿勢を正す。
「時にホークス。厚生省の女研究者は上手く抑えられているようだな」
そう言ったのは補佐の男の方だ。最近は回りくどい話し方をするタイプに縁でもあるのかと内心で呟いて、ホークスもまた返答を返す。
「まさか彼女の言う計画がああいう形だったとは思いませんでしたけどね。核心に踏み込ませてはくれませんが、能力面の信頼は着実に勝ち得てるかと」
「それでいい。お前はそのまま彼女をマークしろ。彼女から脳を摘出させなければ計画は成立しない。男の方は警察庁がその任を請け負った」
骸骨じみて落ち窪んだ眼窩が印象的な副室長の男が脳裏に過ぎる。彼女と副室長が思いもよらぬ自己犠牲的な方法を選択する人間だったというのは、ホークスら公安委員会と塚内たち警察庁の面々に驚きを持って受け入れられていた。
正直に言うと地下研究施設で見聞きした彼らの姿だけでは、こんな方法を良しとする人物だとはとても思えない、というのが実際に二人と接触してきたホークスの意見だ。だとするなら、あの二人に通常ではおよそ受け入れられない決断をさせたルーツは件の計画、そして厚生大臣にも必ず直結していくるはず。
そう考えた塚内たち警察庁は副室長への警戒を大幅に引き上げ彼の調査に乗り出した、という話のようだ。
「身内の問題も片付かない中ではありますが、社会に身を潜める敵役ヴィランの確保もまた解決を急ぐ問題です。この件に決着がつき次第あなたには新たに別の役割を提案したい」
会長の声に思考を引き上げられたところで、その隣に控える補佐の男が話を引き継いだ。
「
言葉が部屋に落ちる。あまりに予想外の指示に「ちょっと待ってください」と一言挟む。一瞬固まった思考を解きほぐすと、以前小耳に挟んだ情報を脳内から引っ張り出した。
「捜索隊組むんでしょ?グラントリノさんとかが」
「どこで知った?まだ公表していない情報だ」
公安内部のことも剛翼でちょっと、とは流石に言えず反射的に口を噤む。さすがにこれまで自分というヒーローを作り上げた人物だけあり、目の前の二人はそのわずかな隙を逃すことはなかった。
「そういう所よホークス。あなたは目敏く耳聡い。神野の戦いは拉致被害者の安否もあり、事を急いだ。結果情報が足りず、相手の力を見誤った。闇組織を根絶するために多くの情報がいる」
「連合に関する全てを丸裸にしなければ、同じ過ちを繰り返すことになる。改造人間に関しては今回の共同研究で一定の成果を得られた。君が連合に取り入る事が出来れば、より有利な市街地での戦闘になるよう誘導して被害を抑える事も可能だろう。であれば、そこは君の管轄下である九州が望ましい」
バイザーで覆った目を堪らず細めたのが自分でも分かった。それに気付いたのだろう。嗜めるような口調で男が再び口を開く。
「他の街が襲撃対象となった時のことを考えないではないだろう。東京か、はたまた別の地方か。それよりは軽く済む。君の本拠地だ」
土地勘の無さを言い訳にするつもりは無い。実際、剛翼はどんな土地、どんな人間相手だろうと救助に遅れなんてものは取らせはしない。そのための力を公安で磨いてきた。問題は市民たちだ。良くも悪くも管轄下の九州市民はホークスに
だがホークスというヒーローのいる日常に親しみのない、他の街の市民たちにとっては話は別だ。関東、それも東京ともなれば剛翼の間に合うカバー範囲は更に狭くなる。土地も人も広くまた多いこの街では、物理的に羽が足りなくなる。だからこそ羽の間に合う範囲に被害を抑え込め得る九州を主戦場とするのは理屈が通っている。理屈は、だ。
「
会長が机の上に差し出したのは、二枚のチケット。行き先に博多と印字されているのが手元から覗き見えた。
「彼女と共に九州へ向かい、脳無と交戦しても被害を最小限に抑えられる戦場の選定にあたりなさい。厚生省とは遠くない未来で必ず袂を分かつことになる。それまでに有力な情報はすべて引き出しておくべきよ。あなたには引き続き探りを入れてもらう。我々は彼女がこの東京から離れている間になんとしても彼らの計画の裏を掴む」
それは彼女を、命を懸けてこの社会を先に進めようとする人間の意思を、公安の都合が良いように使い捨てにするという意味だ。
苦々しい思いではある。これまでの彼女の言葉。それを語る表情のひとつひとつを思い返す。目指した社会がどれほど理想的なものであったとしても、そのための手段があるべき倫理に反するものであるのなら。やはりそれは看過してはならないものだという認識は変わることはなかった。
だからこそ最後に、公安の考えを確認しておきたかった。
「情報は引き出しますよ。けど
「瞑れる男だと見込んでの頼みだ。名誉名声に頓着が無く、ただただ『長期目標』を見据え動く。君程適任な者はいないと考えている」
そういう意味で、君と彼女は似ているのかもしれないな。補佐の男が続け様に呟く。睨み合うように向かい合った会長の視線が揺れる事はない。
ただ、正直なところ。このところ泥に足を取られるような心地が続いている。それは
「本当に必要なんですか?」
「だからこその提案よ。表と裏から追い詰めることで確実に退路を立つ。そのために彼女の知識は必要になる」
提案!おもわず空笑いが抑えきれずに肩を竦めた。
「断れないって分かったうえでそういう言い方するんだもんな。人が悪い」
九州地区強盗殺人事件。
事件を起こした
端金のために人を殺して逃げたようなを匿い、子供までもうけてしまうような母親だ。夫が捕まった時にさえ出頭よりも恐怖心からの逃走を選んだ。そんな人間が生活基盤を脅かされたら、再び目先の堕落に飛びつくことだろう。母を守りたいなどという殊勝な思いでヒーローになったわけでは決してないが、自分の選択次第では誰かに悪事を重ねさせると分かっていて、なおもその選択肢に拘ろうとまでは思えなかった。
「否定はしないわ、ホークス。神野であなたの都合がつかなかったのは幸いだった」
差し出された二枚の紙切れを手に取る。手にした限りはやり遂げなければならない。たとえそれが彼女の意思を利用し搾取するような真似であったとしても。あの折れそうに細い背中にどんな葛藤が、どんな懊悩があろうとも、必要ならば俺はやれる。その確信があった。
「……俺が穢れて皆が安心できるようになるのなら。喜んで、引き受けますよ」
見せつけるかのように恭しく、この国の秩序治安の維持を預かる者へ頭を垂れてみせる。長い旅の幕が開ける予感があった。
■参考文献 章タイトル引用
マルセル・プルースト『失われた時を求めて』