九州は福岡県、博多行きの新幹線。
飛行機ではない理由は、翼を持つ俺の癪に障るとでも考えたのか。日時指定グリーン車のチケットを見せたところ、彼女の反応はといえば思いがけずつれないものだった。
「朝イチの新幹線?やだよ。書店がまだ開いてない」
手の中でチケットを弄びながら両面を確認した彼女は、九州行きそれ自体に不満はないらしい。結局その要望には、前日午後五時三十分、つまりは一般的な定時時刻となった瞬間に駄々をこねる彼女をモニター室から連れ去ってご希望の大型書店に置いていくという荒療治でなんとか対応したのだった。
そういうわけで翌朝、新幹線のホームにやって来た彼女はと言えば、片手でトランクを引きずり脱いだ白衣を腕に引っ掛けているだけの普段と同じ格好だった。聞けばあの後、街中の本屋をしこたま周り、一度帰宅して荷造りをしてしまうと、そのまま地下にとんぼ帰りしてモニタールームで監視作業に勤しんでいたのだという。
案の定地下からホームまで直線でやって来たようで、移動ついでに売店で朝食を買ってくるという発想は無かったようだ。呆れながらも片手に持っていたレジ袋を彼女の目の前に掲げてみせる。
自分用の弁当と彼女用に用意したハムとキャベツのシンプルなサンドイッチ。そして二人分のペットボトル。煙草とコーヒーで騙し騙しやってきた
こうしてなんとか乗り込んだ新幹線の車内では、先日の深刻な会議室が嘘のように穏やかな時間が流れた。
俺も彼女もシステムの話を持ち出すことはしなかったし、遠方への出張という非日常感がそうさせるのか、彼女の振る舞いはむしろ肩の荷が降りたような軽やかさ、もっと言えば奔放ささえ感じられた。自らの死を目前にした時、一般的に人は大なり小なり取り乱すものかと思っていたが、彼女にはそういう部分が無いようだった。
「キミはなかなかどうして面倒見が良いんだね。というより準備が良いのかな」
うさぎの一口かと疑うほど小さくサンドイッチの端を口に含みながら、彼女は言った。
早朝、始発の新幹線。
車両には俺たちの他に客の姿は見当たらない。予約された席はグリーン車の先頭座席だ。二人して並んで座ったその席で、彼女は量に反してほとんど俺と同じタイミングで食事を終えると、トランクの中から夥しい数の書籍と雑誌、それからカタログの類を広げ始めた。
自分の弁当も食べ終わった事だし、とゴミを捨てて戻ってみれば、書籍の数々は備えつけの折り畳み机の上で今や山のように積み重なっていた。
横目で様子を伺うが、彼女は次々と本を手に取り替えていくばかりで視線が交わることはない。つられるように山のてっぺんから雑誌状の冊子をひとつ手に取ると中身を確認して疑問に首を傾げた。
「サポート企業の特集?興味あるんですか」
「ちょっとね。そういえば今日からまたしばらく一緒だし聞こうと思ってたんだよ。キミはサポートアイテムって使ってないんだっけ?」
ようやく顔を合わせた彼女は、地下で過ごした時からやはり何も変わった様子はない。唯一、窓際に立てかけられた杖だけが強化薬の代償を感じさせるだけだ。脳を摘出され薬漬けにされた果てに、個性を発揮するだけの機能となる未来への悲壮感はどこにも見られなかった。
「通信機器の類ぐらいですかね。事務所のサイドキックには何名か個性の指向性補助として機能するアイテムを使ってる奴が」
「ベターな機能だね。サポートアイテムは当然、使用者個々人の個性に合わせて作られる。キミの所のサイドキックも同様と思っていいよね?」
「そうじゃないサポートアイテムなんて聞いたこと無いですよ。なんの役にも立たない」
そうだよねと嘆息する彼女に理由を尋ねてみる。脇に避けられた確認済みの本は四冊目に突入するところだった。
「監視網に近頃妙なものが写っていてね。規格が統一されているらしき武器の類だ。サポートアイテムに似てるんだけど、個々人の個性に合わせて作られていないぶん、雑に使って雑に有用という方向性のものになっている。と思われる」
「へえ。珍しく歯切れが悪い」
「時限式なのかモニターされているのか、いずれのケースも武器が自壊してしまってサンプルが残らないんだよ。監視網で見つけられたのもまだ数例。でも首都圏下で既に何件か見つかっているんだから、他県には既に広がってる可能性は捨て切れないかな。薬の次は武器ときた。塚内警部はこれから忙しくなるね」
彼女の言葉を聞きながらカタログを捲っていく。やはりどの企業ページを見ても、どこぞのプロヒーローが実際に使っている製品例といったものしか掲載されていない。
そもそもサポートアイテムの開発および使用並びに販売は資格制だ。個性の強化が広く一般市民にも普及することによる社会的混乱を防ぐため、ヒーロー免許を持つプロヒーローのみがサポートアイテムの提供を受けられるよう、国家が統制を行なっている。
唯一の例外は雄英高校を筆頭としたヒーロー科を持つ教育機関で、生徒ではなく学校に対しサポートアイテムの開発・使用許可が与えられている形だ。個性社会において治安維持法は社会の変容に合わせて改正を重ねている。アイテムの資格制についてはその中でも比較的早い段階から法により定められているところだった。
「面白いのが、デトネラット社がヒーローサポート事業に参入しようとしてるって噂が立ってるところなんだよね。既に大手二、三社が独占してる市場だって言うのにさ」
「旨みは少ないですね。デトネラット社の主力商品は個性に合わせたオーダーメイドの日用品だったはず。他に開発部門の傘下企業なんかも持ってないし、ノウハウがあるとは思えない」
「そこなんだ。技術系の企業を買収したって動きも聞かない。これってどういうことだと思う?」
俺たちの間を隔てる本の山はいつの間にか残り数冊というほどにまで少なくなっていて、そこでようやく目が合う。病室で垣間見た時のような妙に穏やかな空気。少しずつではあるが彼女の素顔に近付いているのだろうか。
「近頃登場した謎の武器と、突然見込みの少ない新規市場に進出しようとする企業。二つを繋げて考えてしまうのは、私の想像力豊かな妄想なのかな。それとも真相に近いんだと思う?」
痩せた細い肩に垂れる長髪がそう思わせるのか、口元にたたえた微笑みはやはり絵画的なものを思わせる。言葉なくじっとその顔を見つめ返していれば、とうとう焦れたように彼女の方から視線を泳がせた。
「さすがにそう見られると照れちゃうんだけど。何か言ってくれない?」
子供のように拗ねて崩れる表情。こういう些細な無邪気さこそ本来の彼女なのかもしれないとはいえ、それがこんな局面にでも至らない限り顔を出すことは無かったという事実、そしてそんな彼女の半生に対しては少しばかり考え込む部分があった。
「これから脳みそになろうって人はどんな気持ちなのかなと」
「唐突だね?気になるんだ」
「というより、分かんないんですよ。分からないことをそのままにしておきたくは無いんです。理解しておきたい」
長い髪が表情を隠すように頬へ落ちる。黒い糸のようなその狭間の奥には、これから彼女を待ち受ける未来に反してずいぶんと穏やかな表情が見えた。
「本当に何の感慨も無いんだよ。システムになる全能感も、死にたくないといった忌避感も。脳は残るんだから、厳密には死ぬわけじゃないしね。私という自己を失うだけ。ただ自分がそうなることで、まだ普通に生活を営むことが出来ている誰かの助けになるのならって、そう思う」
キミになら分かるんじゃないのかな。
溢れるように落ちた言葉はどこか低く、甘やかな温度さえある。一見して俺と彼女にはどこにも共通点が見当たらない。けれど今日という日まで交わしてきた言葉が、目指すべき社会のあり方が、どこかで俺たちを繋げている。
もしたった一つ、何か運命が違ってさえいたならば。誤魔化さずに言えばそういう感覚は確かにあった。俺たちが互いに抱く誰かを助けたいという思いは、似通っている部分があるのかもしれないと。
「あとはまあ、今は単純にこの道行きを楽しもうってところかな。東京から出るなんて久しぶり。たぶん最後の旅行なんだし、ここまで来たらめいっぱい楽しむよ」
「名目上は調査なんですけどね」
「だけど私が私じゃなくなるその最期でもある。満喫するのは悪いことじゃない」
おかしそうに破顔した彼女はいつになく羽を伸ばしてるように見える。その視線が一瞬上を向いて、あっと声を上げると俺の腕を掴んで車両上部を指さした。
「あれは何?キミの名前が出てる」
促されて確認したのは、車両扉の上に流れていく電光掲示板のニュースだ。九州地方版と銘打たれた文字の並びは確かに、俺が今日の午後からしばらくは福岡に帰還する旨が、向こう一週間の天候情報と共に知らされていた。
「天気と一緒に報道されてるよ。すごいなぁ、キミの存在感は」
「知らなかったんですか?向こうに着いたら朝のニュースで毎日流れてますよ」
「信じられない。その町で暮らしている人たちにとって、キミの存在はそれだけ不可欠のものになっているってこと?彼らにとってはキミが平和の象徴なのかな」
一瞬答えに窮して、適当に受け流す。その隙を見逃すはずもない彼女は、俺がわずかに口籠った理由を正確に見抜いていたようだ。
「納得できていないんだね。まだ先を見据えてるんだ。キミは」
自分の実力は自分が一番よく分かっている。
誰より早く被害を防ぐ。誰より早く人を助ける。だけど『決して倒れない平和の象徴』としての背中を俺では見せてやることは出来ない。どこかで必ず綻びが出る。
それが言外に滲んでしまっていた事に観念して「ええ、まあ」と潔く認める。ここまで誰にも気付かれたことは無かった。打ち明けようとも思わなかった。それを彼女が拾い上げることが出来たのは、目指すべき社会に対して、本気で考えている者同士だったからなのか。彼女のそれは、傍目には常軌を逸している手段によるものだったとしても。
「だけど私はますます楽しみになったよ。キミが守る街はどんな社会を築いているのか、すごく気になる。純粋にとても懐かしいしね」
「福岡にいたことが?」
まもなく博多駅に到着するというアナウンスに促されて、俺たちは各々準備を整え始める。話しながら手渡された本の山を適当にトランクの中に放り込んでしまうと、息を合わせたように彼女がその蓋を閉めた。
「昔ちょっとね。色々あって随分戻ってない。きっとすごく変わってるんだろうな」
ぽつりと零された言葉はどこか頼りない。それを耳にしてようやく、浮き足立って見えた理由は空元気だったのかと納得した。
研究施設での真実をチラつかせながらも煙に撒くような態度から一転、どうにも無邪気ささえ感じる振る舞いは、彼女自身そうでもしなければ落ち着かないというサインなのか。少なくともこんなぼろを出すくらいに、福岡という俺のホームグラウンドが、彼女にとっても重要な土地であるという事は確かなようだった。
そうこうしてるうち新幹線は減速の態勢に入り、いい具合に倒していた座席シートをお互い元の位置に戻してしまうと俺の方は彼女のトランクを緩やかに奪い取った。まだ杖が手放せない彼女にとって荷物の存在はやはり負担らしい。出発前によろめきながらホームに現れた彼女の姿を見にした際に察したところだった。
回復傾向にあるとはいえ、立ち上がりと着座時は足の麻痺が未だかなりのハンデとして機能しているようだ。彼女は片手を壁に沿わせ、もう片方の手で握った杖に力を込めると、一度は一人で立ち上がろうと足に力を込めた。とはいえ尻がわずか数ミリシートから浮いたところで揺れる車両では簡単に足を取られると気付いたのか。早々に見切りをつけるとにっこり笑って俺に片手を差し出した。
「なんです?握手?ファンサービスなら今日はお休みです」
「あー、そういうこと言う。意地が悪い」
「誰かさんの回りくどいところが移っちゃって。ちゃんとお願いされないと分かんないですね」
にっこり笑い返して握手してやれば、むくれたように彼女が眉を下げる。
「助けてヒーロー。立ち上がれないの」
異種返しのようにそう語るので、俺は腕に力を込めて彼女を引き上げるのだった。
トランクの持ち手は俺の手の中で握られたまま。停車した車両からまずは俺がホームへ降り立つ。そうして杖を突きながら俺を追う彼女を振り返り、言った。
「ようこそ。俺のいる町へ」
そうして頭の中で二つ目のキーワードを整理する。
一つ、被害者。二つ、九州に縁あり。一時滞在歴があるだけなのか、それとも……。
俺自身の勘は後者の可能性を疑っている。だがまだ足りない。この場所で彼女という人を、その人が何故あんな計画に携わっているのかを。その核心を突き止めてみせる。