よろしくお願いします。
一
まだ秋だというのにもう寒くなってきた、なんて話はウルサスには通じない。
秋といえばすでに肌を突き刺すような冷たい風がびゅうびゅうと吹いているものだし、街の者の大半は厚着をして出歩いている。下手すれば綿のような雪が降ったりもしているし、舗装された道路なんかは薄い氷が張っていてすっかり注意や警戒なんて物事が抜け落ちた学生がすっ転ぶのだ。
その様子を朝っぱらから酒を飲んでいるような連中が見て笑う。ひっひっひっひっ、なんていう不気味な笑い声をあげて。
そんな笑いの対象にペテルヘイム高校の学生はよくなっていた。平民の子がほとんどであるし親の大半は工場労働者、街のほとんどが顔見知りだったり、何かしらつきあいがあるものなのだ。まだ緊張が抜けきらない低学年の知り合いがいるものは微笑ましく見ているし、ある程度大きな子を知っている者は豪快に笑ってみせて職場の笑いの種にする。
別に悪意があるわけではなかった。いわゆるかわいがりのようなものなのだ。貴族のようになにか裏があるわけではないし、傷つけるつもりもない。ただ数少ない共通の話題であるというだけだったのだ。労働に明け暮れる平民にとっては。
かくいう私も平民の子であった。もちろん幼いころはよく転んだしたんこぶもよく作った。
けれど不思議と笑われることはなかった。
私はそれが仲間外れにされている感じがして幼いころに聞いてみたことがある。けれど大人たちは穏やかな笑みを浮かべてこういうのだ。
『いつもお世話になっているから』
私にとってそれがとてつもなくつまらなかった。
私の家は平民区のはずれにあった。みんなの家は規則正しく並んで立っているのに、私の家だけポツンと建っていて幼いころはそれを寂しく思ったことがある。
この家は祖父が建てたものだそうだ。私の祖父は長いこと軍にいて重要な役職をまかされていたらしく、退役した人たちがよく挨拶に来ていたのをよく覚えている。
祖父は私が学校に通う年になったとき亡くなってしまったけれど、父は祖父の遺産や人脈をいかして新たな事業を始めた。母もそれを手伝っており、いずれ私もそれに携わることになるだろうとそう思っていた。
父が事業を引き継いだ時、この家は二つに分かれた。
住居が二階に移ったのだ。一階は事業に使うため何度か増築や改装が施され、その様子は中央にある大きな階段から見ることができた。
私はいわゆるインドアな気質があり、いつもその階段から多くの人が行き交う様子を見ていることが多かった。見つからないように物陰からだけれど何人かの来客は私に気づいて快く手を振ってくれたりもしたものだ。
この家には本当に多くの人が来た。けれど来た人たちにはある特徴があった。
片方の手がなかったり、派手に包帯を巻いている人や大きな音にひどくおびえるような人もいた。
けれど両親は決して笑わず、それを優しくいたわりながら応接室に通すのだ。
そう、私の家は退役軍人向けの案内所だった。居場所を失った人たちへ新たな職場や仕事を提供したり、ある時は治療費を代わりに支払ったり住居を提供したりと様々なことをしていた。
そのせいか貴族からも頼りにされることもあり、お礼としてその家のパーティに招待されたりとなんだか不思議な思いをすることが本当に多かったのだ。
平民なのに。そういわれることも多かったけれど大抵はその親や使用人がやんわりと注意した後『ごめんなさいね、この子まだ知らないのよ』なんて謝られてなんだか悪い気がしたものだった。
そう、私は常に父や祖父の功績に守られ続けてきた、そんな幼年期だった。
ちょうどペテルヘイム高校に進学を決めたころにはもうすっかり嫌になった。
平民の、特に工場で親が働いている子なんかはわざとらしくおべっかを使うし、貴族の子からはなんだか毛嫌いされてなかなか友達は作れなかった。
『なんだか宙に浮いているみたいだ』
貴族からも平民からも距離を置かれている感じ、常に感じる父や祖父の力、そして何もない自分。
そんな時だった。彼に師事を乞うようになったのは。
彼──ルカはウルサス軍に長年仕えてきた軍人だった。
新貴族が生まれるきっかけとなった大反乱のときに片腕を亡くし退役、それ以来我が家の守衛を務めている。祖父とも共に任務についたことがあるらしく、その伝手を頼ってのことであった。
ルカはすでに髪は白髪へと変わるようなそんな年であるのに剣の腕が衰えることはなかった。それに物腰も元軍人にしてはやわらかく、師事するのにこれ以上適した者はいなかった。
父からも許可はすんなりとおり、放課後にいつも稽古をつけてもらうことになった。
最初こそ戸惑いや遠慮があり満足のいく練習にはならなかったが、次第にそういったことがなくなっていき、全力で打ち込めることができるようになっていった。
七年生になるころにはかなり形になっていた。
軍人と同じ形式の剣を扱うこともできたし、それに自然と別のこともできるようになった。
アーツだった。祖父や父には扱えなかったアーツの適性が私にはあったらしい。
けれど私はルカに一太刀もいれることはできなかったし、アーツを使ったとしても敵わなかった。
「ルカ、あなたは強いな。まったく敵わない」
ある時そう言ったことがある。ルカはなんでもないかのように笑った。ルカは困るとこんな風に笑う癖があった。酒場で笑うときは豪快なウルサスらしい笑い方なのに器用にもきさくに笑うことができたのだ。
「そうですか。昔に比べればかなり腕を上げられましたよ」
「でも未だにあなたに一太刀も入れれてない」
「それは──」
ルカは遮るように言った。
「経験と年季です」
ルカは倒れた私に手をかし、立ち上がらせた。彼の手は年季によるしわだけでなく長きにわたる戦いによる傷や火傷の後があった。
それに対してなんと私の手は普通なのだろう。爪はきれいに整えられ、手のひらには傷一つない。あるのはこの前虫に刺されたときにできたわずかなしこりだけだった。
「それにあなたにはアーツがある。私は適性がありませんでしたが、きっとそれなりの者に師事すればきっと──」
「大成するか。祖父のように」
私はそんな言葉を吐き出し続けるルカを鋭く睨んだ。ルカはますます困ってしまったのか半分泣いているような顔になってしまう。乾いた笑いでしばらく場の空気をごまかそうとした。私が『さあ、もう一度』そういうのを待っているのだ。
「父のようにではないんだな」
ルカの顔から笑みが消えた。まなざしは鋭くなり、言葉には出さないものの私を怒鳴りつけたいように見えた。
ルカは父のことをあまりよく思っていない。というか、あまり得意ではないタイプの人間なのだろう。彼が大反乱のときに巻き込まれた戦いにも、ウルサスが領土を求め続けるのも大抵貴族が関わっている。
祖父はきっと軍人で平民らしい価値観だったのだ。事業として行っていなかったが退役した者達への支援を始めたのも祖父だった。
だが父は違った。祖父の意思を引き継いだのも金や貴族とのつながりを得るためだったし、事実我が家は貴族家とのつながりを強めている。貴族家からは睨まれないように、平民からは露骨に思われないようにひっそりと。それゆえにペテルヘイム高校に入ることになったのだ。
「貴族は嫌いか?ルカ」
「ええ、好みません」
ルカは一息も入れずにきっぱりと言った。
「あなたは見たことがありますか」
「貴族の汚いところをか? それなら何度も見たぞ。この前父の付き添いで行った家は平民のことを工場の歯車としか思っていなかった。だからその環境の改善を頼みに父が行ったんだ。懇意にしていたロストフ家の手紙を持ってな。それがどうかしたか?」
「いいえ、そうではないのです」
ではなんだ、そう聞くとルカは剣を抜いた。まるで息でもするかのように自然とあっさりと行った。練習用のものではないことは明白だった。その輝き、いくつもの傷が刻まれた鞘、──本物だ。
「戦場をです。ウルサスの、領土を求めるあの戦いを、見たことがありますか? 大反乱の薄汚れたものではなく本物を、見たことがありますか?」
私はしばらく考えた後いいや、と返す。
「私は見ました。あれはカジミエーシュとの戦いです。そうです、あの騎士の国です。凄惨でした。銀の鎧を着た騎士が我々ウルサスの猛攻を押しとどめわずかに空いた隙間に彼らのエースが切り込んでくるのです。名高い騎士が、きらびやかな紋章をかかげウルサスの戦士の首をいとも簡単に切り落としました。血が私のところまで飛んできました。このあたりです」
ルカは右目から顎にかけてをぬぐって見せた。
「私はその猛攻にうろたえるしかありませんでした。ええ、まだ若かったし経験もないただの弱兵だったのです。しかし、彼は違いました。そうです、あなたの祖父のことです」
戦場での祖父の話を聞くのは初めてのことだった。今まで話してくれる人は多くいたけれど、戦場での話をしてくれるものはいなかった。それほど凄惨な戦争で、掘り返したくないものだったのだろうか。
だろうか。
「あなたの祖父は勇敢でした。騎士の猛攻を受け止めてみせたのです。どこかの兵士が落とした大盾で。力任せな止め方ではありましたが、それでも騎士は一瞬動きを止めたのです。剣がはじかれ、腕にしびれが残っているようでした。その隙をあなたの祖父は見逃さなかったのです。アーツ、おそらくあなたのものと同じものでしょう」
ルカは私の手を広げたまま突き出すようにいい、その通りにした。
そしてルカは木刀を振りかぶり、私の手の前で止めた。
「アーツをお使いになってください」
手に力をこめる。ルカが持っている木刀がわずかに震え、鳥のような甲高い音を発した後、何かにはじかれたようにとんでいった。空中で弧を描き、くるくると何度か回った後地面に刺さった。
「このように、立ちはだかる銀の騎士を無力化したのです。騎士は死に物狂いで両腕を突き出しました。膨大なアーツの気配を感じ、その直後吹っ飛んだのです。あの剣のようにではありません。盾を構えたあなたの祖父と、たまたま難を逃れた私、誰かの体が障壁となった者、それ以外の者はしばらく後方に吹っ飛んだあと、粉々になりました。ガラスのように跡形もなかった……」
「後に残ったのは恐慌状態の兵士だけです。私は茫然と立ち尽くすしかありませんでしたし、あなたの祖父──面倒なのでアレクと呼びます。アレクもまた次に来るであろう騎士の攻撃に備えることしかできませんでした。あの騎士の手にはアーツによって形成された槍のようなものが握られ、それを振るおうとしたとき、後方からとてつもない気配を感じました。泣き叫ぶ兵士の声がしなくなり、騎士側から困惑とどよめきの声があがり、ただ事ではない空気が立ち込める中、あの騎士だけがそれに気づいていません。騎士は槍を振るい、その切っ先がアレクの盾に突き立てられようとしました。アレクは精一杯のアーツでなんとか受け流そうとしたとき、あれは我々の眼前に現れました」
──あれ。力強く発せられたたった二文字の言葉には畏怖と恐怖と、狂気じみた憧れがこめられている。そう感じてしまうほどの言葉だった。
「はるかに大きい体躯、頭の両側から生えた角、眼前の敵に向けられた赤い目にどれほどのウルサスの戦士たちが憧れたことでしょう。かのウルサス最高の戦士はあの騎士をいとも簡単に吹き飛ばした後、アーツの負荷で倒れてしまったアレクに何か話していました。内容はわかりません。それくらい距離は空いていましたし、戦場には先ほどの静けさとは違いウルサス側からは歓喜と怒号が、カジミエーシュからは困惑とどよめきがこだましており、それどころではなかったのです。ただ──」
ルカは私の肩に手を置いた。力はしっかりとこめられ、なんだか鉛でも乗せられているかのようだった。
「ただ、私がアレクを助け起こしたときアレクは──泣いていました。声も上げず、ただ静かに泣いていたのです。アレクは私の手を借り立ち上がった後、最高の戦士の背に向かってウルサス式の敬礼をしました。涙を流しながら、土や血で汚れながら、賛辞を贈ったのです」
「それでアレクは評価され昇進をしました。どうも貴族があの光景を見ていたようでさらに剣や金も送られたはずです。あなたの家はほかでもないアレクの功績でできているのです。今の平民とも貴族ともいえない立場も、そしてあなたもです」
ルカは私の目を見た。何かを懐かしむような、優しい目だった。
「あなたはお父様と違い、アレクによく似ている。優しい顔立ちやほっそりとした体躯なんかはきっとお父様やお母さまに似たんしょう。けれど、あなたの目は、目だけは、アレクと同じ琥珀色をしているのです。透き通っていて、その中に何かが秘められているようなあの目に……」
ルカはそういうと手を離し落ちた剣を鞘へしまい、帰っていった。
気づけば日は沈んでいてひどく冷え込んでいた。
私はすぐ家に帰り、父に贈られた剣について聞いてみた。
父は使用人に『あれどこにやったかな、倉庫か?』なんて聞いていた。使用人は食事が終わったあと私をある部屋に連れて行った。かつて祖父が使っていた部屋だった。
間取りの都合で今は物置のようになっていて使っていない家具なんかが置かれていた。それでも埃は一つもなく床も磨かれていて、カーテンも新たなものに新調されており、掃除が行き届いていた。
「本当は旦那様にも大事にしてもらいたいのですが」
使用人は少し呆れているようだった。父はどこまでもビジネスマン気質なところがあり、このことも私が聞かない限り思い出すこともなかっただろう。
彼は縫うようにして家具の間をするする通り抜け祖父の机があるところまで行ってみせた。慣れた動きだった。きっとこの者が掃除もなにもかもをしてくれているのだろう。
彼は机の近くに置かれた脚立に立ち、壁面にかけられたあるものを取った。
それは赤くやわらかな布に包まれていた。彼は丁寧な手つきで布を取り、姿を現した装飾豊かな剣を私に渡した。
「素手で構いません。ぜひ、抜いてみてください」
私は言われた通り剣を手に取る。鞘に施されたウルサスの大地を表した彫刻は実に手になじみ、違和感なく納まってみせた。まるで私のために作られたようだった。少し厚みが違ったり、それこそ装飾なんかが施されれば違和感があるものだ。なのに、これにはない。
私はゆっくりと剣を抜いていく。するすると抵抗なく抜けていき、次第にその姿があらわになった。
刀身は新雪のようにキラキラと輝き、鞘とは違い装飾は刻まれていなかった。そのせいかますます輝いて見えた。傷一つない刀身は剣を抜いたものの姿をよく映し、私の琥珀色の瞳がよく見えた。奥に行くにつれて夜空のような黒に近づいていくそんな微妙なグラデーションさえも刀身ははっきりと映して見せた。
「きっとこの剣は待っていたのでしょうね。あなたのことを」
彼はそういってみせた。取り入ろうとする下心を感じさせない、心からの言葉だった。
私はその剣を引き継ぐことにした。彼から手入れの仕方を改めて教わり、派手すぎる鞘だけは別のものに変えることにした。あくまで自衛用にみせるため後日近くの質屋で買った無地の革の鞘にした。
以来、私はそれを身に着けて学校に通っている。少し大きく、自衛用という言い分が通るかどうかは微妙だったが最近の情勢不安や『母が心配性なのです。この前、別の街でですが嫌なニュースがあったでしょう。ほら、爆破テロの。それでひどく心配してしまって、母を安心させるためでもあるのです。お願いします!』
という、私の迫真の演技もよかったのか『許可済み』というダサいタグさえつければ持ち込みを許してもらえた。
ルカはそんな私を見て笑った。心からの豪快な笑いで、久しぶりに見たなぁ、なんて感慨にふけるほど気持ちのいい笑いだった。つられて私も気持ちよくなり、剣を抜いて見せると、ルカは静かに涙を流した。そして私の肩に手を置き、『さあ、今日もやりましょう。もちろん木刀でですが、なんだか今のあなたは大きく見えます』
──何をばかなことを。そう思い、木刀を手に取った。あの剣とは違い、ごつごつとした手触り。やっぱり違うなぁなんてのんきにな感傷に浸っていると、ルカは切り込んできた。
いつもと違い彼の目が見えた。黒く光のない無機質な目、どれが私に向けられ私の隙を伺い的確な一撃を打ち込んでくる。うっかり力を抜くとそのまま吹き飛ばされてしまいそうなほどの威力で、それに負けないように私も返す。
一撃、一撃、木刀の芯に響くような鈍い音が鳴った。ルカも雄たけびをあげながら打ち込んだ。私もまた声をあげた。必死だった。どこまでも必死だった。
噛みしめすぎて口の中には血がにじんだし、のども乾きすぎて突き刺すような痛みが走った。
けれど、頭の中に浮かぶのはシンプルな思考だけだった。
──勝利する。
──かつてあの凍土で祖父がやって見せたように。
刀身にアーツを込める。ぶうんと剣が鳴いた。今まで気づいていなかったが刀身をつなぐ金具が鳴っていた。一撃、彼の木刀に加えると彼の木刀も鳴って震えた。それをごまかすように彼は力を籠める。わずかに盛り上がった彼の右腕が見えた。いつもよりも振りかぶり、次の一撃で決めるかのようなそんな動作、それを見て、私は踏み込んだ。
いつもより空いた彼の内側へ踏み込む。彼は距離を離そうとしたのか勢いよく地を蹴り、わずかに巻き上がった砂埃が目に入ったがそれでも私は目を離すことはなかった。
困惑に満ちた彼の黒目を見つめ続け、腰の高さに持った剣を満身の力で振るう。ぶん、と空気を裂く音が聞こえ、押しのけられた風が耳にかかった髪をなでる。
『このように──』ルカの声が聞こえる。あの話を聞いたとき私の中でかちりと音が鳴った。何かがはまった気がしたんだ。──戦ったんだ。私の一族は戦ったんだ! 貴族だから、平民だから、産まれた時からこの世を分けていたのにそれに取り残されてしまった私がようやく感じることのできた感覚で、戦ったという一つの事実が私の足をようやく大地につけてくれた。ぷかぷかとこの世から浮いてしまった私がようやく感じることのできた感覚は──
鈍い衝撃と、そこから伝わるびりびりとした感覚。ルカのくぐもった悲鳴に高鳴りドクンドクンと心臓が『勝った』とビートを刻んだ。ぽたりと額から汗が垂れて地面にいくつかのシミを作った後、私は膝を折り見上げるように私を見ているルカの首筋に木刀を突き付けた。
「──このように立ちはだかる銀の騎士を無力化したのです。ただ、私は膝をつかせ、立ちはだかる騎士を倒してみせたぞ、ルカ」
ルカは私のズボンのすそを掴み、私を見上げる。まるで私の瞳の奥をのぞき込むかのような姿勢で、ルカの顔もまたよく見えた。
しわと傷、さらに泥で汚れた顔はひどくみすぼらしく見えた。年相応といえばそれもそうなのだけれど、それ以上に彼が体験してきた苦悩や後悔がよけいに彼を曇らせているかように感じた。
気づけばルカの両目からは涙が流れていた。ぽたりぽたりと地に落ちた後、私に見られることをはばからず声をあげて泣いた。
まるで獣のような叫びだった。ようやく解き放たれた悲しみや怒りが込められているかのようで
一生忘れることはできない、そんな予感がした。それに呼応するかのようにすそを掴む力はいっそう強くなっていった。それがひどく哀れに見えてしまい私もまた膝をつき、彼の肩に手を置いた。
偽善ではなかった。ただ自然と体がそう動いたのだ。
「なぜ、ですか」
彼のか細い声が聞こえる。私の視線と彼の無機質な視線が交差する。
「なぜ、あなたが貴族ではないのですか。あなたのような人がいれば、いれば……薄汚れた戦いなど起きなかったのに。大反乱など──なぜ同じウルサス人同士が血を流さなければいけないのだ! なぜあの無垢な子らも殺さなければいけなかったのだ! なぜ、なぜ──妻はあんな殺され方をしなければならなかったのだ──」
ウルサスの山々の向こうに光が落ちるまで彼は泣いた。
私は一生この光景を忘れないだろう。孤独な闇からようやく出てきた一人の戦士が私に膝をおり許しを乞うように泣き叫んでいるこの姿を、私は一生忘れない。そう誓ったのだ
それがルカとの最後の鍛錬となった。
ルカは持病が悪化したとかなんとか適当な理由をつけて故郷に帰る、とそういっていた。
父はそれを嫌がり、賃上げや治療費の融通など様々な提案をしたがルカはそれに応じることはなかった。
最後にルカは私に妻の形見である耳飾りを贈りそのあと私を力強く抱きしめ、この家を去った。
彼の背が見えなくなるまで私は見送るのをやめなかった。ウルサスの彼方に朝焼けとともに消えていく彼の背はひどく小さく見えた。その背はすぐに消えてしまい、風景にぽっかりと穴を残した。
そこはなんだかキラキラと輝いて見え、私は声を上げて泣いた。産まれたての赤ん坊のように泣きじゃくって、ペテルヘイム七年生としての秋は始まったのだ。