三
「なあ、どうすればよかったと思う」
夢で見た凍土の上、私は目の前の黒い男に問いかけた。姿は戻っておりルカと同じ隻腕の戦士にになり、だらしなく座る私を見下ろしていた。
「俺、死んじゃったのかな」
あれは間違いなく源石爆弾だった。テロに使われていてそれが報道されたものを目にしたことがあり、それとほとんど同じものがあの袋の中にあったのだ。
そして倉庫の中で舞っていた埃は昇華した源石だったのだろう。そして爆発の瞬間それらに引火し大規模な爆発に繋がった。
誰が、なんのために。
テロか、貴族への報復か、それとも──
そんなことばかりが頭を埋め尽くし、私の正常な思考を奪っていった。
だが私がどれだけ慌てふためこうとも目の前の黒き戦士はピクリともう動かず、私をただ見ていた。まるで窓の外のなんでもない風景を見ているかのように、きわめて自然な姿だった。
以前のように戦いを始めることもない。ただ私たちはお互いに向き合うだけで時間だけが過ぎていった。
「リボンの彼女は無事かな」
呟きに誰も何も返さない。
「いい子だったな。本当はおしゃべり好きでいじめられたのもきっと、本当に些細な違いがいじめの標的になったんだろうな。引っ込み思案だとか少し目立つリボンとか」
そうだ本当にいい子だった。友達が少ない私の貴重な友達になるかもしれなかったのに、彼女がいなければソニアを含めたあの楽しい昼食の時間を過ごすこともなかった。こういったものを運命というのかもしれない。
「けれど、彼女があんな目にあう必要はあったのかな」
呟きは胸に鋭い痛みをもたらした。
「あんな風に爆発に巻き込まれて、俺たちはどうなったんだろう。死んじゃったのかな、だとしたら俺──」
突然、黒い戦士は動いた。私と同じ目線までしゃがみ、膝をつく。そして方腕をぐっと伸ばし、私の胸元を何度かゆびさきでつついた。ゴンゴン、と振動が何かを伝い体の奥に響いた。それを真似するかのように私は自らの胸元に手を当てる。
いつもより分厚くなっていて触るたびに微妙に指が沈んだ。
手を制服の内側へ入れると覚えのあるものが手に収まる。
本だ。リボンの彼女にもらったあの本が熱をおびていた。体温よりもはるかに高く、手から体へじんわりと広がっていき、自然と力が抜けて私は倒れる。
そんなだらんと投げ出された私の手を黒き戦士は掴み、力を込めて引き上げた。鋭い痛みがはしりわずかに身をよじらせると声が聞こえた。
頼もしい声だ。心からそう思える声だった。
目を覚ますと視界は何かに覆われていて全身がものすごくけだるかった。
まるで何年も眠っていたかのようだった。手足を動かそうとしても力が入らなくて、無理やり動かそうとすると嫌な感触とともに鈍痛がした。
思わず悲鳴を上げると私の手は誰かに握られ、声が聞こえた。
「お、おい! 目が覚めたのか。なあ、どうなんだ!」
ソニアの声だった。あの時みたいにすぐ返事をしないと怒鳴られると思い、満身の力を込めて声を上げた。
「そ、に、あ」
ほとんど声にならなかった。風邪をひいたときみたいな痛みがのどにはしってまたうめき声をあげることになった。
結局それでまた意識を失ってしばらく時間がたつとまた取り戻す。これを何度かくりかえしたとき、私はようやく体を起こすことができた。
体を起こすと顔にかかった布巾が落ちて太もものあたりに落ち、べちゃりと嫌な音を出した。片側の視界がふさがっていて不思議に思い触ってみると何かで覆われていた。包帯、ではないようだった。どうやら適当な布で手当てをしてくれていたようだった。これ以上触らないほうがいいのだろうがはがれかけのかさぶたみたいにどうしても気になった。
私はどうなったのか。知りたかった。
その疑問に答えるように声がした。
「あまり動かない方がいいですよ。というより、あまり動かないでください。私はあなたをしりませんから」
ソニアとは違う少女の声だった。冷静で賢そうな声だった。
「今、あなたの目は包帯で覆われています。包帯といってもカーテンを切っただけの粗末なものですが……まあしないより増しでしょう」
そういうとぱたりと音が聞こえ、本か何かを閉じたようだった。少女は私のもとへ近づいてきて、私の近くに何かを置いた。
ぼやけた視界が次第にクリアになっていき、ようやく私はあたりを見渡すことができた。
最初に目に入ったのは近くに置かれた本だった。リボンの彼女にもらった本だった。わずかに焼け焦げてはいたものの、読むには支障がないレベルだった。
「治療するときに制服を脱がしました。そのときに出てきたものです。勝手に読んでしまったことは謝ります。ごめんなさい」
少し距離を置いたところに彼女はいた。青みがかった髪で学者のような片眼鏡をしており、手にはクマの人形が握られていた。
「別にいいよ」
この前とは違い、すんなりと声を発することができた。
「それよりあれからどうなったか、聞いてもいい?」
わかることなら。警戒を解かず、一定の距離をおいたまま彼女は静かにそういった。
どうやら倉庫が爆発してから数日が経過しているようだった。
彼女──アンナが言うにはレユニオンという組織によるものだった。
レユニオン、鉱石病感染者で構成されたあの組織がウルサス西北部で暴れていたのは知っていたがここチェルノボーグまで入り込んでいるとは予想だにしなかった。
ふと窓の向こうを見ると柵の向こうにちらほらと白い服を着た者たちが見える。
「あいつらは、あの爆発から?」
「ええ、そうです。取り囲むだけで手出しはしてきませんが、中にはサルカズの傭兵もいるようですので手出しは危険です」
そうだな。軽い口調でそう返すとアンナは私を見る。
「その火傷、何があったのですか」
「あのとき──」
爆発の瞬間の光景がよみがえる。輝く源石、火花が雷のように空気中に広がって、リボンの彼女がこちらを見て、爆ぜた。
返答には時間がかかった。だがかすかに震えるのみで声色に動揺をのせることはなかった。
「あのとき、倉庫の中には源石爆弾があった。簡素なズタ袋に入ったもので歴史教師にとってきてくれ、と頼まれたんだ。もちろん爆弾なんていってなかったけれど」
「そうでしょうね」
アンナは視線をわずかに下に向けた。表情に陰がさしこの数日でかなり消耗してしまったことがうかがえた。
「ともかく倉庫の一つが燃えた以上、校内で食料を求めた争いが起きようとしています。残るは西棟の倉庫のみですがそこは第四高校の貴族たちが占拠していて私たち平民には手が出せないのです」
「第四高校ならロストフ家の娘がいたはず。賢くて物腰も柔らかいと聞いていたが、取り合ってもらえなかったのか」
アンナはピクリと眉を動かした。表情はあまり見えなかったがクマの人形が一層強く握られていることだけはわかった。
「貴族が、助けてくれるわけないじゃないですか」
冷たくアンナは言い放った。ぞっとする声だった。心からこみ上げる貴族への恨みや怒りがこめられていてこの数日間、貴族たちがどのような振る舞いをしていたかがうかがい知れた。
──いずれな。
あの日の父の言葉を思い出す。父はあの時軽く答えて見せたが、この現状を見て私はとてもじゃないが軽く答えれるような気はしなかった。
もしかしたら貴族への恨みはアンナの父や祖父から、いやもっと前からかもしれない。
長きにわたるウルサスの歴史の根底に刻まれた考えが今の貴族と平民の関係ならば、いったいどうすればいいのだろうか。
本当に我が家が貴族になることでこの問題の解決につながるのだろうか。
日が傾き、窓から差し込んだ夕日が私たちの間に線を刻んだ。まるで境界のようだった。
──お前は他とは違う。
天からそう言われている気がした。
私はなんだかそれが気に食わなくて立ち上がり、膝に落ちた濡れた布巾を投げて窓に張り付けた。べちゃっと音がして水滴をまき散らしたが狙い通り夕陽を完璧に遮って見せた。
そんなことをしたせいかアンナは身構え、かつて私が持っていた剣に手をかける。
おぼつかない手つきできっと持ったことがないのだろうな、と思った。ほかにも教室には人がいたがそれらはおびえるのみで立ち向かってくるのはアンナ一人のみであった。
けれど私にアンナたちを害する気はなく、それを示すために笑って見せる。すると
「アンナお姉ちゃんをいじめるな!」
そんな声とともに金髪の小柄な少女が金庫の扉のようなものを掲げ、私との間に立ちはだかった。手は震え、澄んだ赤い瞳は涙で潤んでいた。けれど一歩も身を退くことはなく、彼女はまっすぐとその歪な盾を構えてみせたのだ。
「だめ! ラーダ!」
アンナの悲痛な叫びが聞こえる。ラーダと呼ばれた少女はぼろぼろと涙を流したが、それでも構えは解かない。ラーダ固い意思がそうさせているようだった。
私はしっかりとその光景を目にした後、言った。
「アンナ、その剣を返してくれ。少し話に行きたいんだ」
「嘘! 武器をもってわたしたちを──」
「違う、アンナその剣を見ろ」
私の声を聞くとアンナはおそるおそる剣を見た。慎重な手つきで鞘をなでて、グリップを探り、塚頭に指が当たった。違和感を感じたのかその部分を見る。するとアンナの表情は驚愕へと変わった。
「そういうことだ。俺は平民だけれど、もしかしたらどうにかしてやれるかもしれない」
教室を静けさが支配した。
ラーダの泣き声がかすかに聞こえるだけで、みんな動くこともなく事の成り行きをただ見守った。
アンナはしばらく考え込んだ後、震える足でゆっくりと立ち上がる。両手で剣を捧げもののように持ち、夕日のほうへ一歩また一歩と進んでいく。途中ラーダがそれを制するように声をかけたがアンナは無視し、ラーダを通り過ぎ私に剣を差し出した。
「帰ってきて」
アンナはそういった後、私をにらんだ。
「帰ってこなかったら冬将軍とともにあなたを殺しにいくわ。裏切り者として」
私は剣を手にし、アンナをまっすぐと見る。
剣を抜き、顔の前で構える。まばゆいばかりの磨き上げられた刀身に数人が声を上げた。
「我が祖父、アレクサンドルの名に誓おう。必ず情報を持ち帰り、この状況をどうにかするための何かを勝ち取ると」
そういい放ち、私は教室を後にした。背後からは疑いの視線を感じたが、私の歩みを止めるにはあまりにも無力だった。
東棟にあるこの教室から西棟の倉庫まで少し距離がある。
一階まで降りた後、西棟へ続く廊下を通って左のつきあたりに倉庫はある。
けれど今は状況が違う。道中にある教室に誰かが潜んでいるかもしれないし、身を守るため罠が仕掛けられていることだってあるかもしれない。
だから私は道中にある廊下の窓から飛び降りることにした。
下は陽が暮れかけているせいか薄暗かったがまあ、大丈夫。
そう思い私は飛び降りた。
わずかに砂利が鳴ったが比較的静かに着地することができた。服についた砂埃をはらうと私は歩き出す。
校外からならば倉庫へ直線距離で移動できる。しばらく歩けば搬入口が見えてくるし、近くの窓から正面へ回ればすんなりとたどり着くことができるのだ。
しかもどうせあの重厚な扉だ。きっと見張りだけつけて開けたままにしているだろうし、十分な人数を確保しているのならば搬入口もきっと開けて備蓄された木材などを燃やして野外で焚火でもしているだろう。
そう思い歩いていると遠くに明かりが見えた。ゆらゆらと揺れるそれは間違いなく焚火によるものだった。
私はわざと音をたてて歩いた。剣を持つ手に自然と力が入ったが警戒されないように手を放し、腰のベルトに通すだけにとどめた。ただ歩くだけ。視線を柔らかく、敵意を表に出すな。そう念じながら歩いた。
焚火の周りにいる者──二人の男子生徒が私に気づいたのか、搬入口の奥へ向かって手を振り、人を呼んでいた。そして残った一人が私に向かって叫ぶ。
「そこで止まれ!」
私は立ち止まる。搬入口からは何人かの生徒がこちらを覗き見ていて、焚火の周辺にいた二人の男子生徒が私に近づいてきた。手にはハンマーのようなものが握られていて、真新しく傷一つないものだった。
男子生徒はこちらにハンマーの先をむけると言った。
「平民だな! 帰れ! ここにお前たちの食料はない!」
「そうだ! 帰れ! 卑しい平民が!」
搬入口の方からも声が聞こえたが距離があるせいかよく聞こえなかった。
「違う。食料を求めに来たわけではない」
「嘘だ! どうせどこかで食料を奪うのに失敗してそんな怪我を負ったんだろう! 嘘つきめ」
「違うと言っている!」
私は叫んだ。彼らは驚いたのかぴたりと声を出すをやめた。
「私はここにいるロストフ家のナターリア様に用があってきたのだ。貴族と平民でいがみ合うのをやめ、今は協力する必要がある。その件で私は来たのだ。さあ、はやくお取次ぎを──」
「いずれにせよ──」生徒の一人が私の声を遮る。「いずれにせよ、素性の知れぬ平民を通すわけにはいかん。さあ、帰れ」
私は剣を抜く。生徒たちは武器を構えて私の動きを待った。
先ほどのように構え、私は叫ぶ。
「我が祖父の名はアレクサンドル、父はドミトリ。苦しむ人々の支援を請け負い、チェルノボーグの繁栄を担った家の一人である。ロストフ家にも認められ、ウルサス皇帝からも賛辞をいただいた偉大な家である」
剣の柄頭をむけ再び叫ぶ。
「見ろ! 祖父が陛下から賜った帝室の印が入った由緒ある剣である。つまり私は家の名代としてここに出向いているわけである。私の声を無視するということは家の意向を無視し皇帝陛下に背を向けることと心得よ!」
動揺がはしった。馬鹿にする声は消え、どよめきがあたりに広がった。
目の前に立つ生徒もまたその一人だった。額からは汗が垂れ、ただハンマーの先をむけることしかできなかった。
私は一歩踏み出す。彼らは一歩退いた。砂埃が舞って、焚火にくべられた薪がガタリと音をたてて落ちて、驚いたのか彼は震え汗が一滴ぽたりと落ちた。そんな彼の目を見ていった。
「さあ、ロストフ家の娘、ナターリアのもとへ案内しろ。もしくはここに連れてこい。この声に背を向けるなら──」
その先の言葉を紡ごうとした時だった。搬入口の方から声が聞こえ、それはよくとおるものだった。女性の、ウルサスの冷気を切り裂くような声だった。
「ここに! ここにいます。要件を伺いますから待っていてください」
声の主はそういって近づいてくる。周囲の人間は止めようとしたがその一切を無視し歩みを止めることはなかった。
白く長い髪をはためかせ、色の違う両の目でまっすぐこちらを見て、こちらへ来た。第四高校の生徒会長、ロストフ家のナターリアその人だった。
「申し訳ありません、お待たせしました」
少しおちゃめな笑みを彼女は浮かべる。
「あなたの話は父から聞いています。優秀な方だと、そして貴族家の称号を得るとも聞いています。さあ、そこは寒いですし、どうぞこちらへ」
白い手を焚火の方へ向けて彼女は言った。私は剣を収めそれに答える。
「感謝いたします。ナターリア様」
ふわりとした笑みを浮かべた後、私たちは焚火の方へ向かった。いつの間にかそこには簡素な椅子が用意されていて私たちは腰かける。
何人かの男子生徒が危ないとかそういうことを言ったが彼女は大丈夫と言って、護衛がつくことを拒否した。焚火の周りには私たち二人だけになった。
「話とはなんですか」
表情が硬くなり、スイッチが切り替わったのを感じた。焚火の熱が火傷の跡を刺激して包帯の下の傷が痛んだが構わず話し始める
「今の、この状況のことです。レユニオンによってペテルヘイムは封鎖され、第四高校の者達を中心とする貴族とそのほかの平民とで争っているこの現状についてです」
「ええ、私もこの状況を憂慮しています」彼女は悲しげな声で言った。「東の倉庫が爆発し炎上したことは知っています。そのせいで食料が不足していることも全て──知っているつもりです」
「ではなぜこのようなことになっているのですか。貴族は大前提としてある義務を負っています。平民を守護するという義務をほかならぬ皇帝陛下から承っているはずです」
「ええ、そうですね──」
彼女は静かに目を閉じた。平静を保とうとしているのか拳を握り力を入れている。だが、かすかに足は震えていたし、再び開けられた目は潤んでいた。
「私たちが第四高校から連れられ、ここペテルヘイムについたとき、レユニオンの一人が言ったのです。『そろそろだ、よく見ていろ。逃げようとすればこうなる』と、顔はフードで隠れて見えませんでしたが男性の声でなんだか愉快なものでも見るかのように軽薄でしまいには笑っていたのです」
「そして爆発しました。一階のあの東倉庫が吹き飛び、搬入口のシャッターの破片がこちらまで飛んできました。黒煙が立ち昇り、ものすごい音をたてながら炎が上がりました。それを見て私たちは思ったの。逆らえば殺される。その恐怖が私たちを支配して、混乱させた。ペテルヘイムに閉じ込められた後、何人かの生徒が暴力をはたらいたのを知って私は急いで貴族をまとめ上げた。それが今よ」
「だが、食糧庫を占拠する必要はなかったでしょう」
震えた声で私は言った。どうにかなりそうだった。
「そのせいで平民の子たちがどれだけ苦しんだかは知っていますか。教室にいた彼女はみんな疲弊していました。餓死者が出るのも時間の問題です」
「そう、でしょうね」
彼女は哀れむような顔をしていた。両手を握り、何かに祈っているかのようだった。
「けれど貴族側は爆発寸前よ。今は食料があるという優位性が何とか理性を持たせている。けれどこれを破棄したとき、どうなるか私にもわからないわ。現時点で何人かの貴族が離反し、脱走をしたわ。けれど帰ってこない。それに、それにね」
彼女は声を潜めていった。少し距離が近づき、目の下には隈があることに気づいた。頬は少しこけていて限界が近いのは明白だった。
「搬入口にいる子たちは全員武器をもった、いわゆる過激な人たちよ。あなたのことを殺せ、と息巻いていた人たちがあそこには集まっている。だからもう来ない方がいいわ。もし私はいなかったり、私のいうことを聞かなくなったりしたときにあなたがきたら──」
「殺されるですか」
彼女はうなずいた。
「もう、あの集団を保つので精一杯なの。だから少しの食料と薬を渡す、それで納得してくれないかしら。そろそろ戻らないと変な勘繰りをされる。だから、お願い、身を退いて」
私はしばらく彼女を見つめる。本当に申し訳ないと思っているのか視線をそらし、うつむいた。
まるで罪人のようだった。焚火もずいぶん小さくなったせいか暗闇が迫り、より彼女のを暗くさせた。その上量の手を祈るように握っているのだから、この場で裁きだと言って切ってしまっても文句は言われない気がした。
だが、心の中である言葉を思い出した。リボンの彼女から渡された本に書いてあった言葉でその一部がタイトルにもなっている言葉だった。それが私の殺意を押しとどめた。
だから私は席を立ち、その場で膝まづいてみせた。彼女は少し驚き体をぶるりと震わせたが、私の意図を理解してすぐに立ち上がり私に手を差し出した。私はその手を取って言った。
「ナターリア様のお慈悲に感謝いたします。ここに至るまでのご無礼をお許しください」
搬入口の蛮族に聞こえるように言った。彼女も同じように言った。
「許します。あなたの幸運を祈ります」
言葉とともに彼女の手の甲に軽く口づけをした。
そうして私は去ったのだ。二缶の食料と火傷用の軟膏と包帯を一つずつ手に持って。
カチャカチャとなるいくつもの金属音を背に私は帰路についた。殺意の視線は角を曲がるまできれることはなかった。
しばらく歩き、東棟の正面から堂々と中に入った。
辺りはすっかり暗くなり、灯りがないと迷ってしまいそうなほどで廊下は一種の迷宮のようになっていた。
ふと、正面から気配を感じた。コツコツという音はこちらへ迫ってきており目をこらしてみたが月明りはなく見ることはかなわない。そして、あと数歩ほどのところで止まる。相手は夜目がきくのかこちらを観察していた。なめるような視線を全身に感じ、私は睨んだ。すると相手ははっ、と笑って距離を近づけた。思わず剣に手をかけかけたが見覚えのあるものがようやく目に入りそれをやめる。
赤い一房の髪、やんちゃな青い目、ソニアだった。
「よく帰ってきたな。偵察もかねて寄ってみたらお前がいた。貴族のくそ野郎についたのかと思ったぜ」
「ああ、ソニアこれ持ってくれないか。なんだかだるくてな」
彼女はおう、と言って缶を持ってくれた。
私は彼女の先導であの教室まで歩いた。
時節、人の気配を感じたがソニアの姿を見るとその気配を潜め遠くへ行った。
ソニアは自身が恐れられているのを知っているのかわざと足音を立てて歩いた。力強い足音が響いてそれが頼もしく思える。
「ソニア」
呟くように言うとソニアは足を止め、こちらを向く。
「なんだ」
「ありがとう。君だろ、助けてくれたの」
はっ、と息を吐くように彼女は笑う。彼女の癖なのかそうすると自然に片方の口角が上がっていた。
「別に気にすんなよ。ただ気になって見に行ってみたら、がれきに埋もれたお前がいた。ただそれだけだ」
「なら、あの子は」
「おい──」ソニアのドスのきいた声が響く。けれどすぐにでかかった怒りを引っ込め、前を向きまた歩き出した。
「いうな」
私はただ黙り込むしかなかった。リボンの彼女は、まだあそこにいるのだろう。搬入口とレユニオンが封鎖する門の間に。
そう思うと悲しい気持ちがこみ上げてきて、子供みたいに涙があふれそうになった。でも、火傷を負った片目が痛んでそれがブレーキになったのかきゅう、とした胸の痛みだけにとどまる。
──どうか、彼女が安らかに眠れますように。
心から祈りながらソニアとともに暗闇を歩いた。本当に暗い夜だった。
ソニアがふと歩みを止めた。まだあの教室までは距離があるはずなのに変だ。そう思って目をこらすとソニアの向こう数歩先にある教室の扉の前に彼らはいた。
彼らは手にそれぞれ何か持っていた。折れたパイプや木の角材など間に合わせではあるが十分強力な武器だった。
「てめぇら、なにやってやがる」
怒気に満ちたソニアの声が聞こえた。彼らはそれにひるみながらも懸命に答えて見せた。
「もううんざりなんだよ。冬将軍、あんたにおびえて生きるのは! それにそこにいる男と手を組んで俺たちを罠にかけるつもりだろ!」
「そんなわけねぇだろ! ちょっと考えてみりゃわかるだろうが!」
「考えたんだ、もうさんざん。だから──」
彼は乱れた息を整えきっぱりと言った。
「ソニア、その男とともにどこかへ行くか、ここで死ね。死んでくれ」
パイプの先を彼は向けて言った。静かな殺意が籠った声だった。
ソニアは歯をぎりりと鳴らし唸っていた。目は見開かれ、力の入った拳が震えている。
「アンナは、これを知っているのかよ」
「いいや──」
彼が答えようとした瞬間、教室の扉は開いた。ガラガラとずいぶんな派手な音をたてたものだからみんなが扉の方を見た。
アンナだった。青みがかった髪に隠れるようにしてラーダもいた。手には相変わらず鉄扉が握られていた。
「いいえ、知らなかったわ」
アンナはそういうと鋭い目で彼らを見る。
「見張りを変わるから少し休め、なんてこと言うからもしかして、と思っていたけれど、こんなことをするなんて」
彼はうつむきアンナから目をそらす。アンナは気にせず話し続けた。
「私たちには冬将軍のように戦える人がいません。だからこうして冬将軍の力を借りているのでしょう。それがなぜ、殺すになるのです」
「アンナ、お前も見ただろう。ソニアもこの男もいかに狂暴かを。君はこの男に脅されただろう」
ソニアがちらりとこちらを見た。私はそれを無視し、彼の話を聞く。
「確かにそれに近いことをされました。けれどそれは必要なことだったのです」
「何が必要なことだよ。もし君がやつの剣を持っていなければ切られていたのかもしれないんだぞ」
「それでも、彼は私を切らなかったし、誓ってくれたではないですか」
「誓いが──」彼はひときわ大きな声で叫ぶ。思わずラーダが耳をふさいだ。手に持っていた鉄扉が壁に当たってがあんと大きな音をたてる。
「誓いがなんだっていうんだ! その誓いをまもったやつがどれだけいる? あの貴族たちだって平民を守るとか言っといて現実はこうだ。あの貴族もどきは違うとでもいうのかよ、ええ!?」
叫びは静寂をもたらした。
誰も否定できなかったのだ。現実に平民を守ってくれる貴族はいないし、誓いをまもったものなどどれほどいるのだろう。そしてかくいう私の家が貴族と関りを持っていれば、その私自身を疑ってもおかしくはない。むしろそちらの方が正常で疑問に思うべきことだった。
お互いの視線が交差する。彼らの殺意のこもった視線、アンナの鋭い視線、ソニアのはちきれんばかりの怒りがこもった視線、それらが入り混じってどうしようもない空気に耐え切れなくなった彼らの後ろにいる女子生徒やラーダのすすり泣きが頭を叩いてああ──
私はソニアの手から一つ缶をひったくり彼らに投げる。
ガーンゴーンガーンなんて馬鹿げた音をたてて彼の足に当たる。
「なんのつもりだよ」
彼は驚愕に満ちた目を向けた。
「それをやるからどこへでも行け。その缶は食べてもいいし、それを手土産にどこかに入れてもらってもいい。だから頼む──」
息を限界まで吸って視界がわずかに点滅し、吐いた。
「──もうやめよう。人が死ぬのはもう嫌だ」
吐き捨てるように言った言葉はすとんと胸の内に落ちた。
「俺はあのとき倉庫にいた。爆弾が仕掛けられて目の前でバーンって吹っ飛んでさ、俺は助かったがもう一人いた女の子は死んだんだよ。目の前でな。だからさ、」
無気力な目を彼らに向ける。
「もう行けよ。ただ貴族たちのとこはやめとけ。殺気立ってておっかないぞ」
彼はうつむいたまま黙った。視線は足に当たった缶を見つめていた。取るか取るまいか、悩んでいるようだった。これを手に取ってどうするのか、考えがまとまらないせいか汗がぽたぽたと垂れて手にしたパイプはぶるぶると震えていた。
誰もがその様子を見守っていた。誰もが彼の選択を待っていた。
去るか、殺し合いになるのか、緊張が場を支配していた。
「もういこうよ」
そんな一言が静寂を破る。すすり泣いていた女の子だった。
彼女は缶を手に取った後、私たちを見て言った。
「本当は殺し合いなんてしたくない。けれどそれ以上に怖いのよ。冬将軍のことも怖いけれどそれ以上に怖いのが、あなたを恐れて手を出さなかった人たちのタガが外れたとき、そのとき私みたいな臆病者が真っ先に狙われる。だから私たちは私たちで生きていくわ。ひっそりと隠れて生きる。地味でどうしようもない生き方かもしれないけれど、私たちはそれがいい」
さぁ、いこう。彼女が彼の手を引くと彼はぼろぼろと泣き出した。ごめんな、ごめんな。と、なんども声が聞こえて、これが彼の本当の姿なのだろうと思った。鉄パイプなんて似合わないし、殺すなんて言葉が吐くような子には到底みえなかった。
二人の姿が向こうへ消えていく。すると
「ごめんなさい」
アンナの声が聞こえる。
「悪い人じゃないの。ただ追い詰められてこうなっただけ。ごめんなさい」
アンナは疲れた声で言った。
「さあ、入ろう」
私は口を開いた。この空気をいい加減終わらせなければいけない。
「もう暗い。さあ、さあ」
急かすように言うとソニアは苛立ちながらも従ってくれた。アンナもラーダも疲れ切っていた。
教室に入ると暗闇は一層濃くなっていった。今夜は星もなく月もないようで運がないな、そう思った。
教室にはまだほかにも数人生徒が残っていた。事態の様子を見守っていたのか隅の方でほうきか何かを手にもっていてアンナやラーダの姿が見えると駆け寄っていった。
けれどアンナや私の姿が見えるとおびえたのか小声でよかった、とか怪我はない、とか言っていた。
私は全身がだるくて立っていられなかった。ばたりと音をたてるようにして腰かける。火傷を負った腕や目の周りがジュクジュクと痛んで軟膏と包帯を探したが、ソニアに持っていてもらったのを思い出す。
ソニア、そう声をかけようとした時だった。
ラーダが部屋の中央で火を点けた。どこかから持ち出してきた持ち運び用のコンロのようで、バチバチと音がした後、火が付き、教室をわずかに照らす。
ラーダとその他の生徒はその周辺に集まり、準備を始めた。持ち寄った保存食を使って料理を始めるようだった。ラーダはなれた手つきでフライパンやその他の調理道具を使って見せて、その他の生徒はそれをほめたたえていた。柔らかな空気が作られようやく肩の力が抜けた。
するとアンナがこちらへ来ているのが見えた。私の近くに腰かけた彼女の手には包帯や軟膏が握られており、どうやら治療をしてくれるようだった。
ソニアもカーテンの一つを外すとこちらに来て床にそれを敷くと私に言った。
「仰向けになって目閉じてろ。あと服は脱げよ。ああ、待て待て、上だけな」
私は言われた通りにした。近くで熱源を感じそちらを見ると何かのがれきにコンロで火を点けたものが壺に花のように生けられていた。
服を脱ぎ、灯りのもとで冷静になってみてみるとよく助かったなぁ、そう思う怪我だった。
爆発で焼けた右腕は細かい破片が刺さった跡が無数にあり、火傷の跡はウルサスの領土のように広大で歪だった。
顔がどうなっているかも確認したかったが鏡も何もないので諦め、言われた仰向けになり目を閉じる。
「腕を伸ばしてください」
腕を伸ばす。ふさがりかけてた傷跡が鈍い痛みを発しながら伸びていき、口元がゆがんだ。
「少し痛みますよ」
その言葉とともに治療は進められた。水を含ませたぼろきれで傷の汚れを取っていき、軟膏を塗る。ひどく痛んだが、それよりも全身のだるさが勝ち、感覚はどんどん鈍くなっていった。
時節、ソニアが雑だ、とアンナに怒られている声がしたがソニアは文句を言わず指示に従い的確に治療を行っていった。
しばらくたつと腕やわき腹などの治療が終わり、次は顔だと言われた。
顔の包帯を取ると思ったより怪我の程度が重いのかアンナやソニアが驚く顔が目に入った。事実片目があかないし、熱を持っているような感じだったからひどく腫れていたのだろう。もしかしたら膿んでもいたのかもしれない。
それでも彼女たちは治療を続けたが、目の周辺はデリケートなこともあり、治療は難航した。
そうやって困っていると料理を終えたラーダがもう一つの松明もどきを手に持ちこちらにやってきた。
「ラーダ、目の周りなんだけど」
アンナがそう言うとラーダは小さな木片に火を移し、それをもってしゃがむ。ラーダはじっくりと傷の様子をみる。
「火傷だね。まぶたや目の下のこれは破片の切り傷」そう言ってラーダは手で触る。「まだ膿んでないけどここは治りが遅いし縫わないとかも」
そういうとラーダはパタパタと教室の隅へ走っていき生徒の一人に何か聞いているようだった。
ラーダは裁縫箱を手にこちらへ来た。しばらく裁縫箱を漁り、必要なものだけを取り出していく。
最も細い裁縫針を数本、それに合う糸を探していたようだったがいいのが見つからないらしく何本も糸をほどいたり断面を確認したりと忙しそうだった。
結局、糸の代わりに髪を使うことにしたようでソニアやアンナの長い髪を何本かもらっていた。
針で熱した後、私は丸めた布を嚙まされる。私は覚悟を決めて目をつむるとラーダは声をかけてきた。
「ええと、今から傷を縫うんだけれど──」
「わかってる。腕とかはいいのか」
「腕は感染しやすいし、お兄さんが寝てる間にやっちゃったよ」
ラーダは何でもないかのようにそう言った。慣れているようで動きに迷いがなかった。さっき見たときに縫合の跡が目立たなかったのはラーダの腕とその時に適した糸を使い切ってしまったのだろう。
目を閉じて。ラーダの声を聞いて私は目を閉じると何度か痛みが走ったあと、間を置き、またいたみがはしる。それを何度か繰り返した後、肩を叩かれる。
「終わったよ」
ラーダの声が聞こえ目を開ける。松明の灯りが目に入り、ラーダやアンナ、ソニアの顔がよく見えた。一様に疲れ切っていた。
「すまない。ありがとうラーダ。ソニアにアンナも、本当にありがとう」
そういって私は起き上がる。ラーダに簡単な軽食を手渡され、松明を囲むようにして私たち四人は座った。すでに中央のコンロは消されて、灯りはただ一つだけだった。
食事は少なく粗末なものであったが味は悪くなく、ラーダの創意工夫を感じさせた。あたたかい食事がこんなにも心温めるとは知らなかった。
そうやって味わいながら食事を終えると見計らったようにアンナは言った。
「ごめんなさい。本当は私が抑えなければいけないのに」
「気にすんなよ、アンナ。お前のせいじゃない」
アンナはあまり表情を変えない。あまり感情表現が得意ではないのだろうか。
結局、そこから会話が弾むことはなかった。
先ほどのことが尾を引いているのかみんな口が重かったし、疲労がより口を重くしている。そんな感じがしたのだ。
そんな疲労に満ちた会話から分かったのはあの日から三日たち、そして四日目が終わろうとしているということだった。
つまり私は三日間意識を失い続けたのだった。その間彼女たちに助けられた。
ソニアはここに連れてきてくれたし、アンナはきっと追い出そうとするみんなをいさめてくれたのだろう。ラーダは傷の縫合も包帯も巻いてくれて心からいい子だと思った。
だから私はすんなりと言葉が出た。
「ありがとう。助けてくれて、本当にありがとう」
そういうとラーダは柔らかな笑みを浮かべた。松明に照らされた輝くような彼女の笑顔につられアンナやソニアも静かに笑った。
その日、私が夜の見張り番をしようとしたがソニアによってそれは阻止された。
『けが人は寝てろ』そう言い放つと前の方の扉に背を点けるようにして座った。後ろの方は机や椅子でふさがれており心配はなさそうだった。
ラーダはおやすみと言ってアンナとともに手をつないで寝た。私は寝かされていた場所と同じところで寝ることにした。足を窓の方にして寝転ぶと頭の方にソニアの気配を感じた。扉からそう離れていない危険な場所でもあったがソニアなら大丈夫だろう。
そんなことを想いながら私は眠った。何度か寝返りをうつと何かに手が当たって、見てみるとそれはリボンの彼女からもらった本だった。ここにあったのか。
私は本を前と同じように懐に入れると再び眠った。
懐がじんわりとあたたかくなっていき、それが心地よかった。