七
目が覚めると複数の声が聞こえた。全身に力が目も開けられない。何とか右腕を動かすとなにやらけたたましい音が鳴り響き、声の主たちが騒ぎ立てて──また眠りについた。
いつかのように私は覚醒と眠りを繰り返した。どこかもわからないところでよくこんなに眠れたものだと思うものだが今はとにかく眠くて、お腹が減った。けれどそれ以上に私は確かめたかったのだ。
ソニア、アンナ、ラーダ、ロザリン、ナターリア。
彼女たちはどうなっただろう。
生きてここを出られたことをただ祈った。声の主に問いかけようと力を入れても声は出なくて力が抜け、また眠ってしまう。ただひたすらに心配だった。
もう、夢は見なかった。
ルカにも会いたかったしヴァレリアにはあの本を無くしてしまったことを謝りたかった。ヴィカには制服をかけるしかできなかったし、ピョートルとはもっと話すべきだった。
そんな後悔ばかりが浮かんできて胸が苦しくなる。
しかし、夢は見ることはなく時間だけが経っていった。
ある日、ようやく視界がクリアになって天井を見ることができた。清潔な白が視界いっぱいにひろがる。そのせいか近くの照明がひどくまぶしく見えた。なにかで体が固定されているようで私は無理やりアーツで拘束を解いた。けたたましい音が鳴ってうるさいなぁ、と視線をそこにやると何やら爆発音がして壊れた。
意識も曖昧なまま、産まれたての小鹿のように恐る恐る足をつける。床はひんやりとしていて埃一つない。
ペタペタと間抜けな音を響かせながら壁を伝って扉へ向かう。
扉の開き方がわからず、押しても引いてもスライドしてみてもびくともしない。そうやって困っているとかすかな機械の動作音がして扉が開いた。
よく前を見ずにそのまま歩き出すとごつんとなにかにぶつかって
「ああ、ごめんなさい」と間抜けな声が出た。
「別にいい。気にしていない」
感情のない機械のような返答だった。
寝ぼけた目を凝らしてよく見ると私がぶつかったのはフェリーンの女性のようだった。
「ごめんなさい。お──僕、まだ目覚めたばっかりでここがどこかわかっていないんです」
「ああ知っている。ここの医療スタッフだからな」
それを聞いて彼女をよく見ると首から医療スタッフがよく身に着けているカードのようなものをかけていて失礼なことをしたと思い、いやな汗をかいた。
彼女は私を見つめ続けた。何か用かと思ったが一向に黙りこくったままでだんだんその沈黙に耐えきれなくなる。
そうやって焦ったり申し訳なくなったりして感情を右往左往していると、頭痛がして思わずしゃがみこんだ。鼻血がぽたぽたと垂れて床を汚す。それを袖で急いで拭き取ろうとしたがうまく力が伝わらずそのまま前のめりに倒れてしまった。
「おい」
私はフェリーンの彼女に抱きとめられる。コーヒーの香りがしてたまらなくお腹が減った。ぽたぽたと垂れていく鼻血がエスプレッソみたいに見えて、お腹が鳴った。ぐう、と間抜けな音がして正気に戻り失礼なことをした彼女に謝ろうとしたがそれが発せられることはなく、曖昧な脳内は全く別の言葉を紡ぎだした。
「やけにスケスケな服だなぁ」
そういうと首筋にチクリとした感覚を感じて抗いようのない眠りが訪れる。
「少し眠るといい。君は──寝ぼけている」
それを最後に意識は途絶えた。
数日後、再び私は目を覚ました。
最初にしたことは謝ることだった。
「ごめんなさい!」
その声はどうやら点滴の交換をしていた医療スタッフを驚かせたようで数秒の沈黙の後
「先生を呼んできますね」
やけに穏やかな声だった。
どうやら先日目覚めたときにぶつかったフェリーンの女性はケルシーといってここのまとめ役らしかった。
私は長く眠っていたし、それが鉱石病やアーツの酷使が原因だったこともありケルシー医師が担当していたようだった。
「君は感染の経緯や切迫した環境での極度に不足した栄養状態、そして無理なアーツの使用といったことも考慮し私とワルファリンによる定期検査を実施する。アーツの制御については回復後ドーベルマン含めた教官たちに習うといい」
ケルシー医師は私にそういうと私に首輪を手渡す。どうやらアーツの暴走を抑えるためのもので内側にはいくつかのセンサーと細い針がついており、鮮やかな緑色の薬液が入っていた。私はそれを点けると他の医療スタッフに連れられ個室へ案内される。
個室はベッドが一つ、簡単な机とオフィスチェアがあるのみのシンプルな作りだった。私はスタッフからこの艦内のカードキーとこの部屋を出入りできるように網膜を登録すると出ていった。
しばらくは経過観察とリハビリが続くようで、ケルシー医師からは何冊かのノートを渡された。
ケルシー医師曰く、そのときの感情や体験を書き出すことで不安の改善を図る認知行動療法とよばれるものらしく、セルフケアや記録も兼ねてぜひやってほしい、とのことだった。
最初は気が進まなかったが外出もまだ許可が下りていないし、いい暇つぶしだと思った。
それにペテルヘイムで起きたことを忘れることは悲しい。あの場で亡くなった人たちを忘れてしまうことはもっと悲しかった。だからかはわからないが自然と筆がはかどった。
日記のように書くのはどこか恥ずかしくて小説のように書くことにした。物語の登場人物のように感情やセリフを書いてもおかしくないし、俯瞰して物事が見れると思った。
そうやって私は今日もペンをとる。久々にゆったりとした時間が流れていった。
「ええ──わかりました。ドクターと合流してそこに向かいますね、ケルシー先生」
アーミヤは端末をスライドし通話を切ると椅子に腰かけた。クッション性の高い椅子は疲れた彼女の体を優しく受け止める。それで気が抜けてしまったのかふう、と息を吐いた。
しばらくそうしていると扉が叩かれ、服装を整える。どうぞ、というとおなじみの姿が部屋に入ってきた。
「ドクター、ちょうどよかったです。今、ケルシー先生から連絡がありまして」
寡黙なドクターは言葉を返すことはなかった。ただ手に持たれたファイルを開き、そこに記載された人物を指さした。
「そうです。アレクシスさんのことです。これを見てください」
アーミヤはそういうと端末を操作し、モニターに何かが映し出される。
アレクシス。チェルノボーグ事変でロドスが保護した少年のことだった。
モニターに映されるのは彼の体調を記録したものやレントゲン、最近行われた演習の映像など多岐にわたる。その中の一つをピックアップし、アーミヤは話し出す。
「彼はチェルノボーグから救出した難民の一人で、ズィマーさんたちウルサス学生自治団のメンバーです。ドクターも覚えがあるんではないでしょうか。ズィマーさんたちよりも一週間遅れて救出され、ロドスに来てからもしばらく眠り続けていた彼のことを」
アーミヤはそう言ってカルテを映す。そこにはいくつかのグラフといくつかのレントゲンが映されていた。
「ズィマーさんたちがオペレータとなって二か月がたちました。彼はケルシー先生の指示もあり隔離病棟へ収容されていました。理由は二つ、アーツの制御がまだまだ甘く意思に反して物を壊してしまったりとそういったことがあったからです。もう一つはこれです」
アーミヤは彼の脳をスキャンしたものを指さした。
額の右側、髪の生え際のあたりから角のように表出している源石がそこにあった。ただ、注目すべきはそこではない。彼の脳に根を張るように源石は生えている。それは時間の経過とともに広がっていくことを数枚のCT画像は示していた。
「源石融合率は約15パーセント、血液中源石密度は0.42u/Lと本来なら体表に結晶の分布や身体機能への影響がみられます。ですが彼は源石の角が生えるのみで身体機能への影響も特に見られません。しいて言うならばアーツ適正の向上など、そのくらいです。なので医療オペレーターの方々からも楽観視はできないが経過観察を怠らなければ十分コントロール可能、そう言った判断を下されました。ですが──」
アーミヤはファイルをドクターに手渡した。そう厚くはなく中を見るとノートのコピーであることが分かった。いまどき珍しい手書きの日記だった。
「これはケルシー先生が彼に施したセルフケア、いえテストのようなものです。彼にチェルノボーグ事変中にあったことを日記という形で記録してもらいあることを確かめました。ケルシー先生としては重篤な鉱石病患者であるのに関わらず病状が安定しすぎていることに疑問を抱いたようで、その予感は見事的中しました。彼の体験したことと、チェルノボーグ市内の警官からの証言にいくつかの齟齬がみられたんです」
ドクターはパラパラとページをめくっていく。日記は小説のような形式で書かれていて筆跡もしっかりとしたものであり特に問題はなさそうだった。だがアーミヤは心配そうな目をしたままだった。
そうして時間は過ぎていき、アーミヤとドクターはケルシーのもとへ向かった。
ケルシーが呼び出した部屋はこじんまりとした部屋だった。
簡単な机と人数分の椅子のみが置かれた部屋で、所せましとアーミヤとドクターは座る。
少しするとケルシーが部屋へ入ってきた。
「アーミヤ、急に呼び出してすまないな」
「いえ、必要なことですから」
簡単な挨拶をかわし、ケルシーは座った。ドクターには何ら声をかけなかったがふと向けられた鋭い視線が挨拶の代わりのようだった。
しばらくするとニアールに連れられてきたズィマーが入ってきた。ニアールに促され、ズィマーはしぶしぶ座った。いら立ちを隠すことなくズィマーは言った。
「で? なんだよこんなところに呼び出して。ぶらぶらしている暇はねえって言ったはずだが」
彼女の後方に待機する二アールが苛立つズィマーを諫める。ケルシーは気にせず話し始めた。
「彼──アレクシスは救助され隔離されていることは君も知っているはずだ。面会はまだ許可できないが君たちの意見も考慮し近いうちに面会できるようになるだろう」
「ああ。グムが早く会いたいってうるせぇからな。それで、なんか問題あるのか。長話は聞いてて疲れるんだが」
「すまない。だが今回呼び出した件、アレクシスの病状を把握するにはまず君が把握していることを今一度確認し、そのすり合わせを行うことで彼の重大性や危険性が明らかになるのではというのが私の見解だ。君自身が必要性を感じないのであればそれを止めることはしないが、彼をよく知る両親も亡くなっている以上、君に聞くしかない。今後、彼が困難に立ち向かうためにも協力が必用なことは理解してほしい。」
ズィマーはため息を吐いた後座りなおす。
「わかったよ。で、何話せばいいんだ?」
「君たちがペテルヘイム高校を脱出した後のことだ。レユニオンの気を彼が引き、その隙に君たちは脱出した。まもなく市街を天災が襲い君たちは被害の少ない地域に逃げ込み、数日間さまよった後、ロドスに保護される。間違いないな」
「ああ、間違いねえよ」
「市街に潜伏している期間中に彼と合流したか?」
「ああ? 会ってねぇよ。そもそもロドスが早くに保護したんじゃないのか?」
ズィマーは眉をひそめて言った。
「いいや、彼を保護したとされる人物から連絡を受けたがその座標にオペレーターを派遣してもそこに彼はいなかった。代わりにこれが残されていた」
ケルシーは丁寧に袋に入れられたそれを机に置く。それは彼が持っていた剣の柄だった。刀身は折れてしまっており、血や錆にまみれた柄だけが残されていた。
「彼は君たちが救出された約一週間後にチェルノボーグ市内でレユニオン幹部のアーツにより暴走した感染者と交戦しているところを保護された。チェルノボーグ市内の警官らの証言から少なくとも彼は君たちを逃がした後から我々に保護されるまで戦い続けていた」
その言葉にズィマーは勢いよく立ち上がる。二アールがとっさに止めようとしたがそれはかなわず机が強く叩かれた。
「おい、どういうことだよ。アタシはそんなこと聞いてねぇ。ただ鉱石病の治療が長引いているとしかアタシは聞いてない」
「そうだ。それは意図されたもので必要な措置だ」
ケルシーはそう言ってズィマーに端末を手渡した。端末にはリアルタイムで彼の部屋が映っており、映像の中の彼は机に向かってなにか書き物をしているようだった。
ズィマーは不快感を露わにしたがケルシーは気にも留めなかった。
「現在、彼は意識を取り戻し精神も安定している。うまくいけば近いうちに宿舎に移れるだろう。だが一つ問題がある。それは彼の攻撃性についてだ。君たちが市街をさまよった十数日間彼は戦い続けその後も保護されるまで戦いは終わらなかった。警官らや他の生存者の証言からもレユニオンや暴走した感染者をアーツで殺し続けていることが確認されており、警官らは声をかけたが反応はなく敵とみなしたレユニオンを目にするたびに戦いにいったそうだ。その姿から一部ではレユニオン狩りの悪鬼と、そう呼ばれていた」
ズィマーは力なく話を聞き続けた。かつてズィマーが知っている彼とはかけ離れた姿だったからだ。平民を、ズィマーたちを守り続けた戦士がこうなっていることにショックは隠しきれない。
端末にはきわめて落ち着いた彼の姿が映っている。だが、彼がどういったきっかけで悪鬼に戻るのかはわからない。秘められた暴力性にわずかにズィマーは困惑する。
「つまり彼はレユニオンの幹部──パトリオットとの戦闘後も戦い続けたということだ。君たちを逃がすために、レユニオンや暴走した感染者を無意識で殺し続けてな。
しかしロドスには多くのオペレーターが勤務している。種族も年齢も様々だが出身もまた多岐にわたる。その中にはもちろんレユニオンから離反した者もいる。そういった環境下で彼が悪鬼に戻らないという保証はできない。そして、彼の鉱石病は脳への強い影響が考えられる。彼は保護される寸前、オペレーターにより麻酔弾を打ち込まれたが効果はなく、ロドスのエリートオペレーターが直接出向き彼を気絶させたが、意識がないにも関わらず彼のアーツは彼の体を卵の殻のように覆い続け、一定範囲に立ち入った者を自動的に攻撃し続けた」
「はい、ですので私が直接呼びかけるにしました。」
アーミヤはケルシーの言葉に口をはさむ。
「私が直接彼の精神に呼びかけました『私たちは敵ではない、助けに来た』と。しばらくそうすると彼の殻は砕け、保護することができました」
アーミヤは手を胸に当て口を開く。
「ズィマーさん。アレクシスさんからそのとき感じたのは敵意ではありません。ただ守りたい。その願いだけをおぼろげな意識の中で感じ取りました。鉱石病も、その願いに共鳴するようにアーツを強化していました。ですのでズィマーさん、我々ロドスは彼の可能性にかけようと思います。いくつかの制約はありますが今のように鳥かごに閉じ込めるのではなく、解き放つことが治療につながるとそう判断し、アレクシスさんへオペレーターテストを勧めようと思います」
「アイツが、ロドスに……」
「はい。アレクシスさんの戦闘能力やアーツは大いに私たちの力になるものです。それに継続的な治療も必要です。ロドスはアレクシスさんにとって新しい家になれるのではないかとそう考えました」
アーミヤは一歩踏み出し、ズィマーを見る。力強い目がズィマーを見つめ、その光景を誰もが見守っていた。
「ですが、ロドスは家にはなれても親や友人になれるかはわかりません。彼の意識が少しでも私たちを敵と判断してしまえば再び彼は悪鬼となってしまいます。そこでズィマーさん。もしかしたら彼は変わってしまったのかもしれません。いつか彼の意識が薄れ、悪鬼へと変貌してしまうかもしれません。それでもアレクシスさんを支えていってくれませんか。ウルサス学生自治団のメンバーとともに」
ズィマーは静かに息を吐いた。彼女の頭の中で思い出されるのはおかしくなる前の彼のことだった。少し孤立しがちで、実はおしゃべりが好きなただの気のいいやつ。
だがペテルヘイムが封鎖されてからは彼は変わってしまった。表面上は変わっていないようにも見える。ズィマーたちを守るために貴族を殺したし、レユニオンとも戦ってみせた。守るためならと多くの境界を越えて、鬼となった。なってしまった。
ズィマーはごちゃごちゃとした思考に思わず頭を痛めたが、浮かんでくる言葉はたった一つでそれを迷わず口にした。
「ただ、あいつは守ろうとしただけだ。それで少しばかり壊れちまったからって見捨てるわけねぇだろ」
ズィマーはそう言って部屋を出ていく。二アールも誰もその歩みを止めることはなく、アーミヤはそんな彼女の背中を微笑みながら見送った。
「ケルシー先生」
アーミヤの問いかけにケルシーはわずかに眉を上げ口を開いた。
「なんだ、アーミヤ」
「あの部屋のロックと監視を外しましょう。あの首輪だけで十分だと思います」
「わかった。だがアーミヤよかったのか。君もまたアレクシスやズィマーたちを心配していたはずだが」
「ええ、よかったと思います」
アーミヤは笑顔のままきっぱりと言った。
「彼女たちが経験したことを私たちが完全に理解することはできません。そのせいで私たちと彼女たちの間に壁ができたとしてもそれは仕方のないことだと思います。けれどそんな彼女たちのために体を張って守ってくれた彼ならば、彼女たちの背を押すのではなくさすってくれるようなそんな関係を築けると思います。それが最善の治療薬になるのではないか、そう私は願っています」
ケルシーはそれに対して何も言わなかった。だがこの場にいる誰もがあることに気づいた。
そう語るアーミヤのことをケルシーは微笑みながら見ていることに。その面持ちは成長を見守る母親のようで、どこまでも優しい願いで満ちていた。