影山姉弟   作:鈴夢

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――2012年 8月初旬

宵闇迫る午後17時前――

 

 

 

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参道に並ぶ小さな石灯籠。今夜だけは火が灯っていた。

 

白熱灯をぶらさげた屋台から 威勢のいい呼び声が轟く。無邪気に笑う子供たちや友人達と楽しむ中高生の姿も多くあった。

 

屋台から漂うおいしそうなにおいは夏真っ盛りの今を知らせる。

 

 

 

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笛の音が晴れわたった空に鋭く響く。打ち鳴らされる太鼓の音。規則的に流れる旋律の音も聞こえて来る。

 

 

――"夏祭りのはじまりだ"

 

 

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「…………」

 

 

祭で賑わう今日。

会場手前に佇む大きな木の影に音羽の姿があった。

 

 

「……たぶん、まだ長引いてるかな。」

 

音羽はパタンと携帯電話を閉じ、屋台が立ち並ぶ神社方面に向かう人々の姿を静かに目で追っていた。

 

 

「((体調はバッチリ、問題なし!浴衣も久しぶりに着れたし……嬉しいな。))」

 

長い黒髪を綺麗にまとめ、シンプルなデザインの浴衣に身を包む音羽。当初は動きやすいいつもの私服で行こうと決めていたが"せっかく行くなら浴衣を着たらいいじゃないの?"という母の勧めで着用することにしたのだ。

 

しかし浴衣は歩きにくい。

普通なら着せないだろう。

 

だが今回は違う。

"ひとりじゃないのだ"

 

 

「((徹君がいるなら安心ね――なんて。お母さんは徹の事を兄弟みたいに思ってるのかな……))」

 

 

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――1週間前

 

 

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「……夏祭り?」

『うん、夏祭り。』

 

部屋のベッドに腰掛ける音羽。

携帯電話を耳元に当てたまま呟く。

相手は及川だった。

 

 

『…ほら、毎年あそこの神社で夏祭りやってるでしょ?今年は会場ももう一箇所借りて盆踊りの大会とかあるみたいだし。』

「それは知ってるよ?チラシも入ってたし…」

『俺と音ちゃんは春高予選の一次免除だし、才華も勉強時間の確保とかである程度休みもあるよね?』

「その通りなんだけど……何で夏祭りの事を私に」

 

"なんでわざわざ私に連絡してくるの?"と不思議そうに音羽は返す。その返答に及川は盛大なため息とともに不機嫌そうに言葉を返した。

 

『わざわざ連絡するのには理由があるに決まってるでしょー?』

「…………?」

『え?本当にわかんないの?』

「……あの、なんの事かさっぱり。」

 

"そういうこと"にはド天然にも程がある!

と及川は胸中で叫ぶと電話口で大きな声を放った。

 

『この及川さんが!音ちゃんを誘ってるんだけど!?』

「誘う?」

『そう!夏祭り!一緒に行こうって!!』

「…………」

『え、何この間……』

 

未だに及川の言葉の意味を理解しない音羽。

それには理由があった。

 

「でも徹。私じゃなくてもいっぱい行く相手いるでしょ?なんで私?」

『え……?ん?本気で言ってる?それ。』

「うん。」

『なんでそうなるのさ!!直々に誘ってるのに!?』

「いや、だから。いつもの取り巻きの子達とか。彼女とか……」

『彼女はいないし!!確かに及川さんはモテちゃうから!何人かに誘われたけど断ったの!』

 

必死な様子の及川に対し未だに"?"マークだらけの音羽。あまりにも疎い音羽の反応に額に筋を浮かばせる及川。

 

 

"自分は音羽からそういう目でみられていない"という事実にも苛立つし、何より何を言っても祭りに行こうとしない音羽の反応。ついに及川の堪忍袋の緒が切れる。

 

 

『来週!夕方の5時に神社の入口集合!!』

「ちょっ、」

『その日、部活早く終わる予定だから!絶対来てよね!!』

「待って、徹――」

 

刹那、無慈悲に切られる通話。

 

「…………えー……」

 

呆気にとられた様子で携帯画面を見下ろす音羽。すると次の瞬間、新着メールか届いたという通知音が鳴り響いた。

 

 

"もし来なかったら 及川さん怒るからね!(体調面でのキャンセルは受付可)"

 

 

 

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「――なんて電話もメールもしてきたくせに。」

 

"17時30分を過ぎても及川は現れなかった"

 

きっと練習か長引いてるのだろう。

何も連絡がないのはきっとそのせいだ。

 

 

 

 

「……"お待たせ!"」

 

男性の声に音羽はパッと視線を持ち上げる。

しかしその声の主は全く知らない人。

自分の近くに立っていた女性に向かって嬉しそうに駆け寄っていた。

 

 

「もー!遅い!」

「ごめんごめん。準備に手間取っちゃってさ?」

「連絡来ないから不安だったんだよ?……ねえ!てか浴衣どう?可愛いでしょ?」

「超似合ってる。可愛い!」

 

仲睦まじいカップル。

2人は手を取り合い会場へと姿を消した。

 

「((……なんか孤独……))」

 

次々と会場へ入っていく人々。

皆が誰かを待ち、現れては嬉しそうに笑顔を向け合う。

 

祭囃子の陽気な調子、いつもと違う夏祭り特有の空気。それはまるで魔法のようで、不思議と気分が高揚する。

 

及川は大切な友人だ。

お互いにバレーに打ち込み、高め合い、過去には取っ組み合いの喧嘩もしたことがあるような仲。

恋愛感情は無い。しかし何故か今の空気にのまれ始めているのか孤独感が浮かぶ。

 

 

「((帰ることも考えたけど せっかくここまで用意してくれたお母さんの気持ちを潰したくないな……))」

 

もう少し待ってみよう。

及川のことだ。きっと彼は這ってでも来るはず――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉さんひとりー?」

「一緒にお祭り行かない?」

 

突如、自分を囲むように前に現れるふたりの男。

明るい茶髪にイマドキ風の服装。自分よりいくつか年上だろう。

 

「((……既視感))」

 

以前もこんなことがあった気がする。

大事件に繋がりかねなかったあの時と全く同じだ。

 

しかし今回はこの人の数。誘拐されるということはまず無いだろう。だがこういうパターンは面倒なのは理解していた。

 

こういう時はキッパリと、静かに断るが吉。

 

 

「一緒に行く人がいるので大丈夫です。お構いなく。」

「もうずっと待ってるでしょ?」

 

「遅れてくるみたいなので大丈夫です。」

「じゃあさ!その人が来るまで俺らとまわろうよー?」

 

「あと少しで来るので。」

「ずーっと携帯とにらめっこしてたよね?本当にすぐ来るの?」

 

なかなか引き下がらない男2人。

 

「((……しつこい。))」

 

徐々に辺りは暗くなっていく。

人通りが多いとはいえ周りの皆は祭り会場に一直線。1人の少女が男2人に迫られている光景など誰も見ていないだろう。

 

 

「ほら!行こう!好きな物奢るし!」

「ちょっ、触らないでください。」

 

「君大学生?めちゃくちゃ美人!大人っぽい!」

「本当にやめてくださ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"そこまでだ。"」

 

脳天まで響く特徴的な低音。

 

「"お兄サンたち〜?嫌がってる子を2人がかりで取り囲むなんて扱い酷いネ〜?"」

 

ヘラヘラとした呑気な声と口調。

 

 

 

「若利君に天童君?」

 

音羽の腕を掴む男の手を容赦なく引く牛島。そしてその隣では男たちを弄ぶように顔を覗き込む天童の姿があった。

 

 

「うっ……わ。」

「デカっ……なんだよコイツら。」

 

音羽にナンパを仕掛けた男たちも170後半から180cm近くあるのは分かる。しかしそれを遥かに超える牛島と天童の身長と体格は圧巻だった。

 

 

「あ!あんな所に巡回中の警察官がいるよ〜?……スミマセーーン!この人たちが女の子を……」

 

「やっべ!」

「行くぞ!」

 

天童のわざとらしい台詞にまんまと引っかかる男たちはすぐに立ち去る。

 

 

 

「……嘘だけどネ〜」

 

立ち去っていく滑稽な2人組をニンマリと見据える天童。

 

「音羽。怪我はないか?」

 

冷静な様子で音羽を見下ろす牛島。

 

 

 

「2人ともありがとう……ていうかすごい偶然。」

 

私服姿を見上げる音羽。

いつもの白鳥沢のジャージでもなければ制服でもない。シンプルな白Tシャツに黒いロングパンツ姿の牛島。カラフルなイラストが描かれたTシャツにグレーのハーフスウェットパンツ姿の天童――彼らも春高バレーの1次予選免除組。白鳥沢も才華と同じく超進学校。ある程度お休みもあるのだろう。

 

 

「にしても音羽ちゃん 久しぶりだネ〜!!」

「本当!久しぶり!」

 

天童は音羽の両手を掴むなりブンブンと激しく上下させる。ひょうきんで明るい天童を前に自然と笑顔を見せた。

 

 

「若利君も久しぶりだね。」

「そうだな。」

 

牛島はあまり表情には出さないが微かに口角を持ち上げる。2人に最後に会ったのはインハイの決勝の時。

男子の試合の後に女子の決勝だった。

 

青葉城西に勝利した白鳥沢。

彼らは2階の応援席から新山女子と才華の決勝戦を観覧していたのだ。

 

新山女子に敗れた時。試合後にコートから応援席に向かって応援の感謝を述べる時。

腕を組んでこちらを見下ろす牛島とバッチリ目が合ったあの瞬間を未だに忘れられなかった。

 

ジリジリと私を睨み据えるような強い眼差し。真黒い眼の光りの強烈さ。"敗北者"を見下ろす彼の凄まじい気迫。それはまるで神様のような厳粛さを持っていた。

 

"未来の日本バレー界を先導する若きエース"

"東北の牛島と影山"

 

――かつては彼と肩を並べ、共に高めあった。

 

しかし今はどうだ?

力が足りない――見下ろされる側に堕ちた自分。

 

 

「……音羽?」

「あ、……ごめん、ぼーっとして……」

 

今は違う。優しい眼差し。

こちらをのぞき込む牛島に笑顔を向け 軽く咳払いした。

 

 

「それより2人ともなんでここに?寮から離れてるし。」

 

「ウチの学校もそこまで鬼じゃないってコト。地域行事の参加くらい許されてるよ?」

「門限はいつも通りだが。時間とルールを守れば問題ない。」

「若利くん、休みの日も筋トレやらランニングやらでさ〜。たまには外に連れ出そうと思って引っ張り出してきたんだよネ〜。」

 

受験勉強にバレーの練習に――目まぐるしく毎日が過ぎ去っていくが"私たちは青春真っ只中の高校生"。

少しくらい、たまにはこんな時間もあっていいよね?と音羽は胸中で呟く。

 

 

 

「そんな音羽ちゃんのところは?今日練習休み?」

「うん。そうなの。」

 

「確か才華は地域のボランティア活動だったはずだ。」

「そうそう。だから練習はお休みなの。……ていうかよく知ってるね?」

「才華は慈善活動も盛んだ。凡そ把握してる。」

 

「「さすがです(ネ)」」

 

自信満々、意気揚々と語る牛島を前に音羽と天童は口を揃えて呟く。

 

 

「音羽ちゃん、浴衣イイネ!」

「ありがとう。お母さんが着せつけてくれたんだ。」

 

浴衣の模様を指さしながら"カワイイ〜似合ってる〜"なんて嬉しそうに笑いながら音羽のまわりをくるくるとまわってみせる天童。

一周したところで何か引っ掛かりがあるような様子で目を丸くすると目の前でピタリと止まった。

 

 

「…………ひとり?」

「うん。"今は"そう。」

「"今は"?」

 

顔をわざとらしく覗き込む天童。人の心を突くような天童の瞳は時たまビクッと反応してしまう。

……あまりこのふたりの前では名前を出したくないが……言わないのもおかしな話だ。

 

「実は徹を待ってるの。」

「トオルって……まさか"及川徹"のコト?」

「うん。そうだよ。」

 

予想外の人物の名前にキョトンとする天童。隣の牛島は特に表情には出さずじっと音羽を見つめるのみ。

 

「5時にここで待ち合わせの約束してたんだけど練習が長引いてるみたいで。」

 

「へ〜〜!インハイでボッコボコにしちゃったから休む間もなく練習してるんだネ〜青城。」

「…………」

「そっかー。音羽ちゃんは及川くんとね〜……」

「…………」

 

わざとらしく天童はチラチラと牛島を見る。変わらず無言を貫く牛島。するとコソッと彼の耳元で天童は耳打ちする。

 

「若利くん若利くん」

「何だ」

「音羽ちゃん、1人にするのは危なくない?」

「…………」

「せっかくだからさ、夏祭り堪能しようよ〜。」

 

牛島は考えていた。

堅苦しい事をぐるぐると。

 

天童はそんな牛島に有無を言わせる暇を与えず 音羽の手を掴むとニンマリとなにか企んでいるような様子で声をかける。

 

「及川くんから連絡がくるまでさ、一緒にまわろうよ。」

「え?」

「ほらほら〜。さっきみたいに変な人に絡まれたら大変でしょー?」

「でも若利君と天童君の貴重な時間……」

「ごちゃごちゃ言わないのー。ほら、行くヨ〜。」

 

グイッと音羽の手を引く天童。少し混乱しながらも音羽は彼について行く。

 

「……っ、若利くんっ」

 

音羽の手が牛島の腕を掴む。

傍から見れば不思議な光景だろう。

 

「…………」

 

 

牛島はじっとふたりの背を見つめる。

表情は固いままだが満更でもない様子だった。

 

 

 

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「音羽ちゃん。迷子にならないように気をつけてネ?」

「迷子には100パーセントならないと思うよ。なったとしても2人とも大きいから人混みでも頭1個抜けてるし……ッ……わ」

 

人でごったがえす会場。

音羽はすれ違う人の肩にぶつかるとよろけてしまった。

 

「ッ……」

「大丈夫か?」

 

咄嗟に牛島が音羽を支える。

その様子を見た天童は更ににんまりと嬉しそうに口元を緩ませると2人の壁になるように前を歩き始めた。

 

「若利くんは音羽ちゃんの手なり腕なりしっかり支えてあげてネ〜?俺は壁になるからさ?」

 

先導するように歩く天童。その後ろを音羽と牛島が並び歩く。

 

「……多いな。」

「今回は過去最多の花火の打ち上げみたいだし………ッ、ごめんなさいっ」

 

ぎゅうぎゅうと人の波にさらわれそうになる音羽。"手なり腕なり"と天童は言ったがそれでも危険そうだ。ましてや音羽は脚が不自由。しっかりと支えてやらなければ――

 

 

「ッ……わ!」

「危険だから離れるな。」

「…………」

 

右隣を歩く牛島。彼の丈夫でガッチリとした腕が音羽の左肩を引き寄せる。手や腕を掴まれるより安定感はあるものの密着度は一気に増す。

 

「((……若利君。また身長伸びた気がする……))」

 

立派な体格、高身長。

バレーのために鍛えられた肉体美。

普通の女子ならば肩を抱き寄せられたような体勢に"ドキドキ"というような感情を抱くと思うが音羽は違う。

ゴクリと息を飲み"キラキラ"と目を輝かせる。

 

「若利君…筋トレ今何してるの?」

「ん?」

「ご飯のメニューとか。でも若利君は寮住まいだからご飯は決まってるよね……じゃあ制限とか?間食とかは何を食べてるの?」

「食事は特にこれといって大きく制限はしてない。寮の食事内容で十分だからな。あと間食のプロテインの種類を2ヶ月前ほどに変えた。あと筋トレについては――」

 

この状況下でも体づくりについて熱心に語り合うふたり。その光景に天童はガックリと肩をわざとらしく落とす。

 

「((……天然と天然……))」

 

恋愛やドキドキと無縁なふたり。

 

「((でも……心做しか楽しそうだネ。若利くん。))」

 

熱心に質問する友人に熱心に返す牛島。相変わらず感情は見えないが"いつもより楽しそう"なのは分かる。

 

 

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暫く歩き続け 広場へとたどり着く3人。

花火が打ち上がるまではまだ時間はあったが人混みに酔ってしまった音羽は近くのベンチに腰掛ける。

 

「まだ連絡は無いのか?」

「……うん。そうだね。」

 

和柄の巾着から携帯電話を取り出す。

新着メールを確認するも相変わらず及川からの連絡は無い。着信も同様に。

 

 

「……あ!かき氷買ってくるから2人はここで待っててくれる?ついでにふたりの分も買ってくるしー。」

「え!そんな悪いよ!一緒に…」

「いいのいいのー!音羽ちゃんは若利くんのそばからはなれないでネ〜」

 

"隣に座ってなヨ"と牛島の背を押す天童。牛島は小さく頷くと音羽の隣へと腰掛け 薄闇に染まっていく空を見上げる。

 

音羽はそっと携帯電話を閉じ 巾着へと戻す。すると同じく空を見上げ口を開いた。

 

 

「……この前、ユースの強化合宿だったんでしょ?」

「ああ。」

「この時期は新しい子も入ってくるよね。"楽しいメンバーが揃ったって"」

「……宮か。」

「正解。」

 

音羽はふと合宿について思い出す。こまめに連絡を入れてくれる侑がいつも合宿が始まる度に事細かに様々な情報を教えてくれていた。

 

新しいメンバー、今回合宿で呼ばれなかったメンバー。好調不調。監督の様子――

 

 

 

「……私もまた戻りたい。」

「…………」

 

溢れる本音。

 

「女子チームのみんなにも会いたい。」

「…………」

「あの場所で……あの空気の中で――」

 

"また皆と高め合いたい"

 

 

真っ直ぐと空を見上げる音羽。その瞳はきらきらと光を放つ。

そして牛島は視線を空から彼女へと移動させた。

 

 

「男子チームもみんなお前の事を心配していた。」

「…………」

「佐久早に古森、星海に宮――」

 

音羽は膝に乗せていた両手を無意識に握りしめる。浴衣の裾がギュッと皺を寄せ、まるで音羽の心情のようだった。

 

「音羽。お前ならまた戻れる。」

「……インハイで負けちゃったよ?」

「春高予選。勝ち進めばいい話だ。」

「…………」

 

音羽の視線が牛島へと向く。

 

「雲雀田監督は絶対にお前を待ってる。……俺には分かる。」

「……若利君。」

 

勇気づけるような力強い声だった。

眼差しは柔い光を帯び、慈しむような優しさを感じる。

 

 

「……うん。そうだね。」

「ああ。」

「絶対に春高に行く。羽を失った女神だなんて言わせない。」

 

強い気持ちは伝染する。

 

「俺も絶対に行く。」

「うん。」

「お前がセンターコートで飛ぶ姿をこの目で見る。」

 

誰よりも美しく、高みを目指す彼女へ。

牛島もそれを強く願う。

 

「…………」

「……なんかじっと見られると怖いんですけど……」

 

じっと音羽を射止めるかのように牛島の視線が動かない。

 

「……もしもーし?若利君?」

「……」

 

牛島の顔の前で手を振るうも瞬きさえしない。音羽は小首を傾げ彼を見上げた。

 

 

"コート上の女神様"

 

――その異名通り美しい子だと改めて思った。

白く透き通った肌。山百合の花のようにやさしく、香り高い雰囲気を持っている。朗らかな笑顔。時には強く威厳ある風格をも放つ。反面、時には子供のようにはしゃぎ、天真爛漫な空気を放つ。

 

 

 

 

 

「"似合っている。"」

「え?」

「浴衣。」

 

彼は不意に呟く。

 

「紺色地に蝶と水仙。その浴衣を選んだのは誰なんだ?」

「お父さんと飛雄が一緒に選んでくれたの。」

「……そうか。」

 

どちらかというと目を引くような派手な柄にも見えるが落ち着いた色合いとカラシ色の帯の組み合わせが品よく見せる。白い肌と綺麗にまとめられた黒髪がより一層映えて見えた。

 

「蝶は"復活や飛躍"を意味する。水仙は"知性美"。」

「さすか若利君。博学だね。」

 

"さっすが〜"と呑気に音羽は呟いてみた。

ツンっと彼の肩を指で突くと珍しく牛島が"笑う"。

 

「よく似合っている。音羽にピッタリだ。」

 

満面の笑みでは無いし、歯をむき出しにするような笑みでもない。優しい微笑み。人をほっとさせるような不思議な微笑み――

 

 

「「…………」」

 

 

規則正しく鳴り響く祭囃子の音が遠のいていくような感覚だった。ふたりの間に周りとは違う次元が生まれたような、自分たちだけがスローモーションになったような奇妙な空気。

 

 

 

 

 

 

 

刹那、その空気は電子音によって色を変えた。

 

 

 

「あ、……ッ……電話?」

 

 

音羽は慌てて携帯電話を取り出すと反射的にすぐに応答ボタンを親指で押し込む。

 

 

「…徹?」

『音ちゃん!今どの辺!?』

 

相手は及川だった。

明らかに慌てふためき動揺しているような様子。

 

 

「えっと……花火大会観覧場所の広場だよ?目印は……ベビーカステラ焼きの屋台の近くかな?」

『オッケー!すぐ向かうね!!遅くなってゴメンね!!』

「ううん。大丈夫。気をつ……」

 

"気をつけて"と言い放とうとした瞬間。

雑音が耳元で響くと何やら揉めるような声が聞こえる。

 

『ちょっ!岩ちゃん!携帯返しなよ!?』

 

『音羽 待たせて悪かったな。屋台飯食いすぎんなよー?』

『俺も見たかったな。音羽ちゃんの浴衣姿。』

『写メ送ってね?及川とのツーショとかはやめろよ?』

 

岩泉、松川、花巻。

いつものメンツのふざけたやり取りに音羽はクスッと笑みをこぼす?

 

『ちょっ!返してよね!!――音ちゃん!あと少しで着くからね!そこから動かないで!!』

 

奪い返したであろう携帯電話。直後に通話が途切れると音羽は携帯電話を耳元から離し、画面を静かに見つめた。

 

「……及川か?」

「うん。もうすぐ着くって。」

 

青葉城西から会場までそう遠くは無い。しかも及川のことだ、きっととんでもないスピードでこちらに向かって駆け抜けているのが容易に想像出来る。

 

 

そして続いて、今度はかき氷を手にした天童が戻ってきた。

 

 

 

「2人ともお待たせー。若利くんは無難にイチゴ。音羽ちゃんはレモンにしといたよ?」

「……」

「ありがとう、天童君。」

 

ニンマリと笑う天童。

しかし察しの良い彼は何となく空気を感じ取る。

 

「天童 俺たちも行こう。」

「えっ?」

 

ベンチから立ち上がる牛島。

音羽はそれを目で追うと牛島の服の裾を掴む。

 

「せっかくなら一緒にまわろうよ!徹も……」

 

"そういうこと"に天然な音羽は"一緒にまわろう"だなんて口にした。しかしそれは牛島にとってはあまり良い事では無い。きっとそれは及川も同じだろう。

 

牛島は音羽へと振り向くと優しく手を掴みそっと服から外す。

 

「いいや。大丈夫だ。」

「エ?若利く…」

「天童。行くぞ。」

「ちょっ、もー!若利くん!」

 

 

スタスタとさっさと踵を返す牛島に不満そうに声を上げる天童。天童は手に持っていたかき氷を手渡し"じゃーね!音羽ちゃん!"と手を振るい同じく後を着いていく。

 

"待って!かき氷代…!…"と追いかけようとするも2人はあっという間に人混みの中へ消えていく。

 

「…………」

 

音羽はじっと、姿が見えなくなるまで彼らを見据えたのだった。

 

┈┈┈

 

 

「ね〜え。若利くん。」

「なんだ」

「せっかく音羽ちゃんと会えたのに。」

「…………」

「ネーネー。若利くん??」

「…………」

 

祭りで賑わう道をかき分けながら歩く2人。牛島の後ろを歩く天童は彼の表情は見えない。だが何となくわかる気がした。

 

「((……ホンットに。素直じゃないネ。))」

 

天童はイチゴ味のかき氷を口に放る。

甘い味がじんわりと口内に広がる。

冷たくて、甘い。――恋愛だの恋だの あまり分からないが……

 

「"甘酸っぱい"とは程遠いネ。」

「……なんの事だ?」

「なんでもないよ〜。」

 

彼にとって恋愛はどんなことよりも難しいらしい。

 

 

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「――はぁ、はぁ……ッ」

 

人ごみを掻き分け 駆け抜ける青年。

 

「((……多分この辺――))」

 

 

花火を見ようと集まる人々。

なんせ彼は身長が高い。人を探すのはうってつけの場面。

 

 

「……ッ!音ちゃん!!!」

「徹!」

 

ベンチから立ち上がる音羽。

そしてすぐ側に駆け寄る及川。

 

練習後に直ぐに走ってきたのがわかる。

青葉城西の特徴ある白地のジャージ姿、スポーツバッグ。そして額から滲み出る汗。

自分の身なりよりも音羽に会うことを優先させてきたのが明白だった。

 

「ごめんね!練習長引いて…」

「ううん!大丈夫だよ。ていうかすごい汗。……ほら、冷える前に拭いて?ハンカチ。」

 

巾着からタオル地のハンカチを取り出し及川に手渡す。帯に挟んでいた扇子で風を送ってやると及川は嬉しそうに微笑んだ。

 

「ほんっとにごめんね!」

「全然大丈夫だよ。」

「変なやつに絡まれたりしてない?そんな可愛い格好してたら危なかったよね。ごめんね。」

 

 

「え、あ……そう!さっきまで――」

 

音羽は"彼ら"の名前を出そうとしたが口を噤む。

そして及川はベンチの端に置かれていたかき氷のカップに視線を落とす。

 

「……音ちゃん?」

「…………」

 

なんとなく及川は察した。

しかし何も言うことは無かった。

 

 

 

 

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「本当に座ってなくて大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ。せっかく会場に来たなら徹も楽しまないとね?」

「及川さんはいーの!ていうか音ちゃんとこうやって歩けるだけで楽しいし。」

「あ!ほら!やきそばもあるよ!たこ焼きも!」

「ちょっと聞いてる!?今サラッといい事言ったんだけど!?」

 

会場を歩く2人。並ぶ屋台を指さしては2人で選び、次々と荷物が増えていく。及川にとって幸せな重みだった。

 

「…………」

「徹、わたあめもいい?」

「うん。並ぼうか?」

 

隣を歩いているのに手を繋ぐことはできない。何度か音羽の手に触れようと及川のもどかしい手が動くも掴まれないまま引き返す。

時たま腕を掴むことや腰に手を回して支える瞬間はあるも"繋ぎたい手は握れないまま"。

 

 

わたあめの列に並んだ時。及川は彼女に問いかける。

 

「ねえ、音ちゃん。」

「なに?」

「これってデート?」

「デートではないね?」

 

あっさり玉砕。

やっぱり自分はそういう目では見られていないのだ。

 

「……及川さん。悲しいよ。」

「ん?何?」

「なんでもないですーーー!!」

「何よ急に。不貞腐れるのやめてよね?」

「不貞腐れてませーーん!!」

「口尖らせてる!そういう時、いっつも不貞腐れるでしょ。」

「ふん!」

 

"もーー!"と音羽は声を上げ、彼の肩をコツンと叩く。及川にとって子供のようにふざけ合うこの瞬間が何よりも大好きだった。彼女を困らせるのも大好きだった。子供っぽいといつも言われるが及川は"あえて"そのように振る舞う。

 

この時間がずっと流れればいいのにと。続けばいいのにといつも願っていた。

 

 

 

「ほら音ちゃん あと少しで順番来るよ。何色にするか決めた?」

「何色にしようかな〜。」

「レモン風味もあるみたいだよ、音ちゃん好物の。」

「さっきかき氷もレモンにしちゃったから……今度はイチゴ……」

 

 

屋台のメニューを2人で指さしながら見ていたその時。自分達のそばで微かに黄色い声が飛び交う。

その声は及川へと向けられている事は直ぐにわかった。

 

 

 

 

「うっそ!及川君!」

「ほんとだ!おいかわー!」

「来てたんだ!!」

「…………」

 

浴衣姿の可愛い女の子4人組。

バッチリとメイクを施し、まさにクラスの"一軍女子"というのが当てはまるだろう。

嬉しそうにはしゃぐ3人。

 

そしてその輪の中で1人落ち着いた様子でじっと及川を見つめる女の子がいた。

小柄で華奢。栗色の後れ毛をフワフワと垂らし、空気が含まれたようなお団子頭。可愛らしい桜柄を写した桃色の浴衣。まん丸とタレ目がちのぱっちりとした瞳。

"音羽とは全くもって正反対の女の子"だった。

 

 

「みんなも来てたんだ。浴衣似合ってるね?」

 

及川は慣れ親しんだ様子で手を振るう。彼のクラスメイトだろう。

 

「おっきいからすぐ分かったよ!」

「練習帰り?珍しいね?」

「岩泉君たちも来てるの?」

「……」

 

音羽は何となく隠れるように及川の影に隠れる。

 

「ねえ及川。よかったウチらと……」

 

しかし彼女達の視線からは免れなかった。4人組の中でも一際明るく元気な女の子が音羽の姿を捉えた時、他の3人も妙な空気を纏う。

 

そして及川を静かに見つめていた可愛らしい女の子は微かに眉を顰め、怪しむように音羽を見据える。

 

 

「あー…及川。その子は?」

「友達?青城の子……じゃないね?」

 

見つかってしまったなら仕方がない。

音羽は人の良い笑顔を向けると4人に向けて浅くお辞儀をした。

 

「こんばんは。」

 

飾り気のない音羽の姿。しかし誰もが"綺麗"だと思うだろう。シンプルで鮮やか。身長も高い。及川と並ぶと更に映える。

 

艶やかな佇まいに4人は息を飲んだ。

 

 

「…うっわー……美人さんだね?」

「ふ、…雰囲気似てるし?もしかして親戚!?とか!?」

「はじめまして!……ウチらは及川と同じクラスの――」

 

それぞれが名前を名乗る。しかしぎこちない。

明らかな動揺を感じる。

 

察しのいい音羽は直ぐにその場を読み取る。

 

 

「((あのピンクの浴衣の女の子……絶対"そうだ"))」

 

こちらを警戒するようにじっと睨むように見つめてくる少女。

 

 

「(("元カノ"))」

 

 

相も変わらず及川のタイプは全く分からない。だがかわいい女の子は好きだろう。男だもの。

 

「((一君が言ってた特徴と一致。なんでこんな時にばったり会っちゃうかな……))」

 

ふと脳裏に過去の記憶を浮かび上がらせる。

 

2ヶ月ほど前のこと。たまたま駅前で岩泉に遭遇した時に互いの近況を軽く話していたのだが。

 

 

┈┈┈┈

 

 

"そーいえば、この時期に及川の野郎 彼女作ってさ"

"学年一可愛い子なんだけど。"

"身長も150ちょっとくらいでよ。小動物みてえにちいせえの。"

"休憩も昼休みも毎日べったりで"

"一緒に帰るの忘れて次の日にガチギレされててマジで笑ったべー?"

 

 

そしてその3週間ほど後に――

 

 

"あいつ、一昨日別れたって話。"

"珍しく及川が振ったんだよ。"

"理由は分からん。聞いても教えてくれねーの。"

 

 

┈┈┈

 

 

「((……絶対この子だ。))」

 

最悪だ。

多分この子は今私に殺意を抱いているに違いない。

 

周りの友達も何となく察しているだろうがこの子のために何となく話を逸らしている。"親戚?"だなんて一切思ってないだろう。

 

「((どんな別れ方をしたのか分からないけど……勘違いだけは勘弁してください……。))」

 

夏祭り

距離の近い男女

2人っきり

 

「((――悪い条件が揃いすぎてる。))」

 

音羽は表情には出さないものの 脳内では頭を抱えていた。

 

 

 

「……"ねえ、徹"」

 

そんな時、ついにあの子が口を開いた。

艶やかな濡れた唇が、彼の名前を呼ぶ。

 

「ん?なーに?"ミユちゃん"」

 

彼女の名前はミユというらしい。

可愛らしいふわっとした名前。及川の優しい声がその名を呼ぶとほんの一瞬 彼女は苦しそうに表情を緩めた。

 

 

「その子、誰なの?」

 

小柄な彼女の小さな手指。その人差し指が音羽を指す。

 

"ヤバい空気"だと悟る友人3人。それは音羽も同じだった。

何となく及川の空気が冷えていく気がしたのだ。こんな所で争いはゴメンだ。ここはやんわり自分が自己紹介をして誤魔化して落ち着かせよう。

 

 

「あのー……私と"及川君"はただの友人で」

「"俺の大切な子だよ"」

 

空気を読んだ発言をした音羽を他所に 及川はナイフで空気を割くようにハッキリと答える。

 

その瞬間、彼女はグッと息を飲む。

立ち入られない音羽と及川の空気感に圧されている気分だった。

 

 

「ほっほら!ミユ、行こ?」

「……」

「ね、ねーえ!花火の打ち上げもあるし?」

「……」

「及川君ごめんね?お邪魔しました……」

 

友人たちはその場を収めるように彼女を宥め 立ち去ろうと踵を返す。しかし彼女は動かない。

 

「あなた、カゲヤマオトハさんですよね?」

「……え?」

「徹の幼なじみなんでしょ?」

 

矛先は音羽へと向く。

隣に立つ及川がピクリと反応を見せた。

 

「事故で左脚がないんですよね?」

「……えーっと」

「左目も後遺症で見ずらいんでしょ?」

「…はい。そうですけど……」

 

畳み掛けるように音羽に詰寄る。

ミユという彼女とは完全に初対面だが自分のことを調べ尽くしているらしい。及川や岩泉からの情報もあるかもしれない。だが常識的に事故のことや病のことは本人の前で言うようなことでは無い。

 

彼女から感じる嫉妬心。意地悪な心が垣間見えた。

 

刹那、可愛らしかった彼女の顔が歪む。馬鹿にしたような、脅迫するような――眉を顰め、嘲笑う。

 

 

「いいですよね。そのおかげで色んな人が優しいでしょ?悲劇のヒロインってやつですよね。」

「ミユちゃん」

「私知ってるんですよ。徹が引っ付いてたのも、あなたに気を遣わせてたのも。」

「ミユ」

「徹も……本当はあなたと付き合うのだって面倒だって思ってるよ?」

 

 

意地悪な言葉の数々。

事実と虚言が入り交じった内容。

しかし音羽にとってそれは何も意味を持たない。面倒だの気を遣わせているだの……例え本当に彼女が言ったことが事実であったとしても及川に何も感情を抱かないし、仕方がないと思える。

 

そんなこと、他者から言われずとも音羽本人が1番理解しているに決まってる。

 

 

「……っ!」

「徹」

 

及川が怒りに震え 1歩踏み出そうとした時、それを音羽の声が止める。

 

「ミユ!やめなって!」

「か、…及川!影山さん!ごめんなさい!」

「失礼しました!」

 

慌てて彼女を引っ張り 立ち去る4人組。

わたあめの屋台の列に並んでいた客たちも小さな騒ぎにヒソヒソと声を漏らす。

 

 

 

「徹。」

「音ちゃん。」

「りんご飴食べたいな。」

「…………」

「ほら。行こう?」

 

音羽の手が及川の腕に伸びる。

わたあめの屋台の列から抜け、真っ直ぐと歩く。

 

音羽は平然と笑っていた。

 

 

「あの子たちを責めないでね。」

「…………」

「嫉妬だよ嫉妬!かっこいい及川徹君を私が独り占めしてるんだもん。仕方ないよね。」

 

 

"悲劇のヒロイン。そのおかげでみんなが優しいでしょ?"

 

あんなことを言われたのは初めてだった。言われた瞬間は何も思わなかったのに、あの台詞が何度も脳内でこだまする。

 

 

「…………ッ……」

 

及川はそんな彼女の背中を静かに追いかけた。

 

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

――約1か月半前のこと

 

 

┈┈┈┈┈

 

 

朝練を終えた後。

俺は岩ちゃん達より先にロッカールームを飛び出す。

 

"彼女"と少しでも時間を取る為。

授業が始まる前までその時間を取ると決めていた。

 

学年一のかわいい女の子。

俺よりも30センチ以上身長差がある小動物のような可愛らしい子。明るくて元気、所謂一軍女子。

 

その子から告白され付き合いを始めた。

 

今の自分にとって恋愛だのカレカノだの、正直"大した問題"ではなかった。今はバレーが第一。でもせっかく告白してくれた彼女。何となくそれを蔑ろにする気分でもなかった。

 

 

「おはよ、ミユちゃん」

「……うん。おはよ。」

 

いつも彼女に会うのは決まって中庭。

そしてその時の一発目の朝のテンションで何となく彼女の様子がわかる。

 

"あ。多分なんか機嫌悪いかも"――

 

 

 

「徹。」

「ん?」

「昨日、何してたの?」

 

詰め寄るように彼女は及川を見上げる。

及川ら顎に手を添えて考え込むような仕草を見せ、昨日の放課後の出来事をおもいだす。

 

「何ってテスト勉強。」

「どこで?」

「図書館。」

「…なんで誘ってくれなかったの?先週…その日空いてたら一緒に勉強しようって言ったのに。」

「ゴメンゴメン。インハイの後の日だったし、1人になりたかったんだ。」

 

昨日は月曜日。インハイ予選で白鳥沢に敗北した後の初めての月曜日のオフの日。

……ああ、そうだ。

昨日は音ちゃんとたまたま図書館で会って……一緒に勉強して、お茶して帰ったんだ。

 

 

「……"昨日見たよ"」

「んー?何を?」

「"あの子"と図書館で一緒にいたよね。」

「"あの子"?……ああ、音ちゃんの事かな?」

「…………」

「うん、そうだよ?ていうかなんで音ちゃんのこと知ってるの?写真とか見せたことないよね?」

「徹に中学からの女友達がいることは知ってたよ。写真は花巻君と松川君が見せてくれた。」

「あー……ね」

「才華の子でバレーも上手なんだよね。日本代表の卵だったとか。」

「すごいね?調べたんだ。」

 

人の善い笑顔は変わらない。

全くもって動揺を見せることもない及川の姿にミユは更に怒りを滲ませた。

 

昨日自分の目で見た光景が嫌な程に蘇る。

 

「歩く時とか……王子様みたいにエスコートしちゃってさ?」

「音ちゃんの事、調べてるならわかってると思うけど片脚がないんだよ。支えてあげて当然でしょ。」

「私だって……この前、授業で左足擦りむいた時。」

「抱えてあげたでしょ?」

「違う!そういうのじゃなくて…!」

「じゃあ何?」

 

及川の声色が若干暗くなるのがわかる。

微かな変化にミユは肩を揺らす。

 

「手の感じとか……なんか違うもん」

「ん?」

「あの子を見てる目も……違う。」

「……んー」

「なんで?彼女は私でしょ?」

「うん。そうだよ?」

「っ」

「今、俺がお付き合いしてるのは君だよ?ミユちゃん。」

 

冷めきった意地悪な光を映すように及川は笑う。

それが余計に怖かった。

 

及川とは間違いなくカレカノという関係性だ。朝練の後の会話、月曜日のオフの日にタイミングが合えばカフェにも行った。手も繋いだ、キスもした、セックスもした。

 

"だが……あの子に敵わない部分がある"

 

自分の方が優先されるべきなのに、なぜ?

 

 

 

「……あーあ……ばっかみたい。」

「……」

「私が彼女なのに。……モヤモヤしてばっかり。」

「意味わかんないんだけど?俺はミユちゃんの彼氏だし?」

 

"やることもやっている仲でしょ?"なんて言いたげな笑顔と反応。

でもきっと"あの子"にはそんなことすらしてないんでしょう?

 

及川の1番になりたい――

 

 

 

「徹」

 

ミユは及川に1歩近づく。

 

「"私も脚切ったら優しくしてくれる?"」

 

彼女なりの甘えだった。

軽く考えて口走った台詞。

 

しかしそれが全ての仇となる。

 

 

 

"彼の顔が――見たことのない恐ろしい顔に変化する"

 

 

「……冗談でも言わないでくれる?」

「え?何……もしかして怒ってる?」

 

及川の中に隠れていた凶暴なものが表に出て来る。ピシピシと額に青筋が浮き立つ音が聞こえてきそうだ。

 

「うん!すごくね!」

 

凶暴な嗤い。

溌剌とした声のトーンなのに怒りが含まているのがハッキリと分かる。

 

ミユの体の血の気が一気に引く。

その場に転げそうな程に脚が震えてしまう。

 

 

「音ちゃんがどんな苦しい思いをしてきたと思う?」

「……え、ちょっと……マジにならないでよトオ」

「車に跳ね飛ばされて、脚が壊れた人形みたいに折れ曲がって、痛いって感覚さえも無くなって、頭から血が滲み出てコンクリートに広がってさ。口から無意識に吐瀉物が出て……」

「あ……ぁ」

「目覚めたら脚を切り落とされてて、左側の視界が狭まって、歩くのも難しいって言われて……何度も何度も痛みに耐えて……」

 

リアルな光景が目に浮かぶ。

音羽が苦しんでいた時のことを鮮明に及川は再現した。

 

そして及川の手がミユの細い足に伸びる。

 

 

「"君の綺麗な足、及川さんが切ってあげようか?"」

「っ!!」

 

つうっと及川の長い指が這う。

 

「もちろん麻酔もナシで!……太腿……この辺かな〜。」

「い、嫌……」

「左目も、目玉ごとほじくってあげるよ?」

「う……」

「いいよね?」

 

及川が彼女の左目に手を伸ばそうとした瞬間。ミユは思わず身を捩る。

 

 

「俺は君を軽蔑するよ。」

 

最後にニッコリと笑みを浮かべ小首を傾げる。

嫌な予感にミユは慌てて及川の腕を掴んだ。

 

 

「ごめんっ、ごめんってば!」

「じゃーね?もう俺とは彼女として関わらないで。」

「待って!徹!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"おーいクソ川、教室行くべー?"」

 

少し離れた場所から岩泉の声が飛び込む。

 

「あ、ミユちゃん。」

「今日もかわいーね?」

 

続けて花巻と松川も姿を現す。

いつもの仲間の登場に及川はパッといつもの様子に切り替えるとミユの手を振り払い彼らの元へ走り向かう。

 

「なんだよ、朝っぱらから喧嘩か?」

「なんでもないよーん!行こ行こ!」

 

なんとなく重い空気に岩泉が突っ込むも及川は何も話す様子は無い。あっけない終わり方にミユは立ち尽くしていた。

 

「ていうかお前、昨日音羽に会っただろ?」

「えー!?なんで知ってんの!?てか何勝手に連絡とってんのさっ!」

「なんでお前の許可がいるんだよ。アホか。」

 

「音羽ちゃんの昨日の晩御飯知ってる?」

「は?まっつんも何言ってるの」

「晩御飯何食べたの?ってメッセージ送ったら返ってきてさ。」

 

「そういえば義足の種類変えてみるって。」

「ねえ!まっきーもなんなの!?てかなんでみんな勝手に連絡してるワケ!?及川さんの許可制ですケド!?」

 

 

「「「(無視)」」」

 

「ねーーえ!!抜け駆け禁止だから!!」

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

"音ちゃんを傷つけるやつは全員消えればいい"

 

"音ちゃんの苦しみを、悲しみを、

誰よりも努力してきた気持ちも――"

 

 

 

"俺は誰よりも理解している"

 

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

生ぬるい夜の夏風。

人々の視線は夜空へと向いていた。

 

今か今かと花火の打ち上げを待つ。

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

「徹。本当にそれは悪いから…」

「いいのいいの。ほら座って?」

「元々立って見るつもりだったし。徹のジャージの上に座るなんてダメだよ。」

「なら及川さんの膝の上に座る?」

「……いや、……うーん。」

「そこで悩まれると傷つくんですケド!!!」

 

河川敷に姿を現す2人。

もともと打ち上げ花火を座ってみるつもりは無かった音羽はシートを持ってくるなど考えているはずもない。

及川に座れと言われ、浴衣が汚れるから俺のジャージの上着をシート代わりに―――なんて。

さすがに申し訳なさすぎる。……だがこのままでは及川の膝の上に座ることになる。

 

それはそれで無理があると音羽は拒否し、及川に支えられながら腰を下ろした。

 

「脚、辛くない?」

「大丈夫。」

 

手馴れた手つきで介助する及川。

スマートになんでもこなし、気遣いのできる彼の行動。……女の子たちがあそこまで嫉妬するのも理解できる。

 

"優しくてかっこいい"――漫画のキャラクターで例えればきっと彼はヒロインの王子様に大抜擢だろう。パッと見何でもそつなくこなす及川。しかしその裏でとんでもないほど努力をしてきたのを知っている。だからこそ純粋に彼のことを信頼しているし大好きだった。

 

そんな彼がそばに居てくれる。自分はとんでもない果報者だ。

 

 

「ね、音ちゃん。」

「んー?」

 

隣に座る及川に音羽は視線を移す。

優しい眼差しに吸い込まれそうだった。

 

 

 

「――俺、音ちゃんのこと好きだよ。」

 

 

真剣な声、真剣な眼差し――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?分かってるけどそんなこと」

 

キョトンと目を丸くする音羽。

思わぬ返しに及川はギョッと身を引く。

 

「……ん?え!?」

「徹が私の事好きって、昔からいつも言ってるでしょ?今更だよ。」

「えぇぇぇぇ!違うって!そういう意味じゃなくて!」

「?」

「そんなきょとんとされてもさ!飛雄と同じ天然顔!!」

「……?」

「ムカつく!本当に!おまえら姉弟!!」

「何怒ってるの?意味わかんない。」

「及川さんもう知らない!!ふんっ!!」

 

ツーンと口を尖らせ腕を組む。

見慣れた光景に音羽は意地の悪い笑顔を浮かべると畳み掛けるように顔をのぞきこんだ。

 

 

「私も徹のこと好きだよ?」

「……」

「大切な人だよ?」

「…………っ〜!」

 

天然で大胆な言葉。及川は耐えられなくなると顔を真っ赤にして両手で顔を覆う。

 

「私にとって徹はかけがえのない大親友。」

「……」

「徹の全部を信じてる。上手く例えれないけど……そういう人だよ。」

「ッ……ああーー!もう!拗らせ音ちゃん!」

 

今すぐ駆け出したいほどに嬉しい言葉なのだが必死に抑える。多分勘違いされているがそれでも幸せだった。

ケタケタと自分の隣で笑う音羽の表情を見るだけでなんとも言えない多幸感に包まれる。

 

 

 

 

『―――お集まりの皆様にご案内を申し上げます。間もなく……』

 

会場に響く女性のアナウンス。期待混じりの人々の声がより一層増えていく。

 

「あ!そろそろ始まるね!」

「みたいだね?」

「楽しみだね。花火。」

「うん。……楽しみだね?」

 

音羽は目をキラキラと輝かせ夜空を見上げた。なんの邪心も感じられない横顔に及川は魅入る。

 

いくつになっても少女のようで、かわいくて、きらきらしていて、夢みたいな瞳をしている。

 

心の底から湧き上がる懐かしさ。

切なさに胸が突き上げられ激しい愛情が胸いっぱいに溢れていく。

 

「…………」

 

及川はそっと携帯を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

「……あ!徹!今撮ったでしょ!?」

「さすが耳がいいね?音聞こえた?ちなみに今だけじゃなくてここに来てから何枚も撮ってるよ?」

「盗撮だ。」

「もしかして通報されちゃう?」

「しないよ。だって徹だもん。」

 

"あとで送ってよ?"と彼女は笑う。

その瞬間ですら写真に収めたかった。

 

 

――ああ。好きだな。

 

 

 

「音ちゃん。」

 

 

 

ずっと、ずっと

彼女の隣にいたい。

 

 

 

「話しておきたいことがあるんだ。」

 

 

 

 

 

「音ちゃんに最初に伝えたくて。」

 

 

 

 

 

"花火が打ち上がる。"

 

 

 

 

同時に及川の口元が動く。

その口から放たれた台詞に 音羽は大きく目を見開いたのであった。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈

 

 

同日 22時過ぎ――

 

 

 

ドタドタと激しい足音が1階から2階へと伝染し、ついにその音は部屋の真ん前へと現れる。

 

 

ノックもないまま激しく扉が開く。

携帯電話を片手に息をぜえぜえと切らしながら現れたのは侑だった。

 

 

 

「サムぅぅぅぅぅぅ!!」

「じゃかしいわ!!ドアホ!!」

「ゴメンて〜!許してやあ〜♪」

 

いつもであれば"べつにええやろがい!"なんて逆ギレモードで反発してくる。だが今はそんなことは無く素直だ。

 

「なんやツム えらいご機嫌やん。」

「わかる!?わかるう!?」

「おん。わかり易すぎて寧ろキショいわ。」

「キショいて!他に言い方あるやろ!」

 

たまらなくうれしいらしく、無邪気そのものに、よろこびを全身に溢れさせる有様。まるで童心に返った様子だ。

 

「で?何があったん。」

「お姉ちゃんから写真付きでメール来てん!!」

「…………」

「見て!見て!」

「((……それだけでこんなに舞い上がれるん……なんか可哀想になってくるわ。俺もこの前音羽お姉ちゃんと"でっかいおにぎり"を作りあって送り合うとか…そんなことやった言うたら多分殺されるな…))」

 

ため息混じりで侑に視線を向ける治。音羽のひとつひとつに翻弄され、メンヘラ化していく双子の片割れの姿に同情さえしてしまいそうだ。

 

「ほら!かわええやろ!」

「ほーん。祭?の写真やな?」

「めっちゃ可愛ええ……浴衣似合いすぎ……何この笑顔……待ち受けにしよ……たまらんわ……」

「きしょ。」

 

片手で口元を覆い、携帯電話の画面に飲み込まれるような勢いで見入る侑。

 

"ちょっといじったろか"――と怪しい笑みを含ませる治はふと画面を指さした。

 

 

「――"誰が撮ったんやろなあ"」

「…………ん?」

 

治の言葉に声のトーンが微かに下がる侑。

 

「お姉ちゃんがこんなに笑っとる写真。しかも若干高ない?上から撮っとる感じ。」

「……」

「撮り方がなんかちゃうねん。女友達が撮ったって感じがせん。」

「……何が言いたいねん サム。」

 

りんご飴を片手にピースする音羽。無邪気に笑う姿。

本当に仲のいい気を許した相手にしか見せないような完全に気抜けた様子。

 

治は気づく。これは絶対に"音羽のことを知っていないと撮れない魅力のある一枚"であると。

 

そしてそれを撮ったのは――

 

 

「男やな。」

「……はぁ?」

「撮り方がやらしいねん。…エロいとかそんなんやなくて、なんか言い表せんけど。」

 

治の言葉を理解できない侑は呆然と立ち尽くすのみ。

 

するとその数秒後、携帯画面機能を使って画像拡大やら隅々を確認するように画面に食入る。

 

 

「…………」

「まさかお前……」

 

ギョッと引く仕草を見せる治。

 

「"撮影者がなんかに反射しとらんか探したる。"」

「マジでお前キショすぎやわ。」

 

 

"ホンマに同情したるわ。ツム。"

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

――翌日 午前8時過ぎ

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

「……なんだよ、この写真。」

 

及川の携帯画面を見つめる岩泉、花巻、松川。

 

 

 

「へへーーーん!音ちゃんに手を引かれてる(ギュッと手を握られて)及川さんの一人称視点写真☆」

 

撮ってやった!と言わんばかりに大喜びの及川。

しかし3人の表情はどこか呆れた様子だ。

 

 

「上手く撮ったな。」

「なんか……なあ。」

 

花巻と松川はなんとも言えない気持ち。

 

 

「お前、この前影山にも似たことさせてたよな?甥っ子に撮らせたやつ。」

「そうだっけ?……あー!"飛雄ちゃん 及川さんに頭が上がらないの図"だよね?」

 

甥っ子のタケルに撮らせた写真。

飛雄が及川に頭を下げてるのを隣に及川がピースしているなんとも言えない画角のもの。

 

 

「タイミング狙っただろ、お前。」

「片思いって辛いな。」

「同情するよ及川。」

 

「ちょっと!片思いとか悲しいこと言うのやめてよね!!」

 

 

"さーさー、行くべー"と携帯電話を返され教室に向かおうと歩く3人。

 

「……」

 

3人が先を行く中、携帯を操作し画像を切替える。

 

及川はじっと写真を見つめた。

 

 

 

「ずっと好きだよ 音ちゃん」

 

花火の光に照らされる音羽の横顔の写真。

それを慈しむように見つめ、優しく微笑んだのだった。

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

いつまでもあるのだろうか

オレの真上にある太陽は

いつまでも守りきれるだろうか

泣き 笑い 怒る君の表情を

 

いずれ全てなくなるのならば

二人の出逢いにもっと感謝しよう

あの日 あの時 あの場所のキセキは

また 新しい軌跡を生むだろう

 

 

だから僕は 精一杯生きて 花になろう

 

――ORANGERANGE 〈花〉――

 

 

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