影山姉弟   作:鈴夢

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聞こえる、みんなの音が。

見える、みんなの羽が。








コート上の女神様

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

『"ゴーゴー!イケイケ!サイカ(才華)サイカ(才華)!"』

 

 

 

体育館に溢れる声援

メガホンとペットボトルマラカスの弾ける音

チアリーダー部の可憐な応援

クラスの仲間達の黄色い声

 

 

"――聞こえる。全部聞こえる…"

 

少女の瞳はボールを追い続ける。

そして鼓膜に流れ込んでくる全ての音が無意識に彼女を動かす。

 

 

 

「梓先輩!レフト!」

「オーケー!"女神様"!」

 

女神の指示に気持ちよく飛び跳ねるのは背番号1番の主将。年下でもある彼女を心底信頼し、女神と呼ぶ主将の姿は不思議な光景だった。

 

 

刹那、レフトサイドから決まる速攻。

得点が入ったことを知らせるホイッスル音が響き渡ると声援はより一層強く轟いた。

 

 

陽の光を浴びない体育館。ここに太陽は無いはずなのにニスで輝くぴかぴかの床は、外よりもずっと世界を明るく見せている気がする。

まるで…スポットライトを浴びているような、ステージの上に立っているような気分だ。

 

 

「ナイスキー!!」

「次もいくよ、女神様。」

「後ろは任せて!」

「どんなトスでもキメてみせる!」

「日本一のブロック!なめないでよ!」

 

 

コート上で舞う5人の仲間。

生き生きと飛び跳ねる仲間。

 

「((…みんな…見えてるよ――))」

 

背中に真っ白な羽が生えているのが目に見える。

 

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

 

「セッターの…ほら、2番の子……なんか言い表せないんだけど凄い。」

「チームの中では身長も低いのにあの存在感」

「全部のトスが正確すぎる。みんな2番のトスを信頼してるカンジ。」

 

 

真っ黒のユニフォームを纏いコート上を舞う少女達。その中心にはいつも2番が立っていた。

"才華の2番"を知らない者はほとんどこの場には居ないだろう。それほどに有名なチームだった。

 

 

「もしかしてあんた達…知らないの?」

「「え?」」

 

敵側の客席の後列の若い少女たちが目を見開く。まるでなんでも知ってます!と言わんばかりの雰囲気を漂わせる大学生らしき女性はそんな彼女たちに語り始めた。

 

「この体育館内にいる人で彼女のこと知らないのあんた達くらいじゃない?」

 

「そ、そんなに有名なんですか?」

「才華が強いのは知ってましたが…あの2番の事は何も…」

 

才色兼備、文武両道。博識高く偏差値も県内トップの才華女子高等学校。その学校の名前の通り"才華"という言葉が似合う少女たちの園。

そしてそのバレー部に所属する"一輪の華"の存在。

 

「北川第一中学出身の"女神様"。既にU18日本代表候補選手に選抜されてて、中学時代に女子バレー部を全国に連れてったセッターだよ。」

「北川第一って…男子も強いよね?」

「県内トップでしょ?中学で。」

 

名の知れた中学の名前。

それを知ってるなら話が早い、なんて呟くと女性は対面側の客席に座るひとりの青年を指さした。

 

「ほら向こう側に居る…青葉城西のオイカワ?だっけ?」

 

「え!?青葉城西の及川さん!?」

「何で!?女子の試合見に来てんの!?」

「後で声掛けてみようよ!」

 

「…あんた達、及川さんの事は知ってんのね。」

 

ガクッとあからさまに肩を落とす女性。…まあ仕方の無いことだろう。この街でバレーに精通している女性ならどんな初心者でも"及川徹"の事は勿論知っているはずだ。

 

「及川さんと女神様は同期。且つ中学時代はそれぞれ主将。噂によると及川さんの十八番でもある殺人サーブを返すことができるとか。」

「嘘ですよね!?相手男子ですよ?」

「馬力も体格も何もかもが違いすぎるし…それが事実なら相当ですね、あの2番。」

 

青葉城西の特徴あるジャージを纏う及川。腕を組み、真剣な眼差しでコートを見下ろすその姿。それはまるで獲物に食らいつくような視線だった。

 

「あくまで噂だよ?だけどわざわざ及川さんがこの試合見に来てるってよっぽどでしょ?ライバル視してるとかありそうじゃない?」

 

「でも相手女子…」

「あー…でも青葉城西がどっかの女子校と男女混合の練習試合したとかって友達から聞いたかも。」

「おっそろしいね。最強女子チームと最強男子チームの混合とか……」

 

少女達は様々な噂と事実に身震いする。

兎にも角にもあのコートを制している2番は普通じゃないらしい。しかも恐ろしいのはあの少女は"2年"だと言うことだ。

 

 

 

「―――って、そんなこと話してたら才華のマッチポイント。」

 

更に強くなる歓声。

会場は完全に才華色に染まっていたのだった。

 

 

 

┈┈

 

 

 

どくどくと激しく脈打つ心臓。

体全身の血液が物凄い勢いで循環しているような感覚。脳天までそれは巡り、完全に興奮しきっているような感覚だった。

 

 

「((…マッチポイント…相手も焦ってる。前衛の3人の様子を見る限りかなりバテてるし、主将の1番さんもさっきからフォームが崩れてる。))」

 

炯々と尖った光を放つ女神の瞳。

研ぎ澄まされた神経が敏感に反応する。

 

 

「((―――チャンス!私がここで決めてやる!!))」

 

 

相手サーブがコート侵入。

後衛がそれを拾い上げ、全てを悟ったかのようにボールが女神へと舞い降りていく。

 

 

「「いっけぇぇええええ!!!」」

 

5人は叫ぶ。

繋ぎあった6人の意志がひとつにまとまる瞬間。

 

 

 

 

「「ツーアタック!!」」

 

 

女神のアタックがど真ん中を貫通した。

しかも威力は猛烈。ツーアタックでは到底出すことが出来ないような力で床を弾いたのだ。

 

 

「よっしゃああああ!!!」

 

女神の雄叫びが会場に響き渡る。

そして同時に会場のボルテージは最高潮に達す。

 

 

「才華女子!準決勝通過!!!」

「しかもストレート勝ち!強すぎるでしょ!」

「今年の春校も才華が行くんじゃない?」

「ほぼ確定だよね?こんな試合見せられたら――」

 

鳴り止まない拍手と歓声。

コートに向けられる視線の数々に逆上せてしまいそうなほどの熱気が落ちる。

 

 

 

 

"ああ…気持ちいい"

 

 

みんなが笑って、喜んで、抱き合って。

キラキラ輝くこの瞬間が大好きだ。

 

 

 

 

「女神様!"音羽"様!最高!」

「ちょっ…梓先輩…言い過ぎです。」

 

主将が女神に抱きつくとつられるように周りのメンバーも彼女を取り囲んだ。

 

 

「なによー!今回もバシッとキメてくれてさ!」

「相手も焦ってたね。しかも序盤から。」

「"音羽"の顔見てビビったんじゃない?」

「試合前はあんなにふわふわしてる癖に、コートに入ったら女神どころか悪魔でしょ?」

「確かに!本当は悪魔だよね!!」

 

「…好き放題言い過ぎですよ、先輩方。」

 

 

私はバレーが好きだ。

セッターっていうポジションが何よりも大好きだ。

 

みんなを誰よりも見て、状況を把握してトスを飛ばす。

 

 

――そして、上げた先にいる人の姿…

 

 

 

 

 

 

 

 

光り輝くあの瞬間が――――

 

 

 

 

 

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―――ピッ―ピッ―ピッ―ピッ―――

 

 

 

「……」

 

瞼を持ち上げたその時、違う世界が広がっていた。視覚も聴覚も…まるで自分のものじゃないような変な感じ。

 

 

エアーサロンパスとは全く違うツンとした薬品のにおい。

 

無機質な白い天井。

視界に映る管の数々。

頭がおかしくなりそうなほど規則的に繰り返される機械音。

 

 

 

 

 

 

 

 

「は…あっ……あぁあ!…ッ…ああああぁぁぁ!」

 

 

本能的な恐怖。

嗚咽するような金切り声。

 

 

「うあっ、あっ、!!脚!脚があぁぁああああああ!!」

 

 

頭に巻かれた包帯を引き裂くように掴みあげ、行き場のない混乱を全てにぶちまけた。

涙も鼻水も、恐怖で身体中から吹き出す汗も。全てが無意識に溢れ出た時のことを鮮明に覚えていた。

 

 

 

"失くなった左脚"

 

羽を失った女神は――もう飛べない。

 

 

 

┈┈┈

 

 

 

 

 

「可哀想にねぇ…音羽ちゃん。」

「運転してたの80過ぎの爺さんだったとか」

 

即報道された事故の様子。

普通車両が派手に凹み、野次馬が群がっていた。

 

「真正面から突っ込んできたみたいよ?」

「生きてるだけで奇跡だ。」

 

各テレビ局のニュースレポーターは真剣な眼差しでその様子を報道した。皆がテレビに食らいつく。

 

 

 

 

「…だけど…ねえ……"あんな事に"」

「あの子にとって"アレ"は死を意味するんじゃない?」

 

被害者の実名報道はされない。

"高校2年 16歳の女子生徒"

 

しかしバレーボール界隈の人間や地元の人達は全てを理解していた。

 

 

「"脚をまるっと失う"なんて……」

 

 

 

┈┈┈┈

┈┈┈┈

 

 

 

「あの事故現場、お前見たんだっけ?」

「そりゃたまたまだけどよ?」

「確か中総体の決勝の日で、県民体育館の駐車場だよな?」

 

事故当日の混乱を語る2人の男子生徒。

あの日は中学校バレーボール男子の県大会決勝の日だった。

 

 

「凹んだ車の傍で…才華女子の制服着た高校生が倒れてて。」

「………」

「脚がさ……人間の脚ってあんな感じにぶっ壊れるんだって……変な方向向いてて……地面は血だらけで…」

 

目撃者は"ヒィッ"と声にならない悲鳴をあげその場に立ちつくす。全員がその光景に絶望的な恐怖を感じたのだ。

 

 

「あの時――弟だったかな。そいつは腰抜かしちゃって震えててさ。たまたま通りかかった烏野の男子バレー部の奴らが必死に対処してて…」

 

黒いジャージの背中に書かれた"烏野高校 排球部"。

たまたま試合を見に来ていたであろう彼らが必死に対処していた光景。

 

 

「俺さ……聞いたんだけどさ。」

「何?」

「あの弟が飛び出したとかで。それを咄嗟に引っ張り下げて…代わりに轢かれたとか。」

 

 

"嘘かホントか分からない、とある噂"

 

"弟を庇った"

"弟と揉めていたのを見た"

 

 

 

 

「運転手が高齢だったってのも不運だったよな。多分、その弟の動きにビビってテンパって、慌ててハンドル切り返して突っ込んだんだろ。アクセル全開だったって報道されてたし。」

 

 

 

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"折れた羽"

"失った羽"

 

"羽を失った女神様"

 

 

姉ちゃんの事を皆がそう言った。

 

 

 

┈┈

┈┈

 

 

中総体の決勝が終わった後。

俺はミーティングを無視して会場から飛び出した。

 

 

「飛雄!」

「っ……」

「ちょっと!待ちなさいって!!飛雄!」

 

俺の腕に掴みかかる姉ちゃんの手。

基本温厚な姉ちゃんが珍しく声を上げた。

 

 

「北一、集合かかってたでしょ!何で行かないの!」

「……」

「ほら。皆待ってる。途中までお姉ちゃんも一緒に…」

 

姉ちゃんは心做しか呆れた様子だった。でも今思えばあれが精一杯の優しさだった。

 

…なのに俺は…"振り払った"。

 

 

「っ……飛雄?」

「……ぇよ」

「え?」

「うるせぇよ!"お人好しの女神様"がよ!」

「……」

 

今姉ちゃんは関係ないのに、どこにもぶつけられない感情を姉ちゃんにぶち当てた。手を振り払った時の姉ちゃんの戸惑った顔が今でも忘れられない。

 

 

「俺は!…俺は姉ちゃんみたいに甘くねぇんだよ!チームのヤツらの顔色伺って、意味のねぇ声掛けとかし合って!」

「……」

「ンなもん必要ねぇんだよ!コートにボールを落とさなければ!それだけ…」

 

刹那、姉ちゃんの顔色が一瞬で変化した。

女神様のような、優しいとかそんなもんじゃない。…そうだ、この顔……コート上でキレてる時のマジの顔。

 

真正面から見るのは初めてだった。

 

 

 

「"私、ボール落とした?"」

「なっ…」

「"負けた?"」

「……ッ…」

 

怖かった。

もし自分が試合中、ネットを挟んでいたとしてもこの目付きで睨まれたら――

 

――怖くて堪らなくなるだろう。

 

 

 

「…"自己中な王様、横暴な独裁者"…そのままじゃ……あんたは何も変わらない。」

「っ!」

「"誰もトスを拾ってくれなかった"。あんたがどんなに天才なセッターでも周りを無視し続ければトスを上げたって仲間は拾わない。」

「……く…」

 

つい先程の決勝戦。

 

中学最後の県大会。俺は上げたトスをチームメイト全員に無視され、誰にも触れられなかったボールはそのまま地面に落ちた。

誰も俺からのボールを繋げない。位置も何もかも完璧だったのに…"皆俺を無視したんだ"。

 

その後、俺は初めてベンチに下げられた。

…チームの仲間たちに顔を合わせられるわけもなかった。

 

 

 

「お姉ちゃん、何度も飛雄に言ってきたよね。」

「………」

「金田一君も国見君も……今日みたいな試合は望んでなかった。」

「くっ!!!」

 

姉ちゃんはもう一度俺の腕を掴む。

 

「私たちセッターは…"チームの誰よりもチームを信頼しなければならない"。」

 

姉ちゃんのその言葉に何も言い返せなかった。正論だ、間違いでないと思ったからだろう。

 

セッターはチームの柱、司令塔。

メンバーの強みを一瞬の判断で活かす。

姉ちゃんはそれを意識的にやってた。

 

そして何より……士気を高める天才だった。

 

姉弟(きょうだい)なのに正反対な俺たち。

 

悔しかった。もどかしかった。

だから反発した。

 

 

 

「ほら行こう?ちゃんとミーティング…」

「離せよ!」

「っ!待って飛雄!!」

 

 

―――"うるせぇ"

 

うるせえ…うるせえうるせえ!

うるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえ!

 

 

「はっ、はっ、はっ…」

 

俺は無我夢中で逃げた。

外に群がる人たちを押しのけて、走り抜ける。

 

 

「飛雄!待って!!」

 

っせぇな!ついてくんなよ!

どうせ女神様には分かんねぇ!

独裁国家を築く王様の気持ちなんて……女神に分かるわけ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脳裏で悶々とした嫌な気持ちを呟きながら、だだっ広い駐車場を駆け抜け続けていたその時。

 

 

 

 

 

 

 

「"飛雄!危ない!"」

 

姉ちゃんの叫び声が鼓膜を貫く。

 

 

「なっ…!?」

 

車の影。

あと一歩前に踏み出したら……"轢かれ"――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んッ!!!!」

 

 

その時、俺の服を後ろから掴む誰かの手。

猛スピードで、しかもとんでもない力だった。

 

俺は後ろに引っ張られ視界が大きく揺れた。

 

その一瞬、視界に映る人の姿。

俺を後ろに引いた分、その反動で前のめりに突っ込む人の姿。

 

 

「"姉…ちゃん"」

 

 

 

 

鼓膜に飛び込んた音。はじめはブレーキ音だった。アスファルトをタイヤが滑る音。それはずいぶんと長い間タイヤが鳴っている気がした。

 

何かが吹っ飛ばされる衝撃音。人生で初めて聞いた音だった。ドンとか、バンとか…そういう音じゃない。例えようのない鈍い音は俺の全ての精神を狂わせた。

 

 

 

 

 

気づいた時には人だかりができていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「"おい!そこのお前!"」

「ぁっ…」

「救急車呼べ!!早く!」

 

黒いジャージを纏った男が俺に携帯を投げつける。俺は反応出来ず、転がり落ちた携帯を震える手で握りしめた。

 

 

「"スガ!"お前はAED!中央玄関のすぐ側の階段横!」

「わかった!取ってくる!」

 

「"木下!成田!"お前らは大人を呼んできてくれ!大会の救護班も!」

「「はい!!」」

 

「"西谷!田中!"野次馬何とかしてくれ!写真とか撮ってるやついたら直ぐに止めろ!」

「「了解!」」

 

「"旭と縁下!"お前らはここ持ってろ!離すなよ!」

「わかった!」

「はい!」

 

的確な指示、スピード。

ひとりの男の指示に従順に従う仲間たち。

 

 

「おい!呼んだのか!救急車!」

「あ……ぁ……番号…」

「119!119だ!」

「あ…あ…」

「もういい!貸せ!!」

 

視線は合わない。

それほどにその男が必死だということが伝わってきた。

 

 

 

「――もしもし!救急です!宮城県民体育館の駐車場!高校生が車と衝突!……状態?とにかく出血が酷くて地面に池出来るくらい!多分頭も打ってます!……それと―――」

 

男の視線が脚元に向けられるのが分かった。

なんでか分からないけど…俺は酷く身震いしたのを覚えている。

 

 

「"左脚が…ワケわからない状態で"……ッ…」

 

男は俺に背を向けていた。

その傍に姉ちゃんが倒れていたのは分かってる。

 

やっと頭が理解した。

姉ちゃんが車に轢かれたんだって。

脚がワケわかんねぇ事になってるって。

 

 

 

「"音羽!"おい!!」

「……ッ…」

「直ぐに救急車が来る!堪えろ!」

「………とび、お…は?」

「何?」

「……飛雄……」

 

男は振り向く。

俺とやっと視線が合う。

 

その瞳は大きく見開かれ、絶望していた。

 

 

 

「ごめ……大丈夫…だか、ら」

「…ね……姉ちゃん」

 

「………だい、…じょ……」

 

 

顔も何も見えない。

だけど声は聞こえた。俺の名前を呼ぶ声が、弱々しい霞んだ声が聞こえた。

 

"痛い"とか"助けて"とかじゃなくて。

…なんで俺なんか呼ぶんだよ!

 

 

 

「音羽!」

「……」

 

男は再び姉ちゃんに視線を落とした。

反応がない姉ちゃんの名前を何度も何度も呼んでいた。

 

そして暫くして、男が指示を振っていた仲間たちが戻ってくる。

 

 

「大地!AED持ってきた!」

「大地さん!救護班の人たちが来てくれます!」

 

AEDと記された赤い箱か傍に置かれる。

 

 

「撮るんじゃねーよ!!今撮っただろ!消せ!」

「退けろ!群がるな!」

 

2人の男が野次馬たちに喰いかかる。

時には携帯を奪い、激しく罵倒した。

 

 

 

 

 

 

「……まずいぞ大地。音羽ちゃん…意識が…」

「っ…!」

「大地さん!音羽さん息してません!」

「スガ!AED!準備してくれ!」

 

姉ちゃんがやばい状況だって分かってるのに体が動かない。なのに目の前の男たちは怯むことなく姉ちゃんを救おうとしていた。

 

 

 

「あ……ぁ……」

 

俺は腰を抜かしたまま彼らの背中を目で追った。

 

"烏野高校 排球部"

 

彼らの背中に記された情報はそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

「音羽…ッ…音羽!!」

「音羽ちゃん!」

「大地!AED準備できた!」

 

 

「おい!テメェ!!携帯ぶち壊すぞ!」

「ノヤさん!そっちの赤シャツの男!撮ってる!」

「んの野郎!!」

 

 

「血が……血…」

「縁下!ビビるな!しっかり持ってろ!」

 

 

「大地!電気ショック!離れて!」

 

 

 

「起きろ!おい!!音羽!!」

「音羽ちゃん!」

「戻れ!戻ってこい!音羽!!」

 

 

 

 

 

"―――音羽!!!!!"

 

 

 

 

 

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「…ん…」

 

 

"瞼を持ち上げたその時、違う世界が広がっていた。"

 

 

「……寝ちゃってた……てかもうこんな時間…」

 

見慣れたリビングの天井。

ふと壁掛け時計に目をやると既に夜の19時を過ぎていた。

 

晩御飯のポークカレーの香りが微かに漂う。

今日は弟の為にと好物のポークカレーを作ったんだった…温玉も用意しないと…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…"姉ちゃん?"」

 

ソファから上半身を持ち上げた時、ほぼ同時に廊下とリビングを繋ぐ扉が開く。

そこに現れたのは弟の飛雄だった。

 

 

「おかえり飛雄。」

「ただいま。…つーかすげー汗だぞ。何かあったのかよ。」

「何も無いよ?ちょっと寝ちゃってて…寝汗かいちゃった。」

「……」

「ご飯作ってるよ?一緒に食べよ?」

「うん。腹減った。」

「直ぐに用意するね。」

「用意は俺がするから大丈夫。姉ちゃんは座ってて。」

「ありがとう。」

 

飛雄の手が慣れた手つきで私を支えた。そしてテーブルの方まで私を連れていくと椅子を引き座らせる。片足で動くのは不安定だ。傍らに置かれた車椅子と義足。見慣れた光景、見慣れた状況―――

 

 

「温玉準備できてないよ。」

「別に無くても大丈夫。」

「でもポークカレーといえば温玉のせでしょ?」

「今日は要らない。」

「じゃあ明日だ。」

「うん。」

 

何ら変哲もない姉弟の会話。キッチンでカレーを温める飛雄を横目に音羽はふと問いかけた。

 

 

「そういえばどうだった?烏野バレー部。」

「……」

「今日入部届出したんでしょ?」

 

つい最近、烏野高校に入学した飛雄。

入学後あるあるのオリエンテーションなどを終え、今日が部活始動の日のはず。

 

意気揚々と朝からバレーボールシューズの入ったシューズケースを片手に、練習着を入れた鞄を持って出て言った姿を私はハッキリと見ていた。

 

きっと飛雄なら直ぐにスタメンだろう。

今日の初練習で存分に力を発揮―――

 

 

 

「"拒否られた"。」

 

 

キッチンから飛び込む真っ直ぐな台詞。

私はその台詞に目を疑った。

 

「……ん?」

「入部、拒否られたんだよ。」

 

沈黙するふたり。

グツグツとカレーを煮込む音が聞こえるだけの空間。

 

パチクリと音羽は瞬きすると面白おかしく笑い出す。

 

 

 

「ふふふっ!ハハハッ!拒否られたって!あんた何したの?もしかして主将に喧嘩でも売った?」

「ちげーよ!!んな事しねぇ!」

「じゃないと入部拒否なんてないでしょーが!何したの何したの?」

「〜〜〜〜!!!!」

 

飛雄は図星だったのかそれ以上食いつくことは無かった。クルクルと鍋の中をかき混ぜながら恥ずかしさに顔を赤らめる。

 

 

 

「…つーか!姉ちゃん烏野の主将と知り合いだろ?何とかしてくれよ。」

「しませーん。あんたが悪いことしたのほぼ確定でしょ?」

「ハァ!?」

「"大地"が拒否るなんてよっぽどでしょ?」

「……」

「もしかしてさ?まーた自分勝手なこと言ったんじゃないの?"俺が居れば最強とか邪魔"とか。」

「うっ!!!!」

 

 

 

飛雄の胸にグサリと突き刺さる音羽の槍。

全てを読み取る血を分けた姉に適うはずもなかった。

 

 

「あっ、あ、明日から早朝練すっから!!4時には起きる!」

「それで勉強疎かにならないようにね?ただでさえあんたはお勉強苦手なんだから。」

「っるせぇ!ボケぇ!」

「お姉様にボケとはいい度胸ね!?お姉ちゃんの方が偏差値高いの分かってる?」

「うっ、うっせえ!」

「"小人窮すれば斯に濫す"…飛雄にはその言葉を送ろうかな。」

「しょ…しょうじん?」

「………」

「今バカにしただろ!小難しい四字熟語出しやがって!」

「四字熟語じゃなくて"ことわざ"ね?」

「〜〜〜〜!!!」

 

 

更に顔を赤く染める可愛い弟。

私は弟をいじり倒すのが大好きだ。可愛くて可愛くてたまらない。

 

 

「オラ!!特別に大盛りにしてやったからな!食え!」

「えー?飛雄はそれだけ?大きくならないよ?」

「牛乳毎日飲んでりゃ問題ねぇよ!」

「………」

「やめろよその顔!バカにしやがって!ボケェ!」

「可愛いなぁ〜飛雄は!」

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬっ!!」

 

 

カレー皿をテーブルに置き対面側に腰を下ろす弟。何を言っても倍返しされる状況は慣れていた。

 

 

 

「((……頑張ってよ。飛雄。))」

 

口いっぱいにカレーを頬張る弟。

それを愛おしそうに眺める姉。

 

 

 

「((お姉ちゃんは…なにがあっても飛雄の味方だからね。))」

 

 

穏やかな姉弟の時間。

 

女神は優しく微笑み、王様は恥ずかしそうに目を逸らす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…何笑ってんだよ。」

「私の小さな王様は今日も可愛いなって。」

 

 

 

王様と女神様

 

飛雄と音羽

 

 

飛べる王様

羽を失った女神様

 

 

相反する姉弟

 

 

 

 

 

 

"影山姉弟"

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

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