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2012年10月15日――
――春高バレー宮城県大会まで残り"10日"
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艶のある秋の空気。
早朝の冷たい温度感に音羽は身震いする。
「……ふー……」
軽く朝のトレーニングを終え自宅の庭に立つ。視線の先の山の向こう。ようやく太陽が昇りはじめた。気持ちのいい晴れた1日になる――そういう気配があった。
「……ん?」
空気を吸い込んでいたその時、背後から人の気配がした。白い息を吐きながら現れたのは弟の飛雄。いつものランニングから帰宅したらしい。
「飛雄、おはよう。」
「……ん。」
「…………」
素っ気ない返答。
合わない視線。
「汗 ちゃんと拭きなね?風邪ひくよ?」
「…………」
「…あ、そうだ飛雄。目なんだけど良くなって…」
そのまま室内へと戻る飛雄。目の調子が戻ってきたと伝えたかったが耳を傾けることなく避けていく。
いつもなら"姉ちゃんこそ無理すんなよ"なんて言葉が返ってきたはずだ。
「……ッ……」
あの件依頼、
"影山姉弟にかつてない深い溝がうまれていた"
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「――あれ?飛雄は?」
制服をまとい 片手には鞄。
母が作った弁当を受け取りに居間へと現れたがいつもの弟の姿がない。
「飛雄ならさっき出たけど?」
テーブルには既に飛雄の弁当箱は無かった。先に受け取り 既に出ていったらしい。
「…………」
音羽の瞳に哀しい色が映った。母はそれを見逃さない。
表情には出さないものの空気でわかる。深くなっていく姉弟の溝。姉が必死に手を伸ばすも背を向けたままの弟の背中が想像つく。
「まだ飛雄はあの調子なの?」
「うん」
「お母さんからも話したんだけど……そうなのね。」
弁当箱を手にする音羽の手が微かに震える。そっと俯き、未だに暖かい弁当箱の感触がやけに染み込む。
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――同日 午後20時過ぎ
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夕食を食べ終え 自室で課題に打ち込む音羽。机に並んだ教材の数々、無音の空間にペンを滑らせる乾いた音だけが響く。
"……姉ちゃん、ここの数式の解き方教えて"
"少しでいいから俺のトス 見てくれねえ?"
"今日!速攻上手くできたんだ!"
"日向のやつ まだ下手くそに変わりはねえけどマシになってきた"
「…………」
集中していても聴こえてくる"幻聴"
夕食の後、何かしら理由をつけて部屋に現れる弟の姿が大好きなのだ。
"姉ちゃん、脚は?幻肢痛は?"
"痛むならマッサージするけど。"
"調べたんだけど……こうした方がいいって……"
""――姉ちゃん""
「……ッ!?」
ぼんやりと幻聴に耳を澄ませていたその時、机に置いていた携帯電話が鳴り出す。
メールではなく通話を知らせるメロディ。音羽はそっと手を伸ばすと画面を確認し 直ぐに応答した。
「……もしもし?」
『どーも。月島ですケド。』
電話の相手は月島蛍。
冷静で落ち着いた低い声に 何故かいつも謎の緊張感を抱く。
「どうしたの?」
『今少しいいですか?』
「うん。全然大丈夫。」
相変わらず彼の感情が分からない。
ツンケンとした声色のせいか怒っているようにも聞こえるし、何事もないようにも感じる。
しかし何となく嫌な予感はした。なんせわざわざ電話がかかってくるなんて彼の性格上かなり珍しい気がする。
そして少し間をあけると蛍は躊躇する気配もなくまっすぐと言葉を放つ。
『まだ喧嘩中なんですか?影山キョウダイ』
「…………」
予想通り……の内容だ。
『ねえ、聞いてるんですけど。まだ喧嘩してるんですか?』
「チームに……バレーに支障が出てる感じなのかな。」
『ハイ。』
「…………すみません。」
音羽は携帯を耳に添えたまま その場で頭を下げるように机に額を打ち付けた。問に対して即返答してくる蛍の状況からしてかなり怒っているらしい。
『で?まだ喧嘩中なんですか?』
「……はい。」
彼女の返答に盛大なため息を分かりやすく漏らす蛍。電話越しで表情が見えなくとも容易に蛍の様子が目に浮かぶ。怠そうに頭を抱え、虚ろな瞳で睨みつけられている気分だ。
『いい加減にしてくれませんか?お宅の弟さん。』
「その言い方だと何か問題があった感じ…ですよね」
『そうですよ。昨日までは大したこと無かったけど、今日はいつもより機嫌悪くて前の独裁者状態です。』
「………」
『さすがにこれ以上空気悪くしたくないので我慢してましたけど……あと少しで弟さんのこと殴りそうです。』
ド直球の本音に音羽は息を飲んだ。
相当のストレスを抱えていることが手に取るように分かる。蛍はきっとチームを輪を乱す訳にはいかないと我慢している。しかも今は大切な春高予選前。ここで自分が声を、手を出してしまったら一巻の終わりだと。
いつもの彼ならすぐに口に出す。しかし我慢している、堪えている。
そして最後の砦と思い 姉の音羽に繋いだのだ。
『とにかく予選まで時間も無いので 何とかしてください。』
「何とかって……月島く」
『"ちゃんと話し合って"ください。もう子供じゃないんですから話くらいできますよね?』
「あの……月島――」
音羽の声は届かぬまま容赦なく切れる電話。
彼らしい詰め方、言葉の数々に音羽は眉を顰めボソリと呟いた。
「……話し合い……それができたら苦労しないんだけどね。」
ゆっくりと顔を持ち上げ 部屋に飾っている飛雄とのツーショット写真に視線を向ける。
飛雄が小学1年、音羽が3年の時の写真。確か飛雄の入学式の日の写真だ。
自宅前での2人の姿。ランドセルを背負い 緊張した面持の飛雄の隣で笑顔を向ける音羽の顔。
2人の手にはバレーボールがあった。
「…………」
いつから話せなくなった?
昔はもっともっと沢山話せていた。
事故関係なく、気づいた時には微かに距離があったのかめしれない。
「…………」
音羽の瞳に映る写真。
慈しむようにじっとその写真に見入っていた。
「((……飛雄))」
"どう話せば、何から話せばいいか分からない"
どんなに賢くても、どんなに理性的でも、
どれだけチームをまとめられることが出来ても――
"世界で1番大切な弟に対して 分からなかった"
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――翌日 午後12時過ぎ
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「オバチャーーン!焼きそばパンひとつ!」
「ウチはおにぎり!ツナと昆布!」
「やったで!今日は売り切れる前にゲットや!」
溌剌と飛び交う関西弁。
生徒でごった返す"稲荷崎高校"の食堂にある売店。
皆 目当てのものを目掛けて行列に飛び込む。
そしてその中に"一際身長が高い3人組"の姿があった。
「サム!イケイケ!押せ!」
「ちょっ!ツム!痛いんじゃボケ!」
「喧嘩はやめてよ」
稲荷崎高校2年
宮侑
宮治
角名倫太郎
「おい!ツインズ!ずるいやろ!」
「「"ずるないー"」」
「角名!お前もデカイからって調子のんなや!」
「"不可抗力ー"」
ツインズの強行突破とそれに乗じる角名に他生徒の怒号が飛ぶ。そして同時に女子生徒からは黄色い声が上がっていた。まさにカオス状態。
「よっしゃあああ!!今日は手に入れれそうやでサム!角名!」
「ダッシュした甲斐あったな。」
「よかったね。」
あと少しで順番が回ってくる。最高のポジション確保に興奮する侑を横に2人は呆れ顔で笑っていた。
「マジで直ぐに無くなるからな!オバチャンの特製おにぎり!」
「母ちゃんの弁当だけや足らんし 俺もおにぎり買お。」
「よく食べるねー ふたりとも。」
ほくほくと満面の笑みと喜びを弾ませながら侑は財布から小銭を取り出す。そんな子供のような無邪気な様子を角名は携帯の写真に収めたのだった。
学生の声が犇めく中、侑のジャケットのポケットから音楽が鳴り出す。そしてその音になにか察したのかピタリと体の動きを止める侑。
「……っ!」
「ツム 携帯鳴っとる。」
「この着メロ何?聞いたことないで?」
角名は侑のポケットを指さし、聞きなれない音楽に小首を傾げた。普段の着信音と全く違う。イマドキの流行りの恋愛ソングのメロディに"らしくない"と感じていた。
しかしそれには理由がある。
「"おっ!お姉ちゃんから電話やぁあぁあ!"」
ポケットから素早く携帯を取り出すと両手でしっかりと握りしめ涙ぐむ。
「あー…そういうこと?」
「さすが角名 察しええな?」
「好きな子オの着メロだけ変えるやつな。侑かわいいね。」
"いかにも"らしい音楽の選定、そして可愛らしい行動に笑えてしまう。
「大っっ好きなツナおにぎりを前に!大大大っっ好きなお姉ちゃんと電話できるって!!世界一の幸せもんやな!!」
そして侑は満面の笑みを浮かべながら応答するのだった。
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「……」
体育館裏のちょっとしたスペース。壁にもたれながら音羽ら携帯を耳にあてがった。
数コール後、何やら賑やかな音と共に元気な声が飛び込む。
『お姉ちゃん!?』
喜びと驚きを含んだ侑の声。
何故かそれだけでホッと胸の中が落ち着いた気がする。
「いきなりごめんね 侑。」
『謝ることないて!どないしたん!?』
微笑み混じりの語気。突然の電話に驚かせてしまい申し訳なさが滲む。
「…ちょっと相談があって――」
"相談"
そんなことを侑に話したことはない。
言葉を続けようとしたその時、電話越しに雑音が入り込むと聞きなれない男の声が今度は飛び込む。
『こんにちはーー。例の遠距離のお姉ち…』
『ちょっ!やめや角名!邪魔すんなや!』
『音羽お姉ちゃん?かしてかしてー』
『おいサム!お前もやで!邪魔すんな!!』
スナと名乗る男と治。
あえて昼休みを狙ったがタイミングは悪かったらしい。仲の良い友達と双子の片割れと賑やかに過ごしていたのに水を指してしまったかもしれないと音羽は後悔した。
「あ…ごめん。やっぱりかけ直」
『問題ない!!邪魔者は追い払うから問題ない!マジで!』
侑の"邪魔者"というワードに不満気な声が容赦なくとびかう。
『邪魔者ってなに?酷くない?』
『待てやツム 携帯貸せ!抜け駆け許さへんで!』
『侑ーおにぎりいいの?』
『ゴラァ!!待てやボケェ!!』
激しい雑音と怒号。そして周りの生徒たちのざわめきのような音が音羽の耳に次々と飛び込む。
『絶対渡さへんで!!逃げ切ったる!!』
売店に群がる生徒たちを掻き分け 猛ダッシュで走る侑。その後ろからは鬼のような形相で治が追いかけ、角名が面白おかしく携帯片手について行く。
「((……何か大変なことになってない……よね?))」
ドタドタと走り込む音、侑の激しい呼吸音、徐々に遠のいていく治の容赦ない怒号。
『――ッ……ハァ…ハァ……』
「……侑 大丈」
『しーーっ!アイツら撒くまで待ってな?』
侑は空き教室に飛び込むと扉を背に座り込み息を潜める。その数秒後に"ツムーー!出てこいやぁぁぁぁ!"と治の声がかすかに聞こえるがそれは足音と共に過ぎ去っていく。
『っしゃ……アイツら行ったな……ふー…』
「侑 本当にごめん。」
『大したことない!!で?どしたん?』
「……えっと……」
間違いなくこの電話1本だけで大事になってしまった。少し遠慮気味に小さな声で返答すると侑は音羽の心情を悟りつつ話す。
『ウチの売店で大人気のツナおにぎりを諦めてでも!アイツら振り切ってここまで逃げ切ったんやで?"やっぱりなんも無い"はあかんからな。』
"うっ……!"と音羽の心の声が聞こえてきそうだ。そこまでさせてしまったことに申し訳ないと思いながらも音羽は重い口を開く。
「……弟と…ちょっと喧嘩して」
『おう』
「…………仲直りできなくて。」
『おう』
「ほら、侑は治がいるし。喧嘩とかした時……どうやって仲直りしてる?」
『ウイイレ』
「それ以外!」
『ハハッ!冗談やて。』
真面目に聞いていると思いきや冗談をかます侑。そんな彼のちょっとした優しさに音羽は僅かに笑みを浮かべた。
『((姉弟喧嘩……な。))』
侑は空き教室の天井を見上げ 考える。
『((にしても元気ないな。…お姉ちゃん、辛いんやろな。俺に相談してくるなんてよっぽどやろ。))』
音羽が自分に相談してきてくれたことに喜びを感じる反面 やはりいつもと違う大好きな人の声。元気がない。いつもの溌剌とした空気がない。
その事実が侑にとって悲しくてたまらなかった。
『…せやな。喧嘩の内容にもよるけど…弟がなんで怒っとんか。まずは理解せなあかん。』
「…………」
『喧嘩の内容は言わんでええから。頭ん中でよーく考えてみい。』
侑の優しい声のトーンにホッと安心する。いつもふざけている事が多い半面、それがやたらとコントラストとなり音羽の心をジワジワと和らげていく。
『もし弟が感情的になっとんなら暫くは時間をおいた方がええ。姉弟やからこそ落ち着く時間も必要やと俺は思うで。』
「……時間はそこそこ経ってて。春高予選まで10日しかなくて……なんとかしないとって」
『慌てたらアカンで。まだ10日ある。お姉ちゃんの弟て たかが姉弟喧嘩でプレーが乱れるん?』
「本人が乱れるっていうよりチームの空気が心配なの。」
『…そか。なるほどな。焦る気持ちも分かる。』
"クソだるい弟やんけ!!"なんて声を荒あげたい気持ちがあるが侑は抑える。影山姉弟は普通の"きょうだい"ではない。背景にあの事故がある。その真相は分からないが事故の原因に弟が絡んでいる可能性があることも侑は勿論知っていた。
姉も弟も何かしら思うこと、考えていることがある。喩えようの無い距離感。本音で言い合えないのかもしれない。分からない。――正直なところ同じきょうだいが居る侑でさえも難しい内容だった。
『お姉ちゃん、泣いたりしてへん?大丈夫?』
「え?」
『泣いとったら俺も悲しなって。俺以外の誰かにこうやって言えるやつは近くにおるん?』
「……言える相手は沢山いるけど……"言えない"」
『どういうことやねん、笑うわ』
「みんな弟のことをよく知ってる人が多いから……あんまりいいたくないって言うのが本音かも。」
『……そか。』
澤村や及川に言ったらどうなる?
彼らは飛雄の事も事故のことも詳しく知っている。だからこそ言い難い。
なら岩泉や松川、花巻は?言えないことは無いが少し違う気がする。
黒尾に木兎……澤村達ほどそこまで詳しく姉弟のことを知らない彼ら。東京組とは合宿出培った仲もある。
それ全てを踏まえて 音羽にとって最も話しやすい相手は侑だったのだ。
「((……最低だ私。飛雄の為にって気遣って……でも背景にあることをどうしても考えてしまう。そして都合よく侑に連絡して――自分が嫌いだ。))」
音羽は秋空を見上げる。うるっと瞳に涙が溜まる。零すもんかと必死に空を見上げ続けた。
『ま!俺が弟やったら!そもそも音羽お姉ちゃん困らしたりせんし!直ぐに仲直りもするけどな!!絶対に!!』
「……ふふ、……うん。」
『って!否定しや!お姉ちゃんにとって弟は誰よりも大切な人なんやろがい!』
「う、……ん……ふふっ……うん。」
『頼むから……お姉ちゃんが悲しと俺も悲しなる……ッ』
何故か涙ぐむ侑。
沢山伝えたいことがあるのに上手く言葉にできないもどかしさが悔しくてたまらない。
悲しみに暮れている大切な人がいるのに手が届かない。今すぐにでも直接会いに行って慰めたいと思うのに遠く離れた距離がそれを許してはくれない。
『……お姉ちゃん…元気だして。……おね――』
侑の弱々しい声。
それは静かな空間に消えるように染みる。
――刹那、教室の扉が容赦なく開かれた。
『"おい、侑。"』
『ひぃぃぃぃっ!!!』
2人の悲しい空気を割くように現れる別の声。その声の主に気づいた侑は素っ頓狂な声を上げるとあっという間に涙も乾いたのだった。
「?……侑?」
まるで幽霊か化け物か。そんなモノノ怪に遭遇したよな侑の悲鳴が飛び込むと音羽もスっと涙が乾き 心配の色を見せた。
しかし侑に音羽の声は聞こえていないらしい。現れた第三者に完全に気を取られている様子だった。
『何しとんや こんなとこで。』
『きっ!"北さん"すんません!すぐ退きます!!』
『やから隠れてなんしてんねん。この空き教室、午後から3年が使うんやけど?』
『え、えと……すんません、出ますう。』
『昼メシは?』
『いっ!今から食います!!』
『はよ食べ。授業もあるやろ。空腹で部活来んなよ。』
『はいいいっっっ!!!』
"キタさん"
侑は間違いなくそう呼んだ。彼の慌てようや口調からしてキタさんとやらは恐らく先輩なのだろうか。……そういえば侑からも治からも稲荷崎高校バレー部の主将の話は何となく聞いたことがあった。
推測に過ぎないが現れたのはその主将のキタさんなのでは?
『ん?電話中なんか。』
『はっ、はいぃ!!』
『例の"お姉ちゃん"か?』
『え、……あ、はい?なんでわかっ』
『ちょお貸し。』
『えぇぇ!?』
侑は北に抗うことも出来るはずなく携帯を手渡す。"なんか余計なこと言われんか心配や……"なんて侑はビクビクしながら隣に立っていた。
『もしもし。侑が世話になっとります。北言います。』
「え、あ…はじめまして!影山です。」
音羽も思わず背筋が伸びる。凛としたハッキリとした丁寧な言葉遣いにドキッと胸が脈打った。そして予想通り 2人からよく聞いていた"北さん"だった。
『うちのが迷惑かけとるってよー聞いとります。すんません。』
「いえ!むしろ彼に助けられてて…いつも侑君には元気も貰えるし…」
何故かこのタイミングで律儀にそのような事を言われると音羽はたどたどしく言葉を口にした。
「あの、私も侑と治から北さんの事は聞いたことがあって。」
『ギクッ!!』
『…ふうん…そか』
北は小さく口元に弧を描く。何か言われるのではないかと震える侑を見ていると面白くなってしまったらしい。
そして同時に"音羽お姉ちゃん"と会話ができて北も喜んでいた。あの双子を、主に侑を、昔から面倒を見てくれている。あの侑が目指している人であることも北は知っていたからこそ嬉しかった。
『――音羽さん、よな?』
「はい。」
『あんたがおるから侑も頑張るってよーります。』
「え」
『あんたが侑のバレーの基盤を作ってくれた。ホンマに感謝しとります。』
「そんな……大袈裟ですよ。」
『大袈裟やない。ホンマですから。』
北の笑顔が見えた気がした。朗らかに優しい口調の彼の姿が目に浮かんだ。
『今後ともよろしくお願いします。』
「こちらこそ……?」
"じゃ、ちゃんと昼飯食えよ"
と微かに聞こえた後に北は立ち去った。
侑は僅かに震える手で携帯を再び手に持つとほっと息を吐く。
「ねえ侑。あの人が例の"北さん"?」
『おう。そや。……びっくりしたわホンマに。』
「ふふ。でもなんかパキッとなったね?空気が」
『そうやな!ある意味良かったかもな?』
北が現れる前の空気はどこへやら。突然現れた人物のせいもあってか良い意味で空気が良くなった。雨が降っていた様な暗かった気分が徐々に晴れつつある。
「北さん。はじめましての人にもあんなに"ちゃんと"言えるなんて……」
怖気付くことなく初めての相手にハッキリと言えるようなところ。音羽と同い年になるのだが大人びた対応に驚きを隠せない。
『せやな……うん。……あっ!せや!アレや!』
「ん?」
侑は閃いたように声を上げる。
『"ちゃんと"言わんとあかん。お姉ちゃんいっつも我慢してあんまり本音とか弟相手に言わんのんちゃう?』
「…うっ、」
図星だった。蛍にも言われたが"やはりそこ"なのだ。
『きょうだいの片割れとして思うことなら……せやなあ、なんも本音を言って貰えんかったり、利い遣われるのは嫌やな。』
「……気を遣われる」
『ん。きょうだい以前に家族や。何でも話せんとしんどいのはお互い様やろ。』
「…………」
『ホンマに思っとること、ちゃんと言ってくれんのは弟なりにしんどいんちゃうかな?』
音羽の手のひらに力が篭もる。
『俺にはなんでも言うてくるくせに!それと一緒やって!』
「……確かにそうだね。」
『まあでもそれがうれしいんやけどな!…俺とお姉ちゃんはきょうだいやないから違うけど……』
侑も手のひらを強く握る。
目の前に音羽がいることを想像して、優しく手を握りしめた。
『お姉ちゃん。大丈夫や。』
「……」
『いっかい"ちゃんと"話してみ!……それで弟が逆ギレしてきたら俺に言うてこい!!俺が言ったる!!こんのオタンコナスーーて!!』
「それは絶対やめとく」
『なんっっでやねん!!』
いつものテンションに戻る2人。音羽は無邪気に笑顔を見せ笑い声を上げた。対して侑もそんな音羽に対して愛おしいお姉ちゃんだと改めて考えていたのだった。
『"あ、侑見っけ"』
ひょっこりと教室に顔を出す角名。
『見つけたでツム!!!携帯貸せや!!』
その傍から現れる治。
『うっっっわぁっ!!見つかってもーた!!』
逆側の出入口に向けて駆け抜ける侑。ドタドタと激しい音が再び廊下に響き渡る。
「侑!もう大丈夫だから!ちゃんとご飯食べて……また連絡す――」
『"おい、オマエら。"』
刹那、再び聞いたことのある声がする。
しかしそれは先程よりかは低く、怒りを微かに感じる声色。
"北さん"だった。
『げっ!』
『うっ!』
『((あーあ。やば。))』
『廊下は走んな。大きい声で騒ぐんもやめえ。』
電話越しでもわかるピリついた空気。決して乱暴な言葉では無いのに声のトーンや雰囲気だけでも不思議と恐ろしさを感じる。
本当に北さんはすごい人らしい。
『……おー!信介!売店の人気のおにぎり買ってきたで!……って何しとるんや。』
次々と聞いた事のない声が聞こえてくる。音羽は静かに状況を飲み込んでいく。
『アランくん!助けて!』
『もうしませんから!許してください!』
『今日の部活ん時、覚えとけよ。』
『『いややーーーー!!!』』
双子の悲鳴とともに携帯が落下するような雑音が聞こえた。侑はきっと電話のことより目の前で起こっている出来事に混乱しているのだろう。
"また今日の夜にでもちゃんとお礼の電話を入れよう"――と音羽が携帯を耳から離そうとした瞬間。
『じゃあね、お姉ちゃん♡』
「え、あ――」
侑でも治でも北でもなければ後から現れた"アラン君"とやらでも無い別の声。甘ったるい声の主は恐らく双子の友達。
「……最後の声は……スナ?くんだっけ?」
侑や治との電話。何故かいつも波乱で終わるのは何でなのか。だいたい兄弟喧嘩が始まるか、母親の怒号が聞こえるか……
「……ちゃんと、……ね。」
音羽は携帯を折り畳むと再び空を見上げた。空の色は変わらない。曇り空が広がっていたのだった。
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――同日 17時過ぎ
烏野高校 体育館――
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体育館に轟くのは部員たちの声とボールの跳ねる音。秋で涼しくなってきたものの体を動かす度に汗が額を滑り降ちる。
不思議な熱気、全員の声にやけに力がこもる。
春高予選まで残り僅かだ――
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「うーっし!!15分休憩したら続きやるぞ!」
「「はい!!」」
監督の烏養の声に反応する部員。
各々が水分補給など僅かな休息をとりはじめた。
「…………」
飛雄は流れる汗をタオルで拭き取ると深く息を吐いた。日向との速攻も、自分のトスの感覚も悪くない。
しかし……なぜか胸がモヤモヤとしていた。
「……影山。」
「ッス。」
壁を背に座り込む影山の隣に主将の澤村が腰をおろす。同じようにドリンクを口に含むと小さく息を吐いては飛雄の左足首に視線を落とす。
「影山、足の調子は?」
「ッス。もう大丈夫です。」
数日前に左足を捻ってしまい全員が心配していた。今は頑丈そうなサポーターを装着し大事には至ることなく問題も発生しないまま練習に参加できていた。
澤村はじっとサポーターを見つめる。するとなにかに気づいたのかハッと目を見開いて飛雄へ視線を合わせた。
「……それ、よく見たら最新モデルのやつだよな?」
「あ、……はい。」
「先月の月刊バリボーで見たな。確かバレーの日本代表チームも使ってるとか。」
固定力と動かやすさを両立した足首専用のサポーター。スポーツ雑誌の公告ページに様々なアスリートが絶賛しているのを見たことがある。
値段もそこまで高くなく 何より機能がすぐれている名品だ。
「俺も気になってて この前の休みの時に探しに行ったんだけどどこにもなくて諦めたんだよ。」
「……」
「ん?影山?」
飛雄の顔に微かな変化。瞳が泳ぐと自身の足元に視線を落とし口を開く。
「……姉ちゃんが……俺に」
「ん?音羽が?」
「はい。足痛めたことも何も言ってないのに……買ってくれてたんです。」
サイズもピッタリだ。姉はなんでも分かっている。
そしてそれを選んでくれた背景……飛雄は分かっていた。
"あの日" わざわざ遠くのスポーツ店まで行って探してくれていたこと。月島曰く 店員に相談しながら慎重に選んでくれていたこと。音羽が昔から貯めていたお小遣いやお年玉から捻出して購入してくれたことも……飛雄は分かっていた。
「音羽はお前のことが誰よりも大切だからな。」
「……」
「お前が何も言わなくても姉の音羽はなんでもお見通しなんだな?」
澤村は優しく微笑んだ。
飛雄はその表情に胸がキュッと締め付けられた。
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「――飛雄が行方不明?」
雨が降り注ぐあの日。
姉と弟がぶつかりあったあの日。
春高バレー宮城県大会まで残り"1週間"が迫っていた。
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