影山姉弟   作:鈴夢

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過去と未来

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"姉ちゃんは憧れの人だ"

 

 

 

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姉ちゃんはすごい

昔からなんでもできる天才だった

 

テストはいつも満点で

運動神経も良い

 

友達もたくさんいる

いつも姉ちゃんは囲まれていた

 

コート上で揉め事が起こったとしても

誰かが喧嘩をしたとしても

姉ちゃんが間に入ればどんなことも解決していた

 

 

唯一の欠点を上げるなら……

――絵が壊滅的に下手クソな事くらいだろうか

 

 

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過去――

影山飛雄 小学3年生

影山音羽 小学5年生

 

 

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「……"一与さん"。」

「ん?」

 

自宅の縁側。

飛雄はバレーボールを手に隣に座る祖父に声をかけた。

 

「なんで姉ちゃんってあんなに凄いのかな」

 

幼ながらに感じていた。

たった2つしか離れていない姉が"凄い人"であることを。

同じ血が流れているのに、同じものを食べて同じ生活をしているのに。

その差は広がるばかり。なぜだろうかと考えていた。

 

 

「うーん……そうだねえ…」

 

祖父の影山一与は顎に手を添え考える素振りを見せる。孫である飛雄が自分の答えに期待を持ち瞳をキラキラと輝かせていた。

 

「一言で例えるなら"自分の1番大事なものを理解してる"……からかな?」

「???????」

 

なんとも抽象的な答えに理解が追いつかない飛雄。頭上にクエッションマークを大量に浮かばせ首を傾げた。

 

「はははっ!難しいよな〜この例えは。」

「いちばん……大事なもの?」

「うん」

「バレーボールが大事、とか?」

「それもそうだね。ただもっと深いものだよ。」

「???????」

 

手に持つバレーボールに視線を落とし口を尖らせる。まだ自分にとって理解し難い内容なのだろうと悔しい気もする。

 

「飛雄にとって1番大事なものはなんだい?」

「…………」

 

一与の言葉に飛雄は深く考え込んだ。

脳内に浮かぶのはバレーのことばかり。自分はバレーが大好きだし大切なものだと理解している。それはきっと姉もそうだと思っていた。

 

「上手く自分の口で言えないだけで自分では1番理解してるはずだ。飛雄にとって"大事"なもの。」

「…………」

「きっと音羽はその大事なものが何なのか突き詰めて理解してるんだろう。」

 

音羽は幼ながらに賢かった。ひとつの物事に関して論理的に考えられるタイプであると祖父であるからこそ分かっていた。音羽自身が大事にしているもの――一与はそれを聞いたことは無い。音羽が簡単にそれを他人に言うとも思わない。

彼女は彼女なりに内に秘めている何かがあるのだ。

 

「きっとそれが理解できれば最も自分が今しなければならないこと。足りないもの――それを克服しようと行動できるはずなんだ。」

「なら!一与さんはなんだと思う?俺にとって1番大事なもの……」

 

キラキラと瞳を輝かせる飛雄。一与ならばきっと知っているのでは、なんて。そんな期待を膨らませていた時。

 

「自分の"大事"を1番分かってるのは自分だよ。」

 

一与の大きなやさしい手が飛雄の頭を撫でる。

 

手から伝わる深い愛情。その中に含まれる数々の感情。ただただ飛雄は祖父の顔を見上げることしか出来なかった。

 

 

 

 

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――春高予選まで1週間

 

 

 

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放課後の体育館に烏野バレー部員たちが練習に勤しむ。

 

「ちょっ!影山!!」

「……悪い、高すぎた。」

 

トンットン……と悲しげに落下するバレーボール。日向は飛雄からのトスに不服そうに眉を顰める。

 

「影山!さっきからイライラしてんの分かんぞ!」

「別にイライラしてねーよ。」

「してるっつーの!!ていうか!ここずっとそうだろ!」

 

いつも通りの2人の言い合い、小競り合い。

その2人の姿を呆れ顔で見つめる部員たち、コーチに監督――

 

 

「おい!落ち着けって!」

「ふっ、2人とも喧嘩はね?ね……」

「…………ハァ」

 

同じコートに立っていた田中、東峰、月島。

月島に関しては深いため息とともにどこか怒りさえ感じていた。

 

「コラ!いい加減喧嘩はやめなさいよ」

「ほらほら!1回休憩!水分補給するべ!」

「お前ら!喧嘩ばっかりしてんじゃねーー!」

 

対面側のコートからは澤村、菅原、西谷が声を上げる。

 

慣れた光景だが"慣れすぎてしまうほどに頻発している小競り合い"。日向の言う通りここ最近飛雄の様子がおかしいのだ。その度にミスを起こし日向が声をあげていた。

 

 

「…………」

「影山君。やはり様子が変ですね。」

 

傍らのベンチから烏養と武田も悩ましげに声を漏らす。春高予選まで残りわずか。チーム全体の強さは明らかに変化があったのに肝心なセッターが絶不調という状況。

烏養は影山をじっと見つめ様子を伺っていた。

 

「影山君。汗も拭いてね。」

「……ありがとうございます。」

 

谷地がタオルをそっと手渡す。視線は合わない。

マネージャー2人も影山とチームの不調に戸惑いを見せていた。

 

「…………」

 

月島はスクイズボトルを片手に影山をじっと睨みつけた。"相変わらず"の状況に怒りがふつふつと現れる。

 

「ねえ、王様。」

「なんだよ」

 

飛雄の元へと近づく月島。呆れていると言わんばかりの見下ろされ方に飛雄もまた不服そうに眉をひそめた。

 

「自分のその態度で チームが振り回されるの分かってる?」

「………」

 

ついにその言葉を放った。飛雄以外がずっと思っていた禁句。月島はついにそれを破り 喰いかかったのだ。

 

「月島、今は」

「いい加減にしてくれる?」

 

キャプテンである澤村の制止も月島は聞かない。澤村自身もそれ以上月島を止めることなく、部員たち全員の視線が2人へと注がれた。

 

緊迫する空間。武田と烏養も静かに見守る。

 

「向き合うのが怖いんでショ?」

「……は?」

「バレーとチームのみんなと。……それと音羽さん…お姉さんと向き合うのが怖いんでしょって。」

 

"お姉さん"というワードに一際反応を見せる飛雄。微かに肩が揺れ、両手拳に力が入った。

 

「……別に、そんなんじゃねえ。」

「違うでしょ。」

「は?お前に何が分かっ」

 

月島に掴みかかろうとした時、黙っていた烏養がついに動き出すと背後から飛雄の肩を掴んだ。

 

「影山、今日はもう帰れ。」

「ッ!?烏養さん…」

「何があったか知らねぇが 今のお前じゃチームを掻き乱すだけだ。」

「……ッ……」

「頭冷やして来い。」

 

さすがに烏養には逆らうことは出来なかった。それに"掻き乱している"事実に何も言い返すことなどできない。

 

「影山君。今日はゆっくり休んだ方がいい。元々足も調子が良くないし、安静にしてください。」

「…………」

「いいですね?」

 

続けて武田も隣に現れる。

誰よりも落ち着いて芯のある声に反抗心さえも芽生えない。

 

「……はい。すみません……」

 

"失礼します"と無機質な声で、誰とも目を合わすことなく影山は足速に体育館から立ち去っていく。

その絶望的光景に咄嗟に誰も声をあげられず、見送ることしかできない。

 

「おっ…おい!影山!」

「日向。今日はそっとしとこう。」

「でも……」

「な?」

「ッ…………」

 

苦しそうに声を上げる日向に菅原が優しく寄り添う。

 

日向のいつもの溌剌とした眼と唇は、定まらぬ考えを反映するようにぼやけて見えたのだった。

 

 

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「…………」

 

同日、日が暮れ始める頃。

音羽はむぅっと頬を膨らませ不機嫌そうに空を見上げた。

 

「……やっと片目が良くなったと思えば空は灰色……不吉……」

 

眼科での検査や処置を終え建物を出た瞬間に雨の匂いがした。薄曇りで小雨がぱらつきそうな空……なんて思った矢先 頬に"ぽたっ"と柔い雫が落ちる。

 

「今日の降水確率ゼロパーセントだったのに。でも良かった、折りたたみ傘持ってるしバス停まで問題な――」

 

鞄から折りたたみ傘を取り出そうと手を伸ばした瞬間。制服のポケットに入れていた携帯電話がぶるぶると震え始める。

 

「……ん?お母さん……」

 

用事があるとの事で今日の病院に付き添えなかった母。父は出張で昨日からおらず、おそらく病院の結果を聞こうと電話をかけてきたのだろう。

 

音羽はいつも通り応答した。

 

「お母さん?今から帰るけどどうし」

『"飛雄から連絡来てない?"』

 

母の真剣で心配の色が混ざった声色。

音羽は直ぐに嫌な予感を察知すると顔色を変える。

 

「飛雄?連絡は特に何も……」

『実は武田先生から連絡があって。今日早めに帰らせたって聞いて。念の為様子を見て欲しいって言われたのね。』

「……もしかして帰ってないの?」

『それが 家には一度帰ってるみたいなの。荷物が玄関に全部あって、でもランニングシューズもあるし練習で外に出てるとは思えなくて』

 

乱雑に置かれた荷物。

着替えた痕跡もなく そのまま出ていった可能性が高い。

 

『……飛雄、最近悩んでたみたいだし。話を聞こうにも答えてくれなかったでしょう?』

「…………」

『もしかして……あの子変なこと考えてるんじゃないかって……ッ』

 

母の声が微かに震えた。同時に空から落ちる雨粒の量が増え始めると一気に不安に駆り立てられる音羽。

 

今まで勝手にどこかに行くようなことは無かった。どんな時も家族に心配をかけることはできないと、連絡をしてくれるような弟だった。

 

『とりあえず念のため武田先生には連絡を入れようと思ってるの。……もし、それでも見つからなかったら……』

 

音羽はゴクリと息を飲んだ。

背中がさぁっと冷たくなる感覚、一瞬雨音も母の声も聞こえない無音状態になると唇をふるわせた。

 

「飛雄が……行方不明……」

 

恐ろしかった。

今朝、弟の背中を見送ったのが最後だ。

その時の顔も様子も分からない。だがあの後ろ姿が嫌に脳裏に浮かんだ。

 

「((……飛雄……飛雄…ッ……))」

 

その瞬間、音羽は無我夢中で駆け出した。

 

 

 

「……お母さん大丈夫。飛雄は私が見つけるから。」

『え?』

「心当たりがあるの!また連絡入れるから!」

『ダメよ音羽!もう暗くなるし、雨だって降り始めて危ないでしょう!』

「大丈夫だから!」

『ちょっ!音羽――』

 

音羽は携帯電話を再びポケットへと戻すと鞄を方にかけ直し再び走り始めた。

 

幸いにも視界は戻った。

雨で足場は悪いがそんなことを気にしている場合では無い。

 

 

「((飛雄はきっと……"あそこ"にいる))」

 

 

音羽は確信があった。

今の飛雄がいるであろう場所。

 

「((飛雄と向き合えるチャンスかもしれない。……ちゃんと話せる……きっと神様がチャンスだって教えてくれてる!))」

 

この雨もきっと恵みの雨だ。

 

 

「飛雄……すぐに行くから。」

 

 

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絶え間なく降りしきる雨。

時間が経つにつれて雨足は強くなり、気づけば空は夜へと染まり始めていた。

 

 

そんな雨の音が飛雄の空虚な心をいっぱいに埋めつくす。

 

「……はぁ」

 

自宅から徒歩20分ほど離れた場所。

ちょっとした公園のような、植物園のような雰囲気を持つこの場所は昔と変わらない。

 

年季は入っているが手入れされた東屋に飛雄の姿があった。それを囲むように花や木々が生い茂っており正に地元民しか知らないような場所だった。若干丘になっているせいもあり東屋の周りの地面はぬかるんでいた。雨足も酷い分いつもに比べ状態は悪い。

 

「……やべ。充電切れてるし……」

 

時間を確認しようと携帯を手にした飛雄。しかし電源が切れている。

 

ここに来て数時間経ったのはなんとなく分かっていた。空も暗く、いつもであれば帰宅途中か既に帰宅しているか。

 

「((父さんと母さんに連絡……姉ちゃん―))」

 

ふと脳裏に浮かぶ姉の姿。

その時ハッと目を見開き息を飲む。

 

「((…………分かんねえ。どうしたらいいか……))」

 

飛雄は再び目を閉じると顔を伏せる。

東屋内のベンチに力なく腰掛けただただ雨音だけを耳に入れる。

 

形容できないもどかしさ。自分の気持ち。

その矛先を姉に向けてしまっている自分が大嫌いだった。

 

 

 

 

 

 

「…………ん?」

 

 

刹那、雨音の中に潜む違う音。

人の気配、何者かがこちらに近づいている。

 

 

 

「なっ……」

 

飛雄は現れた人物に気づくとその場から立ち上がった。東屋の対面側に現れたのは青い傘を手にした――

 

 

 

「飛雄!」

「……ッ!!」

 

姉だった。

 

青い折りたたみ傘は豪雨に半ば耐えらず音羽の体は微かに濡れていた。革製の学生鞄は雫に濡れ、右足のローファーは泥にまみれ、左の義足も酷く汚れていた。

 

「なにっ……なんで……」

「やっぱりここに居た……はぁ……よかった。」

「……ッ……」

 

音羽は穏やかに笑っていた。起こる様子もなく、ほっと安心した様子だった。

対して飛雄は両手拳を強く握り締め例えようのない様々な感情に揺さぶれていたのだった。

 

「……何しに来たんだよ。」

「帰ってこないから心配してたの。連絡もつかないし。」

「…………」

「雨、暫く続くみたいだし。傘も無いでしょ?」

 

"ふぅ"と息を吐き音羽はハンカチで軽く顔を拭う。そしてベンチに荷物を置くとゆっくりと腰を下ろした。

 

 

「帰ろうって言いたいとこだけど。」

 

動揺する飛雄をじっと見つめる。

 

「ちょっと話そっか。」

「…………」

 

飛雄はドクドクと波打つ心音を落ち着かせようと再び腰をかけた。対面側に座る姉との距離は数メートル。暗い東屋内を照らすのは薄明かりの白熱電球のみ。

 

ゆらゆらと揺れるオレンジの光。音羽は僅かに視線を落とし飛雄の足元あたりに視線を泳がせた。

 

「……」

「飛雄」

「…………なんだよ。」

 

飛雄はそんな姉を静かに見つめる。

ぼんやりと霞がかかったような柔らかい表情。伏せた瞳は白熱電球の光がきらきらと反射し、綺麗な目をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……"ごめんなさい"。」

「……っ……」

 

少し間を置いて姉は"ごめんなさい"と言い放った。

 

いままで何度も姉の口から"ごめん ごめんね"というワードは何度も聞いていた。

しかし今回はどこか違う。喉奥から摩擦もなく。深くて濃くて……胸の奥から這い出してきたような。

 

飛雄は唇を噛み そんな姉を鋭く睨む。

 

「ごめんなさい。……ごめんなさい 飛雄。」

「ッ……」

 

腹が立った。

"姉はすごい人だ"

自分がこんなにも苛立っているのに 姉は決して怒らないし、自分に当たる事も無かった。

 

昔からそうだ。

姉ちゃんは俺の姉ちゃんで、俺のことを誰よりも大切だと。

何があっても姉ちゃんは俺の味方だった。

 

だからこそ、腹が立つ。

だからこそ、姉には何も言えなかった。

 

"脚を奪ったのは俺なのに"

 

 

「……もう……"――なよ"」

「え?」

 

飛雄の気持ちが爆発する。

 

「"もう飛ぶなよ!!!"」

 

雨音を、この空気を、

全てを穿つような大きな鋭い声。

 

自分でも驚いた。こんなにも大きな声が口からこぼれるなんて思ってもみなかった。

飛雄が抱えていた本音が無意識に飛び出したのだった。

 

「はっ……ぁ……」

 

"とんでもないことを口にしてしまった"

咄嗟に飛雄は右手で口を覆うと小さく震え 音羽から視線を逸らす。

 

恐ろしかった。まるで別の人物が自分に乗り移ったような奇妙な感覚。言うつもりはなかった。だが胸の内に溢れる苦しみや悲しみがついに溢れてしまった。

 

 

「…飛雄……?」

 

音羽は声を震わせ飛雄へと一歩踏み出す。

弟の本音が鼓膜を割いた時、姉の中で何かが破裂した。

 

「ご、ごめ……姉ちゃん……」

 

飛雄は震える声で後退する。

 

「違う……違う…っ…そんなこと言うつもり……」

 

明らかに戸惑う姉を前に耐えられなくなってしまう。悲しませてしまった、姉を傷つけてしまったに違いない。

 

「ッ!!」

「待って!!飛雄!」

 

飛雄は東屋から飛び出す。

ごうごうと降りしきる大雨に打たれながら、高低差のある坂を下っていく。

 

「待って……!待って飛雄!!」

 

稲妻のように姉の大きな声が轟いた。

普通なら振り返らず走り去ればいいものの――"姉が心配でたまらなくなる"

 

「なっ……」

 

雨でぬかるむ傾斜面。

狭くなった姉の視野。

 

転んでしまったらどうしようかと。

 

 

「っ、あっ……!」

 

その時、音羽は坂道に足を取られ体をふらつかせる。

 

「っ!?姉ちゃん!!!」

 

思わず立ち止まる飛雄。バランスを崩す姉が視界に移ると慌てて体を翻した。

 

しかし、飛雄が姉に手を差し伸べる前。しっかりと両脚をついて体勢を立て直す。

 

「大丈夫 自分で立てるから。」

「ッ……!」

 

斜面で立ち尽くすふたり。

音羽は大丈夫だと言わんばかりに右手を前にのばし助けは不要だとジェスチャーで示した。

 

雨はさらに酷くなっていく。

飛雄の学ランも音羽のブレザーも 水分をしっかり吸収したせいか色が変わり微かに重さを感じるほどだった。

体が酷く冷えていくはずなのに2人はまったく寒さを感じていなかった。

 

「……ッ……」

「飛雄。あのね……お姉ちゃ」

「"姉ちゃんは確かにスゲーよ!!"」

 

雨音を遮る飛雄の声。

悔しそうに唇を噛み、瞼を伏せながら溜め込んでいた胸の内を話し始める。

 

「みんなに優しくて!信頼されて!バレーも上手い!頭も良くて……高校女子バレーナンバーワンセッターの名前も持ってて……異名は"女神様"だ。」

 

時々 喉を詰まらせるように声を吐き出す。

そして両手拳に力を込めると音羽の瞳を見つめ苦しげに言葉を続ける。

 

「俺とは違う!……俺は独裁者…ッ自分勝手な王様…!」

 

明と暗

光と影

陽と陰

 

「姉ちゃんが左脚を失ってから、姉ちゃんが飛ぶ度に……心のどこかで…っ俺は苦しかった!」

 

姉が努力する姿。

いつもはニコニコと笑っているくせに苦しい時はひとりで隠れて涙している姿を見たことがあった。

痛みに耐える時。脚のせいで上手く飛び上がれなかった時

。何もかもが上手くいかず一時期クラスの仲間たちから冷ややかな視線を向けられていたことも。

 

姉は隠していたが弟は分かっていた。

それをひけらかさず、見せることの無い強がりな姉の姿。ニコニコと弟に向ける笑顔が辛くてたまらなかった。

 

「転ばねえかなとか……怪我しねえかなとか。少しでも辛そうな顔を見たら心配でたまらなかった。」

 

胸の奥に何かが溜まっていく感覚。それは重くて息苦しくて、少しずつ飛雄を確実に苦しめていた。

 

「それと同時になんでもやって退ける姉ちゃんの姿が怖かった。」

 

血を分け合った"姉弟"

それでも繋がる姉との何か。感じる何か。

 

 

 

「……"あの事故"も……姉ちゃんの脚も……ッ」

 

飛雄の額に雨ではない雫が滑り落ちる。

 

「全部…っ、全部!…俺のせいなのに……ッ!」

 

唸るような嗚咽の声を漏らして身悶える。

 

「ニコニコ笑って 俺を庇う姿が嫌だったんだ…!」

 

飛雄の本音だった。嗚咽混じりの苦しい震えた声に音羽は微かに眉を顰め視線を落とす。

 

"苦しめるつもりはなかった"

"あなたのせいでは無いと その言葉が、その態度が飛雄の首を絞めていた"

 

それでいいと思っていた。

飛雄なら分かってくれると。お姉ちゃんはあなたを愛しているとそれで伝わっていると勘違いしていたのかもしれない。

 

その優しさが弟を苦しめていたのだ。

 

「……飛雄、」

「ッ……」

「……お姉ちゃん、飛雄の気持ちをちゃんと聞かないまま……ただがむしゃらに行動してた。」

「…………」

「飛雄が苦しんでることも気づけたはずなのに。…ただただ宥めるだけで向き合ってこなかった。」

 

飛雄の気持ちを無視していた。ニコニコ笑って安心させて、コートの上に立てば弟は安心すると――それは過信だった。

 

事故のことも、今後のことも必要以上に向き合ってこなかった。避けていた。もうあのことは何も無かったことにすればいいなんて呑気なことを考えていた。

 

しかし飛雄はそんな気持ちになるはずが無い。

苦しんで苦しんで、もがいて、誰にも言えなくて。

ただただ最強な姉の後ろ姿を見る度に恐怖に苛まれていたのだろう。

 

「でもね、飛雄。」

「っ……」

 

音羽はゆっくりと足を踏み出し飛雄へと近づく。背丈の高い飛雄を見上げ彼の手を取ると音羽は苦しそうに笑った。

 

「私にとって"いちばん大事なのは飛雄の存在"なんだよ……ッ」

 

ポロポロと止まらない涙。

でも笑っていた。困ったように眉を顰めたまま笑い泣いていた。

 

「飛雄の存在が私の全てを変えてくれたの。バレーボールも頑張れるの……」

 

姉の手が微かに震えていた。ひんやりと冷たい体温が飛雄の手に伝わると手の大きさの違いに今更ながら気づく。

いつも自分を守ってくれていた姉の手はとても小さく見えた。

 

「昔からずっと。私にとっての1番は飛雄なの。バレーボールを手に持って後ろを着いてくるあなたの姿が、あなたの存在が私の全てなの。」

 

ちょこちょことついてくる愛しい弟。気づいた時には身長も体格も越され、今も大きな手に驚いていた。

 

「私は!飛雄とバレー頑張って、一緒に日本代表選手になって!影山姉弟で並んで立つのが夢なの!」

 

ぎゅっと飛雄の手を握りしめる。渾身の力に飛雄は驚きを隠せない。

 

そして更に音羽の眼光は光り輝く。

 

「脚を失った時、起きたら世界が変わっていたあの時。正直死んでしまいたいくらい絶望した。」

「ッ……」

 

事故の後に目を覚ました時。

規則的な機械音と体の痛み、感じたことの無い脚の感覚の恐怖は永遠に忘れられない。

 

「しんどくて辛くて悲しくて、悲鳴をあげて取り乱して……」

「…………」

「でも……でも!飛雄が何も無くてよかった!」

「っ……」

「私が……お姉ちゃんが飛雄の代わりになれたなら!それは本望だった!」

 

飛びかかりそうなほどの面構えと気迫。ハキハキとした凛とした声に飛雄は身構えるほどに圧される。

 

「車にはねられた瞬間、あの時、飛雄が無事だったのを確認できた時死んでもいいって思えた!」

「何言っ」

「足を失っても後悔はない!」

 

音羽は飛雄の手を更に引き、力強く声を上げ 彼を見上げる。

 

「この世界には飛雄がいる!両脚で地面を蹴って、ボールを上げる飛雄がいる!」

 

「その世界に私は居続ける!何があっても!努力して努力して努力して!世界一のプレイヤーになってみせる!」

 

「私は絶対にバレーを続ける!ユースに戻れるように努力する!オリンピックだって出てやるんだから!」

 

こんなにも願望を強い口調で言い放つ姉を初めて見た。半ば取り乱すような、冷静さを失って声をあらあげるその姿に飛雄は全ての意識を持っていかれる。

 

 

「過去が現在(いま)に影響を与える。未来も現在(いま)に影響を与えるの。」

「ッ……!!」

 

未来は明るい。信じて走り抜ければ今も輝く。

 

「だから……お願い飛雄。」

「……」

 

飛雄は涙をこらえ姉を見つめる。

 

「自分を責めないで。」

「……」

「未来を追いかけて。」

「……っ」

 

一層深くなる黒い瞳

 

「私と一緒に、走り続けて!!」

 

 

音羽の台詞が全ての空気を割いた気がした。

飛雄は思わず姉をそのまま抱きとめると涙を流し続ける。

 

 

「うっ……っ」

「……飛雄ッ、沢山苦しめてごめんね。」

「俺も……ごめんっ……ごめん……」

 

雨が2人を包み込むように振り続ける。今だけはこの雨が心地よかった。涙も何もかも洗い流して、嗚咽する声をも消し去ってくれる。

 

姉と弟の揺るがない繋がり。それは強固なものへと変化した瞬間だった。

 

 

 

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