影山姉弟   作:鈴夢

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才、華ひらく

 

 

 

 

┈┈┈┈

 

 

"絶望の淵に立っていたあの時"

――覚えてる?

 

 

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ネット越しに揺れていたはずのボールは、もうどこにもない。

 

代わりに、私の視界にあるのは、白い天井と、消毒液の匂いと、妙に静かな時間だけだった。

 

包帯の下に"あるはず"の感覚がない。

足を動かそうとすると、頭の中で命令は鳴るのに、返事は返ってこない現実――

 

 

"立てない"

"踏み込めない"

"飛べない"

 

「……うあ…ぁあ……あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

悲鳴をあげた瞬間、自分を裏切った。

"できない"ではない。

"もうできない"

 

体育館で聞いてきた音が一気に押し寄せる。

 

床を叩くシューズの音、指先に残るボールの感触、トスを上げる瞬間の一秒の静寂――全部、過去形になっていくあの時を。

 

喉の奥がきつく締めつけられた。

胸の中に広がる底の見えない闇。

 

ボールのない世界はあまりにも広く、空っぽで、残酷だった。未来を思い浮かべようとすると、そこには線が引かれている。

 

コートの外。

観客席。

もう戻れない場所。

 

私は天井を見つめたまま、唇を噛んだ。

 

あの時、私の世界は確かに終わった。

バレーボールと共に生きてきた時間は、そこで一度、完全に止まってしまったのだった。

 

 

――そう

"あの時"はそうだった――

 

 

 

 

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"また姉ちゃんに…バレーやって欲しいんだ"

 

 

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"俺が羽になるよ、音ちゃん"

 

"絶対に音羽ならできる。俺がついてる!"

 

"そないなしょぼくれた顔。女神様らしくあらへんで。"

 

"ヘイヘイヘーーイ!女神さんなら何でもできる!!"

 

"オジョーさんにはいつも皆がついてるだろ?"

 

 

 

 

 

 

"――影山の姉ちゃんなら!絶対にまた飛べる!"

 

 

 

 

 

 

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"絶望は希望へ"

 

白い天井の下で、未来を失ったと思ったあの日から、時間はただ静かに、残酷なほど等しく流れていた。

 

——けれど今。

 

眩しい照明が、私を照らしている。

満員の観客席が、ざわめきと期待を孕んで息を潜めている。

 

足元には、磨き上げられたコート。

彼女はゆっくりと立った。

義足が床に触れ、次の瞬間もう一方の足も自然に並ぶ。

 

踏み込む。

体重を預ける。

床が、確かに返事をした。

 

違和感はある。

痛みも、恐怖も、ゼロではない。

それでも——

 

「……もう大丈夫」

 

自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。

 

何度も転び、何度も心が折れかけた。

義足が重く感じた日も"無理だ"と囁く声に負けそうになった夜も数えきれないほどあった。

 

それでも私は立つことをやめなかった。

踏み込むことを、諦めなかった。

 

飛べない日があっても、飛ぶ自分を想像することだけは、やめなかった。

 

"才能は、失われていなかった"

"努力は、裏切らなかった"

 

 

 

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「――――ッ!!!!」

 

 

 

ボールが高く上がる。

一瞬、世界が静止する。

 

義足と、生身の足。

両方で、確かに床を蹴る。

 

身体が宙に浮く。

高さは、かつてと変わらない。

…いや、今まで以上かもしれない。

 

 

「ッう!!」

 

音羽のスパイクが、鋭くコートを切り裂いた。

 

 

 

「なっ…」

「え?」

 

対面側のコートを一瞬でボールが突っ切る。

新山女子のスターティングプレイヤー達は何が起こったのか理解できないままその場に立ち尽くす。

 

「…なに…今のサーブ」

 

女王こと"天内叶歌"は真横を通り過ぎた"物体"を目で追うことさえできない。

ただ背後で力を無くして跳ね回る音だけが鼓膜を叩いた。

 

 

 

「「「ッ!!!!!!!」」」

 

 

刹那、会場が爆発した。

歓声、拍手、誰かの叫び声。

それらすべてが音羽の耳に届く。

 

 

「…ふぅー…」

 

音羽は額から一筋の汗を流した。

たった一撃のサーブ。しかし体にかかる負担は異様なほど大きいと感じた。

 

「かっ、影山!なんだあのサーブ!」

「あんな早えの見たことねえよ…」

 

「目で追えなかったよ!ツッキーは追えた?」

「……サイボーグでしょ、本当に。」

 

「「おっとはさーーーーん!!ナイッサーーー!」」

 

「大地!音羽ちゃんスゲーーよ!!」

「音羽ちゃん、あんな力隠してたんだな…」

 

烏野のメンバーたちも大興奮に目を輝かせる。

そしてその中で、誰よりも瞳を輝かせ感動の表情を滲ませるのは澤村だった。

 

「((……音羽――))」

 

 

┈┈

 

 

 

「うっわー強烈。若利くんみたいなサーブだねー?」

「……ふっ」

「え、わらった?」

 

白鳥沢の牛島、天童。

彼らも同じく音羽のサーブに驚きを隠せない。

 

 

┈┈

 

 

 

 

「いつもより明らかに打点高いな?」

「岩泉もそう思った?俺もビックリしたんだけど。」

「インハイの時より明らかに高いよな。」

 

岩泉、花巻、松川

彼らは打点の高さに気づく。

義足でのあの跳躍力。只者では無い。

 

「なあ及川。音羽のあんなサーブ見たことねえよな?フォームも…なんか違うし。」

「…………」

「及川?」

 

及川はじっとコートを見下ろす。

まっすぐと鋭い瞳、それは何かを按じている様子だった。

 

 

「((落ち着いて 音ちゃん。))」

 

微かに肩をすくめる。

 

 

「((大丈夫。いつも通りでいいんだよ。))」

 

 

祈るように両手を強く握りしめた。

 

 

「((キミは十分強くなったんだから))」

 

 

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「音羽ナイッサー!!」

「先制点!さすが!!」

「音羽先輩!次も決めてください!!」

 

 

音羽は冷めやまぬ歓声の中、真っ直ぐと立っていた。

 

 

一年前、絶望の底で世界を終えた思っていた音羽。

今、努力と才能を携えて、再び大舞台の真ん中に立っている。

 

「((集中……))」

 

音羽は静かに息を吸い 次のボールをまっすぐに見据える。

 

その姿に対面側に立つ少女たちは身震いする。

 

「みんな!ビビることないよ!取ればいいんだから!」

「アウトラインギリギリ攻めてくるよ!下がって!」

 

主将が全員に指示を出す。恐れ戦く仲間たちの表情は必死だった。

 

「叶歌!来るよ!」

「はっ、はい!!」

 

刹那、響くホイッスル音。

音羽はタイミングを待つことなく直ぐに動き出す。

 

高く飛ぶ姿。

天内は息を飲み身構えた。

 

 

「叶歌!」

「っ!!!」

 

先程と違うコース。

アウトラインを狙うことなく音羽のサーブは完全に女王に狙いを定めていた。天内の表情は怯えに塗れていた。それを音羽は見逃さない。

 

「……うあっ!!!」

 

天内は確かに受け止めた――

が、受け止めた手からボールは激しい音と共にあさっての方向へ。そのボールを誰もカバーすることもできず、哀し気にボールは床を跳ねては転がっていくのだった。

 

まだ始まって数分。何も決まっていないはずなのに、コートの空気は重く沈み、仲間たちの肩がわずかに落ちた。

 

「((…なに…あのサーブ…))」

 

天内は転がるボールを背に、ゾッと顔を蒼くさせた。

 

「((あの打ち方…私の苦手なコースを覚えてた…!))」

 

練習試合や公式戦、数々のシーンで戦ってきたふたり。

音羽は何度も何度も公式戦の動画を見直してきた。練習試合の時も天内だけでなく全選手の苦手なコースも学んできたつもりだ。

 

「((有り得ない…力も技術も…!これじゃ負け――))」

 

チームの主砲である天内(エース)が絶望の沼にハマりかけた瞬間――

 

「叶歌!!集中!!」

「ッ!!」

 

主将が彼女の背中を強く叩く。

その力に我に返る天内はようやく落ち着いて呼吸をはじめた。

 

 

「下を向いたらダメ!!」

 

短く、けれど芯のある声。

振り返った仲間全員の目を、主将は真正面から捉える。

 

「先制点、2点目を取られただけ!次取り返せばいい!」

 

続けてもう一人、また一人と鼓舞していく。

その声は熱く、確かだった。

 

「いい!?才華は強い!でも!私達も強い!」

「ッ……せんぱ」

「ここまで死ぬほど努力してきた!みんな!この日のために!!」

 

その言葉に、震えていた指先がぎゅっと拳を握りしめる。

全員の伏せていた視線が、ゆっくりとネットの向こうを睨み返す。

 

主将はコート中央で一度 深く息を吸った。

 

「集中」

 

笛が鳴る。

さっきまで重かった空気が、音を立てて弾けた。

 

怯えは消えない。

それでも――

天内の背中に残るあの一撃が、仲間たちを前へ押し出していた。

 

 

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「なんか……すごい試合ね。」

「だな。」

 

田中冴子

嶋田誠

 

2人は肩を並べ、観客席から真剣な眼差しで試合を見守っていた。

 

「決勝は3セット先取 5セットマッチ……男子の試合と同じよね?」

「そうだよ。」

 

音羽の先制点から既に4点が入っている今。圧倒的力の差に点差はまだ縮まっていない。

 

新山女子の主将の一喝で空気は変わった――それは、はっきりと分かる。だが同時に、簡単な試合にはならないこともふたりには見えていた。

 

「……長くなりそう」

 

先に口を開いたのは冴子のほうだった。

声は小さく、まるで独り言のようだったが、視線は一点も揺れない。

 

嶋田は腕を組み、ゆっくりと息を吐く。

 

「うん。新山の主将、簡単に折れるタイプじゃない」

 

音羽のサーブが放たれ、受け止めた主将。ようやくここでラリーが続く。一球一球に、両チームの執念が絡みつくようだった。

 

冴子は、無意識に膝の上で指を組む。

 

「序盤であれだけ叩かれて、それでも立て直せるって……相当、気持ち削られるよ」

「削られる分、削り返す」

「ちょっと!怖いんだけど!」

「そういうものだよ。決勝ってのは。しかも春高がかかってる。」

 

嶋田はそう言って、ふっと笑った。

 

「新山にあの主将がいる限り、このチーム ズルズルはいかない。……ただ」

 

言葉を切り、コートを見る目が少しだけ鋭くなる。

 

「フルセット、覚悟だな。」

 

その一言に冴子は小さく頷いた。

応援席の喧騒の中で2人だけが先の時間を思っていた。

 

長い。

簡単じゃない。

体力も、集中力も、心も試される。

 

この試合は、途中で終わるような物語じゃない、と。

 

 

「前回のインハイ予選の決勝。音羽さんはスタミナ切れで敗退したって言われてる。」

「そりゃそーでしょ!義足で5セットもするなんて普通ありえないし!なんかないの?音羽ちゃんだけちょっと休憩増やしてくれるとか。」

「そういうのは一切ない。どこかを怪我していようがみんな平等。そういう茨の道を彼女は選んだんだ。」

 

音羽自身が選んだイバラの道。

それが今日、試される時だ。

 

 

「あと……ほら、あそこ」

「えー?何?」

「あのスーツの、見えるだろ?」

 

嶋田はコソッと冴子に耳打ちした。

そして斜め左の方を向くように視線で誘導すると冴子の視界に大柄のスーツの男性が入る。

 

まっすぐとコートを見下ろすその視線はただの観客ではない雰囲気を醸し出していた。

 

「…え…誰?」

「全日本の監督だよ。雲雀田吹。」

「へぇぇーー!あのヒゲのおっさんが?」

「バカ!声がでかい!」

 

"ごめんごめん"と笑う冴子。嶋田は呆れたようにため息を吐くと再びコートに視線を移す。

逆に冴子はコソコソと雲雀田の様子を伺っていた。

 

「さっきまで居なかったよね?」

「……多分、音羽ちゃんを見に来たんだと思う。」

「え?」

「きっと、この試合で音羽ちゃんの進退も決まる。」

「進退って…」

「だからこそ、この試合。絶対譲れないんだよ。」

 

冴子は形容し難い表情を浮かべた。

残酷にも感じるその事実に僅かな恐怖さえ感じるほどに――

 

 

 

┈┈┈┈┈

 

 

 

"24-12"

才華のセットポイント

 

 

1セット目は点差が開いていくのみ。

平均よりも試合時間は短く、ここまでで18分経過。

 

 

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「叶歌!右!カバー!」

「はい!!」

 

続くラリー。

点差が開いても尚、新山のペースは落ちることは無い。

 

「音羽!こっち!」

「……ッ!!」

 

コートの端から端をめいっぱい使ったロングトス。ボールはエースの元へしっかりと受け渡される。

 

そして即座にカバーに入るのは新山の主将だった。

 

「((1セットも取らせない!!絶対に…取ってみせる!))」

 

音羽から繋がれたボールをエースが強烈なスパイクで相手コースにたたき落とす。

…が、それを意地でも拾ったのは新山の主将。

 

「…!ごめん!」

 

ボールは再び才華のコートへ。

メンバーたちが大きな声で叫ぶ。

 

「チャンスボール!」

「叩き込んで!音羽!」

 

リベロが拾い、音羽へと繋がれるボール。

 

「((どう来る!?いつもならフェイクセットの方が可能性としては高い!行列な一撃を入れる程、もう力は残ってないはず!))」

 

きっとフェイクで来ると全員が予想した。

それに構えるようにエースの方へとブロックを固める。

 

「((止める!!絶対に止める!!))」

 

音羽に向かうボール。

その瞬間、コート内の空気だけが止まる感覚。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ッ!はぁっ!!」

 

フェイクでもなければ真っ直ぐな強烈ストレート。

主将の真横を通過するボール。

全員が息を切らしてはその場に膝から倒れ込んだ。

 

同時に上がる大きな歓声。

1セットは大差をつけストレート勝ちしたのだった。

 

「やっ、やった!!」

「1セット取りましたね!」

 

客席の清水は口元を押さえ、谷地は興奮のあまり声を張り上げた。

 

まさか誰が予想できただろうか。

インハイでは苦戦した相手に点差をつけて1セットもぎ取ったのだから。

 

 

「先輩!さすが!」

「音羽ナイス!!」

「よくあそこで決めたね!」

 

ベンチから駆け寄る仲間たち。

 

「みんなのフォローが凄すぎたよ。特に5点目の時、後ろから拾ってくれなかったら間違いなく取られてた。」

「その前に先制点が効いたね?音羽を初っ端にサーバーにしたのが幸を成したと思う。」

 

タオルとドリンクを片手に直ぐに試合を振り返る。そして次の2セットに向けての準備がコートの傍らで行われる。

 

 

「一先ずよくやった。1セットであの点差。全員の動きに無駄がなかったセットだった。」

「「はい!」」

 

監督を取り囲むメンバーたち。

振り返りが端的に行われた後、それぞれが備える中、監督は音羽だけを呼び止める。

 

「影山」

「はい。」

 

監督を前に軽く頭を下げ息を飲む。

 

「序盤で力みすぎだ。少し落ち着け。」

「はい。すみません。」

「その気持ちは分からんでもないが……ペースをしっかり考えなさい。」

「……はい。」

 

"監督の言う通りだ"と深く反省する音羽。その様子を見た監督は"やれやれ"と言わんばかりにため息を漏らす。

 

「このチームは最強だ。力まずとも大丈夫だ。」

「っ…」

 

監督の大きな手が音羽の肩に触れる。

そして強い眼光で音羽をじっと見つめた。

 

「信じなさい、仲間を。信じなさい、自分の力を。」

「…ッ…はい!」

「ここまでの努力は間違いなく力となって発揮できてる。…影山、頼んだぞ。」

「はい!!!」

 

2人の姿を優しい眼差しで見つめる才華のメンバーたち。

そう。誰よりも彼女の苦しみを理解している仲間たちだからこそ、全員が誰よりも音羽の存在を信じていた。

 

 

┈┈

 

 

「やばいね、インハイの時と全然違うよ才華。」

 

対して新山。

彼女達も監督とともに試合を振り返る。

 

「スタミナ切れさせないように他のメンバーがカバーに入ったり、できるだけ影山さんが大きく動かないようにしてるね。」

「それ私も思いました。影山さんの動く範囲を限定的にして、それぞれがちゃんと的確な場所でボールを繋いでました。」

 

恐ろしいのは音羽が強いだけではない。

ほかのメンバーたちも恐ろしく強くなっていた。

 

それはテクニックや力ではなく"頭を使って動いている"。本能で動く前に無意識に頭の中で難しい計算式を即座に解いているような――なんせ彼女たちは偏差値が高い秀才でもある。今更ながら恐ろしい集団だ。

 

 

 

「――"そこが弱点よ"」

 

 

少女たちの上がった声に監督は即座に切り返す。

 

「セッターの影山さんをなるべくして動かさない。…だけどその分必ず他の誰かが重荷を背負うことになる。」

「でも、それも計算してるんじゃ…」

「いいえ。見ている限り、体力も考えて動いていたのは影山さんとエースだけ。あとの4人はそれなりに考えている素振りはあったけど突発的なことには反応しきれてなかった。」

 

頭で考えていても体はその信号を聞けないこともある。当たり前だ。余程のセンスと経験がない限りかなり厳しいだろう。

 

 

 

 

「"ブロッカーの11番と9番"。あの2人の隙間を狙って。」

「「はい!」」

 

 

 

 

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2セットスタートのホイッスルが鳴り響く。

ポジションには音羽の姿があった。

 

 

「2セット目、セッターは変わらず音羽ちゃんだね。」

「ああ。良い流れがきてる。このまま上手く行けばいいけどな…」

 

菅原は音羽のいつもと変わらない元気そうな姿に安堵し、澤村も同じくホッと息をつく。

 

 

┈┈┈

 

 

「新山、メンバーチェンジにローテの組み直し。何か策でも練ったみたいだな。」

「だね。主将ちゃんと女王は健在。2年2人外してガタイのいい3年投入…」

 

岩泉と及川は冷静に分析をはじめる。

 

「…なあ、松川。」

「ん?」

「音羽ちゃん、めっちゃ意味深そうに笑ってない?」

 

花巻は松川の肩を叩き 音羽を指さす。

そこには"笑っているのに、目がまったく笑っていない"微笑を浮かべる音羽。

 

計算し尽くしたような、次の一手を愉しむような、静かな笑いだった。

 

「はははっ!やっぱり姉弟揃って笑い方似てるね?」

「あいつ、なんか企んでやがんな?」

 

花巻の気づきに即座に反応する及川と岩泉。

あの笑いを理解した2人は面白そうに反応を見せる。

 

「え?何かわかんの?あの笑い方で。」

「確かにあの笑い方は弟を思い出させる顔…」

 

花巻と松川は理解できていない様子。

やはり中学時代からの親友は侮れない。

 

 

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――はじまる2セット目

 

 

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「―――ブロック!!」

 

新山の強烈なアタック。

それは何度も同じ場所に打ち付けられるも反応が遅れ、連続で2点入れられてしまった。

 

「先輩!すみません!」

「次はもっと早く反応します!」

 

「大丈夫だよ!」

 

2年の高身長ブロッカー2人組。

気付けば顎から汗水が垂れ落ちるほど疲労していた。

 

 

 

「((…やっぱりおかしい。ローテの組み方とメンバーを見た時から違和感があるあったけど…さっきとアタッカーが叩く位置が全く違う…))」

 

何度も行き交うボール。

9-4で気付けば点差は5点。今度は新山がリードする。

 

「((セッターは2年生。確かあの11番の子、スタミナは無いけどコントロール力はすごく高かった。位置取りも完璧――私にボールが落ちてこない。))」

 

試合開始の時に気づいた違和感。

音羽の視線は仲間のブロッカーへと向く。

 

 

点と点、線で繋がっていく。

 

 

「…やっぱり。そうだ。」

 

ボソリと呟かれた台詞。

核心へと繋がったその時、身体中のアドレナリンが放出された気分だった。

 

 

 

「先輩!?」

「ブロックは私達――」

 

ブロッカー2人の間を狙ったコース。エースから放たれたボールを遠距離から走り向かっては2人の間に入り込み止める音羽。

 

「なっ…!」

 

それを目の当たりにした新山の監督は呆気にとられる。それは同じくコートにいる全員もだった。

 

ブロッカーと3人でせき止めたボールは相手コートに力なく落下。新山のメンバーが拾おうと滑り込むも間に合わない――

 

 

「ッ…」

「はぁ…はぁ…」

「嘘…でしょ…」

 

滑り込んだ3人はネットを見上げる。

そこには余裕を含んだ視線で見下ろす音羽の姿。

 

「((私以外のメンバーのスタミナ切れを狙っても無駄だよ))」

 

完全に見破った音羽。

それを感じ取った相手は身震いする。

 

「((読まれた!))」

 

観客がざわめく。

だが一番早く異変に気づいたのは、相手選手たちだった。

 

"まただ"

"読まれてる"

"なんで、そこにいるの"

 

視線が合う。

音羽は何も言わない。

ただ、確信を持った目で、次のプレーを待っている。

 

天内の指先が、わずかに震えた。

仕掛ける策が、もう残っていないことを悟ったからだ。

 

「……どうするの」

 

誰かが、かすれた声で呟く。

それは弱音というより、現実の確認だった。

 

音羽は再び静かに息を吸い、構える。

勝負は、もう始まっていない。

 

第2セットは、

彼女が"すべてを見破った瞬間"に、終わりへ向かっていた。

 

 

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「おー!さすが音羽!まさかの3セットで終わる?」

「………」

「ん?あかーし?どうかした?」

 

学習室で配信を観る2人。

あっけなく終わってしまいそうな決勝戦を前に、木兎は呑気に笑っていた。

しかし赤葦はどこか引っ掛かりがあるような表情で画面に映る才華のコートを見つめていた。

 

 

「恐らく、才華はもともと3セットストレート勝ちを狙ってました。音羽さんの動きと周りの動きを見たら明白です。」

「え!?そーなの!?気づいてたってわけ!?」

「…木兎さん。声抑えてください。」

「のあっ!!…悪い悪い…」

 

赤葦は右手で口元を覆う仕草を見せ、再びシリアスな雰囲気を纏う。

 

「音羽さんは他の人よりハンデが大きすぎる。義足での5セットマッチは普通じゃ無理ですから。結果としてインハイもそれで負けてます。…かといって、途中でメンバーチェンジもリスクがあります。なんだかんだ音羽さんのテクニックがあってこその才華ですから。」

「…んーー?」

「要するに"音羽さんへの負担"。さっきの2セット。結局点差は5点ほど。デュースにはならなかったものの音羽さんの体力はかなり削られてます。明らかに1セットの時と比べて"動きすぎてる"。新山も強豪ですから、さすがに振り方が上手かったです。」

「んん…んーー????」

 

目を丸くさせ腕を組み、首を傾げる木兎。

呪文のようにつらつらと論理的な言葉を発する赤葦についていけず。

 

「左目のせいで遠近感もない中、集中力だっていつもより削がれる。」

「……ってことは」

 

2人の視線が交わる。

ハッと目を見開く木兎に赤葦は小さく頷いた。

 

「"音羽さんの体に異変が出始める"…俺はそれを懸念してるんですよ。木兎さん。」

 

 

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"第3セット"

既に2セットをとった才華。ここで踏ん張れば――

 

 

――勝てる。

 

そう確信した瞬間だった。

 

 

 

「よし!3セット目!作戦通りここで決めるぞ!」

「「はい!!」」

 

監督の掛け声に意気揚々と声をあげるメンバーたち。音羽もスクイズボトルからしっかりと水分を補給し、ベンチから立ち上がる。

 

「((あと1セット……大丈夫……だいじょ――))」

 

刹那、音羽の顔に緊張の色が走った。

一歩踏み出したとき、義足の内側でじわりと嫌な感触が広がった。

 

痛み、というより先に違和感。

擦れる感覚。熱。

義足の断端、装着部に水膨れが潰れかけているのが はっきりとわかる。

 

血は出ていない。

まだ、外から見れば何も起きていない。

 

しかし――問題はあとひとつ。

"存在しないはずの足が、強く疼いた"

 

あの嫌な幻肢痛だ。

何度も何度も自分を悩ませてきた症状だ。

焼けるような、締めつけられるような痛み。さっきまで自由に動いていた脚が、急に"そこにある"と主張し始める。

 

「((…まずい。))」

 

胸の奥が冷える。

 

ここで勝たなければ。

ここで終わらせなければ。

 

この痛みがこれ以上進めば――

次は、きっとコートに立てない。

 

「…くっ……」

 

音羽は一瞬だけ歯を食いしばった。

顔には出さない。誰にも、悟らせない。

 

だが、チームは気づいた。

 

「……音羽?」

「先輩?」

 

エースや後輩達がさりげなく近づく。

その声は優しく、しかし強い。

 

音羽は小さく頷いた。

嘘だとわかっている頷きだった。

 

「あと少し時間あるし、ちょっと座ってよう?」

 

エースが音羽の手を握りベンチへと促す。

その様子に気づいた監督は何も言わず、ただただ見守っていた。

 

「…みんな…」

 

音羽の周りに集まる仲間たち。しかし誰も何も言わず、音羽の様子を伺っていた。

 

「…ごめん。…だいじょ」

「""ここまで来れたの、誰のおかげだと思ってるの""」

 

音羽の言葉を遮るエースのハッキリとした声。俯きがちだった顔をあげると仲間たちは口元に笑みを浮かべ、勝気な顔をしていた。誰も不安そうな顔をしていない。

 

そう、みんなわかっていた。

"こうなることは分かっていた"

 

誰も恐れていない。

恐れているのは音羽だけだった。

 

「もう答え出てるんでしょ?」

「え?」

 

控えの同学年のセッターが音羽の手を強く握りしめる。

 

「音羽が見破った。音羽が繋いだ。あとは……一緒に取るだけ。」

 

音羽の視界が、わずかに滲む。

 

"無理するな"と誰も言わなかった。

"あとは私たちに任せて"なんて言葉も。

 

「音羽!」

 

代わりに、背中を強く叩く。

 

「ここは、音羽の場所でしょ!」

 

その一言で胸の奥が熱くなる。

痛みよりも恐怖よりも、

立ちたい理由が勝った。

 

「私たちは!音羽がいたからここまで来れたの!」

 

エースが力強く言葉を放つ。

 

「全国に行くのも諦めてた!バレー部自体、解体されてたかもしれなかったのに!音羽はたったひとりでここまで作り上げたの!!」

「ッ…」

「だから!私たちはみんな決めてる!音羽のいないコートに立つつもりはない!」

 

仲間たちは理解していた。

音羽が辛いのはコートに立てなくなること。だから彼女は義足だろうがなんだろうがここに立ち続けてきた。

 

その思いを無下にするものかと。

今のこの時間を最大限めいっぱい楽しめるようにと、メンバー全員で思っていたことだ。

 

「だから決めるよ!ここで決める!!」

「ほら行くよ!」

「先輩!もししんどくなったら声掛けてください!」

「私たちが絶対に繋ぎます!!」

 

仲間たちに手を引かれる。

背を押され、無意識に立ち上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「((――最後でもいい。))」

 

 

もし、これが最後の試合になっても。

もし、もう二度とコートに立てなくなっても。

 

この瞬間だけは、

この仲間と、この場所で。

 

「((愉しみたいんだ。))」

 

音羽は再び、コートに立つ。

 

義足の奥で痛みが暴れる。

幻の足が悲鳴を上げる。

 

それでも。

音羽は前を向き、構えた。

 

 

第3セット。

彼女はまだ倒れない。

 

 

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┈┈┈┈┈┈

 

 

 

"さあ、楽しいバレーの時間"

 

 

 

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

「……姉ちゃん。」

「ん?何か言ったか?影山?」

 

観客側で唯一気づいていたのは弟の飛雄。

握りしめていた拳により一層力がこもった。

 

 

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

ラリーが異様なほど長く続く。

 

得点はすでに 24-24。

体育館の空気が、重く張りついている。

 

1点取ればマッチポイント。

1点落とせば、また振り出し。

 

 

25-24。

音羽のスパイクが決まる。

ベンチが立ち上がる。

あと1点。

 

──だが、取れない。

 

25-25。

レシーブが奇跡的につながり、女王がねじ込む。

 

26-25

27-27

28-28

 

永遠に続くかのようなデュース。

 

観客の声は、いつの間にか消えていた。

手を祈るように握る者、呼吸することさえも忘れてしまいそうなほど口を唖然と開けている者。

 

聞こえるのは、床を踏みしめる音、ボールを叩く音。

 

そして自分の心臓の音だけ。

 

 

マッチポイントは もう何度目か分からない。

勝てるはずだった。終わらせられるはずだった。

 

でも、終わらない。

 

「はぁ…ッ…はぁ…」

「ふうーッ……」

「…ッ…う……」

 

選手たちの肩は重く、太ももは張り裂けそうで息は荒い。

 

それでも、誰も下を向かない。

 

 

 

 

30-30

 

 

永遠のように続いたデュースの中で、

最後に残るのは

技術でも、体力でもなく──

 

折れなかった気持ち。

 

 

誰も決めきれない。

誰も、譲らない。

 

 

「…うっ…ぐ…」

 

音羽の義足の内側では、潰れかけた水膨れが、一歩ごとに更に主張してくる。延々と幻の足が焼けるように痛む。

 

「((……ここで、終わらせる))」

 

音羽は滑り込むようにボールを拾い上げた。

そして再び立ち上がる。

足の感覚はむちゃくちゃだった。ただただ本能だけで体が動くだけ。気味が悪いほどに。

 

「((しんどい、止まってしまいたい、でも動きたい――))」

 

 

この1点が、すべて。

 

ボールの動きを見据えたその一瞬、

音が遠のいた。

 

「((…あれ――))」

 

体育館が溶け、代わりに やけに鮮明な景色が流れ込んでくる。

 

 

┈┈┈┈

┈┈┈┈

 

 

 

夕方の公園。

まだコートなんて呼べない、ひび割れたアスファルト。

 

「こうやって、手を出すんだよ」

 

自分の言葉を真似して、ぎこちなく構える小さな弟。

 

最初のトスは、当然のように失敗して、ボールは変な方向に飛んだ。

 

それなのに――

 

「今の、バレーっぽくない?」

 

そう言って、弟は楽しそうに笑った。

 

悔しさも、勝ち負けも知らない笑顔。

 

ただ一緒に、ボールを追いかけるのが楽しくて仕方ない顔。

 

 

「姉ちゃん!もう1回!」

 

息を切らしながら、何度も何度もトスを要求してきた。

 

あの時、自分は思った。

 

この子に、バレーを好きになってほしい。

 

この子と一緒に――

 

飛雄と一緒に――

 

 

 

 

 

┈┈

┈┈

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

「――っ!!」

 

ボールが弾かれる音で、現実に引き戻される。

 

目の前にはネット。

手のひらには、汗。

そして、背後には仲間。

 

 

弟の笑顔が、胸の奥で静かに灯る。

 

"まだ終われない"

あの続きが、ここにある。

 

「((――私のトス…))」

 

音羽は一歩、踏み出した。

 

丁寧なフォーム

完璧な位置取り

両手の平をいっぱい開く

 

「((私の…バレーボール))」

 

ボールが落ちてきた瞬間、音羽は悟った。

 

――このボールだ。

 

足を大きく踏み込む。

痛みが走る。

けれど、同時に仲間の声が背中を押した。

 

「音羽!!」

 

エースの声が、誰よりもはっきり聞こえた。

 

音羽はボールを完璧に上げる。

 

最高のトスを。

今の自分に出せるすべてを――

 

 

 

「「「――ッ!!!!!」」」

 

 

 

 

音羽が繋いだボールをエースが打ち抜いた瞬間。

 

 

ボールは相手ブロックの指先を弾き、コートの奥へ落ちる。

 

――ワンバウンド

 

一瞬、音が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!!」

 

ホイッスル。

得点。

 

第3セット、マッチポイント。

 

音羽はその場で、崩れるように膝をついた。

 

義足が限界だと叫んでいる。

幻の足が静かに震えている。

 

でも。

 

頬を、温かいものが伝った。

 

痛みじゃない。

恐怖でもない。

 

「((…繋げた――))」

 

 

テクニックでも力技でもない普通のトス。

しかしそれは丁寧で完璧で、ブレのないトス。

 

それを繋いだ仲間たち。全てが勝利へと繋がった。

 

 

「ッ…!!音羽!!」

 

仲間が一斉に駆け寄る。

放心する音羽に飛びかかるように抱きつく仲間たち。

 

「ナイストス!!」

「先輩!!やりましたよ!!」

 

誰かが肩を抱き、

誰かが頭を叩き、

エースはただ黙って額を寄せた。

 

「……音羽……ありがとうッ……」

 

その一言で、音羽の涙は堪えきれなくなった。

 

 

 

 

 

「うっ……うぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

コートの中央で音羽は初めて声を出して泣いた。

 

足を失った時の泣き叫び声ではない。

 

痛みも、犠牲も、この一本に、すべて詰まっていた。

 

このプレーが、

音羽の脚だった。

音羽の時間だった。

音羽の、居場所だった。

 

観客席から、遅れて大きな拍手が起こる。

 

音羽は涙に濡れたまま、仲間たちに支えられ一緒に立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

才を信じ、

華を咲かせ。

 

それは弟へ向けた祈りであり、

仲間への誓いであり、

そして何より、

自分自身への約束だった。

 

 

 

┈┈┈

┈┈┈

 

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┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

「――外しますね?」

 

 

医務室の椅子に音羽の姿はあった。

目の前には大会の男性医務員。明らかに苦しそうな音羽を前にゆっくりと義足を外す作業に入っていく。

 

 

歓声はもう遠い。

耳鳴りのように残る拍手だけが まだ体の奥で揺れている。

 

「……ッ…」

「大丈夫ですか?」

「はい……すみません。」

 

ロックを外した時の弾みの痛みで現実が戻ってきた。

 

固定が緩んだ瞬間――

 

 

「……っ」

 

息が、喉で詰まった。

 

皮膚は赤く腫れ、水膨れはいくつも潰れかけている。血は出ていない。

 

けれど、健康な状態からはあまりにも遠い。

 

「少し触れますね?」

 

触れられた瞬間、幻の足が遅れて悲鳴を上げた。

 

「うっ…ぐ……ぅ」

 

焼ける。

締めつけられる。

指先が、そこにあると主張してくる。

 

音羽は、歯を食いしばった。

冷や汗がぽたぽたと滴り落ちる。

 

「……これは、思ったより」

 

医務員の声が、わずかに沈む。

 

「今日は、もう動かさないでください。無理をすると、次が――」

 

その先は、聞かなかった。

代わりに、廊下を駆ける足音が聞こえた。

 

医務室の前で、4人の青年たちが同時に足を止める。

 

心配で、駆けてきた。

誰よりも早く、顔を見たかった。

 

けれど。

 

"彼女の弟"を前に、3人は何も言わずただ扉の前で立つのみ。

 

息を切らした、彼女の最愛の弟。

 

3人は、顔を見合わせる。

 

 

「今は俺たちの番じゃないかもね?」

「そうだな。」

「ああ。俺たちは今じゃない。」

 

及川、澤村、牛島。

 

悔しさでも、嫉妬でもない。

ただ、安心したようにホッと胸を撫で下ろす。

 

「…あざす!」

 

飛雄は彼らに一礼すると医務室をノックし、ゆっくりと扉を開ける。

 

今は弟がそこにいる。

 

一番近くで、

一番触れていい存在が。

 

 

「……よかった。飛雄ちゃん。」

「そうだな。」

「ああ。」

 

影山姉弟のバックグラウンドを知る者たち。

この試合で得たものは春高への切符だけではない。

 

"姉弟"が歩んできた道。

その道に明確な行き先が出来上がった。

 

その喜びを3人は理解していたのだった。

 

邪魔をしない。

それが、今できる最大の想いだった。

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

 

「ある程度できる処置は終わりましたよ。少し休んでいてください。」

 

「ありがとうございます。」

「あざす。」

 

医務室のカーテンがそっと閉められる。

飛雄は音羽が横たわるベッドの横に立ったまま、言葉を探していた。

 

 

「……試合、お疲れ…様。」

 

それだけが、やっと出てきた。

 

「うん。ありがとう。」

「…ッ…」

 

優しく微笑む姉の姿に胸が締め付けられた。

春高への切符を掴んだ喜び、そして痛みに耐える姉への複雑な思い。

 

やはり何度も蘇ってしまう。

あの事故のこと。事故のあとから、何度も、何度も喉まで上がってきては、呪いのように口にしていたこと。

 

「俺が……俺のせいで……」

 

声が、震える。

握った拳が、白くなる。

 

音羽は静かに飛雄を見上げた。

 

 

「ねえ」

 

やわらかい声。

 

「それ、まだ言うつもり?」

 

飛雄はハッと目を見開く。

音羽は少し困ったように笑った。

 

「たしかにー…まあ足は痛い。今のところまだまだ5セット持たないし。…でもそれって――飛雄が奪ったんじゃないよ?」

 

飛雄の喉が鳴る。

 

「私が、守ろうとしたの」

 

その一言で、飛雄に積み上がっていたものが音を立てて崩れた。あまりにも優しくて姉らしい返しに、苦しくなった。

 

「もう最後だよ?これを言うのは。……前と同じこと言うけど――」

 

音羽は少しだけ身を起こして飛雄のジャージの袖をつかむ。

 

「飛雄が無事だった。それで、全部いいじゃない。」

「ッ……」

「飛雄のお陰で、私はここまで頑張れた。その通りでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

――ぽた。

 

言葉より先に、涙が落ちた音がした。

 

飛雄は顔を覆う。

声を出すのも忘れて、

ただ、肩を震わせる。

 

「……姉ちゃん……」

 

嗚咽が零れる。

 

音羽はそっと手を伸ばし、飛雄の頭に触れた。

 

「泣いていいよ」

「…………」

「ずっと、我慢してたでしょ」

「…………」

「苦しみも喜びも、全部一緒に半分こだよ!」

「……お、う。」

 

飛雄は子どものように頷く。

 

そして、音羽は堪えきれず、飛雄を強く抱きしめる。

 

「……ありがとう、飛雄。」

 

何に対しての言葉かも、もう分からなかった。

ただただぎゅっと抱きしめる。

 

 

「ていうか!勝ったんだよ!私たち!」

「…ッ…おう!」

 

飛雄は涙に濡れたまま、何度も頷いた。

ふたりは、静かに笑う。

 

「これからだよ!影山姉弟!次は春高!」

「……おう!」

「その次は!日本代表!!」

「おう!」

「よし!泣いてる場合じゃない!早く行こう!」

「ちょ!それはダメだろ!まだ表彰式まで時間あるだろ!」

「今日の夜の筋トレメニュー!飛雄が組んでね!」

「アホか!」

 

和やかな空気に包まれる医務室。

笑い声は外へと漏れ、様子を伺っていた3人の青年たちは自然と笑みを零していた。

 

 

 

 

 

失ったものを数える代わりに、

守れたものを抱きしめながら。

 

 

世界は永遠に輝き続ける。

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

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┈┈┈

 

 

 

 

表彰式の時間が、訪れた。

 

体育館の中央に、表彰台が設けられる。

さっきまで熱を帯びていたコートは、

嘘のように静まり返っていた。

 

床に残る汗の跡。

ベンチに置き去りにされたタオル。

それぞれの戦いが確かにここにあった証。

 

 

┈┈┈

 

 

先に呼ばれたのは、男子代表校。

"烏野高校"

 

ユニフォーム姿の選手たちが、

一列に並び、ゆっくりと前へ進む。

肩はまだ熱く、視線には喜びと誇りが同時に宿っていた。

 

賞状を受け取る瞬間、主将の澤村が小さく息を整える。

 

この舞台に立つまでの道のりを、

誰よりも知っているから。

 

 

 

 

続いて、女子代表校。

"才華女子高等学校"

 

名前が呼ばれた瞬間、観客席の空気がわずかに揺れた。

 

何度もデュースを越え、最後の一点まで戦い抜いた選手たち。歓声が、再び満ちていく。

 

そして主将である音羽は、車椅子で現れた。

 

拍手が、一瞬、戸惑いを含んで揺れる。

けれど、それはすぐに、割れるような大きさに変わった。

 

音羽は、背筋を伸ばしていた。

逃げない。隠れない。

 

義足のない脚は、今日戦い切った証だった。

 

 

 

それぞれの高校が賞状を受け取り、大会主催者の男性が締めくくりの大会総評、閉会の挨拶へと進む。

 

 

その後ろで見守る代表選手たち。

そして――隣同士、方を並べるのは各校の主将。

 

澤村と音羽だった。

 

 

 

「叶った。」

「え?」

 

2人にしか聞こえない声のボリューム。

視線は前を向いたまま、2人は密かに会話をする。

 

 

「いつか、音羽の隣に立つって。」

「うん。言ってたね。」

「……やっと、叶った。」

 

それ以上多くは語らない。

それだけで、十分だった。

 

 

 

「大地」

「ん?」

 

音羽は口元に笑みを宿す。

 

「春高。頑張ろうね。」

「ああ。」

 

短いやり取り。

でも、その間にあった時間は、

きっと誰よりも長い。

 

 

 

 

 

 

車椅子でも。

義足でも。

関係ない。

 

彼女は、胸を張る。

 

ここまで来た。

ここに立った。

それだけで、十分だ。

 

表彰台の光の中、音羽と澤村は、並んで前を向いていた。

 

終わりじゃない。

――これは、ただの一区切り。

 

そう告げるように。

 

 

 

「((あ……))」

 

音羽は視線を上げる。

 

するとスタンドの向こうに、見慣れた顔がある。

 

支えてくれた人たち。

信じ続けてくれた人たち。

 

そしてきっと、この場に居ない仲間たちも――

 

 

笑ってくれていると、音羽は嬉しくてたまらなかった。

 

 

 

┈┈┈

 

 

 

さあ、ここからが全国。

 

男子も、女子も。

それぞれの代表校が、

同じ舞台へ進む。

 

同じ春へ向かって。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雲雀田監督、どうします?」

 

 

 

会場をあとに、2人のスーツの人物が車に乗り込む。

 

 

 

 

「もう決まっているよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「音羽さんを強化選手に再招集しよう。」

 

 

 

 

 

 

 

歯車がもうひとつ、確実に動き始めていた。

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

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