影山姉弟   作:鈴夢

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集う強者たち

2012年 12月5日――

 

 

┈┈┈┈┈

 

 

はやぶさの扉が静かに閉まり、加速の気配が床から伝わってくる。

 

窓の外、冬の澄んだ景色が線になって後ろへ流れていった。

 

席に座る"姉弟"

姉は通路側、弟は窓側。

弁当の紐をほどくと、紙の擦れる音がやけに大きく響いた。

 

 

 

 

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――午前9時すぎ

新幹線 はやぶさ8号 東京行き 車内にて――

 

 

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「「いただきます。」」

 

姉弟――改め"影山姉弟"

 

ふたり同時に言って、視線が合う。

音羽は照れ隠しに笑って箸を取った。

 

少し冷えた弁当。駅弁とは不思議なものだ。出来たてではないのに何故か特別に美味しく感じてしまう。

 

甘辛い肉、白いご飯、少しだけ酸っぱい漬物。噛むたびに、これまでの時間が胸の奥でほどけていく。

 

 

姉弟が向かう先は東京。

——全日本ユース強化合宿。

高校生でそこへ呼ばれる意味をふたりは理解していた。

 

とくに音羽は――一度外れてしまった道に再び戻ることが出来たのだ。足を失っても尚、音羽に与えられたバレーの才能。そして努力が認められ実を結んだ。

 

なにより"姉弟"で参加できることに喜びを感じていたのだった。

 

 

 

 

「飛雄、牛タン一切れちょうだい?」

「ん。」

 

飛雄は弁当を差し出す。美味しそうな牛タンが並べられ、しっかりと白米が詰められた駅弁。音羽は一切れ箸で摘むとそのまま口へと運び込んだ。

 

「食った後、薬飲み忘れるなよ?ちゃんと持ってきてるよな?」

「うん。もちろん。」

「予備も俺が念の為持ってきてる。困ったら俺に言えよ。」

「いつもありがとう、飛雄。」

 

弟の優しさにはいつも感謝している。

どんな時も支えになってくれる存在が近くにいるのは心強い。

 

「……いいなー牛タン。」

「もうやらねえぞ。」

「えー、ケチ。」

「俺は言ったからな。どうせあとから牛タンがよかったって言うだろうから"むすび丸弁当"はやめとけって。」

「だってむすび丸好きなんだもん。可愛いから。」

「可愛いと食いたいもんは違うだろ……」

 

音羽が駅で選んだ駅弁は所謂"キャラ弁"というやつだ。どうやらいつも合宿に行く時は"むすび丸"弁当を購入するというのがお決まりだったとか。

 

「ちなみに。若利くんもいつもむすび丸弁当だったんだよ。」

「え?あの人が?」

「そう。若利くんと合宿参加が被った時はいつも一緒に行ってたし。2人でむすび丸弁当買って食べてたの懐かしいな……」

 

"あの牛島が可愛いキャラ駅弁を……?"と疑うような内容だ。だが同時になんとなく想像できる自分もいたのだった。

 

「――楽しみだな、合宿。」

 

音羽はふと箸を止め、呟く。

その声には、緊張の色がまるでない。飛雄も一瞬、箸を止めて音羽の横顔を見た。

 

「姉ちゃん、緊張しねーの?」

 

強化合宿。全国のユース選手が集まる場所だ。

自分は胸の奥がそわそわして仕方がないのに、と言わんばかりの声音だった。

 

音羽は噛んでいたご飯を飲み込み、飛雄のほうを向く。そして、いつもの試合前と同じ、少しだけいたずらっぽい笑顔を浮かべた。

 

「うん、しないよ」

 

そう言って肩をすくめる。

 

「だってコートに立ったら やることはいつもと一緒でしょ。ボール追いかけて、仲間信じて全力でトスするだけ」

 

飛雄はその笑顔に、ふっと力が抜けたように息を吐いた。駅弁の蓋を閉じ直しながら、小さく笑う。

 

「……さすが、だな」

 

新幹線は速度を上げ、東京へと向かっていく。

窓の外を流れる景色の中で、姉弟の決意だけが、静かに、確かに前へ進んでいた。

 

 

 

「((…あの場所で、あの空気の中――"またみんなに会える"))」

 

音羽は脳裏に仲間たちの姿を浮かべた

 

 

 

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――東京都内 在来線乗場

 

 

「聖臣ー!ほら乗るよ!」

「……」

「……音羽さんに会えるね?」

「ウルサイ」

「ムスッとしてないで!再会する時は笑顔!!」

「ウルサイ」

 

「((……聖臣。音羽さんに会えるの楽しみなくせに))」

 

 

┈┈┈┈

 

 

――北海道 函館空港

 

 

「光来くん。行ってらっしゃい。」

「行ってくる。」

「音羽さんによろしくね!」

「なっ、なんでだよ!!」

「だって音羽さんの話し面白いし。勉強になるでしょ?」

「気が向いたらな!」

 

「……相変わらず。音羽さん相手だと面白い反応するなあ光来くん。」

 

 

┈┈┈┈

 

 

――兵庫県 新神戸駅

 

「なんっっっっでやねん!!俺は呪われとんか!」

「ドンマイツム。」

「こんな時に遅延て!!遅刻確定やん!」

「お姉ちゃんの言うこと聞かんかったお前が悪い。"関西は雪がパラつくから2、3本早めの新幹線で出た方がいい"て。お前散々昨日電話で言われとったやんけ。」

「……あかん……絶対先越される。臣くんに先越されるて。」

 

「何言うてんねん。はよ行けカス。」

 

 

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北から南。

日本列島を縦断するように、選ばれし選手たちが一つの場所へ集っていた。

 

 

山間部の景色から一変、車窓から見える景色はビル群に。飛雄は窓の外を見たまま、ぽつりと言う。

 

「……東京、だな」

「うん。東京だね」

 

音羽は頷きながら、荷物をまとめ始めた。

 

言葉は少ない。でも、沈黙は重くない。

体育館の匂い、ボールの音、指先に残る感覚。

同じ未来を思い描いているから、説明はいらなかった。

 

「飛雄」

「ん?」

 

向かい合うふたり。

車窓からビルに反射する太陽の光が差し込む。

 

「頑張ろうね!」

音羽は拳を突き出し笑顔を向ける。

 

「ああ。」

飛雄はそう答えて、拳を軽くぶつけた。

 

 

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「……"ウツノミヤセン"」

 

新幹線でのゆったりとした時間はつかの間。飛雄は車椅子のハンドルを手に絶望していた。

 

 

東京駅の構内は、まるで巨大な生き物の腹の中のよう。

人の流れが絶え間なく脈打ち、足音とアナウンスが重なり合って、空気そのものが嫌なほどざわめいている。

 

「……わけわかんねえ。」

 

飛雄は思わず声を漏らし、音羽の車椅子を押す手に力を込める。

仙台とは比べものにならない人の数。

四方から流れ込んでくる背中とスーツケースに、視界が塞がれていく。

 

ぶつからないように、止まらないように。

それだけで精一杯だった。

 

「大丈夫、ゆっくりでいいよ。……ていうかやっぱり歩こうか、大変だし…」

「もっ、問題ねえ!姉ちゃんは車椅子で座ってろ!」

 

飛雄は荷物をしっかりと背負い、細心の注意をはらいながら突き進む。明らかに動揺する飛雄、そして前を向いたまま音羽は穏やかに笑う。

 

「((ウツノミヤセン……ウツノミヤセン……))」

 

見上げれば、案内板に並ぶ無数の路線名。

地方から集まった人々が、それぞれの目的地へ散っていく。

――この中に、合宿へ向かう選手たちもいるのだろう。

 

「えっと……宇都宮線、エレベーターマーク!あったあった!7番って書いてるところ!」

 

音羽が指で示す方向へ。飛雄は頷き、再び人波に踏み込んだ。

 

「……」

「飛雄?」

 

姉が示した方向に向かうも、人に埋め尽くされ方向を失う。また頭上の看板に目を向けるも複数の路線名に番号、矢印に見慣れないマーク――目を回すように飛雄は混乱すると立ち止まってしまう。

 

「多すぎだろ……てか訳わかんねぇ。」

「そんなに難しくないよ?」

「東京の人って歩く速度こんなに速いのかよ…」

「……」

「ぶつかってきても謝りもしねえし、本当に同じ人間か……?」

 

半ば呆然としたその呟きを聞いて、音羽は思わず吹き出した。小さく、くすっと。

 

「ぷっ……ふふっ」

「わっ笑うな!俺は東京駅初見なんだよ!」

 

飛雄は顔を真っ赤にしてはエレベーター乗り場へと車椅子を押し進める。

音羽は変わらず笑っていた。その目が少しだけ懐かしそうに細められていたのだった。

 

「昔ね、同じこと言ってた子がいたの」

 

記憶の奥をたどるように、音羽は移り変わる天井の案内板を見上げる。

 

 

┈┈┈

 

――『うっ、ウツノミヤ線ってどっから乗ればええんか教えてください!』

 

手書きで記されたメモを片手に戸惑う少年

 

――『アカバネ駅?までとりあえず行かなあかんくて……そっからバスとか乗り継がんとあかんくて……俺……東京駅来るの初めてで……分からんくて…………すんません……』

 

申し訳なさそうに後頭部を押さえ頭を下げる――宮侑

 

 

┈┈

 

 

 

ユース強化合宿で初めて東京に来た日のことだった。

 

「その子もね、今の飛雄と全く同じ顔してた」

 

そう言って、音羽はまた笑う。

既視感、という言葉がぴったりだった。

 

飛雄は一瞬きょとんとしてから、苦笑いを浮かべた。

 

 

「"侑"と同じ。あの子も最初同じようなこと言ってたなって。」

「アツム?」

「"宮侑"、稲荷崎高校2年のセッター。月バリで見たことあるでしょ?ツインズで有名な宮兄弟。」

 

飛雄はそのワードにハッと目を見開いた。

そしてその人物は姉を慕っていることも何となく知っていた。

 

 

「私の"もう1人の弟みたいな存在"なんだ。」

 

 

 

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「""ぶえっっっくしょん!!""」

 

豪快に轟く声

 

「誰や、噂しとんのは!!」

 

名前は宮侑。

稲荷崎高校 2年 セッター。

 

彼もまた、ユース強化合宿に招集されたひとりだった。

 

 

ふわりと揺れる金髪。整えすぎない無造作な髪先が、侑の気まぐれさと自信をそのまま映しているようだ。

 

切れ長の瞳は鋭く、蜂蜜色に光るその目は、獲物を射抜く猛禽のよう。だが笑えば、途端に悪戯っぽく細められ、口元には挑発的な笑みが浮かぶ。

 

その笑みひとつで、味方も敵も翻弄する。

そんな青年だった。

 

「……」

 

車窓を流れる景色は、冬の光を浴びて淡く滲んでいた。

新幹線の規則正しい振動が、胸の奥の高鳴りを余計に意識させる。

 

「((とりあえず大遅刻は免れてよかったあ……だって今日は――))」

 

 

侑は携帯画面をそっと開く。

 

 

「やっと会える。"お姉ちゃん"。」

 

そこに映るのは、数年前に撮ったツーショット写真。少し照れた自分と、隣で屈託なく笑うあの人。

 

自分のバレーを形成してくれた先輩であり、時に厳しく、時に優しく背中を押してくれた人。

 

気づけば実の"お姉さん"のように、当たり前に隣にいた存在。

 

「……はよ、会いたいな。」

 

小さく呟きながら、指先で画面をなぞる。

外で一緒にランニングをした時。自分が納得いかないからと夜遅くまでトスの練習を見てもらったことも。もがいて空回りして落ち込んだ時も背中を押してくれたあの手。

 

不意に頭を軽く叩かれて"まだまだだね〜"と笑われた声。

 

胸の奥が、じんわりと熱くなる。

 

┈┈

┈┈

 

 

約2年前――

 

 

┈┈

 

 

 

練習場の時計は、すでに22時を回っていた。

ユース強化合宿――各地から"選ばれた者"だけが集められた夜の練習は、昼とは違う空気を纏っている。

 

照明に照らされたコートの中央。

ひときわ声を荒げているのは、今回初めて参加する最年少の少年だった。

 

 

「"ヘッタクソ!!"」

 

響く関西訛りの暴言。

 

「俺、下手くそとやり合う気いないねん!」

 

野狐中学3年 宮侑

この日初めて知り合った仲間を相手に容赦なく睨みつけていた。

 

悔しさを隠せない声。

負けず嫌いゆえの棘。

その言葉に、周囲の空気がわずかに重くなる。

 

侑があげたボールを打てなかった仲間達は俯き、レシーブは浅くなり、アタックを迷う。

 

選抜とはいえ、まだ中高校生。

"強さ"の前に、心が揺れる。

 

 

「…あいつ、年下のくせに生意気だろ」

「初日からかっ飛ばすよなアイツ」

「まあ、あの調子だと次は呼ばれないでしょー?」

 

チームメイトたちは彼を嘲笑う。

侑はそんな相手に何を言われようとも怯むことはなかった。

 

過去、中学生時代。点を決めきれないチームメイトを一方的に責めるなどの難癖があった。所謂北川第一時代の飛雄と似た状態であったが少し違いがあった。

"他人や仲間に嫌われることを恐れない"。ひたすらに上手くなるための努力と工夫を継続でき、さらに侑には双子の片割れ"治"がいたため、互いに高め合うことができていた。

 

「まーたやってる。"あの子"」

「何?どうしたの?」

 

少し離れたコートでは女子のユースメンバーが休息をとっていた。音羽は同い年のメンバーに肩を叩かれ、その場に腰を下ろすと"なになに?"と男子コートに視線を移す。

 

「あの子だよ。音羽が東京駅で救った中3の男の子。」

「あー、宮侑くん?」

「そうそう。雲雀田監督曰く"超負けず嫌いで一匹狼"だって。」

「………」

 

不穏な空気漂う隣のコート。

音羽は暫くその様子をじっと伺うとタイミングを見計らって立ち上がる。

 

「え?音羽?」

「大丈夫。すぐ戻るから。」

 

音羽はドリンクを口に運び喉を潤す。そして静かに彼らに歩み寄る。怒るわけでも、諭すわけでもなく、ただ淡々と。

 

「ねえねえ、私が上げてもいい?」

 

足元に転がるボールを拾い上げ、ニコニコと笑みを浮かべる音羽。そんな彼女を救世主と言わんばかりの様子で侑以外の少年たちは一気に顔色を変えた。

 

「音羽さん!」

「いいんですか?」

「めちゃくちゃ嬉しいっす!!」

 

「私もあと少し体動かしたいし。女子はもう片付け入ってるからさ?」

 

 

その声は侑にかけられることなく

さきほど叱責されていた少年たちへ―――

 

「ちょ!俺も」

「"君はそこで見ててね"」

「…っ…」

 

侑も負けじと音羽に近づくも制止される。なんとも言えない音羽の有無を言わさない威圧感。侑は何も言い返すこともできず唇を噛み締めては壁に背を預け様子を伺うことに。

 

「じゃ!行くよ!」

 

刹那、ふわり、と美しい放物線を描くトスが舞う。

 

高さも、速さも、完璧。

打ちやすい、信じてもらっていると分かる球。

 

最初は戸惑っていたスパイカーが、思い切って振り抜く。

 

乾いた音が体育館に響いた。

 

「……っしゃ!」

 

少年たちが気持ちのいい1発を決める度に音羽は小さく笑う。

 

「ナイス!今のいいよ!」

 

次も。

その次も。

 

トスは迷わない。

信頼を込めたボールは、人を伸ばす。

 

さっきまで縮こまっていた少年たちの声が大きくなる。

レシーブが伸びる。

目が変わる。

 

気持ちよく上げ、打ち、繋いでいく。

空気が変わった。

 

 

「…すご…」

 

侑は、思わず言葉を漏らし、じっと見物する。

 

「((あいつ…ホンマはあんなに飛べたん?…あいつもあんなスパイク打ってへんかった…))」

 

水を得た魚のように勢い良く飛ぶ。

先程までの姿が嘘のように全員が輝いて見えた。

 

「((…なんや…あのトス。…悪いとこ見つからへん))」

 

悔しい。

 

自分の方が上手い。

自分の方が決められる。

そう思っていたのに――

 

"あの人のトスは、自分だけじゃない"

 

"全員"を強くする。

 

胸の奥が、じくりと疼く。

 

「……くそ」

 

小さく呟いた声には、さっきの棘はなかった。

 

悔しさと、

そして確かな憧れ。

 

「……」

「ッ…」

 

音羽がこちらを見た。

一瞬、目が合う。

 

ほんの一瞬。

たぶん、ほんの一秒もなかった。

 

けれどその視線は、まっすぐだった。

 

胸の奥が、ぎゅっと音を立てる。

 

"""ドクン"""

 

鼓動が、やけに大きく響いた。

耳の奥まで血が巡る感覚。

指先が熱くなって、足元がふわりと浮く。

 

世界の音が遠のく。

 

練習場に響く仲間たちの声も、ボールの音も、全部ぼやけて、視界の中心にはただ、音羽の顔だけが残る。

 

「……あ。」

 

声にならない。

目が合っただけなのに。

何も言葉は交わしていないのに。

 

それなのに、胸の奥に灯った小さな火が、

一気に燃え広がる。

 

――なんや、この気持ち。

 

まだ音羽の事を知らないはずなのに、

でも、その一瞬でわかってしまった。

 

 

――すきや。

 

これはきっと、憧れじゃない。

ただ尊敬しているだけでもない。

 

""一目惚れ""

 

 

 

 

 

「――次、侑くん上げてみる?」

 

 

挑発でもなく、命令でもない。

ただ、まっすぐな問い。

 

侑ら歯を食いしばり、頷く。

 

「……当たり前やろ」

 

その瞬間、彼の中で何かが変わる。

 

"勝ちたい"だけじゃない。

"あの人みたいになりたい"

夜の体育館。

汗と照明の匂いの中で、

 

"一人の少年"は、

悔しさの奥に芽生えた憧れを、静かに抱きしめた。

 

「スパイカーを見て」

 

侑の背中を軽く叩く。

 

「よりいっぱい。…いい?"いっぱい"だよ。」

 

手のひらをいっぱいに広げる。

 

「"支えて"」

 

声が光る。

侑の胸がさらに高鳴る。

 

 

 

「"""セッターでしょ?"""」

 

 

 

 

 

 

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音羽お姉ちゃんが自分を形成してくれたと言っても過言では無い。

 

全ての輝きを、ときめきを

与えてくれた女神様。

 

 

「ッ…」

 

久しぶりの再会。

前よりも少しでも大人になった自分を見せたいと思っているのに、こうして写真を見つめている姿は、あの頃の幼い少年の頃のままだった。

 

嬉しいのだ。

どうしようもなく。

 

「…お姉ちゃん」

 

口元が自然と緩む。

新幹線の窓に映る自分の顔は、少年のように無邪気に笑っていた。

 

「……はよ、……あいたい。」

 

再びそう呟いた瞬間、

車内アナウンスが次の停車駅を告げる。

 

再会まで、あと少し。

 

侑は携帯を胸元に引き寄せ、静かに目を閉じた。

 

まるで、これから始まる時間を

大切に抱きしめるみたいに。

 

 

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――東京都北区

"味の素ナショナルトレーニングセンター"

 

 

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バスを降りた瞬間、空気が変わる。

 

 

目の前に広がる大きな施設を見上げ、飛雄は小さく息を呑む。

 

「……ここが、…」

 

初めて足を踏み入れる場所。

各地から選ばれた選手たちが集う、憧れの舞台。

 

その声は、少しだけ震えていた。

期待と、緊張と、誇らしさが混ざった震え。

 

そしてその隣では車椅子のタイヤが静かに止まる。

 

音羽はゆっくりと建物を見上げた。

 

「……ただいま。」

 

小さく、けれど確かな声。

ここは、音羽にとって"帰ってきた"場所だった。

 

一年前。

絶望の底に沈みながら、それでももう一度立つと誓った場所。

 

不安と痛みで、視界すらぼやけていた。

けれど今は違う。

 

車椅子の肘掛けに置かれた手は、迷いなく強く握られている。瞳はまっすぐで、揺らがない。

 

飛雄が後ろからハンドルを握り直す。

 

「…さすがに緊張してきたか?」

 

姉は肩越しに振り返り、くすっと笑った。

 

「うん。少し。……でも、それより楽しみ。」

 

その笑顔は、強い。

 

失ったものがあるからこそ、

ここに戻って来られた意味を、誰よりも知っている。

 

 

飛雄の胸も、高鳴る。

 

「俺も……頑張る。」

 

姉は前を向いたまま言う。

 

「うん。」

 

 

ふたりで小さく笑う。

 

 

広いエントランスの自動ドアが開く。

 

光が差し込む。

 

期待に満ちた空気が、ふたりを包む。

 

音羽は車椅子のリムを握り、ゆっくりと前へ進む。

飛雄はその背中を、誇らしげに押す。

 

ここから、また始まる。

 

姉の"再挑戦"と、

弟の"初挑戦"。

 

ふたりの胸は、同じ速さで高鳴っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"待っていたよ。2人とも。"」

 

 

そして、エントランスの中央に立っていた人物。

 

黒のジャージをきちんと着こなし、腕を組んだ一人の男。

 

全日本を取り仕切る、

影山姉弟に期待を込めたあの監督だった。

 

「雲雀田監督。」

「ッ…こんにちは!」

 

鋭い眼差し。

だが、その奥には静かな熱がある。

 

飛雄の背筋が、無意識に伸びる。

 

車椅子のタイヤが、ゆっくりと止まる。

 

監督はふたりの前まで歩み寄った。

 

「よく来てくれたね。」

 

低く、よく通る声。

 

音羽は視線をまっすぐに合わせる。

 

「お久しぶりです。」

 

その言葉に、監督の口元がわずかに緩む。

 

「戻ってきてくれて嬉しいよ。」

 

たったそれだけの言葉。

けれど、その重みを音羽は知っている。

 

"戻れる保証"なんてなかった。

足を失い、戦列を離れたあの日。

 

それでも音羽は、努力でここまで辿り着いた。

 

 

そして監督の視線が、今度は飛雄へ向く。

 

 

「はじめまして。影山飛雄君。」

 

「はっ、はじめまして!烏野高校1年、影山飛雄です!5日間よろしくお願いします!」

 

声が裏返る。

 

監督は一瞬だけ間を置き、言った。

 

「お姉さんに負けないように!」

 

飛雄の目が、大きく見開かれる。

音羽は思わず吹き出した。

 

「それ、プレッシャーですよ。」

 

監督は肩をすくめる。

 

「ふたりとも、期待している。

この合宿は甘くない。だけど――」

 

視線が、まっす姉弟を貫く。

 

「選ばれた理由がある。自分で証明しなさい。」

 

胸の奥が、熱くなる。

 

飛雄は拳を握りしめる。

 

「……はい!」

 

音羽は静かに、しかし力強くうなずいた。

 

「やります。」

 

期待と、緊張と、闘志。

 

そのすべてを胸に――

 

姉弟のユース合宿が、いま幕を開けた。

 

 

「"姉弟揃っての初合宿"

―――期待してるよ。」

 

 

 

 

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監督との顔合わせを終え、

時計を見るとミーティング開始まで残り約1時間。

 

エントランスの緊張感は少しだけほどけ、

それぞれが準備に散っていく時間帯。

 

「じゃあ、案内するね。」

 

音羽は車椅子をたたみ、義足装着。

飛雄は自然とその後ろに立った。

 

「向こうが男子の更衣室。着替え終わったら3階のバレー専用のコートに集合ね。先ずは男女で顔合わせも兼ねてミーティングだよ。」

「っス!」

「他の競技のコートあるし迷子にならないようにね?何かあったら直ぐに連絡入れて?」

「ッス!!!」

「トレーナールームは――」

 

 

迷いのない説明。

 

廊下の曲がり角、段差の位置、

練習場までの最短ルート。

 

全部、身体に染みついているようだった。

 

「((本当に"帰ってきた"んだな))」

 

飛雄が静かに思った、そのとき。

 

「……"音羽"」

 

低く、しかし嬉しさを隠せない声。

 

振り向くと、猫背気味の背の高い男子が立っていた。マスクで表情は見えずらいのが彼の特徴でもある。

 

そして彼もこの合宿に招集され続けている実力者の一人。

 

「"臣くん!"」

 

"オミくん"と嬉しそうに微笑む姉を前に飛雄は軽く会釈をして様子を伺う。

 

「元気にしてた?」

「別に、普通。」

「予選!通過おめでとう!試合動画見たよ!」

「……どーも。」

 

気怠そうにポケットに手を突っ込んだまま音羽をあしらう。がしかし、いつもよりも気持ちか弾んでいたのは佐久早本人しか知らなかった。

 

 

「あ、そうだ。知ってると思うけど今回の合宿から弟も参加するんだ。」

「……」

 

佐久早のどんよりとした視線が飛雄に向けられた。飛雄は背筋を伸ばし姿勢よく頭を下げる。

 

「ッス!!はじめまして!影山飛雄です!よろしくお願いします!!」

 

曇りのない真っ直ぐとした瞳に佐久早は眉を顰めた。それもそのはず。飛雄の背中の高校名に反応したからだった。

 

「………"烏野高校排球部"」

「え?」

「若利君倒したとこかよ。」

 

あの牛島若利を倒した高校。

それは高校男子バレー界隈では大事件でもあった。

 

飛べないカラスと言われていた烏野高校。

それを打ち破った"セッター"の存在も――

 

「((井闥山学園の佐久早聖臣……全国三本指のスパイカーの中で唯一の2年生……))」

 

飛雄は記憶を巡らせる。

月バリでもその存在は書かれていた。

 

飛雄は強者の存在に息を飲む。

 

 

 

「……"あーー!いたいた!聖臣!"」

 

うって変わって明るい声が通路に響く。

両手を大きく振るいながら現れたのは"古森元也"。

 

「わ!音羽さん!お久しぶりです!」

「元也くん!久しぶりー!!」

「髪の毛伸びましたね!雰囲気全然違う!」

「そう?」

 

古森は音羽の両手を掴むと嬉しそうに何度も振るう。相変わらずの後輩の姿に音羽も満面の笑みを見せた。

 

「君が音羽さんの弟だよね?よろしく!」

「ッス!よろしくお願いします!」

「今から荷物とか宿舎に置きに行く感じ?良かったら俺が案内するよ?部屋割りも――」

 

古森が言葉を続けようとした時、通路にひょっこりと現れる"小さな人影"。

それを目にした音羽。そして音羽の存在を捉えた人物は大きく目を見開く。

 

「……げっ!」

「光来君!」

 

鴎台高校の"星海光来"。

音羽を見るなり明らかに動揺を見せるも容赦なく彼に近づく。

 

「久しぶりだね?」

「やめろ!近づくな!ゾワッてするんだよ!!!」

「鴎台も予選突破!おめでとう!」

「ひいいぃぃぃいい」

 

両手を握り、ぶんぶんと振り回される。

原因不明のざわつきに星海は普段吐かないような悲鳴をあげた。

 

「…うーん。さすがに3年は私だけだね?女子チームも私と同期は誰もいないし。U20の方に引き抜かれたって連絡も来てて―――」

 

魂を抜かれたかのように放心する星海を横目に音羽は同期の姿がないことに気づく。

そうして辺りを見回していた時、音羽の到着を耳にした後輩たちが続々と集まり始めた。

 

 

「あ!音羽さん!」

「監督の言う通り!来てる!」

 

その後ろから、また一人、また一人と集まってくる。

 

「久しぶりっす。」

「戻ってきたって聞いてました。」

「今日からまた、お願いします!」

 

まるで自然に、音羽の周りに輪ができる。

 

飛雄は少し離れた位置で、その光景を見る。

音羽は穏やかに笑った。

 

「久しぶり。みんな背伸びたね。」

 

「音羽さんこそ、相変わらず!」

「まじで美女。」

「……相変わらず強そう。」

「今日の夜練!トスあげてくれますか?」

「お前やめとけよー?"宮"に殺されるぜ?」

「あいつまだ来てねーし先手先手!」

 

 

敬意。

憧れ。

信頼。

 

後輩たちとの関係性を目にした飛雄は嫉妬さえ感じるほどに。

 

単に強いだけじゃない。

 

怪我をしても、立てなくなっても、

それでも戻ってきた人間への、心からの尊敬。

 

「またトス、上げてくださいよ。」

 

後輩の言葉に音羽は少しだけ目を細めた。

 

「簡単には上げないよ?努力して。」

 

「うわ!厳しい。」

 

周囲に小さな笑いが広がる。

飛雄は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

 

 

 

 

「音羽せんぱーい!」

「やっと会えたー!」

 

続いて女子チームの面々も現れる。

 

「ちょっと!夜練がどーのこーのって聞こえたけど?」

「そもそも男子は関係ないんだから!今日の夜は女子でUNOするって決めてるし!」

 

他愛のない会話の数々。

そんな中で、飛雄はあることに気づく。

 

「((誰も姉ちゃんの"脚"のことに触れてない。))」

 

真っ直ぐと2本の足で立つ。

その姿に誰も違和感すら抱いていない。

 

"いつも通りなのだから"

 

彼らからそんな声が聞こえた気がした。

 

 

 

「((姉ちゃん…すげえ))」

 

家では、冗談を言って笑う姉。

 

夜中にストレッチをして、

痛みをこらえながら練習していた姉。

 

それが今、ここでは中心にいる。

 

自然と人が集まり、

言葉一つで空気を和らげ、

それでも芯はぶれない。

 

「……姉ちゃんって、やっぱすげえ。」

 

小さく呟いた声に、音羽が振り向く。

 

「なに?」

「…いや、別に。」

 

照れくさくて目を逸らす。

 

その様子を見て、古森が笑う。

 

「弟くん?音羽さんの弟って、プレッシャーすごいね?」

 

「ちょっと?うちの弟なめないでねー?」

 

その言葉に悪意はない。

音羽は少しだけ真面目な顔になる。

 

「弟は弟。私は私。

比べる必要なんてないよ。」

 

そう言い切る姿。

飛雄は改めて思う。

 

「((俺も、ここで証明する。))」

 

姉の"凄さ"の隣にいるだけじゃなく、

自分の名前で呼ばれる選手になる。

 

 

「さすが音羽さん。」

 

古森は神妙な面持ちで呟いた。

周りの空気もいっしゅんで真面目なものに。音羽の存在、そしてその隣で凛として立つ、姉とよく似た弟の存在も染み付いていく。

 

皆それぞれ仲間でありライバル。

期待と喜びが交差しあっていた。

 

 

 

「音羽先輩。よかったら宿舎一緒に行きます?」

「荷物持ちますよ?」

 

「嬉しい。助かる!――じゃあみんな、また後で――」

 

 

 

刹那、音羽が反対側へ振り返った時。

 

「…あ」

「――ッ…!!」

 

その向こうに、見慣れた顔があった。

 

少しだけ大人びた表情。

でも、笑うと変わらない目元。

 

目が合った、その瞬間——

世界の音が、ふっと遠のいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ"お姉ちゃん!"」

 

気づけば、その青年は駆け出していた。

スーツケースも、人目も、何もかも忘れて。

 

音羽が「あっ」と声を上げた次の瞬間、

青年は飛びかかるように抱きつく。

 

 

青年は勢いのまま、そのまま音羽を抱き上げた。

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

驚いた声とは裏腹に、音羽の手は自然と彼の肩に回る。

 

くるり、と一瞬だけ宙に浮く感覚。

周囲のざわめきが戻ってくる。

 

けれど彼にとって、そんなことどうでもよかった。

 

腕の中にある確かな重み。

懐かしい香り。

胸に触れる体温。

 

「"あぁ……ほんまにおるっ"」

 

彼らしい関西弁。

噛み締めるように呟く声は、少し震えていた。

 

何度も画面越しに見た顔。

何度も思い出した笑顔。

でも、こうして触れられるのは、やっぱり違う。

 

青年はそっと彼女を地面に下ろす。

それでも手は離さない。

目を細めて、子どものように笑う。

 

「やっと会えた!!」

 

その言葉には、

待ち続けた時間と、

溢れそうな喜びが、すべて詰まっていた。

 

そして音羽は、少し困ったように笑いながらも——

優しく、彼の肩をつついた。

 

「"侑、久しぶり"」

 

その一言で、

彼の胸はまた、ぎゅっと締めつけられた。

 

 

「お姉ちゃーーーーん!!」

 

「ツム!―――ッうぐっ」

「やっと会えた……マジで……ずっと会いたかってん……ッ……」

「大袈裟だよ。」

「ぐぅ……ズビッ……」

 

感動的な再会も"いつも通り"の振る舞いに空気が変化していく。

弟の飛雄は呆気にとられていたが、ほかの面々たちは"いつも通りの戯れ"と言わんばかりに笑っていた。

 

 

「遅延で出遅れたけどダッシュしてきたで!」

「ははっ。昔は宇都宮線の乗り場探すことも出来なかったのに、もう東京駅は慣れた?」

「余裕や!何回来とる思てんねん!!」

 

両腰に手を添え、ドヤ顔を見せつける侑。

 

 

「宮。早く着替えてこい。」

「臣くん!?感動的な再会なんやで!?水差すなや!」

 

「相変わらず。音羽さんのことになるとタガが外れるというか……ほら!とりあえず宿舎行くよ!」

「嫌や!古森君も邪魔せんといて!お姉ちゃん取られるやん!」

 

「……ていうか私女子バレーだし。男バレとメインで練習する訳じゃな」

「ちゃうて!飯食う時とか!夜練とか!ちょっとした空き時間とか!ぜっったい俺が一緒におりたいんや!」

 

「ほら、行くぞ。」

「イダダダダダダダ!!星海君も平然としとらんと!音羽お姉ちゃん取られるやんけ!!」

「…………」

 

ズルズルと全員に身体を捕まれる侑。

両手を音羽に伸ばすも引き裂かれるふたり……

 

 

 

「ほら!影山君も!行こうよ!」

 

古森が飛雄に手を伸ばす。

音羽は嬉しそうに笑みをこぼすとついて行くように飛雄に促した。

 

 

 

 

「………」

 

その時、侑の視線が、ふと横に逸れる。

 

音羽の隣に立つ、あの少年。

 

血の繋がった弟。

無邪気で、真っ直ぐで、何も疑わない目をしている。

 

音羽が見せる柔らかな笑みは、いつもあの少年に向けられていた。

 

 

その光景を見たとき、胸の奥で何かが静かに冷えた。

 

嫉妬――と呼ぶには幼稚すぎる。

けれど、確かに熱はあった。

 

 

向ける視線は、ひどく醒めていた。

 

敵意ではない。

だが、歓迎もしていない。

 

「…こいつが弟…な」

 

ぽつりと零れた言葉は、誰にも聞こえない。

 

守られている存在。

無条件に愛される立場。

 

それが、羨ましいとは認めたくなかった。

 

侑は知っている。

自分が音羽に向ける想いは、きっと報われないことを。

 

だからこそ。

 

飛雄に向ける目は、冷たい。

 

 

 

「((…事故のせいで…お姉ちゃんは――))」

 

 

 

 

集う強者――仲間達。

 

 

 

 

 

 

 

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