┈┈┈┈┈┈┈┈
体育館の扉の前で、飛雄は足を止めた。
古森は飛雄に振り向くと口元を緩ませ、扉に手をかける。
「ここが、メインの練習場だよ。」
どこか誇らしげな古森の声。
そしてゆっくりと、重たい扉が開かれる。
――その瞬間、空気が変わった。
「ッ…!」
ひやりとした冷気と、わずかに混じるゴムの匂い。
天井は高く、視界いっぱいに広がるコートが、まるで別世界のようにそこにあった。
思わず、息を呑む。
光を均一に反射する床。
見慣れているはずのバレーボールコートなのに、どこか"違う”。
飛雄は古森に続き、足を踏み入れる。
刹那、脚にいつもと違う感覚が走った。
柔らかい。
「え、」
思わず声が漏れる。
そして視線を床に落とした。
「…床が…板じゃねえ…」
足裏に伝わる感覚が、これまでの体育館とはまるで違う。
板張り特有の硬さも、軋む音もない。吸い付くような、しかし弾む、不思議な反発。
「国際大会とかVリーグとかで実際に使われる床材なんだ。思いっきり滑り込んでも摩擦火傷もしずらいんだ。」
「………すげえ。」
ここでプレーする人間たちは、きっと――
自分がこれまで見てきたどの舞台よりも、高い場所にいる。
「((姉ちゃんは俺よりもっと早くこの場所に辿り着いてた。……すげえ。))」
ふつふつと湧き上がる興奮。
そして飛雄はふと、視線を上げる。
「あのスクリーンはなんなんすか?」
練習場の壁にある大きなスクリーン。
コート全体が映し出されているそれは少し変だった。
確かに自分が映し出されているのだが"ズレている"。ラグかなにかだろうか?
「あのスクリーンは常にコートの映像が6秒遅れで流れるんだ。」
「え?」
「ほら。少しズレてるだろ?」
「……ッすげえ」
「プレーを逐一確認できるし、あとで見返すことももちろん出来る。俺も初めてここに来た時、影山と同じ反応してたよ〜」
コートの広さも、高い天井も。
床材も、整然と陳列された備品も。
何もかもが異次元だ。
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
「ここで……やるんスか、俺。」
震えにも似た声。
古森はそんな飛雄を見ると、少しだけ目を細めて頷いた。
「そう。全国の"本気"が集まる場所だよ。」
その言葉に、飛雄は拳を握る。
不安も、緊張も、全部ひっくるめて――
ただ一つ、確かな感情があった。
――"楽しみだ"
静まり返ったコートの真ん中で、
彼は初めて、自分が"ここに立つ側"なのだと実感した。
┈┈┈┈
先ほどまで無人だったコートに、少しずつ人影が増えていく。
シューズが床を踏む音。
軽くボールを弾く乾いたリズム。
それぞれが、無言のまま位置につく。
やがて、一本の合図で――空気が整った。
「――集合!」
低く通る声が、コートの端から響く。
その一言だけで、ざわめきが消えた。
男女、それぞれがきっちりと列を成す。
背筋を伸ばし、顎を引き、視線はただ前へ。
誰一人として、無駄な動きをしない。
そこに並んでいるのは、ただの高校生ではなかった。
各地で名を馳せ、選ばれ、引き抜かれた者たち。
そしてそこには"姉"の姿。
飛雄は改めて、再びこの場所に姉が戻って来れたことに歓喜した。斜め前に立つ姉の背中。背筋を伸ばし、長い髪の毛は隙なくまとめられ、綺麗な項が目につく。
ただそれだけなのに、姉の姿がいつもと違うように見えた。
圧倒的強者。背中から感じる闘志。
「((…姉ちゃん))」
張り詰めた空気が、肌を刺す。
飛雄は列の中で、静かに息を飲んだ。
ユース合宿、初日を飾るのは"男女合同のミーティング"
皆の前に立つ2人の男性。
火焼 呼太郎 ユース監督
雲雀田吹 代表チーム監督
そして周りには医療スタッフや監督補佐。女子コーチの姿など。この合宿に関わるチームが揃っていた。
火焼が進行役となり、ミーティングが始まる。
関わるスタッフの簡単な紹介。そして名を呼ばれる選手たち。
「才華女子高等学校 3年、影山音羽」
「はい!」
練習場にハキハキとした声が轟く。
その名前と返答に微かに笑みを浮かべる選手たちが多くいた。
「烏野高校 1年、影山飛雄」
「…はいっ!」
次々と名を呼ばれる中、飛雄も負けじと声をあげる。自分の声が響いた瞬間、ブワッと全身が熱くなった気がした。高まる興奮と喜び。音羽は後方に立つ弟の存在に笑みを浮かべていたのだった。
そして紹介が終わり、火焼は持っていた資料を閉じると、静かに口を開く。
「――それじゃ、雲雀田監督。」
「はいはい」
雲雀田は促されると1歩前へと踏み出す。
そして朗らかな笑みを浮かべると全員と目を合わせるように視線を動かした。
「おじさん達の話は聞き飽きてると思うので手短に」
軽く咳払いをし、凛とした面持ちで声を上げる。
「日本!高さとパワーを前に敗れる!……なんて決まり文句はもう古い。あらゆることは備わっているものではなく発揮されるものだ。」
ひとりひとりの瞳に熱が宿っていく。
「世界を相手に暴れてくれ!」
拳に力が漲る。
「"バレーボールはもっと面白いと、証明しよう!"」
監督の声は、どこまでも穏やかだった。
しかしその中に底知れない力が隠れていた。
言葉の数々にコートの空気が引き締まる。
皆、目指すべき場所は同じ。
世界を相手に、飛び立つのだ。
「そして最後に、この場を借りて紹介したい選手がひとり――」
監督は、整列した選手たちの列へと視線を向ける。
「"音羽さん"」
優しく促すようなその声。
列の中――女子の一角に佇むのは音羽。
「え、?」
「良かったら前に来てくれるかい?」
「…はい!」
音羽は?マークを浮かべながら、ゆっくりと前へと踏み出す。
視線が、自然と集まる。
音羽は、しっかりと足を踏み出し、歩いていた。
義足の左足を、確かに使って。
「……」
不自然ではない。
だが、完璧に同じでもない。
それでも迷いは一切なかった。
一歩、一歩。
まっすぐに、皆の前へ。
その背中は、ただ静かに整っている。
「「……」」
ざわめきは起きない。
とくに音羽を知る者は微かに笑みを浮かべていた。
音羽は、列の前に出て立ち止まる。
そして軽く一礼すると、横に立つ雲雀田に視線を向けた。
雲雀田は穏やかな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと言葉を続ける。
「今回音羽さんには、私たちの強い希望で、再びこの合宿に参加してもらいました。」
その声に、押し付けるような力はない。
ただ、事実として、まっすぐに伝えるだけ。
「どうか、この5日間。音羽さんの背中を、バレーと向き合う姿を見て欲しい。」
「…ッ」
「彼女が自らの力と、身の回りの人達と繋いできた力が実を結んだからこそ、彼女は今ここにいる。」
足を失っても尚、立ち上がった音羽。
雲雀田はその困難を監督の目線で見守ってきた1人だ。
それがどれだけ困難でイバラの道であったか、誰よりも理解してきた。
「彼女から盗める技術は全部吸い取るつもりで挑みなさい。」
ほんの少し、微笑む。
同時に空気が、わずかに緩んだ。
「少しだけ、音羽さんから話してもらってもいいかな?」
視線を向けられた彼女は、小さく頷いた。
そして怯むことなく一歩、前へ。
整列した全員を見渡す。
希望に満ち溢れた美しい瞳がひとりひとりと視線を合わせる。
「改めまして、才華女子3年の影山音羽です。」
声は澄んでいた。
よく通る声だった。不思議と胸の奥を掴まれるような雰囲気を持つ。
「またこの場所に戻ってこれたこと。雲雀田監督をはじめ、たくさんの方々が関わってくださったこと。友人や家族、後輩たち――感謝でいっぱいです。」
息を呑む音。
音羽は淡々と続ける。
「約1年前。もうバレーはできないと思っていました。絶望もしました。泣きました。たくさん迷惑もかけました。」
少しだけ、視線を伏せる。
同時に弟である飛雄は拳を握りしめた。
「でも、」
そして、ゆっくりと顔をあげる。
「戻ってきました。」
その言葉に、空気が揺れる。
この場にいた全員の胸の中がきゅうっと締め付けられるような感覚。
「義足になって、できないこともあります。前みたいにたくさんは跳べないし、痛みだってあります。」
左足に、軽く手を置く。
ひんやりとした義足の感覚を感じる反面、音羽は笑っていた。
「でも、分かったんです。失ったからこそ気づけたことが沢山ありました。」
一拍、空気を含み静止する。
そして考えるように言葉を探し、再び口を開く。
「バレーは"足があるから”できるんじゃない。バレーは"心があるから”できるんだって。」
決してブレない声色と言葉のひとつひとつ。
「足を失っても、可能性はなくならなかった。むしろ、前よりも広がった気がします。」
その場にいた人達の感情が波打つ。
絶望の縁に立たされた彼女のバックグラウンドを想像すると涙してしまいそうだ。
「この合宿で、私はもう一度証明したい。バレーは楽しい。努力は裏切らない。そして……可能性は、失わない。」
笑みの中に含まれている強い意志。炯々と光る眼光に全員が射抜かれる。
「5日間、よろしくお願いします。」
深く、頭を下げた。
その動作すら、どこか美しかった。
そして顔を上げたとき――
コートの空気は、確かに変わっていた。
特別扱いでも、同情でもない。
ただ一人の選手として、
そこに"存在している"という確かな重み。
「(姉ちゃん)」
飛雄は、列の中でその姿を見つめていた。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
知っているはずの人なのに。
今、目の前にいるその姿は――
少しだけ、遠くて。
そして、どうしようもなく
「(やっぱり、姉ちゃんはすげえ。)」
改めて、凄い人だと。
┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈
磨かれたフロアに、ボールの跳ねる音が響く。
女子チームのメンバーは、どこか探るような視線で音羽を見る。
「((…本当に義足でプレーするつもり?))」
「((転んだ時、どうやって立て直すんだろう…))」
今回の合宿で初めて顔を合わせる選手は約半分ほど。とくに音羽のことを初めて生で目にする人にとっては色んな意味で緊張していた。
影山音羽という人物。
"コート上の女神様"の異名。
慕われる理由、強い理由。
片足を失ったハンデのある人。
「((さっきのミーティングの時の挨拶。たしかにすごい人なんだろうなって思った。))」
「((でも実際…プレーはどうなの?))」
そんな空気が、ほんのわずかに漂う。
「アップ開始!」
女子監督の笛の合図とともに全員が動き出す。
ストレッチ、ランニング、
音羽は静かに輪の中へ入る。
時たまぎこちない動きやバランスを崩すことも。しかし音羽は決して弱音を吐くことなく、ほかのメンバーと違うメニューを懇願することもなく、"みんなと同じ"ように動く。
彼女なりのプライドもあるだろう。
そして同時に、彼女のことを初めて見る選手はその行動に息を飲んでいた。
┈┈
「((一体、あの脚でどんなトスを上げるの?))」
コートに入る女子メンバー達。
それぞれが色違いのビブスを身につけ、初めての模擬試合を行う。
「((いつもと違うメンバー。才華のチームでプレーするのとは全くの別物。音羽先輩のカバーも完璧にはまだ出来ないし……体力がどこまで持つか――))」
後輩たちの視線が不安を纏う。
義足でのプレーなど予想もつかない。
だが——
「「!!!」」
次の瞬間。
"トンっ"
軽やかな踏み込み。
打ち返されたボールを容易に支え、ボールが上がる。
「音羽さん!ナイストス!!」
ボールは音羽をよく知る後輩の元へ。
乱れたボールだったが音羽のトスで完璧に打ち上がる。
「((…いつの間にあの場所に…先読みしてたの?))」
彼女は、すでにそこにいた。
義足とは思えない速さでポジションへ入り、
身体を沈め、両手を差し出す。
"スッ"
完璧な弧を描くトス。
まるで糸で吊られたように、
アタッカーの打点へ吸い込まれる。
「よっしゃああああ!」
"ドンッ!!"
強烈なスパイク。
床が震えた。
対面側の選手たちは、何が起きた?と言わんばかりに呆然と立ち尽くす。
「……は?」
「なに…今の…」
「あの乱れたアタックの軌道修正…」
「ボールが違う生き物になったみたいな…」
全員が思わず声を漏らす。
異次元のプレーにゾッと背筋が凍りつきそうだった。
明らかにトスの質が、違う。
高さ、回転、間。
まるで"そこに打て"と導かれるような感覚。
「今のどうだった?」
「打ちやすかったです!」
「よかった。」
後輩の言葉に笑みをこぼす音羽。
その表情は優しく、先程までの鋭い目付きはどこにも無かった。
「次、そっちにあげていい?」
「あ、は、はい!」
「よろしくね。」
ふわっとした優しい声。
それはまるで――
「((…この人が…正真正銘――))」
ゴクリと息を飲む
「(("女神様"))」
ただ強いだけじゃない。
不思議とこの人について行きたくなる。
圧倒的強者なのに、優しくて、信頼できる。
初めて組んでも分かる人柄。
後輩たちはさらに士気を高めていく。
相手のブロックに弾かれたボールも
隙をついてくるサーブも、アタックも
普通なら間に合わないことも、
あきらめそうになることも
"彼女は迷わない"
義足で一歩、強く踏み込む。
重心を低く落とし、身体ごと滑り込む。
「次も繋ぐよ!」
繋ぐ、
完璧に。
「まだいけるよ。もう一本」
呼吸は乱れていない。
流れる汗さえも美しい。
痛みがあるはずなのに、それでも表情は穏やかだ。
「音羽先輩!」
「カバー入ります!」
「ブロック3枚!」
練習が進むにつれ、女子チームの空気が変わる。
"義足の選手”ではなく、"圧倒的なセッター"として、彼女を見る目に変わっていく。
┈┈┈┈
第1試合終盤。
汗とボールの音が交錯する練習場。
その隅で、腕を組む雲雀田とタブレットを手にした女子コーチが並んでいた。
視線は、ただ一人へ。
音羽の動き。
義足とは思えないポジショニング。
迷いのない判断。
一瞬で流れを読む目。
「もっと足踏み込んで!」
「はい!」
「ブロックいくよ!…せーーのっ!!」
即席で作られたばかりのチーム。
しかしありえないほどの結束力が生まれていた。
それは間違いなく司令塔である音羽の効果であった。
雲雀田は小さく息を吐く。
「……想像以上、だね。」
「まさか義足でここまで動けるなんて…私も驚いてます。」
雲雀田はしばらく彼女を見据えた。
そして慎重に分析する。
「身体能力は明らかに落ちてる。」
冷静な評価。
「だが…判断力は以前より研ぎ澄まされているね。」
「……はい。」
コーチが頷く。
「無駄がなく、踏み込みも最小限で最大効果。痛みを前提にプレー設計している感じですかね。」
「そうだね。視野も狭くなっている分、誰よりも周りを見る癖もついてる。ハンデがある分、誰よりも正確な動きを見出してる。」
雲雀田は視線を外さない。
プレーもそうだが、音羽が強い部分は他にもある。
チームに頻繁に声をかけ、初見の選手とも密に距離を狭める。
もう一本と手を叩く。
誰よりも声を上げ、誰よりも導く。
その姿は、誰よりも堂々としていた。
「――"戻して正解だった"」
静かな声。
コーチが少しだけ笑う。
「雲雀田監督。聞いてもいいですか?」
「ん?何かな?」
「…音羽さんをユースに戻す事、迷いましたか?」
雲雀田はコーチの問いかけに鼻で笑う。
「当然だ。ユースは甘くない。情で呼ぶ場所じゃないからね。」
「正直、情があるのかと。」
「いいや。音羽さんは情じゃない。誰しも平等に、世界と戦える人材を求めているからね。」
コート中央。
音羽は義足側に体重を乗せ、一瞬の隙でトスを上げる。
完璧なセット。
そして決まる。
チームが自然と音羽を中心に集まる。
もう誰も"特別扱い"していない。
完全にチームの核だ。
監督は静かに言う。
「怪我をした選手は、二種類に分かれる。壊れるか、強くなるかだ。」
「…はい。」
コーチは視線を細めた。
「音羽さんは強くなった」
迷いのない断言。
「足を失っても、武器を失っていない。むしろ増えたと言っていいかな。」
精神力。
視野。
チームを動かす言葉。
そして何より——
""覚悟""
「死にものぐるいでやってやる。絶対にコートに立つ。――彼女の底知れぬプライド、バレーに対しての思い。その結果が今だよ。」
刹那、練習終了の笛が鳴る。
音羽は最後まで立っていた。
「全国に…世界に見せる。」
低い声。
「可能性は、失われない――とね?」
練習場の天井灯が、汗を照らす。
音羽はまだコートに立っている。
――未来の中心で
┈┈┈┈
練習終了の笛が鳴る少し前。
午前の練習を先に終えた男子チームが、ドリンクボトルを片手にふらりとやって来た。
「あ!まだやってるね?見てく?聖臣?」
「ん」
先頭を歩いていた古森と佐久早が足を止めると次々とギャラリーが増えていく。
「…あれがコート上の女神様の姿」
「すげえ…本当に義足?」
「どーなってんの、体の構造。」
「てかまじで美人。月バリで見た時はもっと髪短かったけどロングもいいな…」
彼女を初めて生で見る選手たちの姿もあった。義足とは思えない動きに誰しもが目を疑う。
コート中央。
少女がトスを上げる。
高く、正確で、迷いがない。
"ドンッ——!!"
彼女が丁寧にセットしたボールがスパイカーへと繋がり1点へ。
男子たちは思わず黙る。
そしてひとりの選手が違和感を口にした。
「…なあ…さっきセットしたボール。ほぼ後ろから飛んできてたのに、どうやって正確にセットしたんだ?」
音羽の視野に全く入っていなかったボール。
それを難なくセットしていたのだ。
「後ろに目でもついてんじゃねーの?」
「なわけねえだろー?それなら本当に女神どころかバケモン…」
「"音だろ"」
コソコソと音羽の動きを口にする後輩たちに佐久早が珍しく反応を示した。
「音羽は昔から耳がいい。足音、気配でボールの位置を把握してる。」
「さすが聖臣!詳しいね!音羽さんのことになるといつも…」
「ウルサイ」
「ちょっ!待ってよ聖臣!」
それだけを言い残すと佐久早は1人足早にその場を去っていく。
ギャラリーが減っていく中、ピタリと足を止める青年の姿があった。
「……」
拳を強く握りしめる。
そして"姉"が飛ぶ姿をまじまじと見つめる"弟"。
胸の奥が熱い。
「……ッ…」
事故の日。
血のにおい。
泣き叫ぶ自分。
救急車のサイレン。
全部、脳裏をよぎる。
それでも——
今、コートの中心に立つ姉は、
誰よりも強い。
誰よりも楽しそうだった。
トスを上げたあと、仲間たちに笑いかけるその横顔。
「…姉ちゃん」
飛雄の目が潤む。
「……」
そのとき。飛雄の背後に立つ影。
隙間から音羽の飛ぶ姿を見た後、弟へと視線を落とした。
その瞳は冷ややかで、鋭いものだった。
「((…よう見れんな、こいつ。))」
気配を感じとった飛雄は直ぐに背後に視線を向けた。
振り向くと——鋭い目をした侑の姿があった。
「あ、お疲れ様ッス」
「……」
侑は何も言わず通り過ぎていく。
飛雄は侑の後ろ姿を見据え、微かに眉を顰めた。
怒りが、沈んでいる。
あの瞳は明らかに自分を憎んでいる瞳だった。
「((…宮侑…姉ちゃんの大切な後輩で、"もう1人の弟"って。))」
飛雄は大きな背中を前に目を逸らせない。
対して侑は振り返ることなく、ただただ歩く。
「((あいつが原因で、あいつのせいで。))」
足を失ったのは事故。
だが、きっかけは弟の行動。
あまり公にはなっていないが、それが事実だと侑は知っていた。
「((どんだけ苦しんで、泣いたんやろか。))」
コンクリートに広がる血の色。
倒れる姉。泣き崩れる弟。
その現場には居なかったが容易に想像がつく。
そして今日。
音羽は、あんな顔で笑っている。
侑の胸に、矛盾が渦巻く。
憧れ。
尊敬。
悔しさ。
そして——怒り。
「((お姉ちゃんは誰のせいにもせえへん。))」
侑は低く胸の中で口にする。
「((でも、俺は違う。))」
視線が鋭くなる。
「((あいつが弱かったせいで、お姉ちゃんは足を失った。))」
侑は歩き続け、食堂へとたどり着く。
そこに古森が近づいた。
「あ!宮!今日の昼飯…」
「……」
「宮?」
侑の不穏な空気に勘づく古森。
しかしその瞬間、侑はケロッと表情を変え、満面の笑みを見せた。
「なんでもあらへん。…うわっ!ウマそ!やっぱ合宿のご飯は最高やな〜」
「……」
古森は誰よりも知っていた。
侑が音羽を慕っていることも。…そして。
実の弟である影山飛雄という存在を憎んでいることも。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈
昼食後、直ぐに練習は再開。
男子は女子とは違い、午前中は筋力トレーニングのみだったこともあり、コートに立つ選手たちは生き生きとしていた。
床を踏みしめる音。
ボールが跳ねる音。
即席で組まれたチームメンバーとの掛け合い。
「((…すげえ…皆上手い…!))」
レベルの高さに興奮する飛雄。
「((俺も姉ちゃんと同じ場所に立ってる…んだよな。))」
ついに、やっと、ここに来た。
そしてどんな時も脳裏には姉の背中が映し出される。
「――影山!」
佐久早の強烈なアタックを古森がひろいあげる。
そしてそのボールは飛雄の元へ。
「はい!」
ボールを触った瞬間。
世界が変わる。
レシーブが少し乱れる。
だが飛雄は迷わない。
半歩、身体を滑らせる。
低く入り、両手を構える。
"トンッ"
トスが、まるで空気を裂くように上がる。
「ッ!」
繋がれた先には侑の姿。
打点にぴたりと合うテクニックに大きく目を見開いた。
そして"ドンピシャ"の位置でキメた侑。
初見のメンバーで繋いだとは思えないプレーに男子コートがざわついた。
「…影山、あいつ凄いな。」
「さすが"音羽さんの弟"って感じ。」
ざわつきを他所に侑は無言で飛雄を見た。
その目が細くなる。
「((――"似とる"))」
踏み込みの角度。
重心の落とし方。
トスの間の取り方。
"溜め"てから上げるあの癖。
そして瞬間的に見える横顔や表情が…やはり"あの人の弟"なのだと思い知らされる。
何もかもが音羽と同じなのだ。
「宮さん。どうでしたか?」
「問題ない。ちょうどええわ。」
「あざす!」
2本目
わざとブロックを引きつけ、逆サイドへ高速トス。
3本目
あえて低く速いクイック。
4本目
フェイントのように、最後の瞬間でバックトス。
全部、的確で
全部、楽しそう。
「((…んやねん。))」
あの横顔。
濁りのない目。
「((腹立つわ。))」
侑の拳が、ぎゅっと握られる。
「((なんでそんな顔できんねん。))」
事故の原因を作った弟。
それでも姉は責めなかった。
それでも姉は弟に笑いかけている。
そして——
弟は、あの姉と同じ才能を持っている。
血の繋がり。
それを否応なく感じる瞬間。
侑の胸の奥がざわつく。
自分も同じセッターだ。
自分だって努力してきた。
誰よりも音羽を見て、
研究して、憧れて、追いかけてきた。
それなのに。
同じ血を持つだけで、同じセンスを持っている。
「ッ…くそ」
しかも——
まっすぐだ。
音羽と同じ、捻くれることもなく、まっすぐ。
事故を背負っているはずなのに、濁っていない。
悔しさも、憎しみも、
自分みたいに拗れていない。
その姿勢が、何より腹立たしい。
「……面白いね。」
男子の試合を前に雲雀田が呟く。
応えるように火焼が頷いた。
「セッター、宮と影山の2枚看板になりそうですね。」
「うん。宮君も影山君も勢いがあってセンスもある。」
「…2人とも、音羽さんの影響が強いのが分かりますね。」
「そうだね。影山君は音羽さんと姉弟で自ずと似てくるのは当たり前。宮君に関してはずっと憧れの人を追い続けてる。」
2人の青年の影に潜むのは音羽の姿。
憧れを追う2人の姿は自ずと似ていた。
「((姉ちゃんの言葉を思い出せ!重心、脚の使い方!))」
「((めいっぱい支えたる!俺が!お姉ちゃんと同じように!))」
2人のセットが完璧に繋いでいく。
ほかの仲間たちもつられるように体を動かす。
そしてあっという間に時間は過ぎ去っていく。
試合の終了を告げる笛が鳴り、コート内の選手たちは汗を流しながら必死に呼吸していた。
「…はぁ…はぁ…ッ」
本気が集う場所。
飛雄は初めての経験に喜びを隠せなかった。
「((…全員上手い…!無意識に引っ張られる…!))」
才能に溢れた選手たちの力に引っ張られる。
自分の底知れぬ力が無意識に現れる。
「………」
流れる汗をタオルで拭い、興奮冷めやらぬ瞳でコートを見回す飛雄を横目に。侑はじっと様子を伺っていた。
「((…ムカつく、けど――))」
"上手い"
その背中は、やはり姉に似ていた。
無性に腹が立つ。
だが、胸の奥のどこかで。
ほんのわずかに。
「((本物や。才能は本物や…))」
圧倒的センス。才能。
「((負けへん。絶対に。))」
侑はスクイズボトルを手に取り水分を含む。
そして再びコートへ戻ると鋭い眼光を瞳に宿したのだった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈
合宿初日 初めての夜
┈┈┈
練習の時とはうってかわり和やかな時間が訪れる。
広い食堂。整えられた設備。
身体を作る完璧なメニューの数々――
男女の壁を越え、それぞれが仲睦まじく夕食をとっているのだった。
……仲睦まじく――
「"お姉ちゃん♡ぎょーさん食べるんやで?"」
とある卓。やたらと距離が近いのは宮侑。
相手は言うまでもない。例のお姉ちゃんだ。
「言われなくても食べてるよ?」
「もっと食べんとアカンて!お姉ちゃんほっそいし!」
「一応体重は元に戻ってるし筋肉量も問題な…」
「ほい!俺のトンカツ譲ったる!」
「じゃあ私はブロッコリーあげる。」
「好き嫌いはアカンで〜?」
音羽も嫌がる様子もなく毛嫌いする様子もなく、侑の猛烈な弟ムーブを相手にしていた。
「おい!宮!そんなに引っ付いたら食いづらいだろ?」
「少しは距離感考えなさいよね?」
同じ卓につく仲間が面白おかしく茶化し合う。
そしてその光景を少し離れた場所から見守るのは"実の弟"だった。
「…弟的に複雑な光景だよね?」
「音羽さんって本当にモテるよな…」
飛雄の隣に座るのは古森。そして同じ一年の参加者、森然高校の
「姉ちゃんと宮さんっていつもあんな感じなんすか。」
「あー……まあそんな感じかな。宮が一方的に絡んで音羽さんがそれを上手くいなしてる感じ。」
古森は半ば呆れつつ答える。
「姉ちゃんいっつもあんな感じで男子に絡まれるんで。」
「この前のうちでの夏合宿でもそうだったよな。…弟も大変だな。」
千鹿谷も何度も目にしてきた光景だ。
「…てか!そういえば2人は知り合いなんだっけ?」
古森は音羽たちから視線を外すと後輩に笑顔を向ける。影山と千鹿谷は以前行われた森然高校での合宿でお互いを高めあった仲間でもあった。
「はい。」
「いやあ〜、やっぱ知ってるやつがいると落ち着くし安心します!」
「知り合いがいると嬉しいよね?わかるわかる!」
古森は初々しい2人の良き先輩だった。練習中はもちろん、移動中や休憩時間も常に声をかけ、関係性を構築していた。
「つーか烏野。あの白鳥沢破って全国だろ?」
「おう」
「すげえよな。うちは決勝でフルセット負け。勝てると思ったんだけどな。」
森然での最後のやり取りを思い出す影山。
音駒の主将である黒尾がキャプテンを集め、春高で再会しよう!と声を上げていた時のこと。
残念ながらそれは叶わなかったらしい。
「森然、惜しかったよね?」
「そうなんすよ!決勝まで行っていい勝負だったんすけど…」
刹那、古森の視線がほんの少し上へと向く。
ピタリととまる会話とともに、飛雄と千鹿谷も古森と同じ方向へ視線を向けた。
「あ、聖臣!」
気怠そうに立ち尽くす青年、佐久早聖臣。
どこか不満気な様子さえ感じた。
「…俺まだビデオ見てないんだけど。白鳥沢はなんで負けたの?若利君は不調だったわけ?」
佐久早の視線の先には飛雄。
どうやら白鳥沢を敗った烏野に興味があるらしい。
「いや、絶好調に見えましたけど?」
「はあ?じゃあなんで負けんだよ。どんな手使った?誰が若利君止めた?」
「ああ…まあ止めてました。」
「そいつ誰?何年?なんてやつ?どこ中…」
古森は思わず席から立ち上がると佐久早の隣へと向かう。
「悪いねー!こいつ超ネガティブなのよー。」
「……」
「自分をおびやかしそうなやつが気になって仕方ねぇの。」
「俺はネガティブじゃない。慎重なんだ。」
表情を一切変えない佐久早。
飛雄はバッチリと目が合う相手を前に、ふと思ったことを口にしてみた。
「…"佐久早さんはまだ本気出してない"ですよね?」
「……ッ…」
真っ直ぐと向けられた言葉。
佐久早はピクリと肩を揺らす。
その理由は明白だった。
"君、まだ本気出してないよね?"
過去、音羽に言われた台詞。
既視感を感じると思えばそういう事だった。
「…なんで。」
「なんとなく。イメージより普通だなあって思ったんで。」
「……普通…」
佐久早は呆気にとられたように飛雄を見つめ続けていた。どうしても姉の音羽の姿と重なってしまう。
それほどに不思議な感覚だったのだ。
「ププッ!今ちょっと肩の調子が悪い気がするんだよな?」
古森はトントンと佐久早の肩を叩き、笑いが堪えられないと言わんばかりに口元を抑えた。
「おい影山!一応相手先輩…」
「大丈夫大丈夫!こいつの場合、だいたい気のせいなんだけど。まあそういうとこは慎重でいいと思うよ。ね?聖臣?」
千鹿谷は慌てて飛雄の耳元で呟くも彼は何も怯む様子もなく佐久早を見上げていた。
「…風呂」
「え?もう行くの?」
「ほかのやつの菌が入る前に入る。」
「ちょっ!俺も食べたらすぐ行くから!」
静かに立ち去っていく佐久早。
3人はそんな背中を見送ると再び箸に手を伸ばす。
「ビビったー!"全国3本指"に普通とか言うから!」
「そんなに気を遣わなくて大丈夫だよ?聖臣は気にしないし。」
先輩、そして何より佐久早は全国3本指に入るスパイカーの1人だ。普通なら話すのも恐ろしいと思うはず。あの独特な雰囲気にのまれる選手も多い。
「"まだ"普通に見えるって言ったんだ。」
「「……」」
飛雄は淡々と口にした。
その生真面目な横顔は姉と瓜二つ。
古森と千鹿谷はゴクリと息を飲んだ。
「あと…みんなレベル高いと思うんですけど…"特にあの人"。」
飛雄の視線、今度は逆方向へ。
一際騒がしい卓の元に向けられたものは――
「光来君、ちゃんと食べてる?」
「食べてるし!こっち来んじゃねー!」
ずいずいと近づく音羽。
「光来君!お残しはアカンで!」
「お前も来んな!うるさいんだよ!」
そんな音羽について行く侑。
「……」
飛雄の視線は真っ直ぐと星海に向けられていた。
今日の練習の時の彼の動き。
まさに"小さな巨人"だった。
「……やっぱり
「はい…そうッスね。」
常に強者へと向く視線。
その熱は影山姉弟の共通するものだった。
┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈
┈┈┈┈┈┈┈
午後20時過ぎ――
――メインコートにて
┈┈┈┈┈┈
夕食後、入浴や筋力トレーニング。
各々が自由時間を満喫している頃。
影山姉弟の姿はメインコートにあった。
照明は半分落とされ、静かな空間が広がる。
あと少しすると複数の選手たちが練習のために現れるだろう。
自主練前の、2人の静かな時間。
ボールの弾む音もまだない。
コートの隅。
ストレッチマットの上に、音羽が腰を下ろしていた。
飛雄が、その前にしゃがむ。
誰にも見えにくい位置。
傍らにはマッサージで使用するジェルや湿布などが入っているポーチが置かれていた。
まるで、いつもの日常のように。
ここに来ても何も変わらないいつもの光景だった。
「……ここ、痛くないか?」
飛雄の小さな声。
音羽は少しだけ笑う。
「ちょっとだけ。今日、踏み込み多かったから」
義足を外す。
金属の留め具が外れる音が、やけに静かに響く。
左脚の断端に残る、薄い傷跡。
皮膚は赤くなり、
少し擦れている。
飛雄の喉が、詰まる。
その様子に敏感に気づく音羽。
「ね、飛雄。大丈夫だから。」
「……」
「寧ろマッサージは私が自分でできるし。飛雄は自分の練しゅ…」
「俺がやるって決めてる事だ。合宿だろうが関係ない。」
「……うん。」
飛雄は慣れた手つきでジェルを手に乗せ、音羽の右脚に触れる。
丁寧に、的確に。少しでも姉の痛みを緩和できたらと真剣に手を動かしていた。
時たま痛みに顔を歪ませる音羽。
それを目の前に癖づいた言葉が飛雄の口から放たれる。
「……ごめん。」
その言葉に、音羽は即座に否定した。
「謝らないで。」
柔らかい声。
「これは私の選択。そうでしょ?」
飛雄は無言で、再びジェルを手に乗せる。
幻肢痛を和らげるためのマッサージ。
存在しないはずの足先を、
あるかのように撫でる。
脳に錯覚を与えるように。
音羽の呼吸が、少しだけ深くなる。
「……指、握ってる感じする。」
「うん。」
「すごく楽になったよ。」
「…よかった。」
ジェルをタオルで拭き取り、湿布を貼る。
水の入ったボトルを手渡し薬を飲むように促す。
「自分でできるから。ほんとに。」
「俺がいる時くらい少しは楽しろ。」
「…もー」
慣れた手つき。完璧な誘導。
何度も、何度もやってきた動作。
飛雄は、音羽の脚に触れるたびに胸が締めつけられる。
""俺のせいで""
口にせずとも、
その想いが消えることはない。
音羽は、そっと飛雄の頭を叩く。
「そんな顔しなーい!」
目を合わせる。
強い瞳だった。
「私は戻ってきたでしょ?」
小さく笑う。
「バレー、楽しいよ?」
その言葉に、飛雄の目が揺れる。
「飛雄も楽しい?」
「ああ。すげー楽しい。」
「うん。よかった。」
姉弟2人っきりの会話。
優しく笑い合い、和やかな雰囲気が2人の間に流れる。
「………」
コートの柱の影。
そこに、ひとつの影があった。
ラフな練習着を纏い、片手にはバレーボール。
明るい金髪は薄暗い照明にも反応し、光っていた。
「((…コソコソ何しとると思ったら…))」
最初は偶然だった。
だが、動けなかった。
「((あないな大変そうな処置。飛雄君がやっとるんか。))」
複雑な義足を外す音。
赤くなった皮膚。
薬。
湿布。
そして——弟の手。
優しく、丁寧に、
存在しない足を撫でる動き。
胸の奥が、きしむ。
「((……知らんかった))」
コートの中心で笑う音羽しか、見ていなかった。
痛みを堪える姿も、
その裏の努力も。
「ッ…」
侑の拳が、静かに握られる。
"怒りの矛先"が、揺らぐ。
事故の原因は弟の飛雄。
それは事実だ。
だが今——
誰よりも近くで、
"誰よりも苦しんでいるのも、弟だ"
「…よいしょっと…」
「ほら、手かせ」
「大丈夫だよ。ほんとに心配性すぎるでしょ。」
音羽が立ち上がる。
心配そうに飛雄が傍らで手を伸ばすが音羽はそれをかりようとせずひとりで義足を装着する。
「とりあえずまだ誰も来ないし。ふたりでアップしよっか?」
「分かった。その後で良いから俺のトス見て欲しい。」
「オッケー。」
店舗の良い会話。
表情はもう、戦う選手の顔をしていた。
「行こっか。」
「ッス!!」
音羽の声に飛雄が頷く。
2人は肩を並べ、コートへ向かう。
その背中を見ながら、侑は唇を噛み締めた。
「……くそ」
低い声。
怒りなのか。
嫉妬なのか。
悔しさなのか。
自分の知らない時間を共有してきた2人への、
どうしようもない疎外感なのか。
弟へ向けた歪んだ怒りの後悔なのか、
「((…間違っとったのは俺かもしれん。))」
"全部だ"
そしてひとつ、確かなこと。
「((音羽お姉ちゃんはひとりやない。))」
そして——
「((飛雄くんも逃げとらん。))」
侑は、ゆっくりとコートへ歩き出す。
今度は、真正面から。
「あ!侑!」
「…!ちわっス!」
走り出そうとしていた時、目の前に現れた侑に気づく2人は嬉しそうに表情を緩ませた。
「おうおうおう!お姉ちゃんと2人っきりの練習やとォ!?俺も混ぜんかい!!」
手に持っていたバレーボールを床に置き、姉弟の間に割り込むように立つ。
「じゃ、侑も一緒に走らない?」
「あの!後で宮さんのトス!近くで見てもいいッスか?」
「お、おお!!ちょ、待て、話聞き」
「私も見ていい?それとオーバーハンドの――」
「宮さんの手首の使い方、それと――」
両側から飛び込む声。
姉弟は引くことなく好き勝手言葉を放ち続ける。
「なんやねん!やかましすぎるやろ影山姉弟!」
バレーボールのことになると周りのことが見えなくなる。
やはり血は争えないらしい。
侑は両手で耳を抑え、わざとらしく悶える仕草を見せる。
「「…」」
その光景をコートの入口から覗き込む2人の影。
「心配なさそうだね?聖臣。」
「……別に」
「一番気にしてたくせに。素直になりなよ?」
「……」
侑と飛雄の関係を気にしていた2人。
楽しそうに会話する3人を前に安堵していた。
「あ!古森くんも!臣くんも!」
「音羽さーん!俺らも混ぜて混ぜてー!」
「……」
「ほら!行くよ聖臣!」
集う仲間たち。
「光来くんもそんな所で隠れんでも〜!こっち来いや〜」
「なっ、な!」
「恥ずかしがり屋さんやなあ〜」
コートに響く明るい声。
「お姉ちゃんの隣は譲らへんからな?」
侑の声が飛雄へと向く。
「その台詞。そのまま返します。」
負けじと飛雄も言い返す。
「ちょっと!2人とも!アップでそんなに走り込まない!」
何故か全員を置いて2人だけが競うように走り込む。
「馬鹿だな。」
「聖臣、それは超ストレートすぎるよ。」
「……なんなんだアイツら。」
呆れ返る仲間たちの声。
そんな中、音羽は満面の笑みを滲ませ、1歩1歩しっかりと脚を踏み込んだ。
「"私の自慢の弟たち"だよ。」
競い合う2人の背中を見つめる。
これからの日本の男子バレー界を支えるであろうセッターの2人。
音羽は誇らしく、胸がドキドキと高鳴った。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈