影山姉弟   作:鈴夢

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羽をなくした女神

 

 

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"また姉ちゃんに…バレーやって欲しいんだ"

 

 

 

"俺が羽になるよ、音ちゃん"

 

"絶対に音羽ならできる。俺がついてる。"

 

"そないなしょぼくれた顔。女神様らしくあらへんで。"

 

"ヘイヘイヘーーイ!女神さんなら何でもできる!!"

 

"オジョーさんにはいつでも皆がついてるだろ?"

 

 

 

 

 

"――影山の姉ちゃんなら!絶対にまた飛べる!"

 

 

 

太陽のように眩しい…みんなの言葉――

 

 

 

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――2011年7月

市内総合病院 1205号室――

 

 

 

 

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「…わざわざ御足労頂きありがとうございました。」

 

 

静かな病室に音羽の声が響くと彼女はゆっくりと頭を下げた。未だに体全身が思うように動くことは無い。左目に包帯が覆われているせいか視界も悪く、目の前に立つ"3人"との遠近感が上手くつかめなかった。

 

「無理して体を動かさないで?大丈夫だから。」

「そうよ。とにかく今は安静に――」

 

スーツを纏った3人。高身長の女性2人と男性1人。3人とも身長が異様に高く、すれ違う人達は全員が振り返るだろう。というより、バレーに精通している人であればその顔に見覚えがあるはずなのだ。

 

日本のバレー界を担う未来の逸材を育成する担当者たち。それぞれが音羽の姿を見る度に悲しそうに眉を顰める。

 

でも雲雀田監督だけは違った。

さすがに病室に入った時の最初のリアクションは想像していたものと一致したがその後の会話を進めていく中で"監督の瞳は光を宿し、真剣なものだった。"

希望を捨てていないような、強い眼光。

 

だが疲弊しきっている音羽にとって、今はそれに意味をなさなかった。

 

 

「影山さん。」

 

雲雀田監督は立ち上がったまま音羽の手に被せるように大きな手を添える。その声色は真剣そのものだった。

 

「…はい。」

 

応えるように音羽は監督を見つめる。乾いた喉からはいつもの元気な返事は無い。ただたた監督を見上げる。

 

「この状況下で……こんなことを言うのも良いか悪いかは分からない。だけど伝えたい。」

 

優しくて、柔らかい声だった。

いつもは広い体育館で鋭い指導を轟かせていた太い声なのに今回は違った。穏やかな波を保ったまま、部屋の四隅に溶け出していくような――普段の監督からは想像できないほどの優しい声だった。

 

 

「失ったものは大きい。だけど君には強い精神力とコミュニケーション力…何よりも持ち前の運動能力も備わってる。」

「………」

「所謂"天才"ってものだよ。才能に満ち溢れた……バレーに愛されている選手だ。」

 

影山音羽をユースに選抜した監督。

その目に狂いは無い。

 

確実に彼女は今後のバレー界を背負っていける、任せられる、最高の一選手なのだ。

 

 

「…どんな形であれ君なら何だってできる。可能性は無限にある事を忘れないで欲しい。」

「……ッ…」

「私たちは……"ずっと君のことを応援し続けるよ。"」

 

その言葉を最後に雲雀田監督は手を離すと再び深深と頭を下げた。それに合わせるように後ろで静かに話を聞いていた女性2人も頭を下げる。

 

 

「では、失礼するね。」

 

3人は部屋から退室する。ふと傍らの置時計に視線をやると彼らが現れて1時間程経過している事に気づいた。

 

1時間…しかし音羽にとってこの時間は一瞬に感じた。監督たちが面会に来ると知って構えてはいた。何を宣告されるのか、即座に理解した。

 

覚悟はしていた。分かっていた。

"この姿"を見て監督たちが悲痛な表情を浮かべることも想像出来ていた。

 

 

「………」

 

静まり返った個室。

医療用ベッドの傍には複数の点滴、そして繋がれた管。恥ずかしながら自らトイレに行くことも出来ない。勿論お風呂も。何もかも介助が無ければ動けないもどかしさには慣れてきた頃。

 

しかし、シーツに覆われた下半身部分に目をやると受け入れ難い現実がある。

"左脚は存在しない"――この現実に未だに慣れない。

 

何となく聞いたことはあった。四肢のどれかを失っても、人間はその四肢に痛みを感じることがあるとか。"これが噂の幻肢痛ってものなのか"と。人間の体は不思議だなー…なーんて。そんなことを考えながら今の時間を過ごしていた。

 

「………」

 

手術が終わって、一段落してきたここ一週間ほど。

毎日見る夢は"コートに立っている自分を後ろから見る"という不可思議な夢……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――コンコンコン

 

 

ぼんやりと考えていたその時、ふと病室の入り口から優しいノック音が響いた。

 

…たぶんこのノック音は飛雄でも澤村でもない。昨日駆けつけてくれた西谷でも田中でもない。

 

耳の良い音羽はそのノック音が誰のものか直ぐ理解すると"どうぞ"と気軽に口にしたのだった。

 

 

 

「やっっっほ〜〜!音ちゃん!」

「……徹…」

「何しけたツラしてんのー?スーパーハイスペックイケメン王子様が来たのに!その顔はないでしょー???」

 

可愛らしい黄色い花でまとめられた花束を抱え"いつもと変わらない笑顔"を向けてくるのは及川徹。本当になんらいつもと変わらない。面白おかしく冗談を口にしながら現れた彼の姿に対し、音羽は僅かに口角を持ち上げるだけだった。

 

「ほらほら!美人さんが台無しだよー?」

「徹こそ。もう少しスマートに入ってきなよ。王子様なんでしょ?」

「なにーーっ!?」

「しーー。個室と言えど病院だよ?」

 

音羽が薄ら笑みを浮かべるのには理由があるのだろう。というより、包帯で固定されているせいで上手く表情が出せないらしい。左目部分と頭部は包帯で覆われ、体はベッドに完全に預けられていた。

 

そしてシーツが掛けられた下半身――左足部分に膨らみはなく"それが存在しない"という事実を目の当たりにすると及川はグッと唇を噛み締め俯いた。

 

 

「……ごめん。ちょっとふざけすぎたね。」

「別に謝ることは無いでしょ?……ね?」

 

"ほら、そこの椅子に座って?"と右目の視線で促す音羽。及川はようやく足を踏み出すと傍らの椅子に腰掛ける。

 

「……綺麗な花束だね。大きい向日葵…綺麗。」

「花言葉知ってる?」

「"あなただけを見つめる"、"憧れ"…だったかな?」

「さすが音ちゃん。物知りだね?」

「さすが徹。向日葵を選んでくれるところ素敵だよ。」

 

視界に入るだけでパッと気分が明るくなるような向日葵。"そういうところ"まで考えて花を選ぶなんて及川らしい。

 

 

少しでも気分を晴れやかにしようと、彼なりの優しさなのだろう。

そんな親友の気持ちがとても嬉しかった。

 

「…っていうか!花瓶3つもあって全部花が入ってるし!」

「ああ…みんな持ってきてくれてるんだ。花瓶足りなくて看護婦さんたちが用意してくれて…」

「………」

「徹、素敵なお花ありがとう。」

「…ん。……あとこの紙袋は母さんから。音羽の好きな桃が入ってるよ。いっぱい食べてって。」

「…うん。ありがとう。」

 

甘酸っぱい桃の匂いが鼻をくすぐる。

自然で柔らかい、優しい香り。

 

 

 

「それで、調子はどう?」

「見ての通り元気だよ?」

 

ニッコリと口角を持ち上げる音羽。

しかしどこかぎこちない。

 

「………」

「…もーなによ。聞いてきたくせに黙って…」

「………」

「徹?」

 

 

顔色も悪い。

目元をよく見ると晴れていることに気づく。

疲労感に苛まれる友の姿に――

 

「徹…?」

 

"俺は無性に苦しくなった"

 

「…う……ッ……」

「ちょっとちょっと…何で徹が泣くのよ。」

「……ッ…」

「徹?…もう…トオ――」

 

まるで幼子のように唇を噛み締める及川。

ぽろぽろと恥ずかしげもなく目の前で涙を流すなんて……今まで何度か見たことはあるが"どこか悔しそうなその表情は"――

 

「なんで……」

「え?」

「なんで!」

「ちょ…徹」

「何で音ちゃんは!そうやって強がるの!」

「ッ……」

 

"ズビッ"とシャツの袖で涙を拭き取る。対して音羽は及川から発せられた台詞に驚くように肩を揺らした。

 

 

「それとも…"俺の前では弱音吐けない"とかくだらないこと考えてる?」

「………」

「ね、音ちゃん。」

 

視線を逸らし俯く音羽。

及川の大きな手がそっと音羽の手に触れた時、僅かに瞳が揺れる。

 

 

「………嘆いたって…」

「ん?」

「泣いたって…」

「…何?何て言って…」

「泣いても嘆いても、どんなに足掻いてもこの現実は変わらない。」

 

スっとナイフを刺すように音羽の言葉が胸に飛び込む。

 

「左大腿切断。下手をすれば私は一生寝たきり。…実は事故の影響で左目も視野が狭くなってるんだ。」

「ッ……」

「今は包帯に覆われてるから想像つかないけど…多分この距離で左に居る徹の姿は殆ど視界に入らない。」

「………」

「気がついたらこの状態。術後に目を覚ました時は変な感覚だった――」

 

瞼を持ち上げたその時、真っ白な天井が視界に入った。規則正しく鳴る機械音。動かない体。傍らでは父と母が涙を流し項垂れていた。

 

"――ああ、そうだ。私……道路に飛び出して――"

 

 

吹っ飛ばされた体。

スローモーションのように落下する体。

ほんの一瞬の出来事のはずなのに音羽は時が止まったような感覚があったのを思い出す。

 

視界に映った青空。世界が回転するような…目まぐるしく視界は揺れ、例えようのない聞いた事のない音と共に地面に叩きつけられる。

 

じんわりと頭から何かが流れ出ているような感覚。血腥い臭い。全身が焼けるように熱い。体が心臓になったかのように不気味な程に心拍音がずっと鳴り響いていた。

 

 

 

「…………っ……」

 

 

 

 

 

及川は当時のことを思い出した。

 

 

┈┈

 

 

中総体の時。自分も高校のメンバーを引連れて試合を見に行っていた。母校である北川第一が。優勝候補と言われていた母校がまさかの決勝で敗退。

 

しかも最悪な状況だった。

 

司令塔であるセッター。王様という異名をもつ後輩"影山飛雄"。そのトスを完全無視するコートの仲間たち。

 

以前音羽は言っていた。"飛雄はあのままだと成長しない"と。それは予想通り当たってしまった。

自分勝手で独裁主義の王様は見放されてしまったのだ。

 

だが飛雄の事は腐っても大切な後輩だった。大会終了後の北川第一のミーティングに乗り込んで"どうやって飛雄ちゃんを茶化してやろう"なんて考えていた。

 

 

「――なあ及川。あれ音羽じゃね?」

 

岩泉が及川の腕を掴む。

そしてその視線の先に居たのは何やら揉める姉と弟の姿だった。既に北川第一は集合を掛けられていた、体育館の端には既に監督に集められているメンバーの姿があり、及川と岩泉達は2階席からそれを覗き込んでいた。

 

「まーた喧嘩してんのか?あの姉弟。」

「でも音ちゃんが怒るのも分かるよね。あの状況だとミーティングすっぽかして帰ろうとしてるでしょ?飛雄ちゃん。」

 

及川と岩泉は"いつもの光景だ"と言わんばかりに面白おかしく呆れ笑いを浮かべ2階席からその光景を見ていた。

 

しかし次の瞬間、飛雄は音羽の腕を振り払い走り去っていく。いつもなら飛雄がどんなに暴れようが姉の音羽は容赦なく弟の腕を掴み引き摺り込んでいたイメージなのだが――

 

……まああの姉弟の事だ。いつもの喧嘩、いつもの言い合い。別にこっちが何ら心配することは無いだろう。

 

 

そんなことをのらりくらりと考えていた時。暫くして体育館の外が騒がしくなる。そして黒いジャージを身につけた他校の男子高校生の2人組が慌てた様子で救護班を呼びに来たのだ。

 

「ん?どうした?及川。」

「外で何かあったっぽいねー?あのジャージって烏野?だっけ?」

「へえー。アイツらも総体見に来てたんだな。」

「未来の後輩ちゃん達を見に来たのかもね?どうせもう飛べないカラスなのにさ――」

 

何かあったのだろう、くらいにしかその時は思っていなかった。及川達は2階席から変わらず母校のミーティングを観察する。

 

――そして再び、異様な雰囲気を外から感じた。

 

救急車のサイレン音、何かを聞き付けた人達が足早に外へと向かう光景。そしてそれは2階席の及川たちの耳にも必然的に飛び込む。

 

"ねぇ、事故だって"

"女の子が吹っ飛ばされたらしいよ"

"外やばいよ、野次馬だらけ"

"え!?マジで!?俺も行く"

"血塗れで倒れてるって"

"なんか烏野の子たちが応急処置してるとか"

"エグかったよ、処置してた烏野の男の子、手とか真っ赤でさ……"

 

"事故ったの学生らしいよ"

 

"……近くで男の子が怯えて震えてた"

 

"烏野のでかいヤツが必死に名前呼んでたよな"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"――確か……オトハってさ――――"

 

 

そのワードを聞いた時。及川達は耳を疑った。

 

 

「……今、オトハって……」

「っ!」

「ちょっ!待てよ及川!」

 

 

 

"――まさか、そんなわけない"と俺は必死に駆け抜けた。

 

体育館の外へと飛び出すと救急車の姿が目に入る。その横では野次馬を退かす警官の姿。救急隊が必死に処置をしている様子。そしてその傍では飛雄が尻もちをついたまま震えていた。

 

 

「音羽!起きろ!」

「大地!今は下がらないと!」

「スガの言う通りだ!もう俺たちの出来ることは無い!」

 

黒ジャージを纏った男たち。烏野高校排球部の姿もあった。何人かの仲間たちはそれぞれ野次馬を払ったり、目の前の光景に震える奴もいた。

 

 

 

"……オレ見ちゃったんだよね"

"あの男の子の体を引いて――"

"庇ったとか?"

"あの男の子が確か飛び出して――"

 

 

 

 

┈┈

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「……音ちゃんは"飛雄を――"」

 

ふと及川がその言葉を呟いた。

その名前が音羽の鼓膜に飛び込んできた瞬間、及川へと鋭い視線を向ける。

 

 

「徹。」

 

全てを否定するような恐ろしい瞳。

及川はそれに既視感があった。

ネットを挟んでこちらを睨みつける時の悪魔的な表情。

 

首筋にナイフを宛てがわれるような恐ろしい感覚だ。

 

 

「"飛雄は関係ない"。」

「っ…」

「私がヘマしてこうなったの。私が道路に飛び出しちゃっただけ。運転してたおじいちゃんも悪くない。」

 

事故原因は飛び出しと運転手の操作ミス。

世間一般にはそのように報道されている、

しかし一部で囁かれている話。それが姉弟の事。

 

しかし真実は分からない。姉弟にしか分からないあの時の出来事――

 

 

「だからって……そうやって何もかもひとりで!!」

 

 

思いかけず及川が反射的に声を上げたその時――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――音羽?」

 

病室の入口に立つのは烏野の制服姿の男子生徒だった。その男は及川の存在に気づくと律儀に頭を下げ、挨拶を交わす。

 

 

「……チワッす。」

「…どうも。」

 

"あの時、音羽の名前を叫んでいた烏野高校排球部の男"――澤村大地だった。

 

「お邪魔してすみません。」

「いえいえー、別に大丈夫です。」

 

及川は営業スマイルを向けるも心の中で考えていることはドス黒かった。

 

「"いつも音ちゃんがお世話になってます。"お友達ですか?」

 

わざとらしい及川の言葉。まるで音羽の事を誰よりも分かっていて親密な関係です、だなんて言いたげな台詞。

 

面会名簿を見たら分かるだろうに。今音羽の病室には来客者が居ると。なのに澤村は遠慮することなく病室にやって来たのだ。

 

「いえ。"幼馴染"ですし当然ですから。」

 

"幼馴染"というワードに及川のニコニコ笑顔が一瞬歪む。それもそうだが……この男が手にしている花束が気に食わない。"可愛らしいピンク色の花"なんて――俺も選べばよかったと後悔した。

 

 

「…音羽ごめん遅くなって。体調は?」

「体調は変わりないよ。大地こそほぼ毎日来てくれて…部活は大丈夫なの?」

「問題ない。この後少し練習参加するし。」

 

笑みを向け合う2人。それを前に及川はムゥと子供のように頬を膨らます。

 

「((……幼馴染。確かに音ちゃんにそういう仲の奴がいるってのは知ってたけど……))」

 

自分よりも付き合いの長い相手がいるのは気に食わない。悶々とした気持ちが溢れ出る及川。それを全く気にしない澤村。なんとなくその空気を悟る音羽。

 

"ちょうどこのタイミングがいいかも"と音羽は胸中で呟く。

 

意を決したように音羽はゆっくりと顔を上げると2人を交互に見つめた。

 

 

 

「ふたりがちょうど来てくれて良かった。話さないといけないことがあって。」

 

「何だ?」

「なーに?」

 

音羽から見て左側の椅子に座る及川。

反対の右側の椅子に座る澤村。

ふたりはキョトンとした視線を音羽に向ける。

 

 

「分かってたことなんだけど……」

 

その後の言葉が出てこず、喉を詰まらせる音羽。唇を噛み締め再び視線を手元に落とす。シーツを握りしめる両手に力がこもると歪な皺が現れ、音羽の心情を表しているようだった。

 

 

「「…………」」

 

そんな音羽を静かに待つ2人。

問い質す事もなく、静かに……ただ待ち続けた。

 

 

 

「……正式に…"全日本ユース選手から除外"されました。」

「「ッ…!」」

 

音羽の視線が再び持ち上がると同時に告げられた言葉。

 

それは2人も予想していたことなのだが彼女本人から告げられた事によってさらに現実味は増し、絶望が押し寄せた。

 

 

「……これから先のことは何も決めてないんだけど…ふたりには早く直接伝えたかったし。何度も同じ話したくなかったからちょうど良かった。」

 

朗らかな笑みを見せる音羽。しかしその表情に影が濃くなる。悲しみを必死に堪えているのが手に取るように2人には分かっていた。

 

 

「…音ちゃん。飛雄にはいつ話すの?」

「次会ったら直ぐに話すよ。…といっても暫くここには来ないだろうけど。さっきも逃げちゃったし。」

 

 

「音羽……お前…」

「大丈夫だよ。分かってた事。監督がここに来るって連絡が来た時点で覚悟はしてたから。」

 

 

「「…………」」

 

音羽の平然を装う表情と告げられた残酷な事実。及川と澤村の頭の中の何かがぱりんと破裂し、思考が真っ暗になりかけた。しかしここで動揺を見せる訳にはいかないと慌てて気持ちを引き締める。無理やり平静を取り戻す。

 

 

「音羽」

「音ちゃん」

 

 

 

「……そう……覚悟……して…た…」

 

 

 

音羽の表情がじわじわと滲んでいく。

 

 

 

「……分かってた……うん、……分かって……」

 

 

2人に伝えられたことにホッとしてしまった。気が緩んでしまった。今自分で口にした事実が再び荒波のよう胸を激しく揺さぶる。

 

 

まるで壊れた機械のようにたどたどしく口を動かす音羽。

 

 

「あ…………ぁ……」

 

視界が歪む。頭が痛い。

 

大泣きした時のような脳が焼けるような熱さ。次第に呼吸が荒くなっていくと上手く酸素が吸えない。

 

 

「はぁっ……ぁ…………はぁっ」

 

 

過呼吸のように"ゼーゼー"と息を吐くと同時に無いはずの左脚が激しく痛み始めた。

 

 

「ッ……痛……」

 

 

冷や汗が額を滑り激しく手が震え始める。

その状態に反応を示す及川と澤村は直ぐに音羽の手を掴んだ。

 

「音羽!?」

「音ちゃん!」

 

「…ごめ……ッ…大地、痛み止め…」

「あっ、ああ!分かった。」

 

 

澤村は直ぐにベッド横の棚の引き出しから処方薬を取り出す。"頓服薬"と記された袋から薬剤を取り出そうとした時、ギョッと澤村は目を見開く。

 

その間、及川は音羽の手を握りしめていた。

 

 

 

「音ちゃん何やって…"そっちはもう"」

「……痛いの……痛み止め飲まないと……ッ」

 

存在しない四肢の痛み。所謂"幻肢痛"というものだ。事故後間もないという事もあり症状はかなり重いものだと理解する。

 

「…………」

 

澤村はじっと袋を手に持ったまま立ち尽くす。そして冷静な口調で及川へと指示を出した。

 

「すみません及川さん。ナースコール押してくれませんか。」

「う……うん!わかった!」

 

ナースコールに手を伸ばす及川。

そして澤村は音羽の傍に再び寄ると心配そうに顔を覗き込む。

 

 

「音羽、何錠飲んだんだ?」

「……だって……痛くて…ッ……」

「お前……これ処方されたの昨日だよな?もう袋の中空じゃ……」

 

鎮痛剤の過剰摂取。

それだけ音羽は幻肢痛に悩まされていた。

しかし澤村は気づかなかった。音羽がそこまで苦しんでいることに。気づいてやれ無かったことに悔しさを覚える。

 

 

 

「――"失礼しますよー。"」

「音羽さん。ゆっくり、ゆっくり深呼吸…」

 

及川がナースコールを押して直ぐに現れる看護師たち。

 

「"エルカトニン"持ってきてもらっていい?直ぐに点滴を。」

「はい。」

 

手際良い処置。

物々しい雰囲気に澤村と及川は部屋の隅に移動すると小さく息をつく。

 

 

「――2人とも、お見舞いに来てもらって悪いんだけど今日はもう帰ってもらっていいかな?」

 

「あ……はい。」

「はい。」

 

にこやかに安心させるように微笑む看護師。自分たちにこれ以上できることは無い。2人はこくりと頷くと荷物を手に取り部屋を出ようと出入口へ向かう。

 

澤村がドアに手をかけた瞬間、

酸素マスクを付けた音羽が2人を呼び止めた。

 

 

 

「…お願…い…」

 

 

「音ちゃん!」

「音羽……ッ…」

 

2人は再び音羽に駆け寄る。

そこには苦しそうに表情を歪め、涙を流す音羽の姿があった。

 

「……絶対………飛雄に言わないで……」

 

 

懇願する音羽の声は2人の脳内に響き渡った。

 

どんなに苦しくても、澤村や及川に弱音を吐いたとしても、彼女は弟だけには弱いところを見せたくなかった。

 

彼が自負しないようにと。必死に考えていたのだ。

 

 

呆れるほどに――

 

 

 

 

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「……ねえ。アレって何?」

「幻肢痛の鎮痛剤だ。」

「…………」

「面会が始まって以降、処方されていたのは知ってた。だけど日に日に飲む量が増えてる。……多分、医者も気づいてないのか……もしくは音羽の為に処方しているのか……」

 

及川も幻肢痛が何なのか知らない訳では無い。ただ本当に手足を失った人間が"あんなにもリアルに痛みを感じている"のを初めて目にしたのだ。まさか、と。本当にそんな事が存在するのかと。あんなに苦しむ音羽を見るのは人生で初めてのことでもあったが故に及川はかなり動揺していた。

 

「音羽曰く痛みの程度は様々らしい。電気が走るような痛み、捻られるような潰されるような痛み。刃物で裂かれるような……紐でキツく縛られるような……とか。」

「……」

「実際に俺は痛みを感じている時の音羽を見てきた。……だけどあんなに酷かったのは……今日が初めてだ。」

 

 

脚を失って数日。

日常生活が戻りつつある今だからこそ脚がないという現実に耐えられなくなっているのかもしれない。

 

そしてそれに被さるように音羽に降りかかった悲劇。日本代表を担うユース選抜からの除外。"もう私はコートに立てないんだ"と、その現実に苦しさを感じるのは当たり前のことだ。

 

幼少期からバレーを楽しんでいた音羽。その楽しさが弟にまで影響するほどに"音羽はバレーに愛され、愛していた"。

 

生き生きとコートで自由に飛んでいた彼女の姿を脳裏に浮かべる及川と澤村はそれを誰よりも理解していた。

 

 

 

 

「……そういえば自己紹介してなかったよね?俺は青葉城西…」

「及川徹さん、ですよね?」

「へぇー。俺って有名人なんだ〜?」

「勿論知ってます。俺もバレーやってるんで。」

 

病室から少し離れた通路で会話する2人。互いに向かい合い、他害を強く見合った。

 

「俺は烏野高校二年、澤村大地です。」

「……烏野の澤村くん、ね。」

 

 

及川は意地悪そうに笑みを含むと背を向け踵を返す。今日はもう音羽に会えないのだ、残る理由は無いと言わんばかりに立ち去っていく。

 

しかし数歩進んだ時、及川は再び呑気な軽い声で澤村へと言葉を吐いた。

 

 

「……ピンク色の花で揃えるなんて。妬いちゃうよ?俺。」

 

澤村の手に抱えられていたピンクの花の数々。愛情、恋心たっぷりと言わんばかりの在り来りの花束に嫉妬した。

 

 

 

「音ちゃんは俺のだから。……俺が音ちゃんを支える。また羽をさずけるのはこの俺だ。」

 

くるりと振り返り、及川は人差し指を容赦なく澤村へと向けた。

 

 

 

「――じゃあね?"飛べないカラス"の澤村くん。」

 

 

皮肉混じりの彼の台詞。

妖艶ささえ感じる意地の悪い薄ら笑いに澤村はグッと言葉を飲み込んでいたのだった。

 

 

 

 

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――同時刻 東京

"味の素 屋内トレーニングセンター"――

 

 

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公式サイズのバレーボールコート2面。

床材には国際基準のコートマットが敷設。

フォーメーション確認用の全体視用アングル、ブロック隊形を確認するためのネット上アングルにそれぞれデジタルハイビジョンカメラを設置――

 

 

そんな完璧な場所で定期的に行われる全日本ユース強化合宿招集。

 

 

 

日本の将来のバレー界を担う若人たちが集う練習場に1人の青年が現れた。

 

 

 

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「"あれー?音羽お姉ちゃんおらんの?"」

 

 

あろう事か今この練習場には"女子の選抜選手が集まっている"のだが……

その青年の呑気な関西弁が響くと女子選手達が呆れ顔でじっと視線を寄せたのだった。

 

 

「「((やっぱり来たわね……宮兄弟の片割れこと…"宮侑"))」」

 

一点に注がれる女子の視線。

しかしその先の青年は呑気にニコニコと笑いながらゆっくりと練習場に足を踏み入れる。

 

休憩中の女子メンバー達はその笑顔に何故かゾッとしていた。

 

「邪魔するで〜」

「何しに来たの?この時間は男子はミーティングでしょ?」

「だって雲雀田監督おらんし。男子はみーんなトレーニングルームで筋トレやしつまらん。んなら可愛い女のコ眺めよ〜思て♪」

 

「「…………」」

 

侑の言葉にやれやれと全員がため息を漏らす。そんな中でも侑は1人の女子選手を探しているのか視線を細かく泳がせた。

 

しかし見つからない。

大好きな"お姉ちゃん"が居ないのだ。

 

 

「……なあなあ。まだ"音羽お姉ちゃん"合流しとらんの?今回の招集メンバーの名前ン中にあったと思うんやけど?」

 

"音羽お姉ちゃん"

侑が発したその名前。

それは彼が慕っていたひとつ上の先輩にあたる人物。

 

「……えっ……と……」

「音羽なら……その……」

 

彼女と同じく日本の代表に選抜されている少女たちは互いに顔を見合せた。

不穏な空気。何か隠しているような、言い難い何かを知っているような様子を侑はすぐに読み取る。

 

「……え?なに?この空気……」

 

侑の表情に微かに動揺が見えた。

明らかに重くなったその場の空気。

 

何もまだ聞いていないのに――不思議と背筋に冷や汗が流れていた。

 

 

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……嘘や。

絶対嘘や。

 

ありえへんやろ。

 

「ッ……」

 

侑は女子チームの練習場を後にし、廊下を早足で駆け抜ける。

 

「((音羽お姉ちゃんが……ンなわけないやろ…………ガセや!くだらんガセネタやて!))」

 

そのまま男子トイレに駆け込む侑。

ジャージのポケットから携帯を取り出すと震える手で"音羽お姉ちゃん"の連絡先を開いた。

 

「くっ…………」

 

こんな感覚久しぶりだった。

試合で追い詰められた時のような変な興奮。そして絶望……自分でも例えようの無い不気味な感情にガクガクと脚が震える。

 

 

 

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"あ!ツム!久しぶり……やねんなあ〜!"

 

ヘッタクソなエセ関西弁。

 

 

"また背伸びたでしょ?"

 

合宿で会う度、お姉ちゃんはいつも可愛がってくれた。

 

 

"ツム!サムは元気?"

 

あんなクソポンコツの事なんかどうでもええのに、気にかけてくれるん嬉しかった。

 

 

"次は春高の会場で会おうね!兵庫の代表枠!絶対手にしてね!"

 

約束したやんか。

一緒に全国の舞台に立つって……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――言ったやろ……

 

 

 

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「……は……はは……」

 

携帯が手から滑り落ちトイレの洗面台に両手を預けると無意識に笑いがこぼれた。

 

 

 

「……事故って……脚ぶった切ったとか……アホすぎるやろ……」

 

 

そんなん有り得ん。

なんの漫画やねん。ドラマか?映画か?クソすぎる。

 

胡散臭い冗談や。

これは悪い夢や。絶対に夢や……

 

……ほっぺた捻ったら痛い。

アカンやつや。これはマジや。

 

 

でも……音羽お姉ちゃんは最強やろ?

コートで輝いて、光って、ええトスが上がった時に女神様みたいに笑う美人さんで。みんなに慕われて、コーチにも信頼されて。

 

 

なんでそないな女神様が――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……"クソ弟"庇ったんのがマジやったら…

 

 

――"殺したろ"」

 

 

 

 

……弟庇って事故ったとか

マジなんなん?クソやん。

 

出来の悪いしょーもないクソ弟なんやろな。

 

もしどっかで会ったら殺したるわ。

 

 

 

 

 

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