影山姉弟   作:鈴夢

7 / 28
また飛ぶんだ。

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

――2009年 9月

 

 

影山音羽 中学3年

影山飛雄 中学1年

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

壁掛け時計の秒針の音が部屋に響く。

時刻は夜の9時を回っていた。

 

部屋に響くのは紙を捲る音とシャープペンシルの芯が擦れる音だけ。机に積み上げられた参考書と教科書の山。

 

バレーをしている時とは違う緊張感と集中力。この時間がとてつもなく心地よかった。次々と現れる難問に脳を働かせ、解に繋がった時の快感と言ったら不思議なものだった。

 

音羽は一心不乱に一つ一つの問いを解いていく。

 

 

「……ん」

 

その時、部屋の外で人の気配を感じた。同時に乱雑に扉を叩くようなノック音が響くと音羽は"どうぞ"と外にいるであろう人物に声をかけた。

 

 

 

 

 

「……"姉ちゃん"」

 

 

ドアをそっと開け、現れたのは部屋着姿の飛雄だった。その表情はどこかムッとしており明らかに不機嫌だということが伺えた。

 

そして半ば乱雑に扉を閉めると両掌に拳を作り力を込める。

 

 

「どうしたの?」

「"どうしたの"じゃねーよ。」

「そんな怖い顔しないでよ?何?」

 

ぶっきらぼうな弟の声色と台詞。拳にさらに力がこもると俯きがちだった顔をはっきりと音羽に向けた。

 

「"新山女子"の推薦、断ったってマジかよ。」

 

真剣な目付きだった。キリッと尖った目尻は自分とそっくり。やはり姉弟(きょうだい)だなあなんて呑気なことを考えるもそれは直ぐに払拭された。

 

「((……飛雄の機嫌が悪いのはそれが理由か…参ったなあ。))」

 

"新山女子高校"

宮城県にある女子校で女子バレー部の強豪校と言われており県内からは毎年引き抜きが行われていた。何年も連続で全国大会に出場し正に強豪という名が相応しい。

 

しかし音羽にとっては正直"どうでもよかった"。

 

「うん。そうだけど?」

「はぁ!?」

「断ったよ?新山女子。」

 

呑気で悠長な声色だった。

しまいには机に肘をついてはクスクスと面白がるように笑みさえ浮かべている。

 

反して飛雄は素っ頓狂な声を上げ、呑気な姉の言動に開いた口が塞がらなかった。

 

「はぁあああ!?なんでだよ!この前も東京の強豪校のスカウト断ったって!しかも理由は"実家から通える学校"がいいって話だっただろ?」

「うん。」

「だったら矛盾してんだろ。新山なら県内だし、少し遠いけど通える。なんでそんなチャンスをわざわざ逃すんだよ!」

 

"訳わかんねぇ!"と乱雑な言葉が飛び交った。それもそのはずだ。飛雄だけでなくこの話を耳にしたものは誰しもが混乱するだろう。

 

音羽については県内で名を馳せるだけでなかった。バレー界の一部の人間たちは"影山音羽"という逸材を、ダイヤモンドの原石とも言える存在に目をつけている大人たちは数多い。どこの高校が彼女を引き入れるのか、注目を集めている事実。

 

しかし当の本人はそれを全く気にする様子もなく、強豪に行くつもりは無いと公言している。

 

 

「そもそも強豪校に入るなんて考えてないよ?偏差値高くてバレー部がある高校だったら問題ナシ。」

「理解できねぇ。」

「理解されなくて結構。」

「ッ……」

 

キッパリと言い放たれる言葉にぐうの音も出ない。そもそも姉とは口喧嘩で勝ったことがない。この話も自分が何を言おうとも意思が変わる訳では無いだろう。だが本当に理解できなかった。強者だからこそ掴み取れるものは掴み取ればいいのにと。いくらでもオファーがあるのにそれを蔑ろにする姉の考えはやはり何が何でも理解できなかった。

 

やりきれない不満を顔に滲ませる飛雄。それを目の前に音羽は小さくため息を漏らすと回転椅子ごと体をくるりと弟に向け、じっと真剣な眼差しを向けたのだった。

 

 

「私はね、少しでも家に近い方がいいんだよね。」

「……は?」

「今だって同じ中学通ってるけど一緒に過ごす時間なんて限られてるし。歳を重ねれば重ねるほど時間って無くなっていくでしょ?」

「何言って…」

「家族と過ごす時間の方が私は価値があるって思ってる。」

「な…」

「私は勉強も好きだし?勿論将来はバレー1本で生きていくのが理想だけど"知は力なり"って言うでしょ?勉強しといて損は無いよ。」

 

息継ぎを忘れるほどの音羽の言葉の数々。飛雄にも口を挟む間も与えない。

 

「それに!たとえバレーが弱い学校だったとしても"強くなればいい"。全国常連の新山女子に勝つ方が最高じゃない?」

「…………」

「"最弱チームが最強チームを叩き落とす"。なかなか面白いでしょ?」

「…………」

 

(ほお)けたようにキョトンと口を半開きにする飛雄。全てにおいて全く理解できない。だがなんとなく、理解が追いつかないが言っていることは分かっている。いつもは真っ当な人間のように間違いを正すような姉が"弱者が強者を叩く"なんて物騒な台詞を口にするなんて意外だった。

 

だが分かった。"これが姉の本性"だと。女神だと言われているがそれとは異なった姿にごくりと息を飲んだ。

 

 

「……"Everybody has talent, but ability takes hard work."」

「……は?」

 

突然の流暢な英語に首を傾げる飛雄。

先程から姉に振り回されっぱなしだ。というより何も言い返せないのだ。

 

「"誰でも才能を持っている。しかし、才能を開花させるのは努力だ"。……さすがに飛雄でもマイケル・ジョーダンは知ってるよね?」

「バスケで有名な人だろ。知ってるしバカにすんな!」

「ははっ!ごめんごめん。この名言はね?ジョーダンの言葉なの。私が大切にしてる言葉のひとつ。」

 

スポーツをしている者なら一度は聞いたことがある名前だろう。いいや、していなくても彼の名前を知っているものは数多くいるはずだ。

 

マイケル・ジェフリー・ジョーダン――アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。"史上最高のバスケットボール選手"、"バスケットボールの神様"とも言われている人物だ。

 

高い運動能力に並外れたセンス。しかし生まれつき才能があった訳では無い。

バスケットもバレーと同じく身長や体格を重視されがちだ。そんな中でも彼は至って体格は平凡。軒並み外れた体格を持つ選手たちが多い中でも彼は存在感を放っていた。それらは全て彼のバックグラウンドを見ればわかる。誰よりも努力し、誰よりもバスケットを愛している。

 

競技は違えど音羽は彼を尊敬していた。プレーだけでなく自己管理も完璧。チームを勝利に導く姿勢も何もかもが憧れだった。

 

"Take off"――"人類が空を飛んだ"と例えられる唯一無二の存在。

 

音羽はそんな彼の言葉をいつも自分に置き換えていた。

 

 

 

「私はもっと強くなりたい。その為にも他の人がやらない事を達成したいし"予め敷かれたレール"を歩くのは嫌なの。」

 

才能を開花させるのはいつだって自分だ。

 

「だから自分の行きたいところに行く。自分のやりたいように、自分がコレだって決めた道を進んで努力して夢を達成させたいの。」

 

努力を実らせる為には自分が行動することだ。

 

「勿論全てを否定してるわけじゃない。スカウトなんてみんなが皆経験できることじゃないし、そうやって注目してもらえてることは本当に感謝してる。」

 

誰よりも自分の置かれている現状を理解していた。だからこそ自分がどこまでチャレンジできるのか。自分の未知なる才能をどこまで開花させることが出来るか――

 

 

 

「強くなるんだよ。飛雄。」

「ッ……」

 

真っ直ぐと的を射るように光る音羽の瞳。

 

「それが私なの。それが"影山音羽"なの。」

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈

 

 

――2011年 7月下旬

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

"病室に壁掛け時計はなかった"

窓の外に広がる穏やかな景色、空の色、音――それを目印に音羽は流れる時の中で生きていた。

 

ベッドテーブルには何も無い。

飲みかけの麦茶が入ったマグカップだけが寂しそうに置かれていた。

 

「…………」

 

音羽はぼんやりと窓の外を眺めていた。

橙色に染まっていく空。恐らくあと少しで日が沈み月が現れる。

 

黄昏時、この時間は何故か胸がぎゅうっと痛くなる。理由は分からない。だけど不思議と寂しくなる。

 

 

「……ん」

 

その時、病室の扉に控えめなノック音が響いた。だいたいノックをした後に皆名乗るのだが声は聞こえない。とすれば身内だろうか。……いいや、多分これは――

 

 

「……"姉ちゃん"」

 

弱々しい声だった。視線は合わない。

扉を開け、ぎこちなく病室に現れたの制服姿の弟の姿だった。

 

久しぶりに見た弟の姿。

とくに大きな変化はなくやつれている様子もない。音羽は飛雄を誰よりも心配していた。"あれから"一向に姿を見せないものだからもしかしてやせ細っていたらどうしよう……だなんて考えていたほどに。

 

 

「飛雄。やっと来てくれた。」

「………」

「部活は?もしかしてサボり?」

「…休み。」

「そっか……あー…テスト期間中だもんね。」

 

"よいしょ"とゆっくりと体勢を立て直す。毎日ほとんどベットで横たわっているものだから腰が痛む。今まで毎日トレーニングをしていた体だったからか体が固くなってきたと言う事をより一層強く感じていた。

 

 

「勉強見てあげようか?」

「……」

「お母さんから聞いたよ?"白鳥沢"受験するんでしょ?あそこ難関だし、ちゃんと受験対策しないと難しいでしょ。」

「……」

「白鳥沢の男子バレー部に友達がいるんだけど……過去問とか、もし何か知ってるかもだし聞いておこうか?」

「……」

「……飛雄?」

 

音羽の呼び掛けに無意識に手元に力がこもる飛雄。何となくこの空気と景色に既視感をおぼえた。そういえば何年か前、音羽が高校受験の時も同じような光景を目の当たりにした気がするとお互いに考えていたのだった。

 

 

 

「……姉ちゃん。」

 

飛雄はゆっくりと視線を音羽へと移す。

 

「ん?」

 

音羽は微笑みながら飛雄の言葉を待つ。必死に言葉を絞り出そうとしている弟の姿。それを見るだけで飛雄が何を言おうとしているのか何となく予想していた。

 

 

 

「…"ごめん……なさい"」

「…………」

 

謝罪だった。

何に対しての謝罪なのかは……分からない。

 

しばらく顔を出さなかった事だろうか。メールをしても返信が無いことか、はたまた家の冷蔵庫に入れっぱなしの高級プリンをひとりで食べ尽くした事だろうか。

 

音羽は何も聞こうとしない。

寧ろ呑気に笑いながら手招きする。

 

「ほら、こっちおいでよ。勉強見てあげるから。」

「姉ちゃん。」

「数学からやる?それとも」

「"俺のせいで"…」

「こっちおいで。」

「"何もかも…全部"」

「お姉ちゃんに任せ…」

 

刹那、飛雄が声を荒あげる。

 

「本当にッ!ごめ――」

「"飛雄"」

「ッ……」

 

しかしそれは瞬時に遮られた。

食いつくような鋭い視線と共に、音羽の表情は色んな意味で恐ろしかった。

 

 

「飛雄が謝る必要なんてない。」

「でも……」

「あー!もう!さっさとこっちに来る!」

 

乱雑にベッドテーブルを右手で叩くと頬を膨らませ飛雄を呼びつける。飛雄はグッと唇を噛み締めると気まずそうに一歩一歩と姉のベッドへと突き進む。

 

右手で左腕を押さえるように掴み、視線はやはり戸惑っていた。真っ直ぐと姉を見れないと言わんばかりの様子に音羽は半ば呆れながらも言葉を続ける。

 

 

「飛雄。」

「…っ…」

「お姉ちゃんの目、見てくれる?」

 

飛雄はそっと視線を向ける。そしてピクリと肩を跳ねさせた。

 

音羽の澄んだ眼差しで心を覗かれているようで何故か変な緊張をしてしまう。

 

そして不思議と引き込まれるように姉への側へと近づく。すると音羽は飛雄の腕を引きベッドから優しく抱きしめた。

 

「……お姉ちゃん、頑張るから。」

「……」

「飛雄も頑張るの。ね?」

 

耳元で響く声。

それはいつもと変わらない優しい声だ。

 

 

「まずは高校受験頑張らないと!」

「っ……」

「今できることをしっかりやらないとね。道は自分で切り拓くものなんだから。」

 

"姉ちゃんの力強い声"

 

「飛雄のバレーの才能は本物だよ。天性の才能を持ってる。」

「……」

「みんなは飛雄の事を天才って言うけどお姉ちゃんは本当の意味を知ってる。」

 

"いつも俺を褒めてくれる"

 

「寸分の狂いのないトス。空間把握能力。サーブの威力、アタックとブロックのセンス。」

 

"その力を手に入れたのは姉ちゃんっていう存在が居たからだ。"

 

「"努力したくらいで到達できるような境地じゃない"……私も影でそんなこと言われてきたし、飛雄も同じようなことよく言われてきた。"たまたま生まれながらにして授けられたもの"だって。だから天才なんだって。」

 

"努力家の姉ちゃんの背中を見てきたんだ。俺も姉ちゃんと同じ土俵に立ちたかったんだ。"

 

「だけど"そうじゃない"。私も飛雄も天才だって言われてるけど"そうじゃない"。」

「っ……」

「みんなが想像できないくらいの努力を重ねてきたんだよ。死ぬほど練習してきたんだ、努力してきたんだ。」

 

 

飛雄は大きく目を見開き今にでも泣きそうな、喜んでいるような、形容できない表情で姉をただただ見つめる。

 

 

「"努力を重ね続ける事もひとつの才能だよ"。」

 

生まれながらの天才だなんて言われ続けた。

だけど違う。

 

影山姉弟が努力してきた結果だ。

 

「私たち姉弟(きょうだい)はそれを一番理解し合ってる。」

 

音羽の手が飛雄の頬に伸び、子供をあやす様に優しく触れる。

 

 

「"飛ぶんだよ"。」

「……」

「"飛び続けるんだよ"。」

「……」

 

瞳に宿る炎のような力強い光。

 

「お姉ちゃんが……何があっても飛雄の羽になってみせる。お姉ちゃんは飛雄の為なら何だって出来るんだから。」

 

 

飛雄の目が生き返り始めていた。知っている家族の顔だった。人の顔は不思議だ。心がここに戻ってきただけで――愛しい輝きを放ちはじめる。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈

 

 

 

あの事故から数週間後。

少しずつ少しずつ……音羽は前に歩き始める。

 

 

 

 

「はーーい!音ちゃん!いつでも俺の胸に飛び込んできてね!」

 

病院内の中庭に一人の少女を取り囲む青年"達"。全員もれなく身長も高くやけに目立つ集団だ。

 

「徹。私の運動能力なめすぎでしょ?」

 

右脇には松葉杖。そして仮の義足を左脚に装着した音羽の前に青葉城西の特徴的な白地に青ラインの入ったジャージを纏った及川の姿。腕を大きく、わざとらしく広げにんまりと笑みを向け音羽の前にビッタリと張りつく。

 

「クソ川。お前がずっと前に張り付いてたら音羽が集中できねぇだろ。」

「そんな事ないよ〜。いつでも転んでも大丈夫なようにこうやって構えておかないとね♪さすが俺天才♪」

 

いつも通り及川に釘を刺す岩泉。

 

「音羽ちゃん。疲れたら車椅子もあるし言ってね。及川暑苦しいから余計に疲れちゃうだろうし。」

「及川が鬱陶しくなったら早く言えよ。」

「マッキーもまっつんも酷くない!?」

 

車椅子を手について回る花巻。その横で音羽の顔を覗き込んでは冗談(多分本音)を口にする松川の姿もあった。

 

「みんなありがとう。ずっと室内で理学療法士さんと二人っきりだったから……なんか新鮮かも。」

 

実は外に出るのは今日が初めてだった。今まで暫くは院内のリハビリ施設にて理学療法士の指導のもと"立つ、座る"の基本的動作能力の回復を行ってきた。元の身体能力もあってか基礎は既に回復。医師の許可の元、外で歩行する事が許されたのだった。

 

だがやはりまだ不安は残る。

仮の義足はまだ安定しないし暫く寝たきりだったからか筋肉量も落ちている。"あの頃"とは大きく違う体の変化に衝撃的だった。

 

「……ふー……」

「…………」

 

岩泉はそんな音羽の心情を機敏に感じ取る。

そっと隣に立つとゆっくりと手を差し出した。

 

「ん、音羽。違和感感じたら直ぐに俺の手掴めよ。」

「……ありがとう一君。」

 

二人の間に流れるマイナスイオン的な空気。

その雰囲気に穏やかに笑みを向ける花巻と松川。しかし及川は気に食わないに決まっていた。

 

 

「なーー!岩ちゃんその手法は狡い!」

「お前がアホなだけだろーが。」

「音ちゃんも何その顔!!俺にそんな顔しなくない!?」

「徹うるさい!他にも患者さんいるんだから静かにして!」

 

中庭に居た患者や看護婦たちはクスクスと面白おかしく笑い始める。そんな中音羽は顔を真っ赤にしながら再び足を踏み出す。

 

及川、岩泉、花巻、松川。

四人の優しい眼差しが再び音羽へと注目したのだった。

 

 

 

┈┈┈

 

 

 

 

別日。

音羽の為にと集まる仲間は他にも多く居た。

 

 

 

 

「……音羽…ゆっくり…ゆっくり…」

「大地〜。お前がそんなにビビってどーすんの?音羽ちゃんが逆に心配するでしょー?」

 

「音羽ちゃん!転びそうになったら……その……俺の手でも足でも腕でも肩でもどこでも掴んでね?」

「旭も以下同文。」

 

ガタイのいい男"澤村と東峰"。その傍らでは腰に手を当て呆れ顔の"菅原"。

屈強な二人組が滑稽だった。歩行する音羽の両側に構え、今か今かと倒れる寸前を待っているかのようにも見えてしまう。

 

「えーっと……大地はそんなに張り付いてなくて大丈夫だし……旭君もそんなに青ざめた顔しながらだと……逆に心配……」

 

というよりめちゃくちゃ申し訳ない気持ちになる。歩行も慣れてきた頃だし転けることは滅多になくなった。何より周りからの視線も何となく嫌なのだ。

 

「でも転けたら大変だろ!」

「大地の言う通りだよ。その為にも俺と大地でこうやって壁に……」

 

「あーー!もう!代われ代われ!スガさんに任せなさい!」

 

それを見兼ねた菅原がヒョイっと音羽の手を掴む。まるでエスコートする紳士のようにスマートな動きだった。

 

「音羽ちゃんのことなめてるでしょー?元々運動神経もいいんだし、少しまだふらつく時もあるけど大丈夫でしょ?」

「"手"」

「………スガ……やめといた方がいいぞー。大地がホラ、ほらほら。」

 

澤村のただならぬジェラシーにも怖気付く事無く菅原は音羽の手を握ったままだ。しかし完璧な補助に澤村は手を出すことも出来ず悔しそうにしている様子は面白い。

 

四人で暫く中庭を歩いていた時。

どこからともなく騒がしい足音が中庭へ飛び込んできた。

 

 

「"おっとは"さーーーん!」

「今日も龍とお見舞いに来たぜ〜!!……って……」

 

聞きなれた声だ。

烏野高校排球部と記された黒ジャージを纏う青年二人組"田中と西谷"。

 

「ん……あれれ、……ミナサンオソロイデ……」

「なんで大地さん達がいるんスか!?」

 

今にでも"やべぇぇぇぇ!"なんて声が漏れそうな二人。まさか先輩達がこの場にいるとは予想外すぎた。

 

 

「今日二年は進路相談でそのまま部活は無いだろー?だから大地と旭と来たんだよ。」

 

「……田中、西谷、練習は?」

「「ギクッ!!」」

「…………」

 

 

「いやぁ〜えーーーっと……ノヤさん…ゴセツメイヲ……」

「はっ、腹が痛くて!縁下達にも伝えてますし……、あー!腹痛ってぇ〜……」

 

冷静にここにいる理由を笑顔で口にする菅原。

まさか部活をサボったのか、と言わんばかりの澤村。

そしてそれを宥めるのは東峰と菅原だった。

 

 

「大地ーまあいいだろ?今日くらい、な?」

「たまには許してあげようよ?俺達も進路相談を理由に部活休んでるし。……"それに"」

 

菅原はふと隣の音羽に視線を落とす。

次から次へと現れる友人たちの姿に頬を緩ませる音羽が目に入ると菅原もつられるように笑みを浮かべた。

 

「音羽ちゃんも嬉しそうだしいいでしょ?」

 

菅原を見上げこくりと頷き頷く音羽。

 

「うん。みんな来てくれて……本当に嬉しいよ!」

 

何も言わずとも自分に会いに来てくれる事が嬉しかった。きっと元は澤村のお陰だろう。少しでも色んな意味で回復が早まるようにと、及川と同じく澤村も優しい心の持ち主に変わりは無い。

 

だからこそ自分も応えなければならないと音羽は奮起した。

 

 

 

「よし!それじゃもう一周…………

 

 

 

 

うっ……わぁ!!」

 

 

足を踏み出したその時

地面のタイルの隙間に義足を引っ掛けてしまい大きくバランスを崩す音羽。

 

ほんの一瞬だけ手を離してしまった菅原。咄嗟の事に目を見開き手を伸ばすも音羽を掴むことが出来ない。

 

「なっ……音羽ちゃん!」

 

このままだと思いっきり顔面から地面に転んでしまう。外出許可は出たものの未だに体には事故の影響もあって完治はしていない。ただでさえ左目の視野が狭くなっている音羽自身も上手く立ち回ることが出来ない。

 

「「「!?」」」

 

その場にいた全員が焦りを見せたその時。たった一人だけは本能的に体を動かすと音羽を守るように抱きとめた。

 

 

「……ッ……」

「……音羽?大丈夫か?」

 

俊敏な瞬発力を見せたのはやはりこの男。

 

「…あ……ありがとう。"大地"……」

「どこも怪我してないよな?」

「してない……です。」

「うん。よかった。」

 

どんなときも音羽から目を離さなかった澤村だった。

 

 

「ごめん音羽ちゃん!俺が手を掴んでって言ったくせに。」

「孝支君は悪くないよ!寧ろ私が手を離しちゃったんだし。」

 

「よかった……ヒヤッとしたよ本当に……」

「旭君も驚かせてごめんね?」

 

 

「音羽さん!」

「大丈夫ッスか!?」

「うん、大丈夫だよ?」

 

菅原、東峰、田中、西谷はふるふると手を震わせながらも何も怪我を負っていない音羽を前に安心の色を見せ始めた。

 

ほんの一瞬の緊張感は徐々に薄れていく。だがその中で"この状況に今更赤面する澤村"が居た。

 

「……音羽」

「へ?」

「そろそろ……おりてくれませんか……」

「えっ、あっ!ごめん!」

「…………っ……」

 

赤面する澤村の上に乗りかかっていた状態の音羽。"こんな体勢"で暫く落ち着いていた自分が恥ずかしくてたまらない。

 

音羽は東峰と菅原に支えられながら近くに置かれていたベンチへと誘導される。少し離れた先で菅原と東峰に介抱される音羽。すると一年の二人組が面白がるように未だに座り込んだままの澤村へと近づきそっと耳打ちした。

 

「……大地さん……」

「所謂"ラッキースケベ"ってやつじゃ……」

 

変態的な事を口にする後輩の台詞に再び赤面する澤村。

 

音羽が倒れ込んできた時、ふわりと甘い匂いがした。サラサラと揺れる黒髪が顔を擦り、柔らかい体が自身の体に全体重をかけ乗りかかってきた時の感触。

 

――そして目の前に現れる可愛い音羽の顔。

 

 

「ちっ違う!何言ってんだオマエら!」

「絶対エロい事考えましたよね、大地さん。」

「俺らにはお見通しッスよ〜!」

「断じて違う!!」

 

澤村の反応を楽しむ悪い後輩二人組。

それを目の前に木陰のベンチから面白そうに笑う三人。その光景はとても楽しくて、かけがえのない大切な時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……"全員集合?"」

「あ!潔子ちゃん!」

 

そして新たに現れるのは制服姿の美少女。

 

「「潔子サーーーーーン!!」」

 

その姿が見えると同時に声を揃えて彼女の名を呼ぶ一年ふたり。烏野高校のマドンナ的存在とも言える"清水潔子"の登場に更にみんなの表情が明るく変化していった。

 

 

「前より顔色もいいし、みんなの言う通り外でリハビリしてるんだね。」

「うん。少しずつ歩行距離も伸びてきたし、上手く行けばはやく退院出来るかも。」

「よかった。だけど無理はしたらダメよ。脚だけじゃなくて体全身に負担もあるだろうし。」

「ありがとう。潔子ちゃん。」

 

ベンチに佇む美少女二人組。

まるで映画のワンシーンのような光景に男子たちは朗らかに表情を緩める。

 

 

優しい風が、優しい空気が。

全員を優しく包み込む。

 

 

┈┈┈

 

 

それから数日。

あっという間に日が沈んだ頃の病室にて。

 

 

 

 

『ふうん。来週には退院できるんやな。』

 

携帯電話から漏れる相手の声。

柔い声質の関西弁。落ち着いた口調の"彼"。

 

「うん。まだ暫く通院は必要だけどね。」

『おめでとさん。お姉ちゃんが頑張ったからやな。』

「みんなが支えてくれてるからだよ。…"治"もありがとう。こうやって連絡してくれて嬉しい。元気出る。」

『こんな電話で元気出るならいくらでもしたるで。お姉ちゃんの為ならな。』

 

"侑"とは違う落ち着いたトーンの声色、会話の持ち主"治"。彼は時たまこの時間帯に電話を入れてくれていた。日が沈んで外が暗くなって、病院内も入院患者と看護師たちだけで昼間とは違う静けさが漂う。個室に流れるのはつまらないバラエティ番組の音だけ。この時間が大層苦手だった音羽にとって"彼ら"からの電話は安心に繋がる不思議なものだった。

 

『今日はなんしとったん?』

「今日もリハビリだよ。朝から昼過ぎまで。その後は部屋で本読んでたんだ。」

『ほーん。なかなか充実しとるなあ。』

「でしょ?最初は退屈に感じてたんだけど慣れてきて。時間を上手く有意義に使えるようになったんだけど……そのタイミングであと少しで退院なんだよね。」

『なんや、退院したくないんか?』

「…………そうじゃないんだけど、さ。」

『ん?』

 

歯切れの悪い音羽の台詞。

治は敏感に気づくと小首を傾げ耳を傾ける。

 

「病院にいると自分が事故して脚をなくして、リハビリして……なんか違和感を感じなくなってきたんだけど。」

『うん。』

「外に出て……"前の普通の生活"に戻るってなった時。普通に過ごしてた日常に戻るってなった時……そのギャップに耐えられるか正直不安になってきてさ。」

 

病院にいると別の時間軸を生きているように感じてしまう。上手く例えられないが……脚を失った自分とそうでは無い自分がいる感じがして……"脚を失った自分が前の普段通りの生活に戻るということが怖くなってしまった"。

 

「ほんのちょっと……ちょっとだけね?」

『なんや。そんなん大丈夫やろ。』

「え?」

 

"そんな事かい"なんて声も飛び込んでくる。あっさりとした治の応えに音羽は目をぱちくりとさせた。

 

『お姉ちゃん度胸あるし。不安がっとっても案外あっけらかんとしとるやろ。』

「そうかな?」

『おん。』

「……なんかサムに言われると変に説得力あるんだよね……」

『俺はちゃんと真面目に考えて話すからな。ツムと違って。』

「それは同感。」

『ははっ』「ふふっ」

 

侑のイジりともとれる会話にふたりは同時に吹き出した。真面目な会話をしていたはずなのにそれは容易に外れていき和やかな空気が流れた。

 

 

『お姉ちゃんにはいっぱい友達おるし、余裕やろ。』

「……」

『"俺ら"もおるしなんも心配することないで?』

「……」

『なかなか会えんけど、こうやっていくらでも話は聞けるし出来ることは何でもしたる。

「大袈裟だよ。」

『なんとでも言いや。』

 

治の優しい言葉に口元を緩ませる。

彼の声を聞いていると不思議な程心が落ち着くのだ。関西弁で少しキツく聞こえるはずなのにそう思えない優しいトーン。実際、治と会ったのは一度きり。顔を合わせたのも何年も前なのにそう思えないような感覚――

 

 

「……ありがとう……"おさ"」

 

刹那、鼓膜が破れそうなほどの大きな声が携帯から漏れる。

 

『あぁあああああぁぁあ!また抜け駆けしよって!今日の今日こそ許さんでサム!!』

 

このガチャガチャとした音は間違いなく"侑"だ。

 

 

『あぁん!?うっさいわ!お姉ちゃんと今話しとんのは俺やろがい!』

『んな関係ないわ!貸せ!携帯渡せ!ボケ!』

『渡さへんわ!こンのクソ豚!』

『んやとお!?…………よっしゃあ!弱いんじゃサム!』

 

受話器の先で繰り広げられる乱闘。

いつもの事だ。暴言の言い合いは聞き慣れている。

 

 

『奪ったったで!!このままトイレに籠城や!!』

『クソボケ!!返せや!』

 

ドタドタと激しい物音が飛び込む。

多分侑の言う通りなのだろう。侑が治の携帯を奪い、そのまま自宅のトイレに閉じこもったらしい。

これも大体お決まりだった。

 

『やーっと二人っきりやなぁ♡お姉ちゃん。』

「ねぇ、いい加減にしないとトイレのドア壊れるんじゃない?すごい音聞こえるけど?」

『んな事気にせんでええんやって。壊したらぜー〜んぶサムのせいにしたるから。』

「クズ……」

『何とでも言いやー。』

 

治とは打って変わって意地の悪い声色。

しかしそんな呑気な彼の声にも何度救われてきただろうか。

 

『なあなあお姉ちゃん、こっち遊びにこーへん?夏休みやし羽のばさんと〜』

「絶賛リハビリに勤しんでるので厳しいです。」

『んなら!今度合宿ついでにそのまま宮城行くし!デートせえへん!?デート!』

「デート?私彼氏居ないんですけど。」

『なにゆーてんの〜?俺がおるやろ!俺が!』

 

子供のようにおどけた会話を続ける侑。扉の外では治の怒り狂った声が聞こえ微かに受話器越しに飛び込む。

 

 

『なにアホな事ゆーとんねん!ボケエ!』

「……いい加減サムに返しなよ。あとが怖いんじゃない?」

『かまへんかまへん。……サムー!ウイイレで真剣勝負したるからもーちょい待っとって〜』

『んな事で俺が黙る思っとんかドアホ!!』

 

……いや、本当にやめた方がいいと思う。

この兄弟。キレたら恐ろしいのは何となく分かるのだがどちらかと言うといつも温厚な治の方がキレたら面倒くさそうなのは音羽でも分かる。

あとで侑が泣き言メールを送ってくるのが目に見えて想像出来てしまった。

 

そんなことを脳裏に浮かべていた時。

一際落ち着きを放つ侑の言葉が受話器から聞こえた。

 

 

『……お姉ちゃん。がんばりいや。』

「……ッ……」

『俺もサムもおるし。いつでも寂しくなったら電話でもなんでもしてきいや。』

 

声と言葉つきが相手の心を撫でるように温和だ。治とは違い侑とは何度も顔を合わせている。こういう時の彼の顔が直ぐに想像が着いた。口元に弧を描き、緩やかに穏やかに笑みをこぼす彼の顔が。

 

 

 

『大好きやんで!音羽お姉ちゃん!』

 

「……私もだよ。ありがとう。」

 

そして溌剌とした侑の声。

幼い子供のように陽気な調子につられて笑みをこぼしてしまう。

 

 

 

そろそろ侑との会話も一区切りだろう。これで無事扉の外にいるであろう治に携帯を返して一件落着……のハズだったのだが。

 

 

 

 

 

『"……オイ、クソボケ。"』

『ヒィぃぃぃぃ!!』

 

更に鮮明に聞こえる治の声。

 

「え?どうしたのツム……」

 

その時、携帯を奪われるような音声とともにガチャガチャと物音が聞こえ始める。治が携帯を奪い、取っ組みあっているのだろう。

 

『表出ぇ。拳と拳で殴り合いじゃ。』

『待て待て待て待て!ウイイレでええやろが!』

『温いんやアホタレ。今日こそボコボコ――』

 

 

正に"乱闘"。

治の言葉通り拳と拳で本気でやりあったら大変なことに……

 

 

 

 

 

 

『コラァァァァァ!あんたらなんしとるん!?』

 

そして飛び込む第三者の声。

 

 

『『げっ!!オカン!?』』

 

 

 

「…………」

 

 

音羽は何となく空気を読み取るとそっと通話終了ボタンを押し込んだ。

 

多分かなりまずいことになってるのでは?

トイレの扉を壊したとか、あまりにも騒がしい双子に母親がしびれを切らしているのが容易に伝わってきた。

 

 

 

「……ふふ……"アホやん"……」

 

 

しかし……面白い。

寂しかった心が解け、無意識にケラケラと笑ってしまうほどに。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈

┈┈┈┈

 

 

 

2011年 8月下旬

 

 

┈┈┈┈

 

 

 

事故から約1ヶ月と少し。

音羽は無事退院する事もでき、夏休みいっぱいは基本的に自宅で過ごしていた。

 

時たま自宅に遊びに来る友人たち。

みんなの車椅子の扱いは手馴れたもので出掛けることも多々あった。

 

少しずつ……少しずつ、いつもの日常を取り戻していく。

 

しかしその中で、音羽は未だに悩み続けていた。

"今後自分はどうしていくのか。"

それだけ……どうしても答えが出ない。

 

そしてその事を周りは理解していた。

決して誰しも"またバレーをやったらいい"と言うようなことは口にしない。

それは音羽自身が決めること。周りがどう口を出そうが意味は無い。ただただ"音羽のためならいくらでも助けるよ"と。そのような意味を含んだ言葉を全員が口にする。

 

大切な友人たち――しかし血の繋がった家族は別物。

音羽と飛雄の両親はこの1ヶ月間、様々な事を考えては動いていてくれたのだった。

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

夕食を終えた午後19時過ぎ。ダイニングテーブルを挟み腰をかけるのは父と母、そして向かいに音羽。飛雄は夏期講習で帰ってくるのはまだ先だった

 

 

「――音駒高校の…猫又育史監督?」

 

 

無音のリビングに音羽の声が響いた。

とある高校の男子バレー部の監督の名前。勿論音羽は聞いたことは無かった。

 

 

「そう。東京の音駒高校の男子バレー部監督。」

「面識もないのになんでわざわざ私に?」

「過去に下腿切断したバレー選手に関わったことがあるみたいなんだ。雲雀田監督と繋がりがあったみたいで、猫又監督が紹介してくれるって。」

 

話はこうだ。

東京にある"音駒高校"という学校。そこのバレー部の監督が音羽の話をどこからか聞きつけ知り合いの技師を紹介してくれる、という内容。

 

「凄腕の技師さんらしいわよ?何人ものアスリート達の脚を作ってるって。」

 

母親は机に資料をならべ音羽へと見せる。

そこには聞きなれない病院の名前や技師の名前。

スポーツリハビリテーション――アスレティックリハビリテーションという名前もあった。

 

リハビリである程度社会復帰を果たした後、スポーツ活動などのより高い活動レベルへ復帰する為のリハビリを意味するものだ。

 

「…………」

 

聞きなれない名前の数々。何枚か資料を捲り目を通していく音羽。しかし急な話でいまだに頭が追いつかない。そもそも先のことも何も固めていないことが事実だからだ。

 

 

「((……義足を使って……私は前と同じようなパフォーマンスを出せるのだろうか。そもそも筋力も体力も落ちてる。カンも鈍ってる。……本当にできる……?))」

 

両親も勿論生半可な気持ちでこれを提案していない。本気だった。正直、多額の費用もかかることも明白。義足のお金も、施設に通う交通費を含めたお金も、新たに紹介された病院も。

だからこそ生半可な気持ちでイエスとは言えない。

 

「…………えっと……」

 

音羽は曖昧に口を開いた。それ以上の言葉は出ない。

 

困惑に染まった表情。しかし両親は終始穏やかだ。

 

 

 

「……音羽。」

 

父が名を呼ぶ。

 

「バレーはまだ好きか?」

「え?」

「まだ、音羽の心のどこかで……ほんのちょっとでもいい。バレーが好き、続けたいって気持ちはあるか?」

 

 

真剣で優しい声だった。

音羽は唇を無意識に窄めると緊張したように鼻で息を吐いた。

 

「………」

 

好きか嫌いかと聞かれれば勿論"好き"だと迷うことなく伝えられる。勉強も好きだがそれよりもバレーをする事が大好きだった。

 

「大腿切断したアスリートは数多くいる。陸上選手にバスケットボールの選手。……バレーに関しては…例が無いみたいだが…」

 

父の言う通り今自分には左脚が無いのだ。脚を無くしてどうやって飛べばいい?しかも膝から下の下腿ではなく大腿が無い状態だ。それでも必死に脚を動かすアスリートは何度か目にしたことはある。彼らはとてつもない努力をしてきたに違いない。

 

自分自身も努力をすることを恐れてはいない。ただ前例のない大腿切断のバレーボール競技への挑戦……正直恐ろしかった。

 

 

「ねぇ、音羽。"シッティングバレーボール"は知ってるわよね?」

「うん。勿論。」

 

"パラスポーツ"であるシッティングバレーボール、パラバレーボールとも言われる競技だ。通常のバレーと違うのは"臀部を着けたままボールをつなぐ"こと。

 

「お父さんもお母さんも…ね?色々考えたの。…音羽が今後何をしたいか…」

 

「バレーを続けたいならお父さんとお母さんは何がなんでも協力するつもりだ。義足を使ってバレーに挑戦するも、シッティングバレーの世界に挑戦するも音羽の気持ちを優先するよ。」

 

「だから音羽は何も心配しなくてもいいの。……ね?」

 

母の手が音羽の手へと伸びる。温かくて柔らかい感触に胸が熱くなった。

両親の声は極めて優しく、調子は温か。目を瞑って聞いているとあたかもそっと柔らかに抱かれるような心持がしそうな程に。

 

……自分も……もっと向き合わなければならない。

 

両親の言葉に音羽は顔を上げる。

 

 

「…お父さん、お母さん。本当にありがとう。正直……まだ分からなくて。自分がこの先どうしたいとか……何も分からなくて。」

 

 

みんなのおかげで前向きにはなってきた。

だがその先はまだ自分の中で整理はできていない事実。

 

 

「やっと普段の生活に慣れてきた時だし……もう少し考えさせて?」

 

 

向き合おう。

いつまでも目を逸らしてはダメだ。

 

 

音羽は真剣な眼差しで両親を交互に見合う。そして手元の資料をしっかりと手に取ったのだった。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 

翌日、午後5時過ぎ。

影山家の庭に音羽と飛雄の姿があった。

 

飛雄がバレーボールをリバウンドネットに何度も打ち込む音。対して音羽は縁台から右脚と義足の左脚を降ろし両肘を両膝につけ、飛雄をじっと縁台から静かに見守っていた。

 

「……姉ちゃん。フォームどう?」

「少し肘が下がってきてるかも。……ここ、イメージはこれくらい。」

「あざす。」

 

時たまフォームの確認を仰ぐ飛雄。暫くバレーをしていないと言っても経験は見に染み付いている。飛雄にとって音羽は最高のコーチでもあった。以前は二人で何度打ち合いをした事か。

 

 

「…………」

 

ボールの弾ける音。

両脚を地面に力強く押し込み、反動で飛び上がる時の感覚。

 

 

 

 

"―――ああ、触りたい。"

 

自由に飛ぶ姿を目の前にふつふつと湧き上がる音羽の本音。飛雄の美しいフォームがスローモーションに見えた時、彼の背中に羽が見えた気がした。

 

「……ッ……」

 

自分がコートに立っていた時。

仲間にトスを繋いだあの時に見える光景。

 

高く飛び上がる仲間たち。

体育館のニス掛かった艶のある床を擦る時の独特な音。

 

 

 

"――やっぱり……私……"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…っ!?姉ちゃん!?」

 

飛雄がトスの姿勢に入ったその時、音羽はボール目掛けて一目散に脚を踏み出した。不思議と義足が一体化したような感覚。あの時と同じような、地面を押し返す感覚。

 

 

"ボールに触れたい"

 

 

「ッ!!!!!」

 

飛雄があげたトスを音羽が思いっきりネット目掛けて打ち込む。落ちた先はネットのど真ん中、狙い通りの場所。

 

 

「うっ、わっ!!」

 

そして飛び上がった反動でバランスを崩し派手に転ぶ音羽。その傍では血相を変えた飛雄が大きく目を見開き、慌てた様子で音羽へと近づく。

 

 

「…っ…いたたたたた…」

「何してんだよ!急にジャンプするとかアホか!」

「…………」

 

仰向けに転ぶ音羽。

その表情はどこか清々しかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふふふっ…ははっ!」

「はぁ!?」

「やっぱり!!バレーっていいなぁ!はははっ!!」

 

大の字に寝転び豪快に笑い声を上げ続ける。右膝を擦りむいているのに不思議と痛みも何も感じない。感じるのは飛ぶ感覚を久しぶりに感じた快感とバレーボールに触れた心地の良い感触だった。

 

 

「((……姉ちゃん……今飛んだ……?))」

 

右脚で思いっきり踏み込み大きく腕を振りかぶる光景。あの事故の後とは思えないほどの体幹とセンス。やはり女神様は健在だった。

 

 

 

「……飛雄。」

 

音羽は飛雄の手を掴み陽気に笑みを見せた。

 

 

「やるよ、お姉ちゃん。」

「やるって……」

「絶対に…"また飛んでみせる"。」

 

力強い声だった。腹の奥底から煮え滾るような、熱い何かを感じるほどに。

 

 

 

「……Everybody has talent, but ability takes hard work."」

 

「"誰でも才能を持っている。しかし、才能を開花させるのは努力だ"……だろ。」

 

 

音羽が口にした英文。それは過去に音羽が飛雄に伝えた言葉。

 

 

 

「……俺も……姉ちゃんの羽になる。」

「飛雄……」

「だから……続けてくれよ!」

 

飛雄の声が大きく轟く。

その手は音羽を引き上げ、姉弟は向かい合った。

 

「俺が言えたもんじゃないけど……俺が姉ちゃんの羽を奪ったって言ってもおかしくない。」

「……」

「俺は姉ちゃんと飛びたいんだ。姉ちゃんとまた……一緒にバレーしたい。」

 

飛雄の大きな手が音羽の手を掴む。

 

「いつだって……目指すものも憧れも全部姉ちゃんなんだ。」

 

切れ長の眼差しが光を放って相手を捉える。

 

「いつだって――自慢の"女神様"なんだ。」

 

 

夕陽に照らされる二人の横顔。

命が入ったような活き活きとした清々しい顔をしていた。

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。