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2011年9月――
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残暑が厳しく残る今日。
音羽の姿は白鳥沢学園高校にあった。
「((……もう9月も半ば。それに夕方なのに……まだまだ暑いな……))」
額から滑り落ちる汗をハンカチで拭うと音羽は小さく息をつく。今年の夏はやけに長い。寧ろ自分はほとんど奥内で過ごしていたせいか余計に暑さに弱くなっているらしい。
しかし悪いことばかりでは無い。義足も前よりも馴染んできた。車椅子よりも行動範囲派もちろん広くなるし今も実際に少し離れた白鳥沢学園高校までたどり着くことが出来た。
父と母が心配だからと車を出すと言ったが断わった。特に理由は無いが"今から会う相手"に少しでも弱いところを見せたくない……というか。
あの事故から唯一会っていない音羽の知り合いの ひとり――
「"音羽"」
校門からぞろぞろと出てくる生徒の中。やけに落ち着きを纏った低い声が自身の名を呼んだ。
音羽は声のする方へと向くと"彼"の居場所を直ぐに確認できた。なんせ彼は"大きい"。やたらと存在感もあるしすぐに分かるのだ。
「久しぶり"若利君"。」
音羽の前に壁のように立つ青年。
名前は"牛島若利"。
白鳥沢学園高校に通う2年生。
男子バレー強豪校である白鳥沢の次期エース。
音羽とは同い年でバレー繋がりで友人でもあった。
「ごめんね。今日部活オフなのに。」
「問題ない。そもそも今日は補習日だからな。」
「…ここに天童君が居ないってことは」
「ああ。あいつは残念ながら居残りだ。」
「残念。会えると思ったのに。」
牛島と仲のいい"天童覚"。
天童とは知り合って僅かだが"あのキャラ"が音羽は好きだった。
明るい性格で、常にチームメイトに声をかけるムードメーカーでもある彼。冗談交じりでゲスな事を口にするが高校生らしく茶目っ気に溢れている陽気な青年だ。
実は少し沈んでいた音羽。
そんな彼に会えば過ごしても気分が紛れる……なんて考えていたが居ないのであれば仕方がない。
それよりも別に音羽には目的があった。
「――それはそうと用事は"コレ"だろう。頼まれていた過去問だ。」
「ありがとう!助かる〜。」
「まさか編入するのか?」
「なわけないでしょ?弟が受験するの。白鳥沢の偏差値高いし、できる対策は全部やってあげないとね?」
男子バレー強豪校、白鳥沢学園高校。
飛雄が真っ先に受験すると決めた高校だ。
しかし偏差値はトップクラスに高く、飛雄の今の学力ではかなり厳しいと音羽は判断していた。
そんな時は頼れる人に頼ればいい。現役生の牛島に頼み込んで過去問や対策書をお願いしたのだった。
「音羽の弟だろう?勉強は心配ないと思うが。」
「みんなそうやって言うんだけど違うんだよね。飛雄は生粋のバレーおばかだし。お勉強苦手なの。」
飛雄はバレーに関しては100点満点。しかし勉強は万年赤点だ。
対して姉の音羽はバレーも勉強も生粋の天才。といっても実の所勉強がはちゃめちゃに好きという訳では無い。文武両道、両方できた方が将来役に立つし勉強もやらないとなあ……なんて考えているだけなのだ。
「今更だが、何故音羽は白鳥沢に来なかったんだ?スポーツ推薦もあったんだろう?」
「まあそうだったんだけど。新山女子と同じく寮生活になるだろうし。家から近い方が良かったし?そもそも才華の方が偏差値高いし。……あ!でも制服で本当に悩んだな〜。白鳥沢の制服可愛いし。でも制服ならやっぱり青葉城西かな〜――」
3年前から音羽が他の高校から推薦を受けていたのは牛島も知っていた事だ。元々中高一貫校でもあった白鳥沢。牛島は中学から白鳥沢学園に在籍していた。
牛島と音羽の出会い。それは中学時代から。
及川や音羽が通っていた北川第一中学校。白鳥沢の中等部とは昔から男子バレーにおいて宮城県で1、2を争う強豪校同士。男子バレーと女子バレーは接点はなかったが練習試合は共に行っていた。
北川第一の女子バレー。白鳥沢の女子バレー。
音羽が1年で現れた時から圧倒的力の差に白鳥沢女子バレー部は悔しい思いを何度も経験してきた。
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「……まじでやべーよ、あの女子。」
「ウチの女子チーム何点取られてんだよ...」
男子の練習試合を終え、今度は女子の練習試合が始まっていた。牛島は北川第一の女子バレーチームに視線を向ける。同チームの男子たちが恐れるように指を指す先に立っていたのが"影山音羽"だった。
「先輩!!」
「音羽ナイストス!」
主将の3年とハイタッチをする姿。まだ5月の初旬。1年があんなに早くチームに溶け込んでいるのはなかなか見ることが出来ない。そもそも北川第一の女子バレーチームの人数は男子バレーチームと同様に人数も多い。早速1年がスタメン入りしている時点で異様だった。しかもポジションはセッター...
「へっへーーん!見たか!!ウチの音ちゃんは最強だからねー!!」
「.......」
「って!無視しないでよ!ウシワカちゃん!!」
及川のふざけた声が耳に飛び込むも顔色ひとつ変えない牛島。あの時――ただただあの少女から目を離すことが出来なかった。
決して高くない身長。筋肉量も体格を見る限りずは抜けているわけでもない。
だが目を見張るものがある。異様なジャンプ力、柔らかい手首。状況判断に長けた洞察力に頭脳――そしてなんとも例えにくい"明るさ"。
チーム全体が彼女に引っ張られる。点を取られても決して下を向かないチームメンバーたち。
「.....凄いな。」
「え?何?」
「影山音羽。.....」
「え、え!?何?笑ってんの?ウシワカちゃん!」
無意識に口角が持ち上がる牛島。
天性の才能を持つ彼女の姿に見惚れてしまったのだ。
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――だが...今は少し違う。
どことなく疲れたような。笑顔の奥に違う顔を隠しているような、そんな彼女が目の前にいた。
「……」
制服について弾丸トークを繰り広げている音羽をじっと静かに見下ろす牛島。その視線は徐々に下がっていき音羽の足元へと向けられた。
「..……若利君?」
「脚、本当なんだな。」
「あ、そっか。初めて見るよね。」
スカートから覗く2本の脚。左脚は義足だ。
「事故で大腿切断。...中総体の日だったか。」
「詳しいね、若利君。」
「噂はあっという間に広がる。その人物が有名であればあるほどな。」
"別に有名とかじゃないし"なんて口にする音羽。呆れたような笑い顔だがやはり曇っている。牛島はそれを見透かすように相変わらずじっと見下ろすと音羽は口をとがらせた。
「別に私は何ともないし?……って長話になっちゃったね?.......はい!これお礼ね?駅前の美味しいケーキ屋さんの焼き菓子。」
「過去問を用意しただけだ。別に礼など…」
「受け取ってよ。練習とか課題とか勉強で忙しいのにここまで用意してくれて本当にありがとう。」
「.....ああ。」
可愛い赤いリボンで留められた紙袋。牛島らしくない包装にクスッと音羽は笑を零した。
傍から見れば牛島の女性ファンに見られているかもしれない。いつもはそういったものは断るのだが牛島はそれを快く受け取る。ちょっとした心遣い、彼女の優しい一面。ほんの少しだけ胸が擽ったかった。
「じゃあね?若利君。」
「もう帰るのか?」
「うん。バスの時間もあるし、若利君も――」
"バイバイ"と手を振るったその時、僅かに音羽の視界が歪む。
「……っ……」
ぐらんぐらんと目が回るような感覚。暑さのせいか昼過ぎからほんの少しだけ体調は悪かった。しまいには痛み止めを服用したせいかもしれない。
「おい、どうした?」
「……ごめん……大丈夫……」
「大丈夫じゃないだろう。どう見ても。」
「……う……」
「一旦座ろう。ほら手をかせ。」
牛島は容易に音羽の体を支える。
そのまま校内へと促すとちょっとした木陰へ。
木の下に佇むベンチ。日陰になって風通しもよく少し休むにはうってつけの場所だ。
少し人の視線が気になるが音羽は今それどころじゃない。僅かに息切れを起こしていたのだった。
「音羽。」
牛島は左側から水の入ったペットボトルを差し出した。しかし反応もなければこちらに視線を向けることもない。
そんな時、牛島は違和感に気づく。分かりやすく左前で手を振るうが全く反応がないのだ。
「音羽。お前……」
「……」
「左目、見えてないのか?」
牛島の言葉に肩を揺らす音羽。
すると"へへへ"と困ったような笑みをこぼす。
「うん。ちょっとだけね?視界が狭くて...あ!見えないとかじゃなくてぼやけてるっていうか...大したことないよ!」
「.........ッ……」
牛島は大きく表情を変化することは無かったが僅かに瞳の色が変わる。そして無意識にペットボトルを手にしていない方の手で拳を作ると力を込めた。
「……何で"俺には"連絡を寄越さなかったんだ。」
「…………」
落ち着きを放った声。
しかしどこか余裕のない声だった。
「及川には伝えてたんだろう?」
「……ごめん。」
「いや、謝らせるつもりは無かったんだが……俺こそすまない。」
隣に腰を下ろす牛島。何となく気まずい雰囲気が流れる。
「((...なんとなく...若利君には言えなかったんだよね。))」
「((俺には言いにくかった。そういうものだろう。))」
音羽と牛島の仲は友人と言うよりか戦友の方が近い。大会などで顔を合わせても仲良く話すような仲ではないし、そもそも異性に全く反応を示すことも無いためか"私が声をかけるのは迷惑なのでは……"なんて妙な距離感があった。
中学の練習試合や高校で会場で再開した時もやけに視線は感じていたが音羽はその視線に何故か緊張していた事実。
だが今の彼を見ると逆に申し訳ないと思ってしまった。あの牛島もそんなことを言うのだなと、そんな顔をすることもあるんだな...と。
音羽はペットボトルの水をこくりと飲み隣の牛島を見上げた。
「あの...えーーっと.....若利君。」
「ん?何だ。」
「別に若利君を忘れてたとかそういう意味じゃなくて……なんて言うか...こう……」
「俺には言いにくかった。」
「そう!……って!ストレートすぎるでしょ!」
「はははっ」
音羽は思わず恥ずかしそうに"むぅっ"と頬を膨らませ牛島から顔を逸らす。対し牛島も珍しく笑い声を漏らし目を逸らした音羽に再び視線を落とす。
「何となく分かる。俺には言えない、だが及川には言える。」
「……」
「アイツはそういう所は器用だ。素直にお前と対等に話が出来るというか……なんだろうな……上手く言い表せないが何となく分かるんだ。」
「……まあ、徹とは長い付き合いだし。そもそも若利君みたいに落ち着きがあるわけじゃないし、高校別なのにストーカー並に関わってくるし。」
「……苦労してるんだな。」
「うん、一応。」
"音ちゃん、音ちゃん、音ちゃん"
今にでも幻聴が聞こえてきそうだ。
目を合わせれば最後、姿を見られれば最後。絶対に着いてくるし引っ付いてくるしその度に及川ファンの女子たちに睨まれるのはうんざりだ。
幼馴染とはまた違う及川と音羽の関係性。
牛島はそんな2人の姿を間近で見たことが何度もあるからこそ、妙な感情を抱いた事もある。
「だが……俺は"及川の事を羨ましいと思う"。」
「え?」
「そういう面では...アイツのことを羨ましいと思ってる。」
「…………」
爽やかな晩夏の風が二人の間を心地よくすり抜けていく。さらさらと揺れる音羽の髪の毛。両手を組みどこか気恥しそうに俯く牛島。
牛島は一体何を考えているのだろうか。
音羽にはそれが分からなかった。
不器用で生真面目な彼の横顔をじっと見据えても分からなかった。
「……顔色、大分良くなったな。」
「へ?あ……そう?」
「ああ。もう少し休んだら移動しよう。家まで送る。」
「だ、大丈夫だよ!遠いし若利君が大変だよ。」
「その状態で一人にするのは危険だ。寮の門限まで時間もある。問題ない。」
「…………」
「それに……天童にも何を言われるか。」
「なんで天童君が?」
牛島の脳裏に天童の声が響く。
"若利く〜〜ん。音羽ちゃんと話せるチャンスだったのにまた逃したのーー?"
"そんな気難しい顔ばっかりしないでさー。優しくだよ、優しく……"
「((……天童。これでいいのだろうか。))」
どこか牛島の表情が凛々しく感じる。
音羽は何も言えないまま、返答が結局帰ってこない牛島をジト目で見つめるのみだった。
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体調が落ち着いた音羽を連れ、2人はバスへと乗り込んだ。向かう先は音羽の自宅近くの停留所。とは言っても停留所からも暫く歩かなければならない。申し訳ないと言っても牛島は大人しく引き下がる様子もない。
頑固なのかなんなのか不思議な状況だがいつにも増して距離が近づいた気がした。
「――でね?私が飛雄に言ったんだけど……」
「うん。……そうか。……うん。」
音羽の弾丸トークに耳を傾け相槌を打つ牛島。
この光景を天童達が見たらどう思うだろうか。実に異様すぎるものだった。
「…………」
明るく天真爛漫な彼女。
しかし牛島はそれでも気になることがあった。
何となく元気がない。
本心で話したいことがあるのではないのか?と音羽と校門で再会した時から感じていた違和感。
そんな時、会話に一区切りがついた時。
牛島はとあることを問いかけた。
「音羽、」
「何?」
「"バレーは続けるのか?"」
「……うん。」
「そうか。」
「…………うん。」
弱々しくなっていく返事。
やはり心の奥底に隠していた引っ掛かりはその事だろう。
ここまで事故のことやバレーのことにあまり触れてこなかったが牛島はその事を気にしていた。
このまま別れるのは惜しい。気になっていたことを彼女の口から聞きたいと思っていた牛島はそっと音羽の胸の内をこじ開けていく。
「にしてはどこか不安そうだな。」
「…………」
「いつもならあっけらかんとしているのに、自信が無さそうに見える」
「…………」
「何か考えていることがあるんだろう。」
「……へへ……若利君ってエスパーだね。」
窓際の席に座る音羽はふと外に視線を向けた。
そして何か考える様子を見せると小さく息を吐き意を決したように本音を語り始めた。
「…正直怖くて。」
「なぜだ。」
バスは赤信号で停車する。車内の空調音だけが漂う空間。横断歩道を渡る人の流れを音羽は目で追うと僅かに声を震わせた。
「"飛ぶのが……怖いの"。」
「……...」
「脚のことはそうなんだけど……思ったより自分のメンタルが弱っちゃってビックリしてる。」
「………」
「私と若利君だけの秘密ね?……こんなこと誰にもいえなくて。……あんまり心配かけたくないんだ。」
視線は再び牛島へと向けられた。
安堵と共に落胆したような、そんな音羽の複雑な表情を牛島は初めて目にした。
「実はね?夏休みの期間中に東京の高校の練習試合見させてもらったの。男子バレーなんだけどね。」
音駒と梟谷の練習試合。
牛島は初めて聞く内容に静かに耳を傾けた。
「それを見た時……なんて言うか……胸が熱くなって……コートに立っていないのに脚が疼くというか、……脚が心臓になったみたいに不思議な感覚があったの。」
うずうずと興奮する体。
無意識に体が動きそうになったあの時、木兎が飛ばしたスパイクを拾った時の快感。やはり自分にはバレーしかない!なんて再び心に誓ったあの日のこと。
「またコートに立ちたい。自分の脚で立って、自分の手でトスを上げたい!両脚で踏ん張って飛びたい!って。」
キラキラと輝く瞳。
しかしその最奥に真暗な闇が広がっていた。
「……だけど現実はそんな甘くなかった。自分の中でイメージしてたのに体は思い通りに動いてくれない。転ぶ度に脚は痛いし、好奇心より恐怖心の方が強くなっていくの。」
義足に手を伸ばす音羽。偽物の膝に手を添え優しく撫でるも憎くてたまらなかった。硬くて無機質で、思い通りになってくれない自分の脚が憎くてたまらなくなる時がある。
「……それに……そもそもバレーはチームで繋ぐもの。義足の私がコートに立っても役に立たなければみんなの足を引っ張るだけ。」
牛島から視線を外し、ここ数日に起きた出来事を脳裏に浮かべ眉を顰める。
「皆が心配して私を見る目が……"怖く感じるようになって"……」
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つい最近のこと。
夏休みを終えて部活に戻り始めた頃。
「音羽!大丈夫!?」
「影山先輩!」
「ッ……すみません!」
尊敬する先輩たち、可愛い後輩たちの姿。
その場に転んでしまった自分を全員が心配そうに見つめる。
「((……ダメだ……上手くコントロールできない。))」
久しぶりに袖を通した練習着には人一倍の汗が染み付いていた。コントロールはともかく体力も落ちている。周りのみんなは全くもって疲れを見せていない。まるで自分だけが取り残されていくような感覚だった。
「すみません先輩。……もう一度……」
「もうやめときなよ!義足も慣れてないんだろうし」
「大丈夫です!ちょっと踏ん張りが足りなかっただけで……次は必ず!」
1年から3年の混合チームでの模擬試合。
入学した頃から最強コンビとして活躍していた先輩と同じチームなのに全く力が発揮できない。
「((ダメだ……全然届かない―――))」
ネットに引っかかるボール。
「((イメージは十分自分の中で出来てるのに……ボールが上手く上がらないっ……))」
思った方へ上がらないトス。
「((――"飛べない"))」
アタックもブロックも……最高到達点とは程遠い高さに絶望する。
「……はぁ……はぁ...っ……はぁ」
焦るな、ペースを崩すな。
呼吸を整えろ、大丈夫、……大丈夫。
イメージできていたじゃないか。
なぜ出来ない?
「 ((……"怖い"))」
無表情に近いその顔は恐怖と驚愕に引きつっていた。
それに音羽自身は気づかない。しかし周りのチームメイトたちは手に取るように分かっていた。
あんなにも自由に飛んでいた彼女が――
誰よりも輝いていたあの子が――
恐怖に脚をすくわれ、震えている。
「……はぁ……影山。無理をするな。」
「監督!私はそんなつもり……」
「"一旦下がれ"。」
「ッ――!!」
突きつけられた言葉。
それは胸の奥に深く突き刺さる。
「((私は……今の私じゃ……みんなの邪魔をしてるだけ……))」
みんなの顔が見えない。
真っ黒に染まって、何も見えない。
"ねぇ、あの事故の話って影山さんの事だよね?"
ヒソヒソと聞こえるクラスメイトたちの声。
"かわいそー"
"夏休み期間中にずっと入院してたんだって?"
"あれじゃバレーも続けられないでしょ?"
"聞いた話だけどさ?ユース?とか?全部おじゃんになっちゃったんでしょ?"
"堕ちた女神"
"飛べない女神"
"出来ないことを無理してするなんて頭おかしい"
"バレーなんてやめればいいのに。"
飛び交う非難の言葉。
それは無意識のうちに音羽を傷つけていく。
「音羽、気にしたらダメだよ。」
「大丈夫。ゆっくり体を慣らしていけば……ね?」
「先輩は誰よりも努力家ですから!」
「センスの塊!先輩なら大丈夫です!」
大切な人バレー部の仲間たちの声も霞んでいく。
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「……私は……"やっぱり"」
"バレーは……できないのだろうか"
"……もう……諦めるべきなのか――"
「なんだ。お前の心意気はそんなものだったんだな。」
「ッ!」
信号が青に変わる。
バスは発進し、エンジン音と次の停留所のアナウンスが流れる。
「…………」
「一度やると決めたものをそんな簡単に諦めるなんて……前のお前ならそうは無かっただろう。」
牛島の容赦ない言葉。
しかしそれは的を得ている。
"そんなものだったのか"と。
一見冷ややかで冷酷な台詞と思われるかもしれない。
事故で脚を失った相手にまっすぐと言うべき事では無いとも分かっている。
しかしそれほどに牛島は音羽の事を按じていた。
信頼していた。だからこそ言える台詞だった。
「音羽。」
「……うん。」
「恐怖心はあって当たり前だ。お前は脚を失ったんだ。最初から上手くいくわけが無い。」
「……」
「体を支える飛ぶための柱が。ボールをセットする為の軸を失くしたんだ。」
牛島の大きな手が音羽の肩に触れる。
それは優しく力強いものだった。
「冷静さを取り戻せ。"いつも通り"落ち着いて物事を考えろ。」
まっすぐと音羽の瞳を捉える牛島。
「俺もふと思う。音羽の事故を知ってから……もし自分も同じことが身に起こったらと。」
そんな事想像すらできなかった。
脚を失うというのはどういう事なのだろうか。
もしかしたら生きていく自信さえ無くしていくかもしれない。恐怖に苛まれ、ベッドから立ち上がることさえ出来ないかもしれない。
しかし音羽は再び立ち上がろうと、飛ぼうとしている。
「……音羽には高いポテンシャルとスタンス。何よりも才能がある。"何を焦る必要がある?"」
「ッ……」
「絶対に負けないと、絶対にやってやると言わんばかりの心意気と根性――忘れたのか?中学時代、男女混合の練習試合を行った時……
……お前は俺のアタックを全力で止めてやろうと、体全身を使って止めただろう。」
ネット越しに向き合う2人。
高く飛び立つ2人。
「恐怖に怯えることなく"顔面でな"。」
忘れかけていた……いいや、忘れていた。
白鳥沢中等部との試合の時、牛島のアタックを顔面で止めたこと。
その場に倒れ鼻から出血。半ば失神しかけた自分に及川と岩泉は何度も声をかけてきてはそのまま保健室に連れていかれるという……醜態。
絶対に止めてやる!相手が男だろうが関係ない!と飛び込んだのはいいものの……めちゃくちゃ恥ずかしい事をした事を今更思い出すと徐々に顔を赤くしていく。
「俺のアタックを顔面で受けようなんて普通のやつなら考えない。」
「……まあ……ソウデスケド……その例えは如何なものかと。」
「常人なら普通できない。でもお前はなんでも出来る。」
「……ハイ……」
めちゃくちゃ真面目な話の中、まさかその過去を持ち出す?なんてツッコミたくなるが彼は本気で言っている。水を指すのはやめておこう。
「((……若利君って……天然なの…?))」
彼なりの全力の励ましなのかもしれない。かもしれないじゃなくて"多分絶対そう"。
真面目でいつも勇ましい顔つきをしている彼が必死に考えて取り出した言葉なのだ。
なんだか滑稽だった。
悩んでいた自分が馬鹿らしい。
「……くっ……ふふっ……はははっ!」
「な……何がおかしい?」
「確かに若利君の全力アタックを顔面で止めれたんだから……ふふっ……!それ以上に怖いものなんて無いかもって……くっ……ふっ……」
「…………」
ちょっと擽ったいと言わんばかりの表情。牛島は気まずそうに後頭部を掻く仕草を見せる。
不器用だけど優しくて
何となく天然な様子の牛島。
今はそんな彼に救われた事実。
胸を覆っていた真っ黒なモヤが少し晴れた気がした。
「ありがとう。若利君。」
「……ありがとう……なのか?」
「そうだよ!なんか元気出てきた!若利君のお陰でね?」
音羽は右手で拳を作ると牛島へと向ける。
牛島もそれに応えるように拳を作るとコツンとぶつけ合った。
「私がまた落ち込んだらさ、顔面に全力アタック決めてくれる?」
「絶対にしない。する訳ないだろう。」
なんら他愛のない言葉を交わし合う2人。
ほんの少しだけ――いいや、かなり。
牛島と音羽の間に広がっていた距離が狭まった気がしたのだった。
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バスは目的地へとたどり着く。
牛島が音羽をエスコートするように降り立ったその時――
「なぁあっっー!何でウシワカちゃんが一緒なのさっ!?」
聞きなれた青年の声。
「…及川……」
「徹!?何で!?」
制服姿の及川の姿がそこにあった。
そういえば今日は月曜日。青葉城西の男子バレー部オフの日だ。
「だってぇ!音ちゃんいつものバス停居なかったし!?そしたら岩ちゃんが"音羽は白鳥沢に寄って帰るとかなんとか言ってた"って言うからさー!」
「…ああ!昨日一君に学校終わったら駅前のケーキ屋行こうって言われたんだけど...その時にそう言って断ったから知ってたん」
「はぁあああああ!?岩ちゃんもなんなの!?抜け駆け!?俺に一言も無かったんだけど!?」
「及川うるさいぞ。」
「べーーっだ!べーーーー!」
「「…………」」
"私たち(俺たち)と同じ……高2……"と音羽と牛島は胸中て呟く。漫画やアニメのように人差し指で目の下を引っ張り舌を出す光景に思わず2人は呆れ顔。
「さーさー!音ちゃんは徹君と帰んべー。ウシワカちゃんは門限とかあるでしょー?あとは任せてくださーい。」
「及川。車道側に寄ってやれ。」
「うっさいなあ!てか着いてこないでよね!シッシッ!」
「気が利かない奴に音羽を任せられるわけが無い。」
「あーー!もう!車道側は俺が立つ!」
牛島は音羽の側へと寄り歩き出す。
そして挟むように及川も歩き出すと"まるで宇宙人にさらわれる人"状態だ。
本当に目立つからやめて欲しいのだが多分言ったところで変わらない。
頑固な2人組は永遠に着いてくる気だろう。
「((この光景を2人のファンが見たら絶対刺される。))」
悪目立ちしてしまうのは分かっている。
だが不思議と悪くない。楽しいと思える。
騒ぐ及川と冷静沈着な牛島。
しばらく歩いた時、牛島はそっと音羽に声をかけた。
「音羽。」
「ん?何?」
「……」
彼を見上げる音羽、
馴れ馴れしく名前呼ばないでよ!なんて不機嫌そうな顔をする及川。
「俺は何があってもお前の味方だ。」
「………」
「何があっても、だ。」
「……若利君……」
ポンっと何も気にすることなく音羽の頭に乗せられた大きな手。しかしそれは呆気なく及川の手によって弾かれてしまった。
「なーに良い雰囲気になってんのさ!音ちゃんも何!?その顔!」
「徹ウルサイ。」
「ウシワカちゃんも近いから!」
「及川。少し静かにした方がいい。」
「2人して何なの!」
空に広がる美しい夕焼け空。
穏やかで優しくて、燃えるようなあかい色。
消えかかっていた彼女の炎を再起させるように仲間たちは名を呼ぶ。
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「音羽。」
「音羽ちゃん。」
「音羽ちゃん!」
大地、旭君、孝支君
「音羽。」
「「おっとはさーーーーん!!」」
潔子ちゃん……西谷君に田中君
「音ちゃーーん!」
「音羽。」
「音羽ー」
「音ちゃん。」
徹、一君、花巻君、松川君
「お姉ちゃん♡」
「音羽お姉ちゃん。」
侑、治
「おじょーさん。」
「音羽さん。」
黒尾君、研磨君
「音羽〜ッ!」
「音羽さん。」
木兎君、赤葦君
「音羽。」
「音ちゃ〜〜ん。」
若利君、天童君
「――"姉ちゃん"」
……飛雄
自分を取囲む仲間たち。
大丈夫。私はひとりじゃない。
飛べ
繋げろ
奮い立たせろ
自分は何者だ?
「"私は影山音羽"」
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そして、再び女神が飛び立つ。
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