■ ■
誰もが寝静まり、外から鳴る虫の歌声が子守唄となっている夜中の事。
時刻は午後の11時半と言ったところだろう。篠ノ之家の二階に幾つかある部屋の内の一つ、部屋の扉の前に『束』と書かれたその向こうでは、二人の男女が眠りについていた。
いや、正確には寝ているのは一人だけだ。部屋の主の隣、つまりは同じベッドの上で、同じ布団の中で、緊張など欠片もなくぐっすりと眠っているナチュラルだ。
対して―――この部屋の主である篠ノ之束は、眠る事なく彼の方を眺めていた。
「……本当、よく寝れるよね。束さんと同じベッドで寝てるって言うのに。もう少し緊張するなりしたらどうなのさ」
不貞腐れる様に呟いて、ツンツンと指先で彼の頬を突く。
起きる気配はない。表情を変える事なく、彼はぐっすりと眠ったままだ。性格はアレだがスタイルは抜群な美少女が隣に居るというのに、まるで気にしていない。
まずそもそもとして、何故に二人が同じ部屋で寝ているのかという疑問が浮かび上がるだろうが、しかしこれは他ならぬ彼が自ら言い出した事だった。
『一人にすると、お前何やらかすか分かんねぇし。寂しがり屋なしのちゃんと一緒に居てやらんとなー』
なんてふざけた事を言い出したのが、事の始まりだ。無論の事、彼女から容赦のない蹴りが飛んできた訳で、それがクリーンヒットしたが五体満足で存命だ。
だが実際、一人で居ると変に考え込むという点においては正解だった。何かをやらかす、とまではいかなくとも、しかし彼女はらしくもなく一人で考え込んでいた。
「本当に、お前を巻き込んでよかったのかな……」
ただ一人の男友達。たった一人の特別な人。
篠ノ之束を篠ノ之束としか見ず、織斑千冬を織斑千冬としか見ない。話すにも遊ぶにも遠慮もしないし、躊躇もない。何をするにしたって、彼は決してブレなかった。
天才だと持て囃され、幼稚園ですら子供として扱われなかった彼女を、ただの同い年の子供として認識し、関わる。ただそれだけが、たったそれだけの事が、しかしあまりにも異常だったのだ。
けれど、だからなんだ―――と。それがどうした、と。彼は決してその在り方を変えず、束と千冬の二人の友人であり続けている。
真っ直ぐに、二人を見る。友達として、二人に関わる。二人に意見する。二人に笑い掛ける。そんな人間は彼ただ一人だった。
篠ノ之束にとって彼が特別になる決定的な瞬間というのは、幾つもあった。
二人の腰巾着だと罵られた事よりも、彼女を怪物だと罵った事に憤った時。
ISという自分の夢を語った時、涙を流してまで喜んでくれた時。
ISを世に否定され、間違った方法でその強さを知らしめようとしたのを、大切な夢を、壊さない様に怒りながら止めてくれた時。
彼女にとっては、それだけで十分だった。
彼は他とは違う。真正面から堂々と、『天才』でも『天災』でもなく、ただの『人間』として篠ノ之束を見てくれるという、それだけで。
心の底から、自分を大切にしてくれる。
自分の親友を大切にしてくれる。
自分の家族を想ってくれる。
自分を止めてくれる。
諌めてくれる。窘めてくれる。怒ってくれる。
受け入れてくれる。喜んでくれる。優しくしてくれる。
だからこそ―――そんな彼を巻き込んでしまった事は、本当に良かったのだろうか。そう考えてしまう。
「……そもそも夢なんて持たなければ、お前を困らせなかったのかな」
自分が夢なんて持たなければ。
彼を巻き込まなかったのではないか? 彼を困らせなかったのではないか? 彼を苦しませなかったのではないか?
彼は暫くの間、体を満足に動かす事すら出来なかったのだ。自分が夢を誤って世界に広めようとしたから、彼をそんな状態に追い込んでしまったのだ。
ならば最初から――――――そんなもの、抱かなければ…………
「ほら見ろ、言った事か」
「え」
ぱちん、と。乾いた小さな音と共に、呆気にとられた彼女の額に衝撃と痛みが走った。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっっっ!!!!!!!!」
突如の痛みに、つい額を両手で抑えて布団の中でのたうつ。
めちゃくちゃに痛い。つい目尻に涙が浮かんでしまう。小さな音の割に合わない威力のデコピンだ。
額を抑えながら恨めしそうに目を開ければ、瞼を開けて呆れた様な顔をした彼が居る。
「お、まえ……いつから」
「さっき。お前がバカみたいな事を耳元で抜かしたから起きちまったよ。せっかく寝てたってのに。まぁ、それはそれとして。お前、それマジで言ってんのか?」
「……そんな訳、ないじゃん。だって、お前が認めてくれたんだもん。創った事に後悔なんてないよ」
ISを創った事に後悔はない。自分の夢と希望を詰め込んだそれは、大切な我が子に等しいものだ。
だが、それとは別だ。これは……篠ノ之束という個人が、彼に抱く想いの問題なのだ。
「けど、考えちゃうんだよ。頭にしがみついて離れない。お前を巻き込んで、体も自由に動かせなくして……」
「だーかーら、それは俺が自分で巻き込まれたんだよバーカ。そりゃ、そこまで大切にしてくれるのはありがたいけどさ。変に考え過ぎなんだよ、お前。らしくねぇな、いつもの傍若無人ぶりはどうしたよ?」
「私だって……色々考えるんだよ」
「はぁ……ふとした拍子にその乙女っぷり見せられんの、わりと困惑しちまうわ」
「うわっ」
くしゃ、と笑って揶揄う様に乱雑に彼の手が束の頭を撫でる。
まるで子供を慰める様な手つきには腹が立つが、撫でられる事には不思議も不快感はなかった。
しかし、だからと言ってそれを受け入れるのもどうかと悩んだ末、「やめろっ!」と言って払い除ける。
「前も言ったろ? 俺は自分から巻き込まれに行ったんだよ。お前がISっていう夢を俺に語ってなかったとしても俺はお前を止めた。仮にお前の夢がISじゃなかったとしても、夢は応援してたよ」
「……本当に?」
「大マジ。それだけ、お前が夢を持つって事に意味と価値があるって事。そんでこれからは、俺もそれを手伝っていく。俺自身、それに後悔はないし、つーか寧ろ嬉しいくらいだ」
「……」
平然と、そうやって本音を吐き出す。それがどれだけ彼女を救うのかなんて、きっと彼は知らないのだろう。
だってそんな目的も理由もないのだから。彼はただ正直に、自分の思う彼女への想いを口にしているというそれだけなのだ。
「だから、まぁ。もう気にすんなって。今はもうちゃんと動けるしな」
「…毎度思うけど変な奴だよね、お前。束さんの事、大好き過ぎでしょ」
「自分で言うのかよ。まぁ、事実だけどさ。……ん? 俺の事、毎度変な奴だと思ってんのお前? それ流石に酷くね?」
「ふわぁ……眠くなっちゃった。もう寝る」
「ウッソだろお前!? ちょ、おーい? しのちゃーん?」
「うるさい。黙って寝ろ」
「理不尽過ぎんだろ……はいはい、黙って寝ますよーだ。おやすみ、篠ノ之」
「……おやすみ」
布団を被り直して、目を閉じる。
横を向いた彼の背中に体を寄せて、頭を引っ付けて―――小さく。
……ありがとう。
決して彼には聞こえないその言葉を、口にする。
ナチュラルからすれば、束さんもちーちゃんもただの女の子である。