「どうしよう……?」
おれは自分の部屋、自分のベッドで、自分の天井を見上げて、呟いた。
電気が消えているから暗いけれど、窓越しに道路側から、街灯の光が差し込んでいる。
(浦和さんが、みんなにとっていいかんじに振舞うことが嫌になってて、それで、そこにおれがあれこれいったから、弾けた……ということがなんとなくわかったわけだが。)
だから、結局、どうすればいいんだ?
「ど~しよ?」
おれはおさげに問いかけた。
すると、ビーチェは「言ったでしょう、気をつかわずともいい相手と思われればいい」といった。
「でもさ、浦和さんのこと、ちょっと聞きかじっただけだし……
どうすればそう思うかなんて、わかんないよ。」
「ふむ……
ひとつ、示しておきましょう。
浦和ハナコのことを理解しようとしたところで、限界があります。
彼女にあわせるなどということは、考えない方が身のためです。」
「……限界って?」
おさげが蠢いて、静かに話す。
「互いを真に理解することができるとするならば、それは自他の境界を持たないといってもよろしい。
ひとがひとりの人格として成り立っている限り、そのようなことはあり得ません。
ものを直接数値でもって測るには道具がいりますが、人格を測る道具をあなたは持っていますか?
そして、そもそも、それはどのような単位をもって測るのか……
そういうわけですから、互いを理解することはできません。
だからこそ、社会というものは苦しみに満ちているのです。
妥協しなさい。」
「……そりゃ苦しい時もあるけど、楽しいときだってあるじゃん。」
おれは、苦し紛れにいった。
そりゃそうだけど……と思っていた。
すると、ビーチェはおさげボディを起こして、少しだけ大きな声で話し始めた。
おれの部屋は狭い。そのことを、ビーチェもまたよくわかっているようだった……
「幸福に分類される感情をはじめて知覚した瞬間に、その原因を幸福と分類することはできません。
……たとえばものを投げ渡されたとき、それを受け取り、それがペットボトルであると理解すれば、ゴミ箱に捨てられますが……
そもそもそれがなんなのかわからなければ、ゴミであるともわからず、それを渡してきた意図もわからず、ただ困惑してしまいます。
幸福が定義されるのは、それが幸福であると知ったとき……つまり、認知したときです。
そしてそれは、そうでないものが幸福ではないからこそ、幸福と定義し理解ができる……
私に対してわかりやすいように、これもたとえてみましょう。」
そういって、ビーチェはかすかにうねった。
「死後、楽園に必ず行くのだとしたら……
いいえ、死なずとも楽園にいけるのだとしたら。
楽園であったはずの場所は真の楽園ではなくなり、ただの一環境でしかありません。
地獄と煉獄、そして現世という、楽園ではない場所があるからこそ、そこは楽園となり、そして楽園に辿り着くことに価値が生まれるのです。」
「それは……そうだけど。」
「ひとびとがみな自由に楽園と行き来できるのであれば、その楽園に価値などありえません。当然ですよね。
いけて当たり前なのですから。
楽園とは、楽園でない場所……
いいえ、正確には幸福ではない瞬間があるからこそ……
そして、幸福になれればいいのにと思った瞬間があってこそ、際立って救いとなりうる。」
「……」
「私は、わたし自身の教義理解をすべて理解しています。なんといっても、自他の境界がないわたし自身のことですから。
そのうえで、いいました。
明言しましょう。
救われぬものと、救われていないときがあってこそ、救いは存在しうる。
単純な、定義上の境界線のお話です。」
「……
じゃあさ。
結局、どうすればいいんだよ……」
「これも、単純な話です。
浦和ハナコが、これは幸福であると思えるよう、不幸を教えてさしあげればよろしい。」
「……はあ!?
そ、それって、どういう意味でいってるんだ?」
「わたしの考えていることは、当然わかっていますから、それに合わせてお答えしましょう。
どのようであってもいい、と。」
「わ、わかんないよ……」
「浦和ハナコの感覚が狂っているので、それを荒療治で治して差し上げるというだけですよ。
いま考えているような、不幸のどん底に落とす必要はありません。」
ビーチェはちょっと焦ったようだった。
そんな声色だった。
「そう、なの?」
「ふむ……
少し論調が過激でしたね。ビーチェはとても、反省しましたよ。
ではもっと、穏やかな話にしましょうか……」
そしてやや穏やかな声色に戻って、なにやら考えるように蠢いて……
少しして、話しだした。
「そもそも、彼女はひとにあわせる能力に長けているようですが……
なぜ、そのように振舞うのか。
それはおそらく、そうでなければならない気がするから。
そして同時に、そうでなければいいとは思っていない。」
「……どういうこと?」
「まず、素で振舞えば他人から嫌われると思っています。
これは大聖堂での事件とやらで、彼女の中では既に証明されているはずです。
そして、他人にあわせて振舞った己を嫌っています。
これも、これまでの生活で既に証明されているのでしょう。
つまりどちらかの認識を壊すことが重要です。
長期的なプランで考えるなら、また別の方法もありますが、しかしそれは長いですからね。」
「めちゃくちゃほめればいいってコト?」
「それはダメです。」
「ええ……」
「話が脱線しますから、先に述べさせてもらいますが……
このような場合、特に重要なのは、マイナスではないと思わせることです。
浦和ハナコのような精神状態である場合、なにかしらのことをマイナスと思えばそこから自己否定をしますし、プラスであると提示したところで、自己否定が先だってあるので、そこから提示されたものも否定してしまいます。
では、そのうえでなにが思いつきますか?」
「う~ん……
自分から、まあいいかって思う必要があるわけか。
……めちゃくちゃ嫌なやつがいて、そいつが否定されてるところをみる、とか?」
「……ふむ。
我がことながら、怖い発想です。」
「う……」
「ですが、正しい。
そのプランでもいいと思いますよ、具体的にどうするかはわかりませんけれど。」
「……じゃあ、なんか考えてよ。」
「私はあくまで、あなたのイマジナリーフレンドですので。」
「それ、まだ引っ張るの……?」
「これは重要な事実なのです。
……ふう、疲れました。少し黙りますね。」
赤いおさげはそこまでいって、もとのようにくたりと垂れた。
もう話す気はないらしい。
「ええ……
……はあ。」
おれはため息を吐いた。
……要は、浦和さんが気を使わなくていい相手だと思ってくれればいい、ってこと?
話が戻ってきたな……
結局のところ、どうしようか……
わからん。
(先生にでも、相談してみるか……?
いやでも、補習授業部の件で忙しいだろうし……)
おれは悶々と、部屋の天井を眺め続けた。
暗い天井に、ずっと同じように、光の線が残っている。
(というかそもそも、浦和さんも補習授業部か……!)
「ビーチェ、浦和さんも補習授業部ってことはさ、忙しいかな?
とりあえず保留した方がいいんじゃないかな……?」
「……少し黙るといいましたが。
わかりやすくいうと、眠りたいんです。」
「ご、ごめん……」
おれは黙った。
そういうわけで、寝た……
進展がないようにみえて実は進展している。