おれは、ずっと、自転車をこいでいた。
ゆっくりとペダルを動かすと、緩やかに車輪が回り……
たしかに前へと進んでゆく。
ただ、おれはそのうえに乗っかっているだけのような気がした。
実際乗ってるってことは、それだけでしかないけれど……
それが重大な事実っていうか、そんな感じに、思う。
夜色に染まった空は曇っている。もしかしたら、いや、たぶん、雨が降るのだろう。
もうそろそろ、帰るべきだ。
ただ、帰ったところで、それは雨を凌げるというだけだし……
気が乗らない。
ただ、乗る理由がないだけのような気もした。
エデン条約調印式からしばらくして……
おれは、なんだか暇になった。
というか、暇を選びたくなった。
後ろめたい、というのは、否定できない。
だって、話せないよ、こんなの。
そもそもビーチェについて話すことすら難しいのに……
普通、信じるわけもないし、信じそうな相手とは、喋りにくいし……
そういうわけだから、最近はもっぱら一人と一房でいる。
先生やヒフミちゃんやマリーちゃんから、誘われたこともあったけど、悩んだ末断った。
……振り返ってみると、結構長いな。
そんなこんなで、最近はずっとこんな具合だった。
自転車のスピードも、ずっと安全速度ってかんじだ。
それでも乗る時間はやたら長いから、おかげでみる景色は増えた。
トリニティ郊外は、ちょっと荒れている。
というか、スカスカだ。
廃屋とか、空き地とか、結構ある。
ひとは全然いない……
だから、おれの自転車の音ばかりが響く。
街灯の光もまばらだから、星はよくみえるけど……
空をまた、みた。
やはり雲が濃い。いずれ雨が降るだろう。
そういうわけだから、今日は星も見えなかった。
そして視線を戻して……
ふと、少し先で、人影をみた。
「……先生?」
”……XX?”
おれはちょっと笑みを作った。
わりと、顔を見合わせるのは久しぶりだな……
自転車を前へ進ませると、先生はにこりと笑った。
”……髪、染めたんだね。”
”赤色も、似合ってるよ。”
「あ~……
そういえば、いってなかったっけ。」
先生の視線と言葉に、おれは前髪、その赤い部分を指で弄った。
最近はなんか、短い部分も染まっているのだ。
「別に染めたってわけじゃなくて、染まっちゃったんだよね。
なんか、聞いた話によると、びょーきってわけじゃないらしいけど。」
”そうなんだ……”
「先生は、なにか用事で?」
”うん、ちょっと呼ばれてね。”
おれは先生をみて、空をみた。
やはり、暗い空、暗い雲だ。
「先生さ、雨降りそうな気がしない?
傘とか持ってないの。」
”実は、持ってない。”
”ちょっと急ごうかな。”
「じゃあさ、貸してあげるよ。
折り畳み傘、ちょーど持ってたんだよね。」
おれは自転車のかごにはまっている、少しおおきめのかばんから、折り畳み傘を取り出した。
”それはXXが使うべきだと思うよ”
「いいえ、わたしは自転車なので!
それでもって、先生は徒歩。
おっきな違いがありますよ。」
”そっか。……じゃあ、ありがたく借りるね。”
「よろしい。
……それじゃ、先生。
いってらっしゃい。」
”またね、XX。”
おれは自転車を再びこぎ出した。
先生を過ぎて、帰路を決めて……
ちらりとまた空をみた。
「はやくしないと、かなあ。」
もうすぐ、雨が降るだろう。
先生に傘を渡したわけだし、急ぐか。
ちょっと、たちこぎしてみる……
速度がぐんと増した。
風はひどく湿って、穏やかで、ぬるい。
だからこそ、頬を鋭く撫でるときは、冷たくて……
すこし痛い気がする。
おれは、帰路を急ぐことにした。
「川の流れは、川床を掘り返してゆくだろう」