朝。
あの後、ミルクのおかげか、はたまたルスティカ博士との語らいのおかげか、ぐっすりと眠る事ができたソラは、窓から差し込む光で目を覚ました。
むくりと起きて外を見ると、確かに博士の言った通り、ソルロックたちが地表から顔を出し、空へ登っていくところを目撃できた。
リバーテル結晶の放つ光というのは、本物の陽の光かと見紛うほどに明るく、そして暖かい。
ニャースは既に起きて1階にいるらしく、予め洗濯してあったヒバニーパーカーと普段着が、綺麗に折り畳んで置かれている。
いつも通りの仕事ぶりに微笑み、それらすべてをスパッと着込む。やはり、このヒバニー風のフードが無いと落ち着かないのだ。
鼻をくすぐるいい匂いに1階へ降りてみれば、やはりというかなんというか、ニャースがキッチンを借りて朝食を作っていた。
ダイニングのテーブルでは、ルスティカ博士がモーニングコーヒーを啜っている。
「や、おはよう。よく眠れたみてぇだな」
「あ……はい。えっと、ウチのじいちゃんが勝手にキッチンとか借りてるみたいで……」
「別にいいさ。普段は適当にメシ作って食って終わりだから、こういうのも新鮮でいい。にしても、言葉を喋るどころか、家事まで買って出るニャースか……。ウチにくれね?」
「ご生憎、じいちゃんはわたしの執事ですから」
それだけはハッキリと口にする。
博士の側も本気ではなかったようで「やれやれ、フラれたか」とだけ呟いておしまいだ。
真夜中の会話があったからか、博士に対してはそれなりに砕けて話せるようになった。
父の事や、自分の心の内については話せていないし、現状では話せる訳も無い。
しかしそれでも、少しは肩の力を抜いて話せる、という事が認識できただけでも重畳というものだ。
そうこうしている内に、ニャースが完成した料理を持ってダイニングまでやってくる。
匂いを嗅いだ時から想像していた通りの、ソラの好物がそこにはあった。
「ひいさま、おはようございますですニャ。朝餉はひいさまのお好きなガレットに致しニャした」
「わ、いい匂い。きのみがたくさん使われてて美味しそう」
早速と言った具合にナイフとフォークを手に取り、慣れた手つきで口に運ぶ。
食べ慣れた味にほっと安心すると同時に、食べた事の無い味が混じっていて、その新鮮さが心を弾ませる。
「美味しい……! 変わった味のきのみだけど、むしろ好きかも」
「見た事の無いきのみがありニャしたので、それも使わせて頂きニャした。勿論、ルスティカさまに予め毒性などの確認は済ませてありニャス」
「“オトーのみ”も“ハクトのみ”も、こっちじゃ大して珍しくもないきのみなんだがな。そこはやっぱ、地域や環境の違いと言うべきか」
ズボラ故に普段は食べないようなキチッとした料理に舌鼓を打ち、コーヒーを飲む博士。
ふぅと一息ついた刹那、彼女の耳が、どこからか近付いてくる慌ただしい音を耳にした。
「? どうかしましたか?」
「……うるさいのが来やがった」
その直後、研究所のドアが思いっ切り開け放たれる。
「アネキ!!!!! なんか美味そうな匂いがしたから来たぞ!!!!!」
「にゃおはにゃん!」
部屋いっぱいに轟いてなお余りあるシャウトに、少女の肩が全力で跳ね上がる。
目を白黒させる客人たちを横目に、迷いない動作で以て、手元のコーヒースプーンが投げ放たれた。
「へびっ!?」
「朝っぱらからうるさいってレベルじゃねーな愚弟がよ。うら若い女子たちの和やかな朝のワンシーンが見えねーのか」
額にいいのを食らって転がる弟を、博士は陸上で跳ねているコイキングを見るかのような目つきで眺めている。
ソラはと言えば、リクがやってきたあたりから、すっかりフリーズしてしまっていた。
「悪いな、ソラ。あのバカ、無駄に鼻がいいから、メシの匂いを嗅ぎつけてノコノコやってきたんだろ。その辺のきのみでも口に突っ込んどきゃ黙るから、多目に見てやってくれ」
「あ、はい……。えっと、分かりました」
「あっ、そうか! ソラたちが泊まってたんだっけ。ごめんごめん、アネキの研究所から珍しくいい匂いがしたもんでさ。飛んできたんだ」
つい数十秒前、額にまともにスプーンを食らっていたにも拘らず、ケロッとした表情で起き上がっている。
この“がんじょう”さと、へこたれなさ、あとは少しばかりの“ずぶとい”気質が、実の姉に雑な扱いを覚えさせたのだろうか。
「まぁ邪魔だったみたいだし、おいらは一旦帰るよ。後で来るから、またそん時な!」
「あ、いや……その、食べたいなら食べてっても……。じいちゃん、生地はまだ残ってる?」
「ええ、まぁ。どなたかがおかわりをされる時を想定して、余分に作ってありニャスので、そちらを今から焼く事にしニャス」
「えっ、マジ!? サンキュー、めっちゃいい奴じゃん! それなら、こいつの分も作ってくれ」
「にゃおんぬ!」
「ったく、甘やかすと簡単に“つけあがる”ってのに……」
そうボヤきながらも、少年少女、そしてポケモンたちの織り成す賑やか雰囲気を見て、口元を微かに緩めた。
「……ま、悪かねぇか」
「こんっ」
「お、あんたもそう思うか、ロコン。お互い気が合うねぇ」
「さて、メシ食って腹も満ちて、絶好の旅始め日和ってカンジだが……」
数十分後。
食後のタバコを嬉々として
その片方、ソラの傍には、旅支度の一式を詰め込んだバッグが置かれている。
彼女が“リンネの儀”に挑む事を宣言した為、巡礼マニアの母に頼んで用意してもらったものだ。
中身については事前に確認したが、成る程。旅の必需品として過不足無い、万全の内容だった。
流石は母だと感心しつつも、若干の怖さがあった。あの人、父の武勇伝を聞いてどんだけ
だが、問題もあった。
「……で、なんであんたも旅支度してんだ愚弟」
「……母さんが、『女の子1人で巡礼させるつもりかい?』って……」
「ああ……」
その一幕が、容易に想像できた。
「見るからに行きたくなさそうだけど……“リンネの儀”って、そんなに嫌なものなの? 確かに厳しい旅とは聞いたけど、この世界だと名誉な行いなんじゃ……」
「確かにそうなんだが、別に巡礼せずんば信者に非ず、って訳でも無くてな。やんねーから信心が足りねぇって事は無ぇし、んな事抜かした日にゃ、当の神官連中からしばき倒される。だもんで、基本は神官志望がやる修行みてぇなもんなのさ」
「おいら、母さんと父さんの跡継いで薬屋やる夢があんのに……」
「田舎っぺにしては、やけに地に足ついた思想じゃねぇか。あんたくらいの歳のジャリボーイは大抵、都会で一旗上げるのを夢見るってのにな。あたしがそうだったし」
干からびたピカチュウみたいな顔をする弟を、マハルニャースが慰めている。
暫しの長考の跡、タバコの煙を吐き出して、仕方が無いなと首を振った。
確かに、巡礼に挑む明確な理由と決意があるとはいえ、うら若い女子がたった1人で旅をするのだ。
お付きのポケモンがいるにしても、少々不安なところはある事を否定はできない。
「つー訳だが……どーする? あんたらが嫌って言うなら、母さん説得してくるが」
「え、えっと……」
「ニャーは、ひいさまの御心のままに、で御座いニャス」
「ケテッテ!」
まぁ、そういう答えを返してくるだろうな、という確信はあった。
どんなに迷っても、旅に出る当人である以上、最後に決めるのは他ならぬソラである。
彼女がノーと言えば、それを止める術も義理も権利も、誰も持っていないのだ。
(……正直、まだ完全に彼らを信じられるようになった訳じゃない。手のひらを返してくるかもしれない、っていう恐怖は、まだわたしの内にある)
こればかりは、もう、そう簡単に克服できるものではない。
それこそ、1日2日程度では絶対に。
これから克服できればいいなと、そう思えるようになっただけでも十分だ。
そういう風に、自分に言い聞かせる必要はあるけれど。
それでも、だ。
目の前の少年が、これまで自分が恐怖し続けてきたような「どこかの誰か」でない事だけは、確実だった。
それさえ信じる事ができないのであれば、これからも自分の性根は改善し得ないだろう。
当然、旅を完遂する事なんて夢のまた夢だ。
だから。
「迷惑かけて、ごめん。それでも……わたしの旅に、力を貸してほしいの」
そうして頭を下げた時、少年はそれまでの嫌そうな表情をくっきり切り替えて、いつものニカッとした笑みを返してくれた。
「……ま、そこまで言われちゃあ、な。それに、女の子1人ほっぽり出して自分の事だけ優先するようじゃ、マハルの男失格ってモンさ」
スッ、と手が差し伸べられる。
その意図が、分からないソラではない。
「よろしくな、ソラ。あんたの旅、おいらが絶対に成功させてやる」
「うん。これからよろしく、リク。色々と頼らせてもらうわ」
こちらからも手を差し出し、握手を交わす。
笑みも握力もぎこちないが、それでも大きな1歩だった。
主の小さな前進に、ニャースが腕を組んで頷きを繰り返している。
話が穏当に終わった事に安堵を残しつつ、ルスティカ博士が手を叩き、周囲の注目を集めた。
「じゃ、次の話だ。ソラ、あんたは手持ちのポケモン持ってねーんだよな?」
「はい。じいちゃんもロトムも、わたしのお世話をしてくれているだけで、バトルに出した事はありません」
「うむぅ……。ニャーも若い頃は、ひいさまのひいおじいさまの手持ちとして、
「ケテロト……」
「ロトムも、スマホの制御用に調整された専用の個体ですので、バトルはできないですニャ。故、ひいさまがバトルに用いる事のできるポケモンは、現状ではゼロで御座いニャス」
ソラの曽祖父の代から仕えてるって、
そんなツッコミは飲み込んで、頭を掻きながらにタバコを咥え直す。
「なら、丁度いいな。昨日、“リンネの儀”に出たい奴がいるってんで、あたしの師匠……研究者としての先生な、その人に連絡したら、秒速でポケモン送ってきたんだわ」
「送って……って、どうやってですか?」
「そりゃあんた、パソコンの転送システムに決まってんだろ。地上にゃ、そういう技術が当たり前にあんだろ?」
「確かにありますけど……もしかして、それも例のクモ糸で?」
「一応言っとくが、マジで
そんなやり取りもほどほどに、鍵付きの戸棚を開けて取り出したのは、3つのモンスターボール。
その外見には微妙な差異こそあれど、凡そソラの知る地上のモンスターボールとそう変わらないものだった。
これも“星見人”由来の技術なのかは分からないが、ポケモンとともに在る文明である以上は、モンスターボールが存在するのも当然と言ったところか。
なお、後で確認したところ、リクのマハルニャースも、モンスターボールと紐付けされたポケモンであるとの事。
「ここに、3つのモンスターボールがある。この中から1匹ずつ選んで、あんたらの手持ちにしろ」
「あ、おいらにもくれるんだ。ポケモン」
「そりゃな。巡礼の旅に出る以上、手持ちの数は多いに越したこた無ぇ。そっから手持ち全員を使いこなせるかどうかは、あんたら次第だけどな」
ほいっと、3つのボールが宙へ投げ放たれる。
それらは中空でまったく同時に開くと、中のポケモン、都合3匹が研究所の床に降り立った。
「わぁ……! この子たちが……」
「スッゲェー! アネキ、本当にこの中から選んでいいんだな!?」
「応ともよ。とりま、順に説明していこうか」
そう言うと、ルスティカ博士は3匹のポケモンたちの背後に立ち、それぞれを順に指差していった。
「まずはこいつ。こうもりポケモンの『フルスリ』。タイプはくさ・ひこう。きのみが大好きな食いしん坊だ」
「りり?」
1匹目、くさタイプのフルスリ。
こうもりポケモンと銘打たれているが、見た目はズバットやコロモリよりは、ふくろうのポケモン、モクローに近い。
丸々とした一頭身のシルエットに、翼と足は短く、全身の色はくさタイプらしく緑色。
頭頂部にちょこんと生えた、若葉めいたアホ毛がチャームポイントだ。
「次はこいつ。ほのおグモポケモンの『ウェボム』。タイプはほのお。すばしっこさと、文字通りの爆発力がウリだ」
「むん!」
2匹目、ほのおタイプのウェボム。
こちらは逆に、くもポケモンの名に違わないフォルムをしている。イトマルをもっとデフォルメした感じだ。
配色は淡い赤色で、お尻のあたりがぷっくり膨らんでおり、ぷるぷると揺れている。
よく見ると口の隙間から、小さな火花がパチパチが溢れている。
「最後はこいつ。あまえびポケモンの『デシエビ』。タイプはみず。ビクビクしちゃいるが、ガッツはある方だぜ」
「び……」
3匹目、みずタイプのデシエビ。
こちらも、名前から想像できる通りの見た目だ。だが、ウデッポウのようにベタッと這っているのではなく、クズモーやタッツーを思わせる猫背気味。
まさしく水色そのものの体色に、グローブめいた形状の前脚が2本、ぴょこっと伸びている。
曲げた尻尾で立っているらしく、ぴょこぴょこと静かに跳ねていた。
フルスリ。ウェボム。デシエビ。
この中から1匹ずつ、旅のパートナーを選ぶ。
特にソラは、マハルニャースを連れているリクとは違い、正真正銘、初めての手持ちポケモンを手にする事になる。
重大な選択であると同時に、運命的な出会いでもあるのだ。
(この3匹の中から、わたしだけのポケモンを……!)
明らかに高揚を隠せない少年少女がこの場に2人。
3匹のポケモンを一通り紹介した後、彼らの様子を見るなり、ルスティカ博士はこの上なく楽しそうに笑ってみせた。
「さぁ──どいつを選ぶ?」
マハル図鑑 No.001
【フルスリ】
ぶんるい:こうもりポケモン
タイプ:くさ・ひこう
とくせい:しんりょく(じゅくせい)
ビヨンド版
果物が 好物で 見つけると すぐに 食べる。仲間には 分けず 独り占め してしまう。
ダイブ版
目は よく 見えないが とても 鼻が 利く。特に 果物の 匂いは 簡単に 嗅ぎつける。
マハル図鑑 No.004
【ウェボム】
ぶんるい:ほのおグモポケモン
タイプ:ほのお
とくせい:もうか(スキルリンク)
ビヨンド版
ウェボムの 吐く 糸は とても 燃えやすい。くっついた 獲物を 焼いて 食べるのだ。
ダイブ版
小さな 牙は 火打ち石の 代わり。牙 同士を 打ち付け 火花を 起こす のが 得意技。
マハル図鑑 No.007
【デシエビ】
ぶんるい:あまえびポケモン
タイプ:みず
とくせい:げきりゅう(せいしんりょく)
ビヨンド版
夢は 大きいが まだまだ 未熟。強い ポケモンの 弟子に してもらう 為 奮闘中 だ。
ダイブ版
どんな デシエビも 故郷を 旅立ち 修業が 終わるまで 帰って こないのが 鉄の 掟。