ポケットモンスター ビヨンド・ダイブ   作:小村・衣須

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Lv.101「名無しのナシ」

「痛い痛い痛い痛い痛い!?」

「ハイじっとしてー。痛いっていうのは生きてる証ですよー」

 

 

 なんだかんだとあっての、同日23時。

 熾烈な激戦を乗り越えたソラは、今──ウツシタウンの一角に立てられたテントの中で、涙目になっていた。

 

 

「打撲に切り傷……命に関わるほどじゃないけど、ほっとくと酷くなりそうなものばかり。どうしたらこんなになるんですか?」

「ええっと……直撃したのは、パタパムの“むしのていこう”だけだったと思います、多分。ナミノルロスの“ウェーブタックル”は2回受けましたけど、どっちもシェラさんのドードリオに守ってもらって、余波だけでしたし」

「『だけでしたし』じゃありません! いくら直撃しなかったからって、オヤブンの攻撃の余波をまともに受けて無事なんて訳ありますか! ああもう、女の子が青痣なんか作っちゃって……。早く治療しないと長引きますよ」

 

 

 打ち傷で青黒くなった腕に、消毒液が染み渡る。

 それがなんとも痛くて泣き言を漏らす少女を、動かないようしっかり抑えながら、神官の女性は治療を進めていった。

 

 ……ヴォイド団によるウツシタウン襲撃を退けてより、ざっくり1時間ほど。

 ナミノルロスの無力化と捕獲に成功して以降、それ以上の異変も起きない事から、一先ず事態は解決したと見做された。

 

 あの後、シェラが町に戻ってきたのは、事態が収束してすぐの事だ。

 町が危ない時に何をやっていたのだと責める声もあったが、そんな声は彼女の姿を前に、すぐ収まったのを覚えている。

 

 

 

『いやーっ、ごめんね? ほんっとうにごめん。シェラちゃんの方でもちょっと手間取っちゃって……っていうのは言い訳だね、うん。とりあえず……縄くれないかな? 人数分』

 

 

 

 右手には、ズタ袋の中に詰め込まれた大量の木彫りのボール。

 天高く掲げられた左手には、気絶したヴォイド団の助祭(したっぱ)たちが()()()ほど、一塊に纏められた上から、ロープで無理くり縛り上げられていて。

 

 そんな2つの重量物を、それぞれ片手で持ち運びながら現れたシェラは──その場の誰よりも、ボロボロの出で立ちをしていた。

 

 ポケモンの攻撃を、多種かつ大量に受けたのだろう。

 彼女がいつも身に着けているエプロン風のドレスは、所々が引き裂かれたり焼け焦げていたり、或いは溶けていたりと、見るも無惨な有り様だ。

 

 髪も砂に塗れてボサボサで、強引に引き抜かれたかのように荒れている箇所さえあった。

 それでもいつも通り、朗らかで“ようき”な笑顔を浮かべたままなのは、流石と言うべきか。

 

 

『21番エリアにいたヴォイド団は、シェラちゃんが運んできたので全員かな☆ あ、(こっち)は彼らが使ってたポケモンちゃんたちね。たっくさん移送しなくちゃだから、神殿(ジム)から応援を呼んできてほしいな♪』

 

 

 結局、シェラが根こそぎひっ捕まえてきた助祭(したっぱ)たちを拘束する為に、場は大わらわとなり、彼女が遅れて戻ってきた事については有耶無耶になった。

 とはいえ、彼女のボロボロ具合を見る限り、誰も知らないところで、したっぱたちを相手取る以上の激戦があったのだろう。

 

 少なくとも、ソラはそう思っていた。

 そしてそれをおくびにも出さず、また誇りも弁明もしないシェラの姿に、得も言われぬ格好良さを覚えるのだった。

 

 ……尤も、そんな思考を吹っ飛ばすほどの痛み(具体的には、傷に塗り込まれた薬の染みる痛みだ)に、すぐに顔を(しか)めたのだが。

 

 

「薬臭い……」

「ワガママ言うんじゃありません。ここがウツシタウンで助かりましたね。この町で作られている薬は、“マハルの地”でも随一の品質と有名ですから。“死出の森”のポケモンたちも、この町で手当てしてもらいたいが為に、森から降りてくる事があるそうですよ」

「ルスティカ博士からも、似たような事は聞いた事があります……って、そうだ。博士は大丈夫なんですか?」

「立って歩けるくらいには回復してますよ。と言っても、あなたのところまで行くのに全力疾走したせいで、傷が開いたって呻いてますけど……はい、これでもう大丈夫」

 

 

 くるりくるりとソラの腕に包帯を巻き、巻き終わりにテープを貼る。

 包帯越しのツンとした匂いに眉を寄せつつも、痛みが先ほどよりマシになっている事にソラは気付いた。

 

「とりあえず、今日1日は安静にしていてください。できれば明日も様子を見て、激しい運動などは控えるように。巡礼を再開するのは、明後日くらいが丁度いいと思います」

「ありがとうございます。こんなによくしてもらって……手当ても優先的にしてもらっちゃって」

「当然でしょう。あなたたちは町を救った英雄なんですから。……ま、あんな無茶や無謀は2度としてほしくない、っていうのは、我々プルガージムの総意ですけどね」

 

 ぐ、とくぐもった声が溢れる。

 若く未熟で無鉄砲なきらいのあるソラだが、だからと言って、自分のしでかした事の重大さに理解を寄せないほど、向こう見ずな訳でもない。

 

 危険極まりない事をした自覚はある。

 あるからこそ、反論もできずに押し黙るしかなかった。

 

 

「とはいえ、それを分かってあなたたちを危険な場所へ向かわせた我々に、あなたたちを糾弾する資格は無いんですけどね」

「そんな事……。間違った事をしたのは、わたしたちの方なのに」

「あら、間違ってたんですか? 町を守る為に戦って、勝って、町を救ったのは」

「それは……」

 

 

 気持ちの行き場を失った拳を握り締め、俯くソラ。

 そんな少女を前に、神官の女性は仕方ないなと苦笑し、その肩を軽く叩いた。

 

「ごめんなさい、今のは意地悪過ぎましたね。さ、治療は終わったので、早く博士たちのところへ行ってあげてください。私は次の怪我人を診ないといけませんし」

「は、はい……。その、ありがとうございます」

「いえいえ、それが仕事ですから。それに、まだ安心はできませんよ。これからあなたたちには、大神官さま(ジムリーダー)からのお説教が待ってるでしょうし」

「あはは……」

 

 頬を掻きつつ立ち上がり、今1度神官に頭を下げてから、テントを後にする。

 外はすっかり夜なだけあって薄暗く、頭上を見上げれば、“獣の大地(ローランド)”にて瞬くリバーテル結晶の光がよく見えた。

 

 テントの周囲は、電灯の光によって照らされている為、ブラブラと歩く分には申し分ない。

 さて博士たちはと見回せば、丁度こちらを探していたらしいリク、そしてニャースと目が合った。

 

 

ひいさまぁ~~~! お、お怪我は大丈夫で御座いニャしたか!?」

「なんとかね。今日明日はゆっくり休んで、ってさ」

「それは……それは、()う御座いニャした……。戦えぬ老骨では止められぬと分かっていニャがらも……やはり、ひいさまの御身が心配で、心配で……うぅっ

 

 

 目が合うや否や、泡を食ったようにこちらへ駆け寄り、べそべそと涙を零すニャース。

 その姿を見下ろして、ソラは幾許かの罪悪感を抱いた。

 

 今回は()()()()の怪我で済んだが、何かが違えば、もっと大きな……それこそ、取り返しのつかない事になっていたかもしれない。

 もしそうなった時、この老ニャースはどのような反応をしていただろうか?

 

 

「……うん。ごめん……ごめんね、じいちゃん」

 

 

 その場に膝をつき、ニャースを抱き締める。

 

 ソラにとっての彼は、家族同然の存在だ。

 そんな彼を悲しませた事に、じくりと、己を誤魔化せないほどに胸が痛む。

 

 

「おいらも、今さっきまで手当てしてもらってたところだ。自分の体が薬臭くなるのも、なんだか久々って感じがするよ」

「わたしの方も、大体似た感じ。薬が傷口に染みて、叫ばないように“こらえる”のは大変だったけど」

「そんなもんさ。おいらだって、小さい頃からあっちこっち行ってたせいで、しょっちゅう怪我してさ。その度に薬を塗られるもんだから、もう痛いのも染みるのも慣れちまった」

 

 

 そう言って笑うリクもまた、腕や足などに包帯を巻いていた。

 聞けば、彼も彼で、幹部の男が繰り出したロゼリアにかなり苦戦したらしい。切り傷の数で言えば、ソラ以上だったとか。

 

「おいらたちのポケモンも皆、アネキたちに預けて治療中だ。ポケモンは人間より傷の治りが早いからな。一晩経てば、また元気になるだろーさ」

「そっか。……ありがとうね、リク。そんな怪我を負うくらいの戦いがあったのに、わたしたちに加勢しに来てくれて」

「当然だろ? この町はおいらが生まれ育った町だし……それに、前も言った筈だぜ」

 

 頭の後ろで腕を組み、ニカッと笑う。

 痛みも疲れも見せない、晴れ晴れとした笑みが、電灯の下で柔らかく映えた。

 

 

「あんたはおいらの友達だし、それに仲間だ。ヤバい時に助け合うのも、力を合わせるのも、当たり前の事さ」

「……うん」

 

 

 なんでもないように言ってのけるその姿が、なんともこそばゆくて、嬉しくて。

 自分に縋り付いてきているニャースを思わず強く抱き締めながら、ソラはリクからの言葉を強く噛み締めた。

 

 

(……マハル(ここ)の人たちは、皆あったかい。こんなわたしによくしてくれるし、学校に通ってた頃のクラスメイトとか、知らない大人たちみたいに、意地悪もしてこない。まるで皆、プラターヌ博士みたい)

「ひいさま? あの、ひいさま? ニャー、ちょっと苦しいのでニャすが……ちょっと? ひいさま? ひいさmぐえニャスっ

 

 

 ニャースの苦悶も耳に入らず、考えに耽る少女。

 その脳裏に蘇るのは、地上で自分に優しくしてくれていた、数少ない恩人たち。

 

 プラターヌ博士に、彼の教え子であるデクシオにジーナ。

 そして……彼ら以外にも、寄り添ってくれた誰かが、いたような。

 

 そこまで思い至って、ふとソラは顔を上げる。

 こちらを見下ろすリクと目が合って、その素朴で屈託のない表情に、暫し目が揺れた。

 

 

 

(リクって、まるで──)

「──ちょっと! ちょっと、待ってください!」

 

 

 

 既視感の正体を探ろうとする試みは、横合いから飛んできた叫び声に掻き消された。

 思わずそちらを見やると、そこではテントから出てきた名無しの少年が、神官の男性に呼び止められて、何やら言い争いをしているところだった。

 

 

「治療は必要無い。診てもらうほどの負傷はしていないし、していたとしても自分でどうにかする」

「そんな訳にはいかないんですって! それに、どこに行くつもりですか!? もう夜の11時ですよ!?」

「詮索される謂れも無い。ポケモンは返した。それで終わりの筈だ」

「あ──ちょ、ちょっと!」

 

 

 一方的に話を打ち切り、町の外へ歩き出す少年。

 振り切られた側の神官は、彼を追おうにも、まだ怪我人の治療が終わっていない事もあって、どうしたものかと頭を抱えている。

 

 そのやり取りを見て、ソラとリクは視線を交わした。

 丁度そのタイミングで、ニャースもどうにかソラの腕の中から脱出する。

 

 

「追いかけましょう」

「だな。あんだけ一緒に戦ったってのに、挨拶も無しにさよならは無いだろ」

「へふぅ……し、死ぬかと思ったでニャス」

 

 

 

 

 

 

「──待って!」

「……」

 

 

 ウツシタウンから1番エリアへと続く、その境にて。

 後ろから飛んできたソラの声に、名無しの少年は立ち止まり、ゆるりと振り向いた。

 

 思った以上に足早だった彼を追いかけた事で、ソラはすっかり息も絶え絶え。

 その隣のリクもまた、手当てを受けた筈の傷がじくじくと痛んできていて、ニャースに介抱してもらっている。

 

 

「はぁ、はぁ……やっと追いついた」

「……何の用だ。ヴォイド団を一先ずは退けた以上、もうおれと関わる理由は無い筈だ」

「大アリだろうが! 一緒に肩並べて戦って、力を合わせて町も皆も守ったんだぞ? なのに、何も言わずに行っちまうなんて……」

「何も語る事など無い」

 

 切れ味鋭い視線が、少年少女2人を貫く。

 街灯の光は遠く、周囲は薄暗い。それ故に、少年の血のように赤い瞳が、いやに輝いて見えているようで。

 

 

「今回、おれがお前たちと協力したのは、そうする必要があったからだ。結果として奴……“三司祭”の1人は去り、ナミノルロスは無力化され、フルスリもお前たちに返した。それ以上の馴れ合いを続ける意味は無い」

「あるでしょ!」

 

 

 ソラの青い、透き通ったような目が、少年の視線と交差する。

 赤い眼光に射抜かれてなお、少女は彼から目を逸らす事は無い。

 

「あなたがヴォイド団とどういう関係なのか。そこまでは聞くつもりは無いわ。けど、あなたは彼らと敵対してるんでしょう? なら、これからも力を合わせられる筈じゃない」

「……」

「相手が何者で、何が目的で、なんで悪さをしようとしてるのかとか。そういうのも聞く必要があるし……ううん。それよりも、そんな事よりも」

 

 すぅ、と。

 小さく息を吸い、鼓動を整えて。

 

 

 

「まだ……あなたの名前も、聞けてないんだよ……?」

 

 

 

 か細い、絞り出すような声だった。

 どこか懇願するような、縋るようなその声に──少年は、「チッ」と舌打ちを零す。

 

 

「最初に言った筈だ。ヴォイド団に関わるな。深入りもするな。お前たちはただ、呑気に巡礼の旅を続けていればいい」

「おい、そんな言い方無いだろ!? おいらたちだって、ヴォイド団と……」

「戦ってどうする。言っておくが、今回の一件なぞまだ序の口だ。司祭(あのおとこ)でさえ、手持ち(スタメン)を1匹も見せていなかったんだぞ。これから先、ナミノルロス以上に強力なポケモンを相手取る覚悟があるのか」

「それ、は……」

 

 言い淀むリクに鼻を鳴らし、背を向ける。

 その背中は、それ以上の対話を拒絶するかのように、冷たい雰囲気を這わせていて。

 

 

「もう、おれに関わるな。勿論、ヴォイド団(やつら)にもな。尤も、例え奴らに関わらなかったとしても、お前たちのようなお気楽どもが、巡礼を達成できるとは思い難いが」

「……あなたは、どうするの? これからも、あいつらと戦い続けるの?」

「それも言った筈だ。おれの旅の目的は、奴らを潰す事にある。巡礼も、その為の手段に過ぎない。分かったら、とっとと町に帰れ──ッ!?」

 

 

 突如、気配を感じた少年が振り向き、己へ飛来した()()()をキャッチする。

 あまりに突然の事に、ソラたちもまた驚き、()()()が飛んできた方向──即ち、自分たちの背後を見た。

 

 

「──それは餞別だ、有り難く受け取っときな」

「ルスティカ博士……!? な、なんで……」

「どうせ、事が終わったらすたこら逃げるだろーと思ってな。研究所の瓦礫ん中から掘り当ててきたんだが、間に合ってよかったぜ」

 

 

 そこにいたのは、果たしてルスティカ博士だった。

 まだ傷が痛むようで、どこか疲弊したような表情を浮かべているが、いつものようなふてぶてしい態度で、ソラたちの背後に立っていた。

 

 その傍には、デルビルが随伴している。

 彼はふんすと鼻を鳴らし、どこか誇らしげに博士の傍へ侍っていた。

 

 そして、博士が指差す先。

 たった今、名無しの少年へと投げて寄越されたものの正体は、モンスターボールが1つに──()()()()()()が1つ。

 

 

「あたし用に師匠が送ってきたモンだが、あんたにやるよ。町を救ってくれた礼ってヤツだ」

「いらん。それに、お前に何のメリットがある」

「あーん? 礼にメリットデメリットなんざあるかよ。ありがてぇと思ったからくれてやる。それ以上の意味は()ぇさ。それに……」

 

 

 ブルブルと、モンスターボールが震える。

 それに少年が気付いた時には、既にボールは独りでに開き、中から1匹のポケモンが飛び出してきていた。

 

 

 

()()()がどうしても、あんたと一緒に行きたいってよ」

「──りーりーっ! りーりりー!」

 

 

 

 飛び出すと同時、嬉しそうに少年としがみついたのは、あのフルスリだった。

 すっかり彼に“なついて”しまったようで、すりすりと頬ずりを繰り返し、少年は思わず鬱陶しそうに顔を歪めた。

 

「これは、驚きニャした……。あの暴れん坊が、あんなに大人しく……」

「なんだ、結局“なつかれ”てんじゃん。前に研究所から脱走した時は、ソラもあいつの捕獲に失敗してたってのによ」

「その話は掘り返さないでほしいなぁ……。でも、“むじゃき”なあの子がべったりしてるって事は、やっぱり悪い人じゃないじゃない」

「ケケケ。人は邪険にできても、ポケモンを蹴飛ばす事はできねーだろ?」

「……」

 

 反論しようと口を開くも、やがて押し黙る。

 そうしている間も、フルスリは彼の頭頂部に上り詰め、嬉しそうに体を揺らしていた。

 

 

「あたしもシェラも、あんたが()()()()()()()ってのは、なんとなく分かってる。分かった上で、これ以上なんも言うつもりは()ぇ。シェラ(あいつ)も、あんたを1人の巡礼者として扱うってよ」

「……礼は言わんぞ」

「だぁから、こっちが礼を言う側だってのな。……ありがとよ。あんたが力を貸してくれたおかげで、この町は救われた」

 

 

 その言葉には、何も返さず。

 名無しの少年は受け取ったモンスターボールを開き、フルスリをその中に格納すると、ガプリコやフカシオのボールと同様に、己のボールホルダーへと嵌め込んだ。

 

 ポケモン図鑑はポケットの中に押し込んで、それから溜め息をひとつ。

 そうしてこちらへ向けられた赤い目は、ソラたちにそれ以上の接近を許さなかった。

 

 

「今回は、互いの利害が一致した。それだけだ。ヴォイド団を潰すのに都合がよかったから、お前たちを利用した。それ以上でも、それ以下でもない。これからも、おれはお前たちを仲間などとは思わない」

「あんた……」

「仲間なんてものは必要無い。いや……そんなもの、初めから持ってなどいない」

 

 

 風が吹く。

 21番エリアで言葉を交わした時と同じく、一筋の風が、少年を撫ぜる。

 

 ジャケットの袖から垣間見える、病人めいた白い肌。

 ターバンの狭間に覗く、色素の失せた白い髪。

 そして、血のように真っ赤な瞳。

 

 

「ニャ、ニャスッ!? そのお姿は、もしや……」

「……」

 

 

 少年は何も返さない。そしてそれは、ソラたちも同様だ。

 彼と同じ特徴を持つ者たちを、ソラたちは今日、何人も目にしてきた。

 

 

「おれには何も無い。仲間も、故郷も、家族も……名前も」

「名前、も……? あなた、名前が無いの?」

「ああ。すべて、奴らに……ヴォイド団に奪われた。だからおれは、奴らに復讐する。その為だけに生きている。今のおれにあるのは、ポケモン(こいつら)だけ。それ以外は必要無い。仲間も、帰る場所も……そして、名前もだ」

 

 

 だから、と。

 少年はソラの目を見て──その透き通った青い目に己を映されて、ほんの一瞬、微かに瞑目した。

 

 

 

()()()()()()()()()()()

「……!」

「何も無い。何も必要無い。名前さえ必要無い。()()()()。だからおれは、名無しのナシ。おれの事を呼びたければ、そう呼ぶがいい」

 

 

 

 それだけを言って、今度こそソラたちに背を向けた。

 最早、その歩みを止める者は、今この場にはいない。

 

 

「おれは巡礼を果たす。世界の果て、“縫いの霊峰”に至り──そこでおれは、“()()()()()()()”を捕獲し、従える。すべては、ヴォイド団を滅ぼす為に」

 

 

 

【マハルの地 ポケモントレーナー】

巡礼者(ライバル) ナシ】

 

 

 

 リクも、ニャースも、ルスティカ博士でさえ、彼の背中に声をかける事はできなかった。

 彼の目的や、その真意を聞こうと開いた口は、しかしそれ以上の声を紡げない。

 

 そうして、誰にも止められる事無く去っていく、その後ろ姿へと。

 この場でただ1人、ソラだけが。

 

 

 

「──またね! また、旅の中で会いましょう! ナシさん!」

 

 

 

 その声を受けてもなお、遠ざかる背中は止まらない。

 やがて、名無しの少年──ナシの姿が、宵闇の中へ溶け消えていく、その刹那。

 

 

 

「……“さん”は必要無い」

 

 

 

 その一言を、ソラは確かに聞き取っていた。




《手持ち更新:ナシ》

NEW!
【フルスリ(♂)】
とくせい:しんりょく
せいかく:むじゃき/あばれることがすき
わざ:
 このは/エアカッター/やつあたり/なきごえ
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