ちゆりんの一件があった日から、一晩経って。
前日の朝には色々あったものの、1日かけてしっかり休息を取った事で、戦いで受けた傷もそれなりに回復できた。
リクたちの母親からは、旅立つ当初にもらった以上の食料やら何やらを押し付けられそうになって、それを固辞する事に苦労もしたが……ともあれ。
再び、出発の時がやってくる。
「しかし……よかったのか? 神官連中が帰るのに“びんじょう”して、あいつらの
「いいんです。リクとも話し合った結果ですから。……改めてちゃんと、自分たちの足でプルガーシティへ向かいたいんです」
朝。
ウツシタウンの門の前で、ルスティカ博士と向かい合って言葉を交わす。
博士の腕の中では、彼女のロコンが抱え込まれていた。
ヴォイド団に襲われたポケモンの中でも、未だ傷が癒え切っておらず、生々しく包帯を巻いているが、その表情は至って穏やかなものだ。
「にしたって、この荷物はなぁ……母さんはただでさえお節介なんだから、もうちょい強めに断ったってよかったんだぞ?」
「そのつもりだったんだけどなぁ……。なんだかんだで、結局押し切られちまった。これでも一応、最初に持たされる筈だった量よりは減ってんだぜ」
「ごめんね、じいちゃん。いつにも増してたくさん持たせちゃって」
「ニャんの、これしき。戦いではお役に立てぬ身で御座いニャスから、せめてこれくらいは。心配ニャさらずとも、この程度は軽いもんですニャ」
いつものように自ら荷物係を買って出たニャースだが、彼のリュックサックはいつになく大きく膨らんでいた。
結局、完全には固辞し切れず、リクたちの母親からもらった大量の食料や薬などが、パンパンに詰め込まれているのだ。
恐るるべきは、自分の体長の1.5倍ほどにも膨張したリュックサックを背負い、汗ひとつかかずに涼しい顔をしているニャースだろうか。
年老いて衰えた……とは本人の談だが、それでもやはり、若い頃にバトルに明け暮れていた、という話は伊達では無かったようで。
「ちゆりんの事、お願いします。あの子なら、きっと皆を守ってくれる筈ですから」
「おう、任せとけ。ポケモン博士の名にかけて、窮屈な思いは絶対にさせねぇさ。だからあんたらも、安心して巡礼の旅を続けな」
「こぉんぬ!」
深々と頭を下げるソラに対して返ってくる声色は、穏やかで重々しい、誠意を感じさせるもの。
博士の腕の中のロコンも同様に、重傷の身でなお、力強く声を上げる。
彼女もまた、ソラたちに命を救われた身だ。“きまぐれ”な気質の彼女だが、感謝と恩義は確かにそこにあった。
「次の行き先は分かってるよな?」
「パタラシティ、ですよね。プルガーシティの西にある森を越えた先、そこに2つ目の
「そうだ。シェラを倒して、今回の一件も切り抜けたあんたらなら、そう苦労はしないとは思うが……だからと言って、油断すんじゃねぇぞ」
「はい、分かってます。だからわたしたちは、もう1度、自分の足でプルガーシティへ向かうんです」
それは前日の夜に、リクやニャースたちともよく話し合って出した結論だ。
プルガーシティの神官たちが、この町の復興の応援に来たり、反対に帰っていく際、彼らの乗ってきた鳥車に相乗りする案もあった。
だが、今回の事で、それではいけないと思ったのだ。
「ちゆりんが離脱して、わたしの今の手持ちはびぃタロとはるりんの2匹。3匹ではできた事も、2匹だと少し苦しいかも知れない。だから、ちゃんと鍛え直しながら、改めて旅の中断地点へ戻ります」
「おいらも同感。またヴォイド団の連中と戦う事になった時の為にも、今からドンドン戦って強くなっていかねーとな」
「……ヘっ。若い癖して、地に足ついたバカ真面目どもが」
そう笑い、博士は白衣のポケットから2本の巻物を取り出した。
それを乱雑に投げ渡されて、リクはおっかなびっくり気味に、どうにか2本ともキャッチする。
「っと……これ、“わざ
「あたしのじゃねぇ。あいつ……ナシとかいうガキのモンだ。あいつ、町を出てく前に、ウチの薬やらをいくつかくすねていったみてーでな。代金代わりだって置いてあったんだよ。ったく、律儀なのかそうじゃねーのか……」
溜め息をつく姿に、少年少女は2人して顔を見合わせる。
以前にシェラが語っていた通り、“マハルの地”における“わざマシン”は、基本的に“
その性質上、一般的な市場にはそれほど出回らない為、それが2本ともなれば、金銭的な価値はそれなりにあるのだが……
(フルスリに使った“やつあたり”と“エアカッター”、ちゆりんにってくれた“ボルテッカー”、そしてこれ……。わたしたちが見ただけでも、貴重な“わざ
「……ま、素性の知れねぇ奴だったが、それでもあたしらを助けてくれたのは事実だ。薬くらい、タダでくれてやってもよかったのにな。つー訳で、あたしはいらねぇから、そいつはあんたらにやる。ま、せいぜい上手く使え」
「雑だなぁ……。そういう事なら、ありがたくもらっとくよ」
一先ず、最初に受け取ったという事で、リクが持つ事になった。
自分のポーチに“わざマシン”を突っ込む弟の姿を見ながらに、やおら「さて」と呼吸をひとつ。
「改めて……あんたらのおかげで、あたしもロコンも、そんでこの町も救われた。この町を代表して、礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
「そんな……。わたしたちは、ただ」
「分かってる。あんたらが見返りだなんだを求めてねぇ事はな。それでもだ。これは本来、あんたらが首を突っ込むべき事じゃなかったんだからな」
その言葉の意味は、昨日1日で痛いほど理解できた。
そう言いたげに顔を陰らせる少女に、博士は溜め息っぽく鼻から息を吐く。
「……ヴォイド団の企みってヤツは、今回が最後じゃねぇだろう。これからもきっと、あんたらの旅の中で、連中は現れる。そんであんたらは……多分また、あいつらと戦う事になるだろう」
「……はい」
「力が足りないとどうなるかは、今回でよく分かったな? 今のあんたらが、まだまだ実力的にはひよっこに過ぎないって事も。……だから、その上で言わせてもらうぞ」
歯を剥き、ニヤリと不敵に笑う。
それまでの暗い雰囲気を吹き飛ばすように、力強く。
「──強くなれ。そんで、誰かを助ける事を躊躇うな。間違っても、今回の事で懲りんじゃねぇぞ。ヴォイド団なんか余裕でぶっ飛ばせるくらい強くなって、困ってる連中、全員助けちまえ」
思ってもみなかった言葉に、ソラは暫し目を丸くした。
リクも同じく、ポカンと口を開けているのが横目に見える。
そんな2人を前にした博士は、イタズラが成功したかのような笑みで「ケケ」と嘯く。
「今よりずっと強くなって、また顔見せに来い。巡礼の旅が、きっとあんたらを強くしてくれる」
「……はいっ」
重く、強く、深く頷いて。
それからソラは、どこか晴れやかに笑い、いつかにも口にした言葉を再び告げた。
「世界の果てへ、行ってきます」
「……とは、言ったものの……」
ウツシタウンから巡礼の旅へと再出発した、更にその翌日。
再び突入した洞窟の中に、少女のぼやきめいた声が反響した。
「やっぱりここ、通り抜けるの大変だよねぇ……」
「だなぁ……。あん時は、それ以上の色々があって気にならなかったけど……改めて歩くとなると、薄暗いし狭いしで、いつもよりペースが遅くなっちまう」
息を整える為に立ち止まり、ジメジメ湿った岩肌に手を触れる。
ところどころに露出したリバーテル結晶の光や、コケムレたちの発する光のおかげで、洞窟内はそれなりの明度に保たれていた。
それでもやはり、外を照らす昼の光には叶わない。
そんな薄暗さのせいで、道の先を完全に視認する事はおろか、足元さえどこかおぼつかないようで。
「今回はピリベルたちを刺激せずに済んでおりニャスが、それでも閉所での戦闘は難しいものがありニャスね。特にズバットなどは、狭い通路だろうが関係なく襲ってきニャスから」
「そのおかげで、図鑑を埋める作業が捗ってるのは、いいのか悪いのか……。前は慌ただしかったから、調査の為にポケモンを捕まえる暇も無かったし、その帳尻を合わせられてるのは、いい事なんだろうけどね」
旅に再出発した前日は、半日かけてカロンタウンへ向かい、そこで一泊。
今日になってから2番エリアを進み直し、こうして“ギムレの洞穴”の中へ。
1度経験した道のりだけあって、ここに至るまでは順調に進めていた。
問題は……洞窟内の正規ルートを、ソラたちは前回、通った覚えがまるで無いという事。
前回は、ピリベルたちの大合唱やら、ズバットの群れとの遭遇やらで、どんどん正規ルートを外れて、しっちゃかめっちゃかに走り回ってしまっていた。
そして、何よりも。
「
「あれから5日くらいしか経ってないんだし、また状況が急変してるって事も無いだろ。ただ……」
「うん、分かってる。無闇に
そう答えながらも、寂しげな表情を浮かべる少女。
話している内に、2人と1匹はやがて通路を抜けて、開けた空間へと出る。
デコボコしていて歩きづらい道はそのままに、上下に段差が多く、うっかり躓きでもしてしまえば、どこまでも転げ落ちてしまいそうだ。
「それに、どこからどう行けば、もう1度あの場所まで行けるかも分かんないもんね。流石に、そこまで正確に記憶してないわ」
「ま、そうもそうか。行く時はわちゃわちゃしてたし、出る時も先導されながらだったんで、道とかあんまり気にしてなかったもんな。それに、どこもかしこも匂いが同じだから、おいらの鼻を頼りにするのも難しいかもだ」
「あの時は確か、わたしの持ってた“チーゴのみ”のポフィンの匂いを辿ったんだっけ? シェラさんの身体能力もだけど、リクの嗅覚も結構人間離れしてて──」
襲いくる野生ポケモンたちも難なく撃退し、歩き通しでもヘタレないくらい体力も身についていた。
そうやって話しながら歩ける程度には、彼女たちには余裕があった。
或いは、それがいけなかったのか。
「──にぃっ!?」
ずる、と。
湿った足元のぬめりに靴を滑らせ、ソラの体が一瞬、リクの視界から消える。
否、消えたのではない。
滑った拍子に足を踏み外し、坂道を半ば転げ落ちるように体勢を崩したのだ。
「っ、ソラ!」
「ひいさまっ!?」
咄嗟に手を伸ばすリク、慌てて駆け寄るニャースの姿が、少女の視界に映る。
伸ばされた手を掴もうにも、坂道を滑り落ちているが故に難しく。
目に見えるものすべてがスローモーションのように遅くなる中で、ソラはぼんやりと思った。
(なんか……前にも、こんな感じの事があったなぁ……)
あの時は、峠から真っ逆さまに落ちたところを、シェラと彼女のヨルノズクに助けてもらったっけ。
そんな事を思いつつも、呆けたままでは終われない。
少しでも助かる可能性を高める為、腰のボールホルダーから、
「れっ──ぱぁああっ!!」
視界の隅で、淡く優しげな光が輝いた。
すっ転び、顔面から地面に叩きつけられる、まさにその直前で。
ソラの体は不自然に静止し、中空に浮いたままの状態から動かなくなった。
「……えっ?」
一体何が起きたのかと訝しむ暇も無く、少女の体は、彼女自身のコントロールを離れて動き、崩れ切った体勢を立ち直らせる。
やがて体の自由を取り戻した時には、足を滑らせて転びかけていたのが嘘であるかのように、少女はしっかりと地面の上に立っていた。
彼女に追いついたリクやニャースはおろか、当の本人たるソラでさえ、呆然とするしかない。
「ひいさま、大丈夫でニャスか!?」
「え、ええ……大丈夫。けど、今のって……」
「ソラが転んで落ちてったかと思ったら、いきなりおかしな風に止まって……まるで、
「れっぴ!」
足元から聞こえていたその声に、一同の動きと思考が一瞬止まる。
まさか。そんな一言すら零す間もなく、視線が一斉に下へと向けられた。
小さく丸っこい胴体。細長い脚。頭頂部に浮かぶ、
そして、バイザーめいた硬質な顔面に瞬く、その青い
「あなた、あの時のテレネット……! あなたが助けてくれたのね?」
「れぱっしゅ!」
6日前、初めて“ギムレの洞穴”を訪れた際、誤って迷い込んだ深部で出会った、つながりグモポケモンのテレネット。
暴走する群れのオヤブンを助ける為、ともに戦ったあの時の幼い個体が、誇らしげに身を揺らしていた。
「驚いたな……まさか、そっちからこっちに来るなんてうぉおわっ!?」
「レパァァッシ」
「ほニャアッ!? お、オヤブンさままで来ておいででニャしたか……!?」
ぬっ、と現れ、
あの時のように暴走こそしていないものの、こちらを見下ろせるほどの大きさは健在である。
本来、彼らテレネットは洞穴の奥深くに生息し、あまり浅層には出てこないとされているポケモンだ。
それが前回あのような有り様だったのは、長たるオヤブンが暴走(恐らくは、ヴォイド団の“きょすうのはね”によるものだったのだろう)し、群れを支配していたからに他ならない。
そんな彼らが、どうしてこんなところに現れたのか。
そして、何故──ソラを助けたのか。
「もしかして……わたしに、会いに来たの?」
「れ、ぴぃー♪」
例え、言葉が分からずとも。
目の前の幼い彼女が、満面の笑みを浮かべている事は、すぐに理解できた。
洞窟の入り組んだ通路を抜けると下り坂であった(5日ぶり2回目)。
「この景色を見るのも久々ね。前は早朝だったけど、黄昏れ時もいい眺めだわ」
「だな。テレネットたちのおかげで、最後の方はスムーズに進めたし、夜にはプルガーシティへ到着できそうだ」
下り坂の彼方を望めば、空中を舞うソルロックとルナトーンたちの遥か後方、丘陵の麓の方に、暖かな光が垣間見える。
1度来た道であるが故に、覚えている。あれは、夜の訪れに備えた街の灯りだ。
あの後、やはり以前のようにテレネットたちの案内を受けて、ソラたちは“ギムレの洞穴”を抜け出す事に成功していた。
朝早くにカロンタウンを出発し、現在が夕方遅く。かなりいいペースである事は確かだろう。
「あなたたちに道を案内してもらったのは、これで2回目ね。おかげで助かったわ、ありがとう」
「れっぴ~♪」
「テェ、レニィ」
幼い個体は嬉しそうに跳ね、オヤブンは重々しく頷く。
その対照的な仕草に、思わずクスリと笑ってしまい……それ故に、疑問もひとつ。
「でも、なんでわたしたちが来たって分かったの?」
「れー? れっぱ! てれにっと、れぱっしゃ!」
「どうやら、ひいさまに
テレネットが何を主張しているのかを、ニャースが聞き取ろうとする。
さしもの彼も、マハル固有の種が相手では
「
「洞窟の浅いところは、こいつらの住処じゃ無い筈だろ? って事は……ソラに会いたくて、毎日ソラを探してたのか?」
「れぱ!」
小柄な体が、勢いよく跳ねる。
どうやら正解のようらしい。
その事実に目を丸くしたソラは、その場にしゃがみ、目の前の幼子と視線の高さを同じくする。
交差する視線の先で、青い目の色が、キラキラと輝いていた。
「わたしに、会いたかったの?」
「ぱしゅ!」
「ボスさんを助ける事ができて、群れも元通りになったのに……それでも、よそ者のわたしを、ずっと探してたの?」
「れぱ、れぇに!」
「……そっか」
再会した時からずっと、目の前の彼女が嬉しそうにしているのは、態度や声色から容易に読み取れた。
5日前に別れ、本当ならずっと西へ西へと進んでいた筈のソラを、彼女はずっと待ち続け、探し続けていたのだ。
その健気さに、自然と笑みが溢れる。
そして──ソラの心の中で、ひとつの直感めいたものが、形を帯びていく感覚を抱いた。
「……じゃあ、さ。よければ、なんだけど」
丁度よかった、なんて思わない。いや、思ってはいけない。
ちゆりんは、他の誰かが代わりになれる存在ではない。
そして
だから……
『だから、今のわたしがあの子を捕まえても……たぶん、お互いにとっていい結果にはならないと思うんだ。せめて、1つでもいいからジムをクリアできるくらいには、わたしが自分の腕に自信を持てないといけない』
自分でそう立てた誓いを、ソラはずっと覚えていた。
ここまでに経験した旅と戦いこそ短いが、それでも、ジムを1つクリアできるくらいの実力は身についている。
自信は、今回の一件で少し減ったような気はするけれど、それでも──いや、だからこそ。
「……わたしと、一緒に来る?」
誰かの代替品などでなく。
彼女はきっと、今の自分にこそ必要な
そんな確信が、ソラに彼女への手を伸ばさせた。
「……れっぱ」
差し伸べられた手を、まじまじと見つめるテレネット。
首を傾げたのち、その意味を理解して、バイザー越しに目を瞬かせた彼女は──
「れっ──れっぱ、しゅーっ!!」
勢いよくバックステップし、ソラから距離を取る。
後方への着地と同時、頭上の
明らかな戦闘態勢。
それまでの雰囲気とは180度異なる態度に、リクたちは困惑を露わとした。
「え、ええっ!? どど、どうしちまったんだ!?」
「先ほどまで、あれだけひいさまとお会いできた事を喜んでいらニャしたというに……一体、
「……ふふっ。そう、そうよね」
ただ、1人だけ。
彼女の意図を汲み取ったソラは、得心がいったと笑い、立ち上がる。
チラリと視線だけを動かせば、オヤブンは静かに後ろへ下がり、それ以上の事はしようとしていなかった。
群れの長として、その意志を尊重する。そういう事だろう。
小さく頷いて、モンスターボールを手に取る。
ボールの中からは、バトルの時を今か今かと待ちわびる震動が、これでもかと伝わってきた。
「野生ポケモンとトレーナーが出会えば、やる事はひとつ──あなたの強さ、わたしたちに見せて!」
「てれにっ、ぱーしゅ!」
ソラが高らかにそう謳えば、テレネットもまた楽しそうな声を返す。
お互いに“やるき”は十分。
夕方の空の下、成長した姿を見せるのだと、1人と1匹は闘志を交差させた。