「──……え?」
……永遠にも思えた十数秒。
まともに顔を上げる事すらできないほど、一帯を吹き荒んでいた風雪が、ようやく収まって。
風から顔を庇っていた両腕が、冷たいを通り越して痛みを訴える中、ソラはようやく、視線を前に向ける事ができた。
それでもなお、雪めいた“ほうし”がフワフワ舞う視界を、どうにか視認しようとして──
「びぃ……タロ? ウェボム、も……え……?」
体のほとんどを凍てつかせながら倒れ伏す、自分の相棒たちを見た。見てしまった。
弾かれるようにして、体が勝手に動き出す。
寒さのあまり震える足では、歩くどころか立つ事さえままならず、半ば転げながらに相棒の下へ。
凍傷になっているのか、紫に変色しかけている腕の痛みを無視して、凍った自分の腕よりもずっと冷たいびぃタロを抱き上げた。
「い、き……息は、ある。でも……」
「“こおり”、状態……けど、こんな酷いのは見た事
視界の隅では、リクもまたウェボムに駆け寄り、その凍てついた体を腕の中に収めているのが垣間見える。
“ひんし”、どころの話ではない。
重篤な“こおり”状態に侵されたびぃタロとウェボムは、手足をピクリとすら動かせないほどに衰弱……否、体が硬直し切っていた。
その上、苦痛に魘されているかのような表情からは、2匹がただの気絶ではなく、“ねむり”状態にもなっている事が伺い知れる。
複数の状態異常が適用されているだけでも驚きだが、しかしそれ故に、2種の状態異常によって、彼らの体力が限界までこそぎ落とされている事は明白。
てれーなたちを蝕む“どく”もそうだが、びぃタロたちの“こおり”と“ねむり”も同様に、このまま放置すれば命に関わるものだ。
“どくけし”や“こおりなおし”、“ねむけざまし”は、すべてバッグの中にある。速やかに、適切な治療を施さなければ……
「……驚いたな。バレゾーラの一撃を受けて、まだ生きているか」
影が差す。
人1人分の影に頭上を奪われ、恐る恐る首を上に動かせば。
「タイプ相性もあるとはいえ、
ザクムが、ソラたちを見下ろしていた。
彼の表情は仮面に隠されているが、それでも穴を介して見える眼差しには、言葉通りの驚きが含まれている。
細められた赤い目が、
「……“グロウパンチ”に、“ひのこ”か」
「……ぇ……?」
「理解していないのか? バレゾーラの攻撃が到達する寸前、貴様らのポケモンが繰り出したわざだ。それらが、わざの威力を僅かに和らげ、貴様らを救ったのだ」
ハッ、となって腕の中を見やる。
全身のほとんどが凍てついたびぃタロだが、特に両腕……拳に集中して氷が纏わりついている事に、ソラはようやく気付いた。
バレゾーラの繰り出した、こおりタイプとフェアリータイプの“
猛烈な勢いを以て吹き荒れた超低温の“ほうし”は、本来であればソラたちに、
それを防いだのは、びぃタロとウェボムのわざだ。
かくとうタイプの“グロウパンチ”、ほのおタイプの“ひのこ”が、それぞれのタイプ相性で以て、ほんの少し……本当に僅かに、こおり・フェアリータイプの凍てつく“ほうし”の威力を弱めるに至った。
そこに、ソラたちの指示も判断も無かった。
すべては、背後の相棒たちを守る為に動いた、びぃタロたちの独断だった。
「そんな……びぃタロ、わたしたちの、為に……」
「咄嗟の判断速度、わざの初速……何より、致命の一撃を耐えるほどの
視界に、何かが飛んでくる。
果たしてそれが、ザクムの振り上げた爪先だと、認識する前に。
「トレーナーが、貴様らのような無能で無ければなァッ!!」
「いっ──きゃあっ!?」
顔面を蹴り飛ばされ、後ろへ吹き飛ぶソラ。
びぃタロだけは傷つけまいと、自身の背中から落ちるよう無意識下で藻掻いた事だけが、少女にできたすべてだった。
「ソラ──ぐあっ!?」
「ひいさま、リクさまっ!? おのれ、よくもひいさまたちを──へぶっ!?」
「惰弱! 無能! 無知! 無力無駄無意味無価値無様ッ!!」
リクを裏拳で殴り飛ばし、飛びかかってきたニャースを“はたきおとす”。
最早ポケモンの力を借りるまでもない。そう言わんばかりに、冷酷な司祭は己の手のみで全員を制圧した。
痛みに喘ぐ間もなく、男の足がソラへと迫る。
びぃタロごと踏みつけんとする足を、少女は冷たく痛む腕で受け止め、その踏み躙るほどの力に必死になって抵抗する。
「ぐ……ぅうう、うっ……!」
「貴様らが未熟で惰弱で無能で蒙昧が故に、己のポケモンを死に至らしめる気分はどうだ? 己に力が無い故に、自分どころか、自分の周りすべてを巻き添えにしてしまう気分はどうだ!? それが弱者だ! 弱き者だ! 弱き者は食い潰され……骨さえ、残らない!」
甚振る趣味は無いと、そう言っていた筈のザクムは、まるで少女を嬲るように……いや、倒れて動けない少女を、これでもかと嬲っている。
それまで冷酷に、冷静に、冷徹に振る舞っていた筈の男が、怒声を吐きながら。
なんの前触れもなく、突如として声を荒げ出した彼は、誰がどう見ても怒っていた。何かに、苛立っていた。
「ただ弱き者ならば、まだいい。だが……弱き者が! 己の弱さを受け入れず! なお抗おうとする! それが許せない! 黙って死ね! 黙って食われ、殺され、甚振られ! 己が運命を受け入れろ! それがッ! 弱き者に許された! 唯一の権利だろう! ああ!?」
「ぐっ……がっ、ぁあっ……く、ぅう……っ!」
何度も、何度も何度も“ふみつけ”て、少女の両腕は血まみれ泥まみれ。
そこでようやく歯止めがかかったのか、ザクムは肩で息をしながら足を離し、仮面の奥から深い息を吐き出した。
「……少し、熱くなり過ぎた。だが、これで思い知っただろう。これが貴様らの
「……」
「そして、我々ヴォイド団こそが強き者だ。貴様ら“マハルの民”こそが弱き者だ。“ヨミの神”がお目覚めになられた時、この世界の弱き者はすべて死に至る。そうして初めて、我々“ヨミの民”は、この世界に真の安住を……」
「……なんで」
か細い声だった。
それでもソラは、傷だらけのまま、声を振り絞った。
「なんで……
「──」
虚を突かれた。そんな動きだった。
惨めったらしく、命乞いでもするのだろう。
そう思っていたザクムが、少しも意識していなかった一言だった。
少女の目を見る。
恐怖を抱いている。痛みを感じている。自分が、自分の仲間たちが、自分のポケモンたちが死ぬ事を恐れ、震えている。
恐れと痛みで揺れる瞳孔は、しかし、か細い芯の部分は少しもブレていない。
彼女はまるで、授業で分からなかった点を、先生に質問するように。
「誰、か……大切な人を、亡くし──」
「バレゾーラ」
それ以上は、聞きたくなかった。言わせたくなかった。
背を向け、踵を返した男と入れ替わるように、白濁した巨体が傘を揺らす。
「殺せ」
「ブルゥチズ」
冷気を孕んだ“ほうし”がハラハラ溢れ、ただそれだけで少女の傷口が疼いた。
今度こそ、死ぬ。抵抗も、逃走も、反撃も迎撃も、何もできないまま。
リクも、ニャースも、手持ちのポケモンたちも、ここで皆死ぬ。志半ばで、何も為せずに。
「ソ、ラ……っ!」
「やめて……やめてくだニャされ……どうか、ひいさまは、ソラさまだけは……っ!」
リクたちの声が、どこか遠くに聞こえるようで。
少女はただ、己の腕の中で眠る相棒を、抱きしめる事しかできないでいた。
「……皆、ごめん……」
「──ァア……ッム」
風が揺れた瞬間を、その場の全員が知覚した。
「……な、に……?」
「……。来たか」
腕を振り、攻撃を取りやめるよう指示するザクム。
それを受けたバレゾーラもまた、彼の意図を十全に理解し、周囲を警戒し始めた。
……気付けば、冷気は収まっていた。
あれだけ周囲一帯を満たし、一切を凍らせていた筈なのに。発生源たるバレゾーラは、依然としてここにいるのに。
どこからか吹いてきた、まったく別種の風。
それが冷たい氷の“ほうし”を洗い流し、ある種の清らかさと心地よささえ、この場にもたらしているようで。
(あ、れ……? 痛みが、和らいでる……? あれだけ痛くて、冷たくて……なのになんだか、あったかくて、ポカポカして……)
「なんだ……? この匂い。今の今まで、こんな匂いしなかったのに……どこからだ?」
不思議な心地だった。
それまでの恐怖も痛みも、今なお心に燻っている。
なのに、荒ぶっていた心の内が、自然と凪いでいく。全身の痛みが、気にならなくなっていく。
まるで……
「ァァアアア……ッム」
声がする。
この場の、誰のものでもない。そして、人間のものでもない。
風に乗って訪れたそれは、耳元で囁きかけるような……ポケモンの鳴き声。
「自分の縄張りを侵されれば、いずれ現れると思っていたが……まさか、これほど早いとはな。おかげで、いくらか手間が省けた」
大地が、揺れる。
ズシン、ズシンと森を揺るがして。
木々を覆う氷も、土に染み込んだ氷も、川に張った氷も。
その一切が、揺れとともに割れ、砕け、欠片となってパラパラと剥がれていく。
凍て尽くされて枯れ切った筈の枝が、まるで葉をつけているかのように揺れ、さらさらと音を奏でる。
木々の隙間を縫って吹く風は、どこからか聞こえる鳴き声も相まって、まるで笛を吹いているかのよう。
「……怒って、おられる」
「……え? なんだって? じいさん」
「
ニャースの声が震えているのは、恐怖によるものだ。
だがそれは、ザクムやバレゾーラに対するものではなく、ましてや死に対する恐怖などではなかった。
老いた彼の経験が、本能が、囁いていた。
「よもや、これは……
この森の王が、
「アル、ファ……って、まさか」
「何か……来る」
少女の、吐息にも等しい呟きと、ほぼ同時。
凍って枯れ果てた樹木が2本、まるで道を開けるかのように、左右へ倒れた。
樹木2本分のスペースが失われた事で、これまでずっと空を覆い隠していた樹冠のカーテンが、大きな穴を形成する。
遥か上空に踊るルナトーンたちの放つ、淡い緑色の光が、その巨大なシルエットを爛々と、そして明確に照らし始めた。
「──ワァァア、イ、バアァアアア……!!」
その姿を、最も見た目の近しいポケモンに例えるならば、恐らくはアーボックが最も適切だろう。
太く長く硬質な尾の先端は、木々の深淵に隠れて見えず、その尾を支点として起こされた胴体は、巨漢の如く筋肉質。
背中から生えた1対の翼は、その巨体に見合わぬほど小ぶりで、とても飛行に適したものではない風に見えた。
そして、頭部。
へびポケモンとこうもりポケモンを混ぜたような胴体とは裏腹に、スピアーのような、フライゴンのような……とにかく、むしタイプとドラゴンタイプの中間めいた、奇妙な顔立ちとしか言い様が無い。
緑色の鱗が、夜の光を浴びてテラテラと鈍く光る。
生暖かい息を吐き出しながら、“ふくがん”で以てこちらを
(21番エリアで戦った……確か、パタパム。ヴォイド団の使ってたあのポケモンが、進化したみたいな……)
「随分とお早い登場だな。だが、好都合だ。ここで貴様を仕留める事こそが、
少年少女の困惑、そして無意識に全身を走る畏怖。
それらすべてを置き去りにして、ザクムは乱入者を“にらみつける”。
対する謎の巨大ポケモンもまた、この場にいる者すべてを見下ろし、小さな翼を広げた。
目的は、ただひとつ。
この森を、自身の縄張りを……
「“森林のヌシ”、『ワムコンダ』よ! その命、“荒廃”のザクムが貰い受ける。地の底の果てにて座する“ヨミの神”へ、貴様の
「イッ──アァームッ!!」
絶対者の咆哮が、森の隅々まで木霊する。
それはまさしく、この森を支配する王──“ヌシポケモン”の威光を、余所者たちへと知らしめるものだった。
マハル図鑑 No.081
【ワムコンダ】
ぶんるい:へびりゅうポケモン
タイプ:むし・ドラゴン
とくせい:かたやぶり/いかく(めんえき)
ビヨンド版
空を 飛んでも イニシアチブを 取れない 事に 気付いて 大地を 這う 事を 選んだ。
ダイブ版
翼が 小さくなった 代わりに どんな 地形も 自由に 這い回れる 巨大な 体を 得た。
《進化》
パタパム
→ ワムコンダ(Lv.42で進化)
《メルヘンパウダー》
ぶんるい:とくしゅ
タイプ:フェアリー
いりょく:60
めいちゅう:90
ようせいの こなを ばらまいて あいてに ダメージを あたえる。ねむり じょうたいに することが ある。*1*2*3
この後【18:00】より2回目の追加投稿を行います。