「時に、ひいさま」
「……何?」
「その御心は、大丈夫で御座いニャスか?」
彼女の表情は見えない。けれどその程度、10年付き従った彼にとっては、主の心情を察する為の障害にはならないのだ。
「ウェボムと遭遇した時に何もできなかった事、気にしておられるんでニャしょう?」
「……」
「フルスリの時も捕獲に失敗したのに、2匹目まで。『パートナーは自分が捕まえて選ぶ』と言っておきながら……なんて、自分の不甲斐なさを責めておられニャス」
空気が深刻になり過ぎないよう、声と抑揚は明るく。
しかし、決して嘲笑している風には聞こえないよう注意する。
今は咎めるべき場面ではなく、元々咎める気も毛頭無い。
どの程度の物言いであれば、彼女を傷つけないか。彼は、それをちゃんと分かっていた。
「それで、最後の3匹目こそは。そう考え、そして焦っているのではニャいですか?」
「……よく分かるね。そんなに分かりやすいかな」
「ひいさまほど分かりやすい人間を、ニャーは他に知りませんニャ」
「……リクよりも?」
「ええ、リクさまよりも」
あのカラッと裏表の無い少年よりも「分かりやすい」と評されれば、観念するしか無いだろう。
足を止めて、肺の中の空気を静かに吐き出す。その背中を、スマホロトムが不安そうに伺っていた。
「ロト……?」
「そう……ね。全部、じいちゃんの言う通りよ」
強張った肩の力を抜き、再度の溜め息を、今度は深く大きく強く。
丁度、この場には自分たちしかいない。リクも博士も、他の人やポケモンも、今は彼女の傍にいない。
「あーんな大言壮語吐いといて、結局自分では何もできてないんだもの。結果を出したくて、焦るのも当然じゃない?」
「まぁ、否定は致しニャせん。ですが、ひいさまは……失礼を承知で言うニャらば、
シルエットが揺れる。
屋根伝いに差し込む光が、少女の影を伸ばし、その僅かな動きを正確に地面へ映し出していた。
「あんな事を言っておきながら、何もできなかった、何もしなかった。ウソつきだ……と、そう呼ばれるのが」
「……ええ、そう。そうよ。わたしは怖いの。自分の言った事が、宣言して、誓った事が。その過程はどうあれ……結果として、嘘になる事が……怖い」
すぅ、と小さく息を吸う。
体中に酸素を巡らせて、無理やりにでも心の揺らぎを抑え込む。
「だって、それは……わたしの父さんと、同じ事だから」
多くの人間は過程を見ない。結果だけを見る。
同時に、人の意図を見ない。行いだけを見る。
父がどんな思いで学説を唱え、その為にどんな事をして、何を為してきたか。
それを、人は見ない。見ようとしない。知ろうとしない。
ただ、「あり得ないから嘘」「見つかる訳が無いから嘘」と。
そう嘲り、責め、石を投げる。それが、彼女の見てきた世界だった。
「父さんはウソつきじゃなかった。“マハルの地”は本当にあって、わたしは今、そこにいる。だから、父さんの娘であるわたしも、わたし自身の宣言を……嘘にはしない。したくない」
震える手を強く握り、再び、喧騒から離れた路地を往く。
ニャースも、スマホロトムも、その後をゆっくり追うべく歩き出した。
「……こんな事、あの人には言えないでしょ? 正直、あの人たちをまだ完全には信用できた訳じゃない。それは、あの人たちがどうこうじゃなくて……わたしの、性根の問題だから」
「確かに、彼らに明かす事は難しいでしょうニャ。……ですが、ニャーは喜ばしいと思っていニャスよ」
予想だにしなかった返答に、目を瞬かせる。
足こそ止まりはしなかったが、彼の言葉の不可思議さに意識が向いた。
「喜ばしい……って、なんで?」
「そりゃあ、もう。ひいさまがご自身の意志で、
彼が見てきた限り、ソラという少女は「自分で決める」という意志が希薄だった。
それは本人が語っていた通り、1度自分で決めた事を、本意不本意に関わらず反故にしてしまう事で、周囲から失望される未来を恐れたからだ。
そんな彼女が、「パートナーを自分で捕まえて選ぶ」と宣言した。そして、その為に動こうとした。
例え失敗しても、「これ以上は失敗したくない」「宣言を嘘にしたくない」と誓い、今こうして、挽回の為に行動している。
「確かに、今のひいさまは焦っておられニャス。けれどもニャーは、それだけでは無いとも思っておりニャス」
「……どういう事?」
「失敗を挽回したい。自分の決意を嘘にしたくない。それは決して、ネガティブなばかりの感情ではありニャせん。ひいさまは今、ポジティブな動機──即ち、
ニャースは、それが嬉しかった。
心に傷を負い、塞ぎ込んでいた主が、ポジティブな決意の下で動き始めている事を。
「彼らと出会ってから、たったの1日。されど、ひいさまにとっては重い1日であった事は、想像に難くありニャせん。……よい出会いで、御座いニャしたね」
「……別に。何も影響なんて、受けてないわ」
語るに落ちるとは、まさにこの事。
それに気付き、ぷい、とそっぽを向いてしまう。
その行為こそが、何よりの回答だった。
「それに、ニャーから見たひいさまは、ただ焦っているだけであるようには思えニャせん。なにか、策があるのではないですかニャ?」
「……策ってほどの事でも無いんだけどね。ただの推測」
ずっとその背中を追っていたニャースが見る限り、ソラは何も、当てずっぽうで歩き回っているようには見えなかった。
同時に、リクたちと距離を置きたいが為だけに、
彼女の行動には、何らかの意図が秘められている。そう思わずにはいられない。
「博士が言ってたでしょ? 3匹目……デシエビは、本来水場に住んでる、水棲のポケモンだって」
「はい。ですが、水棲ポケモンの住めるような水場は町の外にしか無いと……」
「あるでしょ。町の中にも、水のある場所が」
そうして彼女は、少し離れた地点に目当てのモノを発見する。
それへ足早に駆け寄ると、読みが当たった事に薄く笑みを見せる。
たったそれだけの小さな発見でも、今の彼女には十分だった。
「これは……そうか、井戸で御座いニャスか」
「そ。都会から離れた場所にある町って聞いていたから、枯れたまま放置されていたのがまだ残ってるんじゃないかなって思ってたの」
思えば研究所で一夜を明かした時、キッチンなどの水回りには水道が存在していた。
ソラたちと同じく地上から来た者たち──“星見人”の存在を考えれば、確かに発明・導入されていてもおかしくはないだろう。
けれどもこの町は、“
地上世界と比べると、発展が遅いように見えるこの町であれば、使わなくなった井戸がまだ残っている……それどころか、まだ誰かが利用しているのではないか? そう踏んだのだ。
「この町に来たばかり……それも他の町から転送されてきて、研究所で初めて自由の身になったポケモンからしてみれば、井戸が枯れてるかどうかなんて分からないもんね」
「成る程……。しかし、その割りには姿が見えニャせんが……」
「まぁ、枯れてるみたいだからね。でも、近くにいると思うよ。ここが一番、研究所から近い場所にあるみたいだし。そうだよね?」
「ロトケッテー!」
スマホロトムがソラの前まで飛んでいき、画面にタウンマップを表示する。
マハル基準の時刻と同じく、ルスティカ博士に見せてもらったものを撮影した、“マハルの地”──ひいては、この町の地図だ。
「多分、今もこっちを観察していて……その内、自分から出てくると思う」
「どうして、そこまで言い切る事ができるので御座いニャスか?」
「……」
井戸のへりに腰掛け、足を投げ出す。
それから、路地の狭間から見える空を見た。
「似てる、って思ったんだ」
「似ている……とは、ひいさまとデシエビが?」
静かに頷く。
ずっと、考えていた。
研究所で、初めて3匹のポケモンを目の当たりにしてから、彼らが逃げ出すまでの事を。
父は言った。
ポケモンは嘘をつかない。彼らは、彼ら自身の心を正直に主張している、と。
であれば、デシエビの心とは何か。
あの小さなあまえびポケモンは、何を主張していたのか。
「最初は、“おくびょう”な性格なのかなって思ってた。でも、最初にモンスターボールから出てきた時、あの子は周囲を……わたしたちを、興味深そうに見ていた。人見知りから来る警戒じゃなくて、こちらに興味を示しているように見えたの」
「では、あの時逃げ出したのは?」
「それは勿論、ウェボムとフルスリが暴れ出したから。でも、“おくびょう”なだけなら、あの場でもっと縮こまって動けなくなってたと思う。逃げ出して、今も行方知れずなんて、あの子自身にとってもリスキーな真似、そうそうしないと思うわ」
少し考えてから、背中側へ垂らしていたヒバニー風のフードを被り込む。
これで多少はポケモンっぽく見えるだろうか。そんな事を考えながら。
「だから……多分、あの子は“ものおとにびんかん”なんだと思う。他の2匹が、新しい環境への興奮からはしゃぎ回って、それで怖くなったのかなって。だから、こういう
「デシエビも落ち着けるかもしれニャい。それが井戸……水場の近くであるならば尚更、という訳でニャスか。しかし、自分から出てくるというのは……?」
「……さっき、似てるって言ったでしょ? わたしと、あの子が」
目を細める。
フードを被り、陰りの差した顔の向こうから、何かを見定めるように瞳孔だけを動かして。
最初に研究所で出会った時、デシエビはこちらに興味を示していた。警戒でも、恐怖でもなく。
それはつまり、少なくとも他の2匹が騒ぎ出すまでは、こちらに対して関心を抱いていた事を意味する。
それが、“むじゃき”で“あばれるのがすき”なフルスリと、“のうてんき”で“イタズラがすき”なウェボムの大はしゃぎによって逃げ出した。
“ものおとにびんかん”で……何より、アグレッシブな2匹とは波長が合わなかったから。
でも、本当は。
「……本当は、1人でいるのが嫌なんだ」
分かっていた。本当は、気付いていた。
いくら周囲の悪意に晒され、心を閉ざしていたからって、それは孤独が好きである事とイコールではない。
ニャースやスマホロトムは傍にいたけど、そういう問題ではない。
だから、分かるのだ。
「周囲との波長が合い辛い。それをつい拒絶してしまいがちで、だから孤独になりやすい。けれど、本当は他人に関心を持っていて、関わりたいと思ってる。でも、怖い。また波長が合わなくなって、拒絶するか、拒絶されてしまうのが」
腰を下ろしていた井戸から、弾かれるようにして立ち上がり、そのまま歩き出す。
1歩、1歩、また1歩。
追い詰めてしまわないよう、ゆっくりと、棘々とした雰囲気は出さないように。
「でも、やっぱり本当は近付きたい。仲良くしたい。フルスリの時も、ウェボムの時も、本当はこっそり見てたんだよね? じゃなかったら、ここまで露骨に気配を出したりしないでしょ? わたしたちが来たから、気付いてもらえるような素振りをした」
そして、立ち止まる。
「そうだよね? “ものおとにびんかん”で……“さみしがり”な性格の、あなた」
「……び。びび……」
ニコリ、と微笑みを投げかける先。
恐る恐るといった風に、路地裏からこっそり顔を出してきた、デシエビの姿がそこにはあった。
「ニャッ!? そ、そんなところに……!?」
「びびっ!?」
思わず上げられた叫び声に、びくり、と身を跳ね上がらせるあまえびポケモン。
ソラは、ぶるぶると震えるその様に「落ち着いて」と優しく声をかけた後、後ろのニャースに「少し静かにね」と、唇に人差し指を添えて呟いた。
それを受けて頷きを返し、そっと1歩を下がる。
スマホロトムも同様に、なるべく駆動音を鳴らさないよう注力しながら陰へ退いていった。
「びび、び……。びっ……」
「……ね。そんなに怖がらないで」
萎縮してしまわないように、優しい声で。
恐怖してしまわないように、穏やかな言葉で。
「……今日1日ね、ずっと考えてたの。もしも、あの3匹の中から1匹を
薄っすらと、そんな確信があった。
他2匹の性格や個性の問題ではなく、一目見た時から、そう思っていた。
だって、そうだろう。
分かっていたんだ、最初から。
「“さみしがり”屋なあなたなら、わたしの気持ちを分かってくれるかもしれない」
その語りかけるような穏やかさに、あれだけ震えていたデシエビが、徐々に落ち着きを取り戻していく。
パチパチと目を瞬かせ、相手がしゃがみ込んでもなお自分よりも大きな、目の前の少女を見る。
「ねぇ。あなたは、バトルは好き?」
「びぃー……」
「分かんないか。なら、冒険の旅はどうかな」
「びび……びぃ」
「興味はある……って感じかな。じゃあ、強くなりたいと思う?」
「び!」
「これはイエス、と」
1つ1つ質問をして、少しずつ掘り下げていく。
他人と競う事、争う事はそれほど得意じゃない。
けれど、新しい景色を見る事、1歩を踏み出す事には興味がある。
そして──今の自分を、よりよい自分に変えていきたいと願っている。
(やっぱりこの子は……わたしと同じだ)
人と人は、共感で繋がる事ができる。
それがどうして、人とポケモンの間でも成立しないと言えるだろうか?
デシエビの側もまた、こちらを伺うような目つきから、話し相手を見つけたかのような雰囲気へと移ろっていた。
ソラの表情や態度から、何かを感じ取ったのだろうか。少なくとも、こちらを敵や脅威と見做してはいないようだった。
「じゃあ、さ。デシエビ」
「び?」
「もしよかったら、わたしと──」
そうして、決め手となり得る一言を──
「グルルルルゥ……! ガァウッ!!」
一筋の炎が、宙を焼いて飛翔した。
この後【21:00】より3回目の追加投稿を行います。