ソラがなんとか受付を終えてから、暫し経ち。
合間を縫って屋台の料理で腹拵えをしたり、手持ちのポケモンたちのコンディションを確認したりなどをしている内に、開始の時刻が近付いてきた。
そうして、祭りの喧騒はそのままに時が過ぎ……午後8時頃。
「この地を創り給うた“リュウジンさま”、この地に生きるすべての人、この地でともに生きるすべてのポケモンに感謝を示し、その想いを“縫いの霊峰”へ捧げるべく、そして新たな巡礼者たちの旅立ちを祝うべく、船出のポケモン勝負を執り行う!」
審判の号令に、集まった観衆たちの中から、ワッ!という喜びの声が上がる。
やはり、どこの世界でもポケモン勝負はひとつの娯楽であり、ひとつの見世物なのだろう。
……しかし、それはそれとして。
ひとつ、予想だにしなかった大きな問題が発生してしまっていた。
(ひ、ひひひひ、人がいっぱい、こっちを見てる……っ! みんな、わたしを見てる……っ!?)
思えば、当然の帰結であった。
……博士やリク、魔女、受付の男性と、これまでに他人と関わったのは、相手が少人数の時ばかり。
こんなにも多くのギャラリーから、その視線と注目を一心に浴びるのは、彼女にとっては
祭りの目玉としてポケモン勝負を行うとは、どういう事なのか。
それが何を意味するのかを、ソラはここに来てようやく理解した。
「ソラ、なんだか様子がおかしいぞ。緊張……いや、まるで怯えてるみたいだ」
「嗚呼……無理もありニャせん。ひいさまは多くの人々から見られる事に嫌な思い出がありニャス故。仕合に参加されると仰られた時は、リクさまたちとの交流で勇気づけられたと、克服を志されたと思っていたで御座いニャスが……」
「
リクとニャースもまた、観衆に守り、彼女の身に起きた異変を心配そうに見守っていた。
だが、彼らの不安、彼女の狼狽を他所に、司会は進む。
「かたや、ソラ。“かすがいのはね”を持ち、真なる信心によって巡礼に挑む者」
その口上によって、周囲からの注目がグッと濃くなった。
「──ッ!」
吐きかけていた息が、歪な音とともに吸い込まれる。
薄ら寒くなった背筋は体の感覚を鈍らせ、代わりに聴覚だけを敏感に尖らせた。
「あの子が持ってる証、“かすがいのはね”だって」
「はー……本物の羽根に選ばれた巡礼者なんて、何十年ぶりだろうねぇ」
「よっぽど“リュウジンさま”を敬愛してるんだろうなぁ、あの子。ちっちゃいのに勤勉でいい事だ」
「どんな勝負をするんだろうね。羽根に選ばれるくらいだから、やっぱり強いのかな」
軽薄な好奇心。無意味な憶測。無責任な期待。
耳に届くいくつもの言葉たちは、少女の肩にズシンと重たいものを置き連ねた。
地上にいた時とは、違う。
ソラと父を“ウソつき一家”呼ばわりする世間。父の残したモノを掠め取ろうとする大人たち。嗜虐と嘲笑の目を向ける周囲。
彼らのような、地上にいた時のような“悪意”ではない。
しかし、ギャラリーが口々に語る「好奇心」に「憶測」に「期待」は、それ相応の重圧をちっぽけな少女に課していた。
(もし、負けたら……あの人たちは、どんな目をわたしに向けるの?)
期待されているが故の──それが損なわれた時の、失望。
シチュエーションこそ違うものの、「それまでの評価を一転し、手のひらを返す
肌が寒気に包まれ、モンスターボールを掴もうとする手すら震える。
そんな彼女の怯えを知らず、司会は進行する。
ソラの立つバトルコートの端、その反対側に、あのターバン姿の少年が立ったのだ。
「かたや……ええと、そういえば名前を聞いてなかったね」
「
「うん?」
「名前はナシでいい。詮索は無用だ」
「そ、そうか? まぁ、事情があるならいいか。昔の巡礼には、訳ありの人間も参加したそうだからな」
低く、重たい少年の声に戸惑いつつも、受付もとい司会の男性は咳払いをひとつ。
「かたや、
その言葉に、更なるざわめきが起きた。
「本物の羽根を持つ巡礼者が、2人も……!?」
「こりゃあ、今回の巡礼は面白い事になりそうだねぇ」
「どんな戦いをするんだ……!? 今からワクワクして仕方ないぜ!」
本物の“かすがいのはね”を持つ、2人の少年少女。
そのネームバリューに引き寄せられて、より多くの注目、より多くの期待が、更に追加されていく。
ソラは、まるで自分の体が無数の鎖と、そこから繋がれた大量の重りに縛られているような錯覚を抱いた。
「……っ」
「震えているな」
バトルコートを挟んで、名無しの少年が口を開く。
呟くような、しかし確かに耳へ届く、重たい声だ。
「だが、震えながら勝てるほど、ポケモンは甘くない。今回は、肩慣らしにもならなそうだな」
「……っ、わ、わた、し、は……っ!」
喉に言葉が詰まる。
続く言葉が絞り出せない。
強張った手は、腰に下げたモンスターボールを掴む事すらできず。
グルグルと回る視界の中で、このまま逃げ出せてしまえばどんなに楽かと──
「──頑張れーっ! ソラーっ!」
「ひいさま! どうか頑張ってくださいニャしーっ!」
ざわめきを塗り潰すような2つの大声が、少女の淀み切っていた意識を吹き飛ばす。
弾かれるようにして顔をそちらに向ければ、観衆の中から体を乗り出して、リクとニャースが一心不乱に叫んでいた。
「まずは目の前の勝負を楽しめ! 勝つも負けるもそれからだ! あんたのポケモンを信じろ!」
「負けてもいいですニャ! ひいさまが目一杯に楽しまれたのであれば、それが一番で御座いニャス!」
周りの目を集めている事なぞ気にも留めず、ひたすらにエールを送ってくる1人と1匹。
勝ち負けは気にせず、勝負を楽しめと、手持ちのポケモンたちを信じろと。
“からみつく”無責任な期待に雁字搦めにされつつあった少女の重圧を、吹き飛ばすように叫んでいる。
見れば、彼らの近くには宿屋の魔女もいた。
彼女はメザマメのミツで満たしたカップを見せながら、あの楽しげな笑みをこちらへ向けている。
「……」
バックバックと打ち鳴らされていた鼓動が、徐々に静まっていく。
そうして少女は、小さく息を吸い、小さく息を吐いて……。
「──ッ!」
自分の両頬を、ゼンリョクで引っ叩く。
かつてフルスリの捕獲に失敗した時のように、パァン!という乾いた音を鳴らし、己を強引に“きつけ”する。
ヒリヒリ痛む頬が、靄だらけの意識を無理やり鮮明に変えていく。
モンスターボールを1つ取り出し、改めて、目の前の少年に向き直った。
気付けば、ギャラリーの声が聞こえなくなっていた。
それが少女の奇行によって静まり返ったが故なのか、自らの意識から彼らの声が除外されたが故なのかは、今はどうでもいい。
「……ごめんなさい。不甲斐ないところを見せたけど、もう大丈夫です」
「みたいだな。……羨ましい事だ」
「え?」
「独り言だ、気にするな」
鼻を鳴らし、自身もまたモンスターボールをホルダーから取り外す。
だが、その形状にソラは不可解さを覚えた。
(あれは……モンスターボールなの? 随分と古いデザインだけど、植物……いや、
一般に用いられているそれとは違い、きのみを彫って作られた古風な材質とデザイン。
それはまるで、昔読んだ歴史の教科書に載っていた、ヒスイ地方──遥か昔のシンオウ地方で使われていた、
それをしかと手の内に握り、少年は口を開く。
「おれが出すポケモンは2匹だ。もう1匹いるが、そちらは故あって出せない。だが、手を抜いている訳じゃない」
「……わたしの手持ちポケモンは、3匹です。そちらよりも1匹多いけれど……」
「問題無い」
旧式のボールを軽く上に投げ、落ちてきたそれをキャッチする。
直後、少年の真っ赤な眼差しが、獣のような獰猛さを帯びていた。
「おれが勝つ」
「──言うね!」
ソラもまたボールを握り、投擲の構えを取る。
克服ではなく、周囲からの注目を無理やり意識しなくなっただけ。
それでも……いや、だからこそ、今だけは目の前の勝負に集中できる。
2人の間で話が纏まった事を確認して、司会の男性は頷きをひとつ。
思い切り振り上げた腕を旗に見立て、それが振り下ろされた──その瞬間。
「──いざ、仕合開始!」
この後【18:00】より2回目の追加投稿を行います。