ポケットモンスター ビヨンド・ダイブ   作:小村・衣須

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Report1「地底の楽園 マハル」
Lv.1「ソラという少女」


【カロス地方 ヒヨクシティ】

~海辺と 高台が 連なる 街~

 

 

『──未だ誰も知らない地底の果て、“マハルの地”を目指す旅へ、レッツゴー!』

 

 

 何度も何度も何度も再生した動画は、いつだって一言一句変わらない言葉で締め括られる。

 随分と古臭くなったソファに寝そべって、眼前を浮遊するスマホロトムの画面をぼんやりと見た。

 

 再生の終わった動画だけが、そこには映されている。

 気怠さを堪えながら、画面に向かって指を伸ばし──

 

 

 

「あーっ! まーたあの動画を見てるんで御座いニャスか!」

 

 

 

 しわがれた、しかし力強い声が、ソファを飛び越えて背中に突き刺さる。

 突然のそれに指先は震え、リピート再生をしようとした軌道は見事に空振った。

 

 突き指をしてしまわないよう、空振る指先を回避してのけたスマホロトムに、はぁと溜め息をひとつ。

 そうしている間にも、開かれっぱなしの扉の向こうから彼がやってくる。

 

 

「まったくもう、ひいさまはちょーっと目を離すとすぐにスマホばかり! ひいさまの自堕落っぷりにはニャーもほとほと困っておりニャスよ」

 

 

 手には雑巾の入ったバケツ、もう片方の手には人間用のハタキ。

 それらを器用に手に取って現れたのは、1匹のばけねこポケモン──つまりはニャースだ。

 

 普通のニャースと比べると年老いた風貌の彼は、明らかに人間の言葉を話している。

 だが、この屋敷の主にとって、そんな事は赤ん坊の頃から知っている常識である。

 

 

「たまには外に出て、軽く運動してみた方がいいのではないニャスか? ここはヒルトップエリアの、更に奥の方。庭を散歩したところで、寄り付く人間なんてそうそう……」

「……うるさいなぁ」

 

 いつもの口うるさい小言が始まり、如何にもうざったいと言いたげな声が漏れる。

 そうして彼女は、のっそりとソファから起き上がり、背もたれ越しに彼を見やった。

 

 

「わたしの屋敷で、わたしが何をしてようがわたしの勝手でしょ? ネット授業も済ませて課題だって提出したんだから、怠けてるみたいに言われるのは不愉快」

「ソ、ラ、さ、まァ~~~~~?」

 

 

 どうやら怒らせてしまったらしい。

 小言がお説教にメガシンカしたのを察して、彼女──ソラは2回目の溜め息を吐き出した。

 

「いいでニャスか? ニャーはひいさまのおとうさまより、ひいさまの身の回りを世話するよう直々に任じられているので御座いニャス。であるからして、ニャーにはひいさまの心と体が健全であり続けるように務める責任が──」

「で、その父さんはどこにいるのさ」

 

 ピタリと、ニャースの動きが止まる。

 禁句であるのは分かっているが、口から出てしまったものはしょうがない。日頃の“うっぷんばらし”とばかりにソラは舌を滑らせ始める。

 

 

「わたしが赤ちゃんの頃から研究ばっか、母さんには愛想つかされ新しいオトコと出ていかれ、幼いわたしをほっぽり出して探検に出かけたかと思えば、遂に帰ってこなかった。残ったのはこの家と、ニャース(じいちゃん)と、お金だけ。ああ、『ウソつき博士』の悪名もあったわね」

「いや、それは……」

「じいちゃんが、面倒なオトナたちからわたしを守ってくれてるのは感謝してる。でも、それでもクラスメイトから『ウソつき一家』って指をさされるのは耐えらんないの。わたしの心の事を思うなら、少しでも人と関わる可能性のある事を言わないで」

 

 

 言い過ぎてしまっただろうか。

 それなりの良心がチクリと胸を刺すが、溜め込んでいた感情である事は確かだ。そう自分に言い聞かせる。

 

「……ちょっと寝る。夕飯までには起きるから、お風呂沸かしといて」

「……分かりニャした。ニャーも言い過ぎたところがありニャス。夕餉はひいさまの好きな蕎麦のガレットに致しニャそう。お風呂も、入浴剤を用意しておきニャスよ」

 

 ぽってぽってと、どこか寂しそうに廊下へ去っていくニャースを見送って、ソラの体は再びソファへと投げ出される。

 スマホロトムが、不安そうに顔の周りを飛び回り、それを鬱陶しげに手で払ってやめさせる。

 

 視線の先、窓の外から吹く風に揺れるシルクのカーテンを見て、目が細まった。

 

 

 ……思えば、3年はこの屋敷に引き籠もっているように思う。

 勉強はニャースの紹介で入った通信制の学校を通して、リモートで行っている。成績も、さして問題は無い。

 

 だから、自分でも分かっている。

 あと、足りていないのは──

 

 

「……家族なんて」

 

 

 

 

 

 

 ソラの父、クレオメ博士が失踪したのは、今から10年前。彼女が4歳の時だ。

 地質学──ポケモンと地域の関わりを専門に研究していた彼は、フィールドワークを繰り返す中で「マハル理論」という学説を立ち上げた。

 

 この世界の地下深くには、誰も知らないポケモンたちの楽園があり、今現在「秘境」と呼ばれている場所に住むポケモンたちのルーツではないか?

 ざっくりとした説明にはなるが、概ねそのような学説である。

 

 ポケモン博士と呼ばれる一部の者たち(彼の師であるオーキド博士などだ)はその学説に興味を示したが、それ以外の学会員から返ってくる反応は……まぁ、ご想像の通りだ。

 

 それでもクレオメ博士は「マハル理論」の研究を続け、各地を飛び回った。

 一般に「遺跡」や「秘境」と呼ばれるような場所へ、近しい研究員たちを連れて調査に向かい……。

 

 

 

 やがて彼は、調査チームごとその消息を絶った。

 

 

 

 原因は不明。それどころか、どこへ向かったのかすら分かっていない。

 何があったのか。生きているのか、死んでいるのか。すべてが謎に包まれている。

 

 けれど、確かな事があるとすれば。

 当時4歳になる娘のソラは、母もおらず、1人ぼっちになってしまった事。

 

 

 そして……さがない者たちの囁く「ペテン師の嘘がバレて逃げ出したのだ」という、心ない風評だけだった。

 

 

 

 

 

 

「……ん……」

 

 不意に窓から飛び込んできた冷たい風に、微睡んでいたソラの眉が小さく震える。

 どれだけ眠っていたのだろうか。むくりと目覚めてみれば、そこは変わらず古臭いソファの上。

 

 

「……ヤな事、思い出した」

 

 

 少しばかりウトウトしている内に、在りし日の最悪な光景を思い出してしまった。

 

 資産家の家系だったクレオメの失踪によって、彼の遺産をちょろまかそうと近付いてくる名も知らない大人たち。

 無責任な事ばかりを吹いて回るニュースにSNS。

 そして、娘であるソラに対しても悪意をぶつけてくるどこかの誰かたち。

 

 元いた家を売り払い、資産の1つであるヒヨクシティ郊外の別荘に逃げ込んだのが5年前。

 学校との折り合いが悪くなり、不登校になったのが3年前。

 

 今ソラの手元に残っているのは、父が残した莫大な資産と、古くからこの家に仕えているという、人間の言葉を話す不思議なニャース。

 あとは、父が動画を撮る為に取り寄せたっきり使わず仕舞いになっていたスマホロトムくらい。

 

 

「……やめよ」

 

 

 そこまで考えて、ゆるゆると首を振る。

 過去の事など、いくら思い返したところで不愉快なだけだ。

 

 のっそり起き上がって周囲を見回すと、そのスマホロトムはテーブルの上でムニャムニャと眠りこけている様子。

 屋敷の中は随分と静かで、ニャースの鼻歌も聞こえてこない。昼寝中のソラを気遣っているのだろう。

 

 

「……つめた」

 

 

 肌を触れた風の冷たさに目を細め、窓を見る。

 透き通った空色の瞳は、向こうに見える空と海の青さを写し取ったかのようだ。

 

 ここヒヨクシティは、丘陵と湾岸が渾然一体となった自然の街だ。

 丘陵のヒルトップエリアにいても、湾岸のシーサイドエリアから吹いてくる海風が届く事がある。

 

 (いわん)や、こんなにも天気のいい日であれば、尚更だろう。

 そこまで考えて、ふと気付く。

 

 

「……天気なんて気にしたの、いつぶりだっけ」

 

 

 だから、これは気まぐれ。何か理由がある訳じゃない。

 そんな言い訳を心の内で済ませ、ソラはソファを離れ、窓辺まで移動した。

 

 カーテンをかき分けて窓のふちに肘を置けば、近くに森や野原、遠くに港が見える、なんとも雅な自然の光景が広がっていた。

 

 ここは街外れに建てられた小さな別荘であるからして、ニャースの言う通り、近くを通る人なんて誰もいない。

 ラベンダー色のかきあげロブを、風がさらさらと撫でる。

 

 そんな静かで穏やかな景色を見ている内に、右手は自然と上着(お気に入りのヒバニーパーカーだ)のポケットへ伸び、そこに隠されたものを取り出した。

 

 

 それは、1枚の羽根だった。

 

 

 何かのとりポケモンが落としたものだろうか。根の辺りは白く、全体的に緑色ながら、ほんのりと淡いオレンジ色が僅かに混じっている。

 どんなポケモンのものかは分からないが、さぞかし鮮やかな翼を彩っていたのだろうと容易に想像できるものだ。

 

 

「結局なんなんだろ、これ」

 

 

 それは幼い頃のソラに対して、クレオメが贈った唯一のプレゼントだった。

 

 これをどこで手に入れたのか、彼はついぞ語らなかった。

 それでも、「ソラの髪に似合うと思って」と贈られたそれを、彼女は今も大事に持っている。

 

 人の目が彼女に対して厳しくなり、面白がった悪意がぶつけられるようになったあの頃。

 クレオメ博士のやる事なす事すべてを嘘と断じる人々は、その羽根すら「その辺のとりポケモンから毟ったもの」などと嘯いたものだが……。

 

 

「……なんで」

 

 

 小さな呟きが、潮風にさらわれる。

 

 

 

「なんで、捨てられないんだろ……」

 

 

 

 家を売り、故郷を離れ、別荘に逃げ込むまでに、色んなものを捨ててきた。

 にも拘らず、ペテン師扱いされている父からもらったこの羽根だけは、どうしても捨てる事ができなかった。

 

 いや、理由なんて分かり切っている。

 そうでなければ、あの動画──父が新人トレーナー向けに撮影したビデオだって、とうの昔に消している。暇さえあれば見て、台詞の一言一句を覚えるなんて事、する訳が無いのだ。

 

 だってこの羽根は、父親からもらった、たったひとつの──

 

 

「──あっ!?」

 

 

 ひゅるり、と強めの風が吹く。

 “しめりけ”のひとつも無い爽やかな風は、しかしソラの指先から羽根を奪い取っていった。

 

「だ、めっ……待っ──きゃあ!?」

 

 手から離れていったそれを取り戻そうと、咄嗟に腕を伸ばす。

 それでも指すら届かず、更に腕を伸ばすべく窓から身を乗り出して──ものの見事に、ふちから転げ落ちてしまう。

 

 幸いにも、彼女のいた場所は1階。窓から落ちたところで、外はふっかふかの芝である。

 多少の痛みはあれど、すってんころりんと転げた彼女に怪我を負った様子は無かった。

 

 

「あ痛た……って、ここ、外に……っ!?」

 

 

 意図しない形とはいえ、家の外に出てしまった。

 その意味に気付くと同時に、目の前の草むらがガサリと揺れる。

 

「ひ、ぅ……」

 

 誰が来る? 誰が来る? 何が来る?

 幼い自分を苛んだ“こわい人たち”への恐怖が喉に詰まりそうになって、その場から動けず……

 

 

 

「ぴちゅ?」

 

 

 

 ……ひょっこりと顔を出したこねずみポケモン、ピチューの姿に目を丸くした。

 

 

「ぁ……ポケ、モン……?」

「ちゅー!」

 

 

 元気いっぱいに返事をするその額には、鮮やかな緑の羽根が慎ましげに乗っかっていた。

 風が吹いた先で、ピタリとくっついてしまったのだろう。

 

 突然野生のポケモンと遭遇した事への驚き、人かと思ったらポケモンだった事への安堵、手から離れていった羽根があっさり戻ってきた事への歓喜。

 それらすべてが綯い交ぜになった後、跳ね上がった肩が緩やかに降りて、深く深く、脱力の溜め息をついた。

 

 トレーナーがいる様子は無い、野生のポケモン。

 にも拘らず、ピチューはいきなり目の前に現れたソラを怖がる事なく、むしろ興味津々といった風に近付いてきてすらいる。

 

 

「ちゅー……? ぴちゅ!」

「え、なに……? なんで近付いて……」

 

 

 敵意があるようには見えない。怯えている訳でも、こちらを怖がらせようとしている訳でもない。

 ただ純粋に、ソラの事が気になっている。幼いポケモン特有の、人懐っこい好奇心。

 

 その姿を見て、思い出した事がある。

 

 

 

『──ポケモンは、嘘をつかない。彼らはとても正直で、善意も悪意も、正しく表現する事ができるんだ』

 

 

 

 いくつかあった動画データの内の1つで、父、クレオメ博士が口にしていた言葉だ。

 

 相手を騙したり、悪戯する能力を持つポケモンでも、そこには必ず感情があり、彼らはその感情をハッキリと表に出している。

 それを正確に読み取るだけの力が人間の側に無いだけで、彼らは自分の気持ちを隠さない。

 

 それが、今どこにいるかも分からない父の持論だった。

 どうしてその事を、今思い出したのかは分からない。でも……

 

 

「……ね。頭、触ってもいい?」

「ぴちゃー!」

 

 

 嬉しそうに頭を突き出してくるピチューへ、恐る恐る手を伸ばす。

 そのまま、その頭に乗っかった羽根を拾い上げ、手を引っ込めようとして……。

 

「ちゅ?」

 

 ……未だ頭を突き出したままの様子に呆れながらも、仕方なしに頭を撫でてやる。

 

 ピチューの頭は毛がふわふわとして心地よく、時折顔を見せる“せいでんき”が刺激的で面白い。

 こちらが撫でれば撫でるほど、気持ちよさそうな表情を見せるポケモンの姿に、ささくれた気持ちが心なしか癒やされていく。

 

 そういえば、ニャースとスマホロトム以外のポケモンと最後に関わったのは、何年前だっただろうか?

 

 

「ふふ」

 

 

 人間と違って、ポケモンは純粋だ。

 ニコニコ嬉しそうなピチューの顔を見て、ソラは微かな声を漏らし……

 

 

(……あれ? わたし、今、笑っ──)

「ひいさまぁ~~~!」

 

 

 穏やかな静寂を引き裂く、しわがれたニャースの声。

 意識の外から飛んできたそれにビクリと身を震わせると、同じく驚いたらしいピチューもまた、不安そうな顔つきでソラから少し距離を取る。

 

 その姿に名残惜しげな感情を抱いた矢先、慌てた様子のニャースが駆け寄ってきた。

 

 

「何やらひいさまの悲鳴が聞こえてきニャしたが、ご無事ですかニャ!? お怪我は!?」

「ケテッ、ケテー!」

 

 

 見れば、傍にはスマホロトムの姿もあった。

 ソラが窓から転げ落ちたものだから、彼(?)も飛び起きてきたのだろう。

 

「あ……ごめん。うん、わたしは大丈夫。窓から落ちて、ちょっと痛かったけど……それだけ」

「それだけなわけニャいでしょう! キズぐすりをお持ちしニャしたので、早く手当てを……」

「大袈裟だってば。それに、羽根はちゃんと取り戻したし──?」

 

 ニャースへ見せるように、羽根を持った手を前に出して……気付く。

 

 

 

「え」

 

 

 

 無い。

 つい先ほど、ピチューの額から取り返した筈の羽根が、そこには影も形も無いではないか。

 

 さぁ、と青ざめるソラの顔。

 訝しむニャースたちを他所に、彼女は必死に周囲を見回して──

 

 ()()を、見つけた。

 

 

 

「マハ」

 

 

 

 彼女たちから少し離れた場所、屋敷の軒下に立つ、ポケモンらしき影。

 

 ピチューよりもやや大きく、黄色が基調の体色に、両頬の電気袋。

 一見するとピカチュウとも思える()()は、しかし体毛に混ざるタトゥーめいた紫の文様と、遠目からは帽子のようにも見える広がった頭部が、その推測を否定する。

 

 フリフリと忙しなく揺れる尻尾は細く、それでいて先端がぷっくり膨らんでいる。さながら時計の長針だ。

 

 

「なに、あれ……? ポケモン? ピカチュウに似てるけど……」

「ハット?」

 

 

 その見た事も無いポケモンの正体を探ろうとして、目を凝らした瞬間。

 彼女は、謎のポケモンが緑色の羽根を手に持ち、手持ち無沙汰に弄んでいるのを認識した。

 

「! あれ、わたしの羽根だ! いつの間にわたしから盗ったの!?」

「マハ!?」

 

 ソラの荒げた声に気付き、謎のポケモンはビクリと跳ね上がる。

 ただでさえ尖った風の尻尾が更に伸び尖り、謎のポケモンは手に羽根を持ったまま、四足歩行へと移行しながらに踵を返す。

 

 

「マハット~!」

「あっ……! 待って、返して! それはわたしの!」

「お、お待ちをひいさま! そんなに走っては危ないニャス!」

「ケテテー!?」

 

 

 いやにすばしっこく逃げていく謎のポケモンを、反射的に追いかけるソラ。そして、その後を慌てて追いかけるニャースにスマホロトム。

 今の彼女の脳内は、羽根を取り戻す事しかない。外に出たくなかった理由、外を怖がっていた理由なんて、綺麗さっぱり“ふきとばし”を受けたよう。

 

 

「ぴちゅ……?」

 

 

 すっかり置いてけぼりを食らい、パチクリと目を瞬かせたままのピチューが、背中の向こうに遠ざかっていく。

 やがて、主を失った屋敷は、開いたままの窓から冷たげな潮風を取り入れるだけの伽藍洞(がらんどう)となった。

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