審判の叫びにも似た宣言が、静寂の中でよく響き、誰の耳にも届いた後。
数秒遅れて、歓声が轟いた。
「よっしゃー! いいぞ、少年―!」
「めっちゃ熱かった! 手に汗握っちまったよ!」
「こんな仕合を捧げる事ができたんだ。天高いお山の“リュウジンさま”も、さぞかしお喜びだろうねぇ」
田舎町のそれとは思えない喝采が、夜の空を震わせ、興奮を冷まさせない。
そんな中にあって、自らの敗北を認識したソラは、ぺたり、とその場に腰を落としてしまう。
彼女の揺れる瞳孔は、倒れ伏して動かない、己の相棒だけを見ていた。
「……負けちゃった」
少女の呟きを聞き取れた者は、果たしてどれだけいただろうか。
楽に勝てるなんて、ハナから思っちゃいない。
逆転勝利だなんて、都合の良い結末を夢見ていた訳でもない。
それでも、届く気がしたのだ。
最後の一撃が、相手に届くと、そう思ってしまったのだ。
「……ごめん、びぃタロ。本当にありがとう」
握ったボールを突き出し、中にびぃタロを収納する。
パチンと音を立てて閉じたボールの感触は、今日で3度目。
そのすべてが、“ひんし”になった手持ちのポケモンたちを戻す時のものだった。
「……」
ボールをホルダーに戻したところで、全身の力がどっと抜ける。
項垂れるままに、視線は下へ。少年の事も、周りの観衆たちの事も、今は認識する気力すら沸かない。
(あれだけ大言壮語を吐いておいて……結局、何も届かなかった。こんなにたくさんの目がある前で、盛大に負けちゃった)
彼の言う通りだ。
半端な気持ち、甘ったれた気分で勝てるほど、ポケモン勝負は軽いものじゃない。
ましてや、ポケモンバトルどころか、ポケモントレーナー自体を始めたばかりの自分が、自分よりも前からポケモンを育てていた相手に勝てるなんて、そんなご都合主義がある筈も無い。
これは負けるべくして負けた戦いだった。
けれど、だけれども。
「……悔しいな」
無意識か、本能か。
ソラは、自身の敗北に対する「無念」の情を、自然と言葉にして出力していた。
しかし、そんな呟きも、歓声に紛れて掻き消える。
そして自分が何を呟いたのかさえ自覚しない内に、地面ばかりを見ていた己の視界に、誰かの足が映り込んでいる事に気付く。
「ソラ!」
「……リク。じいちゃんも」
顔を上げれば、そこにいたのはリクとニャースだ。
勝負に決着がついて、ソラが座り込み項垂れたところで、いても立ってもいられず駆け寄ってきたのだ。
見れば、リクは笑顔でこちらに手を差し伸べてきており、ニャースに至っては、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだ。
「ひ、びい゛ざま゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! よくぞ、よくぞ最後まで戦い抜かれニャした……! とてもご立派で、ご成長なされて、ニャーは、ニャーは感激で御座いニャスる……っ!!」
「お疲れさん、ガチでいいバトルだったぜ。見ててハラハラドキドキしたし、心の底からエキサイトしたよ」
「……そんな事、無いよ」
力なく、首を横に振る。
「あんだけ散々カッコつけた事言っておいて……結局、負けちゃったし。リクたちにつけてもらった特訓も、活かせなくて……」
「なーに言ってんだ! ほら、周り見てみろよ!」
腰を落とし、視線を合わせてきた彼の言葉に、ゆっくりと顔と首を動かし、恐る恐る周囲を見やる。
そこにあった光景を見て、少女は「……え?」と声を零した。
「女の子の方もよくやったよ! ナイスファイト!」
「最後の最後まで、よく諦めず食い下がった! その根性があれば大丈夫!」
「カッコよかったよー! その調子で、巡礼も頑張んなー!」
「“リュウジンさま”によろしくねー!」
人々は、ソラに称賛を送っていた。
負けた筈の、敗者の側である筈の自分へと、よくやった、よく戦ったと、称賛の言葉を浴びせかけている。
誰も、彼女を罵倒なぞしていない。失望なぞしていない。
少女の脳内にあった恐れ──自分へ落胆を向ける冷ややかな目など、ただの1人も持ってはいなかった。
「な、んで……」
「そりゃあんた、あんたとあいつがあんなに燃える勝負を繰り広げたんだ。どっちもリスペクトして当然だろ」
「ですニャ。勝者と敗者、いずれもゼンリョクを振り絞り、出し切った戦いでニャした。であれば、敗者を貶すような者なぞ、勝負を見ていなかった
腕を組んで頷くニャースの横で、リクもまた、ニカッと笑う。
なんせ、久々に現れた巡礼希望者たちによる、正式な船出仕合だ。
それだけでも喜ばしいというのに、その上、これだけ熱く、激しいバトルを目の前で繰り広げられようものならば。
どうして、それを成し遂げた両者を褒める事こそすれ、貶す事があり得るだろうか。
「あんたのバトルが、おいらたちを魅了したんだ。誇れよ、トレーナー冥利に尽きるだろ?」
その言葉に、ポカンと口を開く。
やがて、じわりじわりと、目から涙が滲み、溢れ、溢れ出していく。
それにギョッとするリクを他所に、ソラは溢れた涙を拭う事なく、差し出されたままの手を掴む。
そうして、泣きながらに口角を歪め、下手くそな、しかし心の底からの笑みを浮かべた。
「……うんっ!!」
そんな彼らの悲喜交交を、遠目に眺めながら。
「……よく戦ってくれた。戻れ」
名無しの少年は、淡々とフカシオをボールに戻していた。
旧式ながらも、ソラのそれと同様、パチンと音を立てて閉じるボール。
手に握ったそれをホルダーに嵌め込み、ふい、と踵を返してその場を立ち去ろうとする。
「あ、君。どこへ……」
「仕合は終わった。景品なども無いのだろう? なら、おれは先を急ぐ」
「そ、そうか……。……巡礼、頑張れよ! その実力なら、きっと大丈夫さ」
そんな審判の言葉には何も答えず、人混みの中へ紛れていく。
観衆たちも、最初は自分たちに混ざりに来た彼に思い思いの称賛の言葉をかけていた。
だがしかし、するりするりと人と人との間をすり抜けられ、いつの間にか少年の姿は、町の広場から消えていた。
「ささ、ひいさま。こちらでゆるりとお休み致しニャしょう! お祭りの料理もたんと買って、疲れた体を癒やすのですニャ」
「なんせ、あんだけ熱いバトルの立役者なんだ。町の皆も、喜んで奢ってくれるだろうさ」
「う、うん。分かった……って」
そこで、ようやく。
ソラはパチパチと瞬きを繰り返し、本来そこにいる筈の人物がいない事に気が付いた。
「ひいさま? 如何致しニャしたか?」
「え、いや、だって……」
そうして指差す先には、何も無く。
どれだけ周囲を探せども、目当ての人物はどこにもおらず。
口を開いたままに、少女は何故を口にした。
「あれ……あの人、は……?」
「……」
祭りの喧騒から随分と離れた、町の端。
ルナトーンたちの光もあまり届かない、薄暗い路地裏の中を、少年は歩いていた。
左手はポケットに、右手は腰のボールホルダーを撫でながら、先ほどの仕合をぼんやりと脳裏に描く。
対戦相手の、ソラという少女。
おかしな格好をしながらも身綺麗で、育ちのいい身分かとも思う立ち振舞い。
大方、物見遊山や度胸試し気分で巡礼に挑もうとする、遊び半分の手合いかとも思っていた。
だが、その予想は裏切られる。
「……勝負そのものは、おれの勝ちだった。だが……」
ボールホルダーから、フカシオの入ったボールを取り出し、目を落とす。
先のバトルで、フカシオは勝利こそすれど、大きなダメージを負っていた。
それは、
「指示が遅れていれば、負けていたのはこちらの側だ」
フカシオの本体であり、サイコパワーで以て仮初めの体を生み出す要。体内の赤いコアが、ほんの微かに欠けていたのだ。
無論それは、“キズぐすり”などによって容易に治療できるものだ。
重要なのはあの時、
(慢心や油断があった事は否定しない。相手はピクニック気分の小娘だと、そう侮っていたのはおれの恥だ。それでもなお、フカシオはおろか、ガプリコだって、おれ手ずから育てた手持ちポケモンだ。決して、弱い奴らじゃない)
それでもソラと彼女のポケモンは、ガプリコを倒し、フカシオを寸でのところまで追い詰めた。
見るからに「最近トレーナー始めました」と主張しているような、
「……悔しい、か」
決着の後、彼女が零した呟きを、彼だけが聞いていた。
その呟きが、いやに心に残っていた。
悔しい。
それは果たして、目の前の勝負に対して、本気になっていなければ出てこない言葉だ。
(……あの時あいつは、バトルを確かに
その事に気付いたのは、あの中にどれだけいただろうか。
圧倒され、逆境に追い込まれ、焦燥に包まれて。
それでもなお、あの少女の目は、ギラギラと輝いていた。
それが彼女の、「知りたい」という感情に端を発する好奇心の輝きである事を、少年は知らない。当のソラ本人でさえ、自覚はしていないだろう。
けれども、そこには確かに、バトルに対するギラついた「熱」があった。
(ポケモン勝負は、楽しむものなのか? いや……)
そこまで考えて、首を振る。
今考えても、答えは決して出ないだろう。
それに今は、それよりも優先すべき事がある。
フカシオのボールを戻し、立ち止まる。
夜の帳に閉ざされた路地裏に、静寂が立ち込めた。
だが、それが欺瞞である事を、少年は知っていた。
「出てこい。隠れているのは分かっている」
少年の言葉に呼応して、暗闇の中から現れる人影は……2つ。
路地裏の出口方面に1人、奥から更に1人。丁度、退路を断つかのように。
真っ黒いローブマントに身を隠した彼らの素顔は、夜闇ゆえに分からない。
或いはその姿さえ、路地裏の暗闇に溶け込み、視認すら難しい状況にあって、少年は「フン」と鼻を鳴らした。
「
「それを飲むとでも?」
「ならば……力づくで」
マントの人物たちが、モンスターボールを手に取り、構える。
手に握られたそれらはいずれも、少年の持つ木彫りのボールと同じもののようだった。
「……悪いが」
それに対して、少年もまた、ボールを手に取る。
しかし、それはフカシオやガプリコのそれではなく……3つ目。
先の仕合で「使わない」と宣言し、事実その通りだった、3つ目のモンスターボール。
それを構え、暗闇の中でなお輝く赤い目で、名無しの少年は良からぬ者たちを睨みつけた。
「
祭りの喧騒も鳴りを潜め、翌日の朝。
「それでは、お世話になりました」
「ひぇっひぇっひぇ。なぁに、ババアは何もしちゃいないさ。あんたがあんたらしく振る舞っただけ。あたしゃそれを、そうできるようにちょーっとだけ手助けしただけだよぉ」
「くろまみ~」
宿屋の前で、数日世話になった魔女に対して、ソラが深くお辞儀をする。
それを老婆がカラッと笑い飛ばし、その横では、メザマメが気分良さげに揺れている。
「船出仕合も終えた事だし、これから本格的に巡礼の始まりだねぇ。最初に挑むのはやっぱり、プルガーシティのかい?」
「はい。確か、この町から更に西に行ったところにあるんでしたよね」
「そうだよぉ。でも、そこまでに一山越す必要があるから、そこだけ気を付けな。麓の洞窟を通ればショートカットできて楽だけど、それでも用心する事だね」
「大丈夫だぜ、おばちゃん! おいらもついてるし、無事に次の街まで辿り着けるさ!」
ドン、と胸を張るリクに対して、魔女は「へっ!」と鼻を鳴らす。
「粋がるんじゃないよ、鼻垂れ坊主が。お嬢ちゃんの先輩ヅラしているけどね、あんただって強くならなきゃいけないんだ。ジムに挑み続けるお嬢ちゃんばっかり強くなって、逆にあんたが足を引っ張らないよう気をつけるんだね」
「う……わ、分かってるよ。マハルの男の名前に、泥を塗りたくはないからな」
「なら、せいぜい精進するこったね。でないと、あっという間に先を越されちまうよ」
そう言って、魔女はバツの悪そうな顔をするリクを他所に、ソラへ向き直る。
「お嬢ちゃん。昨日の仕合ね、中々スジが良かったよ。あたしゃ確信したね。あんたはでっかい女になるよ」
「へっ!? い、いやそんな……わたしなんて、まだまだ未熟で……」
「ひぇっひぇ。謙遜も過ぎれば毒だよぉ。田舎町の魔女なりに、ババアは色んなトレーナー、色んなポケモンを見てきたんだ。その経験と直感を信じな」
「わ、ぷ……っ!?」
老婆の手が伸び、少女の頭をやや乱暴に撫で回す。
しわくちゃで、皮ばってはいるが、確かな力のある手だ。
「でも何より、あんたのポケモンを第一に信じる事だね。そうすりゃあんたは、どこまでも伸びていける。果てを見てきな。いつか帰ってきたあんたが、ババアに土産話を聞かせてくれる日を、この店でずーっと待ってるよ」
「……! はいっ、必ず!」
まだぎこちないが、それでも明るい笑みを返し、もう1度、お辞儀を返す。
そうしてソラは町の出口に向かって歩き出し、そこへリクが「じゃーなー、おばちゃん!」と手を振りつつ後を追い、ニャースが「お世話になりニャした、マダム。まだいずれ」と言って、荷物を背負って駆けていく。
「頑張ってきな。確かにこの“マハルの地”は厳しいけれど、それでも面白い場所だからね」
彼らの姿が見えなくなるまで、魔女とメザマメは、ずっとそこにいた。
「……で、最初のジムがある街……プルガーシティに行くには、山……っていうか、崖を越える必要があるんだっけ」
「だな。でも、その崖を直接越えるのは危ないからさ。普通の人は、さっきおばちゃんが言ってた通り、麓の洞窟……“ギムレの
「洞窟……か。こないだからつけてもらった、閉所での戦闘を想定した特訓が役立ちそうね」
「見晴らしのいい草原と違って、洞窟の中は暗く、危険ですニャ。気を付けていきニャしょう」
そう語らいながら、とうとうソラたちは、町の出口へ辿り着く。
特訓で町の外に出る為、何度も潜った門。
しかし今回は、潜れば当分は戻ってこない。戻ってこれない。
「……行ってきます」
そう呟いて、カロンタウンを後にする。
目指すは、1番目の
“リンネの儀”における、最初の試練。
そこまで考えて……ふと、脳裏を過った事がある。
「……? どした? ソラ」
「ううん。なんでもない」
思い出すのは、昨日の船出仕合で対戦し、惜しくも敗北した、あのターバンの少年の事。
巡礼よりも前からポケモンを鍛えていた事といい、“リンネの儀”について意味深な事を語っていた事といい、謎の多い人物だった。
厳しい言葉も何度も投げかけられたけれど、それでもソラには、彼が悪人にはどうしても思えなかったのだ。
だからこそ考えるのは、仕合の後の事。
気が付くと、どこかへフラリと消えていた彼。
結局、その後どこに行ったのかは分からず仕舞いで、言葉をかける機会も無かったけれど。
故にふと、思うのだ。
(名前……聞きそびれちゃったな)
ポケスペのシルバーいいよね。HGSSのセレビィイベントもよかったよね。
名無しの少年はあいつ枠(願望)です。
あいつ枠を目指したい(希望的観測)です。