「れっ、れぴぃ……ぴぉ……」
如何にも気弱そうな態度を伴い現れた、クモポケモンの子供。
声もか細く、見るからにビクビクとした雰囲気を隠しもしていない。
それだけを見れば、無害なポケモンと思えるかもしれないが──しかし。
「な、んでっ、ここに──っ!?」
1度芽生えた恐怖は、やすやすと取り除けはしない。
その姿を認めた瞬間、ソラの全身をトラウマが駆け巡り、1歩でも遠ざかろうと体が反射的に動き出す。
けれども彼女は、今の今まで壁際に座っていたのだ。
この狭い空間の中で、後先考えずに立ち上がろうとすれば……。
「──
果たしてソラは、自分たちがいる穴の底の空間、そのカドに思いっ切り頭をぶつけてしまう。
後頭部を抑え込み、再びその場にしゃがみ込む。鈍い痛みに悶絶していると、手持ちポケモンたちが心配そうに駆け寄ってきた。
「びーっ!? びびびぃ!?」
「ぴーっちゅ! ぴぃ!」
「ご、ごめん……大丈夫、大丈夫だから……って、え?」
「れ、れぱしゅ……!?」
なんと、びぃタロたちに紛れて、そのクモポケモンまでもがこちらへ近付いてくる。
悶絶しながらも身構えるソラだったが、どうしてか、目の前のポケモンからは敵意を感じる事ができなかった。
(びぃタロもはるりんも、この子を排除しようとしない……? まるで、この場にいるのが当然みたいに……)
「れっ、れぱ……にぃとっ!」
青い眼光を儚げに揺らしながら、クモポケモンはソラを見上げる。
刹那、その頭上に浮かぶ
……その光は、他の大型個体たちが“チャージビーム”や“ねんりき”を使用する際のような強いものではなく、むしろ逆。
恐れと怯え、警戒を抱いていた筈のソラでさえ、自然と肩の力を抜いてしまうような、そんな淡く優しい色合いを帯びていた。
「てれっ、ぴゃあ……!!」
「え……? あ……」
放たれた光を浴びた端から、徐々に痛みが引いていく。
岩壁で強打し、ズキズキと痛んでいた筈の後頭部が、あっという間に癒えていった。
その光はポケモンたちにとっても有益なものらしく、びぃタロたちは心地よさそうに目を細めている。
彼らの様子を見て、少女はひとつの確信を得た。
「……あなたなの? はるりんの傷を癒やしてくれたのは」
「てりっ」
「もしかして……わたしの怪我も?」
「れ、れぴぃ……」
か細く鳴きながらも、その所作は、凡そ「頷いている」と認識できるものだった。
普通に考えれば、穴の中へ真っ逆さまに落ちて、無傷で済む筈が無い。
だからこそ最初に落ちた時、ロトムはエネルギーを全開にして助けてくれたのだ。
にも拘らず、目を覚ました時、ソラの体には怪我らしい怪我が見当たらなかった。
もしも頭の打ち所が悪ければ、頭部から出血をしている、どころの騒ぎじゃない事になっていてもおかしくないのに、である。
であれば、そうなっていない答えはひとつ。
穴に落ちてきたところを、救ってもらったのだ。目の前のポケモンに。
(なんだか、怯える気分でも無くなってきたわ。こんなにチョロかったっけ、わたし……)
この子は、自分たちを助けてくれた。
そう考えれば、“いやしのはどう”を浴びて精神的に落ち着いたのもあって、自然と隔意は解きほぐされていた。
「ありがとう。優しいのね、あなた」
「れぴっ!? てれ、てりぃ……」
膝を曲げて視線を落とし、感謝の言葉とともに微笑みかけてみれば、小さなクモポケモンは身を震わせ、後退りながらに縮こまる。
凡そ予想だにしていなかった態度に、ソラは不可思議そうに瞬きを数度。
(もしかして、怯えてる? わたしに?)
ポケモンたちの感情や主張は、彼らの態度を見れば読み解ける。
それが父・クレオメ博士の信念だったが、目の前で震えているこの子の感情は、流石に一目見ればすぐに分かった。
「びーいぃ。びあ、びびっ、びー」
「けりぃ。ほっけるり、るーり」
「ぱ、ぱしぃ……」
最初に物陰から出てきた事を考えると、ソラが目を覚ますより前に、治療の過程で面識・交流があったのだろう。
びぃタロやはるりんの呼びかけには、ビクビクしながらも受け答えしているようだったが、それでもやはり、
両膝に肘をついて、両手で顎を抱え込む。
彼らのやり取りをじっと観察しながら、ようやっと戻ってきた思考力を回す。
(おかしな話ね。ついさっきまで、あれだけ怖かった筈のポケモンが、今度はわたしの事を怖がってる。まるであべこべだわ)
とはいえ、そのあべこべさに今は助けられている。
それまで「ただ怖い」「ただ恐ろしい」だけだったポケモンの別の側面を垣間見て、思考をリセットする事ができたからだ。
「……あ、そうだ」
そして、思考を一端切り替える事ができたからこそ、思い出せた事もある。
パンと手を叩き、ボストンバッグを引き寄せて、中を改める。
キズぐすりの一部などは、落下の衝撃で容器が割れ、中身が漏れ出すなどと色々目を覆いたくなる惨状と化していたが……。
「──あった。よかった、潰れてない!」
安堵しながらに取り出したのは、袋に包まれた
ニャースがカロンタウンの宿屋を借りて焼き、洞窟への突入前に、手持ちポケモンたちに振る舞ったそれは、残ったいくつかを包んでバッグの中に入れてあったのだ。
「れぱしゅ……?」
「ふふ、気になる? ちょっと待っててね……はいそこ、おねだりしない」
「けり!?」
寄越せ寄越せと目を輝かせるはるりんたちを掣肘しつつ、袋の中のポフィンを、興味津々にこちらを見やるクモポケモンの前へ差し出した。
“チーゴのみ”を混ぜ込んだそれは、ほんのり顔を出す苦味がいいアクセントとなり、甘いお茶によく合うのだ。
「よかったら、食べてみて。わたしたちを助けてくれた事への、お礼よ」
「ぴぃ……」
恐る恐る、歩み寄ってくる。
顔面をポフィンに近付け、それが無害なものであるかを見定めているのだろうか。頭上の
「大丈夫、おかしなものじゃないわ。お菓子ではあるけど……なんてね」
果たしてそのジョークが通じたのかどうか。
ちっちゃな牙がゆっくりと開き、ソラの手の内に置かれたポフィンを、ちまっと齧り取った。
もっそもっそと牙が左右し、口内で咀嚼が行われているのが見て分かる。
やがて、嚥下したのだろう。牙の動きが止まり、頭部が微かに上下して……。
「……!! れ、ぱぁ……!!」
喜んでいる。ソラの目には、それが明瞭に認識できた。
頭の輪はグリングリンと波打つように揺れ動き、バイザーに映る眼光はへの字を描いている。
ゆらゆらと小刻みに揺れる体躯からして、初めて食べたお菓子に対する「美味しい」という感情が、全身から溢れ出している。
最初はどこか無機質に思えた見た目も、こうして見れば感情が態度に現れていて、一周回って分かりやすく、そして可愛らしいものだ。
「れぱ! てり、ぱしゅ……!」
「おかわりね? いいわよ、どんどん食べて頂戴」
「けりっ! けーりぃ!」
「はいはい、あなたも欲しいのね? はるりん。分かってるわ」
手に持っていたポフィンを半分に裂き、片方をクモポケモンの前にそっと置いてやる。
嬉しそうにありつく小さな姿を見ながらに、もう片方ははるりんの下へ。
「びぃタロを守ってくれてありがとね。仲間想いのいい子にご褒美です」
「りぃーっ♪ ほり、けりっ!」
「はい、あなたたちも。数はそんなに無いから、分け合って食べてね」
「ちゃー♪」
袋に包んであった2個の内、最後の1つを他の4匹に分け与える。
4匹で分け合う都合上、1匹がありつける量は少ないものの、ふわふわ美味しいお菓子は彼らの舌を癒やしてくれた。
ソラもまた、美味しそうに焼き菓子を食べる彼らの様子に、少しばかり気分をリフレッシュする事ができた。
1番エリアでのティータイムの時もそうだったが、どうやら自分で食べるよりも、自分のポケモンたちが食べているのを眺める方が楽しいらしい。
(……そういえば結局、この子はどんなポケモンなんだろう)
そうして心地が落ち着いてみれば、今の今まで先送りにしてきた疑問が再浮上する。
このクモポケモンは、ソラの知る限り、地上に近縁種の存在しない、“マハルの地”固有の種族だ。
勿論、彼女は専門の勉強を積んだ博士ではなく、父親の残した資料を読み漁り、或いはインターネットで調べた限りの情報しか持っていない。
その為、この世界にはまだまだ彼女の知り得ない地方、未知のポケモンが多く存在するだろうが、それは今は重要ではない。
今重要なのは、このポケモンの正体だ。
「……そうだ、ポケモン図鑑。もう起動できるかな……?」
先ほど、ロトムが“テレキネシス”の行使に
図鑑のバッテリーには
「……あれ?」
「び?」
「バッテリーがそこそこ溜まってる……」
この階層まで落ちてきた時にはすっからかんだった筈のバッテリーが、全体の半分ほどまで充電されていた。
訝しみながらに起動すると、画面にロトムの顔が浮かび上がり、ふわりと“ふゆう”し始める。
「ケテロトー!」
「あ、よかった起きたのね。……さっきは本当にありがとう。あなたが助けてくれなかったら、今頃もっと酷い事になってたわ」
「ロトミ~♪」
どういたしまして、とでも言わんばかりに、空中で1回転してみせるロトム図鑑。
図鑑のバッテリーと相互に電力を供給し合う関係にあるようで、すっかり元気を取り戻している。
(……もしかして、リバーテル結晶? 洞窟の中にチラホラ見えるあの鉱石の光で、図鑑のバッテリーが回復したのかな)
一般的に、地上でソーラーバッテリーと呼ばれる類いのものは、実は太陽光以外の光でも充電する事ができる。
太陽の存在しない“マハルの地”における主要な光源は、地表から光を放ち、乱反射を繰り返して地下世界全体を照らすリバーテル結晶だ。
であれば当然、この世界におけるソーラーバッテリーとは、結晶の放つ光が主なリソースとなるのだろう。
「(まぁ、今は深く考えなくてもいいか)ね、ちょっとデータを解析させてね」
「れぴ?」
ちまちまとポフィンを齧っていたクモポケモンがこちらを見上げ、不思議そうな目を向けている。
見れば見るほど、慣れるほどに可愛らしいと思えてくるのは、ソラ自身の好奇心に由来する“てきおうりょく”故か。
それはさておき、ロトム図鑑を相手に向けて、画面を見る。
即座に解析されたポケモンのデータが、液晶画面に次々と表示されて──
「ええと……名前は『テレネット』。つながりグモポケモンで、タイプは──って、
「れぱしゅ」
顔を上げ、反応する仕草。
それが肯定を意味している事は、なんとなく理解できた。
だからこそ、困惑する。
テレネット。地上ではその名を聞いた事の無い未知のポケモンでありながら──ソラは、その名を知っていた。
この後【21:00】より3回目の追加投稿を行います。