「待って……待って! 待ちなさい! お願いだから!」
「マハハ~」
「ひっ、ひいさま! ひいさまこそ、どうかお待ちを! ひいさま~!?」
「ケテロトーッ!」
後ろからついてくるニャースやスマホロトムすら意識の彼方に追いやって、ソラは謎のポケモンを追いかける。
もう、元いた屋敷から相当離れてしまった事など、もはや思考のふちにすら存在しない。
奪われたものを取り返す。ただそれだけの為に、無我夢中で走る、走る、走る。
「いいから止まって! せめて、その羽根だけ置いてって! ねぇっ!?」
「マハハ~」
どれだけ声をかけども、相手が止まる事は無い。
故に、その後をひたすらに追いかけ、走り続ける。
坂を駆け下り。
草むらを潜り抜け。
木々のアーチを通り。
木のうろのスロープをすり抜け。
根っこのトンネルへ飛び込み。
石ころだらけの“ちかつうろ”を駆け抜ける。
それでも謎のポケモンは止まらない。止まってくれない。
そしてソラも止まれない。
(あのポケモン、どこまで走るつもり……!? エクササイズは家の中で毎日してるけど、それでもそろそろ体力、が……?)
おかしい。
おかしい。
どう考えても、おかしい。
(わたし、今、どこを、走って……?)
いつの間にか、自分が屋敷の周りの草むらではなく、どうやって造られているのかも分からない謎の地下空間を走っている。
その事に気付いた時には──もう、遅い。
「マハ!」
「えっ、あ──」
目の前にぽっかりと空いた、深く、深く、どこまでも深い大穴。
光の一切を拒絶するような漆黒の落とし穴に、謎のポケモンは躊躇いなく飛び降りた。
そしてそれは、速度を殺せずにいたソラも例外なく。
「あ、きゃあああ──!?」
「なっ、ひいさ、まぁ~~~~~!?」
「ケテテテッ、ケー!?」
勢いあまって足を滑らせた拍子に、自分から穴へ飛び込んでしまったソラ。
彼女を追いかけた結果、同じ末路を辿ったニャース。
とくせいによって“ふゆう”している筈のスマホロトムすら、穴の中へ吸い込まれるようにして落ちていく。
穴の中は真っ暗で、底なんてちっとも見えやしない。
真っ逆さまに土の底へ落ちているのに、むしろ風は底の方から激しく吹き上げ、上昇気流めいている。
顔いっぱいに吹き付ける風に、髪やフードがバサバサと激しくたなびく中で。
「──あっ、あれ!」
先ほどのポケモンが、恐らくはこの上昇気流の中で手放してしまったのか。
ひらひらと力なく宙を舞う緑色の羽根を、ソラは確かに目撃する。
「ひっ、ひいさまぁ!? こ、これっ、一体、どうなって……!?」
「分かんない! 分かんないよ、そんな事! でも、そんな事よりも──!」
必死になって、手を伸ばす。
落ちながら動く経験なんて、生まれて初めてだ。そもそも、穴の中に落ちた経験なんて、14年の人生の中で1度だって無かった。
こうして穴の中を落ちていく自分たちがどこへ向かうのか、まったく分からない。
もしかしたらすぐに底へ辿り着いて、ぺしゃんこになってしまうかもしれない。そうでなくても、こんなにいつまでも落ち続けるほど長い穴はなんなのか。
そのすべてを置き去りにして、ソラは羽根だけを追い求める。
だって、これは。
「あの羽根はっ、わたしと父さんを繋ぐ、たったひとつの宝物なんだから──ッ!!」
叫びとともに突き出した手のひらは、とうとう羽根を掴み取る。
形が変わって潰れるかもしれない、なんて不安すら押しやって、もう手放さないと強く握り締めた──まさに、その瞬間である。
「ひいさま! 底の方から光が!」
「光ぃ!? なんで、ここって地下なんじゃ──」
恐怖も、混乱も、疑問も、衝撃も、焦燥も、不安も、そして少しばかりの高揚も。
一切合切、あらゆる感情が上昇気流に乗って地上へ消えていく。
そうして。
「──きゃぁああああああああああ!?」
内臓すべてがひっくり返るかのような感覚の後、ソラの意識は闇に閉ざされた。
……………………
………………
…………
……
──ぁ
──さま
──いさま!
──ひいさま!
「ひいさま! 起きてくださいニャし! ひいさま……ソラさま!」
「──!?」
ぼんやりとした意識の中で、自分を呼ぶ声がする。
ニャースが「ソラさま」と名前で呼ぶ時は、深刻な状況か、或いは彼の感情が荒ぶった時。
それをよくよく知っているからこそ、意識が鮮明になっていく。
「ぁ……じい、ちゃん……?」
「ああ、よかった。気がついたニャスね!」
「ケテテテー!」
うっすらと開いた目に、どアップになったニャースの顔が飛び込んでくる。
視界のすみっこにはスマホロトムもいて、ニャースのせいで見えないこちらの様子を伺っているようだ。
「心配したニャス……! とても、心配しましたで御座いニャス……! 何がなんだか分からないまま
「……ごめん。わたしがあのポケモンを追っかけようとしたばっかりに……」
意識がハッキリとするにつれて、手の内に握りしめた羽根の感触も確かなものとなる。
取り戻せた。その安堵が、彼女に他の要素へ目を向ける余裕を与えた。
背中やうなじを撫でる草の感触から、どうやら草むらの上で仰向けになっているらしい。
“ちかつうろ”に空いた穴の先に、寝転べるだけの草むらなんかがあるものなのだろうか?
そんな疑問を抱きながらに、ソラは眠りから覚めるかの如く目を開き──直後、限界まで目を見開いた。
「──え?」
──視界の先に広がっていたのは、見渡す限りの大自然に満ちた
何かの比喩ではない。
一般的に「上」と定義できる方向、つまりは本来「空」があるべき場所に、広大な大地が存在している。
そこには森も、山も、川も海も湖も……そして、人──或いは何らかの知的存在が営んでいるであろう、街らしき遠景も。
凡そ「世界」と呼べるものが、「空」の代わりに広がっていた。
「ひいさま? やはりどこか痛み──ニャッ!?」
「えっ……!? これ、どういう……!」
思わずニャースを押しのけて起き上がり、慌てて周囲に目を向ける。
自分が今いる場所は、やはり草むらだ。草が生い茂り、花も咲いている。遠くには森らしきエリア。その反対方向は、なだらかな下り道のよう。
近くには川も見える。水たまりなんかではない。恐らく自分たちが今いる場所は、川辺の草原なのだろうが、だからこそ分からない。
どうして、今いる場所とまったく同じ光景が──天井にも広がっている?
「どういう、こと……?」
天井と形容したものの、実際は本来あるべき「空」と同程度にはかなりの距離がある。
跳躍した程度では、到底向かえない。とりポケモンの“そらをとぶ”でさえ、辿り着けるかどうか分からないギリギリの高度だ。
そんな場所に広がる自然は、木々は、水辺は、しかし重力によってこちら側に落ちてくる、なんて事さえ起きていない。
そして「空」が大地で埋め尽くされているにも拘らず、周囲はまるで昼間同然に明るく、あらゆるモノがハッキリと視認できる。
そこに「空」が無いのであれば、当然「太陽」も「陽光」も存在する筈が無いのに、だ。
一応、雲はいくらか存在していて、天井側の大地を窓のカーテンめいて仄かに隠している。
だが、それがなんだと言うのか。
空も、太陽も、陽の光も無い。
上下ひっくり返ったもう1つの世界が、頭上にも存在する空間。
「ここ、どこなの……?」
謎のポケモンを追って穴の中に落ちた果て。
ソラは、現代の科学では到底説明できない場所に迷い込んでしまった。
その事実に呆然と口を開き、とにかく何かをニャースに問おうとして……。
まさに、その時だ。
近くでガサリと大きな音がして、思わず身を震わせる。
見れば、木々が激しく揺れ動き、その奥から迫る何者かを示唆していた。
「っ!? 何か来る……?」
「……お下がりくださいニャし、ひいさま。バトルは引退して久しいでニャスが、ひいさまをお守りする程度は……」
そうして、最も前方の木が1本、大きな音を立てて崩れ落ちる。
地を揺らすほどの振動の中、のっそりと雄大な所作とともに現れたのは。
「ゴルルルルル……」
その巨体を目にした瞬間、ソラは全身の鳥肌が立つのを自覚した。
彼女の持つ知識が、本やネット、勉強で得た数々の教養が、目の前の光景を「あり得ない」と叫んでいるからだ。
高さ2.5m。重さ270.0kg。
彼女の故郷であるカロス地方の、とある湾岸にある洞窟でそのカセキが発掘されたという、太古の昔に絶滅した古代種。
本来ならば、こうして野生で存在する筈の無い、いわ・ドラゴンタイプの大型ポケモン。
ぼうくんポケモン。
ガチゴラスが、生きたままにそこにいた。
ジロリと、ガチゴラスの目が動く。
その凶暴然とした瞳は──確かに、ソラたちを写し取っている。
「ひ……ぁ、ああ……」
「お、お下がり、くださいニャし……。ひいさま、ひいさまは……ニャーが、命にかえても……」
「ケ、ケテ……」
その目で睨まれた瞬間、もう動けなくなってしまった。
自らの主を庇いながらも、ニャースはツメを立てた態勢のままで静止している。
スマホロトムも、ニャースの後ろで明らかに怯えていた。
のっしのっしと、太古の巨体がこちらへ近付いてくる。
ギラギラ光る眼差しが、否が応でも野生の本能を告げている。
──獲物を喰らえ。
「た……たす、助け……」
少女のか細い声など、聞き届ける者は誰もおらず。
「──ガァアアアアアアアアアアン!!!!!」
荒れ狂える暴君竜が、戦意の咆哮を轟かせた。
「いけーっ! ニャース、“みずでっぽう”だ!」
「にゃぁあん!」
遥か後方から、大気を裂いて一筋のラインが奔る。
まさしく鉄砲水の如し勢いが、今まさに少女たちへ襲いかからんとしていたガチゴラスの、顔面ど真ん中に浴びせかけられた。
「ギャアァアン!?」
ものの見事に初動を潰された巨体は、顔を濡らす水にたたらを踏み、鬱陶しそうに頭部を振るって雫を払う。
つまりその足は、
「……え……?」
ぽつりと零れ落ちるのは、何が起きたのか理解できないが故の吐息。
ニャースやスマホロトムも、突然の出来事で呆気に取られている。
少なくとも事態は、自分たちの後方から動いている。
その事だけでもどうにか認識して、振り向こうとしたその矢先。
「こっちだ!」
「ふぇっ!?」
がっしりと、ソラの腕を掴む強い力。
“ふいうち”めいたそれに驚いて見上げれば、見知らぬ少年がそこにいた。
「ニャッ、
「いいから早く! 死にたいのか!?」
ニャースの
目の前で起きている事すべてに理解が及ばず、少女の頭上では絶えずクエスチョンマークが踊っている。
しかし、理解を試みる時間は無い。
どういう目的で攻撃したのかは分からないが、それでも“みずでっぽう”如きで、ガチゴラスを倒せる訳が無いのだ。
「ゴルッ、ゴルルルゥ……!」
「やばっ、もう復帰した! ニャース、今度は“フェイント”だ!」
トレーナーであるらしき少年の叫んだ指示に、ニャースが瞬きをする。
「はニャ? なんでニャーに指示を──」
「にゃおうん!」
──その場にいる者たちの頭上を軽々飛び越えて、水色の影が躍り出た。
丸みのある顔つきに額の小判は、間違いなくニャースの特徴。
しかし、たった今飛び出してきたそれは、淡い水色の毛並みを持ち、手足に水かきのようなものが見える。
よくよく見れば、額の小判も銅色──否、錆びている風な色合いだ。
突如現れた謎の、そして2匹目のニャースは、そのままガチゴラスへと突っ込んでいく。
ある1点で再び跳躍すると、原種のそれよりもいくらか細い尻尾を振り抜いた。
「にゃみーっ!」
しなる尻尾が、鼻先を思い切り引っ叩く。
“フェイント”はノーマルタイプのわざ。いわタイプのガチゴラスにはちっとも通用しない。
だが、文字通りに「出鼻をくじかれた」ぼうくんポケモンは、ひるみこそしないものの、ほんの僅かな隙を見せた。
そして、その隙さえあれば十分なのだ。
「今だ!」
「な──きゃっ!?」
今度は半ば強引に腕を引っ張って、ソラを立たせる少年。
そのまま来た方向へと駆け出した。勿論、彼女の腕は掴んだままに、である。
見たところ同年代のように見えるが、だからこそ男子の力は女子より強い。
駆けながらに引っ張られては、こちらもつられて走らざるを得ないのだ。
「ニャース、
「はにゃおん!」
「あんたらはこっち! 身を隠せるとこ知ってるから、とにかく逃げるぞ!」
「痛い痛い痛い! 分かった、分かったから! 自分で走れるから腕掴まないで!」
「ええい、助けてくれた事には感謝しニャスが、ひいさまから手を離すニャス! ひいさまの白い御御腕に痣のひとつでもつけようものなら、ニャー必殺の“ひっかく”が……」
「ケテテッ、ケテー! ケッテー!?」
少年に引き摺られるようにして走るソラ。その後を追うニャースに、スマホロトム。
3年を屋敷に引き籠もって過ごしてい彼女にとって、この場には分からない事しか存在していなかった。
だけど、けれども、どうしても。これだけは、今この場で聞かなければならなかった。
「ねぇ!」
「なんだ!? おいらの“ひみつきち”はもうちょっと先に……」
「そうじゃなくて! ここは──この世界は、一体全体どこなの!?」
「この世界ぃ? なに寝ぼけた事言ってんだよ、あんた」
果たして、ソラという少女は。
この問いに対する答えを、生涯忘れる事は無いだろう。
「“
「──は?」
凶暴なガチゴラスの咆哮轟く修羅場を背景に。
なんとか絞り出せた一言だけが、この不思議な世界──“マハルの地”に溶け消えた。
マハル図鑑 No.026
【ニャース】
ぶんるい:ばけねこポケモン
タイプ:ノーマル
とくせい:ものひろい/テクニシャン(きんちょうかん)
ビヨンド版
コインが 大好き。コインを 集める 為なら なんでも 聞き入れて なんでも 覚える。
ダイブ版
稀に 人の 言葉を 覚える ニャースが いる。とても 賢く 物分かりが いい 証拠だ。
マハル図鑑 No.217
【ガチゴラス】
ぶんるい:ぼうくんポケモン
タイプ:いわ・ドラゴン
とくせい:がんじょうあご(いしあたま)
ビヨンド版
縄張り 意識が 強く 少しでも 縄張りに 近付いた 相手には 絶対に 容赦を しない。
ダイブ版
古代 随一の 暴れん坊。いつも 暴れている 為 他の ポケモンから 恐れられている。
この後【15:00】より1回目の追加投稿を行います。