「ジ……ィ、ウ……ゥゥ……」
細く長い3対6本の足が一斉に折れ曲がり、他の個体と比べても大柄な胴体が地面に沈む。
バイザーに映っていた
オヤブンテレネットは完全に沈黙した。
身に纏う電力とサイコパワーも消散し、もはや戦う為の力は残されていない、“ひんし”の状態だ。
「やっ……たの?」
あれだけ激しかった戦闘音のすべてが消失し、すっかり静まり返った洞窟の中で。
崩れ落ちたオヤブンを前に、誰もが黙りこくった状況を割くようにして、ソラの小さな呟きがいやに響いた。
そして、その直後。
足元が不意に暗くなった感覚を、視界の隅でチラリと認識した瞬間の事である。
「な──へぶっ!?」
「びっ、びぃっ!?」
「ちょ、ソラ──っと、ぉおっ!?」
今の今まで自分たちを縫い付けていた筈の引力が、唐突に取り除かれる。
洞窟内のリバーテル結晶が通電し、励起した結果の重力異常が、オヤブンテレネットの“ひんし”によって効力を失い、元通りになった。
その事に気付く間も無く、その場の誰も彼もが地面──本来の壁を滑り落ち、元の地面に体をぶつけてしまう。
「あ
「ひいさまっ!? おおおっ、お怪我は御座いニャせんかぁ~~~っ!?」
痛む体を擦りながら起き上がったところへ、ニャースが駆け寄ってくる。
彼の顔は、涙と鼻水でそれはもうべっしょべしょで、全身の傷よりもそちらの方がより目立つほどだ。
「あ、じいちゃん……。うん、ちょっと肩をぶつけただけで、怪我は無いよ」
「ああ、本当にご無事でよかった……! こんなにお召し物をボロボロにされて……さぞお辛かったでニャしょうに、その場におれなかったこの身が憎いニャス……!」
「……うん、ごめんね。わたしのドジで、皆に迷惑かけた」
「いえっ! ひいさまがご無事であれば、それだけでニャーは十分ですニャ! よくぞ……よくぞ、ううっ……!」
おいおいと泣くニャースの姿に、蓋をしていた筈の罪悪感が再び顔を出す。
今回は皆に、ほとほと迷惑をかけてしまった。それでも助けに来てくれて、こんなにも無事を泣いて喜んでくれるのだから、嬉しいやら申し訳ないやら色々で。
「ソラ!」
「……リク」
ニャースを宥めているところへ、リクもまたやってくる。
彼の頭上では、疲労困憊といった様子のウェボムがべっとり乗っかっており、更に……。
「……あ、びぃタロ、皆!」
「こいつら皆、ズタボロで動けなさそうだったからな。纏めて連れてきたんだ」
びぃタロにはるりん、ちゆりんが、リクの腕の中で所狭しと抱きかかえられていた。
彼の言う通り、ソラのポケモンたちはいずれもズタボロで、ほとんど“ひんし”寸前の状態にまで消耗し切っている。
……けれど、その顔つきはどれも誇らしげで、やり切った表情ばかりを浮かべていた。
彼らはソラに対して一様に笑いかけ、特にびぃタロは右腕を上げて、ガッツポーズの真似事までしてみせた。
「おいらたちが着くまで、よく持ち堪えてくれたな。おかげで間に合ったよ」
「……うん。この子たちが、わたしの為に頑張ってくれたんだ。本当に……」
手を伸ばし、びぃタロの頭を撫でる。
心地よさそうに目を細めた後、彼はふっと意識を失い、こてんと首を倒した。
その様子に一瞬驚いたが、よくよく見れば、小さく寝息を立てている事に気付く。
はるりんとちゆりんも同じだ。体に負ったダメージと疲労から、すっかり寝入ってしまったのだ。
「……お疲れ様」
そう薄く微笑み、それからソラは、顔を上げてリクを見る。
彼の浅黒い肌にも、やはりいくつかの傷が見えた。
合流した時に言っていたように、ここに来るまでに遭遇した、テレネットや他の野生ポケモンたちとのバトルによるものなのだろう。
「わたしを……助けに、来てくれたんだね」
……ごく正直に告げるのであれば、ソラは今なお、心のどこかに「見捨てられるんじゃないか」という恐れを隠していた。
しかし、それも無理は無いだろう。
なにせ彼女が“マハルの地”に迷い込み、リクたちと出会ってから、ほんの1週間ほどしか経ってはいないのだ。
確かに彼らとの交流は、ソラの凝り固まった価値観──他人に対する恐怖と不信に、一定のブレイクスルーを起こすものだった。
しかしそれでも、彼女がこの10年で味わってきた「悪意」というのは、そう簡単に拭い切れるものではない。
その上でなお、リクはソラを助けに来てくれた。
こんなに傷だらけになってまで、危険なポケモンたちのテリトリーに踏み入って、匂いというか細いヒントを手繰ってまで。
それが、他人に怯え続けてきた少女にとって、何よりも大きな衝撃だったのだ。
そんな思いを知る由も無く、少年は鼻を擦り、なんでもないように言ってのける。
「へっ、当然だろ? あんたの旅を成功させるって約束したんだからな。それに、
友達。
ソラの知る限り、知識としては知っていても、実際に触れた事の無い言葉。
それを、まるで息を吸うかのように言い放つ。
自分たちは友達であり、故に助け合うのだと、平然と。
果たしてそれは、悪意と疑念と失望だらけの世界で過ごしてきた彼女にとって、どれだけの……。
「……? ど、どした!? 泣いてるのか!?」
「ニャスッ!? ひいさま、どうされたのでニャスか!? まさか、やはりどこかが痛むのでは……」
「……ううん」
首を振りつつ、涙を拭う。
せめて、吊り上がらんと緩む口角だけは誤魔化さないと。そう思いながら、涙を拭う腕で口元を隠す。
この涙と笑みにつける言葉を、彼女はまだ知らなかった。
でも、今はそれでよかった。これから知っていけばいいのだから。
だからその前に、言わねばならない事がある。
「あのね、わたし──」
「……れぴっ」
二の句を告げるその直前、幼いテレネットが、ニュッと顔を出してくる。
その拍子に驚き、思わず言葉も詰まってしまうが、彼女は不思議そうにこちらを見上げてくるばかり。続きを言う感じでも無くなってしまう。
「ぁ……えっと、どうしたの──って、うわっ!?」
「レパッシュ」
「レニィト……」
「テレピッ」
幼子に意識を向けようと視線を動かした矢先、ゾロゾロとこちらへ向かってくるテレネットの群れに、思わず声を上げてしまうソラ。
パッと見ただけでも、7~8匹はいるだろうか。オヤブンほどではないが、成熟して体の大きな個体ばかりである。
幼い彼女の説得が無ければ、彼らが一斉に囲んで襲ってきただろう事を考えると、ゾッとしてしまう。
「なっ、こいつら、まだ……!?」
「……いや、彼らに敵意は無いよ。むしろ……」
ボールを構えようとするリクを制止している間に、テレネットたちは幼い彼女だけを残してソラたちの横を通り過ぎ、倒れ伏したオヤブンテレネットの周りに集まっていく。
そうして一際巨大な群れの主を囲み切った後、彼らの頭上に掲げられた
それは、とても温かい光だった。
この場一帯を埋め尽くすほど強い光の集まりであるにも拘らず、まったく痛みを感じる事は無い。むしろ、ずっと見続けていたくなるような、そんな優しさが溢れている。
「ニャァ……なんだか痛みが引いていくニャス」
「あ、ホントだ……。ここに来るまでに負った怪我とかが、段々治ってく」
驚きの声とともに、各々が自分の体を見やる。
ここまでに彼らが負った傷が癒え、痛みが引き、疲労も溶けるように消えていく。
ソラもまた例外ではなく、怪我や疲労以外にも、張り詰めていた精神が解きほぐされていく感覚を抱いた。
リクが腕の中に抱えているびぃタロたちも、あんなにボロボロだった体が綺麗に癒えていき、彼らの寝息は穏やかなものへとすり替わる。
「……きれい」
そうして全身から痛みが消えゆく中で、ソラはようやく、本当の意味で緊張を解く事ができた。
自然と、脱力の溜め息が漏れる。それは目の前の景色に対してか、激しく辛かった戦いが終わった事を、真に実感したが故の事か。
一同が見守る中、やがて光が収まり、“いやしのはどう”の行使が止まる。
数秒か、或いは数分にも至るだろう沈黙ののち、その場の誰もが意識を向ける先──
「……ジ、ィィ」
オヤブンテレネットのバイザーに、光が灯る。
弱々しくも、確かに映し出されたその
「!(さっきまでの毒々しい赤じゃなくて、他の皆と同じ青色。って事はつまり……)」
「れ、れぴっ……!」
幼いテレネットが、ソラの下を飛び出し、いそいそと駆け出していく。
それに気付いた他のテレネットたちは、誰が言い出すでもなく、自然に輪を割り、彼女をオヤブンの下まで通してやる。
「れぱ、れぱしゅ……?」
「……ジジ、ジィ……」
のろりのろりと、鈍い動きとともに3対の足を起こし、巨躯の胴体が持ち上げられる。
そんなオヤブンの眼前まで辿り着いた幼子は、不安そうに……しかしどこか期待するようにして、彼の顔を見上げ、その様子を伺った。
成熟し切った個体と、未だ幼い個体。
それぞれの大小異なる
「ジィ……レパ、シ、ジィ……」
そうしている内に、オヤブンは顔を俯かせ、心做しか縮こまるようにして体高を下げた。
無機質な見た目に反して、それはソラたちから見ても明らかに「落ち込んでいる」と理解できる所作だった。
だが、そうなった事への推測はできる。
狂っていた時の記憶が残っていたのか、彼らの間で情報がやり取りされたのかは分からないが、いずれにしても彼は、己の蛮行を理解したのだろう。
群れの外の存在への強い攻撃性、本来のテリトリーを越えた侵略と支配、群れの仲間に対する折檻。
如何に理性を失っていたとはいえ、己の働いたおぞましい行為への嫌悪と恐怖、そして罪悪感は消せる筈も無く……。
「──れ、ぴぃっ!」
か細くも甲高い声に、俯いていたバイザーがゆるりと持ち上がる。
果たしてその声は、幼いテレネットの子供によるものだった。
「……レ、パ」
「れぴっ! ぱしゅ、にぃと!」
ソラたちと初めて会った時──或いは彼女たちと出会うより前、群れの中で過ごしていた時からそうだったのかもしれないが、彼女は酷く怯えて、気弱そうにしていた。
しかし、今の彼女は真っ直ぐと相手を見やり、たどたどしくもハッキリと自分の意志を伝えている。少なくとも、そのように見えた。
それが何に……
「……あの子……」
幼い彼女の呼び声には、オヤブンを責め、糾弾し、断罪するような意図は見られなかった。
ソラの目には、彼女が必死に、自分の声を届けようと、俯くオヤブンへ呼びかけているように見えたのだ。
そしてそれは、彼女だけに終わらなかった。
「……レパッ!」
「レピオォ……!」
「シュッ、シュィイ!」
「ニト、ネィトッ!」
1匹、また1匹と、テレネットたちが声を上げ始める。
彼らの態度に、攻撃性は見られない。
むしろ、逆。それはまるで、親が子供を慮るような、落ち込む仲間を励ますような、群棲であるが故の呼び声たち。
彼らは、オヤブンを裁こうとは思っていなかった。
彼らは、傷つき嘆くオヤブンを労り、慰撫するように寄り添っている。
「……やっぱり、そういう事か」
「んお? 何が、そういう事なんだ? ソラ」
「どんなに我を忘れて、横暴な態度を取るようになってしまっても……それでも彼らは、自分たちのボスの事が好きだったんだ」
ポケモンは嘘をつかない。それが、父の教え。
恐れを払拭した今なら分かる。
戦闘の最中、幼い彼女がオヤブンを説得しようとした時。勇気を出したソラがオヤブンに呼びかけた時。更なる暴走に襲われ、より正気を失っていた時。
あの時、オヤブンテレネットのバイザーに映っていた赤い
(……彼も、苦しんでたんだ。あの暴走の中で、身も心も苦しくて、自分でもどうする事もできなくて……きっと、辛かったんだと思う)
あの揺らぎはきっと、オヤブンが抱く苦痛の表れであり、助けを求める声であったのだと。
ソラは、ようやく理解する事ができたのだ。
そう納得とともに頷いて、1歩を踏み出す。
彼女のその動きに気付いて、声をかけ合っていたテレネットたちが一斉にこちらを向き、オヤブンもまた、自らへ近付く小さな少女の姿を見た。
だが、今の彼女の心に、恐怖の感情は無い。
どこかスッキリしたような面持ちで、小さく息を吸い、ソラは彼らに向かって頭を下げた。
「暴走を止める為とはいえ、あなたたちの巣をめちゃくちゃにしてしまって、本当にごめんなさい」
「ジ……」
「巣を直すお手伝いは勿論します。事が終わったら、すぐにでもこの洞窟を出ます。これ以上、あなたたちに迷惑はかけません」
そこまで言ったところで、小さく息を吐き出した。
引き締めていた顔から力を抜き、ふにゃりとした笑みを浮かべながらに、心からの安堵を周囲に見せる。
「……あなたが元に戻ってくれて、本当によかった。ポケモンが苦しんでいるのを見るのは、本当に辛い事だから」
それは、紛う事の無い本心からの言葉だった。
他者との繋がりの希薄な人生を過ごしてきたソラだが、彼女の根底には確かに、他者への善性と優しさがあった。相手がポケモンであるならば尚更だ。
どんなに傷付いても、恐怖に怯えていても、いっとき再起不能になりかけたとしても、それでもこう思わずにはいられないのだ。
──嗚呼、彼らが助かってよかった。
「……ジィ」
ソラの言葉に、何を思ったのか。
それを、彼女たちが完全に理解し切る事はできない。
だが、オヤブンテレネットは怒るでも拒絶するでもなく、小さく頭を下げ、徐ろに踵を返した。
そうして後ろのソラたちに対し、顎をしゃくるような所作を見せた後、そのまま洞窟の奥へと歩き出す。
他のテレネットたちもまた、彼の歩みに随伴し始める。
その中には当然、幼いテレネットの子供もおり、彼女はこちらを誘うように足を上げて数度振り、群れの中へ加わっていった。
「……ついてこい、ってさ」
「認めてもらえた……って感じかな。リクにじいちゃん、迷惑かけ通しで悪いんだけど……」
「あいつらの巣を直す手伝いをしろって事だろ? 分かってるよ。ただ、後で話は聞かせてもらうけどいいよな?」
「うん。ありがとね」
「ニャんの。ひいさまのお頼みであれば、ニャーが聞き入れない道理など御座いニャせん」
薄くはにかみながらに頷き、テレネットたちを追うソラ。
その後ろにリクも続き、彼の背中にはウェボムが引っ付いた。
そんな彼らの後ろを、ニャースが静かについていく。
(……成長なされニャしたね。以前のひいさまでは、きっと見られなかった光景ですニャ)
自分たちとはぐれ、合流するまでの間に、
けれども彼女は、自分でその窮地を乗り越え、こちらに笑いかける事ができていた。
果たしてそれは、これまでの彼女では考えられない事だ。
屋敷に引き籠もり、自分やロトム以外とのコミュニケーションをまともに取る事も無く、外の世界に虚ろな視線を向けていたあの頃の彼女は、決してあんな表情を浮かべはしなかっただろう。
この世界に迷い込んでから、たったの1週間と少し。
その“たったの1週間”が、彼女を大きく変え、前に歩き出す為の力を与えてくれたのだとしたら。
(ひいさまはきっと、この世界で……ご自分にとって大切な
そんな確信を抱き、ポッテポッテと歩みを早める。
そうして彼が、びぃタロたちを抱えたリクの横を通り過ぎ、ソラの傍へ辿り着いた……その直後の事。
「……? しゅみ?」
「ん、どうした? ウェボム」
ふと、何かに気付いたウェボムが、リクの背中で身動ぎをする。
彼女の視線は後方、先ほどまで自分たちがいた場所へと向けられていた。
その時にはもう、その場に残っているものは何も無かった。
ただ、激しい戦闘の跡が壁や床に刻まれているだけ……その筈、なのだが。
「しゅ、みぃ~……?」
一瞬。
ほんの、僅かな一瞬。
ウェボムは、オヤブンテレネットが戦闘不能になって倒れていた場所で、
“のうてんき”なきらいのある彼女に、
ただ、あえて例えるならば──
「……むしゅっきゅ」
「早く行けってか? はいはい……」
まぁ、やっぱり気のせいだろう。
そう結論づけたウェボムは再び主の背中を掴み直し、掴まれた側のリクは怪訝そうに、しかし呆れた風に息を吐いて、改めて前に向かって歩き出す。
……そう、きっと気のせいだ。
丁度オヤブンテレネットが倒れていた場所に、
「むきゅぅ……?」
ただの、見間違いだろう。
この後【15:00】より1回目の追加投稿を行います。