木の柔らかな香りに交じる、ふんわりとした小麦の匂い。
階段を降りるにつれて漂ってくるそれに顔を綻ばせながら、ソラは1階の食堂に向かった。
「お、来たな。おはよう、ソラ」
「おはようございニャス、ひいさま。お体の方はもう大丈夫でニャスか?」
「おはよう、リク、じいちゃん。うん、しっかり寝たから、疲れもほとんど残ってないわ。気分スッキリ」
「それは
「わ、ホントだ。ありがとう、じいちゃん」
リクとニャースは既にテーブルについており、ソラが来るのを待っていたらしい。
彼らの対面には魔女が座っていて、手元に置かれたボールの数を見る限り、既にリクの手持ちポケモンは受け渡しが終わっているようだった。
そしてシェラは、テーブルの上に腰掛けている様子。
2階から降りてきたソラの姿を認め、妙にキレのいい横ピースで出迎えてくる。
「改めておはよ☆ お腹空いてるでしょ? ちょっと早いけどゴハン用意してもらってるからさ、座って座って♪」
「は、はい。お言葉に甘えまして……」
促されるがままに席につき、それを確認したシェラはテーブルから飛び降りると、厨房の方へ駆け出していった。
そんな彼女の後ろ姿を見送りつつ、魔女はびぃタロたちの入ったモンスターボールをソラに受け渡す。
「ほい、あんたにも返しておこうかね。お嬢ちゃんと同じで、この子らもすっかり元気になってるよ」
「あ、びぃタロに皆……! ありがとうございます」
「なぁに、あたしはほとんど何もやっちゃいないさ。見たとこ、どの子も傷らしい傷が見当たらなかったからね、後はこの子が疲労を癒やしてくれた程度だよ」
「ら~べ~」
黄色い花を抱えながらに、くるりくるりと舞い踊るフラベベの姿は、さながら己の仕事ぶりを誇っているかのよう。
傷が見当たらなかった、というのは、“ギムレの洞穴”でテレネットたちが“いやしのはどう”を使ってくれたおかげだろう。
それでも、疲労までは完全に取り去り切れなかった筈だ。魔女たちはそこを補ってくれた事になる。
感謝の意を込めて指を伸ばし、その頬を撫でてみれば、フラベベは嬉しそうに頬ずりを返してきた。
「おっまたせー! あったかいお茶と、つまめるもの持ってきたよ~♪ ゴハン食べながらお話しましょ☆」
「おっ、いいね。おいらたち、昨日の昼からなんも食べてないんだよな」
「お昼過ぎから洞窟に入って、それから一晩中だもんね……わたしももう、お腹ペコペコ」
そこへシェラが、温かいお茶を人数分と、山盛りのサンドウィッチ(バゲットを使ったパルデア式ではなく、ふわふわの白パンで作られたものだ)をお盆に乗せて戻ってくる。
あっという間に配膳されたそれらを前に、食べ盛りの年頃、それも丸1日何も食べていない欠食児童たちは我慢ができる筈もなく。
「……うまっ! 母さんが作ったのより美味しいぞ、これ」
「ホントだ、美味しい……。挟んであるのは卵と野菜だけで、お肉は無いのに、食べ応えが凄いわ」
「これは……そうか、パンでニャスね? サンドウィッチに使われているパンが、具の美味しさを何倍にも引き立てているのでニャス」
「そのとーりっ☆ ここプルガーシティのパンは一級品、なんたって使ってる小麦が違うんだなぁ、これがっ♪」
「あ、そっか……それで風車があんなにたくさんあるんですね」
野菜のたっぷり挟まったサンドウィッチを片手に、窓の外を見やる。
風車。風を受けて回転する装置。
地上におけるそれも用途は様々だが、昔は製粉──収穫した穀物を磨り潰し、粉末にする為の装置を組み込んだものも多かったらしい。
また、それ以外にも
どちらの用途で用いているにせよ(或いはその両方かもしれないが)、農業、特に穀物の栽培と密接に紐づいている事は想像に難くない。
「この街、いい風が吹くでしょ? 地形の関係か気流の関係か、昔からこの辺に吹く風は強く、それでいて気持ちのいいものばかりだったの。だから小麦も美味しく育つし、それを使ったパンもとっても美味しくて最高なんだ♪」
「成る程なぁ……風の街、って二つ名は伊達じゃないって事だな」
「そうそう☆ それに……ホラ、ちょうど窓から見えるよ、ちょっと見てみて」
シェラの指差す先、窓の外から見える風車のひとつに、ソラたちの視線が集中する。
一見すると、他の点在する風車とそう変わらないようにも見えるそれは、しかし、どことなくメカニカルな印象を抱かせるものだった。
「ん、んん~……? なんだろ、他の風車とはなんかが違うような……」
「……まさか、風力発電、ですか?」
「せいかーいっ♪ さっすが“星見人”、すぐ分かっちゃったか☆ そうっ、この街では農業の他に、電気を風車の回転で生み出して、街のエネルギーに利用しているのだーっ☆」
両の人差し指が、さながら2丁拳銃のようにソラへと向けられる。
「電気……って、でんきタイプのポケモンが出す、ビリビリするアレの事か? アネキんとこのキカイとか、宿屋のパソコンとか、そういうのを動かすのに必要なんだよな」
「そそ☆ ルスティカちゃんの師匠やってた人がね、ポケモンちゃんたちに頼らない発電機とかー、電気を使って動く機械とかー、そういうのの理論とかをたーっくさん発明したんだ。そのおかげで、暮らしも随分と楽になったんだよねー♪」
「わたしも聞きました。10年前にこの世界に来た“星見人”たちから、地上の知識を教えてもらって、そこから発展させたんですよね? パソコンで使うネットワーク環境とかも」
「そーだよ♪ ちなみに、そのルスティカちゃんの師匠っていうのが、今の
初めて聞く情報に、サンドウィッチを食べる手がふと止まる。
四天王。
“マハルの地”におけるそれは、この地下世界の創造主たる“リュウジンさま”が選んだ4人のトレーナーであり、この世界を統括する
自分と同じく“リンネの儀”に挑んだという父・クレオメ博士が、多かれ少なかれジムリーダーや四天王と何らかの接点を持っていただろう事は、ソラも想像していた。
しかし、四天王の1人がルスティカ博士の師であり、当時の“星見人”たちに教えを乞うた人物──言うなれば、クレオメ博士の弟子とも呼べる人物だというのは、彼女にとって初耳の事だった。
やはり彼ら彼女らは、父と──ただの巡礼者として以上の関わりがあったのではないか?
逸る気持ちを落ち着かせるように、口の中のサンドウィッチを無理やり飲み込んだ。
肉も魚も一切使っていない、野菜たっぷりの分厚い味わいが、どっしりとした重量感とともに喉を通り過ぎていく。
「あ、あのっ……」
「はい、ストーップ☆」
机から乗り出しかけながらの発言を、指先ひとつで制止してみせて。
シェラはソラの唇に人差し指を沿えたまま、穏やかに、しかし有無を言わせぬウィンクを返した。
「ソラちゃん的に気になるコト、聞きたいコトがたーっくさんあるのは分かるよ☆ でもでもぉ、シェラちゃんからも、ソラちゃんたちに聞きたいコトがあるんだなぁ、実はっ。だから、その辺も踏まえて色々とオハナシしたいところなんだけどぉ……」
少女の唇から指を離し、今度はその切っ先を、テーブルの上に向け直す。
皿の上には、まだたくさんのサンドウィッチが残っていた。
その内のひとつを抜き取り、自分の頬まで持ってくる。
それはまるで、地上のSNSでも流行っている「
「まずは、腹ごしらえを済ませましょ♪ たっぷり寝て、しっかり食べて、元気いっぱい気分もシャッキリしてからの方が、色々と話しやすいでしょ?」
「……そう、ですね。うん、そう思います」
おずおずと頷くと、あちらもまた「うんうん、そうだよね☆」と笑い、手の内のサンドウィッチを美味しそうに齧り取った。
ちらと横を見れば、ニャースもまた同意するように首を動かしていた。彼もシェラと同意見らしい。リクに至っては、むっしゃむっしゃと食事に夢中のようだ。
鼻から少し息を吐き出して、もうひとつ、皿からサンドウィッチを手に取る。
葉野菜がギュッと挟み込まれたそれに、口を大きく開いてかぶりつく。この場においては、思いっきりそうしてみせるのが一番の礼儀だろう。
「……美味し」
唇についたソースを、ぺろりと出した舌で舐め取る。
ピリッと辛いそのソースは、とてもソラ好みの味だったという。
この後【18:00】より2回目の追加投稿を行います。