「トドメだ、ニャース! “みずでっぽう”で決めろ!」
「にゃっ、みーっ!!」
「カァ、ケェーッ!?」
抵抗する間も無く浴びせかけられた水流に全身を呑み込まれ、その勢いのまま、3匹目のヤミカラスが室内を流され吹っ飛んだ。
水に揉まれて流されたヤミカラスは、既に倒された他の2匹と同じところへ転がり込んで、彼らと同じように目を回す。
腰に手を当ててフンスと鼻息を荒くしているマハルニャースと、その後ろで汗を拭うリクの姿に、ソラはホッと息を吐いた。
「ふぃー……ちょっとビビったけど、どうにかなったぜ」
「リク、そっちも倒せたみたいね」
「まーな、ウチの相棒がやってくれたよ」
「にゃおんぬ!」
主人の傍で、誇らしげに胸を張るばけねこポケモン。
こちらに負けず劣らず消耗しているようだが、それでも元気に振る舞えている辺りは流石と言ったところか。
という訳で都合、3匹のヤミカラスの打倒に成功。
戦闘が終わった事を認識して、ソラは肺の中の空気を一気に吐き出した。肩の力が自然に抜ける中、ちゆりんと、キズだらけのびぃタロが駆け寄ってくる。
「はふぅ……2匹ともお疲れ様。特にびぃタロ、キツいこと任せちゃってごめんね。ありがとう」
「びっ!」
気にするな。或いは、いいって事よ、だろうか。
ともあれ、拳を前に突き出した彼の態度は、至って肯定的であるように見えた。
「ぴーちゅ!」
「うん、ちゆりんもありがとね。今回の決め手はあなただったわ、よくやってくれました」
「ちゃー♪」
脱力がてらに膝を曲げて座り込み、頭をよしよしと撫で回す。
そうしている内、びぃタロもまたスキンシップをねだってきたので、彼の頭も同様に撫でてやる。
視界の隅では、リクもマハルニャースをよく労っている様子がチラリと映っていた。
「カ……カ、カッ……」
「ケェ、カァ……」
「カケッ、キュゥ……」
と、そこで。
倒されて気を失っていた、或いは目を回していた3匹のヤミカラスたちが、ヨロヨロと動き出そうとしているのが見て取れた。
コテンパンに叩きのめされて、最早この場にはいられない事を悟ったのだろう。
こちらを睨みつけつつも、撤退するような動きを見せている。
ソラはゆるりと立ち上がると、彼らの目を真っ直ぐ見やる
目を逸らしてはならない。そんな確信が、少女の中にはあった。
「……次からは、皆の迷惑になるようなところじゃなくて、もっと安全で静かなところに巣を作った方がいいわ。お互い、無闇に交わる事も無いでしょう?」
「……カァッ!」
そう鳴いたきり、ヤミカラスたちは一斉に飛び立ち、窓から風車の外に出ていった。
窓に近付いて外の景色に目をやれば、3つの黒い影は、あっという間に遠くなり、やがて見えなくなっていく。
「……あんまり気にする事でも無いさ。おいらたち人間が野生ポケモンの縄張りに踏み込んじまうのと、あいつらがこの風車に巣を作ろうとしたのは、どっちも同じ事だ。互いに互いの都合があるんだから、せめて自分たちの領分は守らないとな」
「うん、分かってる。大丈夫、言うほど気にしてはないから」
リクの労る言葉に、首を横に振ってはにかむ。
少し前であれば、ソラもこの事についてそれなりに思い悩み、答えの出ない命題に気を落としていただろう。
しかし、そうならないだけの転機が彼女にはあった。
(……テレネットたちとの戦いと同じ。野生の世界では、生きる為、身を守る為に他と衝突する事もある)
巣に踏み込んだが故に襲われたソラたちと、巣を守る為に戦ったテレネットたち。
風車に住み着いたヤミカラスを追い払おうとした今回のシチュエーションは、丁度あの時と真逆の構図と言える。
どちらが善でどちらが悪で……という話ではなく、どちらにもそれぞれの都合と理とがあり、対等である。
優しく賢いが故に悩み多き少女は、あの戦いから確かに学びを得て、己の迷いに対して一定の割り切りを覚える事ができていた。
「後は彼らが、よりよい住処を見つける事を祈るだけ。わたしたちにできるのはそのくらいだし、それ以上を求めて、自分たちでそれを成そうとするのは傲慢ね」
「んだな。……じゃ、そろそろ掃除すっか」
リクが後ろを振り向き、なんとも形容し難い顔で部屋の中を見やる。
ヤミカラスの羽根、びぃタロやマハルニャースの撒き散らした水、戦闘の勢いで舞い上がった埃(濡れてグズグズになってしまっているものまで!)、おまけにヤミカラスたちの作っていた巣だったもの。
それらすべてが散乱し、合一し、撹拌され尽くした末に、遠い目をしたくなる惨状がそこにはあった。
「あいつらを追い払う為とはいえ……掃除に来たのに、逆に汚しちまったな」
「……今から頑張って掃除しましょ。ここだけじゃなくて、他の風車も回らなきゃいけないから、できるだけ迅速に」
モップと雑巾を手にするべく、バタバタと慌てて1階へ降りてゆく少年少女。
その後ろ姿を、天井の梁に止まりながら、ヨルノズクがじっと見守っていた。
「……ねぇ、リク」
「よいせ、っと……んー? なんだ? ソラ」
かれこれ1時間ほどは経っただろうか。
バトルの後始末をし終えた2人は、手持ちポケモンたちの力も借りながら、風車の内部を掃除していた。
汚れを拭き取り、埃を掃き取り、ゴミは袋に詰めて、補修が必要そうなところには手を出さずメモをしておく。
リクは元より家の手伝いをよくやっていた為、この辺りの事は得意であり、ソラも不得手ではあるものの、ニャースが家事をしていたところはよく見て覚えていた。
建物自体がそう広くない事もあって、掃除は順調に進んでおり、1つ目の風車での作業はもうじき終わりを迎える頃合いだ。
まだやるべき
気の緩みからか、ソラがポツリと言葉を漏らし出した。
「ヤミカラスたちの事。さっきはああ言ったけど、やっぱりちょっと、色々考えてたんだ」
「まぁ……考えてしまうのは仕方ないんじゃないか? おいらも気にするなとは言ったし、考え過ぎて動けなくなるのはよくないけど、だからと言って考えなさ過ぎるのもな」
バケツに汲んだ水の中に雑巾を浸し、汚れを洗い流す。
綺麗になった雑巾を絞りながら、リクは背中越しに少女の言葉へ応対する。
「でも実際、よくある話ではあるよ。ウツシタウンでも、畑の野菜や薬草を野生ポケモンが盗み食いしたり、荒らしたりする事があってさ。その度に農家のおっちゃんおばちゃんとか、アネキのロコンとかがそういうのを追い払ってたんだ」
「うん。地上でも、似たような事はあった……いえ、今もあるらしいわ。聞くところじゃ、“エーテル財団”っていう団体が、そういうポケモンの保護をしてるみたいだけど……それだって完全じゃないし、お互いに歩み寄れる限界はある」
そう言いつつ、壁の汚れを拭う。
彼女の足元では、びぃタロやちゆりんも同じように雑巾を持ち、壁の清掃を手伝っていた。
……結局のところ、地上も地下も同じなのだ。
野生ポケモンとの接し方、付き合い方、自然との関わり方に、絶対の正解など存在しない。
より善い形に着地させようとする努力は否定されるべきではないが、だからと言って、今そこにある問題に対処しない訳にもいかない。
この世界の事を何も知らず、また相応の実力も無いソラに、そこへ否やを挟む権利は無い。
それは彼女自身が一番よく理解しており、それ故に彼女がシェラたちの考え方、やり方を否定する事も、そのつもりも無かった。
だから、彼女が考えているのは別の事。
色んな事を考え、悩み、思いを巡らせた末に、ふと思い出した事があったのだ。
「……人の領域を勝手に間借りしていたとはいえ、あのヤミカラスたちにも、帰る場所があったんだよね」
その言葉に、リクは引っかかるものがあった。
単に、自分たちの都合で追い払ったヤミカラスたちへの憐憫や後悔……ではないように聞こえたのだ。
どちらかと言えば……
町のちびっ子たちが、その辺で拾った綺麗な石を「いいなぁ」と言って
14歳と未だ若く、人生経験もロクに積んではいない少年だが、それでもある程度の察しはつけられる。
「帰る場所、ってのは……あんたにとっての地上の事か?」
「……うん」
無意識に込められた力が、キュッ、という甲高い音を立てて雑巾の動きを止める。
ソラは地上からこの地下世界に迷い込んだ“星見人”であり、彼女の本来の家も知り合いも、すべては地上に存在するものだ。
そして今、こうして“リンネの儀”に挑戦しているのは、ひとえに地上へ戻る為のヒントを探し求めているが故なのだが……。
「……あんま、聞かないようにしてたけどさ。実際、どうなんだ? 断片的に聞く限りだと、地上にいい思い出は無さそうな感じしてたけど」
「まぁ……ね。知っての通り、父さんは10年前にこの“マハルの地”に迷い込んでから行方不明。母さんはわたしを捨てて家を出てって、それっきり連絡は無いし、どっちの祖父母とも没交渉。世間は皆、わたしを『ウソつき博士のウソつき娘』だってバカにしてる」
改めて口に出してみて、そして聞いてみれば、重たいどころの話ではない。
事実上、対外のほとんどから拒絶され、排斥されてきたのだ。幼い少女の心にとって、それがどれほど過酷なものか。
だからこそ、腑に落ちない事がある。
「……なんで、地上に帰りたいんだ? そりゃおいらだって、2度と自分の生まれ育った場所に帰れないってなりゃ、辛いし帰りたいって思うけどさ。……でも、ソラがいてて辛いと思うような場所に、巡礼してでも帰ろうとする理由って……何かあるのか?」
「……」
背中合わせのまま、作業は進む。
ソラは壁に向かって、リクは床に向かって掃除を続けながら、それらの音だけが室内に染み渡っていく。
「正直……そう思わなかったと言えば、それこそ嘘になるわ。リクやルスティカ博士にお願いして、ウツシタウンに住まわせてもらう事だって、ひとつの選択肢かもしれない、けどやっぱり。わたしはもう1度、地上に戻ってみたいの」
「そりゃ……なんでだ?」
「……昨日ね、思い出したんだ。宿の窓からこの街の景色を目の当たりにした時に……」
ふい、と壁から視線を逸らす。
彼女の瞳は小さな窓の外に向けられて、まるで、見える筈の無い何かを見ようとしているようで。
「この景色を見てほしいと思える人たちが、地上にはちゃんにいたって事を。わたしには、敵しかいなかった訳じゃなかったんだ」
この後【21:00】より3回目の追加投稿を行います。