ポケットモンスター ビヨンド・ダイブ   作:小村・衣須

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Lv.57「夕暮れの景色」

「──よーっし! お掃除、おっしまーいっ☆ みんなっ、ここまでお疲れさま♪」

 

 

 人差し指を天高く突き上げて、シェラが高らかな宣言をひとつ。

 そのよく澄み渡り、それでいて甲高さやうるささを感じさせない不思議な高音は、周囲の面々に作業の終わりを過不足なく伝え切り、たちまちに彼らを脱力させた。

 

「は、はひぃ……つっ、かれたぁ……っ!」

「おいらも……。おつかいやバトルとかじゃないのに、ここまでヘトヘトになったのは久々だぜ……」

 

 ソラとリクはその場にへたり込み、息も絶え絶えの有り様だ。

 周囲を見やれば、シェラの教え子たる神官たちもまた、少年少女ほどあからさまに疲れてこそいないが、それでも心身の疲労を隠せずにいた。

 

 

「いやーっ、今日中にお掃除ぜんぶ終われて、よかったよかった☆ これも皆のおかげだねっ♪ 今夜はシェラちゃんが腕によりをかけて、特製サンドウィッチをごちそうしたげるよん☆」

 

 

 1つ目の神殿(ジム)、プルガーシティジムのジムテストとして行われた、街の風車の清掃作業。

 長らく溜め込んでいた分を、今日1日で一気にやってしまおう! ……などと言って決行されたそれは、どうにか夕方までにすべての風車の掃除を完遂する事ができた。

 

 ソラたちが担当したのは、街にいくつかも並び立っている内の5基ほど。それも、あくまで重要な機構の無い下層の範囲だけだ。

 

 それでも、踏み込んだ風車の中には例外なく野生ポケモンたちが住み着いてしまっており、それらを追い出す為に連戦に次ぐ連戦を強いられてしまった。

 その上でバトルの後始末をしつつ、風車内部の掃除までしなければならないのだから、最初に思っていたよりも遥かに過酷なテストだったのは間違いない。

 

 

「お疲れ様で御座いニャス、ひいさま、リクさま。お茶を淹れてありますので、こちらを飲んで一息ついてくださいニャし」

「お、サンキューな、じいさん。丁度、喉がカラッカラだったんだ」

「……はふ、あったかくて美味し。じいちゃん、ありがとう。それと……」

「他の方にも、で御座いニャスね? 勿論、皆様の分もご用意しておりニャスよ」

「流石。それじゃあ、神官の皆さんにも振る舞ったげて。わたしたちが任された以上の分まで、たくさん頑張ってらしたから」

「畏まりニャした」

 

 

 甲斐甲斐しく礼をした後、ティーポットを手に神官たちの方へ向かっていくニャース。

 

 先にも言った通り、ソラたちが作業を担当したのは全体から見てもほんの僅かなものだ。

 風車の上層や羽、そもそも彼女たちの踏み入っていない他の風車などは、神殿(ジム)付きの神官たちが駆り出され、それらの掃除を任されていたという。

 

 如何に人手があるとはいえ、期限(リミット)はソラたちと同じ夕方まで。

 その作業量と速度、それによってかかる負担と疲労たるや、少年少女の想像の外にあるとしか言い様が無いものだ。

 

 

「──ややっ、ありがとねソラちゃん☆ ニャースさんに、神官(ウチ)の子たちの分までお茶を用意してもらっちゃって」

 

 

 座り込んだ少女の頭上に、シェラがひょこっと顔を出し、こちらを見下げてくる。

 

 こちらからは見上げる形で視界に映った彼女の顔は、あれだけの作業量に反して汗ひとつ掻いていないものの、煤や埃が付着して若干ながら黒く汚れていた。

 それでも、彼女の所作から美しさや可愛らしさが削がれるような事は無く、むしろその汚れがお転婆な少女めいた雰囲気を演出するのだから、不思議なものである。

 

 

「あ、いえ。じいちゃん、あれで結構、好きでやってるところあるんです。前に1度、わたしも家事を手伝いたいって言った事があったんですけど、『家事が生き甲斐になってしまって、最早やっていないと落ち着かない』って返されたくらいで」

「ほっほーう、人間のお手伝いをするのが大好きなポケモンさんってワケね♪ そういう子は、マハルにもたっくさんいるよ☆ でも、人間の言葉を話せるくらい賢くて器用なのは、シェラちゃんの知る限りだと、あのニャースさんくらいかな?」

 

 

 両の腰に手をやり、遠くのやり取りを見る。

 ニャースが淹れたての温かなお茶を神官たちに振る舞い、彼らはそれを嬉しそうに受け取り、舌鼓を打っていた。

 

 街の外から来た余所者だとか、ポケモンなのに人の言葉を喋っているとか、そんな壁はそこには無かった。

 まるで、数年来の友人であるかのように打ち解けているのは、或いは人に長く仕えてきたが故の、彼のコミュニケーション能力によるものか。

 

 

「人間の言葉を話そうと思えるくらい、ソラちゃんたちのコトが大好きなんだろーね♪ これも人間とポケモンの、ひとつの共存の形だね☆」

「……共存、か」

 

 

 両手で抱え込んだカップから、お茶を舐めるように口にする。

 野外故に落としても割れにくいよう、分厚い作りになっているカップだが、両の手でギュッと包めば、お茶の温もりが自然と手の平まで伝わってくるようで。

 

 

 

『次からは、皆の迷惑になるようなところじゃなくて、もっと安全で静かなところに巣を作った方がいいわ。お互い、無闇に交わる事も無いでしょう?』

 

 

 

 共存。

 その2文字を聞いてソラが不意に思い出したのは、やはりというか、自分たちが追い払ったヤミカラスの事だった。

 

 ここまで何度もバトルと掃除を繰り返して、その間に何度も思考を巡らせてきたが、やはり答えは出てこない。

 自分の立場や力ではどうならない事も、何よりもまず、彼らが住み着く事によって困るのはこの街の人たちである事も、ちゃんと分かっている。そこに否を唱えるつもりは無い。

 

 それでも、ただ「これでよかったのだ。仕方の無い事だ」で終わらせるのは、賢くも未熟な少女にとっては、何かが違う気がしてやまなかったのだ。

 

 

 

「……あのヤミカラスたちとも、共存できるようなもっといい方法って、無かったのかな」

 

 

 

 だから、ふと。

 掃除がようやく終わった事による気の緩みと、疲労感で鈍った思考と、そんな状態でなおグルグル考え続けてきた事とが合わさって、ポロリと呟きを零してしまう。

 

 

「……ソラちゃん?」

 

 

 は、と我に返った時には既に、シェラの目がまんまるとこちらを捉えていた。

 彼女の耳がとてもよい事は、ここまでのやり取りでよく理解している。(いわん)や、これほどの至近距離なのだ。

 

 不味い事を口走ってしまった。その時の少女の認識は、概ねそのようなものだった。

 

「あのっ、あ、いえっ、ち、違うんです! あの子たちも、街の人たちの迷惑にならない形で上手く生きていけたらいいなってだけの話でして、えとっ! シェラさんやこの街の人たちの方針や考え方に異論がある訳では、その……っ!」

 

 途端、最近マシになっていた対人恐怖症が再び顔を覗かせ、弁明しようとパニックを起こし出す。

 

 賢しらなだけの小娘が、街の事情も知らずに吐いた綺麗事だと、そのように受け取られてはいけない。

 そんな思いばかりが先行して、この頃は落ち着いていた筈の舌も、上手く回らなくなる。

 

 

「……なーるほどね? ソラちゃん、そんなコト考えてたんだ?」

「ひ……っ!?」

「しぇ、シェラさんっ! 別にソラは、あんたらのやり方に喧嘩売ってるとかじゃなくてさ……こう、自分にも何かできる事は無いのかとか、そういうのを大真面目に考えてるだけで──」

「ヨルノズクくん」

 

 

 血の気の失せた顔をするソラの横で、必死にフォローの声を飛ばそうとするリク。

 しかし、そんな彼の言葉を上塗りするかのように、シェラはヨルノズクを己の隣に呼び寄せて……

 

 

「“じんつうりき”。()()()()()()に飛ばしちゃって?」

「ホウッ」

 

 

《ヨルノズクの じんつうりき!》

 

 

「ちょ、シェラさん待っ──きゃあっ!?」

「ソラっ!? って……まさかおいらも、わぁあっ!?」

 

 ヨルノズクの目が、青色の光を帯びて輝く。

 エスパータイプならざれど確かに発揮されたサイコパワーは、2人の少年少女を捕捉し、彼らの体をたちまちに宙へ浮き上がらせた。

 

 よく鍛え上げられたポケモンの超能力を、人間の子供に振り払える道理も無く。

 空中で藻掻こうにも、自らの手足さえ上手く動かせないまま、ソラたちは人の背よりも高くへと上昇し始めた。

 

 

「ひ、ひいさまっ!? リクさまーっ!?」

「じいちゃっ、助けっ……このままじゃ、落ちる……っ!?」

 

 

 見る見る内に小さくなっていく地上。

 こちらへ手を伸ばすニャースの小さな手が届く筈も無く、少女はやがて街の建物さえ飛び越す高さに到達する。

 

 落下死。

 全身を呑み込む浮遊感の中で、そんな3文字が脳裏をよぎり──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はいっ、とーちゃーくっ☆」

「はっ……え、はぇ……?」

 

 

──そこは、風車の屋根の上だった。

 

 

 その直上へ到達した途端、ヨルノズクの“じんつうりき”は解除され、サイコパワーから解き放たれたソラとリクは、自然と屋根の上に着地する。

 

 今いる場所の高度に面食らいこそしたが、風車の屋根の上は足場としては案外と踏み締めやすく、バランスを崩すという事も無かった。

 吹き抜ける風も、その強さに反して、体に打ち付けるほどの勢いという事も無く、“ふきとばし”による落下はまず考えなくてもいいだろう。

 

 ともあれ、自分たちが危惧……もとい早合点したような事態では無いようだが、それにしても何故このような場所まで飛ばされてきたのだろうか。

 そう首を捻っていると、シェラが同じく屋根の上まで飛んでくる。やはりというかなんというか、ヨルノズクのサイコパワーに頼るのではなく、自分の力で跳躍してきたらしい。

 

 

 

「やほっ☆ ごめんね、いきなりの事で驚いたでしょ?」

「シェラさん……これ、一体どういう……?」

「まま、話は後♪ 兎にも角にも、ここから見える景色を、2人に見て欲しくてさ☆ この風車、この街でいっちばん高くておっきいから、屋根の上からだと色んなものがよく見えるんだ♪」

「景色……? 色んなものって、何が──」

 

 

 

 言葉は、そこで止まった。

 

 

 山の彼方へ下降しゆくソルロックたちと、空へ上昇しながら光を放つルナトーンたち。

 彼らが中空ですれ違い、入り混じる事で織り成されるオレンジ色の光は、まさしく地上で見る“夕日”と遜色無いものだった。

 

 そんな濃くも鮮やかな橙色が、眼下に広がる小麦畑を照らしている。

 そういえば、時期的には収穫が始まった頃合いだったか。いくつかの畑は既に穂が刈り取られていたが、そうではない畑では、未だによく実った穂たちがさらさらと風に揺れていた。

 

 そんな黄金色の風景と見事に溶け込んでいるのは、プルガーシティの街並みだ。

 草原と川に囲まれた、なだらかな谷底平野の中の街は、ここに来るまでに通ってきた“ギムレの洞穴”のような、ゴツゴツとした岩の気配を感じさせる事は無い。

 

 目に優しく、それでいて水彩画のように色とりどり。

 そんな自然の1ページを切り取ったかのような光景を、夕焼けの色濃い光が、それらの魅力を食い潰す事なく調和し切っていた。

 

 それは、風車の屋根まで登らなければ、決して見る事の叶わなかっただろう光景だった。

 

 

 

「──……」

 

 

 

 ソラは、言葉を失っていた。

 先ほどシェラに対して返そうとしていた問いも、疑義も、すべてが溜め息に変換されて、開いたままの口から自然と溶け出している。

 

 “マハルの地”に来てから、彼女は色々なものを見てきた。

 

 遥か頭上に広がるもう1つの世界、“獣の大地(ローランド)”。ルナトーンたちの舞い踊る、青と緑の光に包まれた夜の景色。1番エリアの穏やかな草原地帯。リバーテル結晶が照らす“ギムレの洞穴”の洞窟迷宮。

 そのどれもが美しく、地上では凡そ見る事のできない驚異に満ちたものだった。

 

 しかし、今目の前に見える景色は、見ようと思えば地上でも見る事ができただろう。

 カロス地方はコボクタウンのきのみ畑、ガラル地方のターフタウンや、パルデア地方のセルクルタウンなど、類似する景色はいくつでもある。

 

 それでも──

 

 

「……ソラ? 泣いてるのか?」

「……え?」

 

 

 そう言われて初めて、ソラは自分の頬を熱いものが流れている事に気付いた。

 顔に手を当てれば、目からしとどと零れ落ちる涙の軌跡が、指でせき止められてボタボタと溢れ返っていく。

 

 今、心の中に悲しさは無い。悲しさや恐怖、絶望から流す涙ではない。

 であれば、この涙は……。

 

 

「……そっか。わたし、感動してるんだ。地上みたいな光景を見る事ができて……それが、あんまりに綺麗で……」

 

 

 懐旧、或いは望郷。

 それは目の前の美しい景色に、己の生まれ故郷を重ね合わせ、心を強く揺り動かされたが故の感涙だった。

 

 ここは1つ目のジムがある街で、旅はまだまだ始まったばかりで、これから驚くべき光景も、色んな人や街やポケモンも、たくさん見る機会はあるけれど。

 それでも、この光景を目と記憶に焼き付け、涙を流す事ができるのは、間違いなく今この瞬間しか無いだろうから。

 

 故にソラは、己が涙を流す事を恥ずかしいとはちっとも思いやしなかった。

 

 

「確かに、すっごい景色だよな。おいら、今までウツシタウンとカロンタウンを行ったり来たりだったから、ここまで来るのは初めてだけど……うん。おいらも、この光景を見れてよかったって思ってる。アネキたちに聞かせるいい土産話が、1つ増えたぜ」

 

 

 そしてリクは、彼女の情動を決して否定も、嘲笑も、揶揄もする事は無かった。

 この景色に心を動かされたのは自分もまた同じであり、その素晴らしさに、どこか満たされるものを感じていたのだから。

 

 涙を流して感動する少女とは反対に、彼は晴れ晴れとした笑みを隠そうともせず、より鮮明に景色を目に焼き付けようと努めていた。

 

 誰も彼もが沈黙のままに夕暮れを眺めていて、ただ風の吹く音だけがその場に残る。

 けれども、それは決して不愉快な静寂ではなかった。




この後【15:00】より1回目の追加投稿を行います。
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