「……よかった。ソラちゃんたちも、この光景を綺麗だって、凄いって思ってくれるんだね」
夕暮れに見惚れていた2人の隣、屋根の隅で同じように景色を眺めていたシェラが、そのように呟いた。
これまで接してきた中でよく聞いた、明るくキャピキャピとした声とは正反対の、しっとりと感嘆に耽るような呟き声だった。
「シェラちゃんね、この景色がだーいすきなんだ。嬉しい時も、悲しい時も、この風車の上から街や畑を眺めてると、心の中が同じくらい綺麗になるの。特に、夕方に見る景色は格別! だから、ソラちゃんたちにも見て欲しかったんだー」
「……そっか。だからあんたは、夕方までに掃除を終わらせろって……」
「そゆこと☆ お掃除を頑張った甲斐、あったでしょ?」
にへら、と。
悪戯が成功した時のような、それでいて大好物を頬張った時のような、心の底から幸せそうな笑顔。
それから彼女は、屋根の上に座り込むと、足を外に向かって投げ出した。
「……ここまで接してきて、薄々思ってたよね? シェラちゃんのコト、人として普通じゃないって」
「えっ……いや、そんな事は……」
「いいっていいって♪ 気にしてないから。……人より耳がいいのも、人より力が強くて、頑丈で、すっごくジャンプできるのも、ぜんぶ生まれつきのもの。シェラちゃんね、生まれた時から、まるでポケモンちゃんくらいに強かったんだ」
そう語る彼女の表情に、悲壮感や諦観は見受けられない。
小さな呟きすら聞き取る聴覚に、自分よりも大きく重い荷物を軽々持ち上げる筋力、ひとっ飛びで3階の高さすら跳躍する脚力。
本人の言う通り、それは人間というよりも最早ポケモンに近い
何故、彼女がそのような能力を持って生まれてきたのか。それをソラたちが知る術は無い。
だが少なくとも、彼女の持つ力が、尋常の人間ではあり得ない異質な──そして、周囲に恐怖と不理解を招くだろうものである事は、容易に理解できた。
けれど。
「……でも、この街の皆は、誰もシェラちゃんの事を疎ましく思わなかった。同じプルガーシティの仲間だって認めて、受け入れてくれたんだ。だからシェラちゃんはこの街のコトが大好きで、この街のジムリーダーになったの」
その言葉に、ソラは驚きと衝撃を覚えた。
異質な力の持ち主である事を周囲に受け入れてもらえた。それは、まだいい。
けれど、どれほどの努力、どれほどの愛があれば、それほどの事を成せるのだろうか。
ジムリーダーとは即ち、“リュウジンさま”を祀り、その教えを広める
それを彼女は、この街の人たちに恩を返す──ただその為に会得し、上り詰めたのだ。
どれほどの優しさを周りから与えられれば、それほどの事を成せるのだろか。
「シェラちゃんはこの街に救われたんだ。この夕焼けだって、そのひとつ。この景色を大事にしたくて、失いたくなくて、
そう語るシェラの横顔は、夕焼けの光に照らされていて。
そのコントラストがあんまりにも綺麗で、鮮やかで。見惚れるあまり、ソラは二の句を告げられずにいた。
ただ、胸の中で淡い憧憬だけが煌めいているのを実感できる。
それ故に少女は、それ以上を語る事ができず。それ故にシェラは、そんな彼女の姿をチラリと横目に見た。
「……繰り返し言ってるように、シェラちゃんってとっても耳がいいんだ。だからソラちゃんがジムテスト中、野生のヤミカラスちゃんたちの事で悩んでた事も、風車の外でちゃーんと聞いてたよ。リクくんとのやり取りも、全部ね」
「……っ! そ、れは……」
「ああ、怒ってるワケじゃないよ? ホントホント。むしろ……うん、そうだね。それだけ真剣に考えてくれて、逆にすっごく嬉しいんだ」
想像だにしなかった言葉に、少女は目を丸くした。隣のリクも同様だ。
少年少女の困惑を知ってか知らいでか、この街のジムリーダーは変わらず風車から望む景色に目を向けていて、横顔を色濃い夕焼けに晒していた。
「ソラちゃんの言う通りだよ。本当は、風車に住み着くヤミカラスちゃんたちを追い払って、その巣を壊して終わりじゃなくて、彼らとも共存できるのが一番いいに決まってる。この街の皆が、シェラちゃんの事を受け入れてくれたみたいに」
「それは……でも、難しいんです、よね?」
「……まぁね。それは
徐ろに立ち上がる。
不意にやや強めの風が吹いて、シェラの短く整えられた
「野生には野生の暮らしやせいかくがあって、皆が皆、
「今まで散々迷惑をかけられてきて、
無言の首肯が返ってくる。
例えこちらが受け入れの体制を整えたとしても、彼らがその通りに暮らしてくれるとは限らない。
それは、逆の立場もまた然り。
保護に要する費用、労力、手間。そして何より、当の住民たちが、彼らを完全に受け入れられるかどうか。
その答えは、知識と技術の進歩した地上でも、未だに出ていない。
人間とポケモンの真の共存は、まだ遠い夢の話だ。
だが、それでも──
「……でも、諦めたくないよねーっ!」
シェラは、そう叫んだ。
ハキハキと喋る彼女の、初めて聞く叫び声だった。
「現状、シェラちゃんだけだと、ヤミカラスちゃんたち野生との折り合いを完全につける事はできない。それは分かってるし、シェラちゃんも自分にできる以上の事はしない。それで他の皆に負担を強いるのは違うし、シェラちゃんが優先すべきはこの街の皆だから」
けど、と言葉は区切られた。
「だからって、思考を止めて今まで通りこれまで通りっていうのも、なんか違うと思うんだよねっ。考え続けて試し続けて、色んな人から色んな話を聞いて、色んな意見を聞いて、ぶつけ合って! そうやって、皆がまるっとハッピーになれるような──」
片足を上げ、反対の足を軸にしてくるりと回転。
風車の屋根のフチであるにも拘らず、見ていて危なげを一切感じない動作で回りながら、そうして彼女はこちらを向いた。
「──今日よりずっといい明日を、皆で作れたらいいなって、シェラちゃんはそう思うんだ♪」
……これまでに何度も、シェラが笑うところを見てきた。短い付き合いだが、彼女はいつも笑っていた。
それでもソラは、今の彼女が浮かべる笑顔を、これまでで一番輝いているように感じた。
それは彼女の本心に触れたからか、それとも情景がその魅力を引き立てているが故か、或いは……
『もしもきみが、何かを肯定したいと思うなら、その何かを否定する人と会いなさい。そして逆に、何かを否定したいと思うなら、今度はそれを肯定する人と会うんだ。異なる価値観、様々な考え、真逆の思想を受け入れ、ぶつかり、考えるんだ』
彼女の言葉に、在りし日の恩人を見たのか。
「……プラターヌ、博士」
「……? ソラ、なんか言ったか?」
「ううん」
リクの問いかけには、首を横に振って誤魔化して。
気付けば、先ほど抱いていた淡い嫉妬も憧憬も、夕焼けの中に溶けて消えてしまったようで。
「シェラちゃんのジムテストがこういう内容になってるのも、そういうコトを考えてもらうキッカケになってほしい、っていうのが理由のひとつなんだー。1人じゃできるコトは限られてるけど、皆で知恵を出し合って、協力すれば、いつか……ね?」
……人によってはそれを、
誰もが手を取り合うなんて事は不可能で、理想を実現するには様々な問題や障害があって、口で言うほどに容易く叶う事はできなくて。
そういった実現の難しい理想を、時として人は夢物語と言って否定する。
心無い者であれば、嘲笑や中傷すらあり得るだろう。地上でさえそうなのだから、地上よりも発展の遅れた
けれど、少なくとも。
「……わたしは、素敵だと思います。シェラさんの、その信念」
「勿論、実現するには問題もたくさんあるでしょうし、そう簡単には行かないでしょうけど……。それでも、考える事、努力する事を諦めないのは……とても、凄いと思います」
「……にっへへー。そう言ってもらえると、シェラちゃんも嬉しいねぇ」
童女のような笑みだった。
その笑顔を見て、ソラもまた、年相応のあどけない笑みを返した。
暫しの沈黙を、風の音が洗い流していく。
「わたしが“星見人”……マハルの外から来た、地上の人間だって、ルスティカ博士から聞いてるんですよね?」
「んー? まーねぇ。ルスティカちゃんからソラちゃんのコトと、気にかけてあげてーってカンジの話は聞いたかな。聞いてた通り、ソラちゃんってばとっても面白くていい子だから、シェラちゃん気に入っちゃった♪」
「あ、はは……ありがとうございます」
なんともこそばゆい言葉が返ってきて、上手い返事もできずに頬を掻く。
とはいえ、したかった話題とは微妙に異なるものだ。その為、気持ちを切り替えるべく、咳払いを小さく1回。
「地上にも、“マハルの地”に負けないくらいたくさんの人たちがいて……その中には、ルスティカ博士みたいに、ポケモンの事を研究しているポケモン博士が何人もいらっしゃるんです。わたしの父さんもその1人で……有名な博士の方に師事していたそうです」
「……」
「だから……いつか、わたしが“リンネの儀”を完遂して、霊峰で“リュウジンさま”に会う事ができたら……。それで、地上に帰る事ができたら、きっと……」
小さく吸う、を数回繰り返す。
呼吸を整える傍らで、早まる鼓動を抑えんと意識する。
自分が言おうとしている事の分不相応っぷりに、我ながら目眩がしてくるけれど。
それでも言いたい、言わねばならないのだと、己を“ふるいたてる”ように息を吸い、シェラを見る。
「……わたし、皆に伝えます。
今度こそ、シェラは目を見開いた。
ガラスめいて透き通った綺麗な瞳が、虚を突かれたように丸められている。
まだ1つもジムをクリアしていない。
そんな少女が、巡礼を完遂すると──自分に勝つばかりか、他の7人のジムリーダーにも打ち勝ち、最果てに座する“縫いの霊峰”へ到達すると、そう宣言したのだ。
まだ駆け出しの、何もかもが未熟で青いひよっこが、自分たちの信ずる
「……そっか」
身の程知らずと、そう笑うのは簡単だ。
大言壮語だと、そのように切って捨てるのも容易い事だ。
けれども、シェラはそうはしなかった。そう思いすらしなかった。
それは、夕暮れを背にした少女が切ってみせた啖呵に、この世界の誰もが知らないだろう、新たな可能性を見た故か。
いや、それよりも、何よりも──
「それは……嬉しいな」
自分の理想を、信念を。
綺麗事と言われても仕方の無いような淡い祈りを、彼女は肯定してくれた。
いつの日か、そのささやかな願いを実現できるかもしれないと。
そんな未来を、ソラは声を震わせながらに語ったのだ。
ここまでのやり取りで、彼女の気質はなんとなく理解できていた。
己が大言壮語を吐いていると自覚して、自己嫌悪から詰まる息に喘ぎながらも、それでも言葉を告げ切った。
その事実が、たまらなく嬉しくて。
(ホーント、面白くて素敵な子だね♪)
それ以上に、なんだか救われた気がしたのだ。
「ありがとね、ソラちゃん。シェラちゃんったら感激しすぎて、思わずこの場で踊り出しちゃいそう♪」
「えっ、あのいや……こ、ここで踊ると、危ないんじゃ……」
「ふふっ、冗談だよ冗談♪ 流石のシェラちゃんでも、ここから落っこちたら痛いもんね☆」
求めた通りの反応が返ってきて、からかい甲斐があるなぁと、更に笑う。
リクの「痛いで済むんだ……」という呟きは軽くスルーして、腕を振り上げ、ぐぐっと強めの伸びをひとつ。
「……さって! そろそろ暗くなりそうだし、ヨルノズクくんに頼んで降ろしてもらおっか♪ だいじょーぶ、ヨルノズクくんの“じんつうりき”なら安全に降りられるよ☆」
「まぁ、地面からここまでひとっ飛びだったしな……。その分、いきなり飛ばされてすっごい怖かったけど」
「ごめんごめん☆ どーしてもソラちゃんとリクくんに、この景色を見てもらいながらお話がしたかったんだー♪」
にひひと茶目っ気たっぷりに笑いながらも、その言葉は決してふざけたものではないと、ソラたちは理解していた。
風車の上から望むこの景色を通して、プルガーシティという街の事を。
そしてこの街の景色と、そこから得られた感情を通して、この街の為に──この世界をよりよくする為に、何ができるのか。
そんな、ちょっとした「気付き」を手にしてほしい。
それがシェラの狙いであり、彼女の持つ祈りなのだろう。
「はい。おかげで、わたしも旅の目的や目標を再認識できたと思います。理由は色々あるけれど……わたしは、これからも旅を続けていきたい。この“マハルの地”という世界を、見てみたいです」
「そっかそっか☆ ならばよーし! で、もぉ──シェラちゃんに勝てないと、この街の先には行かせないぜい?」
瞬間、す、と目が細まる。
目尻を鋭利に細めながらも、笑みは絶やさずに。それは或いは、地上におけるバルジーナのようでもあった。
「……! っ、はい。分かってます」
その眼光に、笑みの裏に宿る意図に、一瞬ながらも身が竦む。
けれども、
自身に向けられたものではないとはいえ、端で見ていたリクもまた、シェラの微笑みにはゾクリと泡立つものを感じた。
しかし同時に、直接向けられた訳では無いからこそ、彼女の言葉の裏にあるものに気付く事ができた。
「勝てないと、って……もしかして、このテストは」
「うんうんっ☆ 気付けてえらいよーっ♪ そりゃーねっ、あれだけ頑張ってお掃除してくれたんなら、これでバッテンつけるジムリーダーなんていないよ~」
「それじゃあ……」
「ま、今日はもう暗くなっちゃうし、ソラちゃんたちもヘトヘトだろうから、今晩はしっかり休みなー? ちゃーんとゴハン食べて、ぐっすり寝て……それから明日、また
ソルロックたちが遠い山々に消え、ルナトーンたちが空の主役として振る舞い出す、夜。
淡い漆黒と、緑の煌めきが彩り、先ほどまでとはまた異なる美しさを演出する夜のプルガーシティを背景に。
この街のジムリーダー・シェラは、自分に挑まんとする新たなチャレンジャーの登場を寿いだ。
「ジムテストは文句ナシのクリアー♪ 明日、シェラちゃんがジムリーダーとして相手してあげるよ☆」
【ジムテスト】
【ごうかく!】
【街の 風車を 掃除せよ!】
この後【18:00】より2回目の追加投稿を行います。