「びぃ、タロ──っ!?」
想定外の事態に、悲痛を漏らすソラ。
だが、彼女の目は、今の一瞬で何が起こったのかをしかと理解していた。
こちらの姿を捉えたマハルドードーは、背中を晒したままの体勢で、その身に真空の刃を2つ纏ったのだ。
自らの盾となるように展開された刃の内の1つ目が、自分から飛び込んできたびぃタロの体を刻み、すかさず振り向くとともに放たれた2つ目の刃が、更なる追撃をかけた。
回避叶わぬ速度と距離からの攻撃に対して、その場から動く事無く迎撃し、更に切り返す。
それはまさしく、お手本のような“カウンター”であると同時に、シェラがここまで隠し通してきた奥の手でもあった。
「ビックリした? “つばめがえし”は相手に必ず命中する、ひこうタイプのわざ♪ 出だしの速度では、流石に“サイコソニック”みたいな先制わざには負けちゃうけど、こうして
ドシャア!と地面に落下し、這い蹲るあまえびポケモン。
“つばめがえし”の威力は、概算で“つつく”の2倍近くあるとされている。
つまり、わざを受けた側へのダメージも2倍。重ねがけした“ビルドアップ”の上からなお、大きな痛痒がその矮躯に刻み込まれていた。
「っ……!(“サイコソニック”は
こちらが距離を取れば“サイコソニック”で追い縋り、“みだれづき”で畳み掛ける。
逆にこちらが攻め込んでくれば、“つばめがえし”で切り返す。
タネが割れてしまえば、なんと単純な話だろう。
だが、先にも語った通りだ。単純であるが故に強力で、対処が難しい。
そしてここから先、1度でも対処を誤れば──その時点で、敗北する。
「びっ……ぃ、いい……び、ぁ……っ!」
全身傷だらけで、痛みに喘ぎながらも藻掻くびぃタロ。
しかし、その
(どう、すれば……どうすれば、ここから勝てるの? ここから、逆転できるの……?)
相手はまだ体力が有り余っていて、こちらは満身創痍の相棒が1匹だけで。
わざの速度も、威力も、どちらも相手の方が上で、こちらがどういう手を取ろうとも上回られる事は確実で。
勝利を確信し、高揚に浮かされていた思考が、“ひやみず”を浴びせかけられたの如く急激に冷めていく。
なまじ頭がいいだけに、この状況が如何に絶望的で、如何に逆転が困難であるかを、理屈の上で理解してしまう。
グルグルと空回りを続ける頭の中では、良案などただのひとつも浮かんではこない。
どれだけ考えても、どれだけ思考を巡らせても、思い至るのは「敗北」の2文字のみ。
(……何も、変わってない。わたしは、何も変わってない……!)
強くなれたような気がした。
しかし実際には、“船出仕合”であの少年に負けた時から、オヤブンテレネットに追い詰められた時から、何も変わっていない。
いくらポケモンが強くなろうとも、肝心のトレーナーがヘボでは話にならない。
状況をひっくり返し、優勢に持っていこうとしたつもりが、逆にひっくり返され、一気に追い詰められる始末。
それが自らの失策と、「勝てる」と気を緩めたが故の結果は、嫌でも理解できる。理解できるからこそ、少女の心はより苛まれていた。
「さーって、ここからどうするのかな? 負けたり
「……わたし、は……わた、わたしは……っ!」
続行も、降参も、どちらも喉から出てこなくて、出せなくて。
焦燥感に駆られた少女はただ、無為に瞳孔を揺らしながら、荒い呼吸を繰り返すのみ。
このまま沈黙していても、いい事なんて何ひとつ無いというのに。
まだ取り返しがつく、なんて言っておきながら、目の前の勝負に固執している自分が嫌になってくる。
やがて詰まった呼吸は脳から酸素を奪い、くらりと視界が歪んでいって──
「なに諦めてんだよ、ソラ! びぃタロは……あんたの相棒は、まだ諦めてないぞ!!」
ヘドロのような思考の海から意識を引き戻す、叱咤するような呼び声。
それがリクの叫び声であると気付くまでに、ソラは数秒を費やした。
あのまま意識ごと沈んでいきそうだった少女の視界は、その呼び声に“きりばらい”されて、急激に鮮明になっていく。
呼びかけに対する疑問や訝しみよりも先に、耳に入ってきた言葉に釣られるがまま、視線だけが前方へと向けられる。
「……びっ、び、びぃいいい……!!」
立ち上がろうとしていた。
傷だらけで、最早ボロボロで、いつ倒れてもおかしくないというのに。
それでもびぃタロは、両の手で地面を掴み、残された力でなお、起き上がろうとしていた。
「び、ぃ……タロ」
「びぃっ……! び、びびっ、びぃ……っ!」
踏ん張りながら、力を振り絞りながら、なおも足掻く事をやめない小さな背中。
勝てないかもしれない。ここから逆転する目なんて無いかもしれない。
それでも彼は立ち上がろうとしている。諦める素振りなんてちっとも見せてはいない。
どうして、という言葉が虚空に溶ける。
どう考えたって、
それでもなお、立ち上がろうとするならば、それはもう──
「びっ──びぃいあっ!!」
それはもう、
「……ぁ……」
「びっ……びぃーいっ!」
とうとう立ち上がり、構えを取ってみせるびぃタロ。
もはや肩で息をしているような有り様で、動きも精細を欠いてはいるが、それはまさしく、戦闘続行の意志を示すには十分なものだった。
「びぃタロはまだ立ってる! まだ、戦える! なのに肝心のソラが諦めてどーすんだ! 巡礼の旅は、まだ始まったばっかなんだぞ!」
「そうでニャス……そうで御座いニャス、ひいさま! 今一度、ご自分を奮起なさってくださいニャせーっ!」
「にゃーみーっ!」
リクとニャース、それにマハルニャースの呼びかけが、コート側にまで届いてくる。
わんわんと反響している癖に、ちっとも耳に障らず、決して不快ではない叫びたちが、体の芯にまで染み込んでいく。
『わたし、皆を信じるよ。びぃタロ、はるりん、ちゆりん。皆ができる子だって、どんな相手にも勝てる凄い子たちだって、信じて信じて信じ抜く。だから皆も……わたしを信じて、わたしの指示に応えてくれる?』
昨日の夜、宿屋で言った言葉が脳内にリフレインする。
ソラは今、1人で戦っている訳ではない。彼女に信を置かれた
ソラならば、自分の命運を託せる。そんな確信があるからこそ、彼らはトレーナーの分まで前に立ち、戦う事ができる。
それは、びぃタロだけではない。倒れていったはるりんも、ちゆりんも同じだ。
ソラならば、自分たちの能力を最大限に活かしてくれる。自分たちもまた、ソラの指示に精一杯応えてみせる。
そんな信頼の下で戦い、流れを繋ぎ、この場に至っている。
それをどうして、彼らからの信頼に応えるべきトレーナーが勝手に諦め、繋がれた流れを断つ事ができるだろうか?
(わたし……バカだ。昨日、あんな事を言った癖に、自分の言った言葉を、本当の意味で理解できてなかった)
“船出仕合”での敗北、“ギムレの洞穴”での窮地。
2つの経験は、やはり少女の心に苦くのしかかり、ある種のトラウマのようになっていたのだろう。
どんな状況でも諦めない事。自分のポケモンたちを信じる事。
少女の未熟で、それでいて歪に成熟した理性と知性は、そんな当たり前の事を曇らせ、見失わせていた。
だが、理屈ではない。
ポケモンバトルは、
「ディディッダ……!」
「はいはい、ちょーっとだけ“待て”だよ☆ あとでおやつあげるから♪」
「ディイ……ッ!」
今にも飛び出し、とどめを刺しに来そうなマハルドードーを、シェラが宥めている。
そんな彼女に内心で感謝しながら、ソラは自分の両手を見る。
それから深く、細く息を吸って、吐いて──
「──ッ!!」
両手で、思いっ切り自分の両頬をブッ叩く。
パァン!という乾いた音。ジンジンと痛む頬。そして痛みや羞恥や自己嫌悪、その他様々な感情がごちゃ混ぜになって滲み出た涙。
それらをパーカーの袖で強引に拭い去って、今一度、目の前を見た。
相棒たるびぃタロは満身創痍で、それでもしかと立ち、指示があればいつでも動き出せる態勢にあった。
(決めた……! わたし、
思考を放棄しては、勝ちの目は無い。
考えてばかりでは、勝ちが見えない。
それを成せるだけの信頼あってこそ、ポケモンとトレーナーは力を合わせて壁を突破できるのだと、ソラはようやく理解できたような気がした。
或いは、先にリクの語った通り、それがソラの本来の気質なのだろう。
どこまでも熱くのめり込める本来の性格と、理屈で考える頭のよさとを上手く噛み合わせる事ができず、それらが相互に足を引っ張っていたのだ。
だが、これからは……きっと、そうではない。
「ごめん、びぃタロ! わたしやっぱり、弱気になってたみたい! あれだけ皆を信じるって言っておきながら、また諦めかけてた! ついさっき、ちゆりんにも同じ事で怒られてたのに……迷惑かけてばっかで、本当にごめん!」
「びぃ!」
「また迷うかもしれないし、また弱気になるかもしれない。でもその度に、あなたたちに発破をかけてほしい。わたしが頑張れるのは、あなたたちがいてこそだから。それだけの力が
「びぃーあ!」
ふんす、と鼻から息を吐くその姿は、まるで「仕方ないな」とでも言いたげで。
そんなソラを見限る事無く、背中を預けてくれている。それが嬉しくて、申し訳なくて、それでもやっぱり、どうしようもなく嬉しかった。
「ごめんなさい、お時間取らせました。わたしたち、まだ戦えます!」
「いいってコトよ☆ 旅を通して大きく成長する……それが巡礼者の使命。折角、その一端を掴めそうって時にそれを邪魔しちゃうほど、シェラちゃんは無粋じゃないのだー♪」
それは、紛れも無い本心なのだろう。
彼女たちジムリーダーは、ポケモントレーナーの成長を促し、時として彼らの超えるべき壁となる存在。その事に、きっと地上も地下も無いのだ。
シェラの言葉に頭を下げ、感謝を示す。
彼女の下では、マハルドードーが「ようやく出番か」と言わんばかりに足元を何度も蹴り、戦意を露わとしていた。
「行こう、びぃタロ! 勝てる勝てないじゃなくて、皆で一緒に勝つんだ!」
「──びぃっ!!」
トレーナーとポケモンの気持ちがひとつになり、湧き上がる一体感が熱となる。
その熱に導かれるまま、次なる指示を叫ぼうとした──その瞬間。
「──!? びっ、びあ……!?」
突如として、びぃタロの全身が光に包まれた。
「……えっ!? こ、これっ……まさか……!?」
「へぇ……☆ どうやら、気持ちがひとつになったコトで、成長の壁を越えられたみたいだね♪」
バトルコート一帯を埋め尽くすほどの、眩い光。
その中で、光に覆われたびぃタロのシルエットが、徐々に大きく、徐々に厳ついものへと変化していく。
……それは決して、ご都合のいい奇跡などではない。
その現象の理屈自体は、オヤブンテレネットとの戦いでも起きた事と同じだ。
“げきりゅう”──己の生命力が衰え、危機に瀕した時、みずタイプの力がより一掃強まるとくせい。
それによって溢れ出した力の奔流が、『デシエビ』というポケモンとしての限界を越え、ひとつの
旅立ってから積み重ねてきた、強敵との戦いの経験。
十二分以上に蓄えてきたそれらの経験が今、“げきりゅう”の後押しもあって、位階を突破するだけの開花をもたらす。
やがて光が収まった時、その場の誰もが目にしたその姿は──
「──エ、ビぃーアッ!!」
ソラが軽々と抱き上げられるほどだった小柄な体は、今や彼女の腰の高さほどに大きく、太くなっている。
体色は水色から、深い青色へと変化。猫背なのは変わらないが、体格はデシエビ時代よりもガッシリとしていた。
かつては尻尾を折り曲げ、足代わりに立っていたが、今では尻尾の先端が2つに割れて、それぞれが太く逞しい脚に変化。
グローブ状の前脚も肥大化し、まるでプロのボクサーが使うようなボクシンググローブのシルエットを獲得している。
そして何より目を引くのは、頭部の触角だ。
黒く平ぺったい帯状の触角が1対、その長さ故に頭部に巻き付くようにして生えている。
それは傍目から見ると、空手の“くろおび”を頭に巻いているようにも見えた。
……光の中で、確固たる姿、確固たる肉体を得たびぃタロ。
それが意味するところを、シェラは寿ぎの言葉とともにソラへ贈る。
「おめでと、ソラちゃん♪ キミにとっては多分、初めての
種族としての枷を超越する事で、肉体も能力も変成し、新たな力を得る。
ポケモンという種が持つその可能性の名を──“進化”という。
マハル図鑑 No.008
【クロオエビ】
ぶんるい:かいでんポケモン
タイプ:みず・かくとう
とくせい:げきりゅう(せいしんりょく)
ビヨンド版
厳しい 修業を 乗り越えた デシエビ だけが 頭に 黒帯を 巻く 事を 許されるのだ。
ダイブ版
最初は 鬱陶しく 思っていた 師匠も いつしか クロオエビを 認めるように なった。
《進化》
デシエビ
→ クロオエビ(Lv.16で進化)
→ ???(???で進化)
この後【21:00】より3回目の追加投稿を行います。