「なに、遠慮するこたぁない。ここはあたしと、あたしの相棒しか住んでねーからな。広いもんだ」
「は、はい。お邪魔します……」
「あっ、おいら中の換気してくる! 行くぞ、ニャース」
「にゃおんぬ!」
「うむぅ……。ニャースを呼べどもニャーではないのはちと慣れず、妙な心地でニャスな……」
「ケテ?」
ゾロゾロと、プレハブ小屋もといポケモン研究所の中に入る一同。
煙ったい空気を掻き分けると、やはりというかなんというか……中は資料やら紙くずやら、一見するとゴミにしか見えないようなモノまで、様々な物体が散乱し切っていた。
リクが先んじて中に入り、窓を開けて回ってくれたおかげで、煙っぽさは徐々に薄くなっている。
けれども、足の踏み場もロクに無いのは如何なものか。客人ながら、そう思わざるを得なかった。
「よし、ここがあたしの研究室だ。マー、適当なとこ座れ」
「アネキ、座るどころか立つところすらありません」
「その辺のを適当にどかしとけ。どうせ後でまたひっくり返す。あたしが」
それをさも「だから安心していいぞ」とばかりに言うのは如何なものか。客人ながら、そう思わざるを得なかった。
ともあれ各々困惑しつつも、どうにか椅子らしきモノを掘り出して腰を下ろす事には成功する。
と言っても椅子に座るのはソラだけで、ニャースは椅子の傍に立ち、スマホロトムはソラの周りをふわふわと“ふゆう”している。リクは、慣れた様子でその場に座り込んでいた。
それらを確かめて「よし」と呟きをひとつ。
黒板とホワイトボードが混ざったような道具をセッティングして、ルスティカ博士はその辺に置いてあったチョークを拾い上げる。
「さて。あんたらの聞きたい事は大体分かってる。ここがどこで、どういう場所で、自分らはなんだってこんなところに来ちまったのか。だろ?」
「……まぁ、そうですね。さっき博士が言った通り、わたしたちは気が付いたらこの世界にいて……正直、何がなんだか分からないって感じです」
「だろうな。だからまずは、基本的な事からレクチャーしていくぞ」
手慣れた筆致で、黒板にチョークで文字を書いていく。
まるで流れるような速度とスムーズさで次々書き記されていく文字と図形に、ソラの意識は一気に引き寄せられた。
「まず、ここは“マハルの地”。あんたらの元いた場所から……そうだな、ざっと3万m地下に存在する、言わば『地底世界』ってヤツだ」
「さんまっ……!? それに地底世界って、本当に……!?」
「えぇえええ~~~~~!? そうだったの~~~!?」
「なんであんたは知らねぇんだ、こんな美しきポケモン博士を姉にしておいて。いや、そうじゃなかったら愚弟なんて呼ばれてねぇな、悪い悪い」
現地民の癖して驚き叫ぶリクを小突きつつ、博士はただでさえボサボサの黒髪を乱暴に掻き毟る。
「ま、無理も無ぇか。この事を知ってるのは、今じゃあたしみたいな学者か、もしくは“リュウジンさま”……あ、この世界の神様みてぇのな、を祀ってる神官連中くらいだしな。別段隠されてる訳じゃないが、普通の奴はそこの愚弟よろしくアホばっかだしな」
「はぁ……。それで、ここが地下に存在するって……その、本当なんですか?」
「悪いが、実証はできないぞ。神話や遺跡を元に、他の“星見人”どもと顔突き合わせて話し合って『大体こんな感じじゃないか』って算出しただけの理論らしいからな」
そこまで話したところで、随分短くなったタバコの吸い殻を口から離し、近くの灰皿にギュッと押し込んだ。
それからすぐさま新しいタバコを取り出しては咥え、周りを軽く見回す。
「あれっ、あいつどこ行った……?」
「アネキ、アネキのロコンならアネキの足元で寝てるよ」
「おん? ……お、マジだ。悪い、頼むわ」
「ろこぉ……? ……こんっ」
ソラたちが気付かないくらい背景……というか、資料とゴミの山に溶け込んでいたロコンがのっそり起き出し、見るからに面倒くさいと言わんばかりの態度で口から火を吹いた。
最低出力の“ひのこ”がタバコの先端を掠め、着火する。それを見届けるなり、ロコンは再び丸まり、眠りにつく。
「相変わらずの“きまぐれ”っぷりだな、アネキのロコンは」
「そこが可愛いんだろうがよ。……っと、どこまで話したか。ああ、そうそう。マハルがどこにあるかってとこまでだな」
ルスティカ博士は黒板をぐるりと1回転させると、露わになった裏側に、今度は図形をガリガリと書き込んでいく。
そうして出来上がったのは、気持ち長方形寄りの楕円形。
上辺と下辺が土を表すらしき茶色、右辺は海か何かを表すらしき水色、左辺は森を表すらしき緑色に塗り分けられている。
最後に、茶色に染まった下辺の内、緑色の左辺に近い端っこの方に赤い丸をひとつ。
「じゃ、次は地形の話だ。もう見ただろうが、今いる“
「一周……って、重力とかはどうなってるんですか?」
「勿論ある。“
黒板いっぱいに続々と書き足される情報を、ソラは夢中になって聞き入っていた。
他人に対する隔意も、今はどこかへ“とんぼがえり”してしまっているらしい。この講義が始まった段階で既に、スマホロトムに録画すらさせている有り様だ。
「ここ“
「(ガラル地方の、ワイルドエリアみたいなものかしら)それじゃあ、わたしたちを襲ったガチゴラスは……?」
「あそこは“死出の森”っつー特殊な場所でな。“
「それは……」
それがどういう意味なのか。少し思考を巡らせる。
ここに来るまでに得た情報の中から必要なピースだけを取り出し組み合わせ、数秒。
「生態系が、森の中で完結しているから……ですか? 餌が豊富なのか、特殊な磁場とかエネルギーとかがあるのかは分かりませんけど……この辺りには、彼らを満たせるだけのものがない?」
「そういうこった。頭の回りが早ぇ奴ぁ、あたしは好きだぜ? そこの
「最後の言う必要あった?」
都合の悪い抗議は聞き流すのがルスティカ流である。
「ともあれそういう訳で、あたしは都会でちぃとばかし勉強を積んだ後、故郷であり“死出の森”に近ぇ環境にあるこの町に帰ってきて、日がな森のポケモンをバリバリ研究してるってワケよ」
「日がなタバコ吸って寝てる、の間違いじゃなくて──ボヘッ!?」
「ここにある機材が見えねぇのかバカ愚弟―。実地でウロウロとフィールドワークするだけが研究じゃありませぇ~ん」
フィールドワーク。
その言葉を聞いて、ソラは僅かに体を震わせた。
理由なんて分かり切っている。
彼女の父がフィールドワーク主体の研究者であり、それによって“マハルの地”の謎と実在を解き明かそうとしていたからだ。
彼が失踪してまで追い求めた景色は、今、ここにあり。
彼の娘たる自分が、その秘密の一端を垣間見ようとしている。
再び情緒を現実に引き戻されて、少しばかり塞ぎ込む。
それに訝しげな視線を返す姉弟を前に、ニャースが慌てて割り込み、彼女が問うべき言葉を継いだ。
「と、とにかくですニャ! この世界が斯様な場所である事はよく分かりニャした。それで、最も重要な質問ニャのですが……」
「わーってるよ、あんたらの事だろ? しかし、みずタイプじゃねぇニャースってだけでも珍しいのに、その上、人の言葉を喋るたぁな。“星見人”の世界ってのは随分と面白そうじゃねぇか」
「そう、それですニャ。先ほどから我々……いえ、ひいさまの事を“星見人”と呼んでおられニャすが、それは一体どういう意味で御座いニャスか?」
その問いに対して、ルスティカ博士はタバコを咥えた口に手をやって「ふむ」と小さく漏らす。
それから近くにあった本の山(と、呼ぶのも烏滸がましい、本が乱雑に積み重なってできた不格好なオブジェだ)に手を突っ込み、ガサゴソと漁り出す。
「今からずっと昔、あたしらのじいちゃんばあちゃんが生まれるよりもずっとずーっと前から、この“マハルの地”は存在して、人とポケモンが暮らしてた。そしてそれと同じくらい昔から、ごくたまーに、“マハルの地”の外から人やポケモンが迷い込む事があったらしい」
「……つまり、それが……」
「そう、それがあんたらだ」
バサバサと崩れ落ちる本のオブジェから目的のものを引っ張り出し、ニャースへと放り投げる。
それをどうにか受け取って開いてみると、そこには異邦人らしき旅人の訪れと、彼によって都市が栄えていく事を表す壁画のスケッチが記されていた。
「そいつらはこの地に無い知識、この地に無い技術を持ち、それなりのイノベーションをこの世界にもたらしてきた。彼らはこの世界に無いモノ──『太陽』や『月』、そして『星』を知っていた。だから、星を見る人で“星見人”ってワケ」
「では、この町やこの研究所の設備が、ニャーたちの価値観の上でも現代的ニャのは……」
「秘境の部族だと思ったか? 悪かったな、あたしらも結構先進的だぜ?」
してやったり。そう言いたげな笑みに、ソラは気まずげに目を逸らす。
ニャースもツメで己のこめかみをコリコリ掻くと、次の質問を口にした。
「では、博士。我々が元の世界……地上に帰る為には、どうすればよいのですかニャ?」
「……」
黒板に書き込む手を止め、2本目の吸い殻を灰皿に押し付ける。
それから3本目のタバコを取り出す事なく、ルスティカ博士は近くの機材に腰掛け、腕を組んだ。
暫くの沈黙。
つまりは、それが答えだった。
「……えっ? どうしたんだよアネキ。なんで答えてやんねーんだ?」
「……あたしの知る限り、“星見人”が地上に帰った記録も……あたしらマハルの民が、あんたらの言う地上に行った例も、どちらも存在しねぇ」
「なっ」
「そ、んな……」
ガタリと音を立てて、ソラが思わずといった風に立ち上がる。
未知の事象を知る事への高揚もすっかり冷めて、その目と表情が作るは明らかな狼狽、不安、そして困惑。
「ど、どうにかできないんですか!? あのっ、わたしたち、知らないポケモンを追いかけてる内に穴に落ちて……っ! その、あの、その子は帽子みたいな頭をしてて、それで……」
「落ち着け。そうパニクられちゃ、話す事も話せねぇ。で、そのポケモンがなんだって?」
「え、えっと……最初はピカチュウかと思ったんですけど、そうじゃなくて、帽子みたいな形の不思議な頭と、時計みたいな尻尾……あとは、そう。ピカチュウと同じ電気袋を持ってました。それで、二足歩行と四足歩行を使い分けて走る……」
「ちょい待ち」
ツカツカと資料すら踏んづけて本棚に近寄り、学術書めいた分厚い本を取り出す。
それからページを乱雑に捲った後、目的のページを発見するや否や、そこに記された挿絵を客人たちに向かって突きつける。
「そ、そうです! まさに、このスケッチ通りのポケモンでした」
「やっぱりか……。こいつは『マハッター』っていう、ガチ目に珍しいポケモンでな。あたしでさえ、その実物は見た事が無ぇ。そして……」
ピッ、と。
人差し指の先端を、天井に向かって突き上げた。
「ここ、ウツシタウンのド真上……“
くらり。
仄かな目眩が、少女を襲う。
天井世界、“
そこにしか、自分たちの帰るヒントは……存在、しない?
「じゃ、じゃあ……とりポケモンの“そらをとぶ”でそこまで行って、何かヒントを……」
「やめとけ。さっきも言ったように、この世界の上空ド真ん中は上下の大地の重力が打ち消し合ってるせいで、一種の力場が形成されてる。それ用に鍛えたポケモンで飛ばねーと、下手に突っ切ろうとすれば、まともに飛べずに即墜落だ」
「そ、それじゃあ……」
「先に言っとくが、“死出の森”を突っ切るのもオススメしねぇ。理由は分かるな?」
全身から力が抜けて、椅子に座る事すら忘れてその場にへたり込む。
ニャースも、ロトムも、彼女の心情が分かるが故に、下手な言葉を紡げなかった。
どうしても帰りたい理由がある訳ではない。むしろ、あの場所は彼女にとって、辛い事ばかりがあった世界だ。
しかし、だからと言って帰れない、もう2度と戻れないと告げられれば、それは14歳の少女にとって大きな衝撃となるものだ。
彼女は1度、自分の世界を捨てて、別荘に引き籠もる事を選んでいた。
そうして作り上げた2つ目の世界を、またしても捨てろと告げられる。
果たして、その絶望は如何なものか。
「くっ……う、ぅう~~~! アネキ、どうにかなんねーのかよ!?」
そんな事情を知らずとも、目の前の少女が辛そうにしているのは理解できる。
だからこそリクは、感情的に自らの姉へと食ってかかる事ができた。
「アネキはポケモン博士なんだろ!? なら、そのマハッターとかいうポケモンを誰かに捕まえてもらって、ここに連れてきてもらうとかさぁ……!」
「悪いが、あたしにそこまでのコネは無ぇし、さっきも言った通りマハッターは激レアポケモンだ。この通り、事典でしか存在を知れねーくらいのな」
「だからって……!」
「だが」
ボッ。
軽い炸裂音とともに、宙を“ひのこ”が舞う。
主の所作を察したロコンが、半目開きのままに炎を吐き、そのまま眠りにつく。
“ひのこ”の向かう先では、ルスティカ博士が3本目のタバコを咥えていた。
「1つだけ、手段が無いでも無い。必ず成功するって確証は無ぇし、割りかしギャンブルだ。だが、この世界の風習的にも、乗ってみる価値はある話だろう」
「……それは?」
「簡単だ。あんたらがその足で果てまで行って、マハッターを捕まえりゃいい。
「イベント……って、まさか!」
いち早く察したのだろう。
思わず声を上げたリクに対して、博士は不敵な笑みを返した。
「“リンネの儀”。“マハルの地”をグルリと一周して、世界の果ての“リュウジンさま”に謁見する──言わば、巡礼と修行の旅ってヤツだ。どうだ、乗るかい?」
マハル図鑑 No.058
【ロコン】
ぶんるい:きつねポケモン
タイプ:ほのお
とくせい:もらいび(ひでり)
ビヨンド版
ロコンの 毛並みが 美しい のは トレーナーから 愛情を 受けて 育った 証 である。
ダイブ版
尻尾が 6本に なる 前に 主君を 見限って どこかへ 消え去ってしまう 事が ある。
この後【15:00】より1回目の追加投稿を行います。