「──はいっ、シェラちゃんの
ぱん、という手を叩く乾いた音が響き渡り。
冷たくも心地よい語りから打って変わって、いつもの調子でシェラが声を張り上げると同時、ソラたちの意識はようやく現実へ回帰した。
気付けば、一同は壁画を見るべく最初に案内された地点へと戻ってきていた。
どうやら壁画のあるエリアは円形になっていたようで、壁画をストーリーの流れに沿って読み進めていくと、ぐるりと一周する仕組みになっているらしい。
「あ……いつの間にわたしたち、ここへ戻ってきてたんだ」
「むっふふー♪ 夢中で気付かなかったでしょ? でも残念っ、シェラちゃんがお見せできるのはここまででーっす☆」
「ここまで……って事は、この神話の続きは、他の
「そーだよ☆ 災害とか予期しないコトで失伝しないよう、神話の区切りごとに色んな
手を降って笑うジムリーダーの姿に、彼女の意図を理解し、成る程と頷く。
要は、これもまた巡礼の旅の目的なのだろう。
各地の街と
ただ“縫いの霊峰”へ向かい、謁見しようとするだけでは駄目なのだ。
(巡礼って、そういう事なのね。本当に、地上のジム巡りと似てる……いえ、こっちの方がより
巡礼を通じて“マハルの地”の事を知り、見聞を広め、旅の中で成長していく。
それこそが、“リンネの儀”に込められた意義なのだろうと、ソラは漠然と理解する。
そんな時だった。
「マジか……。“リュウジンさま”って、姿が2つあったんだな」
思わず、といった風に落とされた呟きが耳に届き、驚きながらそちらを向く。
果たして振り向いた先にいたのは、リクだ。
彼は呆然と、しかしどこか感嘆するような表情と目線を、壁画のあった方向へと注ぎ続けていた。
「……リクも、知らなかったの? “マハルの地”の生まれなのに?」
「まぁ、な。おいらは町の物知りばあちゃんから、“リュウジンさま”がこの世界を作った事と、だから“リュウジンさま”に感謝して生きなさいって感じの話を聞かされた程度だ。この辺は、ウツシタウンが辺境の田舎なのもあると思うけど……」
腕を組み、むむ、と唸るリク。
その姿を見て、ニャースもまた疑問を抱いた。
「確か、リクさまのおとうさまも“リンネの儀”に参加しておられたとお聞きしニャしたが……おとうさまからは、何も聞いておられないのですかニャ?」
「どんな旅だったかは聞いた事あるけど、神話とか“リュウジンさま”の事までは、あんまり深くは聞いてなかったな。結局、父さんも最果てまで行けずにリタイアしたらしいし。こんな事なら、父さんの話をもうちょっと真剣に聞いときゃよかったな」
溜め息を零しながらも、心ここに有らずといった風な様子の少年。
彼としても、自分たちの暮らす世界のルーツと、創造主の物語には強く心惹かれ……また同時に、思うところがあったのだろう。
そこへなお食い下がるようにソラが口を開きかけた矢先、それまで沈黙を保っていたシェラが徐ろに口を挟み出した。
「ま、リクくんが言った通り、普通はそこまで学ばないからねぇ~。
「……普通は、教えられてないんですか? 世界を作った神様がいて、それを信仰する人たちとその施設もあるのに、その神話や教えが広く知らしめられていないなんて……」
「モチロン、シェラちゃんも皆も、この世界を作った“リュウジンさま”のコトはとっても尊敬してるし、ありがたい神様だって思ってるよ? ただ、信仰してるだけでは生きていけないからねぇ」
壁画のある方に視線を向けているリクとは異なり、彼女の視線は天井──正確には、天井に取り付けられたリバーテル結晶の照明に向けられていた。
緑色の光を放ちながらも、それに照らされる諸物は緑に染まらない。そんな不思議な光を仰ぐ彼女の表情は、果たしてソラたちには伺い知れないものだ。
「ね、ソラちゃんは“龍脈”って言って分かる?」
「りゅう、みゃく……ですか? いえ、初めて聞きます」
「だよね。ま、簡単に言っちゃうと……この“マハルの地”を満たす力の流れ的なカンジのやつでさ。それが地面のあちこちに流れてて、そのおかげで野菜が美味しく育ったり、
「植物の成長促進に、水の浄化……? 地上で言う、風水とか
「多分ね。さっきの壁画でさ、“リュウジンさま”が“マハルの地”と一体化して、流れの世になったー、みたいな感じの描写があったでしょ? あれが龍脈。龍脈はこの世界の至るところを流れて、自然の恵みを豊かにしてくれてるんだー」
非現実的、と切って捨てるのは簡単だが、少女がそのように思う事は無かった。
元より天井にも重力の存在する地下世界で、おまけにリバーテル結晶などという未知の鉱石まであるのだ。
そういった、目に見えないエネルギーの流れ……まさしくソラの言った風水のようなものが実際に存在していたとして、何もおかしくは無いだろう。
「で、ここからが大事なんだけど……龍脈には、
「……まさか、龍脈の濃い地域では、
「そっ☆ 近場で代表的なのは、東に広がる“死出の森”だよね。あそこは“リュウジンさま”のおわす“縫いの霊峰”に一番近いから、その分だけ龍脈の流れも濃くて強い。だから森に住んでるポケモンたちはめちゃくちゃ強いし、ウツシタウンに攻めてくる意味も無い」
……その言葉を聞いて、かつてウツシタウンでルスティカ博士と交わしたやり取りが思い返される。
『あそこは“死出の森”っつー特殊な場所でな。“
『それは……生態系が、森の中で完結しているから……ですか? 餌が豊富なのか、特殊な磁場とかエネルギーとかがあるのかは分かりませんけど……この辺りには、彼らを満たせるだけのものがない?』
『そういうこった。頭の回りが早ぇ奴ぁ、あたしは好きだぜ?』
あの時、ソラが推測し、ルスティカ博士が肯定した根拠の正体こそが、龍脈なのだろう。
“死出の森”に住む野生ポケモンたちは、龍脈より発せられる濃いエネルギーを受けて強力に育ち、それ故に森は凶暴なポケモンのひしめく魔境となっている。
だが反対に、森から最も近い場所にあるウツシタウンとその周辺は、龍脈のエネルギーが薄い。その為、森のポケモンたちには町を攻める旨味がまったく無いのだ。
あの場で博士が、龍脈という言葉について言及しなかったのは、或いはソラたちへの配慮だろう。
いきなりこの世界へ迷い込んだ彼女たちに、専門知識(それも、その場では不必要なもの)を詰め込むべきではないと判断し、さっと話題を流したのだ。
「ソラちゃんさ、“ギムレの
「……はい。最終的にはなんとかなりましたけど……けど、そこまでに至る過程は……本当に怖かった。びぃタロたちがいなかったら、旅が続けられなかったかもしれなくて……」
「だよね。ハッキリ言っちゃうとね、珍しくないんだ、そういうの。特に “
「……」
言葉も出なかった。
それは単なる絶句ではなく、彼女の言葉があまりに正論で、容易く想像のつく事実である事を、聡い少女は明晰に理解してしまったが故の事だ。
地上でさえ、凶暴な野生ポケモンに襲われての事故は、今なお世界中で起きている。
文献を読み解けば、今よりもずっと古い時代──特に、“ヒスイ地方”と呼ばれていたかつてのシンオウ地方では、開拓と調査は常に死の危険と隣り合わせだったという。
であればどうして、地上と隔絶されたこの“マハルの地”が、何ひとつとして危険も脅威も存在しないユートピアであるなどと思えるだろうか。
シェラの言う通りであれば、“
果たしてそれは、ルスティカ博士から聞いた内容とも一致する。
オヤブンテレネットの件は、決して例外ではない。
むしろ、この世界で生きる上での
(そんな危険な道のりを踏破して、最果てへ……。それが“リンネの儀”、巡礼の旅……か)
バッグのストラップとして揺れる“かすがいのはね”──巡礼用のダミーではない本物のそれが、途端に重たい意味を帯びてくるようで。
少女の頬を伝う汗を流し目でチラリと見ながら、シェラは言葉を続ける。
「それに、ポケモンちゃんだけじゃない。情けないハナシだけど、この世界には悪い人もたっくさんいる。ポケモンちゃんたちを利用したり、傷つけようとしたり。そうして、他の人たちに迷惑をかけるような人たちも、シェラちゃんたちの生活を脅かしてるんだ」
「あの、最初に宿で言ってた……」
「そ。この“マハルの地”には、こわ~いポケモンちゃんも、おっかない人たちもたっくさんいる。街の外には危険がいっぱいあって、そんな状況で『ありがた~い神様に皆でお祈りして平和に暮らそう!』なんて言ったところで、あんまし響かないよねぇ」
だから、と。
そのように言葉を区切って、彼女は照明から目を逸らし、今一度ソラたちを見た。
「この世界で必要なのは、
「シェラさんたち
「そゆこと☆ ソラちゃんも分かってきたね~♪」
上機嫌な笑みが溢れる。
どこか饒舌気味のシェラは、やおら壁画のある方向を指した。壁画フロアの入口であるここからでもよく見えるそこは、創世神話のラストシーンがある場所だ。
「神話にもあったでしょ? “リュウジンさま”は変化、つまり変わっていくコトを尊んでおられる。だからシェラちゃんたちジムリーダーは、自然と人とのバランスを保ちつつも、よりよい形を模索していくコトが求められるの」
「この“マハルの地”は、“リュウジンさま”が創った。だから自然の恵みは神様の恵みで……それを野生のポケモンたちと分け合って生きる。そこに教えや戒律が混ざると、今まで取れていた自然と折り合いが乱れるかもしれない。だから、信仰も程々である……と?」
「いーねぇ、ソラちゃんってば賢いね♪ 大体キミが言った通り、この世界は“リュウジンさま”がお創りたもうた恵みに溢れてるんだから、取り合いなんかしないで皆で分け合えればハッピーだよね☆」
ソラの知識に照らし合わせるならば、それは所謂「
人ならざる自然の領域に神秘を見出し、それらの声を聞き、或いは語りかけ、自然に対して歩み寄る。
一神教のように、神の言葉を絶対の教えとする訳ではなく、むしろ当のマハルの神は在り方の変様を肯定してすらいる。
そこで自然と人間の間の橋渡しをする役割こそが、
“マハルの地”のバランスを調停し、この厳しい世界で人とポケモンとが生きていく為の旗頭として、彼らはその役目を任じられているのだろう。
「神話に曰く、この世界が創られてより3000年。3000年もあれば、人の在り方、ポケモンとの付き合い方も確立されてくる。“リュウジンさま”に感謝と祈りを捧げつつも、自然との距離を模索して、世界を回す。それが、“マハルの地”の生き方なのですっ☆」
果たしてそれは、この世界を生きる為の知恵なのだろうと、少女は感じた。
過酷な自然、凶暴なポケモン。人の生存圏を脅かし得るそれらに対して、マハルの人々は排斥でも防衛でも戦争でもなく、彼らとの「よりよい距離感」を探す事を選んだのだ。
地上のようにどこまでも世界が広がっている訳ではなく、天井も壁もある閉ざされた地下世界であるが故に、人もポケモンも、どちらの側にとっても
だからこそ、彼らにとっての最善は「ともに歩み寄る」事だったのだろう。
龍脈という特殊な自然法則の存在する世界では、互いの領域を制定するのは容易だ。
その上で彼らは、その領域を乱さないようにしつつも、それを切り開き、或いは上手く交われないかを3000年間模索し続けている。
そこに、教えや戒律は必要無い。
保守も革新も、過ぎれば毒となる。
いや、むしろ──
「過去の教えに縛られず、時として破却し、新しいものを見出す……
それは、ふとした呟きだった。
言った本人からすれば、大した中身も無い、ただの言葉遊び。
むしろ、つい口からまろび出てしまったそれが、マハルの人々の考え方を馬鹿にしていないかと急に不安になってしまうくらいの、他愛もない呟き。
しかし。
「──……」
シェラは、シェラだけは。
目をまんまると見開いて、ソラの言葉に驚いていた。
「な、なーんて、ですね! いや、今のは大した意味じゃないんで、聞き流してもらって……」
「……驚いた」
「へ?」
本当に、心の底から驚嘆したような声色だった。
それから彼女は、懐かしいものを見たかのような、どこか噛み締めるような笑みを見せる。
「キミも、
「──っ!?」
今度は、ソラが目を見開く番だ。
彼女だけではない。リクは勿論、ニャースに至っては驚きのあまり飛び上がってしまっている。
「シェ、ラさん……今のって」
「……
嘲笑でも、下に見ている訳でもない。
心からの嬉しげな笑みを携えて、食堂へ続く道へ少女たちを導く。
「約束だからね。ソラちゃんのお父さん……クレオメさんについて、シェラちゃんが覚えてる限りのコトは教えてあげるよ☆」
次回、第2章エピローグ。