「……そういえば、まだちょっと気になる事があるんですけど、聞いてもいいですか?」
「んお? なになにー? シェラちゃんがなんでも答えてあげるよんっ♪」
夕方。
2種のいわポケモンたちが代わる代わる踊る空を背に、ソラたちはポケモン研究所へと歩を進める。
リクの提案した先行調査は認められたが、先に言われていた通り、危険を考慮してシェラも同行する事となった。
老い故に戦力となり難いニャースは、ルスティカ博士の護衛として家に留まり、後からやってくるプルガージムの神官たちと合流する手筈になっている。
という訳で今この場にいるのは、ソラ、リク、シェラの3人。
彼ら彼女らの手持ちポケモンたちは、全員モンスターボールの中だ。
そんな研究所への道すがら、ソラがふとシェラに声をかける。
そちらに目を向けると、少女はまるで、頭の中のモヤモヤを噛み締めているような、そんな表情を見せていた。
「神話の、“ヨミの民”に関する記述の最後……“リュウジンさま”の託宣がありますよね。そこにある『流れの
「んー、そうだねっ♪ 大体ソラちゃんの考えてる通り、“かすがいのはね”のコトを言ってるんじゃないかー、っていうのが定説かな? と言っても、実際に“リンネの儀”の始まりになった伝承はまた別にあるから、この時点では羽根に関する記述は無いんだー」
「それじゃあ、最初の“リンネの儀”が起こるまでは、“かすがいのはね”の事だとは思われてなかったんですか?」
「マァー、これのコトなんじゃないかって候補はいくつかあったみたいだね。実のところ、神話や託宣については、今も解釈の難しい部分がたくさんあるの。3000年も経つとね、文献の失伝とか、技術の発展で解釈が変わったりとか、それはもう色々あるんだぁ」
それはまさしく、地上における考古学でもままあり得る話だ。
ソラの父・クレオメ博士の専門は地質学・古生物学だが、調査の過程で考古学に関する資料や、それを専門とする人との繋がりを持っていたという。
その為、ソラも残された資料からそういった知識を得ており、シェラの話にも一定の理解を持つ事ができていた。
神話や宗教にはそれほど明るくないものの、そのような「古い記述」の解釈に関して、いくつかの資料で矛盾する解説がされているなどは、概ね日常茶飯事。
それらを突き合わせ、「限りなく正解に近い解釈」を導き出すのは、さながらパズルのようで楽しかった事を、少女は覚えている。
だからこそ、“マハルの地”の神話というのは、ソラにとっては強い興味の対象だった。
地上の誰もが知らない、未知の世界の伝承。それを知り、学び、解き明かしたい欲が無いかと言えば、嘘になる。
この辺り、ニャースが常々言っている「なんでも自分で調べなければ気が済まない」という、ソラ自身の気質に由来するものなのだろう。
話を聞く限りでは、この気質は父から受け継いだものらしい。
妙なところで親子の証明ができるのだなと、そんな事を思いつつ。
「それじゃあ、最後の一文にある『荒ぶる神の怒りを鎮める
「そうだねぇ……。えらーい学者さんや神官さんたちの中だとやっぱり、“ヨミの神”を指してるって説が有力だね☆ 神話に描かれるかの神は、“ヨミの民”が信仰するだけあって凶暴で、“リュウジンさま”に癒えない傷を負わせるくらい強かったってハナシだし」
「……そんな恐ろしい存在が、もうすぐ目覚めるんですか?」
「“リュウジンさま”がこの世界をお創りたもうてから3000年……とは
「古生物学でよくあるやつだ……」
とはいえ、もしもそれが創作でなく、事実と歴史に保証された託宣であるならば、今回の一件も見え方が変わってくる。
“リュウジンさま”、或いは“ヨミの神”の復活を前にして動き出す、“ヨミの民”と類似する特徴を持った集団……やはり、無関係とは思い辛い。
「どうなるにせよ……よからぬ企みにポケモンたちが利用されるなら、早く止めないと。ロコンや
「だね。その為にも、早く犯人の手がかりを見つけないとだけど……リクくん、どーお? 研究所には着いたけど、何か分かりそ?」
「うーん……」
そうこう話している内に、再び研究所の前へと立ち戻る一行。
あれだけ綺麗で先進的だった建物が、こんなにも無惨な廃墟同然の状態に成り果てているのを見ると、如何とも形容し難い感情に襲われる。
内部は事件があった時のままにされていて、それが尚更物悲しさを醸し出していた。
時刻は既に夕方で、橙色の濃い光に照らされた研究所の残骸は、まるで死者を目の前にしているかのよう。
そんな光景に、思うところなどいくらでもある。それこそ、両手の指ですら足りない程度には。
だが今は、そんな事で心を乱されている場合ではない。
そう歯を食い縛り、リクは鼻から思い切り空気を吸い込んだ。
ドアを壊され、ぱっくりと開いた研究所の入り口。その奥に残された、事件の残り香を目一杯にかき集めようとする。
(血の匂い……こっちは人の血だから、多分アネキの。こっちはポケモンの血……ロコンたちかな。それに機械の鉄臭い匂い……壊れた機械から電気が弾けて、ショートって言うんだっけ? そういう焦げた匂い。薬品の匂い、これは元々あったやつ)
姉であるルスティカ博士からも「人間離れしている」と評された、リクの嗅覚。
それが、研究所の内部に残されたいくつもの匂いを丹念に、丹念に“かぎわける”。
機械や薬品の匂いは、普段から出入りしている為によく嗅ぎ慣れている。
血の匂いについても、リク自身や彼のマハルニャースが、幼い頃から怪我ばかりしていた為、自分たちのそれを嗅いで知っていた。
だから、嗅ぎ取るべきはそれ以外。
本来、こんなところで鼻につく筈の無い匂いだけを、的確に──
「……やっぱりだ」
ただ、ひとつ。
最初に研究所の惨状を目にした時にも嗅いだ、異質な匂いがあった。
いやに甘ったるくて、背筋が震えるような、吐き気のする匂い。
こんな匂いは、これまで生きてきて嗅いだ事が無い。できる事なら、2度と嗅ぎたくない、不愉快なものだ。
それが、他の雑多な匂いに混じって、ほんの僅かに漂ってくる。
出どころは間違いなく、研究所の内部だ。そしてリクの知る限り、ルスティカ博士はこのような匂いのする
恐らくは、まさしく残り香なのだろう。
研究所を襲撃した者たちや、彼らのポケモンたちが纏っていたその匂いは、事件から半日以上経過したのもあって、ほとんど薄れてしまっている。
その微かな残滓を、リクは嗅ぎ取った。
頭の中でピースが嵌まった今なら、その匂いを辿る事もできる筈。
「あったぞ、犯人の匂い! 鼻が曲がりそうな嫌な匂いだけど……多分、今なら追える!」
「ホント!? わたしには何も感じないけど……でも、リクがそう言うなら、きっと間違いないのね」
「んー、そうだねぇ。流石に嗅覚となると、シェラちゃんよりリクくんの方が上だろうけど──」
さ、と風が吹く。
その一瞬で何かを感じ取ったのか、シェラが風上へと目を向け、そして細めた。
「
「ちょっと待って……ああ、間違いない。匂いはあっち……21番エリアの方に続いてる!」
「やっぱりか……☆ ソラちゃんリクくん、ここからは、あんまりシェラちゃんから離れないようにね♪」
「は、はいっ!」
そうして3人は、リクの先導でウツシタウンの東方──21番エリアへ向かい始める。
彼ら彼女らの視線の先に広がっているのは、東の側面一帯を埋め尽くす緑。
深い緑色に染まった壁が、少し歪曲しながらも上へ向かって伸び、天井の“
(……21番エリア。マハルの東端一面に広がる“死出の森”の手前……この世界に迷い込んだ時、わたしと爺ちゃんが最初に降り立った場所)
通常、“死出の森”を突っ切って“
それは
同時に、それは森の直下を流れるエネルギー──“龍脈”の濃さに由来する為、流れる“龍脈”の薄いウツシタウンまでは、彼らが降りてくる事も無い。
降りてくるとすれば、縄張り争いに負けたはぐれの個体くらいであり、彼らは傷ついた体を癒す為、町で安穏と過ごしている。
(“死出の森”は実質的な行き止まり。だから、ウツシタウンは辺境の町……実質、
でも、じゃあなんで。
少女の脳裏を、小さな疑問が過る。
(“ヨミの民”っていう、有名な存在と同じ見た目をした……そんな見るからに怪しい人たちが、どうして誰にも怪しまれる事無く、
「暇だぁ~~~~~~~~~~!」
「左様で御座いニャスか」
ソファでゴロゴロ寝転び散らしているルスティカ博士渾身の叫びに、ニャースは淡々と応じた。
ここはリクたちの実家。
先にも語った通り、戦えないニャースはここに留まって博士の面倒を見つつ、神官たちの到着を待つ事になっていた。
今は家の大黒柱代理であるピッピに教えてもらいながら、キッチンで食事の支度をしているところだ。
彼としても、旅の中でソラに振る舞う料理のバリエーションが増えるのは願ったり叶ったりの為、嬉々として教えを乞うていた。
ちなみに今作っているのは、地上で言うパン粥のような料理だ。
プルガーシティ産の小麦を使ったパンを、きのみを主体としたソースで煮込むらしい。
博士は“すっぱい”味が好きとの事なので、今回は“ナナシのみ”や“イアのみ”などを使ったソースになる。
……うっかり「アネキは“ずぶとい”から、“すっぱい”のが好きなんだよな」などと口を滑らせ、ソファのクッションを顔に投げつけられたリクの悲しき末路は、一旦忘れるとして。
「病人怪我人は得てして暇なものでニャスよ。その暇を使って、己の体をじっくりと休め、病や傷を癒すのですニャ。でニャスから博士も、自室のベッドにお戻りにニャられた方がよいかと」
「んだよ~、塩対応しやがって……。料理の手際といい、やけに手慣れてんのな」
「ひいさまのひいおじいさまの代より、かれこれ数十年をひいさまの家にお仕えしてきニャしたので。風邪で寝込んで駄々を捏ねる方のあしらい方は心得ておりニャスよ」
「
「……ええ、そう言って頂けるのは望外の喜びですニャ」
その受け答えに一瞬、何か含みのようなものを感じる博士。
しかし、今の彼女はソファの上で寝っ転がっていて、キッチンにいるニャースの顔を窺い知る事はできない。
そもそも全身に塗布された薬だの湿布だのの匂いで、思考が僅かに鈍っているのもあり、結局は首を傾げるだけに終わる。
まぁいいか、と適当に流しつつ、クッションを枕に天井を見た。
もうすぐ夕食という事で、テーブルの上のきのみ盛り合わせもピッピに取り上げられてしまい、本当に何もする事が無いのだ。
なのでニャースにダル絡みしているのだが、如何せん相手は歴戦の従者である。
先にも言われていた通り、この程度のダル絡みなどいくらでも切り抜けてきていた。
「っかし……あんたはソラについてかなくていいのか? あたしを襲撃した連中を探しに行った以上、間違いなく修羅場になるぞ。主人が心配じゃないのか?」
「当然、心配でニャスよ。でニャスが、今のニャーは既に老いさらばえた身。まともに戦えぬ老骨がついて行ったとして、それこそひいさまたちを危険に晒す事に繋がるでニャしょう」
コトコトくつくつと、粥の煮える音がする。
ツンと鼻に来る“すっぱい”匂いは、博士の好みのそれだ。思わず口の中に唾液が溢れてしまう。
「ニャらば、ひいさまたちのお帰りをここでお待ちするのが、今のニャーの役目ですニャ。戦いからお戻りになられたひいさまたちが、安心してお休みできるよう、お食事とお風呂の用意をする。それが、ニャーのするべき戦いで御座いニャス」
「……そうかい」
本人(本ポケモン?)がそう納得しているのならば、それ以上の口出しは野暮というものだ。
鼻から息を吐き出しつつ、料理が運ばれてくるのを待とうとして──
「るぅ──っぴ!」
「がるるゥ!」
ガシャン!という、何かが壊れたり割れたりしたような音。
同時に、ポケモンたちの叫び声が聞こえてきて、すべての作業と思考が止まる。
よもや、また襲撃か? 今度はこの家に?
そんな緊張感と緊迫感から、博士は思わずソファから飛び起きて、しかし包帯の下の傷によって顔をしかめる。
ニャースとピッピもまた、料理の手を止めて(勿論、火は消してから)キッチンを出、博士を庇うような立ち位置を取った。
何としても、彼女だけは守り抜かなければならない。
そう覚悟して、音のした方向──奥の部屋に続く廊下へと意識を向けると、やがて……
「るぴっ」
何かが大量に詰め込まれた袋を引き摺りながら、
その後ろからは、どこかバツの悪そうな表情をしたデルビルがついてきていた。
新しい怪我をしている様子も無く、奥から新たな何者かが現れるという訳でも無い。
一先ず、想定していたような最悪の事態ではない事を認識して、ルスティカ博士は溜め息をつきながら脱力した。
「ンだよ……驚かせやがって。おかげで傷が開きかけたわ」
「でニャスね……。いやしかし、ほるっちさまが持ってこられたものは一体……? 中に
「大方、あたしの部屋をひっくり返しでもしたんだろ。あたしは普段、研究所に住んでるんでな。要らなくなったり、大して危険じゃないサンプルとかは、空きスペース確保の為に
「るっぴ」
耳をピンと立てて声を返してきた辺り、どうやら当たりらしい。
そういえば、ソラが捕獲した
部屋の中からめぼしいものを探し当てる程度、彼女にとっては容易い事だったのだろう。
「ピピィ?」
「る、るぴ……」
「ぐるん……」
……それはそうと、人様の部屋を荒らすとは如何なものか。
そう言いたげなピッピの形相に、ほるっちとデルビルはたちまち萎縮してしまう。
「あー、そう怒ってやんなよ。……ソラたちの為だろ? あいつらが帰ってきて、仲間を取り返しに行こうって言ってたもんだから、その力になろうとした訳だ」
「……ほるぅ」
「むぅ……。そのお気持ちは確かに嬉しいものでニャスが、しかし今から向かったところで、ニャーたちでは余計に足を引っ張って……?」
そこで、言葉が止まった。
ほるっちが引っ張ってきた袋、その中からポロリと溢れ落ちた
「これは……このようなものまで、サンプルとして所有なされていたのでニャスか」
「あぁン? ……ああ、これか。昔、ちょっとした筋からもらってな。つっても、使う案件も無くて埃被らせてたんだが……いや、待てよ」
何故、
けれど何故、ほるっちが
「……そうか。ソラの手持ちには、