『とりあえず、今日のところはここに泊まってけ。2階が客間になってっから、寝泊まりはそこですりゃいい』
『あの、客間って……ここ、ですか? その……随分と散らかってますけど……』
『アネキ……やっぱ普段からここで寝てたのか……』
『チッ……しゃーねーだろ。研究ばっかで、家に帰ってる暇なんざロクに無ぇんだからよ』
『あ~~~もうっ! こんな有り様、ニャーの召使い魂が騒いで仕方ないニャス! ひいさま、1時間……いえ、30分お待ちくださいニャし! 埃ひとつ無いお部屋に生まれ変わらせてみせニャスので!』
などとありつつ。
時刻は、夜を過ぎた頃。
なんとも不可思議な事で、この世界にも昼と夜の概念があるらしい。
光源の無い世界に光が満ちている事だけでも不思議なのに、その光が絶え、闇の帳が訪れる時間帯が存在する、というのもおかしな話だ。
だがともあれ、大昔の冒険小説のように「絶えず光に満ちているが故に時間の概念が希薄」という事も無く、この“マハルの地”の時間観念も、地上と凡そ同じものだった。
ルスティカ博士の言う“リンネの儀”に関する具体的な話は明日にするとして、一先ず夕食を取り、客間に向かう。
宣言通り、ものの30分で客間どころか、1階の研究室に至るまでを綺麗さっぱり掃除・整理整頓してくれたニャースのおかげで、睡眠環境自体は快適なものだが……。
「……眠れない」
深夜。
布団の上で横になっていたソラが、不意に目を覚ます。
パチリと開かれた目は、彼女の意識がハッキリバッチリ明確な事を表している。
緩やかな動作で起き上がり、小さく「ロトム」と呟くと、スマホロトムが静かに起動した。
地上とは電波こそ繋がらないものの、博士の協力で“マハルの地”における時刻とは同期する事ができたらしい。
画面に表示された時刻は、午前0時を少し過ぎた頃。立派に真夜中である。
少しばかり目を細め、離れた場所に目をやれば、ソファの上で丸まって眠るニャースの姿があった。
リクとマハルニャースは自分たちの家に帰っているし、博士は1階で何やら作業をしている様子。
こんな時間帯に外に出て、何かをする訳でもなし。
つまりは、ロクに寝付けずの手持ち無沙汰であった。
(ちょっと、肌寒い……。冬……って訳でもないのに、夜がやたら寒い気がする)
気温もあって、ここからもう1度眠るには、イマイチ適さない気分。
布団から抜け出し立ち上がり、さてどうしたものかと周囲を見やり、ベランダに続くドアを見つける。
寝間着(博士のお下がりだ。ヒバニーパーカーは汚れている為、洗濯中)だけでは少し寒いと判断し、軽く羽織るものを見つけてからベランダへ。
その後ろをふよふよとスマホロトムがついてくる。ニャースを起こすつもりは無いらしい。
「……わぁ……」
まず初めに、まるで星空のようだ、という気持ちを抱いた。
ベランダから望むマハルの遠景はどっぷりと暗く、やはり今が夜なのだという認識を得る。
しかし、それを込みにしてもなお、真っ暗な空に灯るいくつもの光があった。
星、ではない。本当の意味での「空」が存在しないこの世界では、博士の言う通り、太陽も月も、星も存在しない。
それでもなお、夜の空を照らす、あの小さな光たちはなんなのだろうか?
光の1つ1つがふわふわ浮いていて、よく見れば独立して動いているらしい。
であるならば、光の正体は何らかのポケモンだろうか。例えば、バルビートやイルミーゼのような。
「……? あれは……。ロトム、ちょっと拡大して」
「ケテロ!」
スマホロトムのカメラ機能を使って、遠景を拡大して観察してみる。
すると、どうだろう。天井世界──“
街の光、ではない。まるで、それそのものが光を放っているかのような。
それらの光と、宙を舞う光たちの相乗効果によって、マハルの夜になんとも風雅な光景を演出している。
「もしかして……」
視線を下ろし、スマホロトムの機能で、今度は“
果たして予想通り、こちら側の大地でも、遠くの山々や地表の一部に、同じ淡い緑色の発光があった。
ここまでそれを発見しなかったのは、恐らくは丘陵のなだらかな平原だったが故か。
しかしこうして岩や鉱石の露出していそうな場所を観察すれば、例の光を発見する事ができた。
「多分、何かの鉱石……宝石? どちらかと言えば、結晶かしら。それが光っているのね」
父の研究室に残された資料や学術書を読んで、そういった知識を蓄えていた。
例えば、カロス地方を中心に発掘される“メガストーン”、アローラ地方の“Zクリスタル”、ガラル地方の“ねがいぼし”、パルデア地方の“テラスタル”。
この世界には、不思議な鉱石がたくさん存在する。
無論、ポケモンを進化させる力を持った“いし”の数々もそうだ。
あれらもその1つだとするならば、成る程。光る程度であれば、さしておかしい事でも無いだろう。
「……」
美しい景色である、という感動。
それと同時に、「ここは自分の知る世界ではない」という実感もまた、確かに存在していた。
ふと、寝間着のポケットに手をやり、例の羽根を取り出す。淡いオレンジの混ざる、濃い緑色の羽根だ。
謎のポケモン──マハッターから取り返した後、片時も離さず持ち歩き続けていた。今度こそ、絶対に手放さない為に。
根の部分を指でつまみ上げ、くりくりと目の前で回しながら観察する。
夜を照らす緑色の光たちにほんのり照らされて、羽根そのものも光を帯びているように錯覚できる。新たな発見だ、とソラは小さく微笑んだ。
「……ね、ロトム。今から言う事、秘密にできる?」
「ケテ? ロト!」
スマホの中から、ロトムが溌剌と返事を飛ばしてくる。
それに口元を緩めると、少女は限りなく独り言に等しい心情を語り始めた。
「……お昼に、博士から“星見人”の話を聞いた時、わたし、考えちゃったんだ」
大昔から、この世界にはたまに、地上から人やポケモンが迷い込んでくる事がある。
彼らは、マハルの民が知らない「星」を知るが故に“星見人”と呼ばれ、地上由来の知識によってマハルの発展に貢献してきた。
そして……彼らが地上に帰った例は無く、この地に骨を埋めたという。
それを聞いてから、ずっと考えていた事がある。
もしかしたら。もしかすると。もしも、それが事実であるのならば。
「わたしの父さんも、本当は失踪したんじゃなくて、この“マハルの地”に迷い込んじゃって……今も、どこかで暮らしてるんじゃないかな……って」
そう頓珍漢な推測ではない。少なくとも、彼女はそう思っていた。
“マハルの地”を熱心に研究してきた父、クレオメ博士は、世界中の色んな遺跡や秘境を調べ、そのヒントを探っていた。
であれば、彼や彼に同行していた研究者たちも、自分たちのように何らかのトラブルによって、“マハルの地”まで転移してしまったのではないか。
そうして地上に帰る事が叶わず、この世界のどこかで……今も、研究を続けているのではないか?
「でも……もし、そうだったら……怖いよね」
何が、とは言えなかった。
だって、そうだろう。
今の今まで死んだとさえ思われていた父が実は生きていて、同じ土地にいるかもしれない。
ウソつき呼ばわりされていた彼の理論は正しくて、誰も信じなかった世界が本当に存在していて、自分も今そこにいる。
そんなの──
「どんな顔して、会えばいいんだろう……」
彼女にとっての父とは、動画の中の存在でしかない。
幼い頃の記憶など、モヤモヤとした霧に包まれてしまっている。
もしも本当に父がこの世界にいて、もしも何かの拍子に出会い、対面してしまったら。
自分は彼に、どんな言葉をかけるのだろう。どんな顔をしているのだろう。どんな気持ちでいられるのだろう。
笑うのだろうか。怒るのだろうか。泣くのだろうか。恨むのだろうか。
そのどれもがあり得て、そのどれもがあり得ない。何が正解かも分からない。
だから、聞けなかった。
もしも「クレオメ博士という人物を知らないか」と聞いて、肯定されてしまったら。
そしてこの世界でも、彼が悪名を以て知られていたら。
「怖くて、聞けないよ……。わたし、まだ……
その時、自分がどんな表情をしていたのか、想像する事すらできなかった。
はぁ、という小さな溜め息が、夜の空に撹拌する。
手に持っていた羽根は再びポケットに仕舞い込み、意識を逸らすように夜空を望む。
「……それに、不安もいっぱいある。博士は旅に出ろって言ってたけど、わたしなんかにできるのかな……」
脳裏に思い起こされるのは、昼間のやり取りだ。
そこでルスティカ博士から提案された内容は、ソラたちを驚かせるには十分なものだった。
微睡む事もできず、その時の事を思い返す。
不意に吹いた冷たい風が、少女の体を微かに震わせていた。
この後【18:00】より2回目の追加投稿を行います。