──ルスティカ博士が提案した、元の世界に帰る為のヒントを得る手段。それこそが、“リンネの儀”と呼ばれる巡礼の旅だ。
“マハルの地”には、この世界を生み出したとされる神、“リュウジンさま”を信奉する文化がある。
同時に、“リュウジンさま”に仕える神官たちは武勇、それもポケモンを従える術が尊ばれ、各地に神官を鍛える為の神殿──即ち、“ジム”が存在する。
“リンネの儀”とは、各地に点在するジムを巡り、そこの管理人たる神官──“ジムリーダー”たちから実力を認めてもらう、修行の旅の事だ。
そしてすべての“ジムリーダー”に認められた者だけが、“
『マハッターが住んでるのは、まさしくその“縫いの霊峰”周辺だ。そこに、あんたらをこの地へ連れてきた奴がいるかどうかは分からんが、何かのヒントにはなるだろ。そうでなくても、この世界をお創りたもうた“リュウジンさま”のおわす山だ』
『“リンネの儀”をクリアするほどの実力者なら、“リュウジンさま”に頼んで地上に帰してもらう事ができるかもしれない……って事ですか?』
『そういう事』
昼間の会話を思い出す。
黒板を文字で埋め尽くしながら、博士はそのように説明していた。
『この世界の南端と北端は、上と下を繋ぐ完全な断崖絶壁。登ろうと試みるだけ無駄だし、もし登ろうものなら、中途にある例の重力の境目で主観の重力が反転。たちまち態勢崩してジ・エンドだ』
『でも、マハル一周が可能という事は……南北以外の場所に、側面にも重力の存在するエリアがあるんですね?』
『いい気付きだ。その1つがここ、東端の“
『その2つの内、“死出の森”は危険すぎて踏破どころか、立ち入りすら困難……』
『そう。つまり“リンネの儀”で各地のジムを巡礼する時の鉄板パターンは──』
“
今いるウツシタウンが“
『ジムは“ハイ”に4つ、“ロー”に4つの計8つ。8人の“ジムリーダー”全員に認められて、初めて霊峰へ挑む権利が与えられるってワケだ』
聞けば聞くほど、故郷のカロス地方を始め、地上世界の各地方におけるジム戦と丸っきり同じ形式で行われているようだ。
守り神に捧げる修行の旅、という意味では、アローラ地方における“島巡り”との類似性も見られる。
『昔は徳を積みてぇ坊主に、神官志望のジャリども、犯した罪を悔い改めてぇ奴とかがよく巡礼に出たそうだが……今じゃ、そういうハナシもとんと聞かねぇ。やっぱ一番は、その過酷さと危険度だな』
『……やっぱり、命を落とす人とかも……』
『旅なんて、どこでもそんなモンだろ。特に後半は、“
その言葉に、グッと言葉を呑み込んだ。
ここまででも十分に推察できるだろうが、ソラは生まれてこの方、ポケモンバトルなんて1度もした事が無い。
幼い頃に両親を失って以来、心を閉ざして生きてきた彼女は、旅どころか外出する事すら稀だった。
ニャースもロトムも、あくまで身の回りの世話や補助をしてくれているだけで、正式な手持ちではないし、彼らの側もバトルはとんとできない。
つまり、何もかもがゼロからのスタートになる。
何もかもがゼロの状態から、この過酷な世界を踏破できるだけの実力を、旅の中で身に付けなければならない。
『……ま、考える程度の時間はくれてやる。やるにしても、旅の支度は要るからな。今日すぐってのは、どっちみち無理だ』
『アネキ、おいらは何をしたらいーい?』
『とりあえず家に戻って、母さんにこいつらの旅の用意を手伝ってもらえ。事情を話せば協力してくれる筈だ。母さん、父さんが若い頃にしたっつー巡礼の話が大好きだからな』
そんな会話とともに、昼間の講義には区切りがついた。
その時の事を思い出して、やはりソラは、不安ばかりを溶かし込んだ溜め息をつく。
「バトルなんて、した事無いし……やる相手もいなかった。わたしなんかに、ポケモンを捕まえたり、育てたり、バトルするなんて事、本当にできるのかな……」
そんな弱音だけが、静かな夜へと飛翔して。
「知らね。誰だって実際にやってみなきゃ、自分の才能なんざ分からねーモンさ」
突如、後ろから飛んでくる女性の声。
同時に漂ってくる、甘く温かな香りに、思わず振り向けば。
「かくいうあたしも、実際に都会に出てみてから、自分に何ができんのかってのを理解できたからな。何事も挑戦さ」
「……博士」
「こぉん」
「ロコンも……どうして」
そこにいたのはやはり、ルスティカ博士だ。
足元には、彼女のパートナーであるロコンもいる。
今回はタバコを咥えておらず、その代わり両手に1つずつ、何かの飲み物で満たされたマグカップを持っていた。
ほかほかと湯気の舞い踊るそれが、先に漂ってきた甘い香りの源であるらしい。
「なんか、2階でゴソゴソしてるのが聞こえたからな。どーせ不安で眠れねーとかだろうし、ちょっかいかけに来た」
「それは……いえ、やっぱり分かりますか」
「そりゃな。ほら、とりま飲んで温まっとけ。ミルタンクの乳を加熱したやつだ」
「あ、ありがとうございます……」
受け取ったマグカップはたっぷりの熱を孕んでいて、両手で抱え込まねば持てないほど。
中に満ちた熱々のホットミルクに口をつけ、そっと流し込む。
「う……? 甘い、けど……ちょっと、しょっぱい……?」
「そりゃ、ミルタンクから絞ったやつだからな。塩の味がすんのは当然だろ」
「そう、なんですかね……? ミルタンクのモーモーミルクって、もっと濃厚で、甘い感じなんですけど……」
「多分、ミルタンクの種が違うんだろうな、
そんな雑談のひとつもしながら、夜空を肴にミルクを飲む。
甘い中に塩気のあるモーモーミルクというのも、慣れれば中々どうして美味しいものだ。
「綺麗だろ、この空」
「へっ? あ、あぁはい……その、星空とも違う、見た事の無い景色で……とても、驚きました」
「星ねぇ……。あたしは見た事無ぇけど、そっちも綺麗なんだろうな」
そう言って、ミルクをひとくち。
それからやおら、宙を舞う光のひとつを指差した。
「あれ、なんだか分かるか?」
「いえ……。ロトムで拡大して見ようかとも思ったんですが、地上じゃ、光源を覗くと目をやられる事があって……」
「ふーん、地上の光ってそんなに強ぇのか。ま、見てみなって。そんな危ねーモンじゃねぇからさ」
「あ、はい……。お願い、ロトム」
「ケテロット!」
再び、スマホロトムのカメラ機能を起動する。
拡大した光を覗こうとすると、横で博士が「うお、すげぇ便利だなそれ」と呟いていた。
そうして、画面に映し出された光の正体。
果たしてそれは、三日月のシルエットを持ち、自ら発光する、石のようなポケモンだった。
「あれ……もしかしてルナトーン、ですか?」
「お、ご名答。あそこに浮いてる奴ぜんぶ、野生のルナトーンなのさ。あいつらが光ってるおかげで、夜に何も見えないなんて事が無くて済んでるってワケよ」
「光る……? ルナトーンが光るなんて聞いた事……」
そう言われて再度観察してみると、その姿が通常のルナトーンとは異なっている事に気付いた。
博士の言う通り、ルナトーン自体が光を帯び、それを周囲へ放っている。
それだけでなく、見た目も通常の三日月型の石めいたそれではなく、表面に淡い緑色の結晶めいたピースがチラホラと点在……いや、内部のそれらが露出しているようだった。
「……まさか、あれもリージョンフォーム?」
「みたいだな。あたしらはあのルナトーンしか見た事が無いから断言はできねぇが、あんたら“星見人”が言うところの“マハルのすがた”ってヤツだろーさ」
「それじゃあ、もしかしてソルロックも……」
「形こそ違ぇが、大体あんな感じだぜ。今は夜だからルナトーンが浮いてるが、朝になれば代わりにソルロックが光を放出して、大地を照らしてくれんだ」
「だから、太陽が無いのにあんなに明るいんだ……」
「一番の要因は別にあるけどな……ほれ」
ゴソゴソと、白衣のポケットから取り出したモノ。
それは、うっすらとした緑色を含む、手のひらサイズの結晶だった。
「……これは?」
「“リバーテル結晶”。この世界の特産品さ。こいつは光を生成して放出する特性と、光を吸収して増幅する特性の両方を持ってる。それの切り替わりで、昼と夜が生まれんだ」
「その結晶が光を放出している間が明るい昼で……光を生成している間が、暗い夜?」
「そゆ事。昼ん時から思ってたけど、中々どうして頭がいいじゃねぇの」
「いや、そんな事……」
称賛を否定するように首を振り、視線から逃げるべく、意識を空へやる。
あの緑色の光たちは、ルナトーンの光を吸収して、増幅したそれを放出している天然のリバーテル結晶なのだろう。
あれらに光が十全にチャージされた時、放たれた光がマハルを満たす。
もっと正確に言えば、リバーテル結晶から出る光の、そのまた反射光(地面などに当たった光が跳ね返る現象の事だ)によって、あの太陽があるかの如し昼が生み出されているのだ。
空に瞬く光たちを眺めるソラを横目に、ルスティカ博士は自分の分のミルクに口をつけた。
彼女の足元では、スマホロトムに興味を持ったらしいロコンが、宙に浮くスマホへちょっかいを出している。ロトムがそこそこ困っていた。
風が吹く。冷たい夜風だ。
「あんた、なんか怖がってんだろ」
「!」
「ああ、勘違いすんな。別に責めてるつもりは無ぇし、深堀りする気も無ぇ。あたしゃカウンセラーじゃないんでね、そういうのはいいとこの神殿行って、徳の高ぇ尼僧とでもやっとけ」
「は、はぁ……。じゃあ、どうして突然……」
「さぁね。“きまぐれ”だよ、ただの。ポケモンは人に似るなんて抜かす奴がいるが、人だってポケモンに似るものさ」
マグカップに口をつけ、口元を隠す。
なお、引き合いに出された当の“きまぐれ”なきつねポケモンは、とうとうスマホロトムを“うちおとす”事に成功していた。
「……あたしは1度、“リンネの儀”に挑戦した事がある。まだあんたよりも下の、12の頃さ。自分がどこまでできるのかを試したかった……まぁ、イキったガキの火遊びさ」
「……どうだったんですか?」
「1つ目のジムでボロ負けて、泣いて帰ったよ。母さんはしょうがないねって言って慰めてくれたけど……あたしは、父さんみたいにはなれなかった」
ミルクを飲み干し、空になったマグカップを弄ぶ。
タバコを吸おうとしないのは、ソラたちに配慮しているのか、それとも感傷か。
「だが、悪い事ばっかでもなかった。生まれ育った町を出て、他所の街まで1人で……いや、自分のポケモンと一緒に行く。親もダチも、傍にはいない。そうして見た景色ってのは……全部が、新鮮だった。町の外に1歩出るだけで、世界ってのは存外変わるもんさ」
「……」
くるりと一転し、ベランダの手すりに背中を預ける。
「あたしがポケモン研究を志したのは、そっからだ」
マグカップの取っ手に指を引っ掛け、くるりくるりと1回転、2回転。
「な、『テレネット』ってポケモン、知ってっか? クモポケモンの一種なんだけどよ」
「テレネット……? いえ、初めて聞きました。マハル固有のポケモン……ですか?」
「マー、多分な。あいつらはおもしれー能力を持っててよ。あいつらが作るクモ糸は、電気を通すんだ。そんで最近になって、電気を特定のパターンに変換してそのクモ糸に流すと……そっくりそのまま、向こう側まで伝達する事も分かった」
「それって……まさか」
「そ。そいつを利用して、あんたら“星見人”が言うところの、“インターネット”ってのを再現する事に成功した奴が都会にいる。つっても最近の発見だもんで、ネット環境なんてご大層なモン、ここらじゃあたしの研究所にしか置いてねーけどな」
ケラケラと笑い、こちらと目を合わせてくる。
「おもしれーだろ? この世界」
その一言に、ソラはドキドキするものを感じた。
ポケモンの力を使って、ポケモンの力を借りて、今までに存在しないものを作る。知識だけがもたらされたものを、知恵と工夫で作る。
そうして、地上とは異なる環境でありながらも、この世界は発展してきたのだ。
ネット環境があるという事は、電気を使う文化もある。それらの技術を理解する者もいる。
研究室の機材、照明、キッチンの設備に、町に存在する家の1つ1つ。
マハルの人々は、決して原始的な存在ではなく、自分たちと同じ人間であり、同じ文化を持った、対等な相手なのだ。
その事を、ネットの一言から理解する。
知識が増える。見識が深まる。世界が広がる。視界が開く!
徐々に、その若い目に光が灯っていくのを、ルスティカ博士は決して見逃さなかった。
「あんたが何を抱えてんのかは知らねぇし、聞くつもりも無ぇ。あんたがガチで帰りてぇってんなら手を貸すし、諦めてこの世界で生きて死ぬってんなら、それも肯定してやる。ただ、あたしの望むところはひとつだけだ」
「……それは?」
少女のか細い問いに、タバコを咥えている時と寸分違わない、快活な笑みを以て歯を剥いた。
「この土地を、好きになってくれ。あたしらの生きてるこの世界が、怖ぇだけの場所だなんて、どうか思わないでくれ。それだけさ」
ひゅう、と風が吹いた。
冷たくも心地いい、穏やかな夜風だ。
「……」
その言葉に、ソラは何も返さなかった。
ただ。
「博士」
「応」
「わたし、“リンネの儀”に挑戦したいです」
「応」
それが、少女の旅の始まりだった。
マハル図鑑 No.138
【ルナトーン(マハルのすがた)】
ぶんるい:やこうポケモン
タイプ:いわ・ゴースト
とくせい:ふゆう
ビヨンド版
夜の 僅かな 光を 吸収して 放出する。朝に なると どこかへ 消えて 眠りに つく。
ダイブ版
1ヶ月に 1度だけ 活発に 活動するが 理由は 分からない。学者の 悩みの タネだ。
《進化》
なし
この後【21:00】より3回目の追加投稿を行います。