私のプロデューサーは、嘘ばかり吐いている。 作:しゅないだー
月村手毬は今でも覚えている。
あの胡散臭さを、軽薄で塗り固めて人の形にしたような男がレッスン室に入ってきた瞬間を。
それは確かいつものように授業を受け終えた放課後、日課のボーカルレッスンに彼女が励んでいた時だった。
紺色のアロハシャツにゆったりとした黒のワイドパンツ、少し色の落ちたアッシュグレーのウルフカット。いかにも浮かれた大学生といった感じのその服装に違わず、その顔立ちは二十歳程に見える。少し垂れた眠そうな目が印象的だった。
とはいえこの初星学園では私服での登校も許可されており、併設されている専門大学の人間も出入りしている事から、このくらいの年齢の人間を見かけるのはそう珍しい事ではない。
ただそれでも、レッスン室にまで立ち入ってきたのは彼女にとって初めての出来事だった。ヘッドホンを外して睥睨する手毬に対して非礼を詫びる事もなく、薄ら笑いを顔に貼り付けながら彼は口を開いた。
「俺ね、こういう者です」
自主練を中断された苛立ちを隠そうともせず、返事もしないまま手毬は声の主を睨み付ける。
しかしその視線は、言葉と共に差し出された名刺に記された"プロデューサー科"という肩書きに吸い寄せられた。
プロデューサー科。
この初星学園に併設されている専門大学の学科の一つであり、学園で大成しているアイドルの多くはプロデューサー科出身の人間によるサポートを受けている。
レッスン室の貸与や一部座学の免除、奨学金や支援金の条件緩和といった目に見える特典だけに留まらず、専門の教育を受けた人材によるスケジュールやレッスンメニューの管理はアイドルの成長に大きく寄与する。
それ故に"プロデュース"制度を活用する為には、決して易くはない入学試験に合格したプロデューサー科の生徒にとって更に難関とされるいくつかの試験を突破しなければならない。
その後も担任へ定期的なレポートの提出、素行や活動実績による審査など多くの条件が存在している。
特典にはそれ相応の責任も付いて回る、という話に他ならない。アイドル科の学生にとっては自分の人生を左右するかもしれない要素である事を考えれば、至極妥当と言えるだろう。
(スカウト……? まさか、今の私に?)
表情では努めて冷静さを保っているものの、手毬の心臓は早鐘を打っていた。そのままの勢いで名前に目を滑らせる。
「
名無しの権兵衛、をもじったものだと気付いて手毬は顔を顰めた。
おちょくられている。そう感じて頭にかっと血が昇る。
「何なんですか、この冗談みたいな名前。というか何の用ですか? レッスンの邪魔です」
そう言って名刺を受け取る素振りも見せず、彼女はそっぽを向いた。
「あ、ひどい。曲がりなりにも人様が親から付けてもらった名前を冗談呼ばわりは今の時代良くないよ。特にアイドルなんてのは失言一つでドボンなんだから」
自分の言葉は人から反感を買いがちだ、という事を彼女は自覚していた。
そして衝動に任せてそれらを吐き、後から悔いる。もちろん何も気にしない事も往々にしてあるが。寧ろそちらの方が多い。
そういった経緯から来た"万人に受け入れられたいとも思っていない"という一種の開き直りが彼女の意固地な態度を作る一因にもなっていた。
だからこそアイドルという自分の目標に絡めて、淡々とその態度を非難されるのは彼女にとって気分の良いものではない。
「っ、いいから何の用──」
「まあ、冗談なんですけども」
そう言うと男は自分で出した名刺をくしゃくしゃに丸めると、ゴミ箱に投げ入れた。からん、と乾いた音が響く。
「は?」
「今の時代にこんなアホみたいな名前付ける親、いる訳ないじゃんね。いたら虐待だよ、虐待」
彼は楽しそうにけらけら笑いながらパイプ椅子に腰を下ろすと、頬杖をついた。
「邪魔してごめんね、途中だったんでしょ? 続けてもらっていいよ、自主練。俺も君の歌が聴きたいから」
「聴きたいって、なんで」
突飛な言動や行動に毒気を抜かれたのか呆然とする手毬に、男は畳み掛けるようにすらすらと言葉を並べた。
「月村手毬さん、高等部アイドル科1年生。内部進学組の言わばエリートで、中等部の頃からユニット『SyngUp!』として活動し高い評価を受けていた。現在は諸々あってソロ活動に至る、大体こんな感じで合ってるよね?」
「……合ってますけど」
一通り自分について下調べは済ませている、という訳だ。けれど本気でプロデュースするつもりで来た人間がこんなふざけた態度を取るはずがない、つまりこれは冷やかし。手毬はそう結論付けた。
「じゃあ本題に入るんだけどさ、月村手毬さん。君のことプロデュースさせてもらいたいんだけど、どうかな?」
「はあ!?」
3秒前に出した結論が音を立てて崩れていく。
冗談のような軽い言葉ばかりが立て続けに投げられるのとは対照に、その瞳はただ手毬を真っ直ぐ見つめていた。それをどうにも直視できなくて、一杯になった頭が絞り出した言葉は。
「──っ、で、出ていって!!」
肩で大きく息をしながらそう叫んだ。とにかく考える時間が欲しかった。
「それじゃ、またね」
その一言と共に気を悪くした様子もないまま部屋を出ていった男の足音を遠くに聞きながら、へたり込む。
「……訳分かんない」
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明くる日の事だった。
生徒でごった返す食堂で手毬がいつものように昼食を取っていた時。
「相席いい?」
疑問形で尋ねつつも、返事を待つ事なく声の主は手毬の前の席に腰掛けた。見た目に似合わず、かけ蕎麦にかしわ天、熱いお茶が乗ったどこか年寄りめいたお盆を置いた男は昨日見たばかりの顔だった。
目も合わせず、冷ややかな声で一蹴する。
「嫌です。別のテーブルで食べて下さい」
「ご飯って人と一緒に食べた方が美味しいんだよ」
涼しい顔で手を拭く男に苛立ちが募る。どうやら席を立つ気はないらしく、かといって移動しようと周りを見回しても手毬の近くに空いている席はなかった。
「どうでもいいです、別に私は一人でいいので。友達と食べればいいのに。まあ、そんな感じならいないんでしょうね」
「そうなんだよ、人付き合い苦手なんだよね」
そんな事を言いながら男は遠くに手を振っている。恐らく級友でもいたのだろうと手毬は推察し、心の中で(友達いるんじゃない!)と声を荒げた。
明らかに向けられている敵意に気付いていないのか、それとも
「名前もちゃんと名乗らない人と一緒に食事したくないです。あんなふざけた名刺まで作って、面白いと思ってるの?」
「ごめんって、まあ掴みは上々だったでしょ?」
大して感情の篭っていない謝罪を述べながら、微笑んで男は自分の顔を指差した。
「この通り顔も覚えてもらったし、俺は別に名前で呼ばれなくたっていいからさ」
まだ湯気の立つ蕎麦に七味唐辛子を掛けつつ、口に咥えた割り箸を器用に割る。
「プロデューサー、って呼んでくれれば」
「呼びません。いい加減しつこいんだけど?」
自分の刺し殺すような視線に「おお怖い」と肩を竦めながら、蕎麦を啜る男に対して手毬が取れるのは沈黙しかなかった。仕方ないので本日の昼食であるサラダに粛々と向き合う。
(……本当は今週限定のロコモコ丼、食べたかったな)
「月村さん、そのサラダしか頼んでないみたいだけど野菜好きなの?」
「……」
手毬は自分にとって最も神経を逆撫でするその言葉を無視し、器用にサラダから人参を選り分ける。その様を彼は興味深そうに眺めていた。
「思ったより腹減ってなかったから残そうと思ったんだけど、良かったらこのかしわ天食べる?」
「……」
無視。しかしその言葉で彼女の視線は向かい側に座る男の皿に注がれた。
「鶏肉って良質なタンパク質だし、ダイエット中も寧ろある程度は摂らないと逆効果なんだって。冷めても美味いし」
「別にダイエットなんかしてません!!」
「ごめんって、じゃ俺もう行くね」
「……食べ物を粗末にするのは良くないので、あなたがどうしても残すなら仕方なく貰ってあげます。食べ物を粗末にするのは良くないので」
「人参残してるくせによく言うよ」
それも無視してひったくるようにして取ったかしわ天を手毬が頬張るのを確認すると、男は口を開く。
「お代と言っては何だけど、それ食べてる間だけでいいから1つ質問いい?」
「むぐ!?」
返事をする暇も与えずに呑気にお茶を啜ると、突然の事に喉を詰まらせかける手毬を見て心底楽しそうに口角を上げた。
「返事無いしOKって事ね」
「んー!」
抗議の唸り声を上げる手毬に「冗談冗談」と呟きながら、彼女が一息つくのを待って男はゆっくりと目を合わせる。
「プロデューサー科と組めば部屋の貸与に座学の一部免除、諸々の特典を考えるだけで乗って損はない話だと思うんだけど。もしかして先約がいたりする?」
「……別にいないですけど」
そう理詰めで話されると、益々断る合理的な理由も無いような気がしてきて語尾が下がる。己を奮い立たせるように手毬は強引に話題を変えた。
「いい加減名前くらいちゃんと名乗ったらどうなんですか? あんなふざけた名刺まで作って、別に面白くも何ともないし」
「本当に名無しの権兵衛なんだってば」
「……はあ、もういいです。なら私にも1つ質問させてください」
本題以外まともに話しても埒が明かない、そう判断した手毬は核心に触れる事にした。
「あなたが私をプロデュースしたいとして。じゃあ、なんであなたこそ私に声を掛けたんですか?」
なんで、私なの?
それこそが、手毬が目の前の男を信用できない最大の要因だった。
「私をプロデュースしようと思ってるなら私の事も調べてきているはずですよね? 私の評判とか……」
言い淀むようにして口を噤む手毬の言葉を引き継ぐように、彼は口を開いた。
「SyngUp! の解散理由でしょ? 何か揉めたんだってね」
「……知ってるんだ」
「それに関しては軽く聞いただけ、評判とか気にするならそもそも君に声掛けてないよ。まあでも不安にはなるよね」
俺がアイドルを、君をプロデュースしようとするのは。
勿体ぶるようにそう呟いた後、顔色一つ変えないまま男は到底プロデューサー志望とは思えないような台詞を吐いた。
「そりゃ可愛い女の子とお近付きになって、あわよくば未来の大スターに玉の輿でしょ」
「……なっ、か、かか、かわっ」
(わわわ私の事を可愛いって、そんな目で……!?)
今まで向けられた事のない類の感情に、耳まで熱くなるのを感じる。別に目の前の彼は顔は悪くないし、性格は終わってるかもだけど、でも。
(けどプロデューサーとアイドルの恋愛なんて御法度、でも、えっ、ええぇぇ〜〜〜!?)
「まあ、冗談なんですけども」
「〜〜〜っ! はあ!?」
呆れたような表情を見せながら男はつまらなさそうに続けた。本当に自分にそういった興味がないらしく、その態度には一切の照れも葛藤も見られなかった。
「はあはこっちの台詞だよ、今の本気で言ってたらがっつりセクハラじゃん」
「セクハラ! そう! 今のセクハラだから! 訴えてやる!」
「勘弁してよ、俺ただでさえコンプラ関係の講義の成績悪いんだから」
間延びした声で共に「それは置いといて」のジェスチャーを挟むと、頬杖をついた。
「思い詰めた顔してたから緊張
未だ憤懣やる方ない、と言わんばかりに頬を膨らませる手毬に悪びれる事もなくのんびりと話し始める。
「月村さんは歌が上手いよね」
「……? なに当たり前の事言ってるの?」
そういう所好きだよ、と軽く笑って男は続ける。
「こないだのボーカルレッスンの時も途中まで立ち聞きさせてもらったし、『SyngUp!』の時に撮影されたライブ映像も全部見た」
事も無げに言っているが、いくら中等部でトップレベルとはいえ学園内にユニットは数多ある。定期公演ならまだしもユニット単体でのミニライブなどでは公的な映像記録が残されていない事も多い。
それを全部見た、と豪語するのはそれこそ冗談と笑い飛ばされるだろう。
ただ彼のその語調はどうにも嘘に思えなかった。
「あのね。これは
何故か少しだけ男の表情に照れが混じったように手毬には見えたが、すぐに薄ら笑いがそれを覆い隠す。
「俺は大マジだよ。月村さんが良い」
熱弁する訳でもなく、大仰な台詞を吐くわけでもなく。男はただ淡々と言葉を紡ぐ。
「正直月村さんさ、アイドル向いてないと思うよ。この2日で分かるくらい性格難有りだしさ、この業界でそれって結構ハンデだと思うし」
「う、うるさいな……」
「でも面白いからイロモノ系としてやっていけるかもしれない」
「私は! 冷静でクールです! 感情が薄くて、冷たい印象が作り物めいているってよく言われるし! どこがイロモノなの!?」
「ごめんって、冗談」
何が冗談なのかを明言しないまま笑って男は仕切り直す。
「まあ実際アイドルとして向いてるかどうかで言えば、手放しで『向いてる! アイドルになる為に生まれてきた!』って訳じゃないのは自分でも分かってると思う」
そんな事は彼女にとって百も承知だった。高等部に進学してから何か歯車が食い違ったように上手く行かない事ばかりで、遮二無二レッスンを増やし、食事制限に努めてきた。
けど、結果が出ない。だからといって諦めるつもりはない。諦めるつもりはないけど、自分は本当に正しいのかと不安になって俯いてしまう。そんな日もあった。
「でも、それでも。"トップアイドル"が良いんでしょ?」
その言葉に手毬は顔を上げた。
「俺も同じ。アイドルをプロデュースしたいからこの学園にいるし、どうせプロデュースするなら"トップアイドル"がいい」
初めてその顔から貼り付けたような薄ら笑いが消えていた。
「"信頼"なんかしなくていいよ、でも俺にプロデュースさせてくれるのなら。君が"信用"できる人間が、この世に一人増える」
「……信用なんて、できない。どうせあなたも私についてこられない」
吐き捨てるように呟く手毬に肯定も否定もしないまま、ただその瞳をじっと見つめた。
「1つだけ確かな事を言うとしたら、俺は"君が良い"から声を掛けた。だから、他の子じゃ嫌だよ」
目の前でそんな歯の浮くような台詞を、真剣に言われたから。
「まあ1日考えてみて。俺、講義がない時は大体ここにいるから」
そう言って男は空き教室の1つを挙げた。話しぶりからするにそこが彼の"事務所"らしい。荷物をまとめ、席を立ちながら改めて手毬の前に名刺を置く。ふざけた名前は変わっていなかったが、とりあえずはそれを手に取って歩き去っていく男を見送った。
「ちなみに『アイドル向いてないと思う』って言ったけどさ、あれちょっと足りなかったから訂正させてね」
彼はしばらく歩いた後、芝居がかった動作でくるりと向き直ると迷いの無い眼差しと共に手毬を指差した。
「アイドル以外の方がもっと向いてないと思う!」
「うるさい!!」
声を荒げる手毬に対してその場にいた生徒が何事か、と視線を向ける。その様子に一切怯む事もなく、男は台詞の続きを吐いた。
「だから目指そうよトップアイドル、俺と一緒に」
喧騒の中に紛れて消えていく男の後ろ姿が見えなくなってからも、手毬は先程の言葉を噛み締めるように反芻していた。
(他の子じゃ、嫌だ……)
その言葉が熾火のように、胸の奥で暖かく灯っていた。
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食堂での一件から、数時間後。授業を受け終えた放課後、手毬はレッスン室ではなく男から伝えられた教室に足を運んでいた。
軽く深呼吸して、扉に手を掛ける。開いた先には教卓に腰掛けて小説を読んでいる男の姿があった。
「お、来たね。思ったより早かった」
暇潰しだったのであろう文庫本を閉じて机の上に置くと、手毬の方を向いて座り直す。もう答えは決まっているだろう、とでも言わんばかりの表情が癪に触った。
「……決めました。私をプロデュースさせてあげます」
何故か自分でも思ってもみないまま上から目線の言葉になったが、別に罪悪感はなかった。彼だってふざけた態度ばかり取ってるんだからこれでお互い様だ、と手毬は自分を納得させた。
「んじゃ諸々の手続きはこっちでやっとくから。これからやっていくに当たって何か聞いておきたい事ある?」
どこから取り出したのか眼鏡を掛けると、男はいくつかの書類に記入するよう手毬に指示しながらそう尋ねた。聞きたい事は山程あるような気がしたが、具体的に出てこない。仕方なく、まだ唯一残っている疑問を口にした。
「結局、名前なんなんですか?」
んーそうだなあ、と顎に手を当てた後。彼は少し悪戯っぽく笑って眼鏡を外した。
「月村さんがトップアイドルになったら教えたげる、それとも自信なさそう?」
「はあ!? あるに決まってるけど!?」
体良く乗せられた事に気付かないまま手毬は「約束ですよ」と男に詰め寄る。
「教えるって言いましたからね、後から『冗談なんですけども』とか言ったら許さないですから」
冗談なんか言った事ないよ、と適当な事を抜かしながら書類を作成している男から手毬は少し離れた所に座って、その横顔を見つめた。
「……あのね」
他の子じゃ嫌だ、と。私が良い、と。
そう言ってくれた事が、本当は嬉しかったのだと。
黙り込んだ手毬に対して少し困ったように首を傾げて、"プロデューサー"は眠そうな目で微笑んだ。
「これからよろしくね、月村さん」
「……よろしく、プロデューサー」
あのね。の先は言えなかった。