南の熱帯にあるシバルバー帝国を支配し、宝石の都ミクトランに君臨する王。
かつては代々ツォンテモック王家の血を継ぐ者だった。
だが今は違う。
テスカトリポカという名の王が玉座に座っていた。
彼は闇と戦争を司る邪神であり、かつて滅びたとされていた。
だがヤルダバオトが世界に宣戦布告した日、突如として復活し帝国を牛耳ったのだ。
名乗ったのは『冥魔王』。
そうして国中を圧倒的暴力で蹂躙、制圧。
軍を編成し周辺国家を次々と征服していく。
しかし4人の魔王が討たれた時点で征服は止まり、彼の関心は国内へと向いた。
その理由は今もって定かではないが、どちらにせよ国民にとっては依然脅威である事に変わりない。
「しかし…そろそろではないか?」
大神殿の玉座に腰掛ける、黒いジャガーの皮を被った男。
まさに冥府の底より響くかのような低い声で、そう呟いた。
「は、そろそろ…とは?」
傍に控える3人のうち、羽飾りを着けた男が問い返す。
「決まっておろう…征服の再開だ…」
「では、ついに…!?
しかし何故、今なのでしょうか」
「お前はいつも質問ばかりだな、トナティウ。
だがその慎重さは買っている、故に許す。
あのエンキとかいう小僧を覚えているか」
「勇者、ですか」
テスカトリポカが頷く。
「おう、それよ。
あやつめが我が神殿に攻め入ってきた時を覚えておるか」
「いえ…我らが”生まれる”前だったので」
「おぉ、そうであったな。
あやつとの戦いで配下が全員討たれたから、お前たちを作ったのだった」
「はい。我ら『
赤く塗った人皮のマスクを着けた男と、白い蛇の仮面の女も頷く。
「トナティウ、シントリ、エエカトルよ。
お前たちの働きを疑った事は無い。
だが…フフフ。あやつらは手強いぞ」
テスカトリポカがこのような物言いをするのは珍しい事だった。
「王がそのようにおっしゃるとは…」
「我と奴は一度、この神殿で戦っておる。
あるルールの下な」
ひとつ。神殿全てを戦場とし、そこから出る事は許されない。
ひとつ。互いに全力を尽くすべし。
ひとつ。どちらかが死ぬまで終わらない。
「…それだけ、ですか?」
「そう、それだけ。
あくまで戦闘領域を限定し、あらゆる手段の使用を許すためのもの。
…そう、思っておった」
だが、エンキはテスカトリポカを打ち倒し、その上で殺さなかった。
「否、殺せなかったのだ。我は死をも司る神なれば。
真の姿さえ晒さなければ、どのような手段でも決して滅びぬ。
奴はその
「弱点…!?
王の権能は絶対無比の力!それがなぜ…」
「ルールその2。『互いに全力を尽くすべし』。
奴は我がそれに違反していると言いおったのだ。
真の姿を見せておらぬ以上、全力ではないとしてな」
その物言いは、通った。
「そして我は呪いを受けた…ペナルティをな」
テスカトリポカが羽織り物を脱ぐと、胸の中央に脈打つ黒い膿があった。
「こ、これは…神の身を蝕む呪いなど…!?」
「あの勝負に立ち会っていたのは、裁きの神アストライア。
我とて、そのルールから逃れる事は出来ぬ。
結果、我は呪いによってこの神殿を離れることが出来なくなった」
更に、テスカトリポカは次に勝負が行われる時、必ず受けなければならないという制限まで負った。
「恐らく奴はまた同じルールで勝負を挑んでくるだろう。
だからこそ我は、周辺への侵略を止めて力を蓄える事に専念した。
この呪いを解くためにもな。
…おそらく勇者は、この事まで読んでいた」
「つまり、王の命を確実に仕留めるための布石だけでなく、侵略を停止させて被害を食い止める事まで織り込んでいたと…!?」
「そうだ。
ならば我は、奴が来る前に呪いを解き進軍を再開するしかあるまい」
「しかし、残念ながら…見たところ呪いはまだ解けそうに…」
テスカトリポカはおかしそうに笑った。
「いいや…呪いは最初、この身体に埋め込まれていた。
それを外へ排出し、ようやくここまで出てきたのだ。
しかし、ここからが面倒でな…」
「…?」
笑いが止まらない。
(あの男…我欲と暴力のみの男と見せておいて、食えぬ奴よ。
この事まで計算づくであったのだろう。
そういう男を喰らうのは実に楽しみだ…!!)
「ぶえっきし!!」
「おいおい、これから魔王狩ろうって時に風邪かよ!」
「違う違う、これは誰かが俺の噂を…」
「だったらクシャミ止まんねえだろお前の場合。
お前悪評だけは広まってんだから」
「馬鹿言うなよ、ここでは俺超モテてんのよ?
魔王ボコボコにしたからな」
シバルバー帝国の国境にある巨大な門の前で、一行は雑談している。
「ボコボコね…でも殺してないんだろ?」
「ああ。だからこれから取り立てに行く。
貸しといてやった命を支払わせてやんだよ。
俺に借りた物を踏み倒せるとは思わないこった」
「お前自分は借りた金全然返さないくせに、他人に貸した金はガチガチにしっかり取り立ててくるよな」
門を守る黒い巨人の前で、雑談を続けていた。
「いつまでこうしているつもりだ!
さっさと入るぞ!世間話なら中でやれ、中で!」
アナトが苛立ち、門を蹴る。
すると、高さ20m・厚さ1mの鉄扉が軽々しく歪んで開いた。
「あの…通行手形とか要らないんでしょうか?」
「魔王に支配されたこの国では、そんなシステムは機能してなさそうだがな。
どっちみちここに来る旅費で全部吹き飛んだし手形なぞ用意できぬ」
「おし!ほんじゃ行くか!」
エンキが勇んで国境を越えようとした瞬間。
大いなる黒い拳が、鉄槌となって降り下された。
「…王の地に…無断で踏み入ること…極刑に値する…」
黒い巨人が地鳴りのような声で告げる。
「ところでさぁ!」
「!!」
しかしエンキはその時既に空中、巨人の眼前にいた。
「俺、宿の予約取るの忘れちったわ!」
勇者の拳を眉間に受け、巨人はたたらを踏む。
「グ、ウ…!」
殴った反動で更に飛び上がったエンキは、またも眉間に踵落としを喰らわせた。
「グガァアアアア!!」
頭蓋骨が陥没し、脳と血が混ざって噴き出す。
巨人が地面に倒れ込み、砂埃が大きく巻き上がる。
「今日は最悪野宿かもしれん!すまんな!」
数瞬後に遅れて着地しながら朗らかに言った。
「おい、高貴なエルフである私を風呂も無いところで泊まらせる気か!」
「最悪、っつったろ!
宿なんかその辺にあるって、素泊まりでいいなら!」
そう言って、辺りを見回した。
家屋はことごとく崩れ去り、人の気配はない。
「…まぁ、ここにはちょっと無さそうだけども!」
住民は、群がって襲い来る巨人の軍勢のみ。
「でもほら、こんだけ人いるから!
聞けばいいのよ聞けば!」
「では、聞いてみるか」
アナトが珍しく、社交的な一面を発揮する。
「これ、そこの者!
この辺りに宿泊できる施設は無いか?」
「神、の地…汚すこと、許さず…」
「ふむ」
飛び上がり、眼球を引き裂いて頭蓋の中に潜り込む。
「グゲ、グガガガ…!?」
そして脳をグチャグチャに掻き混ぜ、最後に脳天を突き破って脱出する。
「グゴ…ッ」
「何も知らないようだぞ、これでは骨折り損ではないか!
しかもさっそく汚れてしまった…風呂には絶対入るからな!」
「1人に聞いたくらいで諦めんなよ!
お前らも聞けって!」
「あぁ?…面倒くせえな!」
ルシフェロが頭を掻き、ローブを翻す。
すると立ちどころに、彼の肉体はコウモリの群れとなって巨人に纏わりついた。
「ヤド、ドコダ!」
「オシエロ、オシエロ!」
「タダシ、風呂付キ二限ル!」
「忌々しい…下劣な、魔性め…!」
「「「キキキキキーッ!!」」」
コウモリたちは巨人を取り巻き、渦となって呑み込んだ。
「やめ…よ…っ…!?」
そして霧散し元の姿に戻った時、巨人はミイラとなっていた。
「…ダメだわ、みんな宿とか知らんて」
「じゃあ、まぁ…仕方ないな」
虐殺が始まった。
全てをその身体で蹂躙してきた黒の巨人は、己が蹂躙される事を知らなかった。
恐怖を持たぬ神の尖兵なれど、本能的に危険を感じ取り、逃げ出すのも無理はない。
…それもわずかな時間稼ぎにしかならなかったが。
「あのー!皆さーん!
そこに隠れていた人がいたので、宿がないか聞いてきたんですけど!
どうやら王都までは全く無いみたいです!
…あれ?」
1人で聞き込みを続けていたキマイラが見たのは、バラバラに解体された黒い肉片と文字通りの血の海だった。
「え?マジ?
ほなもう…ミクトラン行くか!」
「魔王いるし、手間省けるな!
すぐ片付けたら泊まる必要も無く帰れるしな」
「早く行くぞ!血と脳漿は乾くとベタベタするんだ。
さっさと洗い流したい…」
「あわわ…また暴れてしまったんですか?
ここから王都まで240㎞あるんですよ、敵さんもいっぱい居るでしょうし。
もっと穏便にこっそりと…!」
遠雷のような音と共に、揺れが近づいてくる。
「いや、どっちにしろ無理だろ」
更なる巨人の軍勢が迫り来ていた。
少なめに見積もっても10体以上はいる。
「神の敵に裁きを…!」
「背徳者滅すべし…」
「全ては王のため…」
エンキは思わず目を細めた。
「これまた大盤振る舞いだこと」
「こんなん時間稼ぎにしかなんねえだろ、意外と馬鹿なのか?
例の魔王と会った事あんのはお前だけだ。お前の意見を聞いてやる」
「いやぁ、もちろん意図的でしょ。無駄なのは分かってるハズだ。
それでも時間を稼ぎたかったんだろうな!
かわいい事してくれるぜ、テっちゃんよォ!」
「テっちゃん?」
「テスカトリポカって言うの。
お喋りはもういいだろ、わざわざ時間稼ぎに乗ってやる理由もねえ。
速足で行こうぜ」
「はいはい了解」
3人は一斉に飛びかかり、1人は少し遅れて突撃した。
その数分後、黒い巨影たちは物言わぬ肉の山に変わった。
〈つづく〉
ゆっくりやります