大神殿の玉座に腰掛ける黒い魔王。
控える3人の『
テスカトリポカが戦力として数えているのは、この場にいる4人だけだった。
それ以外は、有象無象に過ぎないと考えている。
恐怖で統率した国民軍も。
冥府から蘇らせた邪霊たちも。
死者を混ぜ合わせて作った巨人も。
「国王陛下にご報告!
12時間前に勇者一行が入国!
王都ミクトランに向かっているようです!」
「分かった、下がってよい」
伝令を下がらせ、3人の配下を一瞥した。
「さて。いよいよか」
「王…?」
青の戦士トナティウが問うと、テスカトリポカは、天を仰いで息を吐いた。
(呪いはまだ解けていない。
軍を展開するための時間もない…止むを得ぬか)
上着をはだけ、胸元の肉膿を晒す。
足元に突き刺さったナイフを抜き、膿に勢いよく突き立てる。
「グ、ウッ…!」
そして力を込め、周囲の肉ごと削ぎ落とす。
地面に落ちた赤黒い肉塊は、ブスブスと煙を上げながら消滅した。
「そ、そのように雑にイっていいのですか?」
「仕方あるまい。呪いごと我の力も少し持っていかれたがな」
「恐るべきはアストライアの力、ですな」
赤の戦士シントリが、肥えた腹を揺すって呑気に言う。
テスカトリポカは咎め立てする事無く、頷いてみせる。
「仮にも高位の聖神が放った裁きの呪詛。我とてこのザマよ。
対応に手こずり、兵力を揃えるところまで間に合わなかった」
「間に合わなかったって、またまた!
死霊巨人100体に邪霊の兵隊1万騎も用意してるじゃないか!」
白の女戦士エエカトルが、持ち上げるように言う。
実際、呪いへ対応する片手間で生み出した雑兵であったが、今まで挑んできた騎士団や軍隊は例外なく排除されてきた。
「だが、あの男1人を止められぬ軍勢ではな。
しかも…今度のヤツは1人ではない」
「それは王もです。此度は我らがおります」
「フ…そうだな。
我が兄弟神の心臓を植え込んだお前たちに、倒せぬ敵は無い。
だが、対策はしておくに越した事はないからな」
テスカトリポカにここまで言わせる事が、エンキの恐ろしさを物語っていた。
(次にヤツに会った時、ヤツの提示したルールで戦う必要がある。
恐らくアストライアも既に動き出している。
そしてアストライアが勝負に立ち会う以上、ルール破りは出来ないだろう)
テスカトリポカは既に手を打っていた。
「さて、奴らなら明日にもここまでくるだろう」
「あの距離を…ですか?
それはさすがに警戒し過ぎでは…」
「遊びに来たで~」
唐突。
そう言うほか無かった。
あり得ざる声に、その場の全員が絶句した。
「テっちゃん!約束したよね俺と!
はい、そういう事で勝負しましょう!」
神殿の石段を上がってくる屈強な男。
「…おお、もう来たか!」
『神の心臓』の3人が立ちふさがろうとするが、王は止める。
「よい、見ておれ。
…で、仲間はどうした?お前1人か?」
「いや、神殿の外で待ってるよ」
「そうかそうか。では1対1か?
あのルールでやるつもりか」
「ああ。俺が呼びかければ、アストライアはすぐに降りてくる。
正義の女神様の前で、ルール違反できると思うなよ~?」
「勿論だ。…呼び出せるのならな」
その時、神殿の周囲に掘られた溝に血が流れていく。
前もって貯蔵した生贄の血を、合図に合わせて流しているのだ。
赤いラインは神殿を取り囲み、黒い靄を発生させた。
「これは…ついに起動したのですね!」
「では、事前の予定通り我々は失礼しよう」
「王様!さっさとカタを付けちゃって!」
配下3人が去ると、靄はカーテンのように神殿を覆い、暗黒の結界と化した。
テスカトリポカとエンキの2人しかいない、まさに1対1のフィールド。
「わっ、急に暗ぇよ。
演出にしては凝りすぎだな」
「たわけ。これは我の結界よ。
その名を、『煙る鏡』。
いかなる者も立ち入れず、見通す事すら出来なくなる闇の障壁である」
勇者も神も、この結界には出入りできない。
「貴様は外に出られず、アストライアは入ってこられぬ。
清浄なる者は絶対に通れぬようになっているからな」
テスカトリポカは尊大なる死の王である。
しかし同時に、油断無き戦士でもある。
己が戦うのに易い環境を作る事に躊躇いは無い。
「あえて貴様のみを結界に引きずり込み、そこでケリをつける!
真の姿にさえ戻らなければ、我が死ぬ事は無い。
貴様がいくらこの肉体を滅ぼそうと、あの時のように何度でも蘇ってやろう!」
「あれ?ルールにかこつけてお前の不死を無力化しようとしたのバレた?」
「当然だ、悪知恵を働かせよって!
罠にかかった己の不覚を恥じるがいい」
テスカトリポカは、呪いを掛けられた3年前以来、初めて玉座から立ち上がった。
死を司る者の瘴気が、凄まじい気迫と共に空間を揺らす。
「まぁ、一度も傷を負わぬまま勝ってやってもいいが」
「そんな事言わず、真の姿になれよ!
本気のお前と戦いたいぜ」
「だったら引き出してみろ」
「分かった。引きずり出すとしよう」
エンキは、自分の懐から1枚のカードを取り出した。
表面にはアイコン化された天秤のマークが刻まれている。
「…何だ、それは」
「召喚の触媒だよ。アストライアを召喚するための!
空間を繋げて直接喚び出せば、結界も関係ないだろ」
「ハッタリを抜かすな。
アストライアほど高位の神格を、いくら勇者とはいえ儀式も無しに呼び出せる訳が無いだろう。
以前呼び出した時、『えらい時間と手間をかけた』と言っていたのはお前自身だ」
「ところがな。最近、簡単に召喚できるサービスが始まったんだよ。
とりあえず見てもらった方が早いな」
カードに魔力を込め、空中に放り投げる。
「会員番号1、エンキ!
勝負の立ち会いを所望する!」
カードは空中に留まって光に変わり、人型を形成する。
「…くッ、この反応は!
まさか、本当に召喚されたというのか!?」
光が収まったそこには、スーツ姿で後ろ髪を縛った女がいた。
「私、『天秤倶楽部』会長兼第1席、アストライアと申します。
と言っても、お2人とはもう面識がございますね」
「その顔…確かにアストライア。
だが存在の規模が明らかに小さくなっている…!?」
「ええ、受肉してこの姿になりました」
「
「これは普通に天界での流行りの服です。
黒スーツと言います、カッコいいでしょう?」
女は言いながらテスカトリポカに歩み寄り、名刺を渡す。
「私自身、正義の女神を標榜しながらも、気軽に降臨できないのが不満でした。
これではいつまで経っても公平な世界を実現できない!
ですから、思い切って受肉する事にしたんです」
「…『公平な条件の実現をお助けします。天秤倶楽部』?
なんだこれは」
「私が立ち上げた団体です。
会員の皆様が『公平な条件を保証してもらいたい』と思った時、我々をお呼びいただければ、ルールの設定から管理・審判までさせていただきます!」
アストライアの目は活力に満ちていた。
「貴様は仮にも聖なる神であろう、勇者側についている疑いは拭えんが?」
「適当な事を言いますね。
このアストライアが、そのような不公平を行うと?」
「…フ、ありえんな」
テスカトリポカは、己の愚言を笑った。
「では、ご納得いただけたようなので続けますね。
約束の通り、エンキ様とテスカトリポカ様が出会われたので、戦闘を再開します」
「再開。つまり、前の戦闘は中断された扱いだったのか」
「それは前回の時点でご説明させていただいたつもりでしたが」
「すまんな、普通に全く聞いていなかった。
では、ルールもそのままか?」
「左様でございます。…が」
女は白い手袋をキュッと付け直し、王の胸を指差す。
王はその意図を察し、苦笑しつつ頭を掻いた。
「悪いな。呪いは取り除いてしまった。
あのままでは身動きが取れなかったのでな」
正義の女神が頭を抱える。
「…そのための呪いだったのですが。
これは少し、条件を見直す必要がありそうです。
もちろん、エンキ様に有利な方向へと」
「ですよねーもっと言ってやってくだせえ女神様ー!」
「ええ、もちろん。
どうでしょう、ここはひとつエンキ様がルールを追加するというのは」
「何だと?
おい、さすがにそれは…」
「いいっすねぇ!じゃあひとつ!」
エンキは待ってましたとばかりに遮る。
「勝負は前と同じく1対1。
ただし参加するのは4対4…ってのはどうです?」
「おや、それは…」
「俺の仲間とテっちゃんの部下がいる。
ちょうど人数も合ってるし、総力戦と行かねえか?」
「悪くない、貴様にしては良い提案だ。
奴らもいい加減張り合いがなくて退屈しているだろうからな」
根っからの闘争者であるテスカトリポカは、戦いは派手なら派手なほど盛り上がると考えていた。
「では、戦場がこの神殿だけでは手狭になりますね。
いっそ、ミクトラン全体を戦場にしてみては?」
「我は構わんぞ?肉壁も大量にあるしな」
「あれ、国民いんの?ここに来る時誰も見なかったけど」
「隠れておるのよ。冬の虫のように、惨めにな」
それは嘲笑というより、興味の無いものを語る時の無感情だった。
「ふうん、まぁいいや。その条件で」
「いいのか?人々を守る勇者なら、民の犠牲を見過ごせまい。
…巻き込みたくないのだろう?
強がるな、人間」
「巻き込むって?
お前らが市民を人質にするかもって事か?
お前はそういう事しないよ」
「ほう?フ、フフフハハハ…ッ」
邪神は、人間の浅はかさを嗤う。
「ああそうだな、しないしない!
我は正々堂々と戦う戦士だものな?」
「いや、正々堂々とかそういう話じゃなくて…
人質なんて取ってる暇ないでしょ?
この俺の目の前で」
勇者の顔に、怒りや挑発の意志はない。
「俺にそんな隙見せたら、死ぬでしょ。お前」
「…ほざきよる」
空間に、色の無い殺意が満ちてぶつかり合う。
王の口元には、もはや笑いはない。
対照的に、勇者は厳めしい顔に似合わず、舐め腐った笑みを浮かべている。
しかし最も深く笑うのはアストライア。
この戦士たちの殺し合いに立ち会える喜びが、取り繕った表情からも漏れている。
「…大変結構!両者、気力は充分のようですね。
ならば、ルールの設定を続けましょう」
〈つづく〉