王都ミクトランが『宝石の都』と呼ばれているのは、この土地の不思議な性質によるものだった。
この土地に埋まった骨は、石化する時宝石となるのだ。
そのため、宝石の採掘と販売で繁栄していた…のも、昔の話。
冥魔王テスカトリポカによって支配されてから、人々は息を殺して隠れ潜み、1日を生き延びた事に安堵するだけの生活を続けていた。
しかし、今日は『死の祝祭』と呼ばれる祝日。
元から死の神であるテスカトリポカに捧げられる祭りであり、この日だけは殺される者がいなかった。
ただ1人、生贄として心臓を抉り出される者以外は。
「……」
街は年に1度の自由に浮かれ、分別の無い狂騒に包まれている。
邪神への恐怖と、生贄への罪悪感から逃れるように。
「…ナカトル。震える事は無い。
森の奥、神殿までは私もついていこう」
その騒ぎから少し離れた森の入り口で。神官が言う。
少年が唾を呑む。
「大丈夫です。
僕、立派にお務めを果たしてみせます」
一言も恐怖を口にせず、態度にさえ出さない少年の姿を見て、神官の眉が一瞬下がる。
が、すぐに静かな表情を取り戻す。
「ああ、ああ…分かっている。
お前は立派な男だ。お前は今宵、テスカトリポカ様と一つになるのだ」
「はい。…だから、1人で行きます」
「ナカトル、それは……いや。
他ならぬお前自身の覚悟だ。無碍にはすまいよ」
少年は、自らの足で一歩一歩森の中を進んでいく。
獣の呻きにも、不意の雷にも耳を傾けない。
突然降り出した、足音を掻き消すほどの大雨さえ反応を示さない。
そんな彼の足が止まった。
木々の上を隼のような速度で飛び去っていく『何か』を見たのだ。
「今のは、まさか…御使い様…!?」
テスカトリポカが国民の前に姿を現さなくなってから、3人の怪人が王の意志を代行するようになった。
上級程度の魔導師では生涯掛かっても辿り着けない強大な術と、人間を遥かに超越した身体能力を持つ謎の人間。
魔術の心得など欠片も無いナカトルにも分かるほどの、異質な存在感だった。
(今の感じは、確かに御使い様…でも、どうして?
これから生贄の儀なのに…)
びしょ濡れになるのも構わず、しばしボーっと立ち尽くしていると、森の奥から更に人影が現れた。
「え…」
「おお?なんだ小僧」
現れたのは、見目麗しいエルフの女だった。
「この辺に、杖を持ったガキと獣耳の女が通らなかったか?」
ナカトルは黙って首を横に振る。
「そうか。奴らめ、もう街に向かったか。
全く、はしゃぎよって」
「あの…」
「なんだ?そもそもお前は何者だ!」
「僕は『死の祝祭』の生贄です」
「生贄?ああ、もう要らん」
「…はい?」
きょとんとする少年の肩を叩き、エルフは脇を通り抜ける。
「
「それはどういう…」
女は答えず、去っていった。
「…生贄に、ならなくていい?」
言葉が脳に届かず、繰り返し反芻する。
「死ななくて、いい…」
やっと理解した時、少年の身体が自ずと震え始める。
「う、うう…うっ…!」
そして、泥濘で汚れるのも構わずうずくまった。
「で、これでいいのな?」
「ああ…貴様こそ良いのか?
1対1の殺し合い…街中で出会った瞬間から開始とは」
「面白いっしょ?
あ、ルール違反はすぐバレるからね」
スーツの女が恭しく頭を下げる。
「はい。私の手の者が街に隠れ、皆様を監視しております。
とはいえ、そこまで厳しいルールは敷かれておりません。
1対1を厳密に守り、部外者の手を借りるなどをしなければ問題は無いかと」
「まあな。後は国民に傷を付けたらアウトってくらいか」
「フフ…あれだけ息巻いておきながら、やはり怖いか。
人質を取られるのが」
勇者の表情は、まるで変わらない。
いつまでも、世の中を舐め切ったヘラヘラ笑いを浮かべている。
「アハ~…ウケる。お前まだそれ言ってんの?
もういいや。ゲーム、始めちゃっていいよ」
「おや、カウントは不要と?」
「うん。俺とコイツはもう出会ってる。
ここで戦り合うよ」
「承りました。そちらは?」
黒いジャガーの毛皮を被った頭が、縦に動く。
「よろしいですね?
では決闘…開始ッ!」
「おー!?」
「花火だ…今までこんなのあったか?」
「今年から始めたんだろ。景気が良くていいじゃねえか」
口々に語り合う民の横を、杖をついた少年が通る。
「もう始まったのかよ。
いや~面白い事考えるもんだな、街中でやり合うとか」
吸血魔導師は、トウモロコシ生地で蒸し焼きの鳥を包んだ料理を屋台で買い、人混みに紛れながら貪り食っていた。
「これ美味いねぇ。
本当は人肉料理ってのも気になってたんだが」
シバルバー帝国ではかつて、人肉食が盛んに行われていたという。
だが今となっては過去の風習である。
生贄の伝統も、テスカトリポカが蘇ってから復活したものに過ぎない。
「人肉が、食べたいんで?」
「うん?」
ルシフェロに話しかけてきたのは、肥えた男だった。
「ちょいと表にゃ出せねえが、実は美味い人肉を喰わせる店がありましてね。
魔族の旦那方の御用達店として、祭りの時以外も開店を許されております。
お兄さんも魔族でしょ?」
「そりゃいいね、今時は人食い種族の肩身が狭いからな!
魔王が支配してる領域だと、こういうところで恩恵があるよなぁ」
「で、どうなさいます」
「どうもこうも…」
言いかけて、決闘の事を思い出す。
思い出しただけだが。
「…ま、いいや!
どこにあんの、その店?」
「こっち、路地裏です。ああ、暗いんで足元お気を付けて」
「ぬかるんでるもんな。
しかし、一瞬とはいえバカみたいに降ったのに誰も雨宿りしないのな」
「年に1度の祭りですからねぇ。
雨くらいじゃ休んでられないっすよ~…あ。
ここですここ」
路地裏の奥の奥、喧騒から少し遠ざかった所に、その店はあった。
ところどころ錆びつき、ガラスは曇り、看板は文字が何個か欠けている。
「確かにこりゃマトモな客は来ねえな。
で、ここってお前の?」
「へえ、あっしの店です。店長でなくてオーナーね」
「意外とヤリ手だね、おっさん!」
「そうです、これでも同じような裏の店をいくつか経営する実業家でして。
さ、どうぞお入りになって!」
「へへ、そんなら遠慮なく…おっと。
入る前にちょっといいか?
ひとつ聞きたいんだが、ここって食材の持ち込みはアリかな」
男は虚を突かれ、目をパチクリさせた。
「え?…あぁ、死体処理ですか?
まぁ一応出来ますけど…食材に出来ないのは引き取れませんぜ?
毒とか汚れとかが酷いと、店に出せないでしょ。
いったいどうなさったんです、死体を抱えてらっしゃるんで?」
「抱えているというか、これから作る予定でさ。
オーナーの死体でもちゃんと調理してくれるかな?」
「……なんです?」
少年が杖を振ると同時に、地面から無数の黒い槍が突き出す。
だが、肥えた男の姿はそこに無い。
「だからさ!お前の肉を食わせろっつってんの!」
「…ほほほ、とんだ野蛮人が居たものですな。
勇者の仲間ともあろう者が」
男は槍の先端に片足のみで立っていた。
その顔を、赤い人皮のマスクが覆っている。
「だってモタモタ喋ってんだもんよ。
いつ襲ってくるか待ってたのに」
「おや、それは失礼をば。
さて、互いを認識したからには、ね」
赤い男は地面に降り立ち、両手を奇妙に構えた。
「我が名はシントリ。
赤きテスカトリポカ、シペ・トテクの心臓を受け継ぎし者。
王への叛逆者を粛清する」
吸血鬼が袖を翻す。
「魔導師ルシフェロ。
少し早めの晩飯にしようと思いまーす」
「嬢ちゃん、これ食いな」
「あ、ど、どうも。ところでこの辺りで変な人を…」
「ウチのも食っていきな!
せっかくこんな時にこんな街まで来てくれたんだ、腹いっぱいにして帰んな!」
「う…あ、ありがとうございます。
あの、この辺りでぇ…」
獣耳の女は、店々の店主たちからおまけ攻めに遭っていた。
(か、完全に迷ってしまった。
しかもこんなに手荷物があったらすぐに戦えないよ…。
捨てる訳にもいかないし)
右手に何らかの果実、左手に粥の入った椀を持ち、辺りを見回す。
「とりあえず全部食べちゃお…」
粥を飲み干し、肉食獣として少し物足りなさを感じながら、果実を口に押し込む。
「う~ん、こんなに人がいたんじゃ見つからないよぉ…!
あの人たちだって、そのままの格好でうろついてる訳じゃないだろうし…」
その時、すれ違った1人の女の気配に惹かれた。
「うん…?」
振り向く。
女も振り向いていた。
目が合う。見た事のない顔。
…だが分かった。
「お」
「っ!」
女は先に構え、掌の中に
それは遠目に見ても、周囲の人間をまとめて肉塊に変えるであろう威力を秘めているのが分かった。
ルールで縛られているとはいえ、見過ごせない。
「ぷっ!」
キマイラは口中の果実の種を吐き出す。
それは弾丸のようにまっすぐ飛んで風の球を破壊すると、そのまま掌も貫いた。
「はぁっ!?」
女は驚愕と痛みに声を上げるが、周囲を気にして傷を隠す。
そして、口の前で人差し指を立てた。
(なるほど、人混みに紛れて戦いたいのか。
じゃあノってみようかな)
キマイラは頷く。
すると女は懐から白い蛇の面を取り出し、顔に当てた。
「やっぱり、あなたは…」
そして、そのまま雑踏の中に溶けるようにして消えていった。
「…あ、待って!
私はキマイラです!あなたの名前は!?」
すると女が消えた方向から一条の風が吹き、キマイラの耳元まで声を運んできた。
『白きテスカトリポカに代わる者、ケツァルコアトルの心臓。
エエカトルと覚えておきな』
「…エエカトル」
キマイラは名前を繰り返し、俯いた。
「私の相手はあの人か…」
〈つづく〉