「危ないですね、こんなところで…」
キマイラはそう呟いて手をかざした。
そこに飛んできた風の矢を、たやすく掴み取ってみせる。
(人の中なら向こうも本気が出せないと踏んでいましたが。
平気で攻撃してきますね…)
キマイラは人混みに目を凝らし、攻撃者を探す。
(今のところ、審判に動きはない。
一般の方を攻撃しようとしてる訳ではなさそうですね。
それなら多少は安心…っと!)
また風の矢。
下手にかわすと後ろの人に当たりかねないので、基本は必ず掴んで止める。
(まあ、このくらいの攻撃なら最悪刺さっても問題なさそうですが)
考えながら首を傾げると、そこを石ころが通り過ぎていった。
石ころは建物の看板に突き刺さり、めり込んだ。
(風を使った投擲攻撃…弾はいくらでもあるし、怖いなぁ…)
キマイラがエエカトルを見た限り、彼女の風魔法は相当に精密で応用が利くものであるらしいと分かった。
(むむむ…ルシフェロさんたちはどうしているでしょうか。
ご主人様は負ける訳ないですけど)
ふと立ち止まって考える。
その間も攻撃は飛んでくるが、防ぐか受け止めるかして凌ぐ。
(元の姿になったら皆逃げてくれるかな…いや。
パニックが起これば皆の動きが予測できなくなる。
それは悪手だ…!)
祭りは夜に近づいていよいよ熱を帯び、人も増えていく。
「あわわ…人がいっぱいだぁ」
獣の聴覚で足音を探ると、聞き覚えのある音が近づいてくる。
背後である。
キマイラは素知らぬふりで屋台に寄り、串焼き肉を買う。
「またお腹減っちゃった…」
呟きながら肉を頬張った時、足音は後ろの間合いに入った。
「うおっと」
瞬間、キマイラの上半身がぐるりと後ろを向き、背後の気配に裏拳を―
叩き込もうとして、寸止めした。
「おわっ!?…何しやがる、この女!」
「あ、す、すみません…」
背後にいたのは、ラフな格好の中年男だった。
(あれ?足音は確かに彼女のものだったような…あ。
これひょっとし)
キマイラの首筋から鮮血が噴き出す。急所が斬られた。
「がぁっ…!!」
それを目の当たりにした中年男が恐怖の声を上げた。
「うわっ、なんだぁ!?」
その脇を通り抜けていく女。
キマイラの顔を見て、ペロリと舌を出す。
そして人々の中に消えていった。
キマイラは右手の傷口を抑えつつ、左手の肉が地面につかないように持ち上げる。
(もう、せっかくご飯買ったのに…仕方ないか)
全身の筋肉が隆起し、髪が逆立つ。
右肩から山羊の頭が飛び出し、瞳孔が細長くなる。
「代わりますけど…他の人には手を出さないでくださいね」
ガクリと頭が一瞬下がり、次に顔を上げて立ち上がった時には満面に殺意が漲っていた。
傷口からも、既に血が止まっている。
「…ああ、いいとも。ルールだからな!」
市民が、この突然正体を現した怪物に恐れをなし、逃げ始める。
「それに、一般人に手が出せないのは向こうも同じだ。
これで分かっただろう!小細工など通用しないぞ!!」
風の矢、石ころを使った狙撃、真空の刃。
キマイラにとっては、どれも児戯に等しい。
「ほら、次はどうする?
大規模な技を出せばコイツらに当たるし、威力は減衰する!
この私を相手に市街地で戦おうとしたのが間違いだというのだ!」
逃げる群衆を追うように進み、常に人の壁を維持させる。
同時に周囲の足音に耳を澄まし、接近を確かめる。
「ああ、もうひとつ言っておくが。
足音を風に乗せる事で、位置を誤認させるアレ。
もう通用しないと思いたまえ」
声に応える者はいない。
キマイラは群衆を追い立てながら、骨ごと肉を口に放り込んだ。
「ほうら!かかってきたまえ!
出来るものならッ……え?」
それは、突然の事だった。
逃げ惑う市民たちが、突然宙に浮いたのだ。
「うわっ…」
「なんだっ、なんだよ!?」
その一瞬、キマイラを除く50人以上の人間が、一斉に地面から離れた。
(正気か…ルールを破ってまで私の命を狙うか?)
そこへ、無人の地上を削り取りながら、凄まじい暴風の塊が飛来した。
「馬鹿が」
風を両手で受け止める。指が裂けて出血するが、表情は変わらない。
そのまま両の掌で包み込むと、そのうち風は収まり空気に溶けていった。
「つまらないな。次はなんだ?」
人間が一斉に地面に着地する。物理的には不自然なほどの軟着陸。
(風を使ったか。わざわざ助けたという事は、ルール違反をするつもりはないらしい。
だがどっちにしろ、これでもう人壁は使えない)
市民は恐れをなし、バラバラな方向に逃げていった。
その場に残ったのは、あの女。
白い蛇の仮面を着用し、服も儀礼用の物に変わっている。
「いいさ。不意打ちも失敗した今、お前は私に正面から挑むしかない。
好きなだけかかってこ…」
真空の刃が無数に飛んできて、肉を切り裂いていく。
だが血すらほとんど出ず、キマイラは歩む足を止めない。
「…おい、今は私が話しているところだ」
「無駄口を叩く趣味は無いね」
その女…エエカトルが弓をつがえるような動作をすると、風が渦巻いて一本の矢となった。
今までのものと違い、竜巻を思わせる巨大な矢である。
「おお…なんと恐ろしい矢なんだ…そんなもので射られたら、私はひとたまりもないよ!」
「そうさ。大人しく喰らってくれると助かる!」
そして放たれたソレは、暴れ狂いながらキマイラへと向かう。
「ごり、ごりっ…もごご」
キマイラは口から鈍い異音をさせる。
「…ぷっ!!」
何かが、高速で口から飛び出す。
嵐の矢はソレと正面からぶつかり、軌道が逸れてキマイラの右頬の皮膚を削っていった。
対するエエカトルの右肩にも、何かが刺さった。
「ぐあッ…これは、骨…!?」
「先ほど食った肉のな。使えそうなので取っておいた」
エエカトルの仮面の内側、眉間に冷や汗が流れた。
「…死にな、このバケモノがぁッ!!」
己を鼓舞するように叫びながら、風にのって高速で飛び回る。
風を纏わせた爪で切り刻み、ヒット&アウェイを繰り返す。
…だが、一撃加えた時点で理解していた。
(ダメだ…深くまで切り込めない!
こんな生き物がこの世にいるのか…!
だったら次の魔法を…)
がしっ。
「あ」
「捕まえた」
高速で動いているはずのエエカトルの腕を、しっかりと掴んでいた。
「ああクソッ…があああっ!!」
何度も何度も、執拗なまでに地面へと叩きつける。
あまりの衝撃にエエカトルの脳が揺れ、意識が明滅する。
掴まれている腕が千切れて、無人の屋台に突っ込んだ。
そして、エエカトルが立ち上がる事は無かった。
「ハ、他愛ないものだな!もう逝ったか!」
キマイラが呼びかけるも、屋台の残骸の上に横たわったまま、ピクリとも動かない。
(…今日ほどゾンビであった事を幸運に思った日は無い。
この心臓がある限り、アタシはまだ生きていられる!)
もはや五体に力はなく、立ち上がる事もできない。
ただ痛みに喘ぐだけだとしても、死ぬよりはマシだった。
(それにしても遅い…!まだ
せっかく審判に目を付けられないように、市民を殺さず立ち回ってたのに…!)
エエカトルは、かつてある犯罪組織の末端構成員だった。
チンピラにふさわしい下らない人生を生き、下らない死に方をした。
だが、偶然にも神の心臓に適合した彼女は、テスカトリポカに目を付けられて蘇った。
(この力は手放さない…勇者が何だってんだ…今更来やがって!
ガキだったアタシを助ける奴は1人もいなかった!
自分の身は自分で守る…誰にも邪魔なんざさせねえ!!)
苛立ちつつも呼吸を抑え、死んだふりを続けながら呟く。
「イツパパロトル、何をしてる…!?
はやく横槍を入れろ…!」
その呟きを風に乗せ、遠方へと送る。
すると返答が風と共に返ってきた。
『ごめんなさいね。先におデブちゃんの方に呼ばれちゃって』
「シントリの事かい!?
アンタの事だ、敵はさっさと殺したんだろうが!」
『一応ね。でも天秤倶楽部とかいう連中に追われてさ。
これが強いのなんのって、今逃げてるところなの!
だから助けにはいけないわ~ゴメンね~?』
「へえそうかい!それじゃ、アンタは契約を破るんだね!?
天下の殺人集団”ツィツィミメ”の長ともあろう女神が!!」
それは、人間だった頃のエエカトルが属していた組織の名だった。
魔王の部下として蘇った後は、その縁を活かして繋がりを持っていた。
そして今回、それを利用した『決闘への横槍』を画策したのだった。
『慌てないの。
要するに勝負に負けてでも全員殺せばいいんでしょう?
今そっちに仲間が向かってるわ、期待してて』
「…早くさせろよ!アタシの敵はバケモノなんだから……っ」
ふとエエカトルが気付くと、キマイラに見下ろされていた。
「心音が聞こえたよ。
全く、魔王の部下ともあろう者が情けない」
「クソが…!」
「そうだな、好きに罵れ。
キミに出来るのはそれくらいだろう」
キマイラが右足を上げる。
一息でエエカトルの顔面を踏み砕くために。
…という、まさにその刹那。
「がッ…!?」
天から降った1本の槍が、キマイラの背中から心臓を貫き、地面に突き刺さっていた。
「ほッほッほ。待たせたのう、若いの。
後はワシに任せんしゃい。
…ちゅうても、もう殺したがのう」
槍の上に、猿のように小柄で痩せこけた老婆が座っていた。
犯罪組織ツィツィミメの最古参。
女神にして悪鬼、シワテテオであった。
〈つづく〉